78.【え】 『偃鼠(えんそ)河に飲めども腹を満たすに過ぎず』 (2001/05/21)
『偃鼠河に飲めども腹を満たすに過ぎず』
土竜(もぐら)が川で水を飲んでも腹一杯より多くは飲めない。人はそれぞれその分に応じて満足するのがよい。
出典:「荘子−逍遥遊」 「偃鼠飲河、不過満腹」
出典:荘子(そうじ・そうし) 中国の道家書。荘子の著。「老子」と並んで道教の根本経典。現行本33編は西晋の郭象が整理編集したもの。多く寓言により大自然の理法である道と、この道に従って人間のさかしらである仁義を捨てて安心自由な生活を得ようとする方法とを説いた。「南華真経」。
人物:荘子(そうじ・そうし) 紀元前4世紀後半の中国戦国時代の思想家。生没年不詳。道家思想の中心人物。名は周。南華真人と称される。儒教の人為的礼教を否定し、自然に帰ることを主張。老子と合わせて老荘という。著「荘子」。
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9人も雁首(がんくび)を揃えて、芳(かんば)しい方策は浮かんでこなかった。
鴨太郎が言ったように、成り行き任せで行くしかないのかと、諦めそうになったとき、お夏が現れた。

>夏:あ、来てる来てる。今日辺り鴨太郎さんも来るんじゃないかと思ってたわ。
>鴨:なんでだよ。こんなところ滅多に来やしねえってのによ。
>亭主:こんなとこで悪うござんしたね。
>鴨:あ、いや・・・
>夏:あのね、あの英二って奴、意外に抜けてるわよ。
>熊:お前ぇ、勝手に嗅ぎ回ったりしたわけじゃねえだろうな。
>夏:真逆。園部屋の手代の正次って人が養生所に来て話して呉れたの。英二って、厠(かわや)で独り言を言うんですって。
>八:何かい? その正次って人は厠で盗み聞きをするのが好きなのかい? 鼻が曲がってんじゃねえのか?
>夏:違うわよ。昼ご飯の後に小用を足しに行ったら中から笑い声が聞こえてきたんですって。
>熊:それで? 独り言の内容まで聞いたのか?
>夏:ええ。残らず全部。
>鴨:どうだって?

>夏:絵に似てる娘の目星は付いた。後は堺屋に渡して暫く様子を見る。やがて堺屋父子が娘のことを家族みたいに思い始めた頃合いを見計らって娘を勾引(かどわ)かす。身代金をふんだくった後に、毒を飲まされた娘の遺体が園部屋の蔵から見つかれば、一石二鳥って寸法だ、ですって。
>鴨:英二の野郎、とんでもねえことを考えやがる。
>熊:許せねえ。
>伝:桃山の旦那、直ぐにでもふん縛りに行きやしょう。
>鴨:まあ待てよ。盗み聞きじゃあ証拠にならねえんだよ。
>伝:じゃあなんですかい? ただ手を拱(こまね)いて見てるしかねえんですか?
>鴨:そうは言ってねえ。
>熊:未然に防ぐべく牽制しておくのが正しい方法だ、なんてほざくんじゃねえだろうな。
>鴨:な、何がいけねえんだよ。長年培われただな・・・
>熊:駄目だ。
>八:おいら、良いこと思い付いたぜ。
>熊:なんだ?
>八:あした園部屋で張り込んでよ、英二が厠で独り言を始めたところで御用にする。どうだ? 名案だろ。
>熊:お前ねえ・・・
>八:あんまり突飛な考えで恐れ入っちまったか? 名付けて「臭いものには蓋」作戦。さもなきゃ、「臭いは元から絶たなきゃ駄目」作戦。
>伝:八兵衛さんって、こんなお人だったんですね。

考えが安直過ぎるのと、飲食中に相応(ふさわ)しくないという理由で、八兵衛の案は却下された。

>八:なあお夏ちゃん。まだ知らねえだろうから教えといてやるがよ、英二が目を付けた娘って、お咲坊なんだぜ。
>夏:うそ。だってまだ・・・
>熊:遠巻きに見てるだけならって、生駒屋まで行っちまったんだ。
>夏:ありゃま。そんで? もう連れてかれちゃったの?
>熊:お前ねえ、なんでそんなにお気楽でいられるんだ?
>夏:だって。お咲ちゃんなら堺屋に連れてかれたって、さっさと帰ってきちゃうでしょ? 英二が何を言ったって、徹右衛門が頼んだって、お咲ちゃんは止められないわ。
>熊:そりゃあそうかも知れねえが・・・。けどよ、そんなことしたら英二が黙っちゃいねえだろ。刃物を突き付けたりしねえとも限らねえ。
>夏:そんなことしたら、鴨太郎さんが許さないでしょ?
>鴨:その場でふん縛る。
>夏:そういうこと。それに、変な話だけど、徹右衛門がお咲ちゃんを守って呉れるわ。
>八:蛸がか? こりゃ良いや。
>熊:そんな簡単に行くかよ。
>与:行くかも知れませんよ。厠で独り言を言うような抜けた奴の企てなんて、だいたい穴だらけなもんですよ。
>鴨:よし、決まりだ。
>熊:何がだ?
>鴨:英二は堺屋の前で捕まえる。
>熊:だけどよ、刃物も何も出さないで大人しく引っ込んじまったらどうする?
>鴨:うーむ。・・・手出しできねえ。
>熊:そら見ろ。お前こそ穴だらけじゃねえか。

鴨太郎の意見は、もうこうなったら軽い刑でも構わないから勾引しの咎(とが)で寄せ場送りにしてしまおうという方向に向き始めていた。
熊五郎は、その場凌ぎの手段では何の解決にもならないのだからと言い張り、2人の意向はどこまで行っても折り合いそうになかった。

>太:あのう、おいらこう思うんですが・・・。何も捕まえるばかりが一番良いとは言えないんじゃないですか?
>鴨:何が言いてえんだい、太助? 真逆捕り方がいけねえってんじゃねえだろうな。
>太:そんなことじゃありませんよ。
>鴨:じゃあなんでえ。
>太:はい。例えば、英二ってお人のように、駄々っ子みたいに逆恨みしたり、ガキ大将みたいに子分を連れ回したりする人は、言い分も聞かずに罰するよりも、諭(さと)して、分からせてあげた方が良いんじゃないかと思うんです。
>鴨:英二は子供と同じってことか?
>太:ええ。子供がそのまんま大人になっちゃった人みたいに思えて仕方がないんです。
>熊:成る程な。そんなのがお店(たな)を潰すだとか毒を飲ますだとか考えるのは分に合ってねえって分からせりゃあ、すごすごと母ちゃんの元へ帰るだろうってことか。
>夏:あたしも、なんだかそんな気がする。
>鴨:そうか。分かった。その辺も頭に入れとこう。

今回の一件は、基本的には役人の仕事だから、飲み代は自分が出すと、鴨太郎が言った。

>八:お、そうか? こりゃあ儲けたな。
>熊:おい待てよ。鴨太郎は落ち零れ役人だぞ。碌な扶持(ふち)なんか貰っちゃあいねえんだ。無理させるなよ。
>鴨:なあに、どうせ今後も世話になるんだ。そのくれえ構やしねえさ。
>熊:なんだと? 勝手に決めるな。おいらたちがいつ協力するって言った?
>鴨:まあ良いじゃねえか。嫌いじゃねえんだろ?
>八:なあ熊よ。友達だろ? 助け合わなきゃあな。相身互いって言うじゃねえか。そんなことよりよ、折角の只酒なんだ、鱈腹(たらふく)頂くとしようじゃねえか。
>熊:お前ぇまだ飲み食いしようってのか? もう5合以上は飲んでるじゃねえか。大概にしとけよ。下手をすると明日がその日になるかも知れねえんだからな。
>八:なあに、おいらの場合、酒は別腹(べつばら)、閃きは別頭がしてるのよ。こりゃあ一つの才能だな。
>熊:どうだか。明日になって吠え面掻いても知らねえからな。
つづく