ハサミ牛伝説のあらすじ



 ニュージーランドの片田舎に住む一人暮らしのお婆さんが、家に集まって来た村の子供たちに語って聞かせる物語。暖炉のそばの肘掛け椅子に座って毛糸王を膝に乗せているお婆さんをぐるりと取り囲んだ子供たちは、お婆さんが口を聞くのを今か今かと待っている。やがてお婆さんはその優しい眼差しで、いつもは騒がしいがこの時だけはおとなしい村のやんちゃ坊主たちをひとわたり見回すと、膝の上でゆっくりと編み捧を動かしながら穏やかな口調で次のような物語を語り始める。
 この地方の森にはずっとずっと昔から「ハサミ牛」という牛が住んでいる。その角と尻尾がハサミの形をしていることからそう呼ばれるハサミ牛は、その存在をはっきりと確認した者はいないが、誰ひとり知らぬ者はいない伝説的な存在である。太古の昔から代々語り継がれて来た伝説によると、ハサミ牛のはさみは恋人たちを結ぶ赤い糸を切るはさみで、ハサミ牛に見られたカップルはその恐ろしいはさみで二人を結ぶ赤い糸をプツンと切られ、それと同時に二人の愛も断ち切られてしまうという話だ。そのハサミ牛の瞳に見つめられたために今まで数え切れないほどの恋人たちが哀しい破局を迎えたという。
 だからこの言い伝えを知っている長老たちは恋人たちに向かって、「問違ってもハサミ牛の森に近づいちゃならねえ、ハサミ牛があの大きな角でお前たちの赤い糸を切っちまっても良いというのじゃなかったらな」といつも忠告するのである。
 しかしこのような言い伝えを素直に信じる者ばかりではない。特に若い者たちはそうである。熱烈に愛し合っていたカップルが長老の忠告を無視して例の森で逢い引きしていた。深い森の奥まで踏み込んで木の実を採っていた二人は、何という運命の巡り合わせか、ハサミ牛と出逢ってしまう。気が付いたときには、ハサミ牛の視線はじっと二人に注がれていた。二入はあの恐ろしい伝説を思い出し、はっとお互いの顔を見合わせる。すると、二人の愛がもうすでに途絶えてしまったもののように感じられ、青年も娘もぞっとして後ずさった。二人は長い混乱の後、ハサミ牛に切られた愛を元どおり繋ぎ合わせるためには、二人を見つめた当のハサミ牛の左右両方のはさみ角を切り落として、二人の血で染めた赤いリボンを巻いてその二本の角を一つにくくり合わせなければならないということを思い出し、そのハサミ牛の後をを追うが、時すでに遅く、その姿は何処にも見つからない。幸運にも娘は、そのハサミ牛の左の眼が真っ青な色をしていたということを憶えている。
「青眼(ブルー・アイ)か。」と青年は言った。「何としてもあのブルー・アイを見つけだし、ぼくたちの愛を取り戻すんだ。」
 こうして二人の長くつらい旅が始まるのである。青年と娘は、木の実と小川の水で命をつなぎ、夜は野宿をして、広大な森を何日もさまよい歩くが、ブルー・アイは見つからない。その間も、二人はお互いの愛に対する疑惑で気が狂いそうになるほど苦しみ抜く。本当に二人の愛が壊れでしまったのかは判らない。決してそんなことは無いような気がして来て、ハサミ牛を探すのをやめてこのまま帰ってしまっても大丈夫なのではないかと思うときもあるが、そういう気持ちは長くは続かない。自分たちは今でも問違いなく愛し合っているのだと二人が狂喜するような出来事があっても、その後にはすぐ、自分のあるいは相手の愛を心底から疑わなけれぱならないような事件が必ず起こり、結局自分たちはもともと愛したことなどただの一度も無かったのだと思い悩むことになる。
(読者サービスのため、これに関する挿話の一つとして、森の湖で娘が水浴びをする場面を入れる。このとき娘と青年とは激しく愛し合うが、その後、二人の愛はやはり幻に過ぎなかったのだと絶望しつつ夜明けを迎える。呼び交わす小鳥たちの無邪気で幸福そうなさえずりを聞いて、娘は鳴咽し、青年は大木の幹を拳が血まみれになるほど殴り続ける。)
 こんなことを何度も何度も際限なく繰り返しながら、二人はずたぼろになって旅を続けてゆく。やがて二人は森の住人ゲバゲバと出逢う。彼はブルー・アイがもうこの森にはおらず、何処か西のほうに向かったのではないかと予言する。二人はゲバゲバの不思議な魅力に魅せられ、彼の言うこどを信じる。
 そしていつしか二人は森を抜けていた。眼前には遥か広大な大地が果てしなく広がっている。
「あの何処かにハサミ牛がいるのね。」
「待っていろ、ブルー・アイ。ぼくは草の根分けてもお前を捜し出してやる。」
 二人の旅は続く。ハサミ牛を求め彷徨う地獄のような放浪の日々が、二人を逞しく成長させていく。
 一方、二人の知らない所では悪党の一味が動いている。謎の義足の男の率いるその悪党たちは数日前からハサミ牛の森を探索していた。伝説のハサミ牛を手に入れることが出来れば、それを利用して一儲けすることが出来る。しかし、そのハサミ牛がいつまでたっても見つからないので、義足の男は苛立って部下に当たり散らす。そうこうするうちに悪党たちは、森の住人ゲバゲバの住家を発見し、中に踏み入る。悪党どもにハサミ牛のことを教える訳には行かないと考えた森の住人ゲバゲバは、何も知らないとしらを切るが、教えなければ森を全部焼き払うぞと脅され、ついに口を割る。森の住人ゲバゲバがこれ以上森を荒らされることに耐えられなかったのは無理もないことだ。この出来事は青年と娘がゲバゲバと別れてから一週間後に起こったことである。悪党たちはハサミ牛が何処か西の方へ向かったということの他にはそれ以上何も聞き出せないと判ると、ゲバゲバを何のためらいもなく射殺する。一味がそこを立ち去ろうとしたとき、突然茂みの中から赤毛の青年が現れ、自分を仲間にしてほしいと願い出る。
 しばらくのやり取りの後、義足の男はその願いを間き入れて赤毛の青年を仲問に加え、一行は西へと向かう。この赤毛の青年はこの先ずっと自己犠牲的と言っても良いぐらいの働きぶりを見せるが、どうして悪党たちにそこまで尽くすのかは謎である。
 こうして若い二人と悪党一味とのハサミ牛争奪を巡る熾烈な戦いが始まる。悪党たちがハサミ牛を狙っていることを知った青年と娘は、もしも彼らにハサミ牛を奪われたら二人の愛は永遠に元通りにならないのだということを思い、死に物狂いになってハサミ牛を捜し回る。もちろん悪党たちのほうも負けてはいない。義足の男のハサミ牛に対する執念は凄まじいもので、何故彼がハサミ牛にそこまで情熱を傾けるのか、それは部下たちにとってさえも不可解なほどである。義足の男はハサミ牛を手に入れるために非道の限りを尽くす。もはや一匹の邪鬼と化していた義足の男は、何度も青年と娘の命を狙う。その度に二人は危機一髪のところで死を免れるのだが、それは例の赤毛の青年のひそかな功労によるものらしい。やがて赤毛の青年の不審な行動に感づいた悪党たちは彼をあの青年と娘のスパイではないかと疑って恐ろしい拷間にかけるが、赤毛は否定し続ける。そうしていると、義足の男がそこにやって来て、部下たちの勝手な行為を咎め、赤毛の青年を許すよう命ずる。義足の男はその恐るべき眼力によって赤毛の青年の心中をすべて見通しているようである。後になって義足の男は部下たちに言う。
「あの赤毛はスパイではない。あれは我々のために進んで役立ってくれる男だ。」
 ある日、赤毛は青年ど娘の前に姿を現す。驚き呆然とする二人。どうやら三人は知り合いのようである。そうだ。三人は幼なじみだった。二人の青年が同時に同じ娘を愛し、赤毛の青年が破れた。赤毛の青年は、娘とその恋人とがハサミ牛に赤い糸を切られたこと、そしてその二人が再びハサミ牛に会ってその糸を繋ぎ合わすための旅に出たことを知る一方、村の噂で悪党一味のことを聞き及んだ。娘のことを愛していた赤毛の青年は、もしこの悪党たちがハサミ牛を手に入れることに成功すれば二人の赤い糸は永遠に切れたままだと考え、危険を覚悟で悪党一味に加担したのである。赤毛の青年と二人との間に哀しげな視線が交わされる。
「ぼくは君たちの仲が壊れるのを何年も何年もずっと待っていたんだ。ハサミ牛を探すのはもうやめろ。君たちの愛ははもう終わったんだ。」
「いや、やめる訳には行かない。ぼくたちは二人の愛を取り戻すまで、地の果てまででもハサミ牛を追い続ける。」
 それを聞いた赤毛は一瞬ギラリと眼を光らせると、剣を抜いて青年に切りかかる。青年は鞘を払って赤毛の太刀を受け止め、二人は哀しい切り合いを始める。二人ともやめてと泣きながら叫び続ける娘。
 途中で邪魔が入ってこの対決は勝負がつかないまま終わる。その後も赤毛は、旅を続ける二人の前に何度も現れて宿命の決闘を挑むが、どれも決着がつかないまま終わる。
 ある日、青年と娘は一匹のハサミ牛に出逢う。まだハサミ角が発達していない、ほんの子供のハサミ牛である。未発達のハサミ角には赤い糸を切る力は無い。危険が無いと判ると、二人はそのハサミ牛の子供に近づいて行くが、青年がそのハサミ牛の左目が青いことに気が付いて顔色を変える。これは二人の赤い糸を切ったあのブルー・アイの子供なのだ。青年は怒りと憎悪に駆られてこのハサミ牛を殺そうとするが、娘がそれを止めに入る。
「お願い、やめて! 殺さないで! この子にはなんの罪も無いわ!」
 二人は取っ組み合いの大喧嘩をするが、娘の、殺すなら先にこのあたしを殺してからにして、の必死の言葉に打たれ、結局は青年の方が折れる。青年はそのまま行こうとするが、娘はこのハサミ牛の子供を旅に違れて行くと言い出す。烈火のごとく怒り狂って猛反対する青年に、娘は嘆願の言葉を発する。
「きっとお母さんとはぐれちゃったのよ。あたしたちこの子のお母さんに会いに行くんだから、一緒に連れて行ったっていいじゃない。可哀想に、まだこんなに小さいのに。子供にはどうしてもママが必要なの。判るでしょう?」
「ぼくたちはそのママを殺しに行くんだ。自分の母親が殺されるところを見せるためにわざわざこいつを連れて行こうというのか。そのほうがよっぽど可哀想で残酷だ。」
「殺す? どうして殺すなんて言うの?」
「ハサミ角を折られて、ハサミ牛が生きていられると思うか?」
「でも、そんなの判らないじゃない。あたしこの子を連れて行くわ。だれが何と言おうとこの子をママのどころに連れて行く。」
「だったら勝手にしろ! 後でどうなっても知らないからな!」
 こうしてブルー・アイの子供のハサミ牛が旅に加わるが、ここにおいて青年と娘との険悪なムードは最高潮に達する。二人はもはやお互いに全く口を利かず、娘はハサミ牛の子供にだけ話しかけ、青年はそんな娘とハサミ牛の子供を憎悪のこもった眼差しで睨み続ける、といった日々が続く。しかし、ある嵐の夜、ふとした弾みで崖から足を滑らせて谷間の川に落ちたブルー・アイの子供を助けるため、青年は断崖の上から激流に飛び込む。青年は何とかブルー・アイの子供を救い出したものの、高熟に冒されて生死の狭間をさまよう。娘は安全そうな洞窟を見つけだし、そこで青年を献身的に看病する。ハサミ牛の子供は何処からか木の実を取って来たり熱冷ましの薬草を探して来たりする。そんな日々が何日続いただろうか。やがて青年は眼を醒ます。ブルー・アイの子供が顔を舐めている。娘は泣き出す。そして二人は数箇月振の心からの微笑を交わす。青年がすっかり回復するのを待ち、一行は旅を続ける。
 数日後、二人は荒野の真ん中で野垂れ死に寸前の赤毛の姿を見つける。愛に狂ったこの赤毛の青年は、結局、数筒月というあいだ悪党たちに利用出来るだけ利用された揚げ句、最後には、まるで使い物にならなくなったぼろきれか何かのように野に打ち捨てられたのである。青年と娘は何とかしてこの可哀想な幼友達の命を助けようど手を尽くしたが、発見が遅すぎ、すでに手遅れの状態だった。赤毛の青年は愛する女の腕の中で息を引き取った。彼は事切れる直前、君の胸で死んで行けるなんてぼくは幸せだ、と切れ切れの声で呟き、それから青年に向かって、ぼくの分までこの人を愛してくれと、言い残す。それが最後の言葉だった。娘と青年は、運命に翻弄され愛ゆえに悲惨な最期を遂げた幼なじみの死を悼んで熱い涙を流すとともに、血も涙もない極悪非道の悪党どもに対する激烈な怒りと憎悪を感じる。彼らは懐かしい友を手厚く葬ると、必ずハサミ牛を捜し当てて見せるという決意も新たに、旅の歩みを再開する。
 それから更に数日後、その日は朝からハサミ牛の子供が鼻をクンクン言わせてある一つの方角へとどんどん歩き続けていた。きっと母親の匂いを嗅ぎ付けたのだ。そのハサミ牛の後について歩いて行く二人。この子をどうしてもママに逢わせてあげたいの、などと可憐なことを言いながら、娘がこのハサミ牛の子供を旅に連れて行くこと主張して聞かなかったのは、成る程こういう利用価値があったからなのかということに気が付き、青年は今更ながら女という生き物の計算高さに戦慄を憶える。日が暮れるころ、ハサミ牛の子供の足がますます速くなり、いよいよ近くまで来たかと思ったとき、突然例の悪党一味が現れて彼らの行く手を阻む。気が付くと二人は既に囲まれている。
「ご苦労だったな君たち。」義足の男は不適な笑みを浮かべて言う。「ブルー・アイの子供をこちらに渡してもらおうか。ハサミ牛は我々のものなのだからね。」
 二人は力の限り抵抗するが、武器を手にした屈強な大男たちに囲まれては成す術も無く、ハサミ牛の子供を取り上げられた上、大木の根元に縛り付けられてしまう。悪党たちの手で檻に入れて木に吊るされたハサミ牛の子供が哀しい鳴き声を洩らす。こうすれば親がやってくることは聞違いない。
「どうしてこんなひどいことをするの?」娘の叫び声がこだまする。
 義足の男は無表情のまま、
「復讐のためだ。」と感動の無い声で言う。
「復響?」
 そこで義足の男の哀しい過去が明らかにされる。数年前、彼はハサミ牛のために最愛の恋人を永遠に失ったというのである。ハサミ牛に見られた彼とその恋人もまた、ハサミ牛を追いかけた。そしてその途中、彼の恋人が崖から足を滑らせて死んだ。その後数週間かかって例のハサミ牛を見つけだし彼は、復響を遂げようとして失敗した。
「そのとき奴にやられたのがこの足さ。」と彼は自分の義足を指差して自嘲ぎみに言う。
 深手を負った彼は、恋人との思い出のある故郷を避けて外国へ渡り、そこで悪の秘密結社を創設する。様々な悪事を働くかたわら、再度の復讐の日に備えて剣の腕を磨き、教年の月日を経た今、有能な部下たちを引き連れてこのニュージーランドの最果ての地に舞い戻って来たのが彼なのである。そしてその復響すべき宿怨のハサミ牛というのが他ならぬあのブルー・アイなのであった。彼は、ブルー・アイを利用して、恋人という恋人たちの仲を片っ端から引き裂き、そのあと金持ち連中からの依頼を引き受けてがっぽりと儲けさせてもらい、その憎いハサミ牛を心行くまで弄んでから最後にはなぶり殺しにしようというのである。
 その時、ブルー・アイが現れ、義足の男との死闘が始まる。義足の男が勝利を収めるかと思われたが、最後に形勢が逆転し、結局はブルー・アイが勝つ。敗れた義足の男はばったりと地に倒れる。そして息を引き取る前に手の中でロケットを開くが、そこにはかつての恋人の写真があった。義足の男は恋人の名を呼び続けながら事切れる。ブルー・アイに睨まれて一斉に逃げて行く部下たち。義足の男の最後は淋しく哀しいものだった。
 ブルー・アイは青年と娘とを縛っていた縄をかみ切ってくれる。二人はブルー・アイの子供を檻から出してやる。ハサミ牛親子の対面。二人はブルー・アイの瞳から一筋の涙がこぼれるのを見た。ブルー・アイは自分の子供を連れて来てくれたお礼のつもりか、彼らに自分からハサミ角を差し出す。青年はその角を折ろうとして、やめる。
「どうしたの?」青年の顔をのぞき込む娘。
「やめよう。もう十分じやないか。これ以上何が必要だっていうんだ。」
「そうね。二人の愛の赤い糸は二人の力で紡ぐもの。何かを傷つけて無理やり繋ぎ合わせるものじゃないわ。」
 青年はブルー・アイの額を軽くポンと叩き、いいよ、もう行け、というふうに向こうを指差した。ハサミ牛の親子は去って行った。それを見送り、晴れやかな笑顔で頷き合う二人。
「あたしたち、これから一生かけて二人の愛を紡いで行きましょう。この旅の間そうしたように。」
「ハサミ牛はぼくたちにきっとそのことを教えたかったんだと思う。」
 こうして二人はまた歩き始める。新しい旅立ちの日はいつでも今日というその日なのだ。だから恋人たちよ、もし愛の森をさまよううちにハサミ牛に出逢ったとしても、恐れることはない。なぜならそれは、二人の愛がより強く甦るための旅立ちの序曲に過ぎないのだから……
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