昭和12年12月8日
O マレー半島コタバルに陸軍部隊上陸に成功。
O 第2根拠地隊の陸戦隊は、比島のパタン島に上陸、飛行場を占領。
O 上海在泊の米英砲艦に降伏を勧告、米艦ウェークは降伏したが英
砲艦はこれを拒否砲撃開始したので、出雲はこれに応戦、英砲艦
バトレルを砲撃で撃沈す。
2 マレー沖海戦
東南アジア戦闘海域地図
昭和16年12月9日
O マレー沖海戦
1410(午後2時10分)、「敵レパルス型戦艦二隻ミユ、プロ
コンドル島ノ西、196度225カイリ、進路340度速力14ノ
ット」潜水艦伊号第65から、英国の2戦艦発見の無電傍受。
マレー攻略を阻止せんとする、英東洋艦隊はシンガポールのセ
レター軍港を出撃してきた。従来の東洋艦隊は1万トン級重巡を
旗艦とする程度の艦隊であったが、日本軍の南方進出に対抗し12
月2日、新勢力として英国の誇る新鋭戦艦プリンス.オブ.ウエ
ルズと高速戦艦レパルスの2大戦艦を加えていた。
此の2大戦艦と互角に戦えるのは長門級の戦艦だけで(大和は
艤装中)、南方で作戦中の第二艦隊の戦艦(金剛、榛名)と重巡で
は勝算が無かった。
しかし此の場に及んで敵に背を向ける日本海軍ではない、南方
部隊指揮官近藤中将は、上陸部隊を一時タイランド湾に緊急避難
させると同時に、第一航空部隊(基地航空隊)に索敵を要請、自ら
は水上部隊の全勢力をもって戦いを挑もうとした。
9日夜戦を期して、第7戦隊(重巡4、駆逐3)第3水雷戦隊の
駆逐艦10隻を以て出撃したが、敵の高速により発見できず、また
航空隊も同じく引返し、戦いは翌10日に持ち越された。
昭和12年12月10日、0625(午前6時25分)一番手として索敵
隊9機が、続いて0755、爆撃隊34機、更に0930、雷撃隊50機が出
撃していった。
進出距離600浬、既に飛行時間も5時間を過ぎたが敵艦発見で
きず各隊無念にも、機首を基地に向け始めた。
1140、少し遅れて飛んだ索敵隊三番機、帆足正音(ほあし
せいおん)少尉機は、翼下に流れるちぎれ雲の間に航跡を引いて
疾走する戦艦2隻、駆逐艦3隻を発見、直ちに航空隊本部に打電
した、「1145、敵主力ミユ、北緯4度東経103度54分、
針路60度」敵艦発見の報を受信した、各攻撃隊は帰還しかけて
いた機首を反転、攻撃地点に向け殺到した。
1214、一番手爆撃隊の白井隊(美幌航空隊)が攻撃開始から
最後に武田隊が止めの爆撃を行うまで2時間31分の死闘が繰り広
げられた。
攻撃状況
プリンス・オブ・ウェールズ
雷撃隊 15機 爆撃隊 10機
魚雷命中 7本、500kg爆弾命中2発 同至近弾1
1445(2時45分)沈没。
レパルス
雷撃隊 35機 爆撃隊 25機
魚雷命中14本 250kg爆弾命中1発
1420(2時20分)沈没。
損害
自爆 3機 被弾 25機
参加航空隊
第一航空部隊 雷爆攻撃隊84機(爆撃1小隊攻撃不参加)
偵察隊 9機
註 第一航空部隊
昭和16年11月、払印のサイゴン、ツドゥム、ソクトランに飛
行基地を建設、鹿屋、元山、美幌の3航空隊より選出された
飛行隊で攻撃隊4個を編成していた。
偵察機6機 戦闘機39機 攻撃機99機 合計144機
昭和12年12月10日 ルソン島アパリに上陸。
ルソン島ピガン泊地に陸海軍部隊が上陸。
グァム島に陸海軍部隊上陸、占領に成功。
ギルバート諸島、タラワ、マキンに陸戦隊上陸、占領。
第11航空艦隊は台湾の基地より、ルソン島飛行場を攻撃。
第一航空隊はマニラ湾の艦船を攻撃、駆逐艦ペアリー、
潜水艦シードラゴン、シーライオン、掃海艇ビターンに
損傷を与える。
昭和16年12月12日 ルソン島レガスピーに陸海軍部隊上陸成功。
17日 ボルネオ島ミリを陸海軍部隊攻略に成功。
20日 ダバオに陸海軍部隊、上陸に成功。
次回更新予定 マレー、ボルネオ攻略
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3 マレー、ボルネオ攻略
東南アジア戦闘海域地図
昭和16年12月21日
O 第2航空戦隊(蒼龍、飛龍)はハワイ攻撃の帰途、ウェーク島攻略
に協力の為、発空襲を行う。
22日 リンガエン湾に陸軍部隊上陸に成功。
第2航空戦隊(蒼龍、飛龍)はウェーク島攻略に協力、
爆撃行う。
23日 第2航空戦隊引き続きウェーク島攻略に協力。
ウェーク島攻略に成功。
24日 ラモン湾に上陸成功。
25日 香港の英軍降伏。 ホロ島に陸海軍部隊上陸に成功。
昭和17年1月3日 南遣艦隊は第1南遣艦隊と改称、第3南遣艦隊が新
設され、比島方面作戦支援及び警戒に従事。
6日 ボルネオ島ヴルネイ占領。
昭和17年1月11日
O タラカン作戦発令:ボルネオにある石油基地タラカンを占領、こ
れに睨みを利かす位置にある、セレベス島メナドを占領せんとす
るものであった。メナドにはカカス飛行場、メナド港、ケマ港、
などがあり、オランダ軍が守備する石油基地の要点である。
11日 海軍落下傘部隊(横1特)セレベス島メナド郊外カカス
に324名降下。
メナド市西北海岸に1,800名(佐連特)上陸。
12日 海軍落下傘部隊第二次降下部隊はカカスに降下す。
ボルネオのタラカン島を占領。
昭和17年1月20日 機動部隊、第1航空戦隊(赤城、加賀)第5航空戦隊
(翔鶴、瑞鶴)がラバウルを空襲。出撃機計109機。
21日 第1航空戦隊カビエンを空襲。 出撃機計 52機。
第5航空戦隊ラエ、サラモアを空襲。
22日 1航戦ラバウル第二次空襲敢行。出撃機計 46機。
ラバウル、カビエンに上陸成功。
23日 グリーン島攻略。
昭和17年1月24日
O バリックパパン海戦(日本側呼称)マカッサル海峡海戦(米軍呼称)。
第4水雷戦隊に護衛された、ボルネオ島バリックパパン攻略部
隊は23日2330(午後11時30分)現地到着、上陸開始中の輸送船12隻
を米駆逐艦4隻とオランダ潜水艦2隻が夜襲、護衛する第4水雷
戦隊と戦闘。旧式な4本煙突の米駆逐艦と旗艦那珂(4本煙突)と
を見誤った哨戒部隊は敵艦の通過を許し、第4水雷戦隊、本隊が
急遽駆けつけた時既に遅く哨戒部隊と輸送船団に魚雷を撃ち込み、
遥か南方に退却していた。
参加艦艇
日本側 第4水雷戦隊(西村少将)旗艦:那珂
掃海艇4隻 哨戒艇3隻 駆潜艇3隻
連合軍 米駆逐艦:パロット、ポープ、ジョン・D・フォード
ポール・ジョーンズ
蘭潜水艦:K−14、K−18
戦 果
日本側損害:輸送船3隻沈没、損傷2隻
敦賀丸(オランダ潜水艦の雷撃による)。
呉竹丸、他1隻沈没。
朝日丸、球磨川丸損傷。
37号哨戒艇 沈没、16号哨戒艇 損傷。
連合軍損害 潜水艦2隻、ジョン・D・フォード損傷。
1月24日 ボルネオ島バリックパパンに上陸成功。
セレベス島ケンダリーに上陸成功。
昭和17年1月26日
O エンドウ沖海戦
マレー半島エンドウ沖にて英駆逐艦、サーネット、バンパアイ
ヤの2隻が我が輸送船団を攻撃、これに対し第3水雷戦隊の旗艦
那珂と駆逐艦6隻が交戦。
戦 果
英駆逐艦 サーネット撃沈。 日本側 損害なし。
昭和17年1月29日 ボルネオ、ポンチャナック占領。
31日 アンボン上陸に成功。
昭和17年2月4日
O ジャワ沖海戦
バンダ泊地を出撃し、ボルネオ攻略部隊の日本輸送船団を攻撃
に向かう、連合軍の艦隊(巡洋艦4隻、駆逐艦7隻)をわが索敵機
は4日朝、ジャワ海カンゲアン島南方30浬の海上に発見。
直ちに第11航空艦隊より鹿屋空、高雄空、1空の陸攻隊60機が
出撃、これを攻撃損傷を与えた。
戦 果
鹿屋空:米軽巡マーブルヘッド攻撃、艦首破損、火災
1空:米重巡ヒューストンを攻撃、後部砲塔大破
蘭軽巡デ・ロイテルを攻撃、射撃装置大破
昭和17年2月6日 セレベス島ケンダリー占領。
9日 セレベス島マカッサル占領。
10日 ボルネオ島パンジェルマシン占領。
昭和17年2月12日 連合艦隊旗艦を戦艦大和に変更。
15日 シンガポール占領。
昭和17年2月19日
O バリ島沖海戦(日本側呼称) バドウン海峡海戦(米側呼称)
バリ島攻略の輸送船(笹子丸、相模丸)を護衛する第8駆逐隊の
朝潮は、2350(午後11時50分)連合軍の一次攻撃隊(5隻)を発見、
大潮とこれを攻撃、朝潮の雷撃で蘭駆逐艦ピートハインを撃沈、
20分後、海峡を進入してくる二次攻撃隊(5隻)を発見、追撃した
が闇の中に見失なう、この二次攻撃隊の襲撃を知り、応援に駆け
つけた荒潮と満潮が二次攻撃隊と遭遇、砲戦を交えたが集中砲火
をうけた満潮は缶室に命中弾を受け大破する。
(20日の0354まで四次にわたり続けられた)
参加艦艇
日本側 第8駆逐隊(大潮、朝潮、満潮、荒潮)
連合軍 一次攻撃隊
蘭軽巡(デ・ロイテル、ジャワ)駆逐艦(ピートハイン)
米駆逐艦(フォード、ポープ)
二次攻撃隊
蘭軽巡(トロンプ)米駆逐艦(スチュワート、パロット
エドワード、ピルスベリー)
戦 果
蘭駆逐艦ピートハイン撃沈 蘭巡トロンプ損傷
米駆逐艦スチュワート損傷
わが方 満潮、大破 大潮、小破
o ポートダーウィン攻撃
1航戦(赤城、加賀)、2航戦(蒼龍、飛龍)の機動部隊は19日、
ポートダーウィンを奇襲攻撃し港内に在泊中の艦船及び港湾施設
に多大な損害を与える。 米駆逐艦ピアリー爆撃により撃沈。
o チモール島クーパンに上陸、及び横3特の落下傘部隊450名が
降下に成功。
次回更新予定 スラバヤ沖、バタビヤ沖海戦
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4 スラバヤ沖・バタビア沖海戦
東南アジア戦闘海域地図
昭和17年2月20日
o ラバウルの75度450浬に敵機動部隊を発見、4空の陸攻17機がこ
れを攻撃、しかし損害を与える事無く、13機が未帰還になる。
昭和17年2月27日
O スラバヤ沖海戦(米側呼称、ジャワ海海戦)
昭和17年2月20日、ジャワ東部攻略部隊の第48師団を乗せた41隻
の輸送船団は第4水雷戦隊の第2、第9駆逐隊に護衛されカムラン
湾を出港してジャバ攻略に向かった。
26日朝、ボルネオ東南ラウト島の南で、第5戦隊(那智、羽黒)
第2水雷戦隊と合流。スラバヤ北西約60浬の海上に達した頃、海上
警戒中の第11航空艦隊の索敵機より「敵巡洋艦5、駆逐艦6、スラ
バヤ北西63浬ニアリ、針路東、速力12ノット」の報告を受け、
輸送船団に第4水雷戦隊を護衛に付けて北方に緊急避難させ、同時
に第5戦隊より水上偵察機を飛ばし敵艦隊の状況を把握、戦闘態勢
を整えた。
27日、1600(午後4時)頃、オランダ海軍ドールマン少将指揮する、
米、英、蘭、濠海軍から成る連合国艦隊は、蘭、軽巡デ.ロイテル
を旗艦とし英、重巡1隻、駆逐艦3隻、米、重巡1隻、駆逐艦4隻、
蘭、軽巡2隻、駆逐艦2隻、濠、軽巡1隻で艦隊を編成し出撃して
くるのを認めた。
連合軍艦隊は前線哨戒に英駆逐艦を、左翼と後衛には米と蘭の駆
逐艦を配し主力部隊の重巡と軽巡は、デ・ロイテルを先頭にエクゼ
ター、ヒューストン、バース、およびジャワの順序で進んでいた。
27日、1616(午後4時16分)第5戦隊の重巡羽黒及び那智は相手の
重巡エクゼターとヒューストンに対し、26,000mから射撃を始めた。
太平洋戦争における初の艦隊どうしの海戦が起こった。両軍は共
に緊張して遠方から砲戦を交える中、1632(午後4時32分)輸送船団
を避難させ戻ってきた第4水雷戦隊は旗艦那珂を先頭に魚雷攻撃を
開始した。
1708(午後5時8分)に羽黒の20cm砲弾の一発が、エクゼターの致
命部を貫き、その徹甲弾は火薬庫で爆発し水蒸気管を寸断した。戦
列を離脱しようと左に舵をきった時、後続の艦列に混乱が起きた、
これに乗じ第4水雷戦隊は再度攻撃を敢行、蘭、駆逐艦コルテネー
ルを魚雷で撃沈、午後6時には英、駆逐艦エレクトラに集中砲火を
浴びせ此れを撃沈した。
傷ついたエクゼターは煙幕に隠され早々に逃避した。エクゼター
に対し、第2水雷戦隊の軽巡神通と駆逐艦2隻が突進したが止めを
刺すことは出来ず、やがてわが軍は夜間に輸送船団が襲撃されるの
を恐れ、全艦に集合を命令、敵艦の追撃を中止した。
エクゼターは28日午後2時頃、駆逐艦5隻とスラバヤに辿り着く
事が出来た。しかし残存の連合国艦隊は輸送船団攻撃をあきらめず、
夕刻に反転攻撃し来り、夜半までに2回に互って砲雷戦を交えた。
28日、0033(午前0時33分)重巡1隻、軽巡3隻の4隻に減少した
連合国艦隊は闇に紛れで輸送船団を捕捉しようとしているとこ、第
5戦隊と遭遇、2度目の交戦が起きた。
この時日本海軍最得意の機密兵器、93式酸素魚雷が威力を発揮し
敵を驚かした。いち早く敵連合国艦隊を発見した第5戦隊、那智の
見張り員は「敵らしき艦4、左30度」を報告、第5戦隊は敵艦隊
に向かい「砲雷同時戦」を用意し戦闘を挑んだ。
那智から8発、羽黒から4発発射された酸素魚雷は一挙にして蘭、
巡洋艦デ.ロイテルとジャバを轟沈してしまった。米巡1隻と濠、
巡1隻は方々の手で難を逃れバタビアに帰港した。
結局、此の海戦で蘭、巡洋艦デ.ロイテルとジャバ、蘭駆逐艦コ
ルテネール、英駆逐艦エレクトロラの4隻を撃沈し、我が日本艦隊
の損害は駆逐艦朝雲、サザナミ、峰雲が被弾により損傷でスラバヤ
沖海戦は終わった。
参加艦艇
日本海軍兵力...重巡−2 軽巡−2 駆逐艦−14
第5戦隊(重巡−那智、羽黒)第7駆逐隊(潮、ナギサ)
山風、江風
第2水雷戦隊 軽巡−神通
第16駆逐隊(雪風、初風、天津風、時津風)
第4水雷戦隊 軽巡−那珂
第2駆逐隊(村雨、春雨、五月雨、夕立)
第9駆逐隊(朝雲、峰雲)
連合国艦隊兵力...重巡−2 軽巡−3 駆逐艦−10
重巡−英国(エクゼター)米国(ヒューストン)
軽巡−和蘭(デ.ロイテル、ジャワ)濠州(パース)
駆逐艦−英国(ジュピター、エレクトラ、エンカウンター)
米国(ポール.ジョーンズ、フォード、アルデン、
ジョン.D.エドワード、ポープ)
和蘭(コルテニーア、ヴィッテ.デ.ヴィス)
戦果
蘭軽巡洋艦デ.ロイテルとジャバ、蘭駆逐艦コルテネール、
英駆逐艦エレクトロラの4隻を撃沈し、我が日本艦隊の損害
は駆逐艦朝雲、サザナミ、峰雲が被弾により損傷。
昭和17年3月1日
O バタビア沖海戦(米側呼称 スンダ海峡海戦)
バタビアを出港、スンダ海峡を通過しジャワ南岸のチラチャップ
に脱出を図ったヒューストンとパース、エヴァステンは、海峡付近
セント.ニコラス岬に、上陸作戦展開中のジャワ西方攻略部隊、56
隻の輸送船団を横切る形になった。攻略部隊を護衛する日本艦隊は
第7戦隊、第5水雷戦隊で、両者は闇の中で乱戦が行われた。
28日2300(午後11時)哨戒中の第5水雷戦隊は輸送船団に突入して
来る敵巡洋艦2隻を発見「敵艦2ミユ バビー島2カイリ」を打電
直ちに攻撃を開始、電信を受けた第7戦隊も急遽応援に駆けつけ、
砲、雷撃戦を展開した。
3月1日0005(0時5分)第7戦隊、三隈の放った魚雷と20cm砲弾
により軽巡パース轟沈、0030頃には、米重巡ヒューストンも多大な
被害を受け戦闘力を失っていた。
1日0045、駆逐艦「敷波」より発射された魚雷一発が見事、断末魔
のヒューストンにと止めを刺し撃沈。
参加艦艇
日本海軍兵力...重巡−2 軽巡−1 駆逐艦−7
第7戦隊(重巡−三隈、最上) 駆逐艦−敷波
第5水雷戦隊 軽巡−名取
第5駆逐隊(朝風、春風、旗風)
第11駆逐隊(初雪、白雪、吹雪)
連合国艦隊兵力...重巡−1 軽巡−1
米、重巡−ヒューストン 豪、軽巡−パース
戦果
ヒューストン、パース沈没。
春風、白雪、敷波、被弾損傷。
o 3月1日
スラバヤ沖海戦後、第5戦隊(那智、羽黒、妙高)は第16戦隊の
足柄と合同、ジャワ島北海面を哨戒中、スラバヤよりチラチャップ
に脱出しょうとする、英国軽巡エクゼター、駆逐艦エンカウンター
米国駆逐艦ポープ、を発見。
0930(午前9時30分)煙幕を張りながら遁走する、敵艦を挟撃する
格好で砲撃、エンカウンター撃沈。
1120、英軽巡エクゼターも缶室に命中弾を受け全動力停止、1330
一発の魚雷でとどめを刺され、エクゼター沈没。
米駆逐艦ポープはボルネオ南岸まで逃げたが、空母龍驤と基地航
空隊の爆撃を受け航行不能のところ撃沈された。
o 1航戦、2航戦はジャワ南方海面で、米給油艦ペコスを撃沈。米
駆逐艦エドソールを航行不能にし、その後第3戦隊(比叡、霧島)と
第8戦隊(利根、筑摩)の砲撃で撃沈。
昭和17年3月2日 第4戦隊はバリ島南方において米軽巡マーブルヘッド
を撃沈。
摩耶と第4駆逐隊はジャワ南方海面で英駆逐艦ストロ
ングホールドを砲撃により撃沈。
5日 機動部隊はジャワ島チラチャップを攻撃、在泊艦艇に
大損害を与える。
8日 ラエ、サラモアに米機動部隊の艦載機来襲、在泊中の
艦船に損傷を受ける。
23日 アンダマン諸島に上陸。
26日 セイロン作戦のため、機動部隊はスターリング湾出撃。
31日 クリスマス島攻略。
次回 セイロン島攻撃と珊瑚海海戦
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