7.少室書生・李筌および『太白陰経』
 李筌はみずから少室の書生と言い、その著書の『太白陰経』は、唐末の著名な総合的な兵書の一つです。
(1) 少室書生・李筌
 李筌は、字は少室山達観子です。本籍は不詳で、生没年月は記録に見えません。おおよそ唐の粛宗から代宗の治世(西暦756〜779年)に生き、みずから少室書生と称しました。彼は唐の乾元二年(西暦759年)「進太白陰経表」の落款(著者の書名と押印)があり、これは「正議大夫持節幽州軍州事幽州刺史兼本州防御上柱国の臣・李筌」というもので、永泰四年(西暦768年)に作った『太白陰経』「序」においては、書名が「河東節度使都虞侯の臣・李筌」となっています。さらに『四庫全書総目提要』の記載によると、『集仙伝』では李筌は「荊南節度使、仙州刺史に仕えて、『太白陰経』を著した」と言っており、さらに『神仙感偶傳』では「李筌は将官としての知略をもっていて、『太白陰符』十巻(符は経の間違いのようです)を作り、山にこもって道理を探究し、その後どうなったのかは不明です」と述べています、となっています。『新唐書』「芸文志」と『宋史』「芸文志」などの書名目録によると、李筌はさらに『孫子注』二巻、『青?括』一巻、『?外春秋』十巻、『通幽鬼訣』二巻、『軍旅指帰』三巻、『彭門玉帳』三巻などの兵書を著しています。これらの記載により、李筌は文墨(詩文または法律)に精通し、軍政の要職を歴任し、政治と軍事の経験をもっていて、様々な兵書を著した役人で、晩年には嵩山に入って隠居し、いつ世を去ったのか分からない、ということが分かります。ただ後世の人はかえって李筌が山に入って隠居したことから、「李筌はふだんから名山を散策し、奇術を探究し、嵩山虎口岩石壁のなかから『黄帝陰符経』を手に入れ、驪山の老婆に出会い、奥義を指し示し、精髄を窮め尽くし、兵書を編纂して、『太白陰経』と名づけました」という神話を作り上げ、李筌とその著書を神秘のベールでつつみました。もし虚無の広く漂う神幻迷霧をふり払うなら、『太白陰経』は唐末以前の軍事状況を全面的に反映した総合的な兵書です。
(2) 唐末の総合的な兵書『太白陰経』
 正式な名称は『神機制敵太白陰経』で、李筌から朝廷に献呈されました。明以前はただ抄本が流布しているだけでした。現存の最も古いものは明の汲古閣の抄本で、清の嘉慶の年(西暦1796〜1820年)以後は、『墨海金壷叢書』『守山閣叢書』『半畝園叢書』などの様々な叢書に収録され、十巻本として印刷され、九万字近くあり、より広く流布しました。その他に『四庫全書』に収録された八巻本が世に伝わっています。
『太白陰経』の透徹している点は、人が戦争の勝敗を決める決定的な要因であるということについての論述にあります。それは、陰陽の術は戦争の勝敗を決定づけることはできず、ただ人によってこそ戦争の勝利を獲得できるという見解です。人には勇敢があり、臆病がありますが、ただ勇敢と臆病は天性のものではなく、生まれ育った場所とも関係なく、キーポイントは培養、鍛錬と使用が当を得ているかどうかにあります。「勇敢と臆病は策謀に関係があり、強いと弱いは勢いに関係があります。策謀がうまくいき、勢いがもてれば、臆病も勇敢に変わります。しかし、策謀が逆手にとられ、勢いがなくなれば、勇敢も臆病に変わります」そして「勇敢と臆病は法律に関係があり、成功と失敗は知恵に関係があります。臆病な人は刑罰を使えば勇敢になりますし、勇敢な人は恩賞を使えば必死になります」(「人無勇怯」)。人の策謀の最もすぐれた効果は戦わずして敵軍を屈服させる「完全なる勝利」という目的を達成することです。それが次のようなことを指し示しています。すなわち、高尚で賢明な将軍は、みずから戦場に行って軍隊を動かしたりせず、策謀をめぐらせて敵を屈服させます。また、布陣のうまい将軍は、みずから敵と戦ったりせず、巧妙な陣法を使って敵に戦勝します。また、作戦を指揮するのがうまい将軍はと言うと、機先を制する戦法を使って自分を有利な立場におきます。失敗をもたらす隠れた原因となるものを主導的に取り除いていける将軍なら、敗北して破滅することを回避できます(「善師」)。戦争の勝利を獲得するため、国内にいる一芸に秀でた専門家を余すところなく集めるのがうまいだけでなく、策を講じて敵国の人材もこちらのために使えなければいけません。人材を使うときの賞罰は公平でなければならず、「個人的な功績を賞することなく、個人的な罪悪を罰することなし」というようにします(「刑賞」)。やさしく知恵のある将軍は、兵士を大切にすることに心がけ、兵士と安危をともにし、苦難を同じくし、兵士を命令に従わせ、作戦のために命を投げ出すものです。作戦を指揮するときにおいて、将軍が巧妙な計画をたて、ぬかりない配備を行い、敵のスキに乗じ、敵の手薄なところを攻め、こちらの得意なことをするようにし、こちらの不得意なことはしないようにし、有利と見れば進み、不利であれば退くということができれば、有利な立場に立てます。
『太白陰経』は軍典礼儀、各種の兵器、宿営と行軍、戦陣隊形、公文程式、屯田、人馬の医療などの問題についても、部門別に分けて論述を行っています。そのなかで最も突出したものとなっているのは、各種兵器、城を攻めたり守ったりする道具、城の防衛設備、水軍の軍船についての論述であり、その内容は全書の十パーセント前後を占めています。唐代以前のこの方面について取得して成果を反映しています。これらの成果は、だいたい宋代の『武経総要』に転載されて収録されています。兵書の編纂の様式から言えば、『太白陰経』はすでに軍事の各項目ごとの特徴を分類して論述しており、これは古代兵書が単一の兵法理論を論述したものから兵法理論と軍事技術の理論を互いに合わせて論述したものになる過渡的なものであり、以後の百科事典的な兵書の編纂を行うにあたっての手本となりました。