どら間(書籍・TVドラマ感想)

2005年05月10日

舞台「コトブキ!」観賞日記★★★★  〜パート1
同じ内容をログハウスにアップしてますが、こっちにも一応入れておきました。

4月29日、ブレイドの椿隆之さんが出演する舞台「コトブキ!」を見てきました。感想書こう書こうと思いつつだいぶ日が経って出遅れてしまった私は負け組でしょうか?(笑) 
感想書いてる途中も、見終わった後の楽しい気持ちが蘇って、ついとりとめない妄想モードに入ったりして、、、さっぱり進まなかったり。すっかり出遅れてしまいましたが、感想書くのがとっても楽しい舞台でした。 
以下あらすじネタバレ注意!************。 
三十路に突入しかけたキャリアウーマンの又野美紀(一色紗英)は、30過ぎると婚期を逃した負け犬呼ばわれされることを恐れ、あわてて結婚相手を見つけて挙式する。 
本当は不倫相手の上司が本命なのだが、上司は甘い言葉とは裏腹にいつまで経っても妻子と別れる気配がない。30になる前に結婚しないと自分の経歴に傷つくと焦る美紀は、自分に好意を寄せわがままを黙って聞いてくれる優しい後輩洋二を利用して結婚してしまおうと画策する。洋二に偽りに懐妊を告げると、美紀を心から愛している洋二は即挙式を決めてくれた。かくして、即席ラーメンのような結婚式が始まったのだが・・・・。列席者の中には、美紀の弟(実はゲイ、)、洋二の兄(女にもてない独身中年)、学友咲子(勝ち組を誇る2児の母)、そして、美紀の不倫相手の上司斉藤、美紀の詐欺まがいの結婚を妬む同僚あずさがいて、変人奇人やこの婚姻を祝福しない者達がぞろぞろ、、、 
新郎新婦の婚姻の自覚も怪しいが、なにやら波乱が起きそうな不吉な気配を感じ、何とか無事カップルを誕生させたいとウェディングプランナー浜野は式進行に四苦八苦である。 
案の定、不倫相手斉藤とあずさは思い余って、美紀の不倫とこの結婚が美紀の打算によるものであることを列席者の前で暴露してしまい、おめでたい席がめちゃめちゃに、、、 
しかし、洋二は何もかも承知の上で、美紀と結婚するつもりだったのだ。洋二の純情に美紀は騙したことを悔い、斉藤との過去や妊娠が嘘だったこと何もかも洋二に打ち明け、涙ながらに式のキャンセルを申し出る。。 
もちろん洋二は別れるつもりなどない。美紀以上に美紀の本心をわかっていて、斉藤のことも妊娠が嘘であることもわかっていながら、それでも美紀と早く挙式できるならそれでいいと、愛はこれから育めばいいと優しく美紀を諭す。 
その洋二の包容力に心動かされながらも、美紀は決然とこの結婚のキャンセルを申し出る。驚く洋二に「もう一度最初から、つき合って欲しい」と伝え、何一つ偽りない恋人関係からの再スタートを願い出るのであった。20代ゴールインは叶わなくとも、偽りない愛を成就させた婚姻の日のために。 
こうして、偽りの結婚式は、真の愛を確かめ合ったカップルの交際披露宴となり、結婚仕掛け人浜崎は愛あるカップルを誕生させた結末に安堵するのであった。 

って感じのまんまOL向きのレディスコミックを舞台にしたようなラブコメでしたーーー!!! 見終わった後とってもとってもハッピーな気持ちになれるし、人間っていいなあって気持ちになれます。登場人物それぞれ憎めない個性ある人物で、なんだかんだと仲良い姿で終わったので、日頃の胸のつかえが一気に落ちていくような心地良さを感じました。お金出して観劇する以上、嫌な気分で会場を後にしたくないので、そういう意味では全く外れない舞台でした。 
ただ、私向けの話ではないってのが正直な感じ。というのは、クククうわあ、見ててこそばゆいったらこそばゆいったら。いやはや、ラストシーンの甘さは直視に耐えられなかったですぅ。ひいいぃぃ〜恥ずかしい〜(脱力)もともとこういう少女漫画そのまんま成人女性の結婚願望ものになったような話は、私はあまり趣味でないんで畑違いだし(その点「歩兵の本領」はばっちり守備範囲)、その上悲しいかな、華の独身時代なんてはるか昔の化石です(ーー;いや若い頃から、男性に都合のいい萌え漫画(あだち充とか)ならまだしも、ヒロインにここまで都合のいい男達の話あっていいのかって感じで酔えないんです(汗笑) 
でも日々の競争に疲れ癒されたい=(頭撫でてもらいたい)独身女性のシンデレラストーリーなので、その時期の女性達が抱く心理に真実があって、それぞれの女性の心情の移り変わりが手に取るように感じられました。結婚を意識していた頃の女性の視点に立って世界を見る面白さがありました。なので、結婚を意識し始めた女性達には非常に共感させられ、元気づけられるお話ではないでしょうか。 
男性と対等に仕事ができてかつ魅力あるのに婚期を逃す女性の背景に、「不倫」が見え隠れするのもあながち嘘でもない気がします。負けず嫌いで仕事も恋も結婚も、一定レベルの結果を出さないと気が済まない性格の主人公につい昔の自分を投影してしまい、つい色々昔語りをしたい気分になれました。 
まあ、お話自体は先が見え見えでべたべただったんですが、その分筋や心情テーマを追うことに神経を使わないので、役者さん一人一人の演技をじっくり堪能できたのがこの舞台の良さだったと思います。演出が気が利いてるし、ブライダル会場が舞台なので、見た目全体が非常に華やかです。場面はあまり変わらないし、登場人物は少ないですが、その分役者さんそれぞれにたっぷりと見せ場があって変化を持たせてたので、どの役者さんファンも満足しそうで何よりでした。 
というのも外堀がしっかりしてるとでもいうか、小浦一優さんの笑いのツボを抑えた味わいのある演技、岩崎ひろみさんのきびきびした進行が、舞台のムードと演技の質を保ってるので、あとは好きなタレントさんを安心して見てられるのが良かったです。とにかくいい年こいて、腹抱えてはずかしげもなく大声で笑え、ストレス発散できましたよ。 
ただ私耳が悪いし鈍いので、後ろに席取ってる男性客達が(リピーター?関係者?)、初見のこっちがギャグを理解する前に素早く反応して笑うので、笑うタイミングを逸してしまったこと数知れず;もし2度目見たらもっと笑えたでしょう(^^) 



2005年05月10日

舞台「コトブキ!」観賞日記 〜パート2
以下、注目してた人物個別の感想です。 
※ヒロインを愛する男達 
・斉藤(荻野崇) 
斉藤は一見不誠実な浮気男にも見えますが、彼は独自の不倫美学の持ち主で、美紀を不倫という枠の中で愛してるんですよね。癒しを求める美紀にそれを与えつつ、自分もうまく同情をひき、女心を放さないという絶妙のテクニックを持ってるんですが、、、愛はあったと思うんです。式場で「誰でも良かったんだ」と繰り返したのは、色々とらえ方はあると思うんですが、彼はかっこよく愛する女性を若い男に差し出す、晴れの席で哀愁の色男を演じたかったんだと私は思いました。自己中心的ではあるが、憎めない奴でした。 
彼と洋二の兄コメディアンもどきの洋一の口説き方教室は一番笑えました。 
もっとも主婦の保守的目で見れば、斉藤とヒロインは気分の悪い対象かも。私はあまり女性脳ではないので、不倫関係において男と女では女を嫌悪するってことない方だし、この男にもそんなに腹立たないのです。 
私は独身時代は妻子ある男性に何らの期待も抱かなかったし、こういう男に口説かれたら、独身時代なら間違いなく警戒したけど、案外結婚した後なら楽しんで火遊びすれすれでつきあえるタイプかも(バカ) 

・洋二(村上幸平) 
村上幸平さんというと「イケメン新撰組」も草加みたいで・・・だったんですが、洋二はこの世にあり得ないほど女性にとって理想の男性でした(笑)草加の最期があんまりだったので、ここまで良い人になって生まれ変わってくれるとなんだかすごくうれしかったですよ、胸のつかえが落ちたようなすっきりした気分でした。 
ほとんどの場面で、完全に新婦の尻に敷かれ、寛大で温和な洋二が、「不倫相手は誰でも良かったんだ」という斉藤の言葉にだけ初めて激しい怒りを見せます。美紀を傷つけることは許せないと。うわああ、かっこいい!!! 
あまりにできすぎ君なんで、斉藤に対する嫉妬心に苦悩する姿が見えればメロドラマで萌えでしたかね。いえ、非常にさわやかなのが少女漫画チックで良いのでしょう。 
あ、こういうあり得ないほど優しい男性、この世でただ一人だけ思いあたりました。それはうちの旦那。(←殴蹴) 

・又野弘樹(椿隆之) 
ヒロインの弟(事実上妹)。私の今回のお目当て、椿隆之さんが演じてました。ゲイの役と聞いて、池畑慎之助みたいな妖艶さを予想してドキドキしてたんですが、思ったより普通でした。というか、やっぱ、どう見てもかっこいいじゃん、とか(笑)愛する姉の結婚式だからやむなく男装して来たんだな。うん。正直台詞は聞き取りにくかったんですが、そこはこの方のご愛敬。不器用ながら全体に調和しつつ見せ場では変化を持たせて、舞台を盛り上げてました。 
でも、なんと言っても美紀が結婚のキャンセルを言い出した時の必死の表情に、剣崎ファンには悩殺もんでしたわ。〜以下、暴走妄想モード〜 

何だってそこまでこの身勝手で人騒がせな姉を良い人だとかばえるんだ、君は!と思わずその切ない表情にくらっと来ました。ありゃ主役を完全に食ってると思ったぞ。どう見ても洋二よりはるかに真剣に姉を愛してるとしか思えなかったです。喜びも悲しみもスマートに演技をする人達の中にあって、ダントツに悲壮感が真に迫ってるもん。そうだよなあ、草加も浅倉も他人の痛みなんかどうでもいい人間だったもんなあ。。。さすが主役ライダーそれも平成至上最も必死だった剣崎を演じきったただけあるーーー!惚れ直したぜ(バカ) 
もう、そのまま脳内昼ドラモードでしたよ。弘樹と美紀の麗しい姉弟のドラマが見たい見たい!弘樹と美紀と洋二の同性愛を含む複雑な三角関係もいいわあv 
そうか。性転換した本当の理由は、性同一障害ではなく、オカマを装ってでも姉への禁断の愛に一人悲壮に殉じた結果に違いない!とか。始を生かすためにアンデッドになって、今度はその始の安全のために永遠に姿をくらますあの剣崎なら、さもありなん; 
あ、ダメだこりゃ。まだ剣崎を忘れられない私でした(悶々) 

・勝ち組主婦 咲子(田中理恵) 
椿さん以外に、もう一人、お目当ての役者さんがラクスの声優さんでした。さぞかしコケティッシュなかわいっこぶりっこを見せてくれると思ってたら、なんと30代前に結婚し2人の子持ちという、彼らの価値観で言うところの勝ち組筆頭株、自慢話ばかりするちょっと嫌味なオバ様を好演してました。咲子の毒含むあてこすりに、負け組あずさがじわじわと心理的に追いつめられ、ついに爆発していく様が面白かったです(笑)。 
田中さんについては、アニメ誌声優誌で先入観があったんですが、ずいぶんイメージより落ち着いた感じがしました。以前デジモンコンサート見た声優の朴ろ美さんは、声量から動きから舞台女優って感じでしたが、声優やってる時も素の語りの時も全然変わらないまんまの人でした。しかしさすがラクス・クライン侮れない、恐ろしい女の七変化。怖いものすら感じましたよ(笑)。なまじ九条ヒカリや菊姉等、いくつか彼女の演じた役を知っててあの甘くひっかけた声が脳裏にこびりついてるだけに、あまりの違いに呆然と見とれてしまいましたわ。話しぶりは加賀まりこに似てるんですが、あそこまでディープじゃなくもっと淡泊にした感じです。パンフの写真より髪型も地味目でオバ様風。 
この方のこういうお芝居を観られただけでも、ものすごくいいモノ見たわって思いました(^^)声の響かせ方に特徴はありますが、ラクスの声とは全然違うし、演技見惚れるほどうまいですよ〜。 
それと立場的に、一番咲子に自分が近いのでつい感情移入して、主婦のぼやきを感じながら見てました。 
既婚とわかると男性の目が冷たくなって旬を過ぎたひがみや、ばりばり現役で仕事をしていて自由度がある独身女性への嫉妬どろどろかと思いきゃ、咲子は現状に満足してそうで、純粋に勝ち組として自慢したいだけのようです。その背後にあるねたみと言ったどす黒い感じはなかったですよ。咲子は幸せな主婦ですね。 
でも甘いぞ<美紀。キャリアウーマンが主婦になって、果たしてそうそう勝ち組だと思えるかどうか。。。仕事で評価され存在意義を感じる女性は、同じような評価を主婦業で得られると限らないので、辛いものです。皇太子妃をごらんなさい。スカーレット・オハラがメラニーを「子育てしか能のない女」と罵倒しましたが、そういった古典的な才能が主婦の評価基準だという現実もあるんでね。それは、より原始的な能力なので、現代に適応した女性は職業婦人としての能力に比して、家庭婦人的能力が高いとは限らない。 仮に高い評価を得たとしても、仕事で自己実現してる人間はそうそうそれでは満足できないものです。 
雅子妃はエリート外交官として誇り高く築いてきたアイディンテイテイと、周囲が理想とする皇太子妃のイメージが一致しないから、自分のイメージに狂いが生じて辛いんだと思いますけどね。 
そこは夫の愛と理解に支えられて、かつての自分と今の自分との折り合いをつけていくしかないんだろうな・・・・とか、自分の身を振り返って考えてしまいました(笑) 
そうそう物語として、未婚二人の心情にリアリティを感じるのに比して、主婦の心情描写にはぬるさを感じるのは、こんな風にすれた自分の身に置き換えてしまうからだな(苦笑) 
でも「主婦には刺激が強すぎる」弘樹の性転換「話」は、恥も外聞もなくむしろ興味津々であることないこと聞きたくなりそうです。だって主婦は耳年増だから、話を聞く分には大丈夫。話だけならなんでもありよ(バカ)。でもその分「生」には免疫がないかも(^^;。結婚して更に子供までできると、若い男の生肌と縁遠くなりますからねえ(殴蹴) 
いや、こんな風にあれこれ普段考えないようなつまらんこと、こんだけ考えたんだから、私の興味範囲外のジャンルとはいえ、私的にやっぱり面白い作品でした。DVD欲しいと思います。 

※舞台挨拶 
舞台の最後に出演者のあいさつがありました。最初にイケメンさん達からと一色紗英さんが椿さんを一番にご指名されたんですが、しばし考えた後、「・・・・頑張ります・・・」の一言だけでした。私の座席周囲は明らかに椿ファンの若い女性ばっかりだったんですが、、、ひょっとして私みたいな40オバサンが見に来て悪かったんだろうか、なんか悪いことした気分になったり(汗汗)。 
他の皆さんが営業用スマイルで口滑らかにあいさつし、今後の活動のコマーシャルしてる間、椿さんたらただ一人心ここにあらずで校長先生の長い話に飽きてふてくされた子供のように憂鬱そうな表情をしてました(^^;。「なんで君はそうなんだ?」って感じ。でもがこれ彼が愛される理由なんだよね。これで営業用スマイルをフツーにやったら、全然印象残らないから(爆)。 
あるいはこれって狙ってやってるんだったらある意味すごいなとか。 
たまたまこの日だけの顔かもしれませんが、これがなかったら椿君かっこいい〜だけで、頑張ってる姿に安心し、他の役者さん同様にはるか遠い人に感じたことでしょう。相変わらず鮮烈に脳裏に残る方なのでした。 

高橋理恵さんのあいさつの時の声は地声でしょうが、、どの役とも違うなって思いました@@。「声のお仕事をやっています。ガンダムSEEDディスティニーのラクス・クラインとプリキュアマックスハートの九条ヒカリ役を演じています」とおっしゃられて、やっぱりこの方ご本人なんだと改めて思いました。うーん、なんだかとっても不思議な気持ちでした。 
うちの3号はシャイニールミナス、1号はラクスのファンなんで、家に帰って子供らに自慢しちゃったバカ母です。子供達はうらやましがってくれました(^^)v 

TVでイメージしてる役者さんの生の演技は、良い刺激です。映画ともまた違った味わいが新鮮です。また機会があったら、舞台見たいなと思いました。 



2005年02月04日

舞台「歩兵の本領」鑑賞日記★★★★★
先月23日、豆胡麻さんをお誘いして舞台を見てきました。延々汗だくで筋トレしてるみたいなすごい激しいマッスル舞台で、男臭さをすごく感じました。 
ただ席があまりに前で、全体像をつかめる位置でないのと、私らにはちょっと生イケメン生オトコは刺激強すぎです〜。もう死にそう。豆さんともども心臓に悪いよねって、それが一番の感想だったりして(汗笑)
いや、目の保養になりましたけど。でもすみません。年寄りはもっと席を後ろにしてください(願)
                  

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ルーカスの「アメリカングラフティ」は大好きな映画だが、この舞台は60年代のアメリカンならぬ、70年代ジャパンのジエイカングラフティ。
実にさわやかで愚かしくも愛すべき若者達の男気溢れる気概が、舞台ならではのライブ感覚で伝わってきて、見てる側が励まされる躍動感と、70年代を生きた者にノスタルジーにくれる作品だった。

時代は70年代高度経済成長のまっただ中、敗戦の焦土を生き抜いた勤勉勤労な人々が築いた日本は、やがて訪れる停滞と混迷の時代を知るよしもなく、ただただ上昇を続け、若者は社会を変革することに陶酔した、活気に満ちた古き良き時代のことである。
しかし、世間的にはもっとも自衛隊が白い目で見られた時代。戦後抱えてきた日本社会の矛盾を一身に負う自衛官のやり場のない怒りが痛く、どん底ゆえの奇妙な連帯感がユーモラスだった(^^)
とはいえ、きっと自衛官が偏見にさらされた時代は、実は個々の隊員にとっては古き良き時代だったのかもしれない、、、、、とかすかに思った。。

○幽霊話
まあ一応、なんとなく70年代の記憶がある私には、自衛隊とは無縁ながら、非常によくわかる部分があって、例えば川原准尉着任シーンで、即彼がどういう役でどういうポジションになるのか、一目でわかりました!!
全く意外性のない大東亜幽霊話でしたが(あえて大東亜^^:;)、感じるものはあります。こういう成仏できない幽霊は、自衛隊じゃなくたって、そこら辺にたくさん浮遊していたよって。その幽霊をたくさん見たし見せられたし、、、、でも時と共にどんどん幽霊は透明人間になってきて、これを次世代に語らなければ、、、と時々思ったりもするのですが、そのスキルを持ち得ないもどかしさがあって、それが昇華されていく心地よさがありました。

○原作より過激
一応原作は、斜め読みしました。(1号は1時間で読み終わったのに、私はものすごいとばし読みして昨日1日かかった、涙)
舞台も原作も駆け足の一発印象なので、えらそうな事いうのもおこがましいんですが、舞台は凝縮された濃密なドラマで起承転結見事な構成で面白かったです。
ただ、原作はそこまで、自衛隊が軍隊を名乗れないことを悲観してないんで、悪夢の中で爆撃シーンの叫びは、ちょっとキナ臭さを感じちゃいました。
自衛隊に対する個々の考えを引き出してしまう臭いはない方が良いような気がするんですが、舞台を作ってる側のポリシーが反映してるのかもしれないです。

○上官の私的制裁
たいした量でもないんですが、今まで見た映像活字において、初めて軍隊の部下への私的制裁をここまで肯定的に捉えた作品に会いました(爆)斬新だー@@っていうか、これが作品の独特の持ち味です。否定された軍隊の中にいる個々オール肯定が、実に温かい作品なのです。
現実にこの悪しき因習が体育会や応援歌練習等の陰湿な下級生いじめへとつながってた時代を知っているので、ある種の感慨はありましたが、ことこのどん底の輩においては愛ある教育手段ということはよくわかりました(笑)
だいたい軍隊社会においてのみ「個」はない、と作者言ってますけど、絶対ドロップアウトをさせない社会って、、、「個」を切り捨てないとんでもなく愛ある社会なんだろうと私は思いましたね。出来損ないを殴ってでも背負ってでも連れて行こうとしてくれる社会なんか、今の時代どこにもないですもんね。
それも今の地位と名誉を獲得した自衛隊には、もうないのかもしれない、、、、、
この作品に比べ、「愛と青春の旅立ち」なんかはぬる過ぎだよね(笑)
ぱっと浮かんだのは「アフューグッドメン」や「人間の条件」ですが、特にデブの石川に対する体罰は、「人間の条件」で女郎のまねをさせられたデブ2等兵、便所で自殺したんですが、、、、ちょっと思い出して痛かった;;
まあ舞台の内容は非常に温かい人情にあふれたエピソードで締めてました。

○どうでもいいんですけど、、父へ
あの最初の理由亡き殴打は、強烈な既視感が!!
そうです、うちの親父が兄貴が三島由紀夫にかぶれて自衛官になりたいと言った時、反対する理由として語った兵役時代のエピソードにすっかり同じなのがあったんです(笑)。うちの両親は、「アカ」のつもりなんでしょうけど、自分たちの生きた青春時代を振り返るように軍歌のレコードやら証言記録集を集めてたんで、兄はその影響もあり、小さい頃から戦艦大和とかゼロ戦とか好きだったんです。私もかなりの軍歌を知ってて歌えて、歩兵の本領もよく聞きなれた歌です。
うちの父は、20歳の時、弘前の中隊で終戦を迎えたのですが、徴兵時期が遅れたためだいぶ理不尽な体罰を受け続けたようです。私が小2の頃に聞いた話なんで、記憶はさだかではないですが、戦争があと半年も長引けば、学歴の関係で父が上等兵よりも階級が上がるんだとかで(うろ覚え)、上がったら仕返ししようと思ってたのに、終戦になったんで、、、
仲間と武装を続けロシアをここで迎え撃とうとか話し合ったりもしたそうですが、、結局私怨が勝ってみんなでいじめた上官を闇討ちして逃げて来たそうです。。。。そのほか八甲田山雪中行軍の幽霊話とか、、、兄貴が自衛官志願をした時、初めて話してくれた終戦間際の兵役体験の数々だったのですが、その後2度と父は語ることはありませんでした。
最近、「八甲田の幽霊話」について頼まれたので、改めて父に聞くと、「そんな話した覚えがない。忘れた」と言います。私はこんなにあの夜のことを覚えているのに、、、、
辛い記憶を完全に忘れてしまうことで、老人は平成に適応し、やがて死んでいくのでしょう。。。かくいう私も辛い記憶を忘れそうです。
親父、あん時だまって兄貴を自衛官にしておけばもっと真人間になったんだよ(^^;。
父にしてみれば、学生運動なんてもっと許せない逸脱だったようで、幸い兄貴はマルクスには全然興味なかったようです(^^;。

○渡辺(荻窪俊介)
舞台では、渡辺が主人公です。見せ場は、的場演じる和田陸士長との確執でしょうか。理不尽な体罰に和田に殺意を抱くんですが、渡辺はその和田の正義感に憧れてるところもあり、まさに父性に対するアンビバレンツ。オディプスコンプレックスというやつでしょうか。
ところが当の和田も父親を殺し損なった男だったという、、、「父に殺意を抱く者」同士の殺し合いゲームから生まれる奇妙な友愛。やがてすべてが和田の教育愛の裏返しであることに気づいた渡辺は彼を理解します。和田の方はハナから渡辺が一等かわいいのでした。
ところが、渡辺は非国民と罵られようとも、任期を終え退役しようとします。彼には彼のポリシーがあり、歩兵の本領を、軍人の意地とプライドを持って娑婆に出ようと言うわけですが、和田は納得できず、拳で互いを納得させるという。。。。
渡辺は作中中心的位置にあり、見せ場があって印象深いんですが。。。
ただ粗野な反逆児的面と繊細なインテリ部分が、人物像をぼやかしてる感じがしましたね。
非常に線が細いし、顔が小さい@@;色白の綺麗な役者さんで、不安定な危うさが魅力でしょうか。本文朗読の文学的モノローグが、すごく合ってる感じでしたね。
実は冒頭、足ががたがた震えてるが見えて、こっちがドキドキしましたよお(泣)

和田の的場浩司さんは、かっこいいわ、頼りがいあるわ、渋いわ、安心して見てられました。
我が家じゃ教育テレビの「気持ちを伝えよう」でおなじみで、優しいお兄さんでした。

○佐々木(高橋一生)
文学青年で、知性派ゆえに原始的力関係の自衛隊にもっとも合わない男。ところが、こういうアカい奴が矛盾を抱えたまま自衛隊に残るというのが、妙に真実を感じる部分でした。
私も豆さんも一番、感情移入しましたね。外の人間からもっともわかりやすい人物でした。
それから、演技がうまいですよ。断然。キャリアがもともとある方のようですね。写真ではさしてぱっとしないルックスですけど、演技してる時はすごい輝いてましたね。葛山さんに似てるかな?<豆さん。豆さんも一番気に入られたようです。
女子大生とのシンデレラリヴァティが、舞台見てるのにすごい変な言い方ですが、大スクリーンの映画を見てるように一こま一こま極められてるって感じで、役柄が一番好きなのもあって、すっかり入れ込んで見てました。

○今野(森本亮治)
今野は一番幸せな奴でした。だって彼にとって自衛隊は天国なんです。自衛隊より更にどん底この世の最下層にいたという(笑)、、、、やくざから足を洗うのに、逃げて来た自衛隊に何も疑問もなくどんどん順応していくたくましさが良かったですね。
やくざの暴力は暴力だが、自衛隊は教育だと身にしみてわかってるから、封建的社会に全然ギャップがない肉体派でした。
娑婆で同棲してた女にせっせと覚えたての字で手紙を書くピュアなところもあるんです。(にしても当時日本の識字率は最高で、おそらく漢字が書けない程度だってことなんでしょうがね)
しかし、外出の日に薔薇の花束持っていそいそ会いに行ったら、すでに他の男と同棲中だったのかな?花も何もかも捨ててどこかへ逃げ出そうと思った時、なぜか現れる上官の姿@@;
数年後、新入りの教育係として登場する今野の精悍な表情が印象的でした。
すごい会話のテンポが早いし、関西弁だし、声甲高いし、自衛隊用語の乱発、、、で、何を話してるのか、鈍い私には聞き取れないところが多かったですが、その位猛ダッシュの勢いがある役柄で、アロハ来てると見た目は了。中身はバンって感じかな。とっても硬派の自衛官とも思えない美形。地連はイケメンの員数をつけてるとしか思えなかったですよ(笑)
光ってたのは、時間の経過をリアルに感じさせる、いっぱしの自衛官に成長した精悍さでしょうか。さすが、はっとさせるほど大人を感じさせてかっこいいのでした(^^)舞台に自然にとけ込んだ演技されてました(^^)
なんてほとんど私は、今野を見てません(泣)
森本さんが目当てで行ったのに、ああ、行ったのに、、すみません。あまりにも近すぎて全く直視できませんでしたー(死)いくらなんでも刺激が強すぎ〜;;;目が合ったらどうしようと思うと全然。。。
上半身脱がれた時は、げええ???@@脱がないでーーーと悲鳴が出かかりました。
膝を抱えて失恋の涙にくれる今野に、一瞬かわいそうって思ったけど、頭の隅にこんなイケメンを袖にした女はもっと不幸だよなと思ってしまって駄目でした(バカ)。唯一感情移入できそうなところだったのに@@;
40女にも5分の乙女心で、全然冷静に見られなかった自分が情けない;;;;よりによってブレイド最終回の後だったんで、余計萌えでした。
なんでこの日にしたんだか。バカだー@@;何のために遠路はるばる行ったんだよお;;;(バカ)



2004年09月27日

小説「ハリーポッターと不死鳥の騎士団」感想パート1
25日土曜日夜明け、やっと読み終わりました。1日で読み終わって繰り返し繰り返し読んでる1号から、内容はあらかた聞いていたのですが、前半の展開の進みの鈍さや(描写が細かい)ブレイド映画公開がたたって、さっぱり読み進まず、今までで一番時間がかかってしまいました。
しかしネタバレ聞いていたにも関わらず、最後200ページの圧巻ぶりはすごかったです。読み終えた後しばらく放心してしまいました。久々に重厚な文学作品にふれた衝撃でした。

前日の金曜日、むしさんに上巻読みかけの「不死鳥の騎士団」について私はこんなメールをしました。

「 様々な悲しい別れや過ちを積み重ねて人は大人になるんです。
 無邪気さを喪失し、暗くなりますが、その分、命の尊さを知るんです。
早く読みたいです。」

むしさんから頂いたお返事は
「絶対おにさんの好みだと思いますよ(うふふ)」というものでした。

まさしく本当にそうでしたーー!むしさん鋭い!
日頃私が思い描いている人生の深淵を的確に物語で提示されたような錯覚に陥るほど、ぴたりとはまった作品でした。
描かれているテーマは、スバリ「スターウォーズ」と同じだと見ました。しかし娯楽作品であるSWより、当然のことながら、文学性が高く、ストーリーと人物が多様に交錯していて心情描写が緻密です。
坪内逍遙が「小説神髄」で、「小説とは人の心の陰影を描き出したもの」と定義したのを脳裏に思い浮かべながら、この作品に出会えた感動に満たされました。
前作まで読んだ限り、ここには何かしら意味があるだろうというポイントについて見事に描かれていて、予想が的中した喜びと、予想以上に人物の内面に迫ったカタルシスに包まれました。
ファンタジーと言われる児童文学がこうまで人の心の本質に迫っている、、、
こういうのを、大人の鑑賞に堪えられる児童向け作品というんですよ〜。
そもそも不朽の名作は、難解高尚な一部の文学マニアにしか親しまれないものではないんですよ。平易な表現で、老若男女広く共感を呼ぶ内容で、人間の本質を描けるものなはずなのです。
よくぞ我が娘はこの物語を私に導いてくれたと感謝(息子がデジモンに巡り合わせてくれた時も感じましたが)。
土曜の朝、目覚めたばかりの1号に本の感想やら娘をゆさぶる質問やら、その解釈を語り始めたら、興奮でいつの間にか涙してる自分に笑えましたよ。
歴史的な文学作品にリアルタイムで出会えた喜び、良質な読み物が全世界の人々の心を打つ様を思う喜び、、、今作読んではっきり言えます。大好きです、ハリーポッター。

以下ネタバレありです。未読の方ご注意下さい。****************

今回の話のポイントです。
ハリーはヴォルデモートと意志を共有できるため、それまでヴォルデモートに狙われた人を救ってきました。それが今回が裏目に出ます。
名付け親で父の親友であった、シリウスブラックがヴォルデモートに拉致され、拷問されている夢を見たハリーは、ハーマイオニーが止めるのも聞かず、救出に向かいます。ハーマイオニー達仲間も今回はハリーに同行したのですが、実はそれはヴォルデモートの巧妙な罠だったのです。
ハリーが生まれる前、ハリーとヴォルデモートに関する予言がなされ、その内容が刻まれた石が、魔法省の神秘部に保管されていました。それに触れられるのは予言内容の当事者であるハリーかヴォルデモートだけなのです。復活を世間に知られたくないヴォルデモートは、ハリーと意志を共有できることを利用し、ハリーにその石を手に取らせ奪おうと考えていたのでした。予言を正確に聞くことで、今まで何度も殺し損なったハリーの殺害方法のヒントを得るのが目的でした。
ハリー達はヴォルデモートの配下の闇の魔法使い達に攻撃され、次々倒されます。残るはハリーと闇払いの息子ネビルだけになります。そのネビルも拷問呪文をかけられ、ハリーは石を敵に渡そうとしたその瞬間、ダンブルドアの騎士団、闇払いの魔法使いの大人達が助けに駆けつけました。その中にシリウスもいたのです。
今のシリウスにとって人生の全てと言えるハリーを助けに来たのですが、その戦いで命を落としました。ハリーにとっては、最愛の家族と呼べるたった一人の人を目の前で失ったのです。それも自分のミスで。
ヴォルデモートは戦いの中予言の石が壊れてしまったことを怒り、ハリーを殺そうとついにそこに姿を現します。
間一髪でダンブルドアがハリーを守ります。圧倒的強さを見せるダンブルドアにヴォルデモートは敗れ、退散しかけますが、一瞬の隙に額の傷からハリーに取り憑き、ダンブルドアに「もろとも殺せ」と唆します。ひるむダンブルドア。
その時ハリーはシリウスへの強い思いや罪悪感から、「死」を望みます。途端、ヴォルデモートはハリーの体から去っていったのでした。
悄然とするハリーをダンブルドアは校長室に連れて行きます。
激しく慟哭し心の痛みに荒れ狂うハリーに、ダンブルドアは「シリウスが死んだのはわしのせいだ」と語り始めます。
今まで、ハリーの話すのをためらっていた真実を。それはハリーとヴォルデモートの間になされた予言、「ハリーかヴォルデモートどちらかが相手を殺す宿命」という予言でした。
誰かを殺すか殺されるかという宿命に敷かれた未来だと、幼いハリーに無邪気に子供らしく生きて欲しいダンブルドアは告知できなかったのです。
長い間、ダーズリー家に閉じこめられた恨みをも激しくはき出すハリー。ダンブルドアはハリーの心の痛みにうちひしがれながら、ヴォルデモートからハリーを守るもの(ヴォルデモートの弱点)の本質を語って聞かせるのでした。。
賢者ダンブルドアは、真実を隠した自分の判断の誤りを悔い、ハリーへの深い愛ゆえに犯した過ちだと涙ながらに苦しい胸のうちを明かします。
シリウスを喪失したハリーは、しばらくその姿を求め無為な日々を過ごします。やがてシリウスの死を受容した時、ハリーは自分と世界が隔絶してしまったと感じます。
けれど空虚な隔絶した世界にいてこそ、見える人の思いがあることにハリーは気づきます。
ホグワーツからダーズリー家に帰る道すがら、ルーピンやウィズリー夫妻らが見送りに来ました。ハリーはシリウス亡き今も、改めて自分を愛してくれる大人達の存在を温かく感じるのでした。。。。

ううう、なんかこの感じって、井上靖の「しろばんば」の読後感を想起しました;;



2004年09月27日

小説「ハリーポッターと不死鳥の騎士団」感想パート2 ネタバレ注意!
魔法省の神秘部の沢山の扉の中で、どうしても明かない(つまり解き明かせない)謎の部屋があります。ハリーが持っているどんな鍵でも開く魔法のナイフでさえ開けられなかった部屋には、ライラの冒険シリーズ「神秘の短剣」でこの世で唯一切れないものと同じものがしまわれているのです。
今作ダンブルドアはその言葉を一度も口にしませんでしたが、それは「愛」です。

愛ゆえの過ち、
今作ハリーは、危機にある人を助けに向かってしまう英雄気質をヴォルデモートに利用されます。それまで実際に何人も救っている経験から、「決して動いてはいけない」という大人の指示や「罠かもしれない」というハーマイオニーらの忠告に耳を貸しません。ハリーにとってたった一人の肉親と呼べるシリウスですから、それはそれは熱くなって救出に向かいます。
ところがそれがヴォルデモートの罠で、逆にハリーと仲間達の方が生命の危機に陥ります。
ハリー以上に無鉄砲な英雄気質を持つシリウスは、自分の身の危険も省みず、亡き親友の子である最愛のハリーの救出に駆けつけます。そして、そこで命を落とします。
ハリーはシリウスを救おうとして、シリウスを死に追いやってしまう結果になったのです。
愛ゆえに慎重さ欠き、若さゆえの無謀さで、致命的ミスを犯してしまった・・・
激しい自責の念と喪失感に狂わんばかりに苦しむハリーに、ダンブルドアは同じ苦悩を切々と口にします。

ダンブルドアもまた愛の盲目ゆえに過ちを犯したと告白するのでした。
ハリーにヴォルデモートが狙っている予言のことを話しておけば、神秘部にヴォルデモートが狙う物の正体をハリーが事前に知っていれば、ハリーは罠にかからなかった、、、、
ハリーとヴォルデモートの宿縁の真相をあらかじめ伝えておけば、こんな事態は起きなかったたと、、、
けれど、ダンブルドアは、普通の子のようにハリーに無邪気な少年時代を送らせたいという思いに駆られ、悲しい現実を教えることを先延ばしにして来たのでした。
仮にハリーに真実を伝えないことが、その他の犠牲や危険を招くことになるとしても、それでも言えなかったのは、ダンブルドアがハリーをあまりに深く愛していたからなのです。
ダンブルドアがハリーにずっと冷たい態度を取り続けたのも、ヴォルデモートにハリーを通してダンブルドアの弱点(ハリーへの深すぎる愛)を見抜かれないためだったのです。

その愛ゆえのもろさにつけ込まれ、闇に攪乱されますが、その愛がまたしても(6回目?)ヴォルデモートの魔の手を退けたのでした。
勇者ダンブルドアが、一人の愚かな老人として心情吐露する様は、隠された真相の衝撃と共に深く読む者の心に突き刺さって来ます。

愛の勝利
孤独なトムリドル(ヴォルデモート卿)は、「愛」を理解できません。
ダンブルドアが最も恐れた事態は、ハリーの肉体にヴォルデモートが逃げ込むことでした。そして、その最悪の事態が起きてしまいます。
殺しの呪文を使わないダンブルドアを理解できないヴォルデモートに、「トム、お前は死よりも恐ろしいものがあるとわからないのがお前の弱点だ」とダンブルドアは言い放ちます。
ヴォルデモートは「死が怖い物でないなら、この子と共に俺を殺せ!」とハリーの肉体の中から、ダンブルドアに迫ります。ダンブルドアに最愛のハリーを攻撃できるはずがありません。それがダンブルドアの弱点です。
ところが、ハリーはシリウスを思うあまり、「死にたい、殺してくれ」と願います。ハリーはシリウスの愛ゆえに、死の恐怖を全く感じてないのです。
死の恐怖を越える人の愛を、ヴォルデモートは理解をできないのでハリーの心と一体で居ることができず、ヴォルデモートは退散しました。
実はこれが、赤ん坊のハリーがヴォルデモートを倒した魔法なのでした。
それはハリーの母親が、「自分の命に変えても、我が子を救いたい」という死の恐怖を越えた愛、最も原始的な、けれどヴォルデモートには決して破ることのできない魔法なのです。

時に愛は人の判断力を狂わせ、過ちを犯させます。
けれど、愛はそれを知らない闇にある人には全く読めないイレギュラー要素で、最後の逆転の切り札になります。(というとブレイドみたいだなあ(^^;
これはスターウォーズEP6と同じです。。
全て計算づくで未来を予測した皇帝も、恐らくヨーダも肉親の愛を知らないオビワンすらも、予想できなかったこと。
それはアナキン(ベイダー卿)とルークの間に親子の情愛が流れていたことだったのです。
狡猾なパルパティーンがアナキンに残る父性愛が未来を変えるランダム因子だと予測できないのと、ヴォルデモートが、戦略上有利になるほずの予言の内容を、ハリーに教えないダンブルドアの心情を読めないのと同じと思われました。

愛と憎しみの果て
○ダーズリー家の謎
これはまさに予想通りでした!絶対、ダーズリー家にいることに意味があるだろうと、ヴォルデモートから守るためには、マグルの家にいる方が安全という理由はそれだろうと思ってました!
ハリーを引き取らないという選択をダーズリー夫妻はできたはずです。養子に出しても施設に預けても良かったんです。それでも虐待しながらハリーを養育したのは。。。
ペニチュア叔母さんは、姉に劣等感を抱き激しく憎み否定しながらも、心のどこかで愛していたのです。同じ両親から生まれ育った同胞ですから、複雑なんですよ。。
だから、その姉の子ハリーを憎みながらも養育してしまうんです;;(この辺は実はリアルな愛憎の関係、虐待の心理をついてるなって思いましたね。)
ダンブルドアは、叔母の愛に賭けたのでした。母親の血を継ぐ叔母の元、たとえ憎しみの割合が多く愛は僅かであっても、養育するという形でハリーを受容している限り、ヴォルデモートは肉親の情という魔法を破ることができないのです。
ハリーは形はどうあれ、叔母の家族でいることで生命が守られて来たのでした。

○シリウスとクリーチャー
最悪の家庭環境に育ったシリウスにとって、その家のクリーチャーも忌まわしい生き物でした。
彼はクリーチャーの存在を無視し、心ある生き物だと思いません。それはシリウスの受けた心の傷が深いゆえです。
ブラック家の僕であるクリーチャーは、最後の生き残りであるシリウスに仕えなればならないのですが、その存在を全くシリウスに認められず不遇な扱いを受け続けました。
結局シリウスの暗い過去がクリーチャーを冷遇させ、それがまたシリウスの命取りになったのでした。憎悪の連鎖です。
この二人の関係で、実は暴力よりもネグレクトが心ある生き物にとって残酷だという一面も作中、語られました。
また人間と人外生物、、、。「ガリバー旅行記」の崇高な馬とヤフーの関係を連想させるケンタウルス族らを始めとする人間の人外生物への無理解と傲慢さを、ダンブルドアがどう啓発し、再度友好的関係を築いていくのか、今後描かれるポイントの一つだと思います。

○スネイプとジェームズ
スネイプもまたハリーに対し愛憎の葛藤を抱いています。ハリーの父にいじめをうけ辱められた記憶、ジェイムズへの憎しみを乗り越えることがスネイプにはどうしてもできないのです。
ダンブルドアはそのスネイプの心の傷を読めず、師弟愛や教師としての義務感で乗り越えてくれると思いこんでいたようです。
スネイプもシリウス同様かわいそうな人なのです。
スネイプはダンブルドアを介し、その闇に近い気質でスリザリンの子供達と親和性が高いので、防波堤の役割を担っていると思われます。
今後、スネイプの役割は大きくなっていくでしょうね。
というのは、もうずっと感じているこの作品最大の疑問です。今後必ず語られるであろうこと。
それは「スリザリンの存在意義」です。ロンの前作での「何故闇の魔法使いの温床になっているスリザリン寮を無くさないのだ?」という問いに、答えは用意されてるものと思われます。
トレローニー先生にも存在意義があるんだから、絶対意味があるんでしょう(笑)

○ハリーとドラコ
父親が闇の魔法使いとばれてしまったドラコ達の今後が心配です。
スリザリンという偏った価値観を持つグループとどう理解しあっていくのか、今後最も気になる部分です。恐らくこの話の流れでは、闇を撃退して終わりにならないでしょう。
ハリーにとって、スネイプと父の関係のように、ドラコへの憎しみは消えないでしょうが、それでも排除の論理をとらずに共存して行く道を切りひらくことが、ゴールのような気がしてならないですね。
それはダンブルドアとトムリドルの関係もそうかもしれないです。。
なんとなくですが、あえて混血のハリーを宿命の敵に選んだ哀れなトムリドルは、真の「愛」を知らない限り、何度殺されてもその怨念で蘇ると思います。
今後、闇との調和が描かれるものと思ってます、、、



2004年09月27日

小説「ハリーポッターと不死鳥の騎士団」感想パート3 ネタバレ注意!
喪失と成熟〜

隔絶された世界
今作私が最も感動した部分は、前述のダンブルドア老人の愛にもまして、ハリーがシリウスの死を受容する様でした。
前作で友人の死を経験していますが、今回はハリーの最大の心の支えだったシリウスがハリーを救うために死んでしまうという悲劇でしたから、その死に方もシビアです。
慟哭、悲嘆、悔恨、怒り、絶望、空虚、、、、、ハリーは激しくのたうつ痛みを胸に、けれど言葉にできないまま、、、いつしか静かに死を受容していくのです。
シリウスがくれた手鏡が絶対意味を持つだろうと期待した私は、ハリー同様見事に絶望に突き落とされました。
幽霊になって会えるかも知れない、、、ハリーの透明な思いは、ちょうど「ヒカルの碁」の佐為を探すヒカルと同じ種類のものでしょう。(冬のソナタのチュンサンを探すユジンと同じかも)
大切な人を失った時、自分の存在する世界が希薄なものに思えて、あんなにいつも身近にいた人達がガラス越しにしか感じられないほど意味をなさないのです。
それまでの悩みも悲しみも全てが遠い事に思える離人感覚。。。。
どうしてそこまでわかるのっと言いたくなるほど、大切な人との死別を経験した人なら、今作を読んできっと思うはずです。

悲しみの共有
今作特筆すべき点は過去4作いつも一人、英雄的にヴォルデモートと戦ってきたハリーが、今度はみんなによって救われるという展開です。
ハリーはついに一人ではなく、信頼で結ばれた仲間が共に戦うという段階へと物語は成長していくのです。
また今作で、ハリーはロンとハーマイオニーという従来の健やかな仲間とは違う種類の、陰を共有する盟友を獲得しています。

・ルーナラブグッド
今作ハリーにとって距離が近かった仲間は、明るく健やかに育ったロン、ハーマイオニーではなく、気弱なネビル少年とルーナという変人扱いされた少女でした。
ネビルとルーナは、幼い頃に辛い体験に晒されたため、どこか周囲と変わっています。
特にルーナは、軽微な発達障害児を思わせるような言動で、周囲から浮いています。最初ハリーも彼女の異様なテンションにひいてしまい、好きになれないのです。
しかし、いざという時、おじけずに力になったのがルーナであり、またルーナに偏見を抱かないロンの妹ジニーの聡明さも印象深いですね。
シリウス亡き後、隔絶された世界の住人は自分一人だと思っていたハリーが、最初に他者に対し心を動かしたのはルーナでした。物を隠されるといういじめに合っても平気な顔しているルーナに、ハリーは初めて同情します。
ルーナは9歳の時母親を事故で亡くしています。ルーナは、死別の透明な悲しみの壁をこちら側に通り抜けた来た一人だったのです。
彼女がどこか変わっているのは、他の子と違い悲しみを背負い生きているから、自分同様その痛みで無垢な魂に爪痕が残ってしまったからだと、ハリーは初めて気づくのです。
あちら側にいる悲しみをまだ知らない幸福な人、傷を持たない人も多いが、既に悲しみを抱えながら懸命に生きている者もいると、その存在の多様さをハリーは知るのです。
周囲に敬遠される変人ルーナの登場で、作者の人物を見つめる洞察力の深さに敬服させられました。

・ネビルロングボトム
もう一人、今作スポットがあたったのはネビル少年でした。ネビルは1作目で、劣等生ながら最後グリフィンドール優勝の立役者になってますが、それには重大な意味があったんです。もう一人のハリーポッターになりうる運命の少年だったのです。
ネビルの両親は有能な闇払いで、ヴォルデモートの手下に拷問され発狂してしまいました。
(ヴォルデモートの攻撃から3度逃れたのは、ハリーの両親とネビルの両親だけで、ハリーとネビルどっちがヴォルデモートの宿敵になっても良かったのです。けれどヴォルデモートは混血のハリーを選んだ)
病院で回復不能に狂った両親を見舞うネビル。正気を無くした母がお菓子を一生懸命ネビルに渡そうとする場面を見て、胸を痛めるハーマイオニー達。。。
愚鈍だと思っていたネビルの重い境遇を知り、彼らも人生の深淵に気づくのです。
実際に闇の魔法使いとの戦いで、一番最後まで戦えたのはネビルでした。両親を苦しめ、実質両親を奪った闇の魔法使いに対抗する決意が強かったのと、痛みを知る分、優しく強さ公正さを備えたネビルの人柄がよく描かれていたと思います。
鈍重だったネビルの成長ぶりは、今作誰しもが心打たれ勇気を得られる部分でしょう。

※〜人生は喪失と獲得の連続である
シリウスの薄幸で波乱の人生を思うとあまりにやりきれないものがあります。
暗い境遇にあった自分を庇ってくれた最愛の友人を自分のミスで死なせたシリウスにとって、その親友の忘れ形見を守って逝った最期に満足している、シリウスは愛ゆえのミスでジェイムズ夫妻を死なせ、その子ハリーの愛ゆえのミスでシリウスは死んだのだから本望だろうと、、、
いくら自らにいい聞かせても、残されたハリーの孤独を思うといたたまれませんでした。
けれど、最後の1ページを読み終えると、何故か、温かい希望に満たされます。
それはシリウスが生きている時、見えなかったものが、よく見えるからです。
ハリーは、本当は幸せなほどに、多くの人に愛され支えられ存在しているのだという実感です。
「泣くなハリー!君の側にいるのは、ハグリッド、ロンハーマイオニー達友人だけじゃない。ダンブルドアにマクゴナガルという祖父母、ルーピン先生という父、ウィズリー夫妻という叔父叔母、、、肉親同様の愛を注ぐ存在がいる!」って、絶望の淵にあって、改めてその幸福が光を放つのです。
実は娘のネタバレでシリウスが死ぬことを私はあらかじめ読む前から知ってました。けれど私はシリウスよりもルーピン先生の方がハリーにとって重要な人物に思えたので、シリウス本人はともかく、ハリーにとってここまで重大な悲劇に思えなかったんです。
でも実際に読み始めたら、結局ハリーが苦境に喘ぎ焦燥感を抱いているシリウスを心配している分、ハリーはシリウスにより自分に近い存在と感じている思いにすっかり同調してしまって、ルーピンら不死鳥の騎士団の存在を忘れるほどでした。
(往々にしてルーピンのような人格者は、尊敬できるけれど遠い人のように思え、欠点のある人間に惹かれる心理が誰しもあるように思われます。)
そのシリウスを喪失して、それまで空気のように当たり前だった他の人達の愛情が、こんなにもハリーに注がれていること、その幸福を改めて知るハリーと同じ気持ちになって、周囲への感謝の念で読み終えることができるのです。
絶望の中から生まれる希望、、、物語の〆として至高でありながら、珠玉の傑作でしか味わえない言いしれぬ余韻に満たされたのでした。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++

確か、ローリング女史は若くして母親を亡くしています。またハリーポッターを執筆中、シングルマザーとして子育て中だったことがよく知られています。
その亡き母への思慕と我が子への情愛が、こうまで深く緻密に愛の普遍性や人間の成熟過程を見事に描けるのでしょう。
独自の魔法ファンタジーの世界が読書嫌いの現代の子供達をも飽きさせないで、これだけの長編を読ませる筆力なのですが、結局作者の心に輝くその描きたいもの本質が、誰の心にも潜んでいるものであるから(かつての私ように親の愛を否定して生きてきた者にさえ心の奥にあるもの)、ここまで感動と共感を呼びさますのだと思います。
表現手法は違いますが、スターウォーズがルーカス監督の父性愛なら、ハリーポッターはローリング女史の母性愛の産物です。愛の原点であり、生命の賛歌です。
より原始的でかつ普遍的なもの、愛から憎しみは生まれ、時に人の運命を狂わせるけれど、それなしに人は生きられない、、、そんな、人の生の神秘全てが、この後訴求力を持って巧妙に展開されることは間違いないでしょう。

「炎のゴブレット」の時の感想メモを書いていたのですが、結局アップしないままになってしまったので、今作は感動の余韻が残ってる勢いのあるうちにと、早々に感想アップしました。
いつもながら、思いつきで書き殴ったので、まとまらなくてすみません。



2004年07月29日

※韓国TVドラマ「冬のソナタ」感想 その1
レンタル1巻はどこも貸し出し中で、手に入らなかったので、最初の2話以外全話さらっと見終わりました。
こういう心洗われるピュアのラブストーリーは、最近の国内TVドラマではなかなか味わえない感覚ではないでしょうか。
「愛」とは何かを、てらいなく正面から描いている作品です。美しい男女の切ないまでに美しい心を、綺麗な冬景色と綺麗な台詞と綺麗な音楽で彩り、綺麗な涙を誘う古典的ドラマです。
今風の性も暴力もギャグもアクションも、どろどろの心理劇も、そういう過撃に目を引く要素は一切なく、ただただ人物の言葉と表情と情景と音楽だけで、人の心を惹きつけ感動させる映像が、オーソドックスに極められることに少なからず驚かされ、かえって新鮮に感じられるのです。
音楽もすごくいいですよ。主題歌挿入歌も冬景色と相まって心の琴線に触れてきますが、チャイコフスキーやベートーベンのクラシックが流れるのも劇的で良かったです。

以下ネタバレあります。これから見ようと思ってる人は要注意!!**********

○オリエンタルな愛
プレハブ日記にも書きましたが、最初数話見た限りでは、かつての三浦友和と山口百恵の純愛ドラマを綺麗に極めた感じを予想してました。でも、実際にはストーリーに更に一ひねりあり、宿命による悲恋や死別ではなく、最後は愛が成就します。
でもそれを単純にハッピーエンドと言って良いかどうかちょっと躊躇するほど、そこに至るまで紆余曲折が続くのですよ。決してハリウッド映画のような、運命を克服し、邪魔をする者や種々の障害に立ち向かって、ヒーローがヒロインを勝ち取ったという爽快さとは、全然違う種類の感動なんです。切ない余韻があります。
例えば、その感動の種類の近さで言うと、「卒業」や「愛と青春の旅立ち」とは遠く、強いて言うなら「ある愛の歌」や「タイタニック」に近いのです。でも決して「死別」の悲劇が「冬ソナ」にあるわけではないのですよ。
「絶唱」や「風立ちぬ」の日本の純文学のような死別がなく、お約束通りに恋愛が成就しても、予定調和とは全然思えない切ないまでの深い味わいは、なかなか得難いものでした。
結末だけ見るなら「ジェーンエイア」ですけどね(^^;
この二人は決して周囲を不幸にしたり、誰かを踏み台にしたり、競争に勝利した上での、愛の成就ではないのです。そこに男と女の恋愛ものとしてだけでなく、人としての美徳(優しさ、思いやり、誠実さ)が、切々と描かれているのが、この作品が国境を越えた普遍性だと思いますね。
特に日本人がこの作品の「愛」のありように強く共感するのは、恐らく日韓共通の心の根底にある儒教精神でしょう。オリエンタルな愛の形ってあるんだなって、改めて気づきました。
それは、現代の欧米化した日本人にとって、どこかに置き忘れていた「美徳」で、荒んだ異文化の風景に疲れた心が、希求する故国のオアシスに出会った感じがするのが、この作品の爆発的人気の秘訣ではないでしょうか。

○愛してるから、身を引く愛
ってな感じで少女漫画のようなプラトニックな愛なんです。濃厚なラブシーンは皆無で軽薄な関係は一切なく、真剣に若者同士が向き合っている話なのです。
作品中、最も見る側の心に迫ってくる美徳は、男性の「身を引く愛」でしょうか。色々な障害が立ちはだかりユジンが辛い状況に陥ると、チュンサン(ミニヨン)は愛するユジンのため、影となり日向となり彼女を守ります。またユジンの愛する周囲を不幸にしないため、身を引いてサンヒョクに託そうとします。そこがいいんですよね。
ミニヨンにユジンを奪われ、生きていけなくなったサンヒョクを心配するユジンの苦悩を知り、サンヒョクを不幸にしてまで自分らのエゴを通せないのがミニヨンなんです。ミニヨンはサンヒョクの元に帰るようにユジンに言います。
でもその後、一人身を引き裂かれるような狂おしい孤独に耐えるミニヨンの姿が、観てる側を虜にするんですな(笑)。
そんなミニヨン(チュンサン)の愛のあり方に、サンヒョクも心打たれ、サンヒョクもユジンの幸せをいつも最優先する包容力ある男性へと成長していくのです。
身を引く愛というと、ハンフリーボガートを思い出すところですが(年寄りだ^^;)、あれ以上に私にとってこれぞ冬ソナ的男性の大きな「愛」だと言える象徴は、ベルサイユのばらのジェローデルとアンドレ、フェルゼン伯爵ですね(笑)。
ジェローデルがオスカルに求婚した時、オスカルは「私があなたと結婚したら、生きていけないほど私を愛している男性がいて、その人が不幸になるなら、私は幸せになれない」と言うと、ジェローデルは「では私は身を引きましょう。その男性が不幸になるとあなたが幸せになれないように、あなたが幸せになれないなら、私も不幸だから。」と。これぞ愛だ!って感じ(笑)。
ミニヨン(チュンサン)の愛は、常に相手と相手の周囲を思いやり、相手の幸せだけを願う愛で、自分達だけが幸せを勝ち取るといったエゴを通さない、より成熟した愛なんでよす。自分は犠牲になっても、自分以外の人間を決して犠牲にしたりしない愛なのです。
よく邦画で聞く「愛の勝利」という表現は、個人的に好きではなくて、それは暗に愛が「敗者」を生み出している表現、誰かの犠牲の上に勝ち取った表現だと思うのですが、そもそも愛は力関係ではないので、勝利のために争いをしないのが、より高度な愛のような気がします。愛する人のために勝負を下りるのが、本当の愛なんですよ。(ワカルカナ?)
彼らのゴールは、自分らは傷ついたけれど、誰も悲しませない、でもその分気の遠くなるほど長い歳月を経て成就した至高の愛であり、切ないラストシーンでした。

○男性の愛の大きさ
とにかく、冬ソナ見てると、男性は偉大だな〜と思います。
作品中の男性陣のそのあまりの愛の大きさに圧倒されますね。サンヒョクもサンヒョクの父ジヌも高校の恩師も男性は軒並みしっかりしています。父性愛は宇津井建×10、青年の純愛は三浦友和×100くらいをイメージして下さい(笑)
その点、比較すると女は心が狭いです(^^;。(後でツッコミモードで触れますが)どっちかというと最近の国内・欧米ドラマは、心広いマドンナはいても、男はダメな奴が多いという男性側に甘えがあって、そこがこの冬ソナと決定的な違いかもしれないです。日本と違い父権が韓国ではしっかりしているから、理想的父親像、理想的男性像が描かれるのかも知れないですね。
主人公のユジンは聡明で心美しい女性ですが、それでもチュンサン(ミニヨン)の愛の深さに比べれば、ユジンは大海に抱かれる一粒の真珠程度の存在なのですよ。

○成熟したコミュニティと儒教精神
チュンサンとユジンの善良さ誠実さが、結局周囲の嫉妬や憎悪を善意へと変えていき、彼らが酷く落ち込んだ状況にあっても、いつも誰かが彼らを支えてくれるという友人関係が、これまたこの作品の魅力なのです。普段の人徳が物を言ってるので、周囲は彼らの誠実さに呼応するように自然に彼らの良き理解者になって行くんですよ。
愛ある人の元には、愛ある人が集まってくるって感じで、気持ちの悪い突出した嫌な人物がいないのは、コミュニケーションを良好に交わせる温かい人間関係が築けているからなんですよね。
韓国は儒教思想が未だに定着してるだけあって、このドラマで改めて驚かされるのは、仁義孝徳、父母は絶対的存在だし、貞操観念の高さが伺われます。こういう精神性の純度が高いドラマに、共感できる日本人女性もその価値観を失ってはいない証拠でしょう。マスコミが騒ぐほど、性意識が乱れてるのは一部で、ほとんどの人は「心」を大事にした人間関係を求めているのだと思います。
心を綺麗にしたい気分の時、純粋な気持ちを思い出したい時、是非味わって欲しいドラマですね。



2004年07月29日

※「冬のソナタ」ストーリー紹介
私が見た範囲(1.2話は観てないのです^^;)でのあらすじです。一見なので、勘違いあるかも。あしからず。

主人公ユジンは高校時代、同級生のどこか孤独で不良っぽいチュンサンに淡い思いを抱いていた。若い二人はそれと確かめ合うことなく、恋に落ちるが、大晦日の日待ち合わせ場所にチュンサンは現れなかった。翌日ユジンが学校へ行くと、衝撃の事実を同級生に伝えられた。「チュンサンは昨日、交通事故で死んだ」と。ユジンに遭いに行く途中の事故死だったと知り、彼女は悲しみにくれ、そのまま彼女の心の歳月は止まった。。。。

10年後、ユジンは建築士(内装デザイナー?)の仕事に付いていた。同級生で幼なじみの一人だったサンヒョクと婚約発表を控えた冬のある日、ソウルでチュンサンそっくりの男性を見かける。
その男性は、ユジンが建築を請け負ったスキー場の理事で、アメリカ育ちの青年実業家ミニヨン、明るく快活で才気溢れる人物であった。彼の姿があまりにチュンサンに似ているため、心かき乱されるユジンだったが、ミニヨンはユジンと同級生チェリンの恋人だし、自分にはサンヒョクという婚約者がいるので、きちんと距離を置こうと努める。
ミニヨンはユジンの誠実な人柄に惹かれたが、「初恋の人に似てる」と男性に言い寄る女だから気を付けるようにチェリンに言われていて、その噂と普段の姿とのギャップに悩む。しかし本当にチュンサンという実在の人間がいたと知り、その死んだ人をずっと愛し続けているユジンの姿に心痛め、彼女に特別な感情を抱き始める。ミニヨンは、ユジンが愛してるのはサンヒョクではないことを見抜いていたのだ。
死んだ人間の幻影を追い続ける彼女に、故人を忘れるように迫り、ユジンを傷つけるミニヨン。「なぜそんな酷いことを?」と聞くユジンに「僕が君を愛しているから」と告白する。
サンヒョクはユジンの動揺に気づき、婚約した二人の間に亀裂が生じ始める。ユジンはサンヒョクを愛しているからと、ミニヨンを突き放し、サンヒョクと仲直りしようとするが、ミニヨンとの噂を聞いたサンヒョクの母親がユジンとの結婚を反対する。
思い余ったサンヒョクは、ユジンを強引にホテルに連れ込んだが、驚いたユジンは逃げ出してしまう。その時、ユジンの身を心配するミニヨンから、ユジンの携帯電話に連絡が入り、ユジンはミニヨンに助けを求めた。
ユジンは、自分が本当に愛してるのは、サンヒョクでも、チュンサンでもなく、ミニヨンだとはっきり自覚するのである。ユジンはサンヒョクに婚約解消を申し出た。
ところが、サンヒョクはチュンサン亡き10年間、ユジンを支えて共に生きてきたがゆえ、ユジンが離れていってしまうと、憔悴しきって入院してしまう。ユジンなしには生きていけないかのように。
口にせずともサンヒョクを心配するユジンの苦しみがわかり、ミニヨンはユジンにサンヒョクの元に帰るように勧める。一度サンヒョクの元に帰ったら戻ってこれないかもしれない、というユジンに、「それでも今の君の苦しんでる姿を見てるよりましだ」と。
見舞ったサンヒョクのやつれた姿に驚くユジン。ユジンの前では気丈に振る舞うサンヒョクだが、ユジンが病室を後にすると、絶望のあまりに点滴の針を自ら抜いてしまう。。。
それを知ったユジンは、もうサンヒョクから離れることはできないと決意し、ミニヨンにその気持ちを伝え、別れを告げた。

自ら、し向けたとはいえ、ユジンを失ったミニヨンは失意のどん底にあった。
そんな折、ちょうどピアニストの母親ミヒが演奏会のため韓国を訪れた。母親やその主治医や関係者の話を聞くうち、ミニヨンは自分の出生について疑問を抱き始める。
チュンサンと自分は同一人物ではないかという疑惑を確かめるため、一人故郷を訪れた。チュンサンの生家を探し当てたが、そこは空家で、中には何故か母ミヒの肖像がある。驚くミニヨン。その時そこに母ミヒが現れた。チュンサンという人間を知らないと言う母が、何故ここを訪れたのか?詰め寄るミニヨンに、ミヒは真相を語った。
ミニヨンはチュンサンという人間であったこと。チュンサンが事故で記憶を失った時、催眠術でミニヨンという別人の記憶を植え込んだこと。父親のいないチュンサンは不幸な少年時代を送り、母親を憎んでいたので、新たに幸せな少年時代の記憶を植え、新しい父親を得るためにミヒは結婚し、その結果ミニヨンは母を愛するようになり、幸せな10年を過ごしたのだと。
ミニヨンは自分が、ユジンがあんなに愛したチュンサンであることを、なんとかユジンに告げようとする。しかし、そのミニヨンらしくない性急な言動に驚いたユジンには、それがサンヒョクから自分を奪い返そうとするミニヨンの姑息な手段にしか映らなかった。
サンヒョクは、ミニヨンとチュンサンが同一人物だと調べて気づいていたが、今更、それでユジンが戻るわけでない現実をミニヨンにつきつける。
ミニヨンは、サンヒョクにユジンを幸せにして欲しいと告げ、一人アメリカに帰る決意をした。
ミニヨンは旅立つ朝、ユジンにあててCDと手紙を送った。その手紙の「チュンサンのようにテープに録音できなかった」という一文に驚くユジン。テープのことは、誰も知らないはず。(ミニヨンはその練習用のテープを故郷の家で発見して、テープの存在を知ったのだが)
ということは、ミニヨンは本当にチュンサンだったのだと、やっとミニヨンが真実を話していたことに気づいたのである。
無心でチュンサンを追い、空港に急ぐユジン。間一髪で、ユジンはミニヨンを引き留める。
その夜、10年に及ぶ自分の思いのたけを切々と語り続けるユジン。しかし全く思い出せないミニヨン。彼女が眠るとミニヨンはサンヒョクに電話をし、迎えに来るように言う。記憶のない以上、彼がチュンサンであるという事実は何ら意味を持たないのだ。
一人空港に向かうミニヨンだったが、サンヒョクの手を振り切りユジンは必死に彼を追った。ユジンが路上でミニヨンを呼び止めた時、トラックがユジンに接近する。とっさに飛び出したミニヨン。ミニヨンは2度目の交通事故に遭い、そのまま意識を無くした。

その交通事故後、意識を取り戻したミニヨンは、自分がチュンサンであると自覚した。少しずつだがチュンサンの記憶が戻り始めたのだ。献身的に介護するユジンは、彼がチュンサンである以上、これは運命だと知る。2度同じ人を愛した。チュンサンは自分を庇って事故に遭ったのだ。
サンヒョクに自分の決断を告げると、サンヒョクは自分がチュンサンと知っていてユジンに隠していた後ろ暗さと、サンヒョクにユジンを託したミニヨンの誠実さ愛の深さを思い、苦しい胸の内に耐え、婚約解消に応じた。
ユジンとチュンサンは失った記憶を取り戻す日々を共に歩み始める。
当初、サンヒョクとチェリンの傷つきを思い、同級生達はユジンらに冷たかったが、恩師の介入もあり、少しずつ昔の仲間に友情は戻っていく。
いよいよ二人は双方の親に結婚の承諾を得に行く。しかし、何故かどちらの母親も反対するのだった。
反対の理由がはっきりしない中、チュンサンはある疑念に辿り着く。自分の父は誰なのかということだ。母ミヒは、チュンサンの父親は他ならぬユジンの死んだ父親だと、衝撃の事実を語る。
かつて、ミヒとユジンの父ヒョンスとサンヒョクの父ジヌは親友で、ミヒはヒョンスを愛し、ジヌはミヒを愛していた。チュンサンはユジンの父ヒョンスとミヒとの間に出来た子で、ユジンとは異母兄妹だと言うのである。
その事実をユジンに知らせ、辛い思いをさせるよりは、別れを決意したチュンサン。
最後の思い出を作るため、ユジンを海に連れて行く。
同じ頃事の真相をジヌから聞いて知ったサンヒョク。チュンサンはサンヒョクに自分の心を打ち明け、ユジンには真相を知られないようにと二人で話し合って、その海にユジンを迎えに来るようにサンヒョクに伝えていた。
チュンサンは思い出の品を全て海に捨て、ユジンの元を離れた。
一人残されたユジンは納得できない。そんな時、サンヒョクの母がユジンとチュンサンの兄妹関係を話してしまう。全てを知ってしまったユジンも、別れざる得ない現実を受け止めるのだった。
綺麗な思い出のまま、それぞれの道を歩むことを決意した二人。チュンサンはアメリカへ帰国、ユジンはフランスへ留学を決める。
冬は終わり、春が到来したある日、チュンサンは部屋で意識を失う。病院へ運んだのは、偶然チュンサンの部屋を訪れたサンヒョクの父ジヌであった。ジヌはミヒの言い分と、チュンサンの年齢が合わないことに疑問を抱いていた。チュンサンを運んだ病院で、自分とチュンサンのDNA鑑定を依頼した。その結果は、ジヌとチュンサンは親子だというものだった。ミヒは嘘をついていたのだ。
ジヌに父子である真相を知らされ、愕然とするチュンサン。ミヒに怒りをぶつけるが、ミヒは、そうだと思わなければ、あなたを育てられなかったと泣き崩れた。。。。
もう何もかも遅い、、、。それに、、、、チュンサンの病状は予断を許さず、事故の後遺症で手術を急がないと、生命の危機に陥る。手術しても失明するし、生命も助かるかどうかわからないという状態だった。
チュンサンは、このまま何も言わずユジンをサンヒョクに託して行くのが彼女の幸せだと判断し、手術のためアメリカに旅立つ。
サンヒョクは、チュンサンの病状を偶然知ってしまい、全てをユジンに話して空港まで追わせるが、すでにニューヨーク便は立っていた。翌朝、サンヒョクはニューヨーク行きの切符をユジンに渡すが、ユジンは予定通り、フランスに一人旅立った。

それから、数年後。。。。
ユジンは帰国し、職場で見覚えのある建物の写真が載ってる雑誌を見た。その建物は、紛れもなく、別れ際にチュンサンにプレゼントしたユジンの設計した模型と同じ家だった。彼女はその家のありかを探しに飛び出す。
海辺の美しい家で、チュンサンはただ一人静かに暮らしていた。その目は光を失っていたが。。
けれど、チュンサンは、目の前にいる物言わぬ来客がユジンだと気づく。
二人の初恋は、10数年の歳月を経て、その美しい海辺の家で成就したのであった。



2004年07月29日

韓国TVドラマ「冬のソナタ」感想 その2
ニュース見ても韓国って、結構激しく感情を出すお国柄なのが、能面を美徳とする日本よりもドラマティックな作品を生むのだろうし、不況にあえぐ日本と違い、作品にも、経済の元気さを感じさせますね。
さて、以下、ツッコミモードです。
根がオタクなものでどうしても色々ツッコミたくなるんですよ。これが。お好きな方は真に受けないでね。あくまでジョークですから。作品を貶めるつもりは毛頭ないです(^^;。

まず、私は言いたいよ

○「冬のソナタ」は母原病の産物だ!
絶対、この話は母原病だーーーー!信じられないチュンサンの母親!!諸悪の根元、ラスボス級の人でした(爆)その点、サンヒョクの母はよくある意地の悪い姑程度でかわいいもんですな(笑)
ミヒは、16歳の息子の記憶を他者と植え替えて自分の都合の良い子に記憶を変えただけでも身勝手だと呆れたが、、、、(それでミニヨンという心に余裕のある人格者になったのならいいのかなって、ちょっと思いかけたけど、、、)にしても記憶を変えるのに、名前まで変える必要があったんだろうか?!本人に嘘をついてまで、真相を隠し続けることにどういう意味があったんだろう?
私は1話、2話を見てないので、てっきりミヒはチュンサンがユジンと兄妹だと知ってショックを受けたので、その記憶を消してあげるために違う人間の記憶を入れたのかと思ったんですが、そうではないようで、、、、これってホント、親権の濫用、人権問題ですよね。。
その上、こんなの絶対詐欺罪に問われるよーーーってのは、
ユジンの父ヒョンスの子だと虚偽を平気でユジンの母に騙るとは@@;
だいたい本妻宅に上がって、夫の私生児の話を感慨深く語り合う、なんて光景、日本じゃぶっちゃけありえない(笑)。まして虚偽だとわかったらヒョンスの正妻に訴えられそう(^^;
自分が愛する人の子だと思いこむだけならまだしも、それを吹聴して歩いたら犯罪だよ〜!
あなたの息子と息子の恋人が実の兄妹だとその嘘を信じて、そのせいでうーんと本人達傷ついて別れたんです。それが母の愛のあり方ですかい?情けない(泣)
「そう思わないとあなたを育てていけなかった」ってね、息子さん、もう28歳なんですけど・・・・
せめてさ、ユジンの父親を今でも恨んでいて、だからあの男の娘とは結婚させたくなかったって言ってくれた方がわかりやすかったよ。
こんな母親絶対許されない!
しかし、ミニヨンはそんな母を許すんだな。これが(笑)。親に対し、本当に寛容なお国柄なんですね。。。
これが日本やアメリカのドラマなら、間違いなくミヒの子供はぶち切れてグレるよね。下手すれば刺し殺されそう(^^;。ミニヨンが睦月でなくて良かった良かった(おい)
これを許せるキャパを今の日本人が持ってるとは私は思えないのですよ。(それはそれで異常な感覚なのかもしれない)さすが儒教が徹底した国家だよなあ@@;
いや〜参った参った。すごい母原病話に慄然としました(笑)。
でも、その過ちを許せる子供(ミニヨン)の心の大きさこそを、我々は学ぶべきかもしれないです。
(その寛大で余裕のある人格は、後で植えられたミニヨンのものなんだと思うとこれも複雑)

○ご都合主義のストーリー!!
そんな交通事故で記憶喪失になって、2度目の交通事故で記憶が戻るなんて。。なんて安直な(^^;頭打っておかしくなった人をもう一度頭打てば戻るなんて、ギャグマンガのネタだよ〜(笑)
催眠術で他人の記憶を植えるなんて、そんなことできるとは思えない。だいたい、今時催眠術自体、やってる精神科医少ないのに@@;
それに本人に嘘を付く医師、DNA鑑定を子供の承諾なしにやる医師、韓国はこんな医師ばっかりなのか?
サンヒョクの病院、衰弱して命が危ないほどの人間に自然滴下でそれも1本だけの点滴しないでくれーー!ポンプつけるでしょ、普通(泣)。
まあ医事考証がなってないのは、日本のドラマも同じだけどさ(笑)
ミニヨンがスキー場から、ソウルのどこにいたかわからないユジンを探し出したのは「愛」の力ってことで納得しますが(笑)、なんてご都合主義の展開だーってツッコミたくなるとこ多い作品です(笑)
(こういうオタ気質の人は見てはいけない作品かも、^^;)

○兄妹と気づいたタイミング
「記憶が戻ってからということは、最初の事故に遭う前に知っていたのか?」と言うジヌさん。
え?その説明はおかしいような、サンヒョク。だって、兄妹と気づいて恋人として付き合ってたのは、ごく最近だけじゃないの?、
それとも最初の事故の直前の話しを見れば納得できる説明なのかな?

○ユジンさん、早朝にチュンサンが逃げる傾向にあるので、眠る前にこっそりチュンサンにヒモをつけ、先に鈴でもつけて用心しましょう(笑)

○ユジンさん。拾ったお金は交番に届けましょう。日本だと拾得物横領になりますが(笑)
チュンサン、海洋投棄は自然破壊ですが・・・・

○ユジンの選択
まさか、自分のせいで事故に遭いその事故で命を失いかけそうなチュンサンを追わないとは・・・チュンサンは、ユジンがチュンサンの後遺症が自分のせいだと悩まないよう黙って姿を消したのに、、、、。
あのままチュンサンが死んで還らぬ人になったらどうするつもりだったんですかい?もし、失明したら生涯かけて介護してあげるのが当然だと思えるのですが、、、
正直理解に苦しみました。
でもゆっくり考えると色々思い当たりますが、、、チュンサンが望む結末にするのが彼女の愛だったのでしょうね。にしても、ちょっと見、酷いなって思いましたね。
この辺、世の人はどういう感想を持ってるのか知りたいところです。

○血のつながり
チュンサンが一人帰国してから、その後4年(だっけ)の間、誰も彼の消息を誰調べなかったんですかね。。。
いやー、、、弟であり友情を分かち合ったサンヒョクや、実父のジヌくらいは、チュンサンの手術の結果を気にして当然では?
ミヒも息子が死にそうだというのに、、、、仕事(演奏旅行)で全世界飛び回ってたんだろうか(笑)うーん、なんか理解できない(^^;

○役者さん
ユジンさん役の方って綺麗な女優さんですが、誰かに似てるっていっつもうーんと考えてしまう。
松坂慶子、、、南果歩、、、、宮沢りえ、、、誰に似てますかね?
ヨン様の声当ててるのが萩原聖人か。。。。。。言われりゃどっか顔似てるけどなんかイメージじゃない気もして、、、、(^^;

○心憎い演出
パズルのピース。そして、愛する人の心が「家」というのが、ナイスなキーワードでしたね(^^)

こういうへそ曲がりのツッコミも、心情の流れを丁寧に美しい情景と重ねて描いた訴求力ある珠玉の文芸作品の前には、どうでもいいようなことですけどね(^^;



2004年02月06日

TVドラマ「真珠夫人」感想パート1
クウガの一条刑事役、葛山信吾さんに惹かれて、「真珠夫人」全65話一昨日やっと観終わりました〜。
周囲の評判は聞いてたんで、ずっと見たいと思ってたTVドラマでして、評判通り視聴後心地良い感動に充たされました。普段、朝の連ドラさえも見ない私ですが、その分目先が変わって良かったです。

最初、どうせ俗な昼ドラだろうとどこかタカ括って観てましたが、ところがどっこい昭和の文芸の香りがする格調高い純愛ドラマで(^^;、泣かせて頂きました。
と言っても、「野菊の墓」や「絶唱」のような露骨な悲壮感がそんなにないので、娯楽として十分楽しめましたし、こういう純愛ものこそ愛と性を考える上で、ハイティーンに見せたい内容でした。

大まかなあらすじは以下の通り
〜物語は、愛し合う若い二人、直也と瑠璃子が、結婚間近に控えながら周囲の反対で結ばれなかったことから始まります。その二人が純愛を一途に貫こうとするがゆえに、二人に関わった人々の人生を狂わせ、様々な悲劇が起こるのです。
二人はその起きた出来事、犠牲の重さにおののき、すれ違いと別れを繰り返し、、、、
13年の歳月を経て、ついに祝福の中で、二人の愛は成就するのでした。
が・・・・その時には瑠璃子は病魔に冒され、その命は尽きようとしているのでした。〜

この「真珠夫人」は菊池寛の人気小説ですが、私は未読です。「父帰る、恩讐の彼方に」くらいしか読んだことないです。ただ雰囲気としては武者小路の「真実一路」、井上の「氷壁」あたりを思い出しましたね。

以下、思いつき感想です。************
○第1部
ヒロインの瑠璃子は、その魅惑的美しさ心の高潔さから、人を魅了せずにはいられない天分があるのですが、だからこそ、関わった人を幸せにもするし、不幸にもします。
第一部では、瑠璃子は父の借財のため、成り上がりの富豪で、親子ほど年が違う荘田との結婚を避けられない状況に陥ります。
追いつめられた直也と瑠璃子は駆け落ちを決意し、修善寺の宿で待ち合わせますが、瑠璃子は、「荘田と復讐のために結婚をし、2年で離縁しあなたの元に戻るからそれまで待って欲しい、直也のために必ず純潔を守り抜く」という、約束をします。「直也にプレゼントされた真珠のネックレスにかけて」と。
瑠璃子を大事に思う直也は愛する瑠璃子の提案を拒むことは出来ません。
そもそもこの無謀?と思われる約束や、「復讐のための結婚」という選択が、瑠璃子の若さ故の甘さなのですが、、、、追いつめられた若い二人の頭では、先を読み通せないことは無理からぬことだったのでしょう。
ここが出発点だってことは、これはその後様々に周囲を巻き込むねじれた道筋になるなと、この時私もとっさに思い、頭を抱えました。けれど、これから起こるであろう不幸な波乱が予想されるだけに悲しく美しい瞬間でもありました。
最終回直前、二人がこの日の選択を回顧するシーンは泣けましたよ〜;

瑠璃子が復讐のための偽装結婚のつもりで嫁いだ先、荘田家は夫も含め、欠点はあるが、愛すべき美点もある人達で、瑠璃子が加わったことで、バラバラだった家族関係に変化が起きます。荘田は一見成り上がりの俗物ですが、瑠璃子を心から愛していたし、二人の子供の良き父親でもあり、温情深い篤志家でもあったのです。
その俗物で豪傑で人情にもろい荘田と、頑なに肉体関係を許さない瑠璃子との夜の駆け引きが笑えるし、話としてはどこか軽薄で俗なラブコメまがいに感じましたが、その通俗さを浄化する長男種彦の存在が際立っていました。
純真であるけれど社会適応性の低い障害を持つ種彦は、瑠璃子を慕うあまり、瑠璃子を襲う荘田を刺し父親殺害という悲劇で、この偽装結婚の幕を閉じるのでした。
一方瑠璃子への激しい愛に苦悩し荒れる直也も、周囲へのカモフラージュのための偽装婚約という、また歯車を狂わせる選択をしてしまい(それが人間らしさというものだが)、真実を知った婚約者は自殺という悲劇に終わります。 。 

罪悪感に苛まれつつ、それでも己の愛の命ずるまま、直也の海外出張先に同行して実質今度こそ一緒になろろうと決意する二人。
瑠璃子は待ち合わせの修善寺に向かうのですが、途中交通事故に会い、意識のないまま病院へ運ばれます。
直也は、時間になっても表れない瑠璃子の裏切りだと思いこみ、一人傷心のまま、シンガポールに旅発つのでした。
交通事故は、荘田と娼婦の間に生まれた美奈子の仕組んだものだったのです。。。



2004年02月06日

TVドラマ「真珠夫人」感想パート2
荘田の長女、美奈子は(瑠璃子の義理の娘になるわけですが)、直也に恋をしているのです。だから瑠璃子は恋敵ですが、事故を仕組んだのは、そういう嫉妬からというより、瑠璃子になんとか側に居て欲しいから、彼女を頼りにしているからであって、憎しみからではなかったのです。
美奈子にとって、父は死に、障害のある兄は容疑者として拘置されてるので、瑠璃子は頼みの綱のたった一人の家族なわけですから。
美奈子の思惑通り、瑠璃子は荘田家に残り、美奈子と種彦の母として、荘田の未亡人として荘田家を立派に切り回します。
瑠璃子は美奈子の悪意を知りつつ(そうされるのも無理がないほどの咎が瑠璃子にあるのだが)、黙って愛を持って接します。
結局美奈子は、その瑠璃子の誠意に心打たれ、いつしか瑠璃子と直也と結ばれることを願うようになります。美奈子は後半は、瑠璃子の一番の理解者であり、肉親であり友人たり得たのでした。
美奈子という蓮っ葉で一見わがままな女性の半生も、瑠璃子と関わったキーパーソンで、非常に緻密に描かれていて、個人的には非常に好感が持てる女性でした(^^)。

○第2部。
シンガポールで妻を迎えた直也が、4年ぶりに帰国すると、瑠璃子は女郎屋の女将になっていました。、、、いやー2部は壮絶きわまる昼ドラ展開でしたね(笑)。。
夫を愛するが故に狂気に陥っていく妻の姿。その激しい愛憎の苦悩は時代を超えて普遍的リアルさを感じました(爆)。まさに真に迫る女のヒステリーの恐怖!!
島尾敏雄の「死の棘」や高村光太郎夫妻をちょっと思い出したり・・・作家は激しい恋愛を辞さないロマンチストでないと良い作品書けないんで、危険な情事の末、妻や愛人が狂気に陥りやすいのかも(笑)。ドラマのように激しいのが良いんですなあ、、、きっと(ーー;。

さて、まじめな視点で参りますが、第2部は第1部以上に、愛と性の関係を明確に感じさせられます。
この世でもっとも美しい「愛」と、もっとも人を堕落させる醜い肉欲を対比させ、愛のない肉体関係は、肉体関係のない愛には全く勝機がないことを証明するかのように、娼館が舞台になります。
野卑な好奇心を刺激するエキセントリックな演出もありましたが(^^;、実はこういう猥雑な場所でこそ、好対照に純愛は輝きを増すのです。。まるで、泥濘の中の純白を強調するように。
直也の妻澄美子は、妻という地位と、夫との契りを結んでいる既成事実の前に絶対的優位にありながら、愛だけにつながれた瑠璃子と直也の魂の関係が、犯しがたい聖域として存在することに完全な敗北を喫するのです。
ために澄美子は奇行に走りますが、完璧に美しく高潔な瑠璃子を前にしては、どうしようもなく堕落せざる得なかったのです。その気持ちがわかるだけに、なかなか悲壮でした。
考えてみれば、かつての直也が偽装婚約したのは、愛が成就しない焦りから、誠実な彼をミクロに狂わせてた行為だったと思うし、あの理知的な直也の婚約者の性急な迫り方も同じで、人は愛が思い通りに届かないとその苦しさのあまり、その人らしさの仮面ははぎ取られてしまい、時に狂った言動に走らせるものなのでしょう。
しかし瑠璃子はそういう次元の劣等感とは無縁なだけに、余計彼女と愛を競おうと思う者は敗北感を強めるわけです。
澄美子は、瑠璃子の経営する娼館で娼婦をし、それがスキャンダルとして明るみになると、服毒自殺を遂げます。壮絶なまでの瑠璃子と直也への復讐劇でした。
肉体関係はなく、ただ会って語り合うだけの仲ならばと、娼婦を買いに来る客と女将の関係なら許されると思った二人の甘い幻想は、そこにこそ真の愛があったがゆえに、もろくも崩れ去ったのでした。
澄美子の遺影の前で、直也と瑠璃子は、あまりの喪失の大きさに、永遠の別れを決意するのでした。

*************************************
少女の頃、愛する人と永遠に愛だけで結ばれていたい、体の交わりないままの関係でいたいと憧れてましたが、その年頃の夢見がちな少女達にこそ、この愛憎劇の描く人間模様がストレートに映るかも知れません。
案外私も含め、お茶の間の主婦は、この2部はどろどろとした愛欲関係とにしか映らないかもしれないですな(^^;。。



2004年02月06日

TVドラマ「真珠夫人」感想パート3
○第3部
9年の歳月が経ち、過去の悲惨な事件の傷跡の生々しさがやっと記憶から消えた頃、二人はまた奇遇にも再会します。
2部で瑠璃子の娼館に売られて来た清純な少女の水揚げを、瑠璃子は直也に頼み込みます。直也に不義を犯させず、けれど自分の約束を果たすためにと、その少女に真珠のネックレスを渡し、瑠璃子は思いを託したのです。これもかなりねじれた危うい選択ですが(^^;、結果その時、少女は妊娠し、その後の二人の運命を決定づけるのでした。。
その少女が直也の子供を出産後死亡したため@@;、瑠璃子は密かにその子を自分の養子として育てていました。
愛する男性の子供、優を育てることは、愛が成就するのと同等の幸福であるかのように、瑠璃子はその子を愛し慈しんだ育てます。

しかし、ちょうど父親を求める年頃に達した優が直也と出会ってしまい、跡継ぎを切望する直也の両親も、優を引き取りたいと言い出します。
直也と優があまりに似ているため、結局親子であることを隠し通せなくなり、真実を直也に打ち明ける瑠璃子。瑠璃子の高潔な真心に、床にひれ伏し感謝を告げる直也の姿。
積年に渡る二人の想いに今も曇りはなく、優という子供を通して結実していたことを感じさせました。
愛する直也の前では気丈なふりをして、瑠璃子は優の意思にまかせると、直也に託しますが、後で子供を横取りされたことを恨み、その喪失感に瑠璃子は取り乱します。それが瑠璃子にして始めての人間らしい姿なのでした。

相変わらず二人の前に種々の障害が横たわりますが、ついに直也は瑠璃子に求婚し、周囲もその結びつきの深さと優の存在により誰も反対する者はいなくなったのでした。
もはや二人の愛を阻む者はなく、めでたく結婚へと話が進む直前に、瑠璃子は病魔に倒れるのです。余命3ヶ月と知り、瑠璃子はそれを隠し、直也との結婚を諦め、拒みます。
万感の思いでこれまでの人生を振り返る二人。最初の出発点だった修善寺の誓いへと思いをはせるのでした。
直也は瑠璃子を説得するために、瑠璃子は守り抜いた純潔を最期に直也に捧げるため、思い出の修善寺の宿に向かいます。実に13年の歳月を経て、二人は初めて結ばれたのでした。

直也は瑠璃子の余命を知り、それでも結婚を望みます(ここまで来たら当たり前だがーー;)
瑠璃子は純白なドレスと真珠のネックレスをして、教会で結婚式を挙げてのフィナーレでした。
1部は若い二人の愚かさ加減に斜めに見て、2部は苦笑い、けれど3部は子供が絡むのでもう涙腺ゆるみっぱなしでした〜;;
1部2部がどろどろだったので、こうなると予想してましたが、それでも3部のカタルシスは大きかったです。

若い二人の13年に及ぶ波乱に富んだ人生を追体験し、物語だからこそ、直也の「過ぎてしまえばすべては美しい」という言葉が身にしみました。
久々に心に残るTVドラマを見ました。この時代に貞操観念のずいぶん希薄な現代、次世代へと語り継ぎたい珠玉の名作ですね(^^)。

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ここからはツッコミモード。
それぞれの人物に人生があり、価値観があり、美点も欠点もあり、良かったのですが、、、
ちょっとかわいそうな犠牲者として、、、、2部の最初に自殺を決意し、事故死した青年と、夕子ちゃんが・・・
可憐な夕子ちゃん、でもあまりに都合の良い扱いが、小説らしいといえばらしいのですが。。。
彼女が生きてたら話はまとまらなかったもんね(笑)
「風と共に去りぬ」の最初のスカーレットの夫が、麻疹であっさり死んだのを思い出しました。まさに「風邪と共に去りぬ」ーー;
3部に登場した瑠璃子の言い寄る若い客と直也と結婚を期待する女性教師。。死ななくて良かったね〜(しみじみ)
彼らはあの後どうなったんでしょう?

1部の前半を単なる昼ドラに終わらせない心洗われる美しい心根を見せてくれた種彦さん。。知的障害や精神障害ではなく、おそらく今で言う広汎性発達障害と思われます。
人の心の機微が読めず、社会でのコミューケーションが取りずらいため、パニックを起こしたりして社会適応性が低いのですが、けれどその純真さは永遠の少年のようです。すごくリアリティある存在だったのですが、、、にしてはずいぶん3部では、難しい人間関係を読みとってましたね。
優に隠し事ができるとは@@;色々克服したんでしょう。すごい!

優というと、瑠璃子は優にあの時点で実母夕子のことを告白する必要があったかどうか。。。優は結局、受け入れようとはしなかったんで、いいんでしょうが、なんか無理があったな〜って思いました。

ガンを本人に告知する冷徹な医者。ありえなーい。ある意味現代的過ぎて、当時にそんな医者がいたとは思えませんわ。あんな告知をいきなり受けても、それをまた聞きしても、すんなりみんな信じて受容するあたりが時代かもしれないですが(笑)

映像特典なのか本編なのかわかりませんが、瑠璃子の死後2年後の後日談があります。
思い出の地、修善寺を散策する直也と優の前に、若い日の瑠璃子そっくりの女性が、2年前ここで会おうと約束した男性を待っています。諦めて帰ろうとするその女性に、待つように直也は言います。そして、見事その男性は現れ、二人は手に手を取って修善寺を後にしたのです。
その話自体は良い話で、余韻のあるセンスのいい映像なのですが、、、、
おみくじの「待ち人ー必ず来る 願い事ー必ず叶う」という紙面が、数回画面に出まして、正直くどいな〜って違和感ありました。
この作品には「必ず結ばれると信じて待つ」=希望は叶うというメッセージ性は、そんなにないと思うんで。
描かれていたのは純愛を貫こうとする二人の男女の悲しくも美しい波乱に富んだ半生と、取り巻く人間模様で、テーマは「純愛」そのものだと思うんですがね。
「必ず愛は勝つ」という青春ドラマのような意味合いはないよ〜な・・
良くも悪くもある男女の選択とその結末を描いているだけですよね。
とはいえ、全巻の巻末映像特典葛山さんの予告には、メロメロでしたーーーvv



2002年03月25日

ライラの冒険シリーズ「琥珀の望遠鏡」感想メモ
 ネタバレあり!読んでない方には何のことやら不明の内容の殴り書きです。

海外のデジモンアドベンチャーと喩えられた「黄金の羅針盤」の完結編「琥珀の望遠鏡」を先日ようやく読み終えた。
非常に読み応えがあった。3巻ともだいぶ間をあけて読んだし読解力不足知識不足で不確かな理解のまま読み進めたが、その理解できる範囲でも充分伝わってくるものはあった。
どうも最後までよくわからなかったのは、「神秘の短剣」で、一箇所除いて全ての窓をどうやって閉じられたのかってこと、、わっかんねえ;2巻の「神秘の短剣」再読必至だな^^;。

オーソリティ=神との戦いは、009の天使編を思わせ、よくSF漫画にありそうな話なので、違和感感じずに楽しめた。が、異世界の生き物や情景、世界観のあたりは私の貧しいイマジネーションではとても活字だけでは連想できなかったな。特にミレファ。全然イメージできませーん;是非映像で観たいものだ。映画化して欲しい!
重厚なストーリーで既知に富んだ予想もつかない展開、登場人物も多種多様で一言で感想は述べられそうもないが、とりあえずデジモンファンとしての特筆すべきは、やはりダイモンの存在。
ライラの世界では、全ての人間にダイモン(精霊)がいる。それはその人の心の一部であり、魂がリアライズしたものだ。
面白いのは子供のダイモンは、何者にでもなれて、まだ何者にもなっていない可能性ゆえに、ダイモンの姿を変化させることができる。一方何者であるのか決まってしまった大人のダイモンは犬なら犬という固定化したものになっている。
固定化したダイモンを見て、たとえば卑屈な豚だったりしたら、その人は一生自己嫌悪に陥るんじゃないかとちょいと心配したりして(←それは自分のことだ!)

そして、もうひとつの世界、我々と同じ世界の住人であるウィルはダイモンを持たない。でもそれは見えていないだけなのだ。確かにダイモンはいるが、2巻までは分かれていないだけで、心の中に共にいるのだと私は思っていた。
しかし3巻では、死者の世界に入るとき、ダイモンを置いていかなければならない場面で、ライラが感じた悲痛を彼も感じたあたり、実は側にいつも存在しているものらしい。と読者にも実感させられる。ダイモンと本人が分かれていないだけという思い込みは覆され、単にこちらの世界の人間には見えてないだけなのだとわかった。
ライラは、ダイモンと分かれた死者の世界では自問自答ができない。つまりパンタライモン(ライラのダイモン)は、もう一人の客観的に自分を見ている自分なのである。
ダイモンとの会話は自分と自分の心との相談なのだ。
このダイモンの存在と、デジモンアドベンチャーのパートナーデジモンの概念は非常に似ている点があり、興味深い。
ラストに02同様、ダイモンの見えない世界の住人であるウィルやメアリーも、見ることができるようになる。そしてダイモンが見える状態のまま自分達の世界へ帰るのである。
そうか!きっとウィルが最初の選ばれし子供に違いない(笑)
ウィルが、自分の冒険であった生涯の恋人を後世こう語ったというくだりは、まさにタケルだ!(笑)

このシリーズも異世界との交錯、異世界からのハッキングという現象と考えられそうだ。やはり結末はそれぞれの世界が、安定し、それぞれの世界に戻り、2度と交流できない、そこに別れのイベントが発生するわけだ。テイマーズはどうもこのパターンに終わりそうな予感がしている。

その他、
個人的にはバルサモスの天使同士の愛に萌えvませんでした?<しまさん、ここ見てくれてるかなあ。
後は、ライラの両親、ウィルの両親の描き方に、児童向けにしては複雑さを感じ、興味深かった。特に「神秘の短剣」でウィルの父がああいう最期を迎えて終わりだったら後味悪いと思っていたが、なるほど、こういう展開で、我執の塊みたいなライラの両親ともども、それぞれが親としての愛を貫いた姿勢には感動だった。
ウィルの短剣で切れない母への思いは最初ネガティブな印象で、彼の幼児性と捉えていたが、この世で切れないものはただ一つ、「愛」だよという、メッセージに素直に感動した。人間愛あふれる素晴らしい作品にめぐり合ったと思う。
なので、一番好きなアイテムは「神秘の短剣」。
「神秘の短剣」が異世界への窓を開ける度に、スペクター(人の全ての希望を食い尽くす魔物)が発生するという種証しにも、意外性があって目から鱗だった。



2002年03月07日

「フランダースの犬」(ウィーダ作)雑感
児童文学サイトを謳う以上、たまに話題にしないといけない(汗)。

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私が「フランダースの犬」を読んだのは小学2年だった。学校の昼休みに読み終わり、教室の片隅で涙が枯れるほど泣いた。その鮮烈な記憶から、子鬼1号に2年生の冬に買い与えた。すぐ読み終わり、内容は理解したようで、ちょっと涙ぐんだが、その後に読んだ本との反応を比較するとそれほど、1号にとって、印象に残る作品ではないようだ。
1号は悲しいシビアなお話は好まない。(この子は案外幸せなのかもしれない。。。。)

何の罪もない心清らかな子が、貧困と差別に追い詰められ命を落とす話は、当たり前のことだが大人が書いた話だ。
主人公の死後、周囲はその子の不遇を思い、後悔の涙にくれ、神は尊い魂をその懐に抱くという結末に、大人の読者は子供が幸福に暮らす社会の必要性を痛感させられる。
この世には、まだ、ネロやパトラッシュ、「マッチ売りの少女」はいるのである。

一方子供は作品から何を感じるのだろうか、、、
人として善良に生き続けることの尊さを感じ取ると同時に、自分は不幸だと思ってしまっている子供が、作品の中で子供がいなくなった時に見せた大人の後悔する姿に、普段はっきりと感じ取れない「愛」を見出すのかもしれない。

児童文学全体に、不遇の「死」を扱う作品が姿を消しているという。特に「いじめ」「自殺」が騒がれた80年代、教科書からどんどん「死」を美化してるような作風と判断されるのものは除外された。また、児童書が反戦物ばかりに偏った時代の反動から、シビアな内容を扱ったものは、大人が子供に与えなくなって来ている傾向があるようだ。
可愛い、愉快、面白い、だけのものを与えることが、イコール夢を与えることではない。辛い現実悲しい現実を、作品の中で追体験することで、様々な困難を乗り越え、たくましく生きる力を身につけるのだと思う。また、人の痛みを自分の身に置き換えて考えられる優しさも育つと思う。
大人の価値観の押し付けになってはいけないが、無難なだけで終わらない痛みのある作品を、子供らに味わって欲しいと思う。

1号はその後1年経って、「レミゼラブル」などを進んで読むようになった。それと共に、最近また時々本棚から出して、「フランダースの犬」も読む姿を見る。。

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余談、、、デジモシリーズの良さをまた凝りもせす語るなら、大人の押し付けでない子供の楽しい遊びの世界(ゲームやモンスター)と、シビアな痛みのある切実な現実がリアルに共存していることだと思う。それが、親世代が作品を支持される理由なのかもしれない。。



2002年02月24日

ハリーポッター「賢者の石」感想メモ
伏線の張り方、結び方が非常に面白い。ファンタジー通には物足りないらしいが、普段活字を読まない鋼鉄化して錆びた脳味噌の大人と、まだ活字と出会ったばかりの子どもにはちょうどいい難度の内容が魅力v
子鬼一号は、学校へ行くときも外出時も、必ずあの厚い本を携行し、暇さえあれば熱心に読み返している。余程面白いのだろう。

映画も子役が原作以上に美形で魅力的なのと、不思議な光景が見事に映像で疑似体験できる感動とで、現実を離れ、童心に帰って楽しめた。
ロンは長身というイメージがあり、子役がやや小柄なのでちょっとイメージが違うかなと感じたが、チェスのシーンは映像ならではの大迫力で、ロンに惚れ惚れした。
映画ではあのチェスがマクゴガル先生の封印だと説明がないため、なぜダンブルドアがチェスの勝負内容を知っているのかぱっと見た感じではわからなかった。
もちろんハリーとハーマイオニーはビジュアル的に美しいので言うことなし!

1巻で書かれた内容に伏線を張り、3巻まで読み進めて行く間に解かれていく事件の中で、妙に感心したのは、「ハグリッドの過去」と「シリウスブラックの真実とスキャバーズの正体」。
ハリーポッターの本は、毎回ラスボス予想が外れるので、読者として裏をかかれて心地よい。
「賢者の石」では、ハリー達と一緒で、私はスネイプ先生に目を奪われた。しかし、クィレル先生がヴォルデモートの手先だったので素直に驚いた。
結局2巻まではスネイプはどちらかというと真実が見える鋭い眼力の持ち主なのである。シリウスブラック達との過去へのこだわりで、だいぶ3巻後半、品格が崩れてしまうが、一見悪に見えながら実は不正を憎むスネイプ先生の存在感は、ストーリーに厚みを持たせている。

2巻では、私は今度はロックハートが怪しいとにらんだが、これも見事に外れた。ロンの妹がそこまで事件に重要にかかわっているとは思っていなかったので、結末で「うーむ」うならされた。
ドビーについてもしかり。ことごとく予想の裏をかかれた「秘密の部屋」が今の所一番好印象。

3巻では、ルーピン先生とシリウスブラックが同一人物で、シリウスブラックは無実、真犯人はピーターだろうと予想した。後者はばっちりだったが、シリウスブラックとルーピンは友人だったし、スキャバーズがピーターというのもちょっと結びつかなかったなあ。
猫のクルックシャンクスや勉学のことで、ハーマイオニーが別行動が多く、彼女に感情移入するとややすっきりしないまま話が進んだのがちょっと惜しい気もした。

今日はここまで。また後日、ハリーポッターの感想メモを書きます。





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