103.【か】 『隗(かい)より始めよ』 (2001/11/12)
『隗より始めよ』
1.「賢者を招きたいならば、まず自分のようなつまらない者をも優遇せよ、そうすればよりすぐれた人材が次々と集まってくるであろう」という意味。
2.転じて、遠大な計画も、まず手近なところから着手せよということ。また、物事はまず言い出した者からやり始めるべきだという意味でも使う。
故事:「戦国策−燕策」 郭隗が燕の昭王に賢者を用いる法を聞かれた時に、「今王誠欲致士、先従隗始、隗且見事、況賢於隗者乎」と答えた。
人名:郭隗(かくかい)  中国、戦国時代。燕(えん)の人。生没年不詳。昭王(在位紀元前311〜前278年)に人材の登用策を問われ、「まず私を登用しなさい(まず隗より始めよ)」と答えたことで有名。
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翌日の夕刻。棟梁・源蔵の家には、内房翁からの遣いだという男が来ていて、八兵衛の帰りを待っていた。

>男:お着替えやら下打ち合わせやらも御座いますので、早目のお出ましを。
>八:あれ、もう用意できちまったんですかい? もう2・3日掛かるのかと思ってやしたが。
>男:ご隠居は生来(せいらい)せっかちな方で、のんびり構えるのが嫌な質(たち)でいらっしゃる。
>熊:だって、釣りをなさるんでしょ? あれは十分のんびりだと思いやすがね。
>男:確かに糸は垂らしていらっしゃるが、餌など付けた例(ためし)がない。色々とお話を楽しんで居(お)られる。
>熊:はあ。上様とお話をねえ。
>八:ご意見なんかもするんですかい?
>男:勿論。半分以上はご意見、残りは悪態みたいなものだ。
>八:上様に悪態なんか吐(つ)いてて良いんですか?
>男:傍(そば)に控えているこちらは冷や冷やものなんだが、当の上様は殊の外(ことのほか)上機嫌でいらっしゃる。
>八:はあ。偉い人たちってのは、お頭の造(つく)りが違ってるんでやすね。
>男:奇人や変人を評するみたいに言うものじゃない。上様のお
耳に入ったら手討ちものだぞ。
>八:おお怖い。口に心張り棒掛けとかねえと危ねえな、こりゃ。

>男:ご隠居から、熊五郎さんや棟梁がその気のようだったら拒まぬよう言い付かって居るが、如何?
>棟:め、滅相もねえ。俺は遠慮しとくぜ。
>熊:おいらだって、御免蒙(こうむ)りたいですよ。どうぞ、八兵衛だけ連れてってくださいまし。
>男:ご英断(えいだん)です。
>八:なんだよ熊、友達甲斐のねえ野郎だな。さてはお前ぇ、怖じ気付いてやがるんだな?
>熊:なんとでも言いやがれ。お大名の館になんか入りてえとも願わねえし、入れるとも思わねえの。
>八:欲のねえ野郎だな。
>熊:そういうもんじゃねえだろ。大工風情は、身分相応に、鰻の寝床だけ知ってりゃあ良いの。
>八:何を言ってやがる。鰻は上等品だぞ。全然分相応じゃあねえじゃねえか。「泥鰌(どじょう)の寝床」って言いやがれ。
>熊:そういう話じゃねえだろ。・・・まあ良いや。良いからとっとと出掛けろ。せっかちなご隠居を待たせたら、どやされるぞ。

八兵衛は、ばたばたと尾張屋敷へ出掛けていった。
残された者たちは、「大丈夫だろうか?」と顔を見合わせた。
その頃、別の遣いの者が鞍馬屋に出向き、「戌(いぬ)の刻(20時ころ)に、檜山杉良に会いに来るように」と告げていた。
「手土産無用」と聞かされて、冨三郎は、疑うどころか、余計な出費が出ずに済んだと、にんまりした。

>内:さて八兵衛さん。いよいよですね。
>八:そんなことよりご隠居、この大袈裟な数のお侍さんたちはいったいどこから連れてきたんですか?
>内:一橋からですよ。
>八:一橋様ってったら、上様のお家なんでしょ? いくら尾張の殿様が同じ家のお人だからって、なにもこんなに掻き集めてくることねえんじゃねえですか?
>内:確かに、相手は付け火の下手人(げしゅにん)1人ですよ。人手なんか2人もあれば十分でしょうね。・・・ですがね、警護が必要なお方が直々に罷り出たとなれば、そりゃあ、物々しくもなりましょうねえ。
>八:警護が必要なお方って、もしや・・・
>内:はい。そうです。・・・丁度お暇だったと見えて、付いてきちゃったんです。
>八:ほ、ほんとに来てるんですか? ど、どうしよう・・・
>内:大丈夫ですって。お話は通してありますから。案外、気さくな方です。
>八:そうは仰いますが、つい一昨日(おととい)まで神様だったお方ですよ。
>内:それは八兵衛さんが信じてただけのことでしょう? そこいらの笠張り浪人とそれ程違いはありませんよ。

鞍馬屋冨三郎は、刻限通りに現れた。
応対に出たのが、檜山ではなく、別の者だったので、一瞬怪訝(けげん)そうな顔をしたが、「金銭に糸目を付けない」と聞いた途端、疑いなど吹っ飛んでしまったらしい。
馬子にも衣装とは良く言ったもので、服装を整えさえすれば、あの八兵衛でも番頭に見えるから可笑しい。

>八:詳しいことは言えないんで御座いやすが、どうあっても、大急ぎで材木が必要でして。相場の3倍、いや5倍で如何なもんで御座いやしょう。
>冨:5倍だか? こりゃ豪勢なこんだし。
>八:あの?
>冨:あいや、これは失敗しましたな。興奮したもので、つい、田舎の言葉が出てしまいました。
>八:方言ですか。田舎のありなさる人は良いですねえ。
>冨:はは。そんなもんでしょうか? ・・・で? 手前どものことはどちらからお聞きに?
>八:どちらもこちらもねえんですよ。山村なんとかってお人から、洗い浚(ざら)い聞いちまってるんだよ、冨三。
>冨:な、なんつー・・・

奥の襖(ふすま)がバッと開き、特に上等な服装をした武士と、その他大勢が雪崩(なだ)れ込んできた。
紋付(もんつき)には、葵のご紋が付いていた。

>上:こりゃ、鞍馬屋とやら、私怨(しえん)を宗旨か何かと勘違いしおって。どれだけの者を困らせたら気が済むのだ? この虚(うつ)け者めが。そこに直れ。
>八:ま、待っておくんなさい、将軍様。
>冨:将軍様? ・・・ま、真逆、上様で、あらさられ奉りますですか?
>上:八兵衛とやら、なぜ止める?
>八:あっさり斬り捨てちまったら、本当に下手人なのかどうか確認できなくなっちまいやす。それに、手下やら仲間が居るかも知れねえですから、そいつらも捕まえねえと、また同じようなことが繰り返されちまいやす。
>上:ほう。中々良いところに気が付いた。・・・分かった。ここのところはご老体の顔を立てて、山村某に引き渡すとしよう。
>八:お有難う御座いやす。
>上:・・・その前に、八兵衛とやら。こやつの頭をぽかりとやりたいのなら、少しの間後ろを向いて居るがどうだ?
>八:良いんですかい? それじゃあ、お言葉に甘えやして・・・

右の拳(こぶし)に「はあーっ」と息を吹き掛け、固めた拳固(げんこ)で冨三郎の頭を1つ殴った。
ポカリどころではなく、ゴツンという鈍い音がし、冨三郎は、蛙宜しく畳に張り付いた。

>上:天晴れ(あっぱれ)である。
>八:勿体ねえお言葉でやす。
>上:さて、ご老体。始末は任せたぞ。尾張の家の顔ということもある、何分にも内々(ないない)にな。
>内:承知致しました。体裁良く、大工の英雄物に仕立て上げて、瓦版にでも流すことにしましょう。
>上:それも一興よな。
>八:・・・あの、ご隠居、瓦版のことなんですが、それを無かったことにしちゃあ貰えませんか?
>内:はて、言い出したのは八兵衛さんの方じゃなかったですか?
>八:だって、おいら、なんにもやっちゃいねえってのに
祭り上げられたんじゃ、くすぐったくてしょうがねえんで。それに、おいらみてえな下品な人間は、持ち上げられると直ぐに天狗になっちまう。そんな浅ましいもんになんか成りたくねえですから。
>上:偉い。一々尤もである。のう、ご老体。城の堅物どもに爪の垢を煎じて飲ませたいようだのう。
>内:御意(ぎょい)。もし武士であったなら、お傍に置いておきたいような者です。
>上:さぞ、面白くなろうな。どうすればこういう者を登用できるものかのう?
>八:そんなの簡単でさあ。武士だ学者だってことに拘(こだわ)ってねえで、町人とか浪人とかをひょいって抜擢しちゃえば良いんです。そしたら、黙ってたって、我も我もって具合に、立派なお人が集まってくるでしょうし、隠れた先生を推薦しようって話だって出てくるでしょう?
>上:ほう。尤もだな。・・・では、八兵衛とやら、お主、城へ来ぬか?
>八:おいらですか? とんでもねえ。舌の根も乾かねえ内にほいほい付いてっちまったら、それこそ大法螺(おおぼら)吹きになっちまいやす。それに、大工風情にはお城なんか不釣合いなんです。泥鰌の寝床みてえな長屋で十分でやすよ。
>上:鰻でなく泥鰌か。中々乙なことを言う。益々気に入ったぞ。今度、お忍びで遊びに行くから、心しておくよう。

つづく