かりス間(SW話題・映画感想)
SWを話題にした日記の過去ログを、一時的にこちらに
移しました。SW話題の間、仮スターウォーズの間です。
それ以外の映画の話題も、こちらに少しずつ移そうと思っています。

2002年09月02日

SWに湧いた02夏
SWに湧いた02夏..字幕フィルム2回、吹き替え2回DLP館1回、計5回、映画館で観るという我が人生映画鑑賞新記録を樹立した夏でもありました。幸せでした。
デジモン02の小説が出版されると尚至福を極めたんですが、、どうなってるんですか?<集英社様

以前ひとみさんから、SWコンテンツを独立したら?と勧められていたのもあって、当面1週間以上経過したSW関連話題は、こちらに移すことにしました。
このコンテンツ新設に踏み切ったもう一つのきっかけは、ゲームデザイナー柴尾英令さんのサイト(http://www.lennus.com/index.htm)のゲストブックに、7月に足跡残してきたところ、こちらの居間を覗いて頂けたらしく、私のEP2感想について柴尾さんのBBSで紹介されておりまして、それで少し気を良くしまして、コンテンツ新設に至った次第です。
だからと言って、もともと来訪者の限られてるここのサイトにどの程度、SW感想を読みにおいでになる方がいるか、はなはだ心もとないのですが、興味ある人ない人双方のため、話題が続く限り少しずつこんな風に整理して参りたいと思います。

尚、SWについて、前述の日記を遡ると、理解が浅かったり勘違いも沢山あるのですが、それがその時の率直な感想でして、その後もSWが好きという情熱で、少しずつ勉強しておりますので、何とぞ生温かい目で見逃してやって下さいませ。

ホント、スターウォーズ(SW)って、面白いです。コンテンツ名も「仮ス間」じゃなく、「好き間」にしようかと思ったんですが、ちょっと好色なイメージが強くなるので(笑)、このように命名しました。
SWのカリスマ?それはもちろん、アナキン様!ではなく、ヨーダに決まってます。はい。
2002年08月15日

映画「猫の恩返し」感想ネタバレ注意!
7月31日、今年も観ました。スタジオジブリ。
どこにもいそうな普通の少女、優しいんだけど優柔不断な主人公。そのあいまいさが災いして「猫の国」で、猫にされてしまう所を、素敵な猫(置物)紳士のバロンや態度は冷たいが頼もしいデブ猫ムタに助けられ、現実世界に無事戻り、主人公は自己決定をちょっとだけできるようになったって話。かな?(笑)
とにかく、全編通して爽やかで微笑ましくてに、口元ゆるみ放し。「千と千尋」がアクセル踏みっぱなしでドキドキハラハラ観てたのを思えば、本当に安心してゆったり楽しめる作品です。娘二人とも猫好きだし、あのぽわーんとした背伸びを知らない少女は不思議な魅力があり、共感を持って画面にひきこまれたようです。
私は猫のムタに、じゃりんこチエの小鉄のような底知れぬパワーを感じました(笑)。
身近な現実から猫の世界が舞台ですから、映像の華かさはそんなにないのですが、さすがジブリ高所恐怖症になりそうな高低の迫力は健在。これだけでも、映画館で観る価値はありそうです。
もちろん「猫の恩返し」は「千と千尋」や「もののけ姫」ほどの大作ではなく、「魔女の宅急便」くらいの出来ではないかというのが、全体の感想です。関連作の「耳を澄ませば」よりは、好きですね。あれは個人的にちょっとこそばゆかったので(^^;

私はいしいひさいちが大好きなので、「となりの山田君」に大きな期待を寄せ、映画館(確か京都で観たなあ)に行ったのですが、内容は悪くはなかったけれど、特に映画館の大画面で味わう必然性を感じなかったんです。家のビデオで観て十分かなと。
その点では「猫の恩返し」も映画館でなくても、という気はしますが、非常に凝った綺麗な背景を大画面で、ゆったりとしたおおらかな気持ちで味わうのも良いかもしれません。女の子のお子さんがいる方には特にお勧めです。9歳1号は、夏の映画4作中(、SW、ポケモン、フロンティア、猫)の中では、一番良かったと満足してますし、「千と千尋」より好みの映画だと言っています。

毎度、気になるジブリの声優起用ですが、虚構の世界生き物猫達は演技のうまい方で固め、現実に生きる人間は、素人っぽい感じのナチュラルな演技の方を起用してるようで、今までに比べさほど気にならなかったです。それがジブリのより自然体な作品カラーだろうと、こっちが思えるようになったからかもしれません。
2002年08月14日

映画ギプリーズEP2について
ついでに、、
映画ギプリーズEP2について。ネタバレ注意!(EP2と言うのが笑えます。)
うーん、正直最初のカレーの話くらいでやめておいても良かったような、、ちょっと幼児連れには子供が飽きてしまって、困りました。なまじトイレタイムが入って、皆ぞろトイレに並び、女子トイレの長蛇の行列で「猫の恩返し」の冒頭を見損なったのも、こちらの心象悪くしてますね。
確かにすごい作り手の挑戦意欲が伝わってくる映像でしたが、幼なじみとの「小さな恋の物語」あたりはいささか間延びした感が否めないです。OL達(高年齢層)にとっては、ノスタルジーに浸れる心地よい時間だったかもしれませんが、「猫」本編の前座的位置で捉えるなら、もう少しテンポの良いギャグ満開の展開であれば、全ての層の集中力が続いたかもしれませんね。
もちろん、カレーの話は素直に面白かったです。
4コマ漫画の魅力を映画館の大画面にどう描いていくのか、一つの試みを感じたことは確かです。
2002年08月13日

猫」からの連想
「猫の恩返し」の中に出てくる「猫の事務所」。「猫の事務所」と言うと、同名の宮沢賢治の寓話の方が私にはポピュラーです(笑)。
うだつがあがらないけどまじめなカマ猫、それをいじめる集団構成できない猫の利己的性質のイメージ(笑)。
もともと宮沢賢治は猫が好きではなかったらしく、登場頻度に比べ基本的に猫にいい役はないのですが、だからといって憎めない役どころが多いのです。

実はもともと日本人の猫観には、従順ではなく、ずる賢く卑屈というイメージがあるのは、ことわざや慣用句を見ればわかります。
アニメ映画「銀河鉄道の夜」では、登場人物をますむらひろし氏デザインの猫にすることに、賢治の弟宮沢清六氏が難色を示したのですが、あの世代にとっての猫のイメージからして(賢治自身の猫観からしてもも)当然だと、当時思いました。

しかし、どうも最近「猫」というと「キティちゃん」のイメージなので、子供らにとっては可愛い心優しい純真な生き物に映ってるかもしれません。我が家の1号3号は「キティちゃん」に馴染んで育ったので、猫は優しい生き物です(笑)
私にとっても猫は、犬より「自由気ままでかわいい」憧れの生き物ですね。

さて、連想続けて、猫と言えば、なんてったってまんがは大島弓子の「綿の国星」、歌は谷山浩子の「猫の森には帰れない」。私にとっての猫と言ったらこれが決定版です!
かわいいかわいいそれでいて、人間なのか猫なのか自分を取り巻く世界の中で己の存在を問うてるイメージです。
「猫の恩返し」と「猫の森には帰れない」発想はどこか、近いような遠いような。。。

「猫」について続けて連想すると、デジモン公式掲示板で「猫が行方不明」というHNを見て思わず、「その猫の特徴を教えて下さい」とレスした、おばかこの上ない私。確かフランス映画の題名だとか(恥)。猫さん、お元気でしょうか?
2002年08月06日

続ジェダイの入門
その後おもちゃのライトセーバーを肌身離さず腰に付けている2号。寝るときは枕もと、風呂にもちゃんと持って行く。「ライトセーバーはジェダイの命だから」と。
EP1のDVDも観始めて、ライトセーバーのシーンには立ち上がり、クワイガンやオビワンの動きを見てアクションをまねている。
ビデオを観終わると外で素振りをしていたが、切りかかる相手に事欠いて、あちこち庭木や柱相手にチャンバラしている毎日(怒)

さて、日曜は夏祭り。2号は腰にしっかりライトセーバー提げて、颯爽と祭りに出かけ、歩行者天国で振り回すとあちこち若者に「お!SWだ!ライトセーバーだ!」声をかけられ、有頂天(笑)。2号は縁台将棋大会に出場したが、しっかりライトセーバーを対戦相手に見せる始末(笑)
そろそろ帰ろうとふと見ると、2号がいない。あれ?どこだ?
「!!」発見したのは青鬼君、唖然、、、、。なあーんと、2号が、交通整理の警備員に切りかかってるではないか!相手は赤いライトセーバーを持っているので、成敗しようとでもいうのか!!!!

翌朝、1号が密告した。
「ママ、2号からライトセーバー取り上げて!ライトセーバーは防御にしか使っちゃいけないのに、2号ったら、ライトセーバーで私のスカートめくったんだよ!!絶対ダークサイドに落ちてるよ!」

、、、、。偉大なるマスターヨーダ。よくわかりましたよ。ジェダイが生後6ヶ月以内に入門しないといけないって戒律は、こういうことだったんですね。(違!)
2002年08月05日

ジェダイの入門

2号、小学3年。全く興味を示さなかったスターウォーズを、親友S君が(かつてデジモンを布教してくれた)大好きで、映画に一緒に行くことになった。平行して私と娘達は「猫の恩返し」を観ることに。
しぶしぶS君に付き合った2号、EP2の理解は無理だろうな。。。(溜息)
鑑賞後、S君は目を輝かせて
「僕、大きくなったら、絶対ジェダイになりたい!」と真剣な顔で話した。なんと2号も「俺も!」
やった!刷り込みに成功!!と喜んでいると、1号が冷たく言い放つ。
「ジェダイになんかなったら大変だよ。結婚とか好きなことできないんだよ。第一あんた達は無理よ。年を取りすぎてる!年取ってからジェダイになるとダークサイドに落ちるんだからね!」
1号ちゃん、さすが、よくわかってらっしゃる。(^^;
続けて「私はハリーみたいに魔法使いの方がいいと思うよ。」
「ジェダイも魔法使いも同じようなもんだわな」と心の中で苦笑。

とにかく、すっかりその気になった2号、この機会につけこんでSWマニアに育てよう!
と早速その足でトイザラスへ。おもちゃのライトセーバー999円のを買い与えた。S君はメイスウィンドウ色紫を、2号はオビワン色緑を。
「いいか!そんなの振り回して家の中でチャンバラしたら、即取り上げるからね」と釘は刺しておいたが、2号の目はまるで取り憑かれたように眉間に皺を寄せ、用心棒にでもなったようないかめしい顔。多少の不安を感じた、、、。(続く)
2002年08月03日

映画「海辺の家」感想(5)父性愛 ネタバレ注意!
作品の大きなテーマは死を目前にした主人公による「人間の絆、家族の再生」ということと思うが、その中に隠れているもう一つの現実的テーマとして、「ドメスティックバイオレンス」の被害者が、その心の傷に正面から立ち向かい父性を確立することにあるような気がする。私は、「死の受容」以上に、ジョージの「虐待連鎖」を断ち切る決意、非暴力の決意に大きく心打たれた。
ややもすると、性描写と共に暴力もヒートアップしそうだが、ドラッグに溺れる不良息子を相手に、「俺は絶対暴力を振るわない」という父親の姿勢は、作品を安心して観られ、好感が持てた。
ビデオで観た「ペイフォワード〜可能の王国」でも感じたが、かつてドメステックバイオレンスの被害者が、その子供の頃の記憶を子供に語る形で、問題提起する展開は興味深い。男性が男性の被害者として、正面からこの問題を捉えるからこそ、意義深いのである。
父親から暴力受けた少年の心の傷は、その子の人生に暗い影を落としつづけるが、過去を乗り越え、自分はよりよい父親であろうとする父性には、素直に感動を覚える。
親になること、我が子と接することは、自分の本性と向き合う人間の試練の時でもある。写し鏡のように、自分の親と似ている自分、自分の子供時代と似ている子供と向き合わなければならない。
子供は親を選べない。自分は子供心に親の理不尽さに耐え続けるしかなかった、それでも親はかけがえない存在でどんな虐待を受けても、離れることはできなかった。幼い心に抱える矛盾、亡き父への複雑な思い、せめて我が子には、その矛盾を消し去りたいというジョージの父性愛は、尊いものに思えた。
その父性愛が、ラストのサムのヒューマニズムへの目覚めとして、見事に結実していくのである。
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以下総じてです。
「人生は獲得と喪失の連続である」
作家浅田次郎氏がプログラムに寄せた文章、「『海辺の家』に寄せて」の冒頭の文章である。ジーンときた。
家を建てること、それは私たち親の世代にとっては、一世一大の偉業であった。少子化が進み、高度経済成長期に勤労貯蓄を重ねた私達親世代の多くは、子供に家や土地を買うのに援助するだけのゆとりを持っている。浅田氏の解説は、特に60、70年代の日本人の大きな人生の目標だったことを指しているように思う。
今のご時勢、親からの相続があり、土地や家を得ることの苦労をさほど知らずに育つ若い世代には、家にかける人の思いや夢がこの作品から伝わればいいなと思う。
私はプログラムの解説を必ず鑑賞後に読むことにしているが、それを読むまでもなく、私も大好きな作品「刑事ジョンブック」の家の建築シーンが、「海辺の家」と重なって脳裏をよぎった。
以上、
まあ私の嗜好の問題を外せば、とてもいい映画ですよ。。あれだけ皆様涙しておいででしたから、そういう感動を求める方にはお勧めです。
とにかく、テーマ自体には誰もが共感を覚えるだろうし、ヘイデン君の魅力にはときめきますよん。
2002年08月02日

映画「海辺の家」感想(4)魅惑のヘイデン・クリステンセン ネタバレ注意!
映画「海辺の家」はEP2撮影後、製作された映画で、全米公開はEP2より先と言うタイミングだったらしい。「海辺の家」のプログラムや公式サイトでは、EP2を低く評価する傾向があるのは、どこか正統派映画の作り手の意地を感じさせる。

主人公がCGを使わないデザイナーってのが、気のせいかCGだらけのSWを皮肉ってるようで笑える。

でも、EP2のヘイデン君と「海辺の家」のヘイデン君とどちらがいいかという選択自体がナンセンスだなと私は思う。だって、どっちもヘイデンですから。まあ両方の作品観てからコメントするのはありかなとは思うが、EP2から流れてくるヘイデンファンにはどっちも良いわけで、比較はできない。
良し悪しはヘイデン個人というより、EP2と「海辺の家」どちらが作品として好みかという違いが左右する気がする。

それに実は役柄も演技も、アナキンとサムはかぶってる部分はある。どちらも繊細で憂いを秘めた未成熟な若者で、落ち着きがなくキレやすい性格傾向や、怒りと苦悩で見せる表情は重なっていた。父との葛藤と師との葛藤、年上の女性への性急な求愛と隣家の性に関心を持つ少女に誘惑される衝動的恋心という点で似ている。
違いは、サムは現実が舞台だから、自然な演技が要求されたろうし、16歳思春期真っ最中らしく、心身より幼く演じていた。すごい痩せた〜、、、。まさに高校生の体型。5月の来日の際もすごいスリムて、トゥ−ンウィの友達が同類と思うほど(笑)。
でも、これが数年後ヴェーダー体型になるかと思うと、複雑な気分;

一方サムと違い、アナキンは成人していて、才能にうぬぼれる自信家。それになんせ背負ってるものは個人的事情ではなく、全人類的運命という激しく現実離れしているから(笑)全然立場が違う。
どちらかと言われれば、どっちも好きだが、私はやっぱりライトセーバー振り回してかっこいいアクション決めるアナキンの方が好きです。年上の女性に淫靡な視線を送るやや成熟した男性役の方が良いですね(笑)

いえね、アナキン母としては、映画館内年増魔駄無の衆人環視の中、かわいいあたしのアナキン坊やが、如何にも軽そうな女の子とのああいうシーンは痛くて、モルヒネ鎮痛剤が欲しいほど(泣笑)。パドメにも嫉妬したけどさ。くそううう、、、、

ヘイデンの迫真の演技は、息を呑むものがあり、観衆を黙らせ、見入るしかないような圧倒的表現力がある。オリビアハッセーの「ロミオとジュリエット」でのマキューシュオの劇中劇のような、狂気をかぶったような迫力は、ルックスが良いだけではないすごい演技派だと思う。ネイティブな演技より過剰な演技の方が真価が発揮されるタイプなのでは?

サムはあの格好の割に、内面はそんなに腐っていない。現実にああいう生徒が身近にいると、親はまず教育する気ないか、体罰で押さえつけるかの両極端で、なかなかああいう風に向き合って心を通わせるに至るほど、現実の不良は簡単にはいかない。だからこそフィクションで、描く理想が意味があるのだが。などどつい身近なことを考えてしまった、、、。
サムがたいして攻撃性を制御できずに荒れてる子ではないと即わかるのは、家を壊してる所で伺える(笑)。不良は基本的に破壊行為は好きなので、ああいう手伝いは好む。物を壊してる時は異常な興奮を感じるらしく、呆れるほどむちゃくちゃやるのが粗暴な不良の常。その点、サムはまだアナキンほどの攻撃性はないらしい(笑)

でも近頃の鬱屈してる人々は、外には当たらず、ネット上で憎しみをぶちまけ、攻撃性を発散するのが流行りだから、実はサムもそういうタイプなので、ネットできないことであんなにショック受けたのかも(笑)。
2002年08月01日

映画「海辺の家」感想(3)辛口版 ネタバレ注意!
具体的に入り込めなかった点をあげると、
1、性描写への抵抗
スキンシップが人の心の安心を生むという点では共感できだが、やはり中年の保守的ママには、母親が娘の恋人と寝てしまう展開や、再婚相手がいながら元夫と息子達の前で浮かれる妻の姿はあまり、観ていて気持ちよくない。
これが「卒業」なら、その事実と真剣に対峙しているから、青春の揺らぎとして捉えられたが、母娘の葛藤の描写は少なく、青春の通過儀礼のごとく何事もなかったように帰結していくのがなんとも(^^;
また、本物のワルだからだろうが、ジョシュも未成熟な少年の一人である。あの扱いはかわいそうで私は彼の怪我は笑えなかった。。。。

アリッサの性への好奇心からの行動も、ちょっと生理的に私はうけつけない。男性を安易に挑発することは、「野獣」の前でえさをちらつかせてるのと同じで危険だし性を売リ物にするのは下品だと思ってしまう(笑)
友人とその父親とのキスの違い、性的感覚の違いを確かめるあたり、うーん、このストーリーに必要なファクターだったんだろうか、、、「高校教師」的でエキセントリック過ぎる気がするのだが、あちらの国の実態としては日常的光景なんだろうか、、、?

にしてもヘイデン君は、EP2でも女にはリードされる役だし、女難の相ありと見た(笑)

2、来るべき死の受容
うーん、これもかなり個人的な突出した感情があって、素直には受け止められないものがある。死を前に、人間の尊厳は現代日本の医療現場では、なかなか守られるものではない。こういう告知自体も、その後その患者に「モルヒネ」与えて自由に泳がすなんてケースは、私が知り得る医療現場ではまず考えられない。ものすごく高齢者ならあるいはあるかも。(私の知ってる例では、88歳なのに癌のため内臓を何キロも取り出す手術をして、何日延命に成功したか、医療の限界に挑戦してた症例があったなあ。若い女性の研修医があれは酷いと嘆いていた)
即入院、即検査、様々な医療が施される。なぜなら不治の病ならば、効果的治療法を
模索するためにも、病気と闘う本人のためにも、あれこれ試すのが良いと考える医師が圧倒的だからだ。告知の問題もああいうケースでは、まず医師は躊躇うだろう。「癌と闘うな」という近藤誠医師のような考え方で実際に医療を行っているところは、日本にはまだそんなにない気がする。
とかそういう現実の方が頭をよぎって、ああ、お茶の間のヒューマンドラマだなあって気がして、所詮作り話だなあと思える私は、やっぱり心の病気ですか?<おすぎ様

3、構成
意図的かどうかはさだかでないが、時間の流れ通り展開しているのが、作為がなくていいのだけれど、どうもその分最初のテンポが悪すぎる気がして、、、。やっぱりテンポのいい娯楽物の見過ぎかもしれませんねえ。
一番素人ながら工夫があっても良いのでは?と思ったのは、失業して、失神して病院に担ぎ込まれて死の宣告という流れが、嘘くさい(笑)。そんなに一気に人生の不幸がくるかってのと、その現実を受け止め、次の目標に向かう姿は強いと驚嘆するが、そこに至る葛藤悲嘆の過程すっ飛ばして行っちゃうあたり、うーんテレビの2時間ドラマにありそうだなあなんて思っちゃいました。入院してから死の瞬間までの描写がない辺り、うまいといえばうまいが、はぐらかされる気もしたので、、、。
どうせ現実受容をはしょっちゃうなら、いっそ、家を建築を始めてから、過去を回想していく構成の方が、テンポは良かったかも。

もしこれが、デジモンだったら、アニメという完全な虚構とわかりきった中で描かれるひとつのエピソードなら、すんなり感動するのだけれど。でも「死の受容」を主軸に置いたストーリーはどうも私はだめみたいです。
2002年07月31日

「海辺の家」感想(2)辛口版 ネタバレ注意!
「海辺の家」の公式サイトで、おすぎさんの推薦メッセージが聞ける。「私はおすぎさんに言わせれば、「病院へ行って診て貰った方がよい鬼」のようだ。すみません。泣けませんでした〜!!(どうせ鬼を自称してるもん。笑)。
おすぎさんはそりゃあ絶対、「海辺の家」のヘイデン君に萌えるでしょうなあ(笑)。いやあ、マダムや、その道の方は萌えますよ。あれは。(おい)
レディスディ1回目上映ともなれば、場内中年女性圧倒的(その中の一人です)、若い女性もいますがほとんどヘイデン君より年上オバンの熱い視線の中、シャワー室のシーンは、可愛そうだったりして、、、私が彼だったら、あの客を見たら、嫌だろうなあ(^^;

あくまで、個人の嗜好の違いだろうが、私はEP2には涙したが、「どうぞ存分に泣いて下さい」といわんばかりの演出に、場内すすり泣きだらけの館内では、ちょっとひいてしまう、、、(人非人!人の面かぶった鬼!いや豚の面かぶった鬼!)はい、まさしくそうです。
予定調和が見え切っているので、意外性がないというあたりも心揺さぶられない要因かも。。

いや多分、現実が舞台だとかえって話ができ過ぎた気がして、フィクションの世界にのめりこめないのだろう。オリビアハッセーのロミオとジュリエットには感動したが、大好きなディカプリオの「ロミオとジュリエット」現代版は残念だが笑ってしまった。って心理に近い。
若い時、卓球の一流のプレーヤーの練習に立ち会ったことがあったので、映画やテレビで卓球を扱ったシーンを観ると、華麗な技を披露しているはずの役者のフォームが、合理的でない、あんなに大きな振りで力入れてたら安定したプレーはできんな、なんて思うと、どこか虚構の世界に入る前に壁が出来てしまって、作り話の世界に自分の心を飛ばすことができない。同じ理由で、病院ドラマ学園ドラマの安直な展開は基本的にだめ。でも逆に作り話だからと割り切って楽しめることもあるにはあるし、そういう嘘くささを凌駕する圧倒的訴求力みたいなのがあれば、感動を得られるのだが、
「海辺の家」では残念ながら、そこまでの気持ちには至れなかった;

ああ、きっと素直でない私は心が歪んでるだわ。心が麻痺してるんだなあ(涙)。


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