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    実際私が五十年後に戦争の事を少しづつ調べてみたら、あなたは本当にあの戦争の核心に

    触れる位置に存在していた事が良くわかりました。   

    その事を私はこれから書いていきます。

    大東亜戦争というと真珠湾攻撃の話、ミッドウエー海戦、ガダルカナル島・アッツ島・グアム・サイパン・硫黄
  
    島の玉砕、ビルマインパール作戦の事、満州の事、沖縄・広島・長崎の悲劇、シベリア抑留の事等が良く語

    られるのですが、あまり語られる事のない地味な裏方の、あの戦争の原因と敗因にもなった、南方資源の輸
  
    送に係わった、商船隊の事を私は随分調べましたからね。

    始めに、あなたが私と別れた後門司を出港して、どのようにして南方まで行ったのかを書く事にしますが、その

    前にまずあなたが乗った船、「萬栄丸」についてふれる事にします。

    昭和十八年頃の日本の船は、戦艦も輸送船も激減の一途を辿り、造船が追いつかない状態でした。

    そこで造船能率を上げ、少ない資源を生かし、出来るだけ早く、最低限の稼働能力のある船を造り上げる策
 
     がとられたのです。第一次戦時標準船と言いました。

    「萬栄丸」もTM型油槽船として十八年以降に建造された、第一次戦時標準油槽船二十六隻の内の一隻な

     のです。

    それまで様々な種類の船を、思い思いに作っていた造船所を活用して、同じ型の船を、同じ場所で統一して

    作れば、材料の節約と建造期間の短縮が計れるというものです。性能や大きさは次の様に統一されています。

          長さ百二十メートル
          幅十六.三メートル
          深さ9メートル
          馬力15ノット
          総屯数五千二百二十六屯   
          積載量七千八百屯  

    当時造船に携わる人も戦場に取られて、優秀な技術者がおらず、ひどい時は何の知識もない囚人の人達

     が造船作業をしていたり、材料を節約して、ボイラー室の壁が薄い板一枚という,船内は暑くていられないよ

     うな船もあり、故障は度々起こり、スピードも出ず、乗組員の苦労はそれは大変だったそうですね。

    それに短期間で仕上げる事が至上命令となっており、船一隻造るには何年かかかるはずなのに、三ケ月

     で造ってしまうというはやわざ、と言うより手抜き作業だったんだそうですよ。

    完成した船を乗組員の人が引取に行って、船を見ただけで尻りごみしたくなるような粗悪品もあったそうです。

    「萬栄丸」は当時の日本にとって、最重要な石油を運搬する油槽船でしたが、乗りごこちはいかがでしたか。
 
          「萬栄丸」のその他の記録は次の通りとなっています。

日東汽船所属                                    
竣工日昭和十九年二月十五日 三菱長崎造船所
竣工 建造されてから沈没までの日数 二百六十七日              
第一次戦時標準船の二十六隻の油槽船の内十番目の長命です 
一番長くもった船 四百八十五日
一番短命の船 四十五日

    その第一次戦時標準船の油槽船二十六隻は、全滅してしまいました。

    船の欠陥を少しでも指摘しようものなら、どうせ一年以内に沈められてしまうからと言う考えがあって、乗組員の

     命は二の次、という考え方が罷り通っていたようです。

    これは、特攻隊の方達が運命を共にされた、飛行機の設計にもこの考え方があり戦闘中に敵弾に当たっても、

     操縦席の壁を厚くして、操縦者の命を守るよう設計されていたアメリカの飛行機に比べ、日本の飛行機は重量

     を軽くし、小回りがきくとか、長く飛べるとかに重点が置かれていた、従って操縦席の壁も薄く、操縦者の命は軽

     視されていたという事なのだそうです。

 

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