かりス間(SW話題・映画感想)
SWを話題にした日記の過去ログを、一時的にこちらに
移しました。SW話題の間、仮スターウォーズの間です。
それ以外の映画の話題も、こちらに少しずつ移そうと思っています。

2005年04月18日

映画「ふたりはプリキュアMax Heart」鑑賞日記★★★
公開2日目、3回目の上映を見に行ったんですが、小さい女の子とその保護者だらけですごいにぎわいでした!!前列数列残して、満席状態。(大きなお兄さんは全くいませんでした^^;)
2001年春の東映アニメフェア「02ディア逆とワンピねじまき島」以来のちびっこの異様な熱気を感じましたよ。かくいううちの3号も今までで一番心待ちにした映画です。
なんとプログラムはおろか、全てのキャラクターグッズを初日で完売してしまったという、、、、恐るべし、プリキュア人気。館内放送でグッズ売り切れの謝罪放送がずっと流れてまして、もう何一つありませんでした;;。ワンピのポップコーンセットだけでなく、プリキュアのセットを売り出せばバカ売れしたと思うんですが・・・・
東映直営映画館もプリキュア公開まで頑張ってれば良かったのに。。。(−−;

映画の内容は、極めてお子様向けで良いと思いました。何より映像がかわいいです。非言語的低年齢児、しかも女の子が好む映像に仕上がってて連れてった親としては満足です。ワンピはちょっと小さい子にはきつかったので、、、、低年齢層でしかも女の子に目線がきちんと合ってるのが好感持てました。
とはいえ、男児ものが好きなこの母には、(毎年ハム太郎もそうなんですが)、こういうのはえらい退屈と感じてしまうのです(汗)プリキュアが少年だったら萌えだったでしょうが、、(おい)
その私の様子に3号が気を遣って、「ママ、飽きた?眠いの?寝てもいいんだよ」と言うので、ここは楽しんでるふりをしないと3号が好きなものを否定してるみたいでまずいぞ、と、必死に眠気に耐えました(バカ)。
館内の女の子達は、上映中笑ったり喜んだりするほど特にどこにも反応しなかったですが、シーンと静まり返ってるわけでもなく、ほどよい集中程度で画面に見入ってました。
唯一館内反応があったのは、ピンクのカエルの名前(なんだっけ?)が出たら、「○○って誰だっけ?」とざわざわ。うん、確かにカエルの名前覚えるほど印象なかった(笑)
個人的には、反抗的な水色ガエルとなぎさの心情の流れがどうもピンと来なかったです。
なぎさが水色ガエルに友情を否定されたことで怒ったのはわかるんだけど、なんでそこでほのかの手を払って一人になろうとしたのか。。。感情を制御できないことに苛立ったんでしょうけど。。。
なぎさは、そういう激しさがあるから、敵に立ち向かう精神力になってるってことなんでしょうが、、、水色ガエルとの和解を含めなんかしっくり来なかったです。
まあ、でもカエルぞろぞろみんなかわいかったからストーリーは流れが唐突で「友情約束」「大切な人への思い」といったメッセージ連呼の印象だけで進んでる感じもしましたが、女児向けの映像としてこうでなきゃって線はしっかりしてるなって。女の子とマスコット的クリーチャーがスクリーンに動いてるそのかわいらしさ、かっこよさ、楽しさ、肌で感じる心地よさがとっても良いです。
普段映画というと、母や兄姉の趣味につき合わされ背伸びをさせられてる3号ですが、自分の好みを極められてとっても満足そうでした。

館内の反応と言うと、予告編ではガッシュで笑いが出たし、ヒビキにどよめきがありましたね。みんなー、夏休みはガッシュやライダー&戦隊を見に来てね〜と言いたい気分
2005年03月06日

映画ワンピース「オマツリ男爵と秘密の島」鑑賞日記★★★
プログラムと入場者特典です。↓
      
今年も1号とその友達、2号とその友達、3号を連れて初日行って来ました。
館内、小学生男子とお父さんという組み合わせがほとんど。私達の前の列は子供会かスポ少か何かの団体さんで、お父さん一人に20人ほどの男子児童のグループでした。
女子中高生の姿は時期的なものか、見あたらなかったです。男児向け漫画なんで当然かも。
アニメーションは目を見張るものがありました。動きは繊細だし、背景はシュールリアリズムの絵画を見てるようで、宮崎アニメの迫力を連想させられました。
特に島内をキャラの視覚のみで進んでいくカメラアングルは印象あります。映像には人物が全く映らず、会話のみでジャングルの奧へ進んで行くのですが、圧倒されるものがありました。
それと、前半のオマツリギャグは遊び心満載で館内子供らの笑い声で湧きました。
親父心にもうれしい要素満載でした。お子さんと一緒に来たパパさん達は感じるものがあったと
思います。
以下ネタバレありです。++++++++++++++++++++++
細田監督ということで期待大だったんですが、私がイメージしたものとはちょっと違ったかな(汗笑)。明日のナージャの「トレジャーハンター」の話みたいなのをイメージしてたんで。。。最後まで突き抜けた作品を期待してたんです。
が、後半、館内水を打ったように静まりかえっちゃって、沈鬱なシーンが長く勝利の喜びはさらりと流されたラストで、ホラーの夢オチに近い、日常への帰還オチでした。
特に痛快な盛り上がりもなく平坦に幕を引かれてしまうので、バトルの爽快感は得られないんですが、今までのパターンとは違ったワンピースへのアプローチという点で悪くなかったと思います。
デジモンアドベンチャーの21話が好きな人は合う内容だと思います。電波少女も出てくるし(笑)内面の不安や孤独の心象風景に主人公が取り込まれてしまうという点では、02夏映画風(山内監督)かもしれません。
非常にマニアックな映像なので、アニメ好きの若者には絶対お勧めです。女性ファンにはサンジ×ゾロといった萌え要素(美形が活躍してない)は全くないので、どうなのかなって気はしますが、ルフィの人間らしさに感情移入できれば、十分女性も楽しめる内容ではないでしょうか。
もちろんS君と2号は、前半の屋台レースやサンジの鉄板勝負が面白かったので満足してました。(サンジ、焼け死ぬよ〜普通、と思うママのリアル感覚が悲しい;)
2号的には、デッドエンドの冒険、呪われた聖剣、オマツリ男爵が好きだそうです。(最近のが印象強いだけじゃないの?)
ママ的には、ねじまき島、デッドエンド、聖剣の順かな。
    ←特典の中身はこういうものでした。
以下ピンポイント感想です。
○オマツリ島に向かう理由
ナミさんはスパやエステ、サンジは美女、チョッパーはフルコースという宣伝文句につられた訳だが、ルフィは「もし君が海賊の中の〜〜海賊」=真の海賊ならば「信頼する仲間を連れて来い」という招待文に惹かれて行ったという、、、、
そんな馬鹿な@@;ルフィに限って料理のフルコースより文章に惹かれるなんてあり得ない〜って一瞬思いましたが、まあ「真の海賊」「仲間」というキーワードはルフィの食欲よりも上なようで。
この出だしからして、今回の映画は脳天気でおバカなルフィでないぞ!と予感させます。
バカはサンジ、ナミ、ゾロでした・・・^^;

○メッセージ性
「仲間」「信頼」決まりきった約束事のように扱われたこの作品で、そのリスクを描き出し見る側にゆさぶりをかけ、改めてその意味を問うてるのはわかりました。
思春期中期になると、友情や仲間という言葉が彼らの用語でいうと「うざい」と感じるものです。
特に部活等の目的集団に所属してない若者は、家族の「愛」とか仲間との「友情」とか、そんなものが力になるとは到底思えないし、自分にとっては何のリアリティもないきれい事に聞こえるものです。
そんな気分の若者には、ルフィという際めて漫画チックであり得ないほど脳天気な主人公の、不安と孤独に苛まれる異様な心理状態を見せられることで、衝撃を受けると思います。等身大のルフィを感じ、自分に置き換えて考えられるだろうから、深く伝わるメッセージ性があったと思えます。

○狂気の世界
見ようによっては、仲間を全て失って一人生き残ってしまったオマツリ男爵の狂気の世界に、ルフィが入り込んでしまって、同じ悪夢を見せられた夢オチにも見えるんですが。。。。マニアックだー^^;
オマツリ男爵は、仲間の死を受容できず、仲間に恵まれた海賊達を呼び寄せ引き離し、海賊の船長を自分と同じ孤独と絶望に突き落とします。そして、その海賊達の命を生け贄に、男爵は自分の仲間を作り出し(命の錬成かい?!)、自分には仲間がいると孤独にうちひしがれる海賊の船長を尻目に、かりそめの優越感に浸るのでした。悲しみにうちひしがれ男爵の幸福に敗北感にあえぐ惨めな船長の姿こそ、本当は男爵自身の現実なのに。
まさに狂気のオマツリ世界だったわけです。
ルフィも男爵に翻弄され、絶望の闇に飲まれかけますが、同じように絶望に陥れられ時間を経て立ち直った者達がルフィの新たな仲間になりました。その新たな仲間がルフィの絶望を救ったのでした。
ルフィはゾロ達仲間の生存を信じる強さと、新たな仲間の援護を得て、狂気の男爵の心の世界の闇を打ち破るのでした。
暴かれた男爵の心はひたすら泣いています。死んだ仲間を思い続け、永遠の孤独に自分を閉じこめてしまっていたのでした。。。。。
けれど、その死んだ仲間達が男爵を「一人残し先に死んですまなかった」と温かく迎え、彼は肉体を失いやっとその精神を浄化できたのでした。
(気のせいか、シャイニングの最後の写真を思い出したよ、、汗汗)
また男爵の仲間に、「仲間を失っても、また新しい仲間を作ればいいんだ」ときちんと答えを明確に言わせたのが好感が持てました。(私は男爵が、ルフィに「死」か「絶望」を選べと言った時、映像を怖がってくっついてきた3号に思わず「新しい仲間を作る、を選ぶよね。普通」とささやいたつもりが、静まりかえった館内では結構響きわたってたみたいで焦りましたよ。汗笑)
映像的には星矢天界編に似てますが、ああいった抽象性に逃げないところにも潔さを感じます。壊れた価値観をきちんと再構築し提示していますし。
人を愛すると、その人をいつか失う恐怖が芽生えます。生物はいつか必ず死によって別たれるものなのです。時に人はその喪失の痛みを恐れ、他者との関係性を持つこと、愛することに臆病になってしまいますが、けれど友愛を死によって喪失し狂わんばかりに悲嘆にくれても、その友愛の記憶が自分を救い、いつしか新たな友愛を獲得していくのだというテーマには、非常に共感できました。
過去に固執し変化を嫌い、他者との関係性を拒み孤独を好むオタク気質にも、何気に切り込んでくるのが良いですね(^^)。まさに、オタクを正しく教育するアニメ作品に思えました(笑)

○親父の復権
面白いのは、男爵は海賊の「仲間」を奪うが、家族喪失にはそんなにこだわりがないのか、家族持ちの船長の家族を見逃してきたようです。
加藤茶似の孤独に負けた船長、ふがいない父親船長、挫折感を味わったダメ親父達が最後ルフィの仲間として頑張るあたりは、見てて非常に元気が出ます。
実は、人が立ち直るには、絶望のドン底に落ちて惨めな姿をさらす方が立ち直りは易いともいえ、男爵はドン底に落ちることを恐れるから、いつまでも同じ落ち際でもがき続けてるという。。。
一見強がってる男爵は精神的に弱く、親父達は実は強かったんですな(笑)

○この世で一番怖いもの
って話をふるやもりやブログでしてますが、おそらく本当に一番怖いのは自分の心かもしれないです。。自分の心が「孤独と絶望」に永遠に陥ることほど怖いものはないのです。ハリーポッターで言うディメンダーに希望を吸い取られた状態ほど、怖いものはないと描くファンタジーは、人間の内面をよく見抜いてますよね。
その状態に自分が落ちてしまうことへの不安、不安や孤独に耐えられない自我への不安、それが恐怖の正体ですよね。つまり恐怖に耐えられないのにその状態に置かれ続ける自分の惨めな姿が恐怖の正体そのものなのかも(笑)少なくともこの男爵の心理にはあてはまりそうですね。

○エヴァンゲリオンの呪縛
すみません。エヴァ劇場版見てからというもの、こういう映像は私とっても気持ち悪いんです。
描かれてるのは、いつまでも自己憐憫に陶酔し続けず、ちゃんと人間関係の中に戻れよ、という話なので、向かってるベクトルはエヴァと正反対だってのはわかるんですが、、、、
内面の不穏を映像化されても、ムンクの叫びを見てるようなクリエーターの天才的感性を芸術的だと受け止めるスキルがないというか(笑)すみません(汗汗)。
もちろんこれは、私が苦手とする不健康なものは、何でも関連づけてしまうという心理的に偏った感想かもしれないです。あしからず。なので読んだ方、あまり真に受けないでくださいね(^^;。
(正月のデジモンゼヴォリューションはBRをまっとうな価値観に再構築した話に見えたりするし)
まあエヴァを知らないにしても、館内の反応を見る限り、ママと幼児はあの不穏な映像の連続を、娯楽としてなかなか楽しめないのではないかと思いました。

○ルフィらしさ
正直今までの映画やTVの流れからすると、キャラクターの言動に違和感ありました。
私がワンピースに求めるものは、内面の不安や恐怖を感じない、明るいポジティブシンキングで冒険をする健康的キャラクターの物語なんです。内面を描き出す不健康さがないのが良いとでもいうか(苦笑)
だから、ルフィがあの程度で仲間が死んだと翻弄され、落ち込むとは到底思えないんですよ〜。心の健康な人は、仲間との信頼関係の崩壊とか死別の不安を抱いたりしません。まして強靱な心の持ち主のルフィですよ!
「あいつらのことだからなんとかして切り抜けてるだろ」って感じで、そのありえないほど超楽観的観測がその通りに進むのが良くてワンピ見てるんですけど。。。。
ルフィだったら。あの加藤茶おじさん警戒したりせず、即仲間になるだろうなって思うし。
それとサンジ達の仲間割れが殺伐としてて、不穏でした。
いかに口汚くけんかしてても、心はいつも信頼でつながってるのがルフィ海賊団で、あんな程度でバラバラになるんだったら、今までの話思い出せば続かないですよ。とっくに殺し合いになってそう(笑)
さんざんお互い迷惑かけあっても乗り越えてきた成熟した関係なので、ナミとウソップのような陰険な関係にはなるとは思えないですよ。
だからこの映像を、私はルフィの仲間喪失の不安が男爵とシンクロした幻覚ではないかと思ったくらいです。たった一人船長が取り残される悪夢共有の夢オチでないかと深読みしてます。
もしそうだとするなら、それはそれでそんな不安をルフィが抱くような繊細さを感じないんですけどね(^^;。
でもルフィをリアルな人間と捉えるなら、こういう描き方もありだと思います。
ルフィのルネッサンス=人間復興なワンピ劇場版5作目で、業界のカリスマ的細田監督を起用した以上、単なる子供の娯楽では終わらないってことなのかもしれないですね。
2005年02月07日

映画「Mr.インクレディブル」鑑賞日記
映画「鉄道屋」TV鑑賞日記
※映画「Mr.インクレディブル」鑑賞日記★★★★☆

土曜日に3号とDLP館で見てきました。さすがディズニーの3D。お見事でした。ソツなくエンターティメントを極めておりました。
スパイダーマンの重い苦悩を、家族持ちのおっさんにして、ディズニー風ヒーローに、誰でも親しめるテイストにアレンジしているので、万人受けしそうな映画でした。あざといような説教くささが全くないのが特徴ですね。
特に奥さんが魅力的でしたね。ゴム人間の先輩ルフィも思いつかないようなゴムアクションが、印象深いです。さすがディズニーだ。負けるなルフィって感じ。
これ見ちゃったら、SWはこれ以上のCGを極めてくれないとがっかりしそうです(笑)
スピーディでスクリーンに釘付けで痛快、テンポが良くてわかりやすいのですが、ひっかかりがなくで、見終わって数日経つと何にも残らない映画ではありますね(^^;。なので、感想が出てこない(汗)
(感想を思い出せない要因として、パンフレット買ったのに、どこかに置き忘れて来たみたい。ショック〜全然読んでないのに〜涙)
湿っぽさや重たさがない分、情に迫る部分が薄いせいだと思います。懐古主義的味わいもあるにはあるんで、年寄りにはうれしいんですが、さらりとしてるんで印象に残らないですね。
なんにせよ、映画館にいるその時間、余すことなく映画の世界に意識を飛ばして存分にあらゆる層の鑑賞者を楽しませてくれてるので、見て全く損のない映画だと思います。、

サンダーバードをこの感じでアニメ化してくれたら、ぴったり来そうな感じですね。

個人的な好みとしては、この冬同じ★5でも、ポーラーエクスプレス>ハウル>インクレの順ですし、ニモ、シュレック2と比べても、完成度には全く文句なしですが、感動がないので印象落ちます。
というのも、どうも最初からヒーロースーパー家族って設定に抵抗があって興味湧かなかったんで。実際見たら評判がいい理由に納得でしたが、案外私こういうヒーロー物って好きでないかも。
スーパーヒーローの悩みと言われても、優れた能力を最初から授かってて、その悩みもそんなに普通の人に比べて大変なわけでもなさそうで、十分幸せだな〜って思うからですかね。
しみったれた話でない良さはあるんですが、深みがないんですね。
にしても、ディズニーが描くアメリカンヒーローも悪くないなあ、さすが洋画は面白い、日本のアニメ特撮ヒーローはまだまだこの域に突き抜けられないな、しみたれってるなあって思わされる圧倒的勢いはありました。
日本海軍が、総天然色の「風と共に去りぬ」を見て、米国に戦争して勝てっこないと思ったというあの気分に似てるかも(^^;。

そんな気分の翌日、TVで「鉄道屋」を見ました。以下感想です。************

※映画「鉄道屋」TV鑑賞日記★★★★★
日曜洋画劇場で青鬼君と見ました。青鬼君は浅田次郎氏の原作を読んでいるので、珍しく気合い入れて真剣に見てました。
確か数年前、ちまたで話題の邦画だったのですが、ちょうどうちは1号が死線をさまよってるあたりで、とってもこの映画の題材からして、楽しめる気分ではなかったんですが、、、
やっとこういう物を見られるだけに私たちも日常に戻ったんだなって、最初そっちの方に感慨ありました。

昔気質の几帳面な駅長が、妻子先立たれても尚、駅に立ち続け、その生涯の使命とともに人生を終えていく、、、妻の死に目にもたった一人の赤ん坊の死に目にも遭うことなく、、、喜びも悲しみも押し殺して汽車の到着と発車を見守り続ける主人公、、、彼の誠実な人柄で周囲から愛されています。退職後の彼の身を心配する元同僚が訪ねてきますが、彼は頑なにその定年後の未来を拒むのでした。
彼の生涯かけて守ったローカル線は、その春廃止の予定です。
そんな辛い知らせをも胸に閉じこめ、ただ淡々と駅に立ち続ける彼の前に、不思議な少女が3回現れます。1回目は幼児、2回目は小学生、3回目は高校生、、、
幻想的に登場する少女は、死に別れた彼の娘の幽霊だったのです。
娘は父に「大きくなれなくてごめんね」と謝り、父は「死なせてしまってすまない」と謝ります。娘は、父が生涯「鉄道屋」を貫いたことを誇りに思うと、笑顔を見せます。
彼は悔いのない人生を送れた、自分は幸せだったと、改めて実感するのでした。
翌朝、男は駅のホームで永遠の時を閉じました。

国鉄、駅長、ローカル線、官舎、、、自分の通ってきた人生の風景が鮮やかに蘇って来ます。
ちょうど生きてきた時代をそのまま再現してくれたような映画で、つい自分の人生を置き換えてみてしまいました。
私も青鬼君も仕事に忠実な生き方こそが美徳だと考えてるのですが、現実には病気の子供を抱え、夫の仕事を支える妻という役割を担えない私と共同生活でしか、家庭を保つことのできなかった現実に、どこか挫折感があるんですよ。仕事だけに生きられない自分達の限界を感じていたので、こんな風に寂しくも充実した人生の舞台を降りる瞬間に、自分も憧れているような気がします。
2,3号は先に寝ましたが、途中まで見てた1号も「この人、不幸続きだねえ、@@;」と困ったような顔をして、悲哀に堪えられないように「私寝るね」と2階に上がってしまいました。
面白おかしい娯楽映画しか見せてないので、なかなかこういうじっくりと味わう映画を見る心構えができてないのかもしれませんね。
でも、「映画ってこういうものだったよね〜」って青鬼君としばし語らいました。もっとも私らが子供の頃見た映画は更に古い昭和初期のイメージなんで、昭和50年代という懐かしむには近いようで、でも現代というにはずいぶん遠いような時代を、映画で見たのは初めてです。
国鉄の労組話や、JR移行の騒動なんかもあれこれ思い出し、共に生きてきた時代を振り返るひとときでした。

すっかり感情移入して見ている青鬼君より、私の方がちょっと醒めてたかもしれないです。というのは、個人的に少女の登場が、どこか漫画チックで(男のおいどんとかを思い出したり)、あれが死んだ子の幽霊だと知らないで見たら違和感ありありだったと思うし、幽霊と表現してしまうとどこかオカルトチックになって味わいを損なうし、ファンタジーと言うには冷厳なリアリズムがあるし、、、
ついカテゴライズしたくなる私は余計なこと考えて、集中できなかった部分もありました。が、、、ラストまで来て、ああ死ぬ前に一瞬の男の脳を走った電流が見せた幻影なんだなって。
そこまで来て、ああ良い映画だなあ、これは邦画でないと味わえない感動だなって、しみじみと「もののあはれ」に浸りました。「
北の国から」とか「幸福の黄色いハンカチ」よりも冷厳で遊びがないので似てるようで、ちょっと趣きが違います。「鉄道屋」は戦後の過渡期にあった日本社会にあって、勤勉でまじめに職業にかける日本の寡黙な男性像が、より私の人生観に近いので好みなのです。
原作が素晴らしいのでしょうが、東映様も良い映画作ってますよね。「北の零年」も評判良さそうなら見に行こうかなって思います。
最近ぱっとしてる邦画というと「レインボーブリッジを封鎖せよ」でしたが、まああれは、洋画でも味わえそうな感覚で、邦画ならではの味わいのある作品を見たいなって気分になりました。ディズニーの最新アメリカンヒーローもすごいけどSWも偉大だけど、こういう魂をゆさぶる芸術映像作品もあって欲しいなあって。
「たそがれ清兵衛」や「世界の中心で愛をさけぶ」もまだ未見ですが、そのうち見ようかな。(「セカチュー」はTVでちょっと見たけど、うちは小児病棟暮らしが長いのでちょっと辛いものがありましたなあ、汗)もっともそれらも「鉄道屋」とは情趣は異なりそうな感じですが、ハリウッド娯楽映画では味わえない何かにふれたい気持ちに駆られてます(^^)。
2005年02月03日

映画「世界の中心で愛を叫ぶ」DVD鑑賞日記 ★★★★★
〜過去の喪失の悲しみ追憶する主人公、、、。
白血病で死にゆく恋人を前になすすべもなく涙した青春、最期を看取れなかった悔恨・・・
10数年、男は心の時を止めて世界と自分を隔絶し、悲嘆をやり過ごした。。。。
しかしついに時を歩むために、悲嘆の後かたづけの瞬間を迎える。
別れの儀式である〜。

悲しみに向き合う心の慟哭と、それを見事に洗い流すラストのカタルシス。
今を生きる「生」の愛おしさを世界の中心から訴求される。
なくしたものを越える強さを、君がくれたから
切なく歌い上げる平井堅のEDにとめどなく涙がこぼれ、それに抗うすべはなかった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
って感じでついに「セカチュー」見ました。大丈夫でした。いやいろんな意味で、嘘くさいのが(笑)。虚構だから、極められる美しさに感動します。
昨年「冬のソナタ」と「世界の中心で愛を叫ぶ」が流行しましたが、
実は私は、若い頃は結核文学好きだったし、TVも山口百恵の「赤い疑惑」をはじめとするメロドラ定番の不治の病を前にきらめく「ある愛のうた」の類はものすごく好きだったんですが、、、、
実際に1号が不治の病で死線をさまよった時の大学病院暮らしで、白血病や小児ガンで亡くなる子をたくさん見て来たので、あまり生々しいのは、もう駄目なんです。
誰しも生きていれば知り合いが白血病で死んだくらいの出来事は経験してるわけですが、そういう生やさしい思い出ではないんです。あれを思い出したらもう人生を楽しめなくなるというか、、、、辛いものがあります。
だからTV版ちょっと見て、これは駄目だなと思ったんですが、今回見てみようと思ったきっかけは、舞台「歩兵の本領」に文弱青年を好演していた高橋一生君がえらい気に入ったから。ああ、この方が出てるなら、多少痛くても明るく立ち直れそうだなって思ったからです。(たいした出番なかったですけどね^^;)

見る勇気をもらったので、レンタルでやっと見たんですが。。。
前半は辛いものがありました。いえあまりに退屈で退屈で、、、普段テンポの良い映画しか見ないので、この地味な映像には辟易しました。途中ネットやり始めつけてるだけでほとんど見てないという。、、繰り返す時間軸の交錯と「ボソボソ」語りで目を見張る山場がない、、、
しかし、そのもどかしさが募れば募るほど、話がクライマックスに向かい始めたら一気に情動があふれ出し、有名なあの空港のシーンでは泣ける泣ける;;;;それもすごいストレス解消になる涙なんです。決して鬱の涙ではなくて、あまりのそれまでの話のもどかしさにたまった感情が映像に一気に押し出されて、汚れた感情を排泄させられる涙なのでした。
あとはもうラストまで駆け抜けていく切なさに、見る者の心はひたすら浄化されて行くのでした。
1度そのカタルシスを味わってしまうと感性が学習してしまって、2回目からは、前半のもどかしさが気にならなくなります。細部にわたって、感情移入して見ることができるのです。
題材も作りもオーソドックスで、冬のソナタと同じで、リアリティがないのがいいんですね。良く言われる昭和回帰、揺り戻し現象を確かに感じさせられる作品でした。

別に冷厳なリアリズムが高尚なわけではないし、生ある限り喪失を超えなければ生きられない人の思いを描くのに、絵空事のように美しいフィクションの方が伝わるんだなって思いました。
喪失の悲哀に至るまで心が整理されていくポイントはきちんと押さえていて、これこそ真実だと感じた部分はたくさんあります。
特に、主人公が彼女の無菌個室にいる姿を垣間見てしまった彼と、その後の世界との隔絶は見事だと思いました。外界の躍動する「生」の世界とあまりに自分の居場所が違いすぎ、かといって彼女の病室にも居場所がない、、、、あの所在なさを、描き手は知っているんだ、、、、痛切に真実として私には迫ってくるものがありました。

とにかく鬱にならないので、何度でも見たい、ストレス解消になる映画です。

セカチューのアキと私は同じ年です。。
子供の頃の邦画って、大正昭和初期を舞台にしたものが多かったですが、いよいよ自分が生きた時代が懐かしさと共に映像化される時代になったんだなって、舞台「歩兵の本領」ともどもしみじみ感じた次第です。
2005年01月06日

映画「ゴジラファイナルウォーズ」鑑賞日記 ★★★★
暮れに2号とS君と3号とで観てきました。
宇宙からの侵略に対抗するため、地球防衛軍は地球にとって最終兵器である「ゴジラ」を復活させ、侵略者を撃退するという話。
前作、前々作の自衛隊の日本防衛にかける重々しい青春群像から、すっかりはっちゃけた派手なアクション映画になってしまった今回のゴジラ。
エンターテイメントに徹してて、筋やテーマを追うのに頭を使わないのがいいですね。肩の力を抜いて単純に楽しめました。
今作は、怪獣より人物のアクションの方が目立ってたりします。マトリックス風ゴジラって感じ。
ゴジラ独特の文明への警鐘、自然の驚異、という重々しいカラーも何気なく漂わせ、ノスタルジーも味わえて、雑多なジャンルをミックスした感じが良いですね。今年の仮面ライダーブレイドもミステリー風ヒーローものでしたね。一見贅沢な味わいを楽しめそうなのですが、ともするとまとまりが悪く中途半端で食い足りない感じになってしまいがちです。
この映画も正直、ゴジラがメインなのか、TOKIO松岡のアクションヒーローものなのか、そういうカテゴリーの曖昧さに借り物って感じがして、もどかしさはちらりと脳裏をよぎりますが、松岡、ケインかっこいいわ、デスラー総統(伊武雅刀)好きだわ、X星人がクレージーでユーモラスだわ、何よりテレ朝の映画の中のTVでTVタックル超常現象を討論し始めたナンセンスぶりに脱力脱帽でした。(年末の特番もしっかり観ましたよ、笑)
大槻 義彦教授面白すぎです。大好きvでもこの方、ちゃんと大学で講義してるんだろうか(笑)。
松尾 貴史が「宇宙人を信じるも何も、今来てるんですから」ってツッコミにはおおうけでした。

こんな感じであっという間にカテコゴライズにこだわりがなくなったら、シリアスなドラマやリアリティが何ぼのもんじゃ、楽しめれば勝ちよ!って感じでしたね(笑)。
それでも最後はうるっとさせられました。上手いんだよね。ミニラと少年
ここだけは時代がモノクロに戻ったみたいなレトロなオチ。全く泣かせるツボはよく心得てるこの作りが心憎いのでした(笑)。

  ←ゴジラFWのパンフ。まだ読んでません(汗)
良い意味で、パンフを読む必要を感じない映画でしたね(笑)

本当は大まじめに、文明の暴走が生み出した怪獣から人類を守る、説教くさい機龍ゴジラに見応えを感じて私好みなのですが、こういう遊びも悪くないです。
私はゴジラより人物のかっこ良さばかり観てましたが、2号やS君は怪獣中心に観ていたようです。
ゴジラが好きなので2号の感想は、当然「面白かった」に決まってますが、加えて「キングギドラが悪い怪獣になってたのが、ちょっとショックだったね。あとは良かったよ」といつになく「面白かった」だけの感想ではないあたり、良い意味で映画にこだわりが出てきた証拠ですね。
でも、キングギドラって悪いやつじゃん。私の記憶では、モスラはいつも良い奴、ゴジララドンは良かったり悪かったり、キングギドラはいつも悪い奴なんですが、、、、
3年前の作品だとキングギドラは良い奴だったそうです。全然覚えてないよ〜(汗)

今作でゴジラシリーズは終わるとのことですが、是非また大スクリーンを最新の技術で大暴れして欲しいです。宮崎、黒沢らに並んで世界に誇れる作品ですもの。
2号とS君は大人になってもゴジラをずっと愛すると思いますしね(^^)。
2004年12月16日

映画「ニュースの天才」鑑賞日記 ★★★★
〜大衆は求める。より刺激的で面白い、フィクションのようなノンフィクションを。
  そのニーズに応えた虚構を、面白さゆえに人々は真実と疑わない・・・〜

という、大衆とマスメディアの堕落を描いた社会派ドラマかと見る前は思ったんですが、焦点はそこではなかったです。
内部に不祥事が起きた時、その社会的責任を果たそうとする人間の公正さが主題でしょう。

○アンビリバボー
うっかり私は「アンビリバボー」でグラスの事件を見てしまって、これは推理小説のネタバレ見たようなもんかなと心配しましたが、映画見ながら、アンビリバボーを先に見てて良かった!と思いました。
予備知識ないまま見たら、グラスの嘘がどうしてばれたのか、編集長やPC雑誌の記者の意図もわからなかったと思うんです、
事件の概要や、グラスについて全く知らない人には映画の筋がわからない映画かも。

以下ネタバレありの感想です。
   

○嘘で得た人気と真実を暴くために失った人望
ねつ造記事によって輝かしい栄光と周囲の人望を手に入れたグラスと、社内で孤立しながらもジャーナリズムの良心にかけて真実を公表しようとするチャック編集長。
チャックは、編集長として、身内の記者を守らないことを部下に責められます。日頃、前の編集長のシンパで気配りがあって社内で人気があるグラスを、チャックは快く思っていなかったので、私怨で彼を追い詰めてるように周囲は勘ぐっているのです。
しかし、黙っていれば絶対誰にもわからないねつ造記事まで徹底して調べ上げ、それが自分にとって不利であること、自分の経歴に傷つくことを覚悟の上で、世間に公表し真摯に謝罪しようとするチャックの真意を知り、最後は皆彼を支持するのでした。人気記者グラスではなく、チャックにこそ、ジャーナリストとしてのあるべき姿を皆が見い出したからです。
会社を追放されたグラスは、以前自分を大切にしてくれた編集長に救いを求めます。しかし元編集長も彼のねつ造に対し、「チャックは正しい対処をした」と言い、あんなに親しかったグラスに同情を見せません。甘い慰めを期待したグラスはその言葉に呆然とするのでした。
グラスの二人の上司を通し、部下の不祥事が発覚した時、組織は真相を全力で究明し、真摯に社会に謝罪することで、その責任を取るという、成熟したコミュニティを感じさせられました。

○不祥事を隠蔽する組織
未成熟な社会では、内部に不祥事が起きた時、その責任を問われることを恐れて組織は隠蔽工作にかかります。
マスコミのねつ造報道、誤報は、ああそんなもんだろう、目に見えるニュースだけが全てでないのはその通りくらいに、直接身近には感じないのですが、警察や医療現場といった公正さが求められるのに検証されにくい場では、もっと不祥事は頻繁に隠蔽されるものではないかと感じることは多々あります。
医療事故隠蔽は、実際当事者になったことがあるので特に実感できます。
地方の大学病院は人事が一カ所に集中する分隠蔽しやすく、医学部が乱立する都市部では、隠蔽はしにくいのです。
医療事故が内部の調査報告で時々公表される病院の方が、全く医療事故の報道がない病院より、チェック機能が正常に働いた信頼できる病院だという側面を我々は知るべきです。
航空機事故でもよく言われますが、公表した際事故当事者を責めるだけでは再発はなくせないという側面があり、正直に不祥事を自ら公表することの社会的意義を、この映画は見せてくれてる気がします。

○虚言を続ける者達
この映画を観ながら、私はグラスに二人の人物を思い浮かべていました。
一人は2000年の「遺跡ねつ造事件」の藤村新一です。
数々の歴史的発掘を繰り返した藤村が、実は自ら石器を埋めておいてそれを掘っただけの自作自演だったと発覚した事件が記憶に新しいです。
こんな偶然が続くのはおかしい(山形県尾花沢市で発掘された石器と、約30キロも離れた宮城県色麻町で発掘された石器の断面がピタリと一致し、この二つは同じ石から作られたと言う「奇跡」がニュースになった。)と、そんなに奇跡なんかないと周囲が気づいてそれを正せなかったのが、嘘の暴走を許したのでしょう。
藤村はいわばノンキャリアのたたき上げなのでしょうが、本来たたき上げとは努力して地道に実績を上げていくもので、その努力なしに嘘で簡単にキャリア組を抜いてしまうと、積み上げた土台がないので2度と地道に努力する自分には戻れないものなのかもしれないです。
どこか、名誉を焦ったグラスに重なるものがありました。
結局、この人の発掘した遺跡はどこまでが真実で、どこまで嘘か本人の明確な証言がないまま、全て白紙にされたと記憶してますが(うろ覚え)、
最後まで、弱い自分を認めることができないような印象でした。

もう一人は、私の身内ですが、、、虚言という強固な防衛機制を働かせる困った親族がいるのです、、。証拠を突きつけられても、絶対嘘を認めず、真実を自ら話そうとはしません。追い詰められると「忘れた」と言って、真実と向き合おうとしません。証拠がないものは常にあいまいなままです。
彼の嘘を私はたいがい見抜きますが、彼の両親は何度も騙されます。それは、こうであって欲しいという両親の願望に迎合した嘘をつくからです。
彼は人格形成期に、厳格な両親に対し、過ちを正直に話して怒られるより、嘘を突き通しごまかした方が得だったという経験を積み重ねているのです。自分に不利な状況になると虚言で繕って自分を守るという行動パターンが確立し、正直であることの美徳を体得しないまま、大人になってしまったと考えられます。
彼もまた藤村のように嘘をついている虚構の自分を、自分だと認めることができない、弱い自我の持ち主なのです。
また嘘を見抜く人は、実は嘘を全然つかない人よりも、嘘をつく人に近いと言われています。でも多くの人は、正直であることの成功体験を直接にも間接にも体得しているので、嘘をつきたくなる自分の闇を制御し、正直である自分を人格の前に押し出しているのです。自分の闇を、嘘を見抜き真実を見極める力に変えて、生きる力にしているのです。
一方、嘘で自分を守る人は、嘘そのものを生きる力にしてしまうため、いつしか社会に居場所を失うのです。

○グラスの精神分析
私はグラスが何故嘘を付き続けるのか?そこばかりに焦点当てて見たいたのですが、その答えが明示されないので、見終わった後すっきりしませんでした。上記のように色々考えさせられましたけどね。
グラスの心理に踏み込んでないのと、前述の予備知識なしには映画の内容がわからないのが、この映画の★ひとつ減点した理由です。
でも後でパンフレット読むと、ああそうかと納得しました、
記者の想像力が記事の行間を面白くすることの悪い面を描いているストーリーの性質上、事実のみを極力描き、事実がはっきりしない部分は描き手の解釈で空白部分を補完して加筆したりしないというポリシーが、監督にはあったようです。
グラスはこういう生育歴で当時こういう背景があって、ねつ造記事を書くに追い込まれたという分析は、あくまで「〜〜だろう」という分析者の類推にしか過ぎない、事実ではない部分なわけです。
別段、再現ドラマであっても描き手の解釈で見せることに問題ないわけですが、そのこだわりに好感もてました。ただ監督の言い分(言い訳?)を読まないと、映画のグラスの行動理由が不明なままの意図がわからなかったので、作品としてはどうかなと思いますけど(笑)、グラス本人も関係者も存命中ですから、これでいいのではないでしょうか。

○社会派ドラマ
ヘイデンがインタビューで家族からのプレッシャーをグラスの動機のひとつとしてあげてますが、
映画では描かれなかったけれど、そこは私も感じました。
グラスはありのままの自分を、みじめな取り柄のない者と感じ、嘘の栄光で飾った自分を、家族は愛しているのだと思って育ったのではないでしょうか。
一見淡々とした事実の再現ドラマですが、構成に工夫があって、地味ながら味わいのある映像でした。
グラスの二つの顔、母校で後輩に記者としての理想や社会的使命を胸を張って誇らしげに語る姿と、ねつ造記事を作りそれが暴かれ始め狼狽する卑屈な姿を、平行して好対照に展開します。平行した二つの自我は、みじめな嘘つきの自分に統一され、誰もいない教室で全てを失い虚ろに微笑むグラスのラストシーンは印象的でした。
改めて、アクションもコメディもラブロマンスもおよそ娯楽要素のない地味な社会派ドラマが、すごく好きな自分と再会できてました。感動したわけでも面白かったわけでもないですが、社会正義とは何を問う良い映画でした(^^)

○ヘイデン・クリステンセン
もともとヘイデン・クリステンセンがお目当てで見た映画ですが、ヘイデンかっこいいわあvとか相変わらず良い表情するわねえvとか、意識してときめいたのはほんの数分だけでした。
いつの間にか映像からも私の脳裏からもヘイデンという役者は消え、グラス本人の言動を真剣に追っていたのです。良い意味で役者が光ってないのです。矮小な人物として映像に完全に埋没してて、さりげなく光っているのはチャックです。実質チャックが正義の主役ですから(笑)
役者が演じている気配や特有のイメージを消し去れるのも、ヘイデンの良さかもしれないです。
この辺は、美形童顔のディカプリオやトムクルーズ(ロバートレッドフォードなんかもそうかな)にはない部分かも。彼らはいかに地味なドラマで自然体にしてても、派手に輝いているもん(笑)。
今作、海辺の家、EP2、3作見ましたが、相変わらず落ち着きない神経質な演技は上手いです。水谷豊みたいで(笑)全然演技だと感じさせないのですが、素は非常に落ち着いた態度なので、あの不安定さも演技なんでしょう@@
派手な演出が一切ない地味なドラマでも真価が発揮される方だと思いつつ、やっぱりEP3のアナキンに今からときめいてますvvvv

そういえば、何かのインタビューで、SWトリロジーのEP6のラストシーンは、ヘイデンの知らないうちに入れられたとありました。なるほど、あの場面であの演技はないよなって内心思ってたんで、納得です。
ああ、夏が来るのが楽しみですが、いよいよ終わってしまうと思うと寂しいですね。。。。
SWにZ映画と来たら、なんか私にとって、青春が帰ってきたみたいです。(笑)
2004年12月10日

映画「ハウルの動く城」鑑賞日記 〜リピーター編★★★★★
映画館で買ったシールと筆入れ。売り切れてたグッズ多数@@;特にフィンのものが人気ありそうです。

      

2回目、1号と観てきました。良かったです!!素直にじーんと来ました!
1回目と違い、観るポイントを絞れたので、ちゃんと感情移入できました。1回目は、私の観る焦点がズレてたんですね。
ハウルの心臓の謎とハウルとソフィーの二人にだけ着目して観ると、これは「若者の自立」を描いた作品だとわかります。
親の支配や既成世界との闘争、荒れ狂う自我といった思春期の混沌の嵐を抜けて、人は真の自由を獲得し、己の居場所を見つけていく様を描いた作品に、私は思えました。

今回やっと原作を読みたい気持ちに駆られて、早速読み始めてます(笑)。
1冊目半分まで読んだ感じは、ソフィーが出自の束縛から自立していく話に見えます。ハウルも読んだ範囲では、恋愛ゲームにおぼれる軟弱者に描かれてますが、彼が心を取り戻し真の愛を獲得する話だろうと予想されます。
映画のベースもきっと同じでしょう。
原作には、戦争が出てきません。だからわかりやすいし、キナ臭くないんです。映画もその方がシンプルで「魔女の宅急便」のようにライトな感覚で楽しめたと思うのですが、、、
1回目観たとき、戦争シーンがあるので戦争アニメと勘違いして、つい世界の背景を知ろうとしてしまい観るピントがずれてしまったんです。
外に女の子をナンパに出かけてるハウルだと話はわかりやすいのに、戦場で兵器を破壊してるハウルを描かれると、つい彼のポリシーに目が向いてしまって、世界に何が起きてるのか知りたくなります。
だから、若者らしい青い理想にかける「闘争」を卒業することで、人は「自立」を果たしていくんだという読みには、なかなかいかなかったんですよ〜(汗笑)。
ただ、ここで監督があえて戦争のある世界を設定したことに拘りがありそうです。あくまで私の勝手な思いこみですが、なんとなくそう感じました。

以下ネタバレありの感想です。前の感想と重複してる部分もありますが、改めて。*****

○ソフィーのコンプレックス
1度目もうすうす感づいてはいましたが、ソフィーは容姿に対し大変劣等感を持っています。だから、思春期の少女であることが彼女には苦痛で、いっそ老婆になってしまえばありのままの自分を出せるのです。
自分のままの姿で美青年ハウルとあったら緊張して何も話せない、彼の美しい容姿に対し、自分の平凡な容姿ゆえに劣等感に苛まれ、彼に相手にされないだろうと自分から殻に閉じこもってしまうでしょう。
けれど老婆の姿なら恋愛対象でないという安心感から、好きに自分を出せるし、思ったことを口にできる、ハウルという美青年への恋心も母性で昇華できるので、実は無意識に彼女は老婆の姿に逃げていると考えられます。
しかし、彼女はみかけ作りに余念がないハウルが実はどうしようもないダメ男だと、その心の弱さを知ってしまいます。その弱さを知ってなお、母のように彼を守りたいと思います。
表面的な憧れの恋にとどまらず、内面を知り欠点を知ってなおその人を守りたいと思う「愛」を彼女は抱いているのです。穿った見方をすれば、ハウルに欠点があったから、ソフィーは自信を得たともとれますけどね(笑)。
母親は元恋人の復讐に怯えたり、危険な地域に身を投じるハウルを心配するソフィー。
ハウルとハウルに関わる全てを大事に思う気持ちが溢れ、我を忘れて老婆には決してできない思い切った行動が出来るようになった時、ソフィーは自分のイメージをありのまま受け入れ、元の姿に戻って行くのでした。

○ハウルとカルシファーの契約
ハウルの心は、カルシファーの命になっていました。ハウルが幼い頃、流星として降ってきたカルシファーは、そのまま死にゆく運命だったのですが、優しいハウルは自分の心臓を差し出し、彼を救ったのです。しかし、同時にそれは悪魔と契約を交わすことになったのです。
カルシファーとハウルは心臓を共有することになり、カルシファーが消えるとハウルは死ぬし、カルシファーは暖炉に縛られた自由のない身になったのでした。
その呪縛を解くには、契約の内容を見破ることだったのです。
ハウルの心であるカルシファーを制することができたソフィーは、ハウルの内面を愛せる人だったのでしょう。ソフィーにしかカルシファーを操ることはできないってことは、ハウルの本当の心を知り、呪縛を解くのもソフィーだったということなのでしょう。
ソフィーはカルシファーとハウルの契約の秘密を知り、二人を分離させ、ついにハウルに心を、カルシファーには生命と自由の獲得を可能にしたのでした。

○ハウルの自立
ハウルは、師サリマンの支配に怯え、恋愛ゲーム(火遊び)の末、荒れ地の魔女の深情けに追われ逃げています。名前を変えあちこちで色々な女性と恋に落ちるのですが、上辺ばかりを飾った関係なので、すぐ冷めてしまうわけです。
原作ではハウルは外にナンパに出かけ、口説けないと落ち込み口説き落とすと即冷め恨まれるを繰り返しているようですが(笑)、どうも映画ではハウルは外で何か戦いをしているようで、それに疲弊しているように見えました。学生運動みたいに、命をかけて闘争に身を焦がすのも若者らしさってことかと解釈してみたり(笑)。
けれども、ハウルはソフィーとの出会いで、愛する人を守るために戦う生き方に目覚めます。
ひたすらハウルの無事だけを祈るソフィーに心を救われ、やっと落ち着く場所を得たのでした。
愛する伴侶と守るべき家族を得たハウルは、やっと師(母)からも社会的にも「自立」を果たし、戦争のような思春期の動乱は終わりを告げたのです(^^)。

○母のエゴ
母を象徴するサリマンは、自分の小間使いにしている幼い弟子を、皆ハウルそっくりの金髪おかっぱの美青年に変えています。それは、サリマンの願望だから。
息子(弟子)をいつまでも自分の愛玩動物のようにかわいい姿のまま、従順に自分に仕えさせたいのです。
サリマンは息子を奪おうとするソフィーから、息子を連れ戻そうと様々な妨害をしますが、やがてその絆の深さを知り、息子の巣立ちの時を知り、その支配を諦めるのです。
男性にとって結婚は母性の交代なのかもしれないですね(笑)

○親はなくても子は育つ
千尋の両親もそうでしたが、ハウルでも親(大人)は欠点がある存在として捉えられています。親を美化しない作品は、欠点がある親でも(むしろその方が)子供しっかりするし、子供は所詮親元をいつか離れて自立していくもんだと、冷静に受け止めることができて、育児に対する過剰な気負いが和らぐ感じがしますね。宮崎監督、優しい〜vvv

○自信を持って恋せよ乙女!いい加減落ち着け、野郎ども!
親から自立し愛する伴侶と共に次世代を育み、その子がまた自立して伴侶を得、次の世代を育む。。。
婚姻により、親から自立した若者達が新たな基礎集団を成すという、太古から繰り返された自然の営み、、、、
青年が所帯を持った時、子供が親になった時、人は生物学的にも社会的にも、名実ともに子どもではなく、大人になったと言えるのでしょう。

こうして焦点を絞って改めて観ると、ハウルとソフィーの清らかな愛に心打たれました。
とりとめないですが、原作読み終わったらまたいろいろ考えたいです。特にカブにかかったのろいが映画ではさっぱりわからないので、気になるところですね。
歴代興行記録を更新しそうな勢いのハウルですが、、、私は1回目は拍子抜けしたんです(^^;。でも、色々考えているうちにまた観たくなって、もう1回観たら感動できました。
ただ1回鑑賞で、大きく心をゆさぶるインパクトが薄いあたりが、宮崎作品にしては散漫な出来だとも言えるかもしれないです。

**************************************

余談ですが、、、
「アルプスの少女ハイジ」。最近心を入れ替えて見直してます。原作よりハイジのイメージが幼稚過ぎて好きになれなかった子供時代のわだかまりはなくなったので。
4話はどっきりでした。一家で釘付け。特に「ピッチ」が犬に食われたところで、3号はショックで泣き出しそうに@@;
様々なゆざぶりがあって面白かったです。そしたら4話演出が富野さんだったよ。富野さんもさすがだ!(笑)
2004年11月24日

映画「ハウルの動く城」鑑賞日記
待ちに待った巨匠宮崎駿氏の新作「ハウルの動く城」、見て参りました!
混雑が予想される公開初日は避け、4日後の23日の朝一番の回にしたのですが、、、いやー、さすがにすごい混んでた〜@@;
私は土曜日に中央のペアシートを先売りで買っていたんで並ばずに済んだのですが、当日来た人は大変だったでしょう。家族連ればかりでしたが、どこかの子供会が鑑賞してると思われる団体が2グループほどあって、最前列も端も含め空席はない状態でした。
飲み物を入れて自宅から持って来たと思われる水筒を持って来た中学生の男の子達のグループが微笑ましいなあって思いましたね。
昼に上映終わって帰る時、シネコンの前の道路がこんなに渋滞してるの、初めて見ました。これが世界の宮崎効果なのですねえ@@;
1号は原作を繰り返し読んでいて楽しみにしていたのですが、観賞後、原作とは全然違うけどとても良かったと言ってました。
3号もちょっと前まで、「ハウル見に行こうね」と言うと、「でも、私ナス食べれないの」と不安そうでしたが、(ハウスカレーのCM見てナスのカレーの話だと思ってたらしい)、幼稚園の先生も今日見に来るという話をしたとかでわくわくしてました。ヒンがとっても気に入ったようです。
非言語的で感性で観ているうちの子供達には大変好評の映画でした(^^)。
下の画像はパンフ。上映前に買っておいて良かった。上映後は売店も黒山の人だかりでしたもん。
            

私の初見の印象では、★★★。3つです。
一言で言うと、ライク宮崎。宮崎映画のような映画でした(笑)。巨匠の香りはするけど、世界に誇る巨匠だけにしか作れない極められた珠玉の一品という感じではなかったんで。
過去のジブリ作品で言えば「猫の恩返し」「耳をすませば」程度の箸休め的ライトなふんわりした作品で、大きな感動やカタルシスを得られる大作ではないですね。
もちろん、アニメーションは綺麗でした。特に美術背景。美しい絵画を観た時の心の解放を感じました。美しい絵画を観に行ったと思えば、十分堪能できます。
また往年のファンとしては、キャラやグライダー?の動きにかなり既視感あって、「ナウシカ」に近い映像だったなあって思いました。お得意のドキドキハラハラで、いびつで奇妙な城の歩くユニークな動画が楽しめます。
にしても、ストーリーに骨太なものを感じさせるのが、宮崎氏の他のやたら映像だけ綺麗に作るアニメクリエーターを越えてる点だったと思うのですが、ハウルは筋が漠然としていて雰囲気だけって感じが、「絵」ではなく「物語」を楽しみたい左脳派の私には、ちょっと感情移入しにくい作風でした。
それと宮崎作品にしては、中盤までのテンポが悪いです。終盤になってバタバタ話が進むが、これがよくわからないって感じで、、、。
圧倒的に引き込まれ、迫ってくる感じに欠けるんですね。
総じて絵はいいが、ストーリー、テンポ、訴求力がイマイチかなと。辛口ですみません(平謝)。

わああ(汗汗)私、きっと疲れてたんです!前日前々日とTV感想書いててちょっと寝不足で体調が悪かったし、精神状態も良くなかったんです〜。
あと、「千と千尋」が良かったと思っているので、期待が大き過ぎたのもあるかもしれないです、、監督が宮崎氏でなければ、印象は星4つ絶対つけたでしょうね。
一応私は宮崎氏のにわかファンではないと思ってます。
小さい時も、思春期にも、成人して就職してからも、そして子供が生まれてからも、ずーーっと宮崎アニメを見て来ました。
ただ今まで割と距離を置いて観てたのが、今回はちょっと入れ込み過ぎてたかもしれないです。「千と千尋」を観た時、宮崎監督はこれ以上の作品を果たして作れるかなと思うほど、円熟を極めた作家の頂点を感じたので、あれ以上の衝撃を得られるとはもちろん思ってなかったのですが、それでも物足りなさは感じましたね。
でも、視聴後の子供の反応観ると2号も含め非常に満足してたので、「宮崎アニメはやっぱり最高!」って、星5つをつけられなくなった自分の感性が擦れてしまったんだろうか、私はもう庶民感覚からずれてしまったんだろうかと不安になりますなあ、、、、。
このやたら感動を求めてしまう心理が悪いのかも。アルコール依存症の患者が酩酊感を求めて飲酒を続けても、アルコール耐性ができてしまって2度と心地よい酩酊感を得られない、けれど、得られぬ酩酊感をひたすら求めて飲み続けてるのに似てるかも。
いかん、きっと私、季節の変わり目で、精神状態悪いんですなあ(泣)
いい加減愚痴はこの辺でやめて、気を取り直しポジティブシンキングでネタバレ感想参ります
←パンフの解説者が蒼々たる顔ぶれです(^^)
ハウルは美形ですよ〜v。ソフィもハウルもその心理状態で、微妙にルックスが変化するのがこの作品ならではの面白さでした

○声優
心配された俳優の声ですが、出だしはやっぱり気になりました。賠償千恵子の顔がどうしても浮かぶし(カマリアレイも最初慣れるまで駄目だったヨ)、演技はともかく前日たまたま観たスマスマでチェ・ジウに対する態度が決して良いと思えなかったキムタクへの心証が悪かった(汗笑)
でも観てるうちにソフィも気にならなくなったし、木村拓哉も、ハクやサンよりはましだったので、個人的には合格!三輪明宏と加藤治子は上手いだけでなく、キャラデザが本人そのまんまなので、全く違和感なしなのでした。

以下ネタバレ注意**************************

○軟弱男とタフ女
ハウルは(カブも)今時のイケメン男性。女性の憧れる超美形で、料理がうまく器用で、スマスマさながらにスマートにゲスト女性に接してくれます。
けれど、その実、ものすごく整理整頓が苦手で、容姿が気になり、ちょっとしたことで傷つきどろどろになります(笑)マザーコンプレックスで、自分の師であった女性サリマンの支配を恐れおびえています。
スマートで頼もしく力もあるが、気弱で卑屈。自由を求めて理想もないままに無軌道に外に出かけるハウルは、どうも戦争を止めようとしているようですが、その戦闘機を狙う瞳は好戦的だったりします。
けれどソフィとの出会いで守るべき者を得たハウルは、「家族を守るために外界に出る」という成長を見せ始めます。ハウルの男達はソフィの褒め言葉で奮起する者のようで(微笑)
帽子屋の娘ソフィは、のろいで90歳の老人になってしまっても、心は若さを失わず愛する人の帰る場所を守ることに生き甲斐を見出し、存分に母性を発揮します。彼女の寛容は、彼女に関わる人々を、彼女の守ろうとする小さな世界の住人を幸せにしていくのです。
掃除婦として家を守る女性にとって、外の戦争のカラクリはわかりません。わからなくて良いのです。それに対し生理的に嫌悪感を持っているだけでいい、自分に関わる世界を愛で満たしていることが大事なのです。
外に出て行く男性の帰る場所を整え、時に叱咤激励し、時に癒し安らぎを与え、生き生きと自信を持って労働する老婆は、その心同様にどんどん若返り、いつしか恋する少女に戻っていくのでした(^^)。

○わかんなかった(涙)
・サリマンの真意
何故この世界で戦争が起きているのか、サリマンはハウルに何を期待しているのか、サリマンは何故最後にあっさり戦争をやめたのか??
サリマンの行動理由がはっきりしないのが、作品の筋をぼやかし話がすっきりしない一番の原因だと思うんです。でもそれはそれで意味があって、ソフィーの主観で物語が進んでいるので、さして重要ではないということなのでしょう。たぶん。
世界観社会背景を知りたがるオタク気質が、目を曇らせるんですな(笑)理屈ではなく感性で鑑賞しましょう<自分
・カルシファーとハウルの契約
原作を読んでる人にはわかるかもしれないですが、私は判然としなかったですね。
ハウルは何故カルシファーに心臓を与えたのか、肝心のカルシファーとハウルののろいはどうして解けたのか、私が見落としてるからかもしれませんが、よくわかりませんでした。
カルシファーに水をかけてもハウルが死なないのは、ソフィの願ったことは必ず叶うという魔法があるからだと1号が説明してくれましたが、、そういうことなのでしょうか?映画観た感じでは全然わかりませんでした。観た方、わかったらお馬鹿な私に教えて下され(願)
・荒れ地の魔法使い、カブ、マルクル、ヒン・・・
荒れ地の魔法使いがハウルに惚れてたらしいのはわかるのですが、それ以外にも狙う理由がありそうです。カルシファーを手に入れたかったのかな?
あと、カブの事情もさっぱり。マルクルとハウル、ヒンとサリマンもさっぱり。。まあ、本筋には関係ないからいいか(−−;。

○象徴表現
「もののけ」はあまりにテーマをそのまま主張してるような押しつけを感じるのに対し、「千と千尋」は非言語的だが洗練された表現でしっとりと訴えかけてくるので、見事だったと思ってます。
「ハウル」はライトな作風でテーマ性が薄いかというと、実は割とキナ臭いんですなあ。言いたいことは随所にあるが焦点化してないのです。
穿った見方かもしれないですが、あえて観る側を試すかのような深読み解釈を促している感じもしますね。
それに乗って解釈するのが良いのか、乗らずに胸に秘めておくのが上品な鑑賞者の態度なのか、わからないですが、私個人はついつい乗ってみたくはなる性分ではありますね(苦笑)。
ただ、そういうこと意識せずともまるで自然に五感にしみこんでくるようにテーマが描かれた作品が、クオリティが高いと思うんですが。(いかん、辛口になってきたぞ、汗)

○高齢化社会と女性
高齢化社会に優しいなあ。私が作品から強く感じとったことを強いて言うなら、これですね。
一番心動かされたのは、90歳のソフィが、荒れ地の魔女を優しく介護する姿です。
若い娘であったソフィを一瞬にして老婆に変えたのは他ならぬ荒れ地の魔女です。喩えれば、憎き鬼姑みたいなもんですな。。
ところがその荒れ地の魔女は実はもっと高齢で、魔力を奪われるとよぼよぼのボケ老人になるのです。そのボケた醜態を、「ざまあみろ!」と痛快に見下すという視点がないのが、この作品の良さで、東洋的だと感じます。
力をなくした荒れ地の魔女をソフィは見捨てません。まるで当たり前のように普通に受け入れるのです。ボケた魔女にハウルの命であるカルシファーの火が燃え移った時、ソフィは魔女を救うためカルシファーに水をかけてしまいます。老骸魔女が死んでも、愛するハウルさえ助かればいいわけでないのです。
なんだか、一生懸命老人を介護する女性に対する敬意と温かい支持を感じました。
掃除したり介護したり育児したり、、社会の隅で営まれる女性の地味な日常が内的世界を守り、自分を包む内的世界を守るため男は外世界の激しい戦地に赴くのだなあって。

対立構造を持たない作品世界
こっちが何らかの対立構造で成立する物語を見慣れているせいで、作中その構図を脳内でイメージしとようとするとすっきりしないのですが、そこにこそ監督の狙いがあるのかもしれないです。
荒れ地の魔女を助け介護し、文字通り敵の犬さえも、違和感なく普通に家族に迎え入れてしまうソフィの感性に、はっとさせられるものがありました。
ソフィのもう一人の姑は、いわゆる悪役的ポジションのサリマンです。湯婆よりは大物ですが湯婆同様やっつけられるべき悪人でもないし、それどころかサリマンは銭婆湯婆ほどの争いの背景も何も見えて来ない、、。ソフィの生き方を描くのに悪役の掘り下げなど必要ないと言わんばかり。
悪役と言いましたが、実のところ、この作品には突出した嫌な奴も悪い奴も、聖人君子のように偉い人もいません。まさに脱勧善懲悪脱ヒーローもの(笑)
サリマンはハウルにとって母の象徴でしょう。息子をいつまでも支配しようとする母親は善でも悪でもないんです。
サリマンにとってソフィは息子の嫁でしょう。ソフィはハウルの自立を認めさせる恋人(妻)という新たな母の役割を持つ者ののようです。
ソフィが敵と認識しない以上、彼女の主観通り周囲はみんな味方になって行くのです。サリマンも最後はハウルの自立を認めたようです。
真の母性とは対立構造を作らない寛容そのものなのかもしれないです。
私自身、いつの間にか仮想敵を作って身構えていることがある気がしますが、敵を作らない、敵と意識しない生き方したいなと思いました。
それと印象的だったのは、戦闘機を見上げるソフィがハウルに「敵?味方?」と問うた時、ハウルは「どっちも同じだ」と答えたところです。敵であろうと味方であろうと理由がなんであろうとそんなの知らなくて良い、戦争を嫌だと漠然と思うだけで良いんだという、茶の間感覚を支持してくれてる感じが好印象なのでした。

対立構造を意識しない寛容な生き方、自然や生命の美しさに感動する感性、戦争や暴力を漠然と嫌悪する感性、ソフィのような母性を自分も持ちたいなって。
男勝りな私をそんな気持ちにさせてくれたから、結論はやっぱり宮崎監督は偉大ですな(笑)
ってことで、お後がよろしいようで(^^)。
2004年11月24日

映画「ポーラー・エクスプレス」先行上映鑑賞日記
映画「クィール」DVD鑑賞日記
※映画「ポーラー・エクスプレス」先行上映鑑賞日記 ★★★★★

去年まで信じていたサンタクロースが、今年は信じられなくなって来た。。
子供時代誰しもが通った一瞬、現実を生きる毎日の中でとっくに忘れてしまったあの瞬間を、鮮明に再生してくれたような懐かしい思いに満たされます。
またちょうどうちの2号が、主人公と同じ迷いを持っているので、余計感情移入してしまいました。
成長とともに喪失した何かをもう一度取り戻せたような感傷に、ついうるうる;;;(こっそり泣きました。)
絵本をそのままアニメーション映画にしたような、幻想的映像に、すっかり心はスクリーンの中。しばし薄汚れた現実を忘れ、童心に帰って列車に乗って、一緒に北極に行けましたよ。
ストーリーは深夜に突然現れた列車に乗って、お決まりのサンタクロースに会いに行くベタな話です。
氷雪の中を走る列車の暴走アクションは、みんなどこかで何度も観たような映像ですが(^^;、3D独特の迫力がありました!
デジファンなら暴走デジモン特急を思い出すはず(笑)
トムハンクスが5役演じてるのをモーションキャプチャーでアニメーションにしたものらしいんですが、私が観た限り今までになく人物の表情も動きもリアルで豊かです。
日本語版だと唐沢寿明が5役声優をやってるそうですが、同じ人がやってるとは全然気づかなかったですね。

冬休み、お子様と一緒に観る方にお勧めしたい映画です。優しい気持ちになれますよ(^^)
             ←パンフレットです。

以下ネタバレあり
列車の中で心打たれたのは、家が貧しいゆえに周囲より早く夢を無くしかけているロンリーボーイの寂しさと、それを支えるヒーローボーイヒーローガールの優しさです。
彼らは列車に乗るとき、切符を切られるんですが、日本語版だとヒーローボーイとヒーローガール、知ったかぶりっこは「し」、ロンリーボーイは「る」だったと思います。
帰りの列車に乗る時、また切符を切られるのですが、しったかぶりっこは「しる」ヒーローボーイは「しんじる」ヒーローガールは「しきする(リーダーシップをとる)」、ロンリーボーイは「たよる、まかせる、しんらいする」角度によって変わるフォルグラムカードのようになったのでした。
そう、12月24日、23時55分から5分間の北極までの旅で、それぞれが学んだことなのでした(^^)
主人公がサンタからもらったのになくしてしまった鈴がクリスマスプレゼントになってたのと同様、切符のオチもなかなか味があって良かったです。
でも英語版ではどういう文字が浮かび上がったのか、とっても気になりますね。
字幕版観た方、教えて下さいね。↓ヒーローボーイと切符です。
   

ちなみにうちの1号はこの映画を観て、「私はサンタを信じる!でも疑うとこの列車に乗れるなら、その方がいいかもしれない」と言ってました。3号はもともとサンタを信じているので、信じない子供の気持ちの方がわからないでしょうなあ。。
2号に一番見せたい映画でしたが、あいにく2号はこの日友達の家に遊びに行ってたんですよね。
***********************************

※映画「クィール」DVD鑑賞日記 ★★★★
盲導犬の一生を描いた記録映画だと思われます。
動物ものはその純粋さに参ります。
とにかく子犬時代はかわいらしさに目を奪われ、子供らと夢中で観てしまいました。
子犬は決してしかってはいけないのです。褒めて褒めて、ひたすら子犬時代は愛情を注ぐのが、性格の良い犬に育てるコツのようです。自分の子育ての駄目さがわかってなかなか耳が痛いのでした(^^;
盲導犬訓練時代は、その従順さ、賢さに感動します。じっと「待つ」ことが出来る犬は偉いですなあ。2号は犬が欲しい欲しいと。目が悪くなったら盲導犬もらえるの?と聞いてましたよ。
小林薫の演じるユニークな盲人がクィールのパートナーになります。その奥様役が戸田恵子さん。(思わずマチルダさーんと叫びたくなるバカ)
いかにも邦画らしい人情味あるドラマを存分に楽しめました。
ところが、その盲人が病気でクィールより先に逝ってしまうのです。
3号は葬式の意味が理解できないので、死んだとは思えないようでした。1号2号もちょっと悲しそうでしたが、ここは一番悲しみを感じてるのは私でしょう。
問題はいよいよもってクィールが勤めを終え、安らかに永眠する映像になると、みんな無言。うう、、、、これは、切ない;;
見終わった後、どよーーん;;感動したーって感じでもなく、みんな言葉もありませんでした。
1,2号泣きたいのを我慢してるって感じ。人間が死ぬより、犬が死ぬ方が子供は堪えるんですね。
冷厳なノンフィクションに勝るリアリティはないなあと感心しつつ、でも悲しい映画はやっぱりうちの子(特に2号)は苦手ですね。
口直しにポピーザパフォーマー見ましたが、何話か続けて見てると残酷さで(クィール観た後だと余計効くいてくる)、私と1号は気持ち悪くなりました。
で、ボーボボ観てなんとかみんな立ち直りました!(爆)
とういわけで、クィールは素晴らしい邦画だなって思いますが、最後は悲しいので、ちゃんと心構えがないと観られない映画ですな。
2004年10月19日

映画「リロ&ステッチ」DVD鑑賞日記
最近のディズニー映画では、なかなか見る気にならなかった作品の一つです。
理由は、キャラデザがゴーギャンの絵みたいな南国風なのが好きでないし、「ポカホンタス」が外れだったので、、、
でも3号は見たがってたし、公開時、魚珠さんがお勧めだったので先日レンタルして見ました。
鑑賞と言っても、1号と2号が居間で宿題するのに3号が邪魔なので、流してただけなんですが、途中からものすごく引き込まれるものがあって、いつの間にか家族全員夢中で見入ってしまいましたよ(^^)。
出だしの破壊プログラム脱走までの件りは全然見る気がしないのですが、中盤からラストまではものすごく迫ってくるものあって画面から目が離せないのでした。
総じて星★★★★つ分の感動は得られました。これが映画館だったら、5つつけたかも。
以下ネタバレ感想です。

***********************************
粗暴で、周囲とトラブルが絶えないリロは、姉と二人暮らしです。両親は交通事故で他界し、姉が、リロの養育者なのですが、所詮姉は姉。姉は大人のようには妹と接することができず、姉妹はいつもけんかが耐えないのでした。
若い姉に養育は無理ではないかと疑う福祉局は、二人の生活を視察に来てはリロを施設に引き渡すよう勧告します。
リロを手放したくない姉は自分の養育態度を反省し、友達のいない寂しいリロにペットを飼ってあげて孤独を慰めようと考えます。

ところが手違いで手に入れたペットは、実はモンスターで、そいつは乱暴でいたずらばかりします。けれどリロは、そのモンスタースティッチを決して手放そうとはしないのです。
リロは、スティッチに自分を、飼い主の自分に姉を重ねていました。乱暴なモンスターだったとしても、家族としてその生き物を大事に思っていて自分が手放さなければ、姉も乱暴な自分を手放したりしないと思いたかったのかもしれないです。
しかし問題はそのモンスターの正体は、とある惑星のイカれた科学者が生み出した、破壊欲求をプログラムされたモンスターだったのです。宇宙の辺境に投棄を命じられたのですが、輸送中、モンスターは脱走し、ハワイに降り立ったのでした。

姉はその破壊プログラムスティッチのいたずらや、スティッチを捕獲に来た宇宙人の騒動で、仕事先でアクシデントが重なり、ついに失職してしまいます。
結果、就業もままならない姉では、妹の養育は無理と福祉局は決定を下し、リロは施設に行くことなってしまったのでした。
その別れの朝、偶然スティッチを捕獲に来た宇宙船に、スティッチと一緒にリロまでもさらわれてしまいます。
宇宙船からまたしても脱走したスティッチと姉は、必死にリロを救おうと奮闘します。
いつのまにかスティッチは、リロに家族として扱われたことで、破壊欲望とは違った感情を抱くようになったのでした。
リロのために必死になっている姉を見る福祉局担当者、破壊プログラムのスティッチがリロを慕う姿を見る宇宙人、、どちらも目を見張ります。
スティッチと姉の熱意に、リロと姉とスティッチの3人を家族として生きることを、偉い人達も認めたのでした。
イカれた科学者もその相棒も、邪悪なはずのスティッチが予想外の成長を遂げたことに感激し、地球でスティッチを見守りたいと思うのでした。

こういうバトルもギャグもない作品に興味なさそうな2号も、スティッチがモンスターだってだけで熱中して見てました。
最初スティッチはバイキンマンみたいで、見ててうんと不愉快なのですが、不思議と後半は、愛くるしい存在に思えて来て、見てる者を魅了するんです。
家族の絆を、粗暴な少女と破壊を欲するモンスターの心の交流を通して、温かく感じさせてくれる作品でした。

また宝島は母子家庭、ニモは父子家庭ですが、この作品は姉が妹を養育するという家庭環境で、福祉局の監視下にある境遇とは、なかなかシビアだと感じました。
その中で、10代の若い娘が、幼い妹を手放したくない、なんとか、養育者として認めてもらいたい、と懸命に頑張る姿は、今の日本の世情を鑑みると、頭が下がる思いがしました。
さすがディズニー。家族で鑑賞するのにとっても良い映画だなと思いました(^^)。


トップへ
戻る
次へ