Cuaderno de peli'cula(2)

Cuaderno de peli'cula(1)

「日曜日の憂鬱」「待ってました!」「非推薦作品」「夢の共演」

「未知の恐怖」「知名度」「見て!騙されたと思って」

たらりん、たらりん♪

 

 バイトが終わって、そのまま映画館に直行した。その映画は絶対見たいとは思ってたけど、今日見ないといけないってわけじゃなかった。ただ、なんとなく。文字通りふらりと見に行ったのだ。

 

 映画のタイトルは「ミラクル・ペティント」。スペイン映画、El milagro de P. Tintoだ。

 最近、駅の構内でポスターを見かけるあれである。黄色のバックにおじいちゃんが宇宙服を着て、上を見上げている。キャッチコピーが

 

みんな いっしょに タラリン タラリン

 

一目でバカ映画だってのがわかるポスターだ。

 

 見終わった感想は、難しいの一言。映画が難解で理解できないんじゃない。感想を言葉にするのが難しいのだ。

 

 バカ映画は嫌いじゃない。いや、人に勧めるほど大好きである。「オースティン・パワーズ・デラックス」「マーズアタック」も映画館にまで見に行ったし、「キラーコンドーム」ももちろんチェック済みである。スペイン映画では「Torrente」「ビースト/獣の日」のビデオまで持っている。

 

 なのに、この映画は自分が気に入ったのかどうかさえわからなかった。決してつまんなかったわけじゃない。

 話は単純。キャラクターも単純。字幕で伝わらないギャグも理解できた。でも・・・なんでだろう?

 

 うーむ。と、しばらく考えてわかったのは、観客に期待されている感受性の違いが原因だっていうこと。この映画はスペインギャグ満載なんだよね。スペイン人が大好きなチステ(ジョーク、小話)に首をひねるのと同じ感覚。笑いのツボが違うんだよね。

00/6/14

(加筆修正00/7/10)

漢の映画

 

 一般公開初日、しかも朝イチから見てきましたよ、「五条霊戦記」。いやね、実は永瀬正敏のファンなんですよ。「俺の名前は濱マイク。本名だ」ってね。

 で、ワクワクしながら観に行ったこの映画。細かい部分でアラがあるんだけど、全体としてはよくできた映画だと思う。浅野忠信も永瀬正敏もかっこよかったし、セットや音楽もこだわりが感じられるし。俺的には十分面白かった。

 でも、俺はこの映画はそれほどヒットしないと思う。なぜか?それは、監督のこだわりが若い男性の感性に訴えようとしていること。

 

 監督がゲーム好きなんだなってことがよくわかる映画なんだよ。なんかねぇ、映画全体の世界観が

 

時代劇対戦格闘ゲーム

 

って感じ。愛読書は「北斗の拳」「修羅の時」ってとこだな。いや、単なる憶測にしか過ぎないけどね。

 

 お涙頂戴の映画なんかじゃ全然ない。アルモドバルの「オール・アバウト・マイ・マザー」とは正反対の位置にあると言っていい。女性がこの映画を見ようと思うとしたら、浅野や永瀬を見たいと思うからだろう。

 でも、本当の主役は彼らふたりじゃないんだな、これが。弁慶役の隆大介に比べたら全然影が薄いんだもん。あの演技には、マジで漢(おとこ)を感じます。

 

 でさ、男性にターゲットをあてた映画ってヒットしないと思うんだよね。男だけが足を運ぶ映画館なんて、なんか違うものを想像しちゃうでしょ(^^;

 このことは映画館の「女性感謝デー」を考えるとよくわかる。こんなわかりやすい男女差別サービスがまかり通るのは、男性が来るより女性が来るほうが儲かるからに決まってんじゃん。なんでかって?女性が来さえすれば、男がノコノコ付いてくるからだよ。女性が集まるところには男性もそれにつられて集まってくるってね。話は逸れるけど、なんでフェミニズム教の信者は「女性感謝デー」に異議を唱えないんだ?

 それにさ、タイトルがねぇ・・・。本当に時代劇対戦格闘ゲームにありそうな感じじゃん。「GOJOE」だけでよかったんじゃないの?ま、ヒットするかしないかは別として、俺と同じ年代の男性だったら面白いと思えるはず。漢だったら観に行きましょう。

00/10/8

暴力というもの

 

 面白かった、「ファイト・クラブ」! 「バトル・ロワイヤル」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」も気に入らず、映画というジャンルそのものに少々失望しつつあった今日この頃。久しぶりにいい映画だったなぁって思ったね。

 

なにを今頃?

 

って声が聞こえてきそうだけど・・・。敬遠してたんだよ、アメリカ映画だから。

 

ブラッド・ピットの裸がかっこいい♪

 

なぁんていう感想しか聞いてなかったからさ。

 

 資本主義批判をあれだけできれば上出来でしょ。物質主義的な社会に生きる人間を物への隷属であると喝破して、生きる意味を力ずくで問いただす。そこに論理的矛盾は見出せず、しかもメッセージは観客に直接に突きつけられる。いいじゃん。

 

 映画の中でさ、主人公やブラッド・ピットが観客に直接語りかけるシーンあるでしょ? あれってさ、ストーリーをぶち壊す可能性もある諸刃の剣なわけ。下手するとストーリーが現実じゃなくてフィクションであることを意識させちゃうでしょ?そういうある意味、危険な手法を敢えて用いながら効果的にメッセージを伝えている。

 

 結局、暴力という非合法でしか社会の歪んだ秩序は破壊できないんだよね。歴史を振り返ってみると、「平等」とか「友愛」なんて綺麗事も、結局は(フランス)革命という暴力行為によって達成されたもんなんだよな。ふむ。(←危険思想?)

 

 そして、この映画を見た後に考えたのは暴力についてだった。純粋な暴力ってさ、人間にカタルシス(浄化)をもたらすもんだと思う。ボクシングとかK-1なんていう暴力が見世物として成り立つのも、そうした仕組みの中で説明できるんだよ。それに、古代社会で生贄なんていう死さえももたらす宗教的暴力が実現されてたのも、それがカタルシスをもたらすもんだからでしょ?

 「純粋な」っていう言葉で限定したけど、暴力だったらなんでも肯定するわけじゃないんだよね。暴力を加える者、そしてそれを受ける者がそれぞれの役割を受け入れた上でっていう条件がつく。一方的に攻撃するのは独りよがりで、断罪されるしかない。

 

 暴力が規制されるのは、それが社会生活を脅かすものだからっしょ。

 

「私もあなたに暴力を加えないから、あなたも私に暴力を加えないでね♪」

 

ってのが成り立たないと社会生活が根本から崩れちまう。

 

 でも、人間の破壊衝動を完全に押さえ込んでしまうことは不可能。そこでガス抜きが必要になる。殴り合いを見せるショービジネスやSMみたいな暴力行為ってのは、そういう意味で社会的な効用があるわけ。「暴力反対!」っていうだけの綺麗事だけじゃダメなんだ。

 母親や教師が「あんなにいい子」と呼ぶガキが理解不能な殺人事件を引き起こしちゃうのも、周りの大人が綺麗事だけの価値観でしか子供と接してなかったからだと思うんだよね。つまり、現在社会のもつ価値観が絶対じゃないどころか歪んだものだってのが露出している一つの形態がガキの暴走ってわけ。

 

 映画の中で「ファイト・クラブ」なんていう組織が成立できるのも、そうした人間の奥底に押さえ込まれた破壊衝動を踏まえないできない限り理解できないんじゃないかな。

 

 よくわかるんだよね。それを解放させるかどうかは別にして、自分の中の破壊衝動、たまに意識するから。俺は必死の殴り合い(←空手歴11年)とかマジで自分の命を賭けたときに、どれだけの「快」が全身を駆け巡るのかを経験でもって知ってる。だから一方的な暴力は否定しても、暴力そのものを否定しようとは思わない。

 

 所詮、力をもってる強者が正義を支配してしまうってのは否定できないんだよね。まだ真剣に読んだことのないニーチェの著作を読んでみたいと思ったのが、この映画を見た後に思った感想かな。

01/7/14

説明不能

 

 「けものがれ、俺の猿と」っていう邦画を見てきた。(またもや)永瀬正敏主演のやつ。

 

タイトルだけでは意味不明、そして映画そのものも意味不明。

 

 そんな映画だったな。「不条理映画」ってこういうのを言うんだろうな。単純に笑える映画じゃないし、見た後にスッキリするようなカタルシスが得られるわけでもない。どこがいいのか説明できないんだよな。

 

 あ、ガハハと笑えるナンセンス映画を期待してるんだったら観ないほうがいいよ。そんな映画じゃないから。

 

 不条理ってさ、理解できたら失敗なわけで、理解できないながらも何らかの衝撃を与えることができたら「不条理映画」ってのは成功なのだろう。

 そういった意味で、この映画は成功していたと思う。理解されることを見事なまでに拒否している。

 

 そして、大江健三郎の言う通り「異化」することが芸術の目的だとすると(←『小説の方法』参照)、映画館を出た後に感じた違和感、ざらついた現実感はこの映画の成功している証左だと思う。映画館がある場所が渋谷だったからという理由もあるんだろうけど。

 

 残念だったのは、永瀬のカッコよさよりも他のキャラクターの強烈さのほうが上回ってたことかな。鳥肌実が演じる島田、強烈すぎ。あのキャラクターが頭から離れませぬ。

01/7/25

ため息のでる美しさ

 

 新宿に「Stereo Future」を観に行った。またもや主演、永瀬正敏♪

 

 「環境を大切に♪」っていう薄っぺらなメッセージが鼻についたけど、それを帳消しにしてくれるだけの美しさだった。

 CGを使いまくって人工的な美しさを醸しだしてる映画って、年月が経つにしたがって色褪せていくと思うんだよね。技術がどんどん進んでいくと、昔のやつは古臭く見えるようになっていく。「CGが凄い」って言うのって「映像加工技術もここまで進んだか」って言うのと同じ。映像そのものに感動しているんじゃなくて、技術の進歩に感心してるだけ。それってあんまり意味がない

 その点、この映画は景色そのものだとか、人物の表情とか、純粋に「美しい」描写が満載。うっとり眺めてられるって意外といいもんだよな。そう思った。

 

 美しいのは映像そのものだけじゃない。ひたむきに生きる登場人物とかさ、心が美しいんだよね。

 

汚れきった俺の心とは正反対。

 

 夢を追うことを辞めようとする主人公のせいで口をきけなくなるヒロインとかさ。恥ずかしいくらいに純粋なんだけど、嘘臭さがない。笑えるシーンも随所に盛り込まれて、見ていて飽きないし。

 心が浄化される映画で、すがすがしい気分で映画館を出れる。映画館でサントラまで買ったのはこの映画が初めて。マジでお薦めだよ。

01/7/28

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