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| 序 章 : 赤 い 鳳 仙 花 1 構成劇「赤い鳳仙花」 | |
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本論に入る前に、私たち中央高校社研部のとりくみの一端を、構成劇「赤い鳳仙花―地域から見え たもの」のシナリオ(1部)で紹介したい。 この構成劇は、亀島山地下工場跡を抱えるK地区の、在日韓国・朝鮮人と「部落」の人びと、雇用 促進住宅に入居している人びととの間にどのような地域づくりの課題があるのかを明らかにしようと した地域交流学習の調査結果をベースにし、中央高校社研部が一九八七年から続けていた亀島山地下 工場の掘りおこしからその後の韓国の人びととの交流までをまとめたものである。中心テーマは、亀 島山地下工場での朝鮮人強制労働という史実をみつめ、亀島山周辺の地域が抱える今日的問題を考え ながら、韓国・朝鮮の人びとと共に、未来をどのように生きていくべきなのかという、過去・現在・ 未来を貫いて地域からアジアを見つめることの大切さを訴えることだった。中央高校社研部と備南地 区のとりくみが結びついて創作された構成劇である。 一九八九年十月七日、高生部研(岡山県高校生部落問題研究部連絡協議会)備南地区八校の社研部 (社会問題研究部)の生徒二八名は岡山市民会館の舞台に立った。第二五回岡山県高校生部落問題研 究集会開会集会での構成劇の上演である。上演時間四五分、観客は生徒・教員合わせて約一六〇〇名 であった。 |
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| ●第一場 |
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| <B29の爆音、サイレン、炸裂音の大音響、空襲警報、サーチライト> | |
| ナレーション: | 一九一〇年、「日韓併合」条約。日本は朝鮮を完全に植民地とし、さらに、一九三一年、満州事変により中国へ
の侵略を開始。これが十五年戦争、アジア・太平洋戦争のはじまりでした。アメリカの参戦とともに戦況は悪化し、一九四四年頃からB29による本土空襲が 始まりました。ここ水島は一九四五年六月二二日、空襲を受けました。当時水島には、三菱重工業水島航空機製作所があり、爆撃機を生産していました。敗戦の前の年から、空襲に備えて軍隊の監視下で、百名以上の朝鮮人労働者を使い、大型防空壕を掘らせて、そこに飛行機工場を移そうとしていたのです。これが「亀島山地下工場」なのです。 |
| <落盤事故!落盤の大音響しばらくつづく> | |
| 舞台裏の声: | 落盤だあー大変だ!二人やられたぞ! おーい!手を倉してくれーえ!助けてくれー!
(人夫たち、思わず行きかける) |
| 現場監督: | こりゃー!きさまら、持場離れる気か!勝手なことするな! (竹刀で人夫たちを殴る。ける。人夫倒れる) |
| 現場監督: | きさまら、朝鮮人の二人や三人のケガくらいで仕事を止められるか。
いくさをしている兵隊さんのことを考えてみろ! (上手から一人の人夫が運び出されてくる。それに向ってかけ寄る人夫たち) |
| 人夫1: | おい!キム!キム!おい!しっかりしろ! |
| 現場監督: | バカヤロー!この非国民が!ムダ死にしやがって!おい、憲兵さんにお願いして、かわりにあと番で寝ているヤ
ツを二〜三人たたきおこしてこい!てめえらが何人くたばったっても仕事をおくらせるわけにゃいかねえんだ。この野郎!サボるんじゃねえ。 (ぼうぜんとしている人夫の腰をける) |
| <舞台中央と上手の証明消える。舞台下手、眠っている人夫たちに照明。そこへ憲兵がやってくる> | |
| 憲兵: | (起きている人夫に)おい!おまえ!そこで何をしとるか!起きとるんなら仕事に行かんか!こっち来い!
(と、ひっぱり出す)おまえもだ!(となりに寝ている人夫もひきずり出す)おい!おまえはなぜものを言わんか。おい!起きて何うしとったんなら!なぜものをいわんか!(殴る) |
| 人夫: | すいません!すいません!腹へって眠れんし、小便でも行こうかと・・・。 |
| 憲兵: | なにー、つべこべぬかすな!(殴る)おまえとおまえ、これから仕事だ。さあ、来い! |
| <憲兵、人夫を連れて去る。残っている人夫たちが語りはじめる。「鳳仙花」のメロディー流れる> | |
| 人夫3: | ああ、もう耐えられない。きのうも今日も仲間、死ぬ。いったい何人の骨、埋めていけばいいのか。
わたし、なんとしても生きて帰りたい。逃げられるものなら逃げて帰りたい。あいつら、ニホンシン、とうして働いているワシらのことバカにするのか。なにかというと、すくなくる。ける。ワシらをなくるのは「牛なくるのと同し」といいなから、むちゃくちゃする。 |
| 人夫4: | わたし、もう腹へってへって仕事(しこと)てきない。米のメシ、見たことない。中国の豆のしぼりかすたけてひと
つて朝から夜まで働かされて。たべるもの、ゆっくりたべれない。ミソ汁、とってきて、それから、豆カスのメシもらってかえってくると、たれかもう飲んでしまい、ミソ汁はもう空。そしてミソ汁またとりにいってかえってくると、今度(こんと)メシ、ない。 |
| 人夫3: | はくものないから、足くさってウミは出(て)るし、メシはくれんし、ミソ汁は飲まれてしまうし・・・。憲兵にひっぱり
出されたら、やつらの大きな長靴(なかくつ)てける、ふむ、頭をなくる・・・朝鮮(ちょせん)はなくられんとおえんいうて・・・。地ぺたにすわらせて30 くらいなくられ、もう眼ん玉とび出しそう。 |
| 人夫4: | 朝鮮の村ては、一番上は日本の警察。そこから、通知来た。葉書(はかき)一枚て、何月何日まてに来いと。こ
れにさからったらこわいから、それてここまで連れてこられた。わしらの国をとり、土地をとりあげ、娘や男やわしらの国のおおくの人間(にんけん) を家畜のように無理失理ひっぱっていって・・・名前もうぱいとられて、日本人(にほんちん)のような名前に変えさせられて。言葉まてうばわれて・・・学校(かっこう) ても日本語(こ)で授業(ちゅきょう)。として、わしら、日本人と同し、しなたいといけないのか。村て暮らすのもむつかしい。日本へ連れてこられたこのさま。それは悲惨な毎日たった。これかわしらの運命たろか。毎晩ふるさとの夢ぱっかりみる。あーあ、アボジやオモニはぷしくらしているたろか。もう、わしは朝鮮に帰ることてきないのか。いつになったら戦争終わるのか。いつになったら、腹いっぱいメシくえ、自由になれるのか。アイゴー、アイゴー。 |
| <溶暗> | |
| ナレーション: | 一九四五年八月六日、広島に原爆投下。八月八日、ソ連対日参戦布告。八月九日、長崎に原爆投下。八月十
五日、日本、無条件降伏。 |
| <「玉音放送」、ガーンと閉じるような音> | |
| ●第二場 | |
| <舞台闇。BGM「サマー・タイム」、スライド・テロップ「一九八七年・夏」。スライドで亀島山
地下工場の紹介がはじまる。セミの
声がはじまり、時々聞こえる> |
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| 生徒G: | あれから四二年。水島空襲の調査をしている時、私たちは「亀島山地下工場」を発見
したのです。普通の防空
壕ぐらいにしか思っていませんでしたが、長靴をはき、懐中電灯をもってトンネルに入ってみてびっくりしました。こんなところに、こんなとてつもなく巨大なトンネルが掘られていたなんて・・・。それはまさに「地下工場」でした。全長約二キロメートル、総面積七八四八平方メートル。大きな運動場ひとつ分もあるトンネル・・・。 |
| <舞台闇。地下工場(トンネル)内。懐中電灯、長靴姿の生徒たち登場。案内しているのは在日朝鮮人のAさん。スクリーンにトン
ネル内部の写真が映し出される> |
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| 生徒B: | わーっ、まっくらじゃ。 |
| 生徒F: | 空気がヒンヤリして気持ちいい。 |
| 生徒C: | 懐中電灯をつけてくれ。 |
| <懐中電灯が二つ、三つつく。しだいにうす明るくなる> | |
| 生徒H: | わーっ、ずーっとつづいているわ。 |
| 在日朝鮮人A: | 地下工場の出入り口は全部で七ヵ所あったんですけど、戦後
四ヶ所は埋められてしまって、残った三ヵ所のうち二ヶ所は土砂なんかで埋もれてしまって、いま出入りできるのはさっき入ってきた西側の入り口だけです。 |
| 生徒B: | ここらへんはコンクリートで固められていますね。 |
| 在日朝鮮人A: | そうです。ここらは正式な出入り口にしようとし
てたらしいんです。ほら(天井へあかりを向ける)、あそこらへんには穴があいているでしょう。 |
| 生徒C: | 金さん、あそこに四角に切ったところがあるけど、あれは? |
| 在日朝鮮人A: | あれはドアをつけようとしたところじゃないですかね。みんな、ちょっとこっちの壁を見てごらん。穴がいくつもある
でしょう。これはダイナマイトをしかけた穴なんです。こいつはとても危険でね。そんな仕事は全部、朝鮮人がやらされていたんです。死んだり、大けがをした仲間がずいぶんいました。 |
| 生徒D: | 作業は朝から晩までですか。 |
| 在日朝鮮人A: | いやあ、作業は交代制で、夜通し掘らされていたんですよ。 |
| 生徒E: | あっ!レンガのようなものを積んだところもありますね。 |
| 在日朝鮮人A: | そうですね。ほら、鉄のくぎみたいなものも残ってますよ。ここはまだ掘りかけのところで、支えの木がくずれて
残っています。あちらこちにこんな支えの木があったんですけど、戦後、近所の人がたき木に持って帰ってしまったんですよ。それじゃあ、もっと奥へ行ってみましょう。 |
| <懐中電灯が消え、再び真っ暗になる> | |
| ナレーション: |
このトンネルに入れば、どこまでも続く真っ暗な闇。その岩壁は、さまざまに“戦争”というものを私たちに語りかけ てくれるのです。 |
| <舞台下手の生徒にスポットをあてる> | |
| 生徒G: | 現在、この「亀島山地下工場」のある地域には在日韓国・朝鮮人が多く住んでいます。被差別部落もあります。
雇用促進住宅もあります。ともに生きる社会を学んでいる私たちは、このK地区に深い関心を持ちました。そこで、この夏、この地域におじゃま して自炊をしながら、二泊三日で、「K地区地域交流学習」にとりくみました。 |
| <せみしぐれの声、大きく聞こえてくる。スライド・テロップ。「一九八九年、夏。高生部研・備南
地区地域交流学習第一日/聞
き取り学習、地域の声」。舞台上手の人物にスポットをあてる> |
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| 地元の人A: | 私たちは、今から二二年前にここへ住むようになりました。それまでずっと、生活に不便な山の上で暮らしてき
たのです。台風がくれば大きな被害が出ました。私たちは市に要求して、ここに住宅が出来たのです。つまり、それまで、ここにはいわゆる被差別部落はなく、それどころか、ここには在日韓国・朝鮮人以外はほとんど誰も住んでいなかったのです。その後、この地区には、し尿処理場、下水処理場、ゴミ焼却場などの施設ができ、そのため、この地区全体がイヤなイメージで見られ、いわば、地域全体が差別されているのです。 |
| 地元の人B: | 昔はきびしい部落差別がありました。私はあのことだけは忘れることができません。あれは、小学校五年生の
調理実習の時に、先生は私に、「きたないからしなくていい」といわれたのです。ここに来てからは、そんなことはありませんがね。 |
| 地元の人C: | 私は雇用促進住宅に住んでいます。ここへ来る前は九州の炭鉱で働いていました。炭鉱が閉山になり、昭和四
一年、水島に来ました。ここでは、川崎製鉄の下請会社な どで働きましたが、残業が毎日二時間以上もあり、休むと同僚に迷惑がかかるので、年次休暇もとれませんでした。それに水島コンビナートの大気汚染で公害病になり、今も苦しんでいます。 |
| 地元の人D: | 私は家を新築するため、半年ほどアパートに入ろうと不動産やへ行ったら、K地区のものということで断られまし
た。K地区に住んでいるからということだけではなくて、在日韓国・朝鮮人である私らは、公務員にはなれない、子供が小学校へ入学する時に入学通知が市からこない、十六歳になれば犯罪者のように指紋をとられる。何十年ここで暮らしていても選挙権は一切ありません。市へも国へも税金はきちんと納めているのに・・・。これでは、市や国が私たちに大きな差別をしているのと違いますか。 |
| <舞台明るくなり、高生部研の高校生たちが討論している。「たんぽぽ」のメロディーが流れる> | |
| 生徒C: | ここで聞かさせていただいて、部落問題自体はかなり解決していると思う。若い人たちは、ほとんど部落外の人
と結婚できているし、今年の三月にはお見合いで部落外の女性とゴールインした人もいたり・・・。 |
| 生徒D: | それはそのとおりだ。でも、同じ地域でいっしょに暮らすには、お互いの生活を理解しながらのつきあいが大切
なんだ。 |
| 生徒B: | そう、この地域の最大の問題が養鶏場の問題だった。この問題から解決していかないと・・・。地域のおばさん
やみなさんがいってたように、たしかに、ぼっけェーくさかった。なぎで風が止まって、あのにおいが動かんようになって、晩メシもなにもあったもんじゃないとか、精神的にまいって頭が痛くなったりとかいわれとった。たしに、あのにおいはひどい。 |
| 生徒C: | ぼくは、何か行政の対応がものすごうおくれとるように感じた。あの地域に部落の人たちが住むようになるずっと
前から、「在日」の人たちが豚を飼って生活しようたんじゃろ。そういうところへ、イージーに市が住宅をたてたということがまず問題だったと思うけど・・・。 |
| 生徒E: | もう一三年前から市へ何度もお願いに行っているといわれていた。豚のにおいがこの地域の悪いイメージにつな
がっているみたいだから、1日も早く解決せんといけんと思う。 |
| 生徒H: | 「在日」の人も生活がかかっているから、たくさん豚を飼わんといけんし・・・。むりやり日本に連れてこられて、こ
き使われて、戦争が終わったら、日本政府はごめんなさいの一言もなく、戦後ほおりだしてしまったんだから。ずいぶん苦労して生きてきているんだろうなあ。 |
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<溶暗> <地元の人A、上手、スポットライトの中に登場する> |
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| 地元の人A: | そういうけどあんたら、戦後朝鮮人がどれだけ日本人に対してひどいことをしたか知っとるんですか。このへんで
も、いろいろむちゃくちゃなことがあったんですよ。そりゃあ、事実、すごい勢いじゃったけん。彼らは、あんた方に自分らの都合いいことばかりいって、そういうことはいっとらんのじゃ。あなた方は、そういうことも聞いてみるべきではないんですか。 |
| <地元の人Aのスポットライト消える。二、三秒後、下手にスポットライト、生徒たち五名登場> | |
| 生徒B: | ぼくはショックだったなあ。在日韓国・朝鮮人問題にとりくんできたけど、そんなことはちっとも知らなんだなあ。 |
| 生徒H: | でも、さんざんこき使われて、ボロ切れみたいにほおりだされたら、そうしなきゃ生きていけなかったんじゃない
かなあ。まあ、苦しかったのは日本人もみんな同じだったんだけど。 |
| 生徒C: | いや、やっぱりこういうことも事実は事実として知る必要がある。いいことを聞けたと思う。こういうことがあった
ん、いまだに朝鮮の人たちを差別している人も大勢いると思う。 |
| 生徒H: | だけど、戦前から戦時中に日本人が朝鮮や中国やフィリピンやいろんなところでやってきたことのほうがよっぽ
どひどいんじゃない? |
| 生徒C: | ぼくは、ぼくたちがいま何をしたらいいのかということが問題だと思う。同じ戦争について書かれていても、ぼくた
ちの教科書と他のアジアの国々の教科書と書かれていることがちがっていて、ぼくたちの教科書には、原爆を落とされたり、東京が大空襲をうけたり、被害はのっとるけど、加害の方はあんまりのっとらんのじゃけん。アジアの人びとをたくさん殺したことなんかは知らずに、被害はしっかり覚えさせられたら、たとえば、日本の戦争責任なんかについて同じアジアの高校生とものすごいギャップが出てくると思うわ。 |
| 生徒D: | 部落問題を解決するには、わけへだてのないつきあいができるようになることが大切だということを学んだけど、
この地域を見ても、台湾の人や「在日」の人やフィリピンの人との結婚も成立している。外国人労働者としてアジアの人が日本で暮らす時代になりつつあるし、ぼくらの時代は、どうしていけばええんかなあ。 |
| 生徒H: | この前テレビを見ていたら韓国の人がいっていたよ。「戦争中、日本からひどい目にあわされたことについては
許そう。でも忘れないでおこう」って。二度と侵略や戦争をくりかえさないためには、まず事実を知って、それを決して「忘れない」っていうことが、本当に大切なことだと思う。 |
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(以下略) |
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