いままでの 日曜日の おはなしです。

悲しむ者は幸いです。その人は なぐさめられるからです。平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと よばれるからです。 イエス・キリストのことば 


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FEBC キリスト教放送局

「主の祈り」

天にいます 私たちの父よ。
み名が あがめられますように。
み国が 来ますように。
みこころが 天で行われるように
地でも行われますように。

私たちの日ごとの糧(かて)を
きょうも お与えください。
私たちの負い目を お赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。

私たちを試みに会わせないで、
悪からお救いください。

国と力と栄えは、
とこしえに あなたのものだからです。
アーメン。

「安心してる?」2003.10
イスラエルの あいさつは「シャローム」。
「あなたは 安心してますか?」って意味だそうです。
今日の あなたは どんな 感じ?
シャローム、シャローム。神さまの愛
ゆたかに ありますように。
〜〜
私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主(=イエス・
キリスト=神)から来る。

主はあなたの足をよろけさせず、
あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエル(聖書の神を信じる人)を守る方は
まどろむこともなく、
眠ることもない。
主は、あなたを守る方。
主は、あなたの右の手をおおう陰(かげ)。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、
夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、
あなたの いのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今より
とこしえまでも守られる。(旧約聖書より)
==
日差しが 強い国、大きな国に いつも
ねらわれて いる イスラエルです。
陰は休み場。

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「イースター」2003.4.20
今日は イースター。にんげんの 罪のため
ひとり ひとりの ために
十字架で かわりに 死刑に なった
イエス・キリストを きれいにしようと
  おはかに 行ったら いなくて
さがして いたら「だれを さがしてるの?」って
イエスが 言った日です(^-^)
死んで よみがえった日。復活祭。

だから 死んでないから 
お誕生日 おいわいするんだ、クリスマス?

ときどき来る「エホバの証人」のひとたちは
ほとんど おんなじ 聖書を 読んでるハズなんだけど
たぶん イースター おいわい しません。。

お誕生日に 「おめでとう!」って ゆうのもダメなんだって。
ビックリ。(エホバのグループのともだちが 教えてくれた。)
エホバ(神さまの 呼び方)を いちばん大切に
してる ひとたち だから「エホバ」の「証人」(^^
イエス・キリストは2番目。

だいたいの キリスト教会は 「キリスト・イエス」を
いちばん たいせつに してるから「キリスト」教。
それで、 イエス=神で人間。これがムズカシ・・・・。

エホバの ひとたちには
イエスは 神じゃなく、失敗した人間なので
エホバ(神)だけをたいせつに してます。だけど
「イエス様の 命令ですから(^^)」って
いっしょうけんめい 歩いて つたえてます。
これも ムズカシ。。。。。
雨でも、あつくても。それは すごく すごいなぁって
おもうけど おたんじょうび おめでとうが できないのは
つまんないと おもいました。選挙も 学級委員も
ダメなんだって・・・。どうして だろう。フシギ。
〜〜
にせ預言者たちに気をつけなさい。
彼らは羊のなりをしてやって来るが、
うちは貪欲(どんよく)な狼(おおかみ)です。

(新約聖書マタイにより福音書7章より)

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「やくそく」2003.3.16
人間の世界には、かわらないことは
なかなか なくて、雪の次に桜がさく
日本は景色さえも、どんどんかわるけど
聖書の神さまは、天地ができる前から
変わらない神さまで、人間みたいに
「あの約束?そんなこと忘れたヨ」とか
「あの時とは ちがうんだしさぁ」
ってならない。ずーっと昔の「約束」も
何があっても、何がどうなっても
悪いことは悪いし、いいことはいい
「こんな今だし、そのくらい
いいんじゃない?」ってならない。
前はそう言ったけどもう時間ぎれだよって
ならない。神さまの「正しさ」って
すごいコトだと おもいました。

「しかし、わたしは言っておく。
みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、
既に心の中でその女を犯したのである。」
イエス・キリスト

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2001.5.13

ある人が交通事故にあいました。
携帯電話を持っていたので、自分で
「大けがをした人が ふたりいます。
すぐ来て下さい!!!!!!」と
電話しました。6人の救急隊員が来て
ふたり の人を病院に運びました。
事故を起こしたのは、小さい軽自動車でした。
病院についた時、電話をかけたその人が
「あれ?おばあちゃんは?」と聞きました。
車の後ろの座席に、おばあちゃんがのっていて
でも、「ふたり」と聞いていた6人の救急隊は
後ろの座席に気づきませんでした。
あわてて問い合わせた時には車は処理場でした。

「みなさん。先入観ってこわいですネ?

日本は先入観でいっぱいです。神さまはいない。
どうせ人生はこんなものなのだから。
私なんてダメだ。って、そう思ってませんか?
先入観でいっぱいなんです。
神さまは生きていて、「しあわせ」を届けたくて
押さえられないほど愛で、あなたを 愛しています。
あなたの 心を 変えていただきましょう」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

目には見えない神さまだけれど、
わたしの心は JOYで よろこびで
元気が でました。

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2001.5.20

今日は羊と羊飼いのお話しでした。
ひつじは、こわがりで、ひとりじゃ、なんにも
できなくて、遠くは見えないそうです。
ちっちゃな虫や ハエがいたりするだけでも
パニックになってしまうそうです。
まるで 私のようだぁ と 思いました。。。
羊飼いは ひつじを大切にしていて、
「メ〜ぇ」となく声をきけば、どの羊なのかも
ちゃんとわかるのだそうです。

「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの
水のほとりに伴われます。」 詞を書いた、ダビデさんの住んでいた
パレスチナは乾いた土地で、良い羊飼いじゃないと
水や草のある場所を探せないそうです。

人間もひつじみたいに弱いけれど、
良い羊飼いのイエス・キリストが
ちゃんと声を聞いてくださっていて、
ひつようなモノは すべて 与えてくださる
そうです。


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2001.5.20

神さまは えこひいきしないそうです!

神さまは、悪い人には雨、いい人には太陽じゃなくて
どんな人にも、おんなじように 愛しているので
同じようにみんなに雨がふるそうです。
今日は外は雨で、ほんとうだなぁと おもいました。

そして 人間の社会は、働いたら給料。
できない人は ダメなひとだけれど、
神さまは な〜んにも
しなくても、そのままで 愛してくれているそうです。
Tシャツに人にも
ネクタイの人にも、こどもにも 大人にも
そのままで そのままで 愛してくれる。
だから がんばらなくて だいじょうぶ。

神さまからの愛を たくさんもらっていると
自然に 困ってるひとを 助けたくなるそうです。

人間の「愛してる」とは なんか、ちょっとチガウ。

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♪ぶどうの木♪
主は ぶどうの木 わたしは 枝です
いつも はなれずに
主はぶどうの木 わたしは枝です
豊かな 実を 結ぶ

みことば(聖書のことば)に
とどまり 愛に 生きるなら
この世は 知るでしょう
主の すくい と いやし

主は ぶどうの木
わたしは枝です
豊かな実を結ぶ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
わたしは まことの ぶどうの木であり、
わたしの父(神さま)は農夫です。
わたしに とどまりなさい。
わたしも あなたがたの中にとどまります。
枝が ぶどうの木についていなければ、
枝だけでは実を結ぶことはできません。
[イエス・キリストのことば]


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たのしかった! 2001.6.10
ひさしぶりの 教会で、
とっても たのしかったです。
いつもと 同じように
歌をうたって、おいのりをして、
(今日は お話の前にハーモニカの演奏がありました!)
そして 聖書をよんで おいのりをして、
うたを うたって おいのりをして。

教会の礼拝って、これしかなくて、
ゲームも リクレーションも
なんにも ないけれど、
心の おくまで きれいな水で
洗ったみたいな 落ち着いた気持ちになります。
他も何にも くらべられなくて
説明が できないのだけれど、
悩んでることや、持ってる問題が
なんだか「だいじょうぶ!」になる日曜日。
1週間のはじまりです。


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♪神の国と神の義を♪ 2001.6.17
神の国と神の義を
まず第一と する時
すべては 与えられる
ハレル ハレルヤ
(関西バージョン♪)


神の国と 神の義を
すべての ものは
与えられる
ハレル ハレルヤ!
(関東バージョン♪)

Seek Ye first the kingdom of God,
and His rightiousness.
Then all these things shall be
added on to you
Hallelu, Hallelujah !
(世界バージョン♪)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
神の国 = 神さまがいる所。愛と恵みのある所。
神の義 = 聖書にかいてある 神さまの教え。
ハレルヤ=「主(創造者の神)をほめよ!」


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2001.6.24
今日は 最初からショックなお話でした。

神さまは 目に見えないのだけど、
もし、ニンゲンが神さまを直接見たら、
死んでしまうのだそうです・・・。
それは 神さまが とても聖なるHolyな方で、
ニンゲンは 何をどうしても、神さまみたいに
きよく なれないから。。。

「さわっては いけない」と神さまに
言われた箱があって、だけど、それを運んでいる
途中で、「あ!落ちる!!!」と箱を押さえた
人が いるそうです。そしたら、その場で、
その人は命を神さまに取られてしまったのだそうです。

キビシイ。。。
もしも、それがニンゲンから見て、「よい行い」であっても
神さまが「ダメ」っていうことは 「ダメ」。
それが 聖書の神さまの 世界みたいです。
こんな神さまに お祈りできるのは、
イエス・キリストが、神さまと、ニンゲンの
間に 橋をかけて くれたからなんだそうです。
十字架の橋。命をかけた橋。


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2001.7.1
「何も やっていないのに、犯人の
疑いをかけられて、全国指名手配に
なってしまったら、みなさんどうしますか?
裁判官にまでも「死刑です」と言われたら
どうしますか?」と牧師さんが言いました。
このごろコワイ事件が多くて、ムズカシイ裁判も
長引いて、ニンゲンが 人を「さばく」なんて
できるのかなぁと思っていた私で、ふか〜く
考えながらお話のつづきを ききました。
 
今日のお話は、人間は まちがってしまう
ことが 多いし、見た目で判断しやすい
けれど、「神さまは カンペキな裁判官!」と
いう題でした。
私たちを 愛してくださっている神さまは、
私達が 苦しみにあって いる時も
ちゃんと 私達の心を見ていて下さって
悪い人たちから 守ってくださるそうです。

このことを 知っているダビデさんは
していない罪のために命を ねらわれている時
「私を弁護してください。主よ。(神さま)
主よ。私を調べ、私を試みてください。」と
神さまに おいのりしました。

神さまって サンタクロースみたいに
なんでも 知っているのかナ(^^)


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2001.7.8
キリスト教を信じている人っていうのは
キリストを「まっている」のだそうです。

神さまがつくった自然では、種をまいてから実が
できあがるまで、暑い夏や、さむ〜い冬があって、
それを とおりこして 待って、やっと実ができる
ようになっていて、自動販売機みたいにスグには
実は出てこないのだそうです。

だから、この神さまを信じている人たちは
何か 問題や、こまったことが起きた時に、
「今すぐ そうしてください!今すぐ!!!」と
思いたい時でも、「神さまが かならず なんとか
してくれる!」と、じーっと 神さまにお祈りをして
信頼しているのだそうです。ダビデさんも
「聞いて下さい。主よ。私の呼ぶこの声を。
私をあわれみ、私に答えてください。」とおいつまって
いたのだけれど、おいのりしているうちに
「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。」と
元気になりました。信じるってすごいなぁ。信頼って
「待つこと」なのかナ。ちょっと なかなか
むずかしいかも。待てない わたしデス・・・(^^;)
お話の題は「信頼の歌」でした。


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2001.7.15
「テーブルのまん中に、ごちそうがあって
もしも その周りに30ぴきぐらいの
ゴキブリがいたとしたら、みなさん
なんて 言いますか????」と牧師さん。
どうやったら こんなコワイ場面
思いつくんだろーと 思ってしまいました(^^;)
今日のお話は「善と悪を分ける神」。

「ゴキブリ片づけてくださ〜い!」って
みなさん 言いますよネ?」と牧師さん。
神さまは 聖なる きよい方なので
きれいなモノと きたないモノを
わけるそうです。聖書のコトバだと
「聖別」(せいべつ)というそうです。

この神さまを 知っていたダビデさんは
「どうか、悪者どもや不法を行う者どもと
いっしょに、私をかたづけないでください。」
と 必死に おいのりしたそうです。

ダビデさんは、神さまは すべてを造り、
支配し、何が正しく、誰が間違っているのかを
ちゃんと 知っていてくださると 信じて
いました。この「神さま」を心から信じてる
「しるし」は「清潔」だそうです(^^)。


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2001.7.22
今日の聖書のお話は、ダビデさんが
「外で私に会う者は私を避けて逃げ出します。
私は死人のように人の心から忘れられ、
こわれた器のようになりました。」と
神さまに言っている所でした。
私は悲しくて泣いていたきのうだったので、
なんだか安心してしまいました(^^)
苦しいときは「どうして私ばっかり」と
思ってしまうし、神さまがいるならどうして?
と思いそうなのに「しかし、私の時はあなたの
御手の中にあります。」とダビデさんは言いました。
今の苦しみの後には、必ずもっと楽しいことが
まっているって信じているからだそうです。
時間も命も、病気も悪いことも、ぜんぶ
神さまは 知っていてなんとかしてくれると
心から信頼してるダビデさんなのだそうです。
悪いことも、神さまから来るっていうのは
なんでだろう?と思ったら、
「なんでも調子よく行ってる時は、自分の力でやった気分に
 なちゃうんデスね、私達は。傲慢になりやすいんです。」
と牧師さん。
どうして 心の中 わかったんだろう(^^)


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2001.7.29
今日のお話は、「幸いなことよ。
そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。」
で、始まるダビデさんの詞でした。

神さまの世界の「しあわせ」は
おいしいものをいっぱい食べたり
りっぱなお城に住んだりじゃなく、
「罪がゆるされている」のを知ること。
罪というのは 何か悪いことを「する」こと
じゃなくて、宇宙や、地球や人間を
造ってくださった神さまのことを
聞いているのに、「神さまがいなくたって、
やっていける」と、神さまから「はなれて」
生活してることだそうです。ほんとうは
神さまが力をくれて、いろんなことが
うまく行っていることを忘れてしまった
ダビデさんも「私は黙っていたときには、
一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました」
と苦しんだけれど「私のそむきの罪を主に告白
しよう。すると、あなた(主)は私の罪のとがめを
赦されました。」といいました。

たすけてくださ〜い!!!もうダメです。って
神さまに言うだけで それだけで いいそうです。
電話もいらない(^^)


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2001.9.9
「おろかもの」っていうのは
勉強ができないとか、何かがちゃんとできないとか
そういうことじゃなくて、「神様なんていないよ」という人の
ことなのだそうです。聖書にはドキドキするような
「ことば」があってもそのまま読みます。

「おろかもの」。なんてすごい言葉。
自分の思い通りにならないと、「ほ〜ら、だから
神様なんていないんだよ。」って人達のことで、
(こんなとこを言うから「教会はきらいだ!」とか
言われちゃうよ・・・)と思いながらきいてました。

神様をよ〜く信じてるダビデさんさえ、「ああ、私に
鳩のように翼があったなら。」と疲れちゃう時も
あって、それでも「恐れのある日に、私は、あなたに
信頼します。」とお祈りをしました。そして敵から
守られましたそうです。信じるってなんだろう。
イエス・キリストは今もおいのりを聞いてくれる
そうです。信じるなら。もしも信じるなら(^^)


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2001.9.23
聖書の世界では 「たいせつな」ことっていうのは
「神様ってどういう方なの」を知ることだそうです。
ほんとうの神様の愛を知ってる人は
「こんな私なのに、全部を神様が赦してくださった」
と、おさえられない「よろこび」で心があふれて、うれしくて、
みんなにも分けたくて、その「よろこび」が
どんどん広がっていくんだそうです。聖書の言葉だと
それを「祝福」というそうです。よろこんでいる所に
ケンカは起こらないだろうなぁって、テロのことを
思いながら聞いてました。ダビデさんも
戦いを喜ぶ、国々の民を散らしてください。」とおいのりしていて、
ほんとうの神様はケンカはきらいなんだと思いました。

「世界平和というけれど、
その前に、まず、家の中なんですね。
それよりも なによりも、
まず自分の心が 愛でいっぱいになってるかどうか
それが大切です。」と牧師さん。
人間はすぐ悪い方に向かってしまうから、
神様の愛がないと、すぐにケンカになってしまうそうです!
ニンゲンってこまった・・・。


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2001.9.30

今日は「正義」について考えた礼拝でした。
人間の社会は能力や力で物事が決まって
強いひとたちが勝ったりするけれど、
聖書の世界で「正義」という時は
「神様を知ること」そしてそれを
「喜ぶ」こと、そして神様に信頼していく
ことだそうです。そして神様は 信じている人を
いつでも絶対に守ってくれているのだそうです。
なので「キリストを信じている」というだけで
友だちや家族から笑われたりのけ者にされたり
命をねらわれたダビデさんは誰かに相談する前に
「神よ。私を救い出してください。急いで私を
助けてください。」とお祈りをしました。
「彼(神)が助けを叫び求める貧しい者や、
助ける人のない悩める者を救い出すからです。
彼は弱っている者や貧しい者を憐れみ、
貧しい者たちの命を救います。」と牧師さんが
聖書から読んでくれました。そして「主を
恐れることは悪を憎むことである。」という
所も読みました。何かいいことをするだけが
「正義」じゃなくて神様を知ったら自然に
悪いことができなくなっていくのだそうです。


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「愛する」って意味  2001.10.7

私はまだ神様を見たことはありません。キリスト教が
正しいかなんて よく わかりません。
でも 今日アメリカのため、アフガンのために
泣いている 牧師さんみたいに なりたい。

イエス・キリストのことば
「目には目で、歯には歯で。」と言われたのを、
あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなた
がたに言います。悪い者に手向かってはいけません。
あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も
向けなさい。求める者には与え、借りようとする者は
断らないようにしなさい。「自分の隣人を愛し、自分
の敵を憎め」と言われたのを、あなたがたは聞いて
います。しかし、わたしはあなたがたに言います。
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」
爆弾のかわりに 食べ物を落として 学校をたてて
「ごめんなさい」とアメリカが あやまれるように
おいのりを しました。スカイパーフェクトTV
261チャンネル。夜7じの礼拝です。無料デス(^^)


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信じて祈り求めるなら 2001.10.14

なんでも 与えられるそうです!すごい。
聖書の神様は、宇宙と天と地を造られた神様なので、
「こんなことたのんでもいいかナ」なんて心配は
ゼンゼンいらないそうです。
誰にお祈りするかっていうと、イエス・キリストのことだそうです。
どうしてお地蔵さんとか紙のお守りじゃないんだろう?

「もしも、小学校から帰ってきた子供が、いつも
洗濯やお料理をしてくれているお母さんの横を
とおりすぎて、自分の勉強机の上の「お母さん」と
書いてある石に「ただいまぁ。お腹すいたぁ」と
言ったら、台所のお母さんは「何を言ってるのヨ。
ごはんを作ってるのは、その石じゃなくて私よ?」って、
悲しくて怒っちゃうかもしれませんよネ?」と牧師さんがいいました。
ほんとうに そうだぁと思いました。そしたらやっぱり
宇宙や人間を造ったその神様に「ありがとう」と「お祈り」しなくちゃ
話しがゴチャゴチャになってくるってコトかな?(考え中(^^)




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神様のひみつ 2001.10.28

今日はスカイパーフェクトTV216チャンネルで
夜7じからの礼拝をみました。いつも涙でお祈りの
牧師さんです。とくに今日はアメリカから帰ってきたところで、
アメリカの話しを たくさんききました。

今、アメリカで起こっていること。それは「みんなが
神様の前でひとつとなっている」ことだそうです。
公立の学校でもお祈りをして、テロが起こった近くの
靴屋さんは、はだしの人のためにタダでお店の靴をわけ
献血のために列ができ、肌の色は関係なくて
みんなが みんなが 教会に集まって
お祈りをしているのだそうです。
神様のひみつ。それは、神様はひとつだけれど、
父と子と聖霊の3つが「ひとつ」だそうです。
いばったお父さんじゃなく、わがままな子供じゃなくて
完全に「ひとつ」。愛しあってる。
そして人間も神様みたいにつくられているから、
だから誰かと心通じると、とってもうれしくて
しあわせになるのだそうです(^^)


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いつも「ごきげん」でいる方法 2001.11.4

今日はキリスト教を信じてるというだけで、ろうやに
入れられてしまった人が書いた手紙を読みました。

「ほんとうに真剣にならなければなりません。
何もかもが くずれそうなこの時代に、ほんとうに何が
正しいのか、どうやって何をどうしたらいいか。」と
いつもより、もっともっと厳しく考えた顔をして
お話をはじめた牧師さんでした。
ずっと前なら誰でもわかっていた、知っていた
「これはダメなこと」っていうのが、心から抜け落ちてしまって
ゴチャゴチャな今の世界だそうです。だから怖くて、不安で
悪いことばっかり起こって。

そんな時に「ごきげん」でいる方法は、
心にきれいなドレスを着ることだそうです。
悪い言葉を言うのをやめて、怒るかわりにゆるして
うそをつかないで。神様の愛をもらった人は
こんなにキレイな心のドレスを着ているので、
どんな時でも、心の中がゆったりしてるのだそうです。
神様にありがとうって 思うのだそうです(^^) こんなふうに なりたいなぁ


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よろこび うたおう! 2001.11.11

「さあ、主に向かって、喜び歌おう。」という言葉が
何回もでてきた 今日の聖書のおはなしでした。
教会にいくと、みんなで 歌をうたいます。
きれいにハモって、元気な曲は手をたたいて、
たちあがって、歌う時だってあります。
「地の深みは主(しゅ)の御手のうちにあり、山々の
頂も主のものである。海は主のもの。主がそれを造られた。
陸地も主の御手が造られた。」を心から信じてる人たちの体から
うれしさがあふれてしぜんに そうなってとっても楽しそう。
どんな時も 悪いことがあっても いつでも、
「まちがわない神様」が悪い人のことをちゃんと見て
最後にはやっつけてくれるのを知っているから、
仕返しを考えたりしないのだそうです。すごいなぁ。
悪い人のことを ちゃ〜んと見ている神様が
正しい人のことを 守ってくれないはずがない♪
「悪いひと」っていうのは「神様のいうことなんて
きいてられるかぃ」って人のことだそうです。

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愛するために 愛されるために 2001.11.18

「愛するみなさん。
あなたがたは自由を手にしているのです。
それは悪を行うための自由ではなく、
互いに愛し合い、仕えあうための自由です。
なぜなら、おきての全体は「自分を愛するように
他の人を愛しなさい」という一つの命令に要約されるからです。

生まれながらの悪い性質に従っている時、
次のような悪い実をつけます。
快楽を求める心、偶像礼拝、憎しみ、争い、嫉妬、怒り、
利己心、不平、あら探し、排他主義と、そこから出て来る
まちがった教え、ねたみ、人殺し、泥酔、どんちゃん騒ぎ。

しかし聖霊(神様の霊)が生活を支配してくださる時、
次のような実を結んでくださいます。

愛、喜び、平安、忍耐、親切、善意、誠実、柔和、自制です。

キリストに属する者は、生まれながらの悪い欲望を、
その十字架につけてしまったのです」

感動したので聖書よりそのままです。(リビングバイブル訳)


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牛のためにも 神様は 2001.11.25

「あなたは光を衣のように着、
天を、幕のように広げておられます。
主は家畜のために草を、
また人に役立つ植物を生えさせられます。
人が地から食物を得るために。
また、人の心を喜ばせるぶどう酒をも。
また人の心をささえる食物をも。
高い山は野やぎのため、岩は岩だぬきの隠れ場。
主は季節のために月をつくられました。
太陽はその沈む所を知っています。
あなたが やみを定められると、夜になります。
夜にはあらゆる森の獣が動きます。
日が上ると、彼らは退いて、人はおのれの仕事に出て行き
夕暮れまでその働きにつきます。」
という旧約聖書を読みました。

人間だけじゃなくて他のものも動物もぜんぶ
神様の手の中にあって、命もお医者さんが決めるのではなく
ある人は1年 ある人は80年と神様が決めているのだそうです。


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神様のおもいやり 2001.12.2

「つかれた〜 つかれた〜 もうイヤだ・・・。」
そんなふうにして熱もでて、ますます「ツカレタ」と
なっていた私で 衛星放送の礼拝の時間になりました。
そしてこのタイトル。
「あぁ 神様って生きているのかも ほんとうに 生きているのかも」
って思いました。
「あなたは つかれていませんか?
ボロボロになっていませんか?燃え尽きていませんか?
私の所に来て休むがよい」と神様であるキリストがいったそうです。
なので「はい。わかりました。」と泣きそうになりました。

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべての点で、
私たちと同じように試みに会われたのです。」と牧師さんが
聖書を読みました。祭司というのは私たちニンゲンの悪いことを
「ゆるしてあげて下さい」と神様においのりする人のことだそうです。
こんな私のこともゆるしてもらえるのかな。。。
とおもうと心がふるえました。


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「いいことが」後から ついてくる! 2001.12.9

今日は「主に感謝せよ、主は まことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで」という所をみんなで読んだりしました。
聖書の神様は「よ〜し悪い事してないか見ててやろう」って神様じゃなく、
私たちが失敗しても「ほらダメじゃないか!」っていうのじゃなく、
あっと気がついて「神様ゴメンなさい」と言ったら
スグに、ゆるしてくれるのだそうです。
神様はニンゲンを造って愛しているので
私たちを「恵み」でいっぱいにしてくれるそうです。
「良い物」といのうはお金とか大きい家とかだけじゃなく、
神様みたいに やさしい心とか
「だれかに何かをあげたくなっちゃう」心のことで
神様だけがもってる心みたいです。
「愛」ってこのことかなぁ?


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まちがわない神様 2001.12.16

人間は「自分の思い通り」が一番うれしくて、
それが正しいって思いやすいのだそうです。
きのうケンカをしたばっかりだったので
ほんとうにそうだなぁと思いました。
聖書の神様は人間とはちがうから完全なのだそうです。
今、何が必要かをちゃんと知っていてぴったりのモノを
用意してくれるそうです。完全な神様の道のことを
書いてあるのが聖書だから、教会の人達はいつもたくさん
聖書を読むのだそうです。

どの宗教でも「これが正しい」っていうけれど、
聖書の中に出てくる人たちも牧師さんも「私の思いどおりじゃなく、
神様の決めたとおりになりますように」って所が
なんとなくほかのとチガウなぁと 思いました。
受験のためや、病気がなおるヨ!っていう宗教とはぜんぜんちがう。
今日は聖書の中で一番長い、詩編119篇を 全部よみました。
「1行づつ説明してると みなさん ねむくなっちゃうので
とばしますけど、お家で読んで下さい」って牧師さん(^^)

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不思議な助言者 2001.12.23

人は誰でも平和を望んでいます。
しかし現実の世界には憎しみ、争い、不安が絶えません。
人間の優れた知恵、英知を持ってしても
実現することのできない永遠の平和を
神様はイエス・キリストを通して与えようとしておられます
クリスマスは神様から私達への贈り物。
救いと希望がつまったプレゼントです。
しかしイエス・キリストのご生涯は十字架の死に至るまで
人々の罪を担い人々の救いのために費やされました。
その神様の大きな愛と犠牲が「クリスマス」の
ほんとうの意味なのです。

その夜天使達が神様を賛美して歌いました。
♪地の上に平和が御心にかなう人にあるように。♪

(いのちのことば社リビングプレイズChristmasより)

「ひとりのみどり子が、私たちのために生まれる。

主権はその肩にあり、その名は

「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君とよばれる」聖書より

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「ハレルヤ!」=「主をほめよ!」2001.12.30

自分のこと ほめられると「やったぁ!」って気分に
なるのだけれど、聖書の世界では、こうゆう時は
問題のある時より、もっと気をつけないといけない時
なのだそうです。それは神様を忘れてしまって
「私ってスゴイでしょ!!!」ってなるからだそうです
自分のことほめてくれる人と友だちになるのも、
その方が気持ちがいいからって きいて、ほんとうに!と
思いました。

すべてのものを造られた神様だけが
「ほめられる」のにふさわしいのだそうです。
「主は星の数を数え、そのすべてに名前をつける。
主は心の貧しい者をささえ、悪者を地面に引き下ろす。
感謝をもって主に歌え。
獣に、また、鳴く烏の子に食物を与える方。
主をほめたたえよ。日よ月よ。主をほめたたえよ。
天の天よ。火よ。雹よ。雪よ。煙よ。
息のあるものはみな、主をほめたたえよ。
ハレルヤ」を読みました。
世界のぜんぶの「ハレルヤコーラス」きれいかも♪

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知恵のある人 知恵のない人 2002.1.6

今日から旧約聖書の「しんげん」という所にはいって
しんは「箴」という字で、針やお灸の「針」という意味の
漢字だそうです。「箴言は31章あるので毎日読むと
心がほぐれてイイですね(^^)」と牧師さん。
科学者で政治家のソロモンさんが
「くらべるとどうだろう」ということを書いてあるそうです。
何をくらべて いるかというと、
神様のおしえを守って暮らしている人とそうじゃない人。
「これは、知恵と訓戒とを学び、
悟りのことばを理解するためであり、
正義と公儀と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであ
わきまえのない者に分別を与え、
知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、
悟りのある者は指導を得る。
これは箴言と比喩と、知恵のある者のことばと、
そのなぞとを 理解するためである」と始まっていて
「主(神さま)をおそれることは知識の初めである」だって
算数や国語じゃないの?あれ?神様を おそれるって なんだろう?

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なによりも 大切なもの 2002.1.17

みんなが 大切にしているものは なんですか?
ケータイ? 日記帳? 家? 車?

聖書の中には ケータイも、車も、日記帳も
でてこなくて 神様が たくさん でてきます。
特にこの前から始まった「しんげん(箴言)」と
いうところでは「あなたの耳を知恵にかたむけ
あなたの心を英知に向けるなら、銀のように、これを探し、
かくされた宝のように、これを探り出すなら」と、
「知恵」ってことばが たくさん でてきます。

知恵って なんだろう。
聖書の世界では これを書いたソロモンさんの知恵
というのは、宇宙や人間を つくった神さま。
イエス・キリストのことだそうです。
知恵が心にはいると、こころが 楽しくなって、
まがった道や 悪いことが きらいになって
いじわるな言葉も 自然に心からなくなるそうです。
神様が 「知恵」だなんて、なんか不思議ダ。

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そうすれば うまくいく? 2002.1.27

「そうすれば」って何のコト?って旧約聖書のお話をきいてました。
箴言(しんげん)16章から18章。
人間は、「なんでも支配したい」という気持ちがあって、
うまくいかないと誰かのせいにしたり、
落ち込んだりするけれど、神様は何を、いつ、どうやったらいいかを
ちゃんとわかってるので神様に まかせるとうまくいくそうです(^^)
自分の考えにたよらないで 神様の知恵だと
うまく計画がすすむのだそうです。

「人は心に計画を持つ。
人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。
しかし主(神)は人のたましいの 値うちをはかられる。
あなたのしようとすることを主にゆだねよ(まかせなさい)。
そうすれば あなたの計画はゆるがない。

主はすべてのものを、ご自身の目的のために造り、
悪者さえもわざわいの日のために造られた」(箴言16章より)

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おいしい ごはん 心のごはん 2002.2.10

毎日何を食べるかっていうのは ちっちゃな事だけど
とっても たいせつ。ちゃんとしたモノを 体にいれ
ないと、お腹はいっぱいになっても しらないうちに
病気になっちゃう。それと いっしょで、心にどんな
ものを 入れるのかも たいせつだ そうです。
「すべての真実なこと、すべての誉(ほま)れあること、
すべての正しいこと、すべての清いこと、
すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか
徳と言われること、賞賛(しょうさん)に値することがあるならば、
そのようなことに心を 留め(とめ)なさい」(新約聖書)
を 最初によみました。そして
箴言(しんげん)22〜25を読みました。
金よりも神様を尊敬すること。
ピンチの時や困ってる人を助ける時は注意深くすること。
世の中の人が どわ〜っとなってることも よく考えることを
教えてもらいました。
聖書は心のごはんだそうです。

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あ!このお話 しってる!!! 2002.1.17

このごろ 読んでいる しんげんという旧約聖書は
「神様を知ることがどんなに大切か」もし「神様?
そんなのに たよらなくても やっていけるサ!」と
自分中心で、自分の力を自慢していると どうなるか
というのを書いてあるところで、とても むずかしいので
新訳聖書も牧師さんが読んでくれます。

「これらのこと(神様のことば)を聞いてそれを行う者は
みな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にくらべることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、
それでも倒れませんでした。

わたしの(神様)のことばを聞いてそれを行わない者はみな、
砂の上に家を建てた愚かな人にくらべることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると
倒れてしまいました。しかもそれは ひどい倒れ方でした。」

神様のことばを聞いて生きている人と、聞かない人のことだそうです。

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旧約聖書 しんげん 30章より 2002.2.24

確かに、私は人間の中で最も愚かで、
私には人間の悟りがない。私はまだ知恵も学ばず、
聖なる方の知識も知らない。
誰が天に上り、また降りて来ただろうか。
誰が風を たなごころに集めただろうか。
だれが水を衣のうちに包んだだろうか。
誰が地の限界を堅く定めただろうか。
その名は何か、その子の名は何か。
あなたは確かに知っている。

二つのことを あなたにお願いします。
私が死なないうちに、それをかなえてください。
不真実と偽り(いつわり)とを 私から遠ざけてください。
貧しさも富も私に与えず、
ただ、私に定められた分の食物(しょくもつ)で
私を やしなって ください。

私が食べ飽(あ)きて、
あなたを 否み(しらないと言い)、
「主とはだれだ。」と 言わないために。

また、私が貧しくて、盗み(ぬすみ)をし、
私の神の御名(みな)を 汚す(けがす)ことが ないために。

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聖書の「世界」2002.3.10

今日は旧約聖書の「伝道者の書」。
なんだかふつうと反対みたいに 思えることが 
たくさん書いてあって
「へぇ。ほー。なるほど〜。」とビックリして、
ムズカシイので興味シンシンでお話しきいてました。
だって、こんな 感じです。(7章より抜き書き)

悲しみは笑いにまさる。
顔の曇りによって心は良くなる。
知恵のある者の心は喪中(もちゅう)の家に向き、
愚か者の心は楽しみの家に向く。
知恵のある者の叱責(しっせき)を聞くのは、
愚か者の歌を聞くのにまさる。

資産(しさん)を伴う知恵はよい。
日を見る人には益(えき)となる。
知恵の陰(かげ)にいるのは、金銭(きんせん)の陰にいるようだ。
知識の益は、知恵がその持ち主を生かすことにある。
神のみわざに目を留(と)めよ。
神が曲げたものをだれが まっすぐに できようか。

*愚か者=自分でなんでもできると思ってる人
知恵のある人=神様のことばを、よ〜くきく人

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うーん、なかなか、きびしい。 2002.3.17

聖書ってせまい細い道だってこうゆう所読むとおもいます。
日本の「神様」とは「神」といっても
ちがうモノって感じ・・・。

伝道の書より抜き書き。


あなたの手もとにある なすべきことはみな、
自分の力でしなさい。
あなたが行こうとしているよみには、
働きも企て(くわだて)も知識も知恵もないからだ。

あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。
しかし、これらすべての事において、
あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
わざわいの日が来ないうちに、また
「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。

神をおそれよ。神の命令を守れ。
これが人間にとってすべてである。
神は善であれ悪であれ、すべての
隠れた(かくれた)ことについて、
すべてのわざを さばかれるからだ。

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ゴスペル=「福音」(ふくいん)のこと 2002.3.24

イエスが十字架にかかって、お墓にいれられる所を読みました。
「救い主」が来るときはどんな風に来て、死ぬのか
旧約聖書に書いてあって、すべてが旧約どおりになっていることが
新約聖書を読むとわかって、
だから「イエスこそまちがいなく救い主だ!」とわかるのだそうです。

十字架はローマの死刑の方法で、
悪いことをしていないのに十字架にかかることや、
脇腹をヤリでさされること、
神ならおりてこい!とバカにされることも旧約聖書に書いてあって、
「私が代わりに血を流して死ぬから、
もう人間を罰しないでください!」と
イエスが人間となって十字架で死んだけれど、
悪いことをしていない神様なので 生き返ったというのが「福音」で
これを信じる人にはイエスはキリスト=「救い主」なのだそうです。
十字架を信じる人は「ゆるされる」そうです。

「父よ。彼らをお赦し(おゆるし)ください。
彼はは何をしているのか自分でわからないのです。」イエス・キリスト

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まるで映画のようなシーン。2002.3.31

イエスが死刑になって十字架の上で死んで、
お墓に入れられてから3日目の朝、女の人が行ってみると
イエスの体がなかったそうです。

この女の人達は、お墓に入れる時に香料をぬったりして
準備した人で、あまりにビックリしていると、
かがやく服を着たふたりの人が
「イエスはよみがえったからココにはいないヨ」とが言って、
「!そういえばそう言っていた!」と弟子たちの所に
もどったそうです。でも見ていない弟子達は信じられなくて、
その時に、イエスがその部屋に来ました。

カベやドアはとおりぬけたのかなぁ。
聖書にも「彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。」とあって
イエスが「わたしにさわって、よく見なさい。
霊ならこんな肉や骨はありません。」と言っても それでも
弟子たちはフシギがったので
「何かたべものはある?」とお魚を食べて、
幽霊じゃないのを見せたそうです。

もしも、「復活」がなかったら、神さまは死んだままで、そしたら
誰に おいのりしていいか こまるものナ。。。

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信仰告白 2002.4.7

このページのいちばん上にリンクしてあるFEBCで今、礼拝しています。
教会の人達が「使徒信条」というのを言っています。

使徒信条(しとしんじょう) おごそかな雰囲気。

****使徒信条*****

われは 天地の つくり主、全能の父なる神を信ず。
われは その ひとり子、われらの主、
イエス・キリストを信ず。
主は 聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ
ポンテオ・ピラトのもとに 苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて 葬られ、陰府(よみ)にくだり、
三日目に死人の内よりよみがえり、
天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより きたりて 生ける者と 死にたる者とを
審き(さばき)たまわん。

われは 聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪のゆるし、からだの よみがえり、とこしえの命を信ず。
アーメン。

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誰もわるくない。生きていてネ? 2002.4.14

イエス・キリストが十字架をせおって
「悲しみの道」を歩いていたとき、ムチをうたれた後だし、疲れて
十字架が重くてたおれました。
その時、シモンという男の人はローマの兵隊に命令されて、
イエスのかわりに、十字架をせおって、丘の上まで行ったそうです。
もしかしたら観光でその町にいただけだったのに。

わたしたちも、思ってもなかった悲しいことが急に起こると、
「私のせい?それともあの人のせい?」って なるけど、
今日読んだところに
「またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
弟子(でし)たちは質問して言った。
「先生。彼が盲目に生まれついたのは、誰かが罪を犯したからですか。
この人ですか。その両親ですか。」
イエスはこたえられた。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。
神のわざが この人に現れるためです。」って。
先祖のせいじゃなくて、遺伝子のせいじゃなくて
誰も悪くないって。だから自殺はダメだよ?って。

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問題がおこったらどうしたらいい? 2002.4.21

ウジヤ王様は、最初は神さまを尊敬していたのに、
国が大きくなってきたら、すっかり神さまを忘れて
すきなことをし始めたのだそうです。そしたら
それまでは ひとつだった国がバラバラになりそうに
なったので、神さまはそれが悲しくて
「こっちに来なさい!」とつたえるためイザヤさんを
国におくったのだそうです。
人間の心は「ほんとうの愛」っていうのはなくて、
神さまから離れると、ケンカになったり
弱いひとを裁いたりして問題が起こるそうです。
でも、しっかり心の向きを変えて神さまから
離れないでいたら、神さまは問題も心の傷も
なおしてくれるそうです。ケンカばっかりしてたので
しんけんにお祈りしました。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから
あなたがたも、わたしの くびきを負って、わたしから学びなさい。」
イエス・キリストのことば

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あこがれ と 誇り 2002.4.28

天と地と空のものと海のもの、人間に必要なすべてのものを造って
「その後、神である主(しゅ)は、土地のちりで人を形造り、
その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
そこで、人は、生きものとなった。」と人ができたのだけど、
できあがった人間は、神さまのことをすっかり忘れて、
自分の持っているものが一番になって、
山も木も国も持ち物も自分のものダ!となってきて、
だんだんと 心が神さまよりも高いところに
のぼって行ったひとたちでした。
「あこがれ」っていいことだと思っていたのだけど
聖書を読むとなんだか ちがうみたい。
自分のことを自慢したり、やったことを 誇ったりすると
神さまが悲しむみたい。自分のことで夢中になると
神さまのことなんて忘れちゃうものナ・・・。

神様をまん中にしている「あつまり」には
「昼は暑さを避ける(さける)陰となり
あらしと雨とを防ぐ避け所と隠れ家になって」守ってくれる神さま。
イザヤ4章より

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新しい心 2002.5.5

イエス・キリストを信じると、そのひとは新しく
生まれ変わって、愛をつたえる人に変えられるのだ
そうです。このページの「愛のことば」の「愛」。
神さまだけがもっている愛。
「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって
あなたがたの心のうちに住んでいてくださいます
ように。人知をはるかに超えたキリストの愛を知る
ことができますように。どうか私たちの願うところ
思うところのすべてを超えて豊かに施すことのできる方に。」

「愛されている子どもらしく神にならう者になりなさい。
また愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、
私たちのために、ご自身を神へのささげ物になりました。
(十字架にかかりました。)

あなたがたの間では みだらなことや愚かな話しや、
下品な冗談を避けなさい。
そのようなことはよくないことです。むしろ、感謝しなさい。」
新約聖書エペソより

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どんな時でも  2002.5.12

今日は「恐れないでいなさい。」と
いうのと「静かにしてなさい」ということを
旧約聖書と新約聖書からききました。
わたしたち人間は、まだ起こっていない
あしたのことや、未来のことを どんどん
かってに自分の頭の中につくって、その
「うそ」の作り話しを信じて怖くなって不安に
なっていくのだそうです。ほんとうに
そうだなぁと 思ってきいてました。でも、
イエスという名前は「インマヌエル」といって
「神がともにおられます」という意味だそうです。
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、
決してやみの中を歩むことがなく、命の光を
もつのです。」というイエスの言葉も読みました。
イエスを信じた人は自分でも考えないような
ことが起こっていくけれど、神さまが「今はここに
いなさい。」とその場所にその人を置いてるから
だいじょうぶなのだそうです(^^)
「その名(イエス)は不思議な助言者、力ある神、
永遠の父、平和の君(きみ)と呼ばれる」

旧約聖書 イザヤ書より

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「アーメン」ってこと 2002.5.19

今日はこのページにリンクのFEBCの放送を
ききました。「アーメン」というのは 昔の言葉でいうと
「まことに まことに なんじらに告ぐ」ということだそうです。
(よけいに わからなく なった私でした・・・(--;)
それで 今の聖書だと「よくよく あなたがたに 言っておく」
とか「はっきり言っておく」に なっているそうです。
イエスが話した時のことばは「アーメン」と書いて
あるのだけれど日本語に なおす人が苦労していて
「これは ほんとうに ほんとうのコトです。だから大切です。
この言葉は ほんとうに まちがいなく たしかです。
よーく よ〜く きいてください。」と言う意味だそうです。
アーメンと言ってる人は、「私はこれを信じてます。
わたしは これを ほんとうだと思っているので 命かけて
あなたに つたえてます」って ことなのだそうです。
なので、ラジオだけど ネットだけど 緊張してききました。

「はっきり言っておく。(=アーメン)わたしの言葉を聞いて、
わたしをお遣わし(つかわし)になった方(聖書の神さま)を
信じる者は、永遠の命を得、さばかれる ことなく、
死から命へと移っている。」イエス・キリスト

「あー もうダメだぁ。もうだめだぁ」と思っていた今日なので
びっくりして聖書とりに行って、ひらきました(^^)

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涙の中で 2002.5.26

今日は教会に行けませんでした。
行けないのは 悪くない。神さまは おこらないって
教会の牧師さんも いった。でも、行けないことが
悲しくて 聖書をよんでも 読んでも
心が「ほかの問題」を考えてるのが わかりました。
「かみさま、もうダメです。苦しくて もうだめです。
外に出れないのは この問題があるからだと思う。」
と 泣いていました。そしたら「もしあなたが人を
ゆるすなら」と 聖書のことばがうかんできました。
「だって! だって!ゆるせない。」また泣きました。
わかってるのに できなくて悲しくて、聖書も閉じて
じっと 泣いていました。そして、だんだん
「神さま、この心、まっしろにして ください。」と
しずかに ベッドの上で おいのりしてました。
問題は まだまだ そのままで まだ くるしい。
でも、
「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることの
できないような試練に 会わせるようことはなさいません。」

ベットの横にある本の5月26日のページに ありました!
神さまは こんなにも なんでも わかってくれている
かなしすぎて コトバ みつからない時でも。

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もしも  2002.6.2

コンビニに、どろぼうがいるのに、おまわりさんもいるのに
ふたりが仲良しで、どろぼうをつかまえて くれなかったら
「警官は何をしているんだっ!」って思うように
だれでも「正しくないものは なんとかしたい。」
「してほしい」っていう心を 持っているそうです。

「終わりの日には困難な時代がやってくることをよく
承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、
金(おかね)を愛するもの、大言壮語(たいげんそうご)
する者、不遜(ふそん)な者、神をけがす者、
両親にしたがわない者、感謝することを知らない者、
汚れたものになり、情けしらずの者、和解(わかい)しない
者、そしる者、節制(せっせい)のない者、粗暴(そぼう)
な者、善を好まない者になり、裏切るもの、向こう見ずな者
慢心(まんしん)する者、神よりも快楽(かいらく)を
愛する者になり、」という今日の聖書は今の世界みたいで
どうしよう・・・と 思いました。そしたら 「だから
熱心になって、悔い改めなさい。」ってところも
開いてくれた牧師さんでした。悔い改めるっていうのは
神さまに「ごめんなさい」といって、心の向きを
変えることだそうです。そっかぁ、と思いました。

「見よ。わたしは戸の外に立ってたたく。
だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは、
彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしと
ともに食事をする。」 イエス・キリスト

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どんなときも  2002.6.9

どんなに豪華な船でも、「らしんばん」がこわれていて、
行き先がわからないとしたら、不安になるばかりで、
楽しい旅には ならないように、
いろんな問題が起こったり、病気になったりした時は、
その病気や問題がツライだけではなくて、「これから
どうしたら いいのだろう。」とシンパイする心で、人は
苦しくなってしまうのだそうです。でも、ニンゲンをつくった
聖書の神さまは ひとり ひとりの「これから」もちゃんと
わかっているので、ぼろぼろの船でも沈みそうでも 
こわがらなくて だいじょうぶだそうです(^^)

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。
「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、
落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし
あなたがたは、これを望まなかった。あなたがたは言った。
「いや、私たちは早馬(はやうま)に乗って逃げよう。」
それなら、あなたがたの追っては なお速い。それゆえ
主は あなたがたに恵もうと待っておられ、
あなたがたを あわれもうと立ち上がられる。主は
正義の神であるからだ。

女が自分の乳飲み子(ちのみご)を忘れようか。
自分の胎(たい)の子を あわれまないだろうか。
たとい、女たちが忘れても、このわたし(聖書の神さま)は
あなたを忘れない。旧約聖書イザヤ書より

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「かわらない」ってこと  2002.6.16

何がどうしたら聖書を信じられるのかなぁって
なんの宗教だって「これこそ正しい」っていうから
キリスト教会の牧師さんなんて、
「キリスト教は宗教じゃないんです。」って言うから
ますます「あー だいじょうぶ?」って思う人は
おもうかなぁって、そんなふうに きいてる私で。
でも、今日も いつも、牧師さんはいいます。
「人間は弱いので、何か問題が起こらないと神さまの
方にむかなくて、たすけてくださ〜い、神さまって
いわないんですネ。神さまに「たすけてくださ〜い」と
言った人だけが、「神さまありがとう!」と言えるんです。」
それを きくと、わたしは「あー かみさま もうダメだヨ。
つかれちゃって、できない。たすけて。」ばっかりなので
なんだかうれしくなって、「ありがとう。かみさま」って、
苦しいことさえ 「わぁ ありがとう」って思える。
心のまん中が 神さまでいっぱいになると、なんにも
いらなく なってきちゃう(^^)
人間は そんなつもりはなくても 約束をやぶったり
してしまうから、「どうして? 言ったじゃない!」って
悲しくなるケド、神さまはいつまでも、かわらないので、
聖書の言葉はいつまでもかわらなくて、だから信じても
がっかりしないのだそうです(^-^) 

「わたし(神=キリスト)はアルファでありオメガである。
最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」
新訳聖書 黙示録(もくしろく)より。

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なんどでも!  2002.8.25
しかし、主よ。(聖書の神さま)
今、あなたは私たちの父です。
私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です
私たちはみな、あなたの手で造られたものです。
主よ。どうかひどく怒らないでください。
いつまでも咎(とが)を覚えないでください。
どうか今、私たちがみな、
あなたの民であることに目を留めてください。

But now, O Lord,You are our Father;
We are the clay, and You our potter;
And all we are the work of Your hand.
Do not be furious,
O Lord,Nor remember iniquity forever;
Indeed, please look-we all are Your people!

〜〜
陶器師というのは土をこねて「作品」を
つくる人のことで、陶器師は 何度でも
土をこね直して作品を 作りなおすことが
できます。
〜〜
「私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です」
 イザヤ64:8

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お部屋あいてますか?  2002.9.8
主はこう仰せられる。

「天はわたしの王座、地はわたしの足台。
わたしのために、あなたがたの建てる家は
いったいどこにあるのか。
わたしのいこいの場は
いったいどこにあるのか。

これらすべては、わたしの手が造ったもの
これらすべてはわたしのものだ。

――主の御告げ。――

わたし(聖書の神)が目を留める者は、
へりくだって心砕かれ、
わたしのことばにおののく者だ。 [イザヤ66:1-2]

造り主の神さまを忘れたニンゲンは
ほんとうの「よろこび」がわからなく
なって、必死で「楽しみ」を作り出す
ようになりました。でも、ほんとうは
知ってます。何をしても心は
すぐに「からから」に渇くことを。
〜〜
見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。
だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら
わたしは、彼のところにはいって
彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
(イエス・キリスト)

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「神」って意味  2002.9.15
今日は旧約聖書のエレミヤという所で、
多くの日本の人が「コレさえなければ
キリスト教も いいんだけどねぇ」って
いうところです。だけどコレが
聖書の「神さま」の意味です。

===せつめい
旧約聖書の時代は、聖書の神は
イスラエルの神でした。
その頃、イスラエル以外の人は
「異邦人」とよばれていました。
=======
イスラエル の家よ。
主があなたがたに語られたことばを聞け。
主はこう仰せられる。
異邦人 がそれらにおののいていても。
国々の民のならわしはむなしいからだ。
それは、林から切り出された木、
木工が、なたで造った物にすぎない。
それは銀と金で飾られ、釘や、槌で、
動かないように打ちつけられる。
それは、きゅうり畑のかかしのようで、
ものも言えず、歩けないので、
いちいち運んでやらなければならない。
そんな物を恐れるな。
わざわいも幸いも下せないからだ。」

主よ。あなたに並ぶ者はありません。
あなたは大いなる方。
あなたの御名は、力ある大いなるものです。
エレミヤ 10:1−7

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「お休み」って意味  2002.9.29
「私の生まれた日は、のろわれよ。
母が私を産んだその日は、祝福されるな。
なぜ、私は労苦と苦悩に会うために胎を出たのか。
私の一生は恥のうちに終わるのか。」
という所を 読みました。

聖書の中の人がこんなことを言うなんて
ものすごくビックリしました。神さまを
近くに感じていても、こんなふうに
思うほど、人間はときどき
つかれて、どうしていいかわからなくなる。
それをよ〜く知っている神さま。人間は
7日目に休むようにつくられているそうです。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
 わたしのところに来なさい。
 わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、
 あなたがたもわたしのくびきを負って、
 わたしから学びなさい。
 そうすればたましいに安らぎが来ます。」
            イエス・キリスト

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よろこび  2002.10.6
あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、
あなたはそれを見いだそう。

あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。
地上でどんなわざわいが起こるかあなたは
知らないのだから。

雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。
木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままにある。

風を警戒している人は種を蒔かない。
雲を見ている者は刈り入れをしない。

あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道が
どのようなものかを知らない。そのように、
あなたはいっさいを行なわれる神のみわざを知らない。

人は長年生きて、ずっと楽しむがよい。だが、
やみの日も数多くあることを忘れてはならない。
すべて起こることはみな、むなしい。

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」
と言う年月が近づく前に。[旧約聖書より]

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あたる? あたらない?? 2002.10.13
神さまからの言葉を預かる「預言者」
エレミヤさんはイスラエルの人に 
「まことに、主はこう仰せられる。
バビロンに七十年の満ちるころ、わたしは
あなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな
約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。」

と言いました。怒って信じない人もいたけれど
ほんとうの神さまの言葉は ひとつも残らずその通りに
なってイスラエルの人たちは70年
バビロンにいました。(バビロン捕囚)

神さまの言うことや やることは
ときどき私たちには わからないけれど

「わたしはあなたがたのために立てている
計画をよく知っているからだ。
――主の御告げ。――
それはわざわいではなくて、
平安を与える計画であり、あなたがたに将来と
希望を与えるためのものだ。」と今日読んだ ところに書いてありました!

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解放! 2002.10.20
「ほんとぉ?信じるだけでいいなんて
そんなことあるハズがないよ。」と思うから
信じられない私たちだけれど、これは天地と
人間を創った神さまが決めた「契約」なので
人間が変えることはできないそうです。
「これとコレができたら救われますよ!」となったら
カンペキに守れる人なんて いなくて苦しくなる
だけだそうです。「信じた人には神さまの恵みが
約束されている」ということを最初から最後まで書いて
あるのが聖書で、今日はイスラエルのことをかいた

「そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も
 年寄りも共に楽しむ。「わたしは彼らの悲しみを
 喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。
また祭司のたましいを髄で飽かせ、わたしの民は、
 わたしの恵みに満ち足りる。――主の御告げ。――」

「 主はこう仰せられる。「あなたの泣く声をとどめ、
 目の涙をとどめよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。
 ――主の御告げ。―― 彼らは敵の国から帰って来る。
あなたの将来には望みがある。――主の御告げ。――
 あなたの子らは自分の国に帰って来る。」を読みました。

朝鮮から日本にもどっている人たちのことを思って捕囚の
意味が少しわかりました。[旧約聖書 エレミヤ書より]

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 みんな たいせつ 2002.10.27
体は、一つの部分ではなく、
多くの部分から成っています。
足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」
と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。

耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」
と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。

もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。
もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの
部分を置かれたのです。
すべてが一つの部分になってしまったら、
どこに体というものがあるでしょう。
だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。

目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、
また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」
とも言えません。

それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、
かえって必要なのです。(新約聖書より)

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 きぼう 2002.11.3
リラックスするつもりで ぬるいお湯に
はいっただけなのに、何がなにか わからなく
なってしまいました。声もでなくて
「このまま死ぬのかもしれないなぁ。」って 
あれも これも 途中だけど いっしょうけんめい
やったし、よかったナ、なんて おもったりして。
こんな時 心の中には 聖書のことば(^^)
〜〜〜〜
あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。

弱った者には力を与え、勢いのない者には
強さを増し加えられる。

年若い者も弱り、かつ疲れ、
壮年の者も疲れはてて倒れる。

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように
翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。
(旧約聖書より☆)

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 家の建て方 2002.11.10
今日はいろんな人のことを全部聞いている
うちにほろぼされてしまった王様の話を
読みました。バビロンに連れて行かれた
イスラエルの王様です。「降服しないとイスラエル
はバビロンにやられてしまいます。それが
神さまからの命令です。」と聞いても、あっちの
人や こっちの人の言うことを聞いて、
神さまのいう通りにしなかったそうです。そのうち
「このままでも助かります」と言ったニセモノの
預言者たちは 逃げてしまったので、神さまの言葉を
そのまま伝える、エレミヤさんの所に聞きに行った
りもしました。でも、聞くだけでその通りに
しないでいるウチに本当にやられてしまいました。
誰でも自分の考えてることこそ、ゼッタイって
思いそうになる。だけど神さまはもっといろいろ
わかっていて「こうした方がいいよ。」と言う
のだそうです。自分の思いだけで決めていくのは、
砂の上に家をたてるみたいに、すぐに建つけれど
すぐ崩れ、変わらない神さまの言葉をずっと信じる
人はじょうぶな岩の上に家を建てるように、大変
だけれど 絶対だいじょうぶだそうです。

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「これって・・・・。」 2002.11.24
神さまが遣わした預言者エレミヤさんが
何度も言っても
「あなたが主の御名によって語ったことばに
私たちは従うわけにはいかない。」と言った
人たちのお話しをよみました。遠いどこかの
国のお話しのように聞いていました。でも
どうしても 言うことをきかないで自分の
思い通りにしたいその人たちを 神さまは
洗脳するのでは なくて命をとるのでも
なくて、
「こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に
引き渡されました。すなわち、女は自然の用を
不自然なものに代え、同じように、男も、女の
自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と
恥ずべきことを行なうようになり、こうして
その誤りに対する当然の報いを自分の身に受けて
いるのです。また、彼らが神を知ろうと
したがらないので、神は彼らを良くない思いに
引き渡され、そのため彼らは、してはならない
ことをするようになりました。
彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと
悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと
欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、
陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、
人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、
悪事をたくらむ者、親に逆らう者、
わきまえのない者、約束を破る者、
情け知らずの者、慈愛のない者です。」と
書いてありました。今の新聞読んでるみたい・・・

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「知らないふり」 2002.11.24
今日は神さまを知っているのに、しらないふりをして
「自分たちの今の この生活がいいんダ!」と言って
神さまに 滅ぼされてしまった人たちのお話しでした。
神さまから 愛されて愛をもらって、その愛をつたえる
ために 選ばれたのに、だんだん いつのまにか
神さまを 知らない人たちと 同じ生活になってしまった
人たちでした。神さまは正しい方なので 悪いことを
したら「だめだよ」と 何度も 教えて、それでも
聞かないと、こなごなに その人たちを国を 砕きます。

私は、きのうの「このまま起きていると、あした
起きられなくなるなぁ」って、わかっているのに、朝の
5じまでパソコンで本を読んでいたのでした。
教会の帰り道の 図書館にも用事があるのが わかっていて
それなのに やめられなくて。そして おきられるハズが
なくてお昼をすぎてから 起きたのでした。「今日は図書館に
行ければそれで いいんだヨ。」って、家についたら、この
お話しがメールで来てました。ほんとうに私もだめだぁ。
わかってるのにやらなくて、こうゆうのを「罪」ってゆうんだ。
かみさま ゴメンなさい。しってるのに やらなかったです。
==
神は、私たちが御怒りに会うようにお定めに
なったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを
得るようにお定めになったからです。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして
滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
==新約聖書より==

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「贈り物」 2002.12.8
人間は自信がつくと、どんどんうれしくて
神さまのことなんて忘れてしまうのだそうです。
だけど、どんな才能も仕事も、洋服も持ち物も、
神さまが夜 私たちの息を とめれば使えなくて
すべての すべては 神さまのモノなのを
忘れるのだそうです。私も すぐ忘れちゃう。
神さまを忘れた心は 喜びが 消えっていって
悪いことばっかり おもいうかぶそうです。
名前や顔が見えないからって インターネットで
人の悪口をいう人が多くて、それが 当たり前に
なってきたこのごろ。今日の聖書に

「人の心は陰険(いんけん)でそれは直らない。
だれが、それを知ることが できよう。」と
ありました。聖書はやっぱりホンモノかも。
===================
私たちは人を支配したり、されたり、
自分を支配することからも 解放されるように
(キリスト=神さま)に祈っていきましょう。
こう「すべき」だったという「過去」に支配されず
「もし」という未来について心配しないようにと
イエス・キリストが言われました。過去も現在も
未来もすべてイエス・キリストの手の中でなされて
います。主イエス・キリストの約束(聖書のことば)
を信じて行きましょう。=礼拝プログラムより=
もうすぐクリス=キリスト=救い主(私たちのための)
マス=ラテン語の「おくる」(神さまからの)

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