109.【か】 『臥薪嘗胆(がしんしょうたん)』 (2001/12/25)
『臥薪嘗胆』
仇(あだ)を報(むく)いるために辛い思いをすること。目的を成し遂げるために、艱難辛苦をすること。
故事:中国春秋時代、越との戦争で敗死した呉王闔盧(こうりょ)の子の夫差は、父の仇を忘れないために薪の中に臥して身を苦しめ、遂(つい)に越王の勾践(こうせん)を降伏させた。一方勾践は赦されると、苦い熊の胆を室に掛けてそれを嘗めては敗戦の恨みを思い出して、遂に夫差を破ってその恨みを晴らした。
出典:「史記−越世家」・「十八史略」・「呉越春秋」など
出典:
呉越春秋(ごえつしゅんじゅう) (春秋は「史」の意味) 中国の載記。6巻本と10巻本とがある。趙曄撰。中国春秋時代における呉越両国の興亡の顛末を記したもので、呉は太伯から夫差まで、越は無余から勾践まで、時には小説家の言を借りて述べている。
人物:蘇軾(そしょく) 中国、北宋の文人、政治家。1036〜1101。字は子瞻、号は東坡居士。洵の子。轍の兄。洵の老蘇、轍の小蘇に対して大蘇といわれる。唐宋八大家の一人。古文作家として、「赤壁賦」などの名作を残した。詩は宋代第一と称され、黄庭堅、陳師道らに影響を与えた。著に、「易書伝」「仇池筆記」「東坡志林」「東坡全集」など。
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本文の参考@:通俗三国志(つうぞくさんごくし) 読本。51巻。湖南文山撰。元禄5年(1692)刊。明の羅貫中の「三国志演義」を基礎とし、正史の「三国志」を参考に取捨を加え、仮名まじりに通俗化したもの。
本文の参考A:三国志演義(さんごくしえんぎ) 中国の通俗小説。24巻または12巻、240回。元の羅本(字(あざな)は貫中)作と言われる。「三国志」を読み物風に敷衍(ふえん)した物語で、唐代に発生した講釈の種本を纏めたもの。人間模様を雄大華麗に描き、通俗的興味に満ちている。軍学書ともなり、江戸時代には「通俗三国志」が多くの読者を持ち、後代への影響は大きい。
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銚子竜之介が、弓山と中谷に案内されてやってきた。頬にまだ紅色が残るような年頃に見える。
弓山と中谷より、3つ4つ若そうである。

>八:大先生、失礼なんですけど、まだ子供じゃねえですか。
>千:若いからいけないということはなかろう? ・・・竜之介、こちらさん方は、師範代の旧友であられる。ご挨拶なさい。
>竜:上総の銚子竜ここに在りーっ!
>八:なんだか変わってますねえ。
>千:ちょいと「通俗三国志」とかいうものに気触(かぶ)れて居る。お気に召(め)さるな。
>八:なんですか、そりゃ? 串団子の仲間ですかい?
>竜:群雄(ぐんゆう)が割拠(かっきょ)する乱世。盤河(ばんか)に於いて、公孫サン(王+贊)は敵将文醜(ぶんしゅう)に追い込まれ、その命、風前の灯かと思われた。そこへ、「待たっしゃい、文醜!」と天も震えんばかりの大音声(だいおんじょう)を以って割って入ったのが、趙子竜こと趙雲である。
>八:まったく、変わっていらっしゃる。
>千:天才というものは往々にしてそんなものだよ。・・・竜之介、折り入って頼みがあるんだが、聞いて呉れるか?
>竜:出兵ですか?
>千:真逆(まさか)な。太平の世の中に戦(いくさ)でもなかろう。でも、ま、取りようによっては戦みたいなものだがな。
>竜:なんなりと、御意(ぎょい)の儘(まま)。
>千:妻女を娶(めと)りなさい。
>竜:なんと。
>千:だが、簡単にはやれん。至極大変な条件が付くのだ。
>竜:して? その条件とは?
>千:然(さ)る藩の剣術指南をされていた方との手合わせに勝つことだ。どうだ? 遣り甲斐は有ろう?
>竜:そのようなこと造作(ぞうさ)もなきこと。見事妻女をば勝ち取って見せましょうぞ。
>千:その意気だ。それでこそこの千場道場の風雲児。将来の幹部候補だ。

千場師範は、難なく竜之介を丸め込んでしまった。「なんとかしてしまう」とは、こういうことだったのだ。

>熊:良いんですかい? なんだか煽(おだ)て上げただけみたいなんですけど。
>千:良いのだよ。妻女を娶って、少々所帯(しょたい)染みた方が、あやつの為だ。
>熊:そんなもんですかね。
>千:さて、準備は整った。早速市毛さんを呼びに行って貰おうかね。
>八:もうですか? ちょいと打合せをした方が良いんじゃねえんですか?
>千:なんの。良い話は早めに方を付けてしまうに限る。
>熊:本当に、猪ノ吉に内緒で進めちまっても良いんですかい?
>千:構わんさ。仮令(たとえ)名ばかりだろうと、道場主にはそのくらいの権限は与えられているのだよ。
>熊:道場内の決め事に
口を挟む気なんか更々ありませんが、人の妻帯とかそういうことは、もっと紆余曲折があって成就(じょうじゅ)するもんなんじゃねえかと思うんですが。
>千:なあに、今時は合理的なのが一番なんだよ。態々(わざわざ)しち面倒臭い手続きを踏まなくても、ちょちょいのちょいでできちゃえば、それに越したことはない。
>熊:そういうもんですか?
>八:おいらは、そういう方のが好きだけどな。

追い立てられるようにして、2人は、市毛大路郎の家へと向かった。

>熊:良いのかねえ。なんだか話がすいすいと行き過ぎだとは思わねえか?
>八:そう言われると、おいらも何か忘れ物してるような気になるな。不都合なことって何かあったかな?
>熊:不都合といやあ、そうさな、猪ノ吉の知らないところで事が進んでいるってことと、後は・・・
>八:なあ、市毛様がよ、大先生のことを覚えてて、怒り狂っちまったらどうなるだろうな?
>熊:それだ。そうだよ。そんなことになっちまったら、婿探しなんか吹っ飛んじまうじゃねえか。
>八:けどよ、大先生抜きじゃ試合だって成り立たねえだろ? それに、もし巧く隠れてたって、最後には「高砂(たかさご)」を歌って貰わなきゃならねえんだからな。
>熊:祝言(しゅうげん)の最中に切った張ったじゃ目も当てられねえぞ。
>八:だけどよ、事前に説明しとくって訳にもいかねえだろ?
>熊:下手な聞き方をすると、
火に油を注いじまうもんな。
>八:小火(ぼや)を大火事にするこたあねえわな。・・・で? どうする?
>熊:遠まわしに、それとなく聞いてみるか?
>八:どういう風に?
>熊:「試合で負けたことはねえんですよね」とかでどうだ?
>八:「どういう経緯(いきさつ)で奥方様と添いなすったんですか」とかか?
>熊:それを言っちゃ駄目だっての。大先生と手合わせしたってのを知ってるような素振りなんか見せるんじゃねえぞ。

市毛大路郎は、浪人暮らしの身ということで、家でぶらぶらしていた。

>八:剣術の練習をしてなくても良いんですかい?
>市:なあに、5日や10日剣を持たんでも、今更変わるものでもなし。書物でも読んでいた方が気も紛れるというものだ。
>八:あのう、実は、例の道場主さんが、直ぐにでも構わないと仰ってまして。
>市:ほう。随分と自信があるようだな。
>八:生(い)きの良い若武者も居るようです。ちょっと変わってますが。
>市:少々偏屈くらいの方が、我が家の家風に合うやも知れぬな。
>八:偏屈ってのとは、ちいと違うようなんですがね。
>市:まあ、そのようなことは、直(じか)に見れば分かることだ。して? そやつは遣り手か?
>八:へい。師範と師範代が束になって掛かっても敵わないかも知れねえってことでやした。
>市:それは頼もしい。それで? 道場の流派は?
>熊:確か、直心影流とかって言ってました。
>市:流派は同じようだな。他流では、少々面倒臭いことになると気に病んではいたのだが、その点では一安心だ。・・・さて、それでは、早速、出張(でば)ろうか。

>八:あの、市毛様って、これまでに負けたことってねえんですかい?
>市:随分と聞き難(にく)いことを聞くのだな。そりゃ拙者とて人の子、2度3度は負けたこともある。
>八:その相手ってのはどんなお人なんですか?
>市:1人は、同じ藩の上役、もう1人は御前試合の相手、これも老練のお人であった。
>八:同年輩とか若輩の人は居ねえんですかい?
>市:そうさな、1人だけ、正確には負けた訳ではないのだが、先に1本取られたという者は居た。かれこれ25年も前のことだ。思い出しただけでも、腹立たしい出来事だ。
>八:それだ!
>熊:こら、八。もうその位にしとけ。
>市:いや、構わぬ。・・・そやつは試合を全うしないで逃げてしまったのだ。只な、試合には勝ったのだが、釈然としない。
>八:そのお人のことを恨めしいとかって思っていなさいますか?
>市:当然だ。
>八:もしかして、「ここで会ったが百年目」くらいに思っていなさいますか?
>市:そうよな。八方手を尽くして探し回ったのだが、どこの誰とも分からず終いだった。今でも、逢えるものなら逢いたい。

>八:なあ熊よ。こいつは酷(ひど)く面倒なことになってきちまったな。
>熊:下手をすると、おいらの猪ノ吉に対する面目(めんぼく)ってやつも立たなくなってきちまうな。
>八:勘当(かんどう)されちまうな、きっと。
>熊:あーあ、田原の父つぁんも罪なことをしてくだすったもんだよ、まったく。
>八:縁結びの片棒を担がされた揚げ句に、結果は出ねえ、こっちは縁を切らるとあっちゃあ、それこそ目も当てられねえな。
つづく