アメリカからきた手紙

2001年8月21日、私はアメリカからの1通の手紙を受け取り
ました。
手紙の主は、 アメリカ在住ゴードンJ.ヴァンウエイリン氏。
彼は、父の乗っていた船「万栄丸」に魚雷を放って撃沈させた
アメリカ潜水艦 「ハードヘッド」乗組員でした。
戦後56年もたって、奇蹟のような手紙を受け取る事になった
いきさつはこうです。
父の戦死場所調査の途中、旧海軍軍人機関誌「海交」記事に
より、佐賀県出身、海兵68期、松永市朗氏が軍艦「名取」乗船
中、同じくハードヘッドに沈められ、カッターによる12日間の漂
流の実話「先任将校」を出版されている事を知りました。
ゴードンJ.ヴァンウエイリン氏は当時学徒兵でしたが、ホープ大
学学長になられ、松永さんとの共著「撃沈漂流」 (翻訳・
海兵7
7期菅原完氏)も出版されていて、日米双方敵味方を越えて交
流をもたれている事も存じ上げておりました。
もしかしたら、ゴードンJ.ヴァンウエイリン氏は、父の船が撃沈さ
れた日の事をご存知なのかも知れない・・・と密かに思ってはい
ましたが、そこまで勇気が有りませんでした。

さらに私は、HP「父への手紙」を立ち上げてから8ヶ月の月日がたちましたが、インターネットを通して、あの
戦争の事について並々ならぬ関心を持っていて、戦争体験者の話を直に聞いておきたいという意欲に燃え
ている戦争を知らない世代の人達がたくさんいる事も知り、誠に心強く思い、
その人達と交流を持たせて頂
くようにもなりました。
そのお友達の一人Tさんが、「松永氏に会いに行く・・・・・」という快挙を遂げられ、その時「松永さんと同じく
ハードヘッドに沈められた船の乗組員の遺児、佐賀県出身の娘がいる事を告げてください・・・」とだけお願い
しておいたのですが、
そこは行動の素早い海軍精神を発揮され、松永氏よりゴードンJ.ヴァンウエイリン氏へ
即座に連絡が行き、今回の事が実現したのです。
これに至るには、私がいつもお世話になってるHP「大日本帝国海軍」のオフ会に、暑いさなか名古屋からわ
ざわざ上京参加、戦争体験を話して下さった木越正太郎さんと、 ゴードンJ.ヴァンウエイリン氏との仲介と翻
訳に
骨を折って下さった菅原完さんの協力があった事をご報告して、感謝の気持ちを込めてお礼を申し上げ
たいと思います。

ゴードンJ.ヴァンウエイリン氏からの手紙



2001年8月17日                                     (翻訳:海兵77期 菅原 完氏)

拝啓
  貴女と私の双方の知人、松永市郎氏と翻訳者の菅原完氏を通じて、貴女がほんの一歳のとき、お父上が戦
死された悲劇につながる戦争中の作戦行動について、さらに詳細をお知りになりたい
と言うご希望があることを知りました。
お父上の戦死、しかもそれを貴女の人生が始まったばかりのときにご体験になったため、お父上をお知りにな
る喜びの機会がなかったことを大変お気の毒に思います。
そして、お父上に対する貴女の愛情に非常に敬服いたします。
貴女にお伝えするこの情報が、貴女の情報収集を終わらせる手助けになり、お父上の戦死についていっそうの
安らぎを見出され、お父上に対するご愛情が深まればと思います。
菅原氏から送られてきた情報によりますと、貴女がすでにご存知の基本的な情報は正確です。
そこで、貴女が関心をお持ちになるかもしれない細部事項を追加します。
そうしながら、それら事項の正確を期すため、戦闘詳報を再検討しました。

ここに示すすべての時刻は、1944年11月8日に起こったものです。
(訳注:米軍は現地時間を使いました。比島では、日本時間より1時間遅れます)。

「我々」とはハードヘッドを指します。ハードヘッド、グローラー、とヘイクの三隻の潜水艦は、グローラー艦長の指
揮のもとに一体となって、いわゆる「群狼」作戦に従事していました。

0133
グローラーから、同艦が船団と接触したことと、我々がこの船団を要撃できるコースの指示を受信しました。

0142(9分後)

我々はこの船団とレーダーで接触し、大型船一隻、小型船二隻、計三隻を目視しました。何らかの理由で、三隻目
の護衛艦は探知しませんでした。
我々は直ちにこの船団を追尾し、船団の前方に占位するため、コースを変更、増速しました。

0212(30分後)、

先頭の護衛艦は大型船の前方約1000ヤード(900米)、他の護衛艦は同船の約1500ヤード(1350米)にいると、
それらの位置を決定しました。

0232(20分後)
我々はグローラーから右側艦首から攻撃した方がよい旨を受信しました。

0251(19分後)
我々はこの指示に従って潜航しました。月は下弦で、いくらか月明かりがありました。

0253(2分後)
爆発音が一度聞こえました。そして、船団は急激にコースを変更しました。

0257から0259の間(4〜6分後)

爆雷のような爆発音がさらに三度聞こえました(次の数日にわたり、我々はグローラーと数回交信を試みましたが、
この爆発音を聞いた後、グローラーとは交信できなかったことをここで付記します)

0300(1分後)
新コースを航行している船団の前方に占位するため、浮上しました(訳注:F型潜水艦の水中最大速度は約8ノット、
水上速度は20ノット)。

0231(20分後)
船団は再びコースを変更しました。

0328 (7分後)
船団からの距離が1200ヤード(1100米)になったとき、我々は潜航し、船団が頻繁にコースを変更していることに
気づきました。

0357(19分後)
船団は、大型船と右舷にいる護衛艦との間に我々をはさむような形で、我々の方に向かって進んできました。

0359(2分後)
大型船までの距離が1000ヤード(900米)になったとき、後部発射管から魚雷を四本発射し、全部命中しました
(訳注:F型潜水艦には、艦首発射管が六本、艦尾発射管が四本あります)。

0402(3分後)
大きな爆発音に続いて船体の破壊する音が聞こえました。我々は直ちに深々度潜航し、爆雷防御体勢をとり、無
音潜航に移りました。

0411〜13の間(9〜11分後)

我々は艦尾後方に11発の爆雷攻撃を受け、そのため、電球が数個壊れました。そして二隻または三隻の護衛艦
によるソーナー探知音が聞こえました。我々はこの海域から脱出するコースに艦を向けま
した。

0620(約2時間後)
深度を上げましたが、ソーナーの大きな探知音と艦艇の推進器音、艦尾はるか後方に爆雷音がさらに10度聞こえ
ましたので、深々度潜航に戻りました。次の三時間にわたり多数の爆雷音を聞きましたが、それらは、次第に遠ざ
かって行きました。

0917(約3時間後)

通常の潜望鏡深度まで浮上し、通常の走行に復帰しました。これは艦内を再び換気できたことを意味します。
この日の午前中、遠くでずっと爆雷音が聞こえました。

1455(約3時間後)
浮上し水上走行でこの海域を後にしました。 その夜、群狼作戦に従事した三番艦のヘイクと無線で交信しました。
護衛艦がともかくヘイクを探知し、16時間爆雷で制圧しましたが、ヘイクは危機を脱出したこと
を知りました。
これで、本艦の電球が切れた最初の集中爆雷攻撃後、爆雷音が次第に遠ざかっていった説明がつきます。
ヘイクとの交信で、グローラーの喪失が明らかになったことを確認しました。
以上が貴女のご質問に対し、私が持っている情報のすべです。

しかしながら、お父上の戦死が貴女の一生に大きく影響したことを心から同情いたします。
松永氏や私がこの戦争に生き残り、お父上が亡くなられた理由はわかりません。
しかし、神を信じキリストの信奉者として、神はわたしたち一人一人を愛し、慈しみ、わたしたちが目的と尊厳、そし
て他人に対する同情を持って人生を生きる力と勇気を与えてくださると確信しています。
私が貴女に同情し、ご多幸を祈るのは、これに関連しているのです。
貴女とご家族についてもう少し知りたいと思います。
私たち夫婦には五人の子供がいて全部結婚し、16人の孫がいます。
もし、以上のほかに情報がありましたら、喜んでお知らせします。
家内と一緒に貴女とご家族のご多幸をお祈り申し上げます。
                                                      
        敬具
                                  
                 ゴードンJ.ヴァンウエイリン

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