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BOOKS

岡部伊都子

みほとけ・ひと・いのち

    無実

 戦争中にオーストラリア兵を虐殺した日本兵と「似ている」というだけで戦犯とされ、ラバウルで死刑となった二十七歳の海軍大尉片山日出男氏は、無実だった。
 戦後、ラバウルの戦争裁判所で伝令役を勤め、日本人戦犯と接触の多かったオーストラリア人ドン・ポールさんから「死刑の判決は正しくないと思った。彼は、だれかが死ななければならないことを知って、その役を引き受けたのだと思う。大尉がいかに立派だったか、彼の遺族に伝えたい」と、処刑後三十三年たった今になって、証言が届いたという。残酷な話だ。
 清らかな性格と純真な心情の大尉は、身に全く覚えのない罪に問われた。本人が幾ら無実を主張しても、若妻が幾度助命嘆願書をだしても、それはとりあげられなかった。
 戦争にからまる不幸は、外からは知られないそれぞれの暮しに重層をなして、広く深く沈んでいる。五月、この記事を読んだ時、わたくしはすぐ、塩尻公明著『或る遺書について』を思い出した。この遺書の主、木村久夫氏は京都大学経済学部の学生であったが、応召、入隊。印度洋のカーニコバル島で、英語が上手なため島民との通訳を担当した。それが不運の原因となった。
 敗戦直前にスパイとして多くのインド人が日本軍によって処刑された。命令を下した上官に「真実の陳述を厳禁され」た彼は死刑。他の日本軍人のような残虐行為など一つもなかったにもかかわらず「年齢三十に至らず、且つ学半ばにして既にこの世を去る運命」となってしまった。
「彼はもともと軍隊と戦争とが何よりも嫌いな青年」と、木村氏の高校時代の師であった塩尻公明氏は記しておられる。学問の大好きな青年は、「死の数日前偶然に」田辺博士著『哲学通論』を手に入れたという。難解できこえたこの名著を学生時代に一読していた青年は、獄中、「誠に懐しい感激に打ふるえ」つつ、再読し、三読した。そして「真理への情熱」をこめて書物の余白に、死に当っての感想を細かく書き込んだ。こうした貴重な一冊が、彼の信託した人の手で遺族へ届けられた。
 片山氏にせよ、木村氏にせよ、若く「これから」の身。不当な判決に、できる限りの異議申し立てはなされたらしいが、みすみす、無実の罪名で死ななければならなかった。ご本人はもとより、ご家族の衝撃と無念とを思い、同時代に生きて戦争に協力した女は、今更言うべき言葉がない。
 すがすがしい態度で死にのぞまれたと伝えられるお二人は、日本のおかした世界への大罪をかぶって、納得できぬ死をも覚悟されたのであろうか。真の戦争仕掛人が罪をまぬがれて栄耀する不条埋に憤りつつ、自国の体質を反省する。人類全体、それも弱き者に対するしみじみとした愛情なくして、愛国を叫ぶ思想はおそろしい。
 木村氏の遺言には、「私は何等死に値する悪をなしたことはない。悪をなしたのは他の人々である。然し、全世界からして見れば、彼も私も同じ日本人である。彼の責任を私がとって死ぬことは、一見不合理のように見えるが、かかる不合理は、過去の日本人が、いやという程他国人に強いて来たことである」とある。幾度も「日本がこれまで敢てして来た数限りない無理非道」が指摘されている。
「日本は根底から変革され構成され直さなければならない」と、未来の日本に希望をかけて死んでいった清き魂の犠牲者に対して、只今の現実はどうか。どう報告すればよいのか。声がよどむ。
(京都新聞夕刊 一九八一年六月)
昭和五十九年 法蔵館
「みちくさ新聞」28号掲載