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言うまでもないことですが、 語感というもの自体が、一つの言葉ですから、 語感にも、語感があるわけです。 なにか、言葉遊びのようだけれど、 あるものは、ある。 それで、語感の語感をもふくらませたいがために、 前回の文章の終わりに、わざわざ定義し、示してみたのですが、 イマイチ、ふくらんではいませんね。 言い直してみます。 「言葉の、語感は、ココロによる経験を担うことができる」 その経験は、等身大の、生身による実体験に劣らない。 それどころか、実際の生活の中では経験できないようなことが、 読み、聴くことによって、できる。 このように書くと、 「読書」や、映画や音楽などのときの「観賞」という、 簡潔・便利な言葉に、即、向かいがちですが、その前に、 捉え直してみたい。 読むこと、聴くことを。 これらの行為・実体験を支えているのは、 感じるというココロの動き、 ―― 感知する機能、と言ったほうがいいのかもしれない。 これは、生まれたときから具わっているものだけれど、 原始的な、止まったものではない。 進化する。 意識して、鍛えることで、 この機能は拡張される。 感じて、 感じるということ自体を考えて。 新たに、多くを、感じ直すことができる。 語感を、使うことによって。 表現を送る側と、受け取る側の、双方が、 語感というものを意識し直すことによって。 語感の、辞書に記されている意味以外の、 可能性を思ってみることによって……と、言ってはみたとて、 ややこしげな言葉遊びの域を出ないようなので、 私自身の、語感による経験、 語感がふくらんだ、という実感を、書いてみたいと思います。 …で、こんな風に、 省略できうることをダラダラと書いてしまうのは、 そりゃあ、私の、 ごまかしようもないヘタクソさゆえなんですけどね。 実際、クドすぎる文章だと思います。 恥ずかしいほどです。 整然とした美文を築くことと、 読み手の方々のココロの中へと、 思いきり、飛び込むようにして向かうということが、 私の中では、両立していません。 ココロに及ぶ力のある美文をめざして、 ヘタクソなりに努力をすることは、 この場所以外の、別の時に回す。そう決めました。 読んでくださる人の、 それこそ、読解力(感受し、発展させる力)という機能の、可能性を、 信頼していないがゆえの、つまりは、 書き手としてのココロの弱さゆえの、饒舌だと。 非難されたとしても仕方がありません。 読み手としての私が好きなのは、 私の力を試してくれる (力が引き出されるまで、ガマンして待っていてくれる)書き手だから、 私も、書き手になるのなら、 好きなその人に倣いたいというのが本音です。 だけど、これらたくさんの、私の言葉の中で、 一体どれが読み手の方のココロに届いて、引っかかって、 息づいてくれるのかは、 書いている私自身にもわからない。 ほんとに贅沢な望みだけれど、息づいてほしいんです。 ここにも可能性が潜んでいると思う。だから、 この場所では、いろいろと、 種をまくようにして、仕掛けてみます。 本気で試してみたいからそうします。 こんなことを言ってしまうのは、 非常手段、というか、卑怯な手なのかもしれませんけれど。 とにかく、やってみなければ、なんにもなんないし。 やれるときにやらないと、ほんとにもう、 ダメなような気がするんです。 三木清という人がいました。 哲学者、思想家として名高い人です。 ご存知の方も多いでしょう。 辞書にもお名前が記載されていますし、 ネット上にも、この人に関する文章が、かなりの数存在しているようです。 その哲学、思想については、 本なり、このネットなりで触れていただくとして。 「三木清」は、 太平洋戦争の末期に、治安維持法によって、 反戦容疑者として、逮捕されました。 その、1897年から1945年の、48年間の人生は、 私の手元の広辞苑によると、 「敗戦直後に獄死」で、終わったとされています。 恐らく、どの辞書にも、そして、 「三木清」自身による本の、著者経歴においても、 「獄死」によって生涯を閉じた、と記されているのではないでしょうか。 少なくとも私は、ただ「獄死」とのみ、認識していました。 そう、すんなりと、 すべてをわかったような気になっていたんです。 以下は、『戦後思想を考える』という本からの、私の経験です。 事実として記した箇所は、この本からの抜粋のようなものですが。 (これは、日高六郎さんの、20年以上前に発刊されたご著書です。 私の、この長く続く文章を立ち上げるために、読み直したものです) 「三木清」は、1945年の、9月26日に、 疥癬という伝染性の皮膚病による、 不眠と、栄養失調で亡くなったそうです。 他の、疥癬の囚人の毛布を、わざとあてがわれた疑いがあり、 つまり、三木清の死は、 しくまれた殺人だったかもしれない、といいます。 このことについては、 ひどい、と感じつつも、ここでは措きます。 これも十分に、嫌忌し、熟考するべきことですが。 1945年8月14日の、あの有名な「ポツダム宣言受諾」って、 戦争は間違いでした、やめます、軍国主義もやめます、 日本を民主化します=国を国民のものにして、 国民の自由を約束します…ってことだったはず。 ならば、「三木清」は、その死の時期には、 犯罪者として扱われる理由などなかったはずなのに。 牢獄に閉じ込められたまま、 何故、病と、劣悪な環境で「獄死」しなければならなかったのでしょうか。 「思想取締りの秘密警察は、現在なお活動を続けており、 反皇室的宣伝を行なう共産主義者は、容赦なく逮捕する」 「さらに共産党員であるものは拘禁を続ける」 「政府形体の変革、とくに天皇制廃止を主張するものは、 すべて共産主義者と考え、 治安維持法によって逮捕する」と。 敗戦の、8月15日から一ヶ月以上経った時の、 「三木清」の「獄死」という情報に異常さを感じ、 「三木清」以外の、多くの「政治犯」「思想犯」も、 いまだに解放されていない事実について、 人権侵害じゃないか、と。 当然の異議を唱え、行動を起こしたのは、 日本のジャーナリズムではない、ロイター通信の、 外国人ジャーナリストでした。 日本人じゃなかったんです。 で、その人によるインタビューにて、 上記、カッコ内のセリフを、平然と垂れたそうです。 当時の東久邇宮内閣の、山崎巌内務大臣が。 むずかしげな読みの政治家さんの名前など、どうでもいいですけども、 いったい、どんな顔して、このセリフ、言ったんでしょうね。 「戦争が終わったからって、 我が国には治安維持法っていう決まりがあって、 秘密警察って人達だっているんだし、 共産主義はイケナイって、みんなで言ってきたんだから、 いままでだって、それでやってきたんだから、 これからもそうするんでしょ? だって、誰からも「イケナイことだから変えなさい」って、 言われてないんだもん。ボク、知らないよ。ボク、悪くない」 つってんですからね。 なんか、なにを分かり切ったことを…って、 素でキョトンとしてたんじゃないか、なんて思っちゃいますね。 戦争を終えても、 ほんとにただ、それだけのことだったんでしょうね。 なんにも変わっていなかったってことです。 敗戦の、その日に、すべてがクリアされたわけじゃない。 歴史の授業でおなじみのGHQが、速攻で、 悪しき日本を変えた、なんてね、 甘〜い勘違いをしてしまいそうなんですけど。 あの頃の日本に関心がなく、 戦後史にも…ていうか、 いまの日本や、世界の現状にも、興味がない人達は。 もしか、「三木清」の「獄死」がなかったら、 いつまでも、我が国には治安維持法があり、 そして、政治の世界という、国家の中枢には、 人権というものが、なかったかもしれない。 (もちろん、これは、あくまでも逆説的な言い方です。 治安維持法が、敗戦と同時にすぐさま撤廃されたなら、 人権の感覚が、少しでも、政治家のアタマにあったのなら、 三木清は、きっと、死なずに済んだはず) なぜなら、 この、ロイター通信のジャーナリストによる、インタビュー記事が、 日本の国民向けの新聞・雑誌等ではなく、 日本を占領していた米軍の将兵のための、つまり、 外国の新聞に載った、そのことにより、 やっと事実が問題化されて、 治安維持法はなくなり、 「政治犯」「思想犯」は解放されたんです。 日本の政治家ではない、マッカーサー元帥の指令によって。 しかも、東久邇宮内閣は、その指令にたいして、 どうすればいいのかわかんなくなって、辞職ですって。 解放を実行したのは、その後の、幣原内閣、 1945年10月10日のことでした。 あの頃の日本と、日本人のことを、 手放しで慨嘆する気になど、なれません。 「現在」の私だって、 国によって、人権蹂躙され続けて生きてきた人達を、 それも、怠惰ゆえの無智によって、平気で突き放していた。 分かり切った風に、いつのまにか思い込んでいて、 「なにもできなかった」以前に、「なにもしなかった」。 このことは、index.htmlに、書きました。 この、能天気かつ、グズ、残酷な気質において、 過去と現在の差など、ないと思う。 かと言って、擁護することもできない。 我が国の、複雑な、様々な、お国のシステムを、 ニュースなどで知っている、「現在」の私達は、 所詮は国なんて信用できない、と。 国というものは、必ずしも国民の味方ではない、と。 そんな諦観、というか、疲労感を根拠にして、 「敗戦の直後だったんだから、きっと国内はゴタゴタしていて、 とても一人の人間、他人のことになんか、 かまけていられなかったんだろう」とか、 「仕方がなかったんじゃないか」 「どうせ、世の中そんなものだろう」などと、 ごく簡単に言ってのけてしまいそうですが、 それほどに軽く完結しまって、いいことなのか。 次ページへと続きます。 2003/7/27 miho |