17.安らかにお眠り下さい    TOPへ
 

         

    あの日の夜更け以来、マニラの海にあなたはずーっと眠っているんですね。  

    その日から、早や五十年の月日が流れ、日本は世界中から注目を集める発展を遂げ、あ

    の頃の生活からは想像もつかない暮らしぶりなのですよ。

    私の誕生に際し、あなたが洗面器を求めて町中を探しまわり、冬を迎える赤ん坊の私の為

    に、方々手を尽くして木炭を手に入れてくれた事も私は知りました。今は町中に物が溢れか

    えり、暖房もスイッチひとつでぽかぽかと暖かいんですよ。

    五十年も前のあなたの戦跡を調べるのに、大東亜戦争に関する本を、東京中の図書館から

    コンピューターが瞬時に探し出してくれます。

    戦地に行く前に、電報でしか知らせる事が出来なかったあの頃と随分違いますね。

    又、あの時「萬栄丸」は門司からシンガポールに行くのに、牙をむいて待ちぶせる潜水艦か

    ら逃げ隠れしながら、二週間もかかったと言うのに、今は時速百キロの高速貨物船が出来

    ていて、シンガポールまで二、三日ですよ。

    こんなに科学が発達したというのに、戦争という最も残酷な行為は、あの後もなくなる事は

    なく、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と続きアフリカのルワンダや、旧ユーゴスラビアで

    今も尚起きており、人間とはやっかいなものだとつくづく思います。

    あの頃、あなたがどこでどうして亡くなったのか全く知る事も出来なかったのに、今は世界

    中の出来事を、テレビを通じて隈無く見る事が出来ます。どこかの海で誰かが遭難したと

    言えば、家族は一飛びに現地へ行って遺体を確かめ、山で遭難したと言えば、ヘリコプタ

    ーで捜し回ってくれます。行きたくて行ったフィリピンじゃなかったのに、誰にも捜してもらえ

    ずあの日のまま置き去りだなんて、やっぱりあなた達はかわいそうすぎます。

    これもテレビで見たのですが、フィリピンで農家の人が畑を耕していると、旧日本兵の遺骨

    がぞくぞくと出てくる、私達フィリピン人には遺骨を置き去りにする習慣はありません、と言っ

    た人の言葉が私の胸に突きささりました。

    そして、日本の勝利と平和と発展を信じて逝ったあなた達は嘆く事でしょうが、あの戦争に対

    する評価が、五十年たった今下されようとしています。確かに目を見張る発展を遂げたのは事

     実、平和をもたらしたのも事実、しかし50年後の常識から判断して、あれが悪かったこれが

     悪かったと言った声が聞こえて来ます。

    私もずっとあなた達日本の軍人が悪かったから一方的に戦争を起こし、アジアの人達に迷

    惑かけたのであり、弁解の余地はないのだと教えられ、それが正しいのだと思って大人にな

    りました。だから戦争の話を口にする事は憚られる空気もありました。

    しかし軍人としてのあなたを辿る中、歴史のうねりというものに強く引きつけられ、又軍事、国

    際問題等は関係ないのではなく、一人一人に身近なものであると感じ、無自覚無関心ではい

    られなくなりました。

    戦争は人間が生きる糧を求めて行う国と国のけんか。けんかに至るには必ず原因と経過と

    きっかけがあり、世界屈指の軍規厳しい当時の日本の軍人だけが、突然狂ったように軍事

    力を行使するはずありません。 又当時は力がものを言う時代だったのです。

    あの大東亜戦争は世界の歴史の大きなうねりに飲み込まれたのです。

    今でも経済戦争と言う大きなうねりに飲み込まれながら私達は必死で生きています。

    歴史の一頁を皆精一杯生きているのです。私が暗黒の時代であったと勝手に思い込んでい

    た戦争中でも、穏やかな日々の暮らしの中に喜びも悲しみもある、当時の人達にとっては二

    度と返らぬ青春時代だったわけで、たまたま大正生まれのあなた達の青春時代が、その大き

    なうねりの中にあった、不運としか言いようのない時代であっただけなのです。

    今の平和と繁栄を享受する私達は、その歴史のうねりに飲み込まれざるを得なかった人達に

    対して、もっと敬意を払わなければならないと思いました。

     今あるのは、 そう言う時代があったからこその平和なのです。

    居場所を知らせる事もできないまま、遠いジャングルで食料も薬品もなく戦死した人、引き上

    げの途中、赤ちゃんを捨てたり家族と離れ離れになってしまった人、女性や子供を護る為なら

    と自ら命を捧げた特攻隊の人、特攻死した大事な大事な一人息子の事が一生頭から離れな

    いおばあさん、沈没した船から投げ出され海を漂流の末帰って来た人、原爆や空襲で家族全

    員失いひとりぼっちで生きてきた人、BC級戦犯で無意味な絞首刑にされた人やその家族、シ

    ベリアに抑留され厳寒の地での労務作業に耐えてきた人等々。

    これらの人々は胸が痛くなるような思いを秘めたまま、誰に語る事もなく生きてこられたのです。

    自分の周りにこのような人達が息をひそめて生きてきたのだという事を改めて認識しなければ

    ならないと思います。

    そうして平和の有りがたさが確認できるのだと思います。

    五十才になった私の長い手紙に、あなたは「うん、うん」とうなずきながら微笑んでいるでしょうか。

    あなたには、私の為にどうしても帰ってきてほしかった。

    願いが叶うとすれば、車椅子を押しながらでもいい、一度でいいから桜の花の下をあなたと一

    緒に歩きたかった。日の当たる縁側で日向ぼっこしながら、戦争の話聞きたかった。

    でも、あなたはあの時代を精一杯生きて、國の為家族の為立派に努めを果たしてくれたのです

    ものね。

    そして、「相よりし幼な心を久遠に、お護りませと神に祈らん」と、何よりも私の無事な成長を神

    様に祈ってくれていましたね。

    願い通り周りの人達のお陰で、又あなた達が礎となって築いてくれた緑豊かな美しい、そして

    平和な國で私は立派に大人になりました。孫も二人いますよ。       それではさようなら
     

            父へ        平成六年十一月八日            美 恵 子
    

     

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