ハワイ海域と米西海岸
@ 伊号第6潜水艦(巡潜2型)
平成13年6月28日更新 31ページ
昭和16年11月の16日より21日にかけ、横須賀に集結していた第1、
第2潜水戦隊の潜水艦11隻は演習を装おい、分散して母港を後にして
いった。その第2潜水戦隊、第8潜水隊の一艦が「伊号第6潜水艦」で
あった。出港後、全員集合がかかり艦長より、「日本は米国に対し宣
戦布告をする」との訓示があり、艦内に一瞬緊張が走った、しかしそ
れはすぐに歓声に変わった。
当時の第2潜水戦隊は特設潜水母艦「さんとす丸」に伊号第7潜水
艦を旗艦とし、第7潜水隊(伊号第1、2、3潜水艦)、第8潜水隊
(伊号第4、5、6潜水艦)で編成されていた。横須賀を出撃後は12月
8日に予定されている真珠湾奇襲攻撃の先遣部隊として一路、ハワイ
諸島オアフ、モロカイ、カウアイの各島付近の散開地点に急いだ。
任務はハワイ方面の米艦隊の監視と邀撃、また日本軍の奇襲攻撃で
逃げ出してきた米艦船を討ち取ろうと言うのである。
12月8日の奇襲攻撃は大成功のように見えたが、肝心の空母が不在
で撃滅することが出来なかった。それ故、一月余りも第2潜水戦隊は
ハワイ付近にあって米空母艦隊の動向を探っていた。果たせるかな!
昭和17年1月12日夕刻、伊号第6潜水艦はハワイ南西500カイリ
で探し求めていた米空母発見! 「主力大型空母サラトガだ」すかさ
ず「魚雷戦用意」艦長の命令が飛ぶ、敵は気付かずのんびりと航行し
ている、好発射位置点を狙いサラトガと並航する。
巡潜2型の伊号第6潜水艦は水上速力21ノットまで出せる、十分に
追い越すことも出来るのだ。「目標、空母、距離4,500、速度15ノット、
艦首発射管4、発射用意」しかし発射管4本のうち一本が故障だ、艦
首発射管3本に決めて、艦長は潜望鏡で好機を狙う。
「よう〜い、てぇ!」 魚雷3本は、サラトガ目指し突っ走る、艦内
に静寂が走る、秒針が時を刻む音だけが響く、時をおいて「かぁ〜ん」
という甲高い金属音、続いて「グワ〜ン」爆発の轟音が伝わる。
「命中だ!」。
魚雷3本のうち1本がサラトガの左舷中央部に命中、船腹を抉り缶
室3つに浸水、撃沈は出来なかったが修理に4か月を要する損傷を与
えた。
A 伊号第26潜水艦(乙型、伊15潜型)
昭和16年11月19日、伊号第26潜水艦は、横須賀に集結していた第1
水雷戦隊の寮艦と別れ一足先に単艦、母港を後にした。任務は真珠湾
奇襲攻撃の先遣隊として、北方海域の要地偵察後ハワイ方面の米艦隊
監視および邀撃であったが、乗組員には防諜を考慮して出港後に知ら
された。艦長の訓示は「12月8日を以てアメリカと開戦する、しかし
その前に中止の電報が入ったら直ちに帰投せよ」というものであった
が、「そこまで行って帰れるか!」今まで猛訓練の成果を目にものを
見せんと、艦内の意気が挙がった。伊号第26潜水艦(伊26潜と省略)は
一路北方海域に向け北上を続けた。
この、伊26潜は開戦劈頭より商船8隻撃沈、1隻撃破、ソロモン戦
では米空母サラトガを撃破、米軽巡ジュノーを撃沈するなどの活躍を
した武功高い潜水艦である。ここでは、そのうち開戦早々に挙げた、
米輸送船撃沈の一番手柄の話をしよう。
出港後一週間、日中は潜航し夜間に浮上、電池を充電しながら水上
走航を続けてきたが、北上するにつれ外気の温度は極度に低く零下30
度にまで下がった。目前にアリューシャン列島を見ながら、北方海域
の要地偵察を開始した。
最初にアツッ島、つづいてキスカ島に潜航して近ずき潜望鏡を上げ
観察するが異常なし、次にアダック島、最後はダッチハーバーの湾内
を潜望鏡偵察をするが特別な艦艇も在泊せず、何人かの警備兵が見え
るがさして緊張感もなし、日本艦隊の奇襲には気付いて無いようだ。
安堵を胸に、偵察任務を終えた伊26潜は予定配備海面の米西海岸に
向け舵を南東にとった。南下するにつれ今度は逆に温度が上昇し始め
北方海域を抜け出したことが気温で判る。
12月2日、「新高山登れ」12月8日を以て開戦をすると言う暗号電報
を受信、いよいよ戦争だ!緊張感高まる中、伊26潜は南下を続ける。
12月7日、サンフランシスコ沖480kmに米輸送船を発見、まずは
手始めに撃沈しようと勇み立ったが、まだ開戦の通達を受けていない、
敵に気ずかれぬよう追跡をしながら相手の針路と速度を計測、日没を
待って浮上、夜間洋上を高速走航し先回りをして機会を狙う事にする。
12月8日早暁、計算違わず、明るくなるにつれ昨日の米輸送船が、
艦尾方向水平線上に現れてきた。0230(日本時間、午前2時30分)総員
戦闘配置に付き、潜航して攻撃の時期を計る。潜望鏡深度にて、米輸
送船の船型、武装の有無などの詳細を観察、武装が無いのを確認した
艦長は浮上し砲戦で沈めようと決めた(当時、日本の潜水艦は高価な
魚雷の使用に規制があり、商船、駆逐艦などでは1本、戦艦、空母等
の主力艦のみに全斉射6本が許されていた)。
12月8日0330(午前3時30分)、ハワイ時間7日0730、開戦の時刻で
ある、艦長は急速浮上砲戦を発令「メインタンク、ブロー」伊26潜は
海面に浮き出るや否や、ハッチが開かれ、飛び出した砲員は艦首の砲
に取りついた。一瞬の出来事である、「射撃開始!」米船との距離約
千メートル、至近距離で並行しつつ左砲戦で射撃、初弾は無警告攻撃
を避け、威嚇の意味で標準を遠方に発射。米船からは乗員がボートで
脱出するのが目視できた、続いてねらいを定め数発発砲、輸送船の艦
橋付近に火災発生するが沈没のようす無し。乙型潜水艦は14cm砲を主
砲としており、軽巡のそれと大して変わらず、1門だけの破壊力を見
れば駆逐艦よりも大きい、普通の商船なら数発で撃沈できるはずなの
だが!、更に、20数発射撃後、船体が傾斜しながら沈下するを確認、
米船は当然「SOS」を発してるだろう、それにより敵の駆逐艦か飛行
機にでも来られては面倒、これ以上の長居は無用と沈没するのを見ず
潜航しこの場を離脱した。
この船は、米国陸軍徴用の貨物船シンシア・オルソン号2140総トン
で、米軍が駆けつけたときは、まだ沈まずに横倒しのまま浮いていた
という。
これが太平洋戦争で、日本潜水艦が敵艦船を撃破した初手柄第一号
であった。