1.佐世保を訪ねて  TOPへ
 

父と撮ったたった1枚の写真
  思いがけなくも再び佐世保に入港し、今夜二十六日午後八時頃帰宅致し、二度と会えぬ

つもりにしてしていたところだが、二十七日は夕方より帰宅するかも知れない。

二十 八日は午後か夕方頃帰宅する。

予定出港は何時かわからぬが、もしも会えずに出港したら後は万事不都合なき様、宣致し

く頼む。生きて還ると思うなよ。女々しき振る舞いをせぬ様軍人の妻として恥ずかしからぬ

行動をせよ。手紙も当分の間出せぬ事と思う故、餞別を頂いた方々にはお前より礼状を出

す様に。家の後始末は万事不都合なき様充分気を配して片付ける様に。

美恵子を頼む。出来たら写真を撮り置くように。 

取りあえず乱筆の走り書きにて。

     妻 へ           夫より
    これはあなたが戦地へ向かう前に、最後に書き置いた手紙です。 
         
    あなたがこれを書く数日前まで、私達親子はあなたの勤務地であった、佐世保海兵団の近くに部屋

    を借りて暮らしていたんですね。

    そのあなたが、船に乗って戦地へ行く事になった、昭和十九年八月頃の事です。

    戦況も瀕死の状況にあった、十九年八月頃の海兵団でのあなたは、次々に送り込まれる新兵さんの

    入団手続きや、行軍・演習で激務の毎日を送っていたそうですが、それでもまだ、「戦地に行かなくて

    いいそうだから良かったね・・・」と、当時としては絶対に口にしてはならない事だったのでしょうが、家
 
     族はそう言って喜んでいたそうです。

    でも職業軍人として十年も軍籍にあったあなたは、ひそかに戦地へ行く日の事を考えていたと思いま
 
    す。ついにその日がきて、満一歳の誕生日を目前にした私と母に別れを告げ、「萬栄丸」という油槽船
 
     (タンカー)に乗り、佐世保を出港したのです。

    ところが出港後幾日かたって「萬栄丸」は故障が見つかり、修理の為再び佐世保へ入港したのです
 
    ね。あなたの書き置きには「今夜二十六日帰宅致し・・」となっており、これが何月だったのか、わかり

    ませんでしたが、「萬栄丸」の足取りを調べていたら「八月二十六日、修理の為佐世保入港」という
 
     記録を見つけ、あなたの置手紙と一致したわけなんです。
 
    幸運にも船が故障してくれたお陰で、もう一度佐世保市山手町の、あの自宅へ戻って来られたんです
 
    ね。その時私達親子は、戦地へ行ってしまったあなたは当分帰って来ないし、佐世保に居ては空襲が
 
    こわいので、鳥栖の母の実家に帰った後だったのです。
 
    その事は、あなたの助言でもあったのだから、あなたはもう私達親子がいない事はわかっていたは

    ずです。それでも心を残しながら発って行ったあの自宅へもう一度戻って来た。

    ほんの数日前まで一緒に暮らした、かすかに家族のぬくもりの残っているガランとした部屋で、死を

    予感してどんな気持ちでこの手紙を書いたかと思うと泣けてきますよ。

    あなたがこの手紙を書き置いた日から五十年振りの今年五月、あなたがいとおしく思っていたこの家

    を訪ねて見ましたよ。

    佐世保駅から車で五〜六分ほどの山手町、山手小学校近くのなだらかな坂を登りつめた左手の家、
 
    同行した母の記憶を充分に甦らせる程、五十年前の面影を残したままでしたよ。

    建物は立て替えられていましたが、古い石段を上がった所が玄関で、その苔むした石段と両側の門

    柱と、大きな石垣で囲まれた家のたたずまいは昔のままなのだそうですよ。

    あなたはこの石段をかけ上って、家族の待つこの家に何度帰って来てくれた事でしょう。

    そして最後にどんな思いでこの家を後にしたのでしょう。

    この石段だけが最後に降りるあなたを、見送ってくれたんですね。
  
    家の前を通るなだらかな坂道は、当時海兵団の訓練コースになっていたらしく、私達が住んでいた
 
    頃、この家に遊びに来ていた母の妹のちずこおばさんは、家の前を駆け足で走ってくる、海兵団の兵
 
    隊さんの一団を見ていたら、丁度この坂道にさしかかった時、よろけて落伍しそうになった年配の兵

    隊さんが、お尻を叩かれながら走って行く光景が目に焼き付いていて、忘れられないのだそうです。

    海兵団のそんな光景さえなければ当時は静かな通りだったのでしょうが、今は車がたくさん通る道で、

     この道を佐世保駅方面へ少しばかり戻ると、とても美しい通りに変わります。
 
    そこは昭和二十年六月二十九日の佐世保大空襲により、一面焼野原だったそうですが、戦後は、ア
 
    メリカ軍の宿舎がたくさん建てられ、現在は佐世保市の体育館、武道館、市民会館、佐世保大空襲に
 
    よる犠牲者の慰霊碑などが建ち並び、緑豊かな美しい通りになっています。     

    海軍橋を渡り、あなたが二十才で入団し、厳しい訓練を受けながら青春を謳歌した、佐世保第一海兵

    団のあたりも歩いてみましたよ。

    今は海上自衛隊、アメリカ海軍基地となっており、間をはさむ通りも新緑の木々がうっそうと茂り、

    アメリカ海軍基地の中に、赤レンガの建物がチラリと見えて、それはそれは美しい町でしたよ。

    あなたが海兵団で教班長をしている時お世話をした岩田久視さんも(長崎県五島在住)、佐世保に来
 
    て、この建物の前に立つと当時を思い出し感無量の思いがするとおっしゃっています。

    岩田さんに関しては後で述べる事にします。 
 
     あなたの妹の泰子おばさんも、あなたに案内されて佐世保の町を見物した思い出を、よーく覚えておら

    れますよ。

    あなたはこの美しい町で十年近くも、海軍の仕事に携わっていたんですね。あなたの青春時代は、こ 

    の佐世保に全てがあると言っても過言ではなく、生きていたらきっと、佐世保は自分の第二の故郷で
 
    あると言って憚らなかったでしょう ね                                         

                            

      1.佐世保を訪ねて  TOPへ
 次へ