ジオング系MS

 大戦後期、ジオン公国軍でサイコミュ搭載型MSとして開発された機体である。NT専用兵器の一環として開発されたもので、先にロールアウトしていたサイコミュ搭載型MA、MAN-03ブラウ・ブロから得られたデータがフィードバックされ、比較的NT能力の低いパイロットでも扱い易い有線式サイコミュ誘導兵器を持つのがジオング系MSの特色である。
 
 連邦との戦争が激化し、国力が必ずしも高くないジオン公国にとっては戦争の長期化は好ましい状況ではなく、最初の目論みと相反して戦況は悪化しつつあったが、その打開策として戦前より研究が続けられていたニュータイプを戦争に利用する動きが活発化しつつあった。

 その中で、ニュータイプから検出される特殊な脳波や生体パルスに着目したジオン軍は、これを利用して機械語に翻訳、機器の操作や複数の攻撃端末の誘導を行うインターフェイス、サイコミュをサイド6に置かれたキシリア・ザビ少将麾下のシンクタンク、フランガン機関に開発させた。
 多数の無人兵器を、ミノフスキー粒子の影響を受けずに操作することを可能としたサイコミュを使用して悪化する戦況を打開して巻き返しを図る−−これが追い詰められたジオン公国軍の構想であった。

 大戦後期には様々なNT専用MSやMAが開発されたが、そのほとんどは充分なテストもないまま実戦投入されたため、連邦軍の物量作戦を崩すことは出来ずに終わっている。

 しかし、NTの軍事利用という構想そのものは評価され、戦後も小惑星アクシズへ逃れたジオン残党と、ジオンの技術を接収した連邦軍の双方でサイコミュ兵器の研究が続けられ、グリプス抗争、第一次/第二次ネオ・ジオン抗争においてジオングの系譜を持つ機体が多数、投入されるに至った。


 機種一覧

 MS-06Zサイコミュ試験型ザク"ビショップ"
 MSN-01サイコミュ高機動型ザク
 MSN-00キケロガ
 MSN-02ジオング
 AMX-103Aワルキューレ
 AMX-103Sハンマ・ハンマ
 AMX-103G量産型ハンマ・ハンマ


 MS-06Zサイコミュ試験型ザク"ビショップ"

 サイコミュシステム実用化のために、MS-06FザクIIをベースにサイコミュと、有線式の攻撃端末を装備した試験機である。これと同時進行で「人型」に囚われないMAN-03ブラウ・ブロのテストも始まり、ジオン公国軍においてサイコミュ兵器の実用化と、NTの軍事利用が進んだ。

 Z型はMS-06Fをベースにしているがサイコミュと大型ジェネレーター、攻撃端末搭載のために徹底的な改修が行われて母体機の面影は残っておらず、新規設計機に近い程の大改修を受けているのが特徴的である。
 わずかにザク系の面影を残す頭部ユニットもモノアイレールが頭頂部に延長され、後頭部に送受信アンテナが二本追加されるなどの大幅な改修が加えられた。

 Z型最大の特徴は大型化された四肢と胸部にある。サイコミュの機器類は胸部に納められていたが、当時のサイコ・コミュニケーターは大型であり、小型艦艇やMAクラス程の大きさでなれけば完全なシステムを搭載することはほぼ不可能であった。
 そのため、Z型ではサイコミュの機能を攻撃端末操作のみとし、機体制御は通常操縦を行うことで小型化させることに成功している。

 ザククラスの機体にサイコミュ搭載を実現できたのは、サイコミュの機能を端末誘導のみに省略したこと、使用端末が二基の有線ビーム砲のみだったことによって、機能をオミットさせて小型化させたことによるものが大きいと言える。
 これは、当面はサイコミュの機能を攻撃端末の誘導のみのテストを行い、その間に改良を続けてシステムそのものをコンパクト化させるという構想があったためで、結局、完全な形での小型化は大戦中には実現できなかったが小惑星アクシズに逃亡したジオン軍残党が小型化に腐心した結果、0087年頃には20m級MSであるAMX-004キュベレイにサイコミュを搭載させることに成功している。

 だが、本来であれば攻撃端末と機体そのものの制御全てをサイコミュで行うことが望ましかったのだが、これを実現させるには0079年時点では技術的ハードルがまだ高く、これを大戦時にほぼ実現していたのはMAN-08エルメスのみであった。

 攻撃端末は両腕部の有線誘導式五連装ビーム砲で、これを腕部から分離して有線で誘導攻撃を行う。スラスターやプロペラント、Eキャップシステムが内蔵されたため、腕部端末部は大型化した。
 フラナガン機関が開発に携わったエルメスの無線式攻撃端末「ビット」と違い、有線端末は自由度が少なく、敵MSによる攻撃によってケーブルを破断された場合、端末が無力化されてしまう欠点を抱えていたが、サイコミュを小型化するためには確実に操作・誘導が可能な有線端末が有効であることと、NT能力の低いパイロットでもある程度の訓練を受ければ使いこなせるとの判断から、Z型では有線端末が採用された。

 ちなみにテストが順調に進めば無線式、あるいはミノフスキー粒子に影響されないレーザー誘導式端末への換装も検討されていたが、時間的問題からこれは実現することはなく、大戦から八年後、第一次ネオ・ジオン抗争時にアクシズが開発したAMX-014ドーベン・ウルフの登場まで待つことになる。

 ビーム兵器搭載のためにジェネレーターも新型のものに換装され、これがZ型の大型化の原因となっている。旧来のザク・シリーズではビーム砲とサイコミュを稼動させるだけの出力を持っておらず、ジェネレーター換装は必須事項であった。
 しかし、ザク本来の設計規模でジェネレーターを大型化させるには、フレーム設計を新規に起こさなければならなくなる。モノコック構造であるザクでフレームの設計を変更することは、すなわち外装を全て新規設計のものに変えなければならず、改修の規模を超えた新型MS開発に近い作業を要求される。
 故に従来のMS-06シリーズではジェネレーター換装が出来ず、出力増強が見込めずにビームライフルの装備化が遅れていた。当時のジオンでは出力を強化するためにジェネレーターの大型化が進み、MS-09系MS-14系といった従来のザク・グフ両系列よりも大型な新型重MSが次々とロールアウトしており、小型・軽量でなおかつビーム兵器稼動が可能な高出力という条件を持つジェネレーターを開発することができなかったようだ。

 Z型の場合はジェネレーター換装、サイコミュ機器の搭載で増加した自重を支える脚部もまた必然的にフレームを補強されて大型化したため、胴体に比べて四肢が肥大化した異様な様態となった。当然、コストも嵩み、腕部ユニットのみでMS-06F型数機分のコストがかかったと言われている。

 こうして、新規開発機に近い形となったMS-06Zは0079年10月に試作機が3機、グラナダ基地工廠でロールアウトした。戦況は膠着していたが、まだジオン優勢が伝えられていた頃である。同機にはビショップというコードネームで呼ばれ、スタッフはこの機体をザクとは呼ばず、ビショップと呼んだという。
 開発にはフラナガン機関の名前は挙がっていないものの、キシリア・ザビ少将率いる突撃機動軍の拠点で開発されたことから当然、少将との関係も深いフラナガン機関からも技術支援チームが派遣されたものと思われる。

 ビショップのテストパイロットも軍の中からNTの素質のある者、ヤハギ・フランジバック少尉を含む三名が抜擢されて、ムサイ級軽巡「レムリア」を旗艦とする試験部隊においてテストが開始された。このテストでは、当時開発が進んでいたMS-16Xジオングや後発機へのフィードバックを目的としており、有線端末の起動テストや機体バランス、ほぼ新規設計となった四肢のAMBACテストなど多岐に渡った。

 しかし、ザクタイプをベースにしているためか電力消費量の高いシステムを多数搭載し、なおかつ増設された四肢のスラスターとプロペラントのバランスが悪かったため、サイコミュ使用時の稼動時間は約10分程度と短く、新規開発機に近い大改修を加えた割には実戦には耐えない機体となってしまった。

 両腕の五連装ビーム砲を本体から分離しての試射には成功したものの、サイコミュで誘導させてもプロペラント不足で的確な誘導が行えないという根本的な問題が浮き彫りとなった。サイコミュで端末を操作しても、その端末を稼動させる推進剤がなければ、誘導兵器の意味を持たないのである。
 ザクを母体に、四肢のモノコック・フレームを新規に作り起こして追加させただけの機体では、バランスの悪さだけが浮き彫りとなり、また、テストパイロット間の能力の差が大きく、この時点での18m級NT用MS開発には高いハードルが立ちはだかっていたと言えるだろう。

 ビショップはレムリアを母艦にしてテストを進め、ア・バオア・クー工廠で開発が進んでいたMS-16X、後のMSN-02ジオングへのフィードバックが行われていたが、11月にはコレヒドール宙域で連邦軍のパトロール艦隊と遭遇し、交戦するというアクシデントが発生した。
 この戦闘は皮肉にもMS-06Z初の実戦投入となり、連邦軍のパトロール艦隊と艦載MS部隊を全滅せしめることに成功したものの、試験部隊も試験機器を搭載していた軽巡レムレアが被弾、Z型も1機が連邦軍艦艇の艦砲射撃によって損傷するなど多大な損害を蒙り、テストの中断を余儀なくされた。

 その後、小破した2号機はグラナダ基地において、プロペラント不足の解消と高機動化を図るなどの初期テストで浮き彫りとなったZ型の欠点を補う改修が施され、後にMSN-01のコードナンバーを与えられることになる。

 MSN-01サイコミュ高機動型ザク

 MS-06Zサイコミュ試験型ザク"ビショップ"の2号機をベースに、グラナダ基地工廠で改修した機体。形式ナンバーは当初のMS-06Zから、ニュータイプ用MSの区分であるMSNナンバーに移行しており、同時期に開発されたいたジオングも当初のMS-16XからMSN-02に変更された。

 0079年11月にビショップのテストが行われていたコレヒドール宙域において、連邦軍パトロール艦隊と遭遇し、母艦である軽巡レムリアが大破し、応戦した2号機も小破してしまう。機材を損失し、これ以上のテスト続行は不可能と判断され試験部隊は母港であるグラナダ基地に帰還していた。
 グラナダでは機材の再調達とレムリアの修理、戦闘で損傷した2号機の改修が行われた。この修理を兼ねて2号機には次期プランの一つとして挙げられていた高機動型への換装が同時に行われることが決定された。

 高機動型プランとは脚部ユニットを撤去し、高機動スラスター兼プロペラントスペースに充てるというものであった。これでビショップの弱点であったプロペラント不足と、機動力強化を行うというものである。

 脚部ユニットはAMBAC機動を行い、地上を歩行するには必要不可欠なユニットだがAMBACを使用せず、推力に任せて航行する高機動型プランではむしろデットウェイトとなるため、これを排除して代わりに高機動ユニットを装着させる方式が取られた。
 これはMSというよりも、大量のプロペラント積載量と大推力に物を言わせるMAに近いプランである。歩行機能は失われるが、地上や重力区内での運用は行わないため、あるいは歩行が必要な場合は通常のビショップ仕様に換装可能だったために問題にはされなかった。

 高機動ユニットにはプロペラントタンクの他に核熱ロケットスラスターを四基、左右で合計八基、着艦用ギアを有する。自力歩行こそできないが、発着艦は不自由なく行える。
 この高機動ユニットの他に、ベースとなったビショップで問題となったプロペラント不足を解消するためにバックパックにも増加プロペラントタンクを装備したが、大容量のものを装着することが出来ず、結局、プロペラント不足を解決するには遠かったようである。

 武装はビショップと同様、両腕の攻撃端末のみで有線サイコミュで誘導を行う。当初は改修を兼ねて無線誘導式に改めることも検討されたが、パイロットのNT能力に合わせて従来の有線式のままとなっている。

 こうして、2号機が高機動仕様に改装され、テストも再開されたが戦況は悪化しつつあり、実戦テストを兼ねて実戦投入されることが決定された。しかし実情は戦力不足を補うための泥縄的な処置であったことは否めない。初期テストもおぼつかない形での決定であったため、MSN-01を使用してのテスト記録は残されていない。
 そして、ビショップ型のままであった3号機も急遽、高機動仕様に改造され、計2機がア・バオア・クーの防空部隊に実戦配備された。

 大戦最大の戦場となったア・バオア・クー会戦では、2機のMSN-01が実際に投入された記録が残っているが1機が連邦軍MSとの戦闘で撃破され、残りの1機は要塞陥落時に脱出した友軍兵士を曳航して戦線から離脱したとの記録が残されており、さしたる戦果は残していない。

 その後、生き残りのMSN-01は戦後の混乱にまぎれて行方不明となったが、脱出した兵士と共にアクシズ行きの艦艇に辿りつき、そのままアクシズへ搬入。その後のNT専用機のテストベッドの一つとして活用されたものと思われる。

 MSN-00キケロガ

 ジオン公国軍の次期主力機開発プロジェクト「ペズン計画」によって生み出されたMSの一つ。ペズン計画では様々な機構を持った新型MSが開発されていたことで知られているが、このキケロガはペズン計画によるニュータイプ専用機として計画された機体である。

 大戦後期のジオン公国軍ではグラナダ基地においてMSN-03ブラウ・ブロを経て、MAN-08エルメス、MS-06Zサイコミュ試験用ザク"ビショップ"などのNT専用機がロールアウトし、テストが開始されていた。
 また、ア・バオア・クー基地工廠では40m規模の機体、MS-16Xジオングの開発が進められNTの軍事利用が着々と進んでいたが、一方でペズン基地はNT専用MS開発に着手していなかった。

 元来、ペズン計画とは連邦軍MSの戦力化によって一気に旧式化した主力機MS-06シリーズを代替し、連邦軍MSに対抗しうる高性能量産機の開発をメインとしており、一部のニュータイプ・パイロットしか扱えない機体の開発は範疇外にあった。
 しかし、戦局の悪化によってサイド3防衛用MS開発の一環として、ペズンでもNT専用機の研究が開始された。少ない戦力で連邦軍の反攻を阻止するには、サイコミュ兵器が使用可能な機体が最適という結論に至ったためである。キケロガが本土決戦用MSを想定して開発されたのにはこうした経緯があった。

 ペズンでのNT専用機開発決定には、最高機密であるNT用MSの開発拠点を分散化させたいというジオン軍上層部の思惑が働いたとも言われている。戦況が悪化し、NT用MSを開発している拠点が連邦軍の侵攻を受けて陥落した場合、他の拠点でもNT用MS開発が続行できるようにとの配慮からである。
 特にペズン基地は連邦軍に知られていない秘密拠点であったため、NT用MSを開発するための拠点として最適であったことが分かる。

 軍上層部からの指示を受ける形で、ペズンでもNT専用MS開発が開始された。その第一段階としてグラナダから取り寄せたMS-06Zビショップのデータを解析した。ビショップは18m級の一般型サイズにサイコミュを無理やり押し込めた機体でサイコミュが攻撃端末誘導のみに限定されることや、MS-06FザクIIをベースにしていることからプロペラント不足などの多くの欠点を抱えていた機体であり、ペズンではまずこれらの欠点の解決を図ることにした。

 しかし、戦況はオデッサでの大敗以来、悪化の一途を辿っており、新規開発は時間的に見てもほぼ不可能であった。そこでペズン基地の開発チームは、ザクよりも機体容量に余裕のある機体の設計を流用することで、開発期間の圧縮にかかったのである。これは先のMS-06Zと同じ轍を踏みかねないが、最早、一から設計を行う余裕は開発陣には残されていなかった。
 また、NT用MS開発をペズン基地に指示したジオン軍上層部では18m規模の通常機体でのサイコミュ実用化に拘っていた節もあり、こうした思惑からベズンでは通常サイズでのNT用MSの開発を続行した。

 サイコミュの器となる機体は同工廠で開発が進んでいた次期主力機、MS-17ガルバルディの設計思想が反映された。ガルバルディは先のYMS-15ハクジで採用されたセミ・モノコック構造を持ち、フィールド・モーター関節駆動、チタン系合金装甲などの新機軸を採用した機体だが、ペズンでのキケロガ開発にはこうした新技術と、サイコミュ技術を融合させて試す目的もあったようだ。

 当初、キケロガはMSN-01ナンバーが与えられていたが、同時期にロールアウトしたMSN-01サイコミュ高機動試験用ザクに遡る形で、MSN-00に変更された。これはペズンが辺境にある拠点で、グラナダ基地で敵部隊と遭遇して破損したビショップ2号機が急遽、高機動仕様に改修されて新たなナンバーとしてMSN-01が与えられたことがペズンに伝わったのが、キケロガにMSN-01ナンバーが与えられた後であったことから、こうした情報の行き違いからナンバー重複という問題が起こったという。
 ビショップの高機動型より前にロールアウトしていたキケロガはそれより遡って、MSN-00に変更することで重複は解決したが、大戦末期は開発現場でも混乱を来していたことが分かる一例であろう。

 キケロガでもやはりサイコミュの小型化に手間取り、一部機能を省略することで解決を図っている。これはビショップと同様だが、キケロガでは大容量のジェネレーターとビショップのテストで判明した欠点の解決に全力を挙げたことや、ベースとなった機体がMS-06シリーズよりも高い拡張性を持っていたこともあり、ペイロードの問題はほぼ解決していた。
 ペイロードそのものも出来るだけ攻撃端末の姿勢制御に割り振らせ、機体本体用のものについては場合によっては増加タンクをバックパックに装着させることで苦心している。
 
 攻撃端末は両腕の有線ビーム砲が二基の他、肩部に装着された二門のビーム砲も有線で誘導させることが可能で、合計四基の攻撃端末を操作することが可能である。
 キケロガでは機体制御には通常操縦、四基の有線端末誘導にはサイコミュを使用するが、当初の計画では全ての操作をサイコミュのみで扱う構想であったという。しかし大戦末期の時点でのサイコミュの小型化には技術的なハードルが高く、キケロガではサイコミュの小型化を妨げる要素を排除することに腐心しているものの、それでも攻撃端末をビショップに比べて倍に増加させるだけの改良に留まっている。
 18mクラスの機体でのサイコミュ搭載実現は、グリプス抗争時に投入されたAMX-004キュベレイの実用化まで七年近くの時間を要することになる。

 キケロガは0079年末には試作機がロールアウトしたがすでにソロモンは陥落し、連邦軍はア・バオア・クー要塞へと迫っていた。そして、ソロモンが陥ちた今、ペズン基地が連邦軍に位置を特定されるのも時間の問題であった。

 結局、戦局の悪化によりキケロガは18mクラスMSでのサイコミュ導入という課題を残したまま、充分なデータが取れないまま、戦争は終結した。
 ちなみに本土決戦用MSという位置付けから、準生産も計画されていたが当然、量産は実現せずに戦争は終結し完成したのは試作機たった1機であったという。

 ペズンの開発スタッフはペズン計画で開発された試作機やそのデータを持ち出し、アクシズへ脱出するジオン軍艦船に合流しており、その時に完成したキケロガも持ち出され、アクシズで開発は続行された。
 その後、キケロガはサイコミュテストのベースとして活用され、サイコミュの小型化と、外部からの無人操縦などの各種テストに供され、後発機や後継機の開発に寄与したという。

 そして、キケロガを元にアクシズが開発した後継機がAMX-103Aワルキューレである。

 MSN-02ジオング

 ジオン公国軍が大戦末期に開発したNT専用MS。MS-06Zビショップ、MSN-03ブラウ・ブロの稼動データが反映されており、サイコミュ搭載型では初の人型機となった。ジオン公国軍最大にして最強のMSとしてその名称そのものにジオンの名が冠されたように、その性能はNT専用MSの中では随一を誇る機体となった。

 ジオングは開発系統的に言えばブラウ・ブロのMS版とも言える機体である。母体機の設計に縛られ、結局は新規開発機に近い大改修を行ったMS-06Zビショップや、ペズン計画機の設計を転用せざる得なかったMSN-00キケロガといった通常サイズでのサイコミュ搭載機はどれも良い結果を残していなかった。
 しかし、これらの機体とほぼ平行されて開発されていたジオングは完全な新規設計機であり、サイコミュ導入のためにペイロードを予め広く取っていたため、完成時には40mと通常MSよりも倍の大きさを持つ大型MSとなる予定であった。

 通常のサイズのほぼ倍である40mクラスであれば、人型MSであってもサイコミュをほぼ完全な形で搭載が可能であると判断され、18〜20mクラスの通常型MSへのサイコミュ搭載を見送る形となった。これはビショップの失敗によるものが大きく、開発チームの方針が修正された結果であった。これにより、ジオングもMS-16X当初の計画から大きく修正されることになった。

 ジオングは開発当初、ブラウ・ブロと同様、サイコミュ誘導によって機体各部を分離させてそれぞれ誘導端末として稼動させる案があった。これは両腕部、腹部、脚部、頭部と多岐に渡り、これを実現させるために機体の一部に内骨格フレームを内蔵させ、ブロックビルド概念を導入することで分離を容易くさせたという。
 また、外装そのものは生産性の高いセミ・モノコック構造とし、生産性と拡張性、及びメンテナンス性を高めているところは連邦軍MSやツイマッド社製試作機YMS-15ハクジと共通している。

 この構想は後に一部修正され、分離して独立して稼動可能な部位は両腕、コクピットがある頭部だけとなっているが、分離システムのために導入された内骨格構造は当時としては斬新なシステムである。当時のMSの構造の主流はあくまでモノコック/セミ・モノコックを含む外骨格構造であり、これより内骨格化が進むのは七年後のグリプス抗争期のことである。
 分離のために部分的ではあるが内骨格構造を採用するなど、技術的な点で見ればジオングは次期MSの橋渡し役的な存在であったことが分かるだろう。

 ちなみに内骨格化が及んでいたのは腕部、そして脚部の大腿部であった。そして脚部は大胆にも股関節部を含めてオプション兵装化しているのが特徴的である。これは脚部を省略して代わりに高機動スラスターをスカート内に内装させる案や、脚部ユニットの代わりにプロペラント・タンクを兼ねた大型ブースターを取り付けて、戦闘時間の延長や長距離戦闘を行うためのオプションが検討されていたためである。

 頭部ユニットは頭頂部にモノアイ・レールが延び、推進時にはモノアイが定位置につけられるようになっている。これは分離システム内蔵によって縦の首振りに制限が出たためで、モノアイの稼動範囲を広げることで解決を図っている。
 分離システムは同時に緊急脱出ユニットとしても機能し、その機能は後のMRX-009/MRX-010などといったジオングの系譜を受け継ぐ機体にも採用されている。頭部ユニットにはコクピットと、分離時に使用されるメガ粒子砲一門を装備するなど単体での攻撃能力は高いがペイロードが低いため、戦闘には適さない。あくまで緊急脱出用の装備である。

 コクピットは腹部と頭部ユニットにそれぞれ備わっており、当初はそれぞれにパイロットが搭乗することで有線サイコミュ端末の操作や機体操縦を分担する予定であった。そのため、腹部と頭部のコクピットは通路によって結ばれていたという。

 主武装は腹部に二門のビームキャノンと、両腕の有線サイコミュ攻撃端末。頭部の口部メガ粒子砲と、ビーム兵器が主体となっている。
 腕部の有線サイコミュ用攻撃端末は分離しないノーマルの状態でも五連装ビーム砲として使用可能で、その火力はジオン軍MSの中でも高い部類に入る。分離時には一射撃で本体に戻して充電を行うため、二本の誘導端末をローテーション運用して、オールレンジ攻撃を続行させる方法を取る。これはMS-06ZやMSN-00も同一である。

 こうして、機体分離のための内骨格構造の一部導入と、セミ・モノコック等のツイマッド社系技術を導入して、大戦末期に試作機がア・バオア・クー工廠において3機がロールアウトした。
 だが、完成した試作機のテストもままならないまま、戦況は悪化しつつあった。ソロモンが陥落し、連邦軍艦隊はサイド3を目指すべく、ア・バオア・クーに迫っていたからだ。

 ジオングは充分なテストが行われないまま、試作機のうち1機が大戦最大の戦場となったア・バオア・クー会戦において実戦投入されることが決定された。完成した機体は脚部ユニットの代わりにスラスターユニットに換装され、脚無しの状態で整備された。これはMSN-01のテスト結果によるもので、ジオングをMAとして運用するためのものと思われる。また、脚部ユニットの調整がまだ完全ではなく、脚部ユニットの装備を見送ってスラスターユニットに換装されたようだ。

 そして、このジオングに搭乗したのがジオン公国軍エース、シャア・アズナブル大佐であった。彼はキシリアの命令を受けて、急遽、ジオングに搭乗することになったのだ。彼の乗機であったYMS-14(MS-14S)が先の遭遇戦において破損して目下、自機が無かったこと、キシリアがアズナブル大佐のNT能力を見込んでの命令であった。

 この時、大佐は脚部ユニットの無い、スカートにスラスターがびっしりと内蔵された一種異様な大型MSを見て不安を覚えていたようだが、整備スタッフはジオングに脚部ユニットは邪魔であると説明して大佐を納得させたという。もっとも、大佐にこの機体以外のMSを乗る選択肢はなかったのだが……。

 出撃したジオングはこの時、要塞に接近する連邦軍MS部隊や艦艇を次々と有線サイコミュ端末によるオールレンジ攻撃で撃破するという大戦果を挙げた。有線端末による予期せぬ方向から撃ち込まれるビームによって、多くのMSや艦艇が不意撃ちにあって宇宙の藻屑と消えた。要塞に迫る連邦軍将兵にとって、ジオングの健闘振りはまさに鬼神の名に相応しいものとしてその記憶に刻み付けたという。

 そして、ジオングは連邦軍最大のエースパイロットであるアムロ・レイ少尉搭乗のRX-78-2ガンダムを大破せしめたものの、ジオングも腹部を撃ち抜かれ、頭部ユニットのみでの戦闘を余儀なくされた。大佐は出撃時には腹部のメイン・コクピットでジオングを操縦していたが、戦闘途中で連絡通路を使用して頭部コクピットに移動して戦闘を続行していた。この判断が彼の命を救うことにもなった。

 結局、要塞内でジオング、ガンダム両機ともに相討ちとなり、要塞内に残されていた2機も陥落時の要塞爆発によって焼失し、全機が失われた。

 戦後、ジオングの挙げた戦果を目の当たりにした連邦軍は、軍門に下ったア・バオア・クーでジオングの設計図やデータを接収することに成功し、MRX-009サイコガンダム開発の際にベースの一つとしてフィードバックされている。 しかし、連邦軍(ティターンズ)が開発したサイコミュ搭載機はどれも強化人間専用機としての色合いが強く、サイコミュそのものもまだ発展途上であり、連邦軍がジオングから得られた技術で実用化出来たのは有線誘導式攻撃端末の発展型であるインコムと、それに付帯する一般人パイロット用準サイコミュだけであった。
 
 一方、アクシズへ逃亡したジオン軍残党でもジオングをはじめとするNT専用MSの研究を続けており、こちらではサイコミュの小型化と攻撃端末の簡易化に腐心し、当初の18〜20m級MSでのサイコミュ搭載というジオング系MSに課せられた命題をほぼクリアーしつつあった。
 これらの機体群はAMX-103系として、第一次ネオ・ジオン抗争時において試作機が少数ながらも投入された記録が残っている。

 AMX-103Aワルキューレ

 アステロイド・ベルトに位置する中継基地、小惑星アクシズに逃亡したジオン公国軍残党によって戦後に開発されたNT専用MS。大戦末期に開発されたMSN-00キケロガの後継機とも言える機体である。

 戦後、アクシズではサイコミュの小型化と18〜20mクラスの通常型MSへのサイコミュ搭載を実現させるべく、研究が進んでいた。前大戦時のサイコミュは小型艇クラスの大型MAでなければ搭載が不可能で、これが建造費などのコストを高騰化させる一因となっていた。
 そのため、ジオン軍やフランガン機関では大戦時よりサイコミュの小型化と、一般サイズのMSの搭載を模索していた。それがMS-06Zをはじめとするジオング系MSであったが、ジオングですらフル装備時には40mという倍の大型機となってしまった。
 
 戦後のアクシズでは逃亡部隊が持ち込んだMSN-00キケロガMS-06Zビショップを使用し、アクシズに疎開していたフラナガン機関研究員の協力を得る形でサイコミュのデータ蓄積を進めた。その結果、序々にではあるがサイコミュの小型化が進み、20m級の重MSクラスであれば機能を簡略化させずに搭載させるところまで漕ぎ着けることができた。
 また、0084年頃より月の大企業、AE社との技術交流が行われておりムーバブル・フレームやリニア・シート、新型センサー類など、地球圏で発達した技術を入手することに成功し、これらの新技術も積極的に開発中のNT専用MSに導入していった。開発中であったAMX-004キュベレイとその競作関係にあった同機にもムーバブル・フレームやリニア・シートが導入され、NT専用MSの第二世代MS化も進んだ。

 当時、アクシズで開発されていたNT専用MSには多く二つに分かられていた。一つはフラナガン研で戦時中より開発されていたMAN-08エルメスの発展型。攻撃端末に無線誘導式のビット(ファンネル)を装備する本格的なNT専用機。これはAMX-004キュベレイとして知られている。
 もう一つはMSN-00キケロガ、MSN-02ジオングの発展型で有線式の攻撃端末を装備し、有線式であることからある程度、NT能力が低いパイロットであっても端末の誘導が可能であった。有線端末を有するキケロガ/ジオング系の末裔は、AMX-103Aワルキューレとして結実した。

 ワルキューレはジオングと同様、両腕に有線式端末を装備していたが、ワルキューレの端末は格闘戦を重視してマニュピレーターが三本の鉤爪型となり、中央に三門のビーム砲を内蔵する形となった。このため、マニュピレーター自体の作業性は低下しているが、ビームサーベルを握ることが可能となっている。
 誘導端末も肩部から分離させる方式になり、さらに二の腕からマニュピレーターを分離させることで有線式攻撃端末の有効距離を大幅に伸ばすことが可能となった。ケーブルは端末分離状態でも端末にプロペラントと電力の供給を行うことが可能で、そのために複数のケーブルが束ねられた形となっている。ちなみに腕部ビーム砲は未分離状態でも射撃が可能である。

 機体構造はムーバブル・フレームにガンダリウムγ合金製装甲を有し、第二世代MSとしての条件をクリアしている。また、機動性能を強化するために、肩部ユニットと腰部スカートにスラスターを合計25基以上も内蔵しており、これを稼動させることでMA並みの機動力と、MSとしての高い運動性を同時に実現させた。肩部ユニットは胴体部に固定され、腕部は球形ジョイントで自由に可動させる独特の設計となっている。
 大戦時のNT用MAは推進力とペイロードはあるが、その巨大さが災いしてか運動性は皆無に等しく、敵MSと接近戦となった場合、誘導端末による狙撃も不可能となるためにむざむざ撃破されてしまうという事例が多かった。
 特にMAN-08エルメスはビット以外の武装が二門のビーム砲のみで、大戦末期での戦闘ではRX-78-2ガンダムの接近戦によってビットが無力化され、反撃の手段を失って撃破されたことを教訓に、敵MSと接近戦に持ち込ませない、あるいは接近戦や格闘戦に持ち込まれても充分に切り抜けることが今後のNT専用MSに求められるようになったのである。

 従って、運動性の強化はNT専用MSにとっては最優先の命題でもあった。ワルキューレの場合、これをスラスター増設と、腕部にクローを装備させて対MS戦に対応させるという手段で解決している。

 ワルキューレは0087年初頭には試作機がロールアウトし、地球圏に帰還する途上でテストが開始された。同時期にロールアウトしたと思われるAMX-004キュベレイとは競作関係にあり、MS格闘戦と高い機動性を盛り込んだ同機と、ビットを小型化させた無線端末「ファンネル」を装備し、エルメスの能力をコンスタントに受け継いだキュベレイが競作にかけられた。
 これはアクシズが来る対連邦戦争を睨んで、極秘裏に編成を進めていたニュータイプ部隊の主力MSを決定するものであったが、ファンネルを実用化させ、サイコミュを含めたインターフェイスが最も進化したキュベレイに軍配が上がる形となった。このトライアルには、アクシズ宰相のハマーン・カーン本人がテストパイロットを務め、彼女が決定を下すという異例のことでもあった。そのため、ワルキューレの試作機には白とピンク系のハマーン・カーン専用機カラーが施されていたという。

 ハマーンはこの後、キュベレイの試作機を専用機としてグリプス抗争、第一次ネオ・ジオン抗争を戦うことになるが世が世であればハマーン・カーン専用機はワルキューレとなっていた可能性もあったのである。

 結局、ワルキューレはニュータイプ部隊専用機候補からは落ちて廃案となったが、この後、ハマーンはワルキューレの試作機を忠誠心の高い部下に賜っており、これをベースにサイコミュの再調整が施されたのがAMX-103Sハンマ・ハンマとなった。

 AMX-103Sハンマ・ハンマ

 AMX-103Aワルキューレを元に、騎士専用MSとして改修した機体。AMX-004キュベレイとの競作に落ちた同機の試作機を、ハマーンが忠誠心の高い部下の一人である騎士、マシュマー・セロ大尉に与えたもので、セロ大尉に合わせたサイコミュの再調整が行われ、指揮管制能力強化とカラーリングの変更が行われた以外は原型機と同仕様である。

 キュベレイとのコンベションに破れたワルキューレは、その後、開発も中断されていたが、機体そのもののポテンシャルは高かった。これに目をつけたハマーンはワルキューレを騎士専用MSとして実戦配備することを指示し、それをアクシズの騎士として叙任されたばかりであるマシュマー・セロ大尉に与えたのである。
 セロ大尉はハマーンに心酔する若手将校の一人で、ハマーンやミネバ・ザビ皇女に対する忠誠心が高いことで知られ、それが評価されてハマーンが試乗したワルキューレをセロ大尉専用機として賜ったのだ。ハマーンは功績を上げた部下に対し、士気を上げる意味合いがあったのか、専用MSを与えるなど報いている。こうした専用機は試作だけで終わった機体を転用し、パイロットに合わせた改修を施したもので、1機しかないハンドメイド機的な要素が強い。
 これらの騎士専用MSの起源は前大戦時の公国軍時代のMS-06SやMS-06Rシリーズといったごく少数のエースパイロットのみに与えられるカスタム機や先行試作機がそれにあたる。これは戦闘で功績を挙げたごく一部のエースのみに与えられる一種の特権であり、パイロットや将兵の士気を上げるには効果的であった。ジオンの残党であるアクシズでもこの「エースパイロットへのカスタム機の授与」の習慣が息づいていたのである。
 だが、こうした1機のみのカスタム機や試作機の実戦投入は兵站上においては必ずしも歓迎されないが、1機しか存在しないために敵にアクシズMS部隊の陣容が伝わりにくいなど、防諜上においても有効であったという。

 セロ大尉仕様は元のワルキューレと違い、指揮管制能力を強化するために頭部ユニット額部にアンテナを増設させ、サイコミュをセロ大尉に合わせた調整を施した以外は原型機と同一仕様である。また、左腕部にはウェポンラックを兼ねたシールドを新たに装備した。これは前面に三門のメガ粒子砲と機雷投下装置を内蔵しており、火力強化に繋がっている。
 このシールドはかつてのMS-15ギャンが装備していたシールド兼用ウェポンコンテナの設計思想を受け継ぐものであり、攻防一体の機能を持つ。このシールドは後年、再興ネオ・ジオン軍のMSN-03ヤクト・ドーガにも機雷搭載機能を省略し、砲数を増加させたタイプが採用されていることから優秀な武装だったことが分かる。
 また、シールドを装備したまま腕部を分離させ、誘導端末の一環として稼動させることも可能であり、同機の火力強化にも繋がっている。

 カラーリングは白とピンク系のハマーン・カーンカラーから、グリーンに変更された。これはセロ大尉がハンマ・ハンマの次に搭乗したAMX-110SザクIIIカスタムが同様のグリーン系カラーだったことから、セロ大尉のパーソナルカラーだった可能性もある。
 
 こうして、セロ大尉専用機として改修されたAMX-103Aワルキューレは、新たにハンマ・ハンマの名が与えられ、ナンバーもAMX-103のS型に変更された。0088年の第一次ネオ・ジオン抗争時に大尉が指揮する重巡洋艦エンドラに配備され、ガンダム・チームとの戦闘に投入されている。
 この時、持ち前の高機動と運動性を活かしてエゥーゴの強襲機動巡洋艦「アーガマ」所属のMSZ-006Zガンダムを翻弄し、頭部を撃破するなど戦果を挙げている。この後、セロ大尉はエンドラをアーガマとの戦闘で失い、サイド1での失態続きが祟り失脚。後方勤務へと回され、ハンマ・ハンマに搭乗して前線に立つことは無かった。

 しかし、この時、セロ大尉搭乗のハンマ・ハンマが見せたポテンシャルがアクシズ首脳陣に再評価されることになり、一般パイロット用サイコミュ機として準生産が検討されるが、先の内戦でエゥーゴとの抗争に敗れたティターンズから流出した試作機、ORX-013ガンダムMkVとの競作にかけられた結果、またしても敗れてしまい、一般パイロット用量産仕様も陽の目を見ることなく終わっている。

 ハンマ・ハンマ再評価に繋がるきっかけを作ったセロ大尉はその後、強化人間として再び前線の部隊に配置され内紛においてハマーン派部隊を率いてサイド3周辺の戦闘で活躍するが、この時の戦闘でAMX-014ドーベン・ウルフを装備するグレミー・トト軍のスペース・ウルフ隊と交戦の末、戦死している。
 ワルキューレ/ハンマ・ハンマの再評価のきっかけを作ったセロ大尉が、ハンマ・ハンマ量産を妨げた要因であるドーベン・ウルフを装備するエース部隊との戦闘に敗れ、非業の戦死を遂げたのには何からの因縁だったのかも知れない。

 AMX-103G量産型ハンマ・ハンマ

 AMX-103Sハンマ・ハンマの量産仕様。第一次ネオ・ジオン抗争において、騎士マシュマー・セロ大尉が専用機として使用したハンマ・ハンマは高いポテンシャルを見せ、エゥーゴの旗機であったMSZ-006Zガンダムを追い詰める程の性能を見せたことがきっかけとなり、今度は一般兵用サイコミュMSの候補として再浮上することになる。
 
 アクシズはグリプス抗争で壊滅したティターンズから連邦軍のNT関連技術を手中に収めることに成功しており、この中に連邦軍が開発を続けていた一般人用簡易サイコミュとインコム技術がアクシズ首脳陣に大きな注目を浴びた。ゼロ・サイコミュより性能は劣るが、NT能力の低いパイロットでもNT兵器である誘導端末が使える簡易型サイコミュと誘導端末インコムはアクシズ首脳陣には魅力的に映ったのだ。
 一方、アクシズでも以前から一般人向けの簡易サイコミュの研究を行っていたが、アクシズではニュータイプ部隊の編成と、サイコミュの小型化に重きを置いていたこともあり、一般人用サイコミュの研究ではティターンズに比べて遅れている状態で、グリプス抗争の時点ではまだ実用化されていなかった。
 しかし、ティターンズの技術を導入すれば早期に実用化可能との判断が下され、簡易サイコミュ搭載機がネオ・ジオン軍の次期主力機候補に上がることになった。

 ネオ・ジオンでは簡易サイコミュMSのベースとなる機体の選定を開始したが、この中でポテンシャル、ペイロード共に最適だったのがAMX-103Sハンマ・ハンマであった。ハンマ・ハンマは先のNT部隊専用機候補として俎上に上がり、AMX-004キュベレイとの競争に敗れて不採用となったAMX-103Aワルキューレがその原型機であり、開発が終了していた機体だったが、今度は一般兵用サイコミュ機候補として復活を遂げたのである。
 これはハンマ・ハンマのパイロットであったセロ大尉の活躍によるものが大きく、非可変機である同機が可変MSを圧倒する程の性能を持ち得ていることから、簡易サイコミュ搭載機のベースとして最適であると考えられたのだ。

 G型はセロ大尉仕様のS型をベースとし、生産性を高めるために腕部有線端末は左腕のみとし、右腕部は通常型のマニュピレーターに変更された。これによってビームライフルなどの通常の携行火器を装備・使用することが可能となり、簡易サイコミュ兵器が使用不能に陥っても戦闘続行が可能なように考慮された。A/S型では両腕が誘導端末を兼ねるビーム砲を内蔵していたが、分離・誘導時に敵MSからの砲撃等でケーブルが破断した場合火力や戦闘力が低下するという欠点が指摘されており、G型では右腕部のみが通常型マニュピレーターとなった。

 頭部ユニットも設計変更され、原型機であるA/S型に比べ生産性の高いものに変更されている。そのためか、モノアイの可動範囲は原型機に比べて大幅に向上している。

 こうして、次期主力機の簡易サイコミュMS案として有力視されたハンマ・ハンマであったが、またしても量産化を妨げる要素が現れた。それは簡易サイコミュをネオ・ジオンにもたらしたティターンズ製ORX-013ガンダムMkVの改良量産型が競作機として浮上したためである。
 当初、ハンマ・ハンマを改良量産することで簡易サイコミュ搭載機を揃えようと考えていたネオ・ジオン首脳部であったが、ティターンズから流出したガンダムMkVに改良を施してそのまま量産した方が得策であると考え、ハンマ・ハンマ量産計画は却下されてしまう。
 これにはベースとなったハンマ・ハンマの生産性が低かったこと、対してガンダムMkVはMS単体としても高い汎用性を持っていたことが高く評価されたこと、連邦製簡易サイコミュをアクシズにもたらしたローレン・ナカモト博士がこの計画において主導権を握り、自分が開発に携わったMkVの量産化を強く推したことが競作に敗れた一因でもあった。ちなみにMkVは改設計が施された上で、AMX-014ドーベン・ウルフとして制式採用された。

 ドーベン・ウルフとの競作に敗れたG型は0088年中頃にアクシズの工廠で数機が生産試作され、試験部隊に配備され評価試験が行われたのみで、その後の量産計画は頓挫している。
 これらの生産試作機は0088年末のネオ・ジオン内紛時にハマーン・カーン陣営側で実戦投入された記録が残っているが、内紛による激しい消耗戦によって全機が失われている。