美術館

 

 

 ここで取り上げるのはプラド美術館とソフィア王妃芸術センター、サン・フェルナンド美術アカデミーの常設展示。最初は「研究室」に書いてたんだけど、文章も写真も量が多くなりそうなので独立させることにした。

 「ソフィアで見た夢」のタイトルに100%沿った内容でしょ? 俺の視点ってちょっと変わってるから、ガイドブックには載ってない見方を提示できる・・・はず。

 

プラド美術館 (1) (2) 
開催中の展覧会 「フェルメールとオランダの室内」展 5月18日まで
「17世紀ボローニャ派の素描」展 5月25日まで
開催が予定されている展覧会 「芸術・書籍・文書遺産保護評議会 1936-1939」展 5月20日-7月29日 
ソフィア王妃芸術センター (1) (2) (3)
開催中の展覧会 「構成主義スイス」展 5月12日まで
「アヴァンギャルドのロシア本」展 5月5日まで
「ソベル」展 5月5日まで
サン・フェルナンド
美術アカデミー
(1)

 

サン・フェルナンド(2)

 

 今回はサン・フェルナンド美術アカデミーに展示されている一枚の作品に焦点を絞ってみよう。名づけて「試験に出る一問一答」方式。(←深い意味はない)

 

 テーマとなるのはイグナシオ・スロアガの《トレド風景》。こんな作品を入試に出す大学(院)が日本にあれば、速攻帰国して入学するね、マジで・・・ってくらいマイナー。

 

 

 暗雲立ち込める陰気な風景画である。この作品の前で立ち止まって鑑賞しようという気には到底ならないかもしれない。しかし、この作品はだからこそ面白いのである。

 

 ここでよく考えてみて欲しい。西洋絵画で「暗雲立ち込める」絵画って他にあるだろうか。

 確かに風景画というものにはほとんど必ずといっていいほど雲が描かれているが、それは青一色で単調になるのを避けるために描きこまれた、いわば添え物のような雲であり、今にも雨が降り出しそうな黒雲ではない。

 フェルメールの《デルフト風景》やモネの《日の出》が今にも降り出しそうな曇り空だったら・・・って想像してみ。天気が悪いということは、それだけで既に異常なのである。

 

 スペインの明るいイメージとは正反対の風景画。奇妙に聞こえるかもしれないが、これこそスペインの本質を描き出しているような気がする。実際、ウナムノを代表とする98年世代がスロアガを絶賛していただけでなく、次世代のオルテガまでもがスペインの大地を最も適切に描き出した画家だと評している。(Maria Dolores Jimenez Blanco: "Arte y politica en la pintura espanola del novecientos", en Arte y Politica en Espana 1898-1939, Granada, Instituto Andaluz del Patrimonio Historico, 2002, p.33参照)

 

 20世紀の初頭では常套句でもあった「黒いスペイン」。それがここに体現しているのである。

 

 しかも、スロアガはスペイン国内で評価されていただけの単なる地方画家ではない。パリに長いこと滞在し、国際的名声を獲得した画家である。例えば1931年、公教育・芸術省と国務省の主催でオスロで開かれたスペイン美術展のカタログで彼の名声は次のように高く評価されている。

 

[この展覧会には]国境線を越えた正真正銘の名声と評判の頂点を極めた−その様式は様々ではあるが同じような名声を博した−何人かの著名な芸術家たちが欠けている。アングラーダ、ピカソ、スロアガなどである。
Exposicion de Arte Espanol (cat. exp.), Oslo, abril de 1931, s./p.)

 

 そう。ピカソと同等に扱われてるほどだったのである。時代の変遷と共に画家の名声や国のイメージが変わっていくことはスロアガを通しても見えてくる。

 

 話を《トレド風景》に戻そう。こうした暗雲立ち込める絵画が実はもう一点ある。他でもない、エル・グレコの《トレド風景》である。エル・グレコの街として観光客を集めるトレドの風景を描くにあたってスロアガがこの作品を意識していたことは想像に難くない。

 

 さて、ここで指摘しなきゃならないのは、この二つの作品では共通点と相違点が表裏一体となっていることだ。

 既に述べたように「暗雲立ち込め」てることは共通している。でも、エル・グレコの場合、雲の合間から光が差し込んでいるのに対して、スロアガ作品は街全体が雲の下に暗く沈みこんでいる。両者をそれぞれ一言で表すとすれば、「救済への希望」と「不吉なまでの絶望」といったところか。

 また、エル・グレコが描いたものがバスターミナルや闘牛場方面から見た「トレド風景」であるのに対して、スロアガの作品はまったく反対側、つまりパラドール方面から見た「トレド風景」となっている。

 この差はデカい。実際、画家の視点の違いはそのまま構図に大きく影響を与えることとなっている。前者がトレドの一部を切り取ったものであるのに対して、後者は街の全景を描き出している。

 

 確かに、トレドの街を見たままに描いた、いわゆる写生画でないということも両者の共通点として挙げることができるかもしれない。しかし、この共通点こそが両者の意味を決定的に違うものにしているのである。 

 まず、エル・グレコの《トレド風景》では大聖堂の塔があり得ない位置に移動させられている。本来、もっと右のほうにあって画面には見えないはず。それがアルカサルの左側、目立つように描きこまれているのは宗教都市としてのトレドの性格を強調するために他ならない。

 これに対して、スロアガの《トレド風景》ではあるべきものがない。構図を左にずらすことによって、意図的にアルカサルが視野から消されているのである。軍事拠点としてのトレドの重要性を象徴するアルカサルは大聖堂に次ぐ主要建築のはずなのにである。エル・グレコの《トレド風景》を意識しているのであればなおさらだ。これはなぜなのか?

 

 詳しく調べたわけじゃないから作品の制作年代を特定していないのが痛いところなのだが、スロアガが《トレド風景》を描いたのが30年代後半だったからなんじゃないかと思う。

 

 

 1936年、内戦の激しい戦闘によって、トレドのアルカサルは瓦礫の山と化してしまった。現在見ることができるのは後に再建されたもの。つまり、スロアガが《トレド風景》を描いたとき、アルカサルは写真のような状態にあったんじゃないだろうか?

 フランコ軍によって破壊されたアルカサルを描くことは、そのままファシズム批判に結びついてしまう。軍事的、宗教的拠点であるトレドで晩年を過ごしたスロアガがフランコ政権に楯突くなんてあり得ない。スロアガは政治的配慮によって視点を左にずらした、そう考えるのが自然な気がする。

 しかも、スペイン帝国の復活を夢見ていたフランコ政権下でトレドを描くということは、そのまま「偉大なるカトリック帝国スペイン」を表象することになりうる。意地の悪い見方をすれば、スロアガの《トレド風景》はファシズム絵画と捉えることさえできそうだ。

 ただ、「暗雲立ち込める」っていう事実がそれを否定することになっちゃうのがこの仮説の弱点ではあるんだけど・・・。しかも、実はスロアガの《トレド風景》の制作年代は内戦以前でした・・・ってことになると、ここに書いたことは丸っきりの嘘っぱちってことになっちゃうんだけどさ。

 

 いずれにせよ、スロアガが描くカスティージャの精神的中心都市は暗雲に覆われ、絶望に沈み込んでいる。これはスペインの暗さなのであり、スロアガが生きた時代の暗さなんだと思う。98年世代、内戦、フランコ政権。どれもスペイン史の重要な一側面を成していることは確かである。

03/4/22