
| →ハーモニカ演奏活動写真 |
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大石政隆さんのこと。 「人生ふさぎこんじゃおしまいよ」の著者、 大石政隆さんは、戦死した父の従兄です。 けれど私はまだ一度も会った事がありません。 この夏、出版されたこの本を送って頂いた事 から、電話でお話をする様になりました。 父が戦死した後、父方の親戚の人とほとんど おつきあいして来なかった私は、こんな風に まだ一度も合ったことのない人が多いのです。 |
![]() 西日本新聞社発行 |
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そんな私ですが、政隆さんは50年も前に父が政隆さんのお父さんに出した手紙を大切 に取っておいてさった方でもあります。 政隆さんは目がご不自由である事を人づてに聞いていましたが、今回本を頂いて初めて そのいきさつを知りました。 働き盛りの40代の若さで、銀行員という職にありながら、妻子を抱え交通事故による 失明の危機に遭遇し、どんなにか苦しい思いをされただろうかと思うと、涙があふれてた まりませんでした。 私が20才の頃、私の職場を風の便りに聞きつけ、「そっと見に行ってたんですよ」と言 われた事は、60才の今初めて聞く事でした。 表紙の写真を見つめながら、同じ血が私の身体に脈々と流れている事を悟りました。 若いころ覚えていたハーモニカ演奏を病院や各地養護院で行い、皆さんを楽しませ、 前向きに生きている姿には、大いに勇気づけられました。 高齢の人達から軍歌のリクエストが多くて、「異国の丘」を演奏した時は、会場中が 嗚咽の渦になり胸を詰まらせながら演奏したそうです。→ハーモニカ演奏活動写真 又、本には、口述されているCDが添付されていて、初めて聞く政隆さんの声の中に、 ハワイ旅行の際、三養基中学の先輩、「広尾彰少尉」の事に思いを馳せ、涙にむせ びながら、慰霊の言葉を述べるシーンが有ります。 「父への手紙」HP、体験者のお話に登場の松永市郎さんは、「広尾彰少尉」の同 級生でいらっしゃる事から、政隆さんを松永さんにご紹介しました。 目が見えない不自由さを乗り越えて、明るく前向きに生きる政隆さんには随分元気を もらいました。 これも父が後ろから後押ししてくれているのかなぁと思っています。 |
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