88.【お】 『鬼に金棒(かなぼう)』 (2001/07/30)
『鬼に金棒[=鉄撮棒(かなさいぼう)・金梃(かなてこ)・鉄杖(てつじょう)]』
唯でさえ強い鬼に更に金棒を持たせるということで、元々強い者が、一層強くなること。また、似合わしいものが加わって一段と引き立つこと。 例:「君が味方してくれれば鬼に金棒だ」
類:●虎に翼
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鴨太郎が恐れながらと、あまり期待せずに問い合わせたところ、奉行は即答で許可した。
「所詮役人も人気商売さ」と、さばさばしたものである。
伝六を介さず、鴨太郎本人が、お咲の長屋を訪れた。

>咲:あら、鴨太郎さん、随分早いお出ましですね。やっぱり、聞く耳持たないってことかしら?
>鴨:いや。その逆だ。どんどん書いて呉れってよ。まったく、暢気(のんき)なお人だよ、お奉行は。
>咲:ほんと? 凄い。やっぱり只者じゃないわね。
>鴨:そんなこたあねえさ。ま、変わりもんではあるがな。
>咲:鴨太郎さんとどっちが変わり者?
>鴨:俺は変わりもんなんかじゃねえさ。臍曲がりなだけだ。
>咲:そんなに自分を卑下するもんじゃないわ。・・・そうそ、そもそもこの話を切り出したのはお夏ちゃんなの。巧く行ったって知ったら喜ぶわ。鴨太郎さんの口から知らせてあげたら?
>鴨:止せやい。俺なんか、なんの骨折りもしてねえんだからな。
>咲:まあ、ご謙遜。鴨太郎さんがいなかったらいつまで経ったって始まりゃしなかったわ。
>鴨:ま、そういうことにしとこう。・・・それじゃあ、俺は熊五郎のところへでも行って、油を売るとするかな。
>咲:たまには「だるま」にも顔を出してあげてくださいね。
>鴨:まあ、その内にな。

1つ片付いた。次は、誰に文章を書かせるかということである。
どうせ探すのなら、えげつない野崎屋の伝手(つて)など使わず、親身に請け負ってくれるような人を見付け出したい。
お夏の兄、鹿之助なら適当な人を知っているかもしれない。この際、おちゃらけた三文文士などより、役人上がりくらいの方が良いかも知れない。

>咲:ねえ、お夏ちゃん、兄上に聞いてみてよ。
>夏:うちの兄上? なんの取り柄(え)もない小役人よ?
>咲:
本の虫だって言ってたじゃない。
>夏:読むのと書くのとじゃ、全く反対みたいなもんじゃない。
>咲:でも、少なくとも、大工風情よりは増しでしょ?
>夏:そりゃあそうだけど。・・・良いわ。今晩「だるま」に引っ張ってっちゃうから、みんなで吊るし上げて。
>咲:吊るし上げるだなんて。あんたなんか恨みでもあるの?
>夏:そりゃあ、あるわよ。年の離れた妹が親の勝手で許婚を決められたってのに、なんにも言って呉れないのよ。一言「それは横暴だ」くらい言っても良さそうなもんじゃない。そう思わない?
>咲:なんだ、そんなこと。
>夏:そんなことってね、一生の問題でしょ?
>咲:ははあ、さてはあんた、「お嫁に行かないで医術を極める」なんてのは、父上と兄上に対して意地を張ってるだけってことなのね?
>夏:良いじゃない。医術を学びたいってのは本心なんだから。
>咲:旦那様がいたって医術は極められるわよ。
>夏:放っといてよ。あたしはあたしの道を行くの。

栗林鹿之助は、六之進以上の下戸(げこ)だった。
幼馴染の熊五郎が困っているから力になって上げてと、妹から言われたので、渋々暖簾を潜(くぐ)った次第である。

>熊:おお、もやしじゃねえか? 懐かしいなあ。どうしたんだよ、お役人様がこんな下品な店に良く来たもんだな。
>鹿:熊さんか。相変わらずそうだな。良く日に焼けてる。
>熊:何言ってやがる。大工が日焼けしてなかったら可笑しいじゃねえか。まま、ここに座んなよ。さ、駆け付けだ。
>鹿:いや、拙者は酒は・・・
>熊:飲めねえんだっけ? そうか。・・・でもよ、良い大人が飲み屋に来て酒も飲まねえなんてのは、ちと変だ。飲む格好くらいしろよ。舐めるくれえでも構わねえからよ。
>鹿:そうか? じゃあ。
>熊:ときに、どういう風の吹き回しでこんなとこへ来たんだ?
>鹿:夏が、熊さんが困ってるって言うから。
>熊:おいらがか? 別に困っちゃいねえが。
>夏:熊お兄ちゃん、お咲ちゃんから何も聞いてないの? 太助さんの瓦版のことよ。
>熊:鴨太郎からお許しが出たってことまでは聞いたが、長屋に寄らずに真っ直ぐに来ちまったからなあ。
>夏:誰が文章を書くのかってことよ。安孫子なんとかじゃ駄目でしょ?
>熊:そうか。こいつはうっかりしてた。こりゃ、懐かしがってばかりもいられねえな。・・・困り事というのはだな、お奉行様のお裁きの様子を瓦版にしてえんだが、巧く書ける文士を知っちゃいねえかと思ってよ。
>鹿:文士? 文士ねえ。・・・近頃の物書きときたら、ご政道に触れるすれすれのことばかりでっち上げる輩(やから)ばかりだからな。どいつもこいつも、お勧めはできねえな。
>熊:そうか。お前ぇでも知らねえか。
>鹿:・・・待てよ。
>熊:居たか?
>鹿:いや、ちょっと。・・・でもなあ。
>熊:なんだよ。しゃっきりしろよ。
>鹿:変わらないね、熊さんは。子供のときから親分肌だった。

>鹿:内房正道(うちぼうせいどう)っていうご老人なんだが、中々骨のあるお人でな。
>熊:お役人かい?
>鹿:いや。旅籠(はたご)の隠居(いんきょ)だ。
>熊:旅籠の爺(じじ)いだと? 大丈夫なのか?
>鹿:弁は立つ。庶民の味方。その上、曲がったことが一番嫌いと来てる。
>熊:まるで名前の通りだな。でも、旅籠の爺いなんだろ?
>鹿:ああ、そうだ。しかし、勘定方の役人辺りは、猛犬かなんかみたいにびくびくしながら遠巻きにしてる。
>熊:どこかの大名の筋の人か?
>鹿:さあな。・・・でもよ、今の南町のお奉行さんとは、月に何回か碁を打ってるって話だぜ。
>熊:そりゃあ凄い。今度のことにはどんぴしゃりのお人じゃねえか。その人だったら言うことなしだな。
>鹿:後は、引き受けてくださるかどうかだね。
>熊:そこが一番肝心なとこじゃねえかよ。
>鹿:拙者ごとき平役人がお願いに上がれるような方じゃないんだよ。

>八:さっきから我慢して黙って聞いてりゃ、なんでえ、熊、ご紹介もして呉れねえんじゃ話にも混ざれねえじゃねえかよ。
>熊:ああそうか、居たんだったな。鹿之助、こいつはおいらの同僚で八兵衛っていうつまらねえ奴だ。
>八:何がつまらねえだ。良いか、耳の穴かっぽじって良く聞けよ。何を隠そう、この八兵衛さんはな、その内房爺さんとお知り合いなのさ。
>熊:なんだって?
>鹿:おい、熊さん、あんた凄い同僚を持ってるんだね。そういうことなら話は早い。その瓦版屋は間違いなく繁盛するよ。親分肌の熊さんに、顔の広い八兵衛さんが付いてりゃもう安心。間違いなし。もう、万万歳だ。
>熊:鹿之助よ、本気でそう思うのか? 高(たか)が大工だぞ。少しは疑えってんだ。
>鹿:でもよ、だってそうだろ? 役人も近寄れないご意見番と昵懇(じっこん)ならなんだってできるよ。怖いもんなんか何一つありゃしないね。ついでに拙者の上役を左遷しちゃうよう、ご老人に頼んでみて貰えないかな。
>熊:お前酔っ払ってるのか? 危なっかしいこと言うもんじゃねえぞ。・・・それによ、「知り合い」とは言ったが、「昵懇」とは言わなかったぞ。なあ、八、どういう知り合いなんだって?
>八:半月ほど前だったかな、おいら1人で二助んとこに使いに行ったことがあるだろ。
>熊:ああ。梅雨の前に漆喰をやっつけちまおうってときだったな。
>八:前の晩になんか悪いもんでも食ったのか、急に厠に行きたくなってな。
>熊:そらきたな。どうせそんなことだろうと思ったぜ。
>八:まあ聞けって。目に付いた旅籠の番頭に頼み込んで使わせて貰うことになったんだがよ、ほれ、旅籠ならよ、何人分も厠があるだろ? そんでよ、おいらが入ろうとしたとこに、たまたま居やがったのよ。心張(しんば)り棒くらい掛けろってんだよな、まったくよ。
>熊:聞いたか? こんなもんだよ。
>鹿:はは・・・、拙者の願いも
水の泡か。とほほ。
>八:お前ぇら、何を言いやがる、臭い仲ってのはだな、切っても切れねえ仲ってことだぞ。
>熊:悪事絡みとか裏事情があるとか怪しげだとか、悪い意味で使うの。
つづく