第五章 太平洋戦争と巡洋艦

三 日本海軍巡洋艦戦歴

4 太平洋戦争の重巡洋艦


古鷹(ふるたか)

建造所 三菱造船所長崎、 一等巡洋艦。
大正11年11月17日起工 同14年2月25日進水 同15年3月31日竣工
大正15年4月1日 第二艦隊第五戦隊の編入。
  昭和初期〜昭和7年ごろまで中国沿岸で作戦。
昭和8年11月15日 第二艦隊第六戦隊に編入。
昭和9年9月27日 旅順港出港、青島方面で作戦行動。
昭和11年2月15日 第二艦隊第七戦隊に編入。
昭和12年3月6日 呉工廠桜島で改装工事着手。同14年1月30日
        改装工事完了。
  昭和15年〜同16年日華事変により南支方面で作戦行動。
  太平洋戦争初期には、古鷹、加古、青葉、衣笠の姉妹艦4隻で
  第六戦隊を編成し、井上成美中将麾下の南洋部隊、第四艦隊に
  属し、グアム島攻略、ウェーク島第二次攻略作戦、珊瑚海海戦、
  ミッドウェー作戦支援などに参加、のち新設の第八艦隊に移り
  第一次ソロモン海戦に大きな武勲をたてた。
昭和16年12月4日 太平洋戦争でトラック進出。グアム攻略部隊支援。
昭和16年12月20日 ウェーク島第二次攻略作戦に支援部隊の一艦とし
        て参加。
昭和17年1月18日 トラック基地出撃、ラバウル攻略作戦支援。
昭和17年3月8日 ニューギニ、ラエ、サラモア攻略作戦支援。
昭和17年5月7日 珊瑚海海戦では第一艦隊六戦隊にあって、攻略部
        隊輸送船団および、空母祥鳳を援護して参加。
昭和17年8月7日 第一次ソロモン海戦。
         この海戦は8月7日、米軍がソロモン諸島南端ガ
        ダルカナル島へ上陸したことを、海軍は重要視して
        即時、第八艦隊を率いる三川軍一中将は第一八戦隊
        の天龍、夕張、夕凪と第六戦隊の古鷹、加古、青葉、
        衣笠を合流させて反撃に出た。
         同艦隊は8月8日夜半、ルンガ泊地に停泊の米濠
        合同の艦隊に夜襲をかけ、砲、雷撃の結果、米重巡
        アストリア、クインシー、ヴィンセンス、濠重巡キ
        ャンベラの4隻を撃沈、米重巡シカゴを中破すると
        いう大戦果をあげた。
         その戦闘の正味時間、三十三分間という瞬時の攻
        撃であった。わが方は旗艦鳥海が小破しただけの、
        完勝であった。
昭和17年10月12日 サボ島沖夜戦。
        ガダルカナル島輸送隊援護と同島飛行場砲撃を兼ね
        第六戦隊の2番艦として参加したが、待ち伏せた米
        艦隊(重巡2、軽巡2、駆逐艦5)のレーダー射撃
        による集中砲火を浴びながらも、僚艦の巡洋艦や駆
        逐艦と協同して米駆逐艦1隻を撃沈し、ほか軽巡1
        隻、駆逐艦1隻を大破させたが、12日0040(午前零
        時40分)サヴォ島の 360度22浬の地点に沈没した。
昭和17年11月10日 除籍。

戻る


加古(かこ)

建造所 川崎造船所(神戸)、 一等巡洋艦。
大正11年12月5日起工 同14年4月10日進水 同15年7月30日竣工
  加古は当初、八八艦隊計画艦として川内型で建造される予定で
  であったが、軍縮条約による建造艦の整理により、古鷹型重巡
  として建造された。そのため重巡としては例外的に新造時より
  河川の名がついている。
大正15年8月1日 第二艦隊第五戦隊に編入。
  昭和初期〜同8年ごろまで中国沿岸で作戦行動。
昭和8年5月20日 第二艦隊第六戦隊に編入。
   昭和11年7月4日 佐世保工廠桜島で改装工事着手、同年12月27日
        工事完了。
昭和15年〜同16年日華事変により南支方面で作戦行動。
  太平洋戦争初期には、古鷹、加古、青葉、衣笠の姉妹艦4隻で
  第六戦隊を編成し、井上成美中将麾下の南洋部隊、第四艦隊に
  属し、グアム島攻略、ウェーク島第二次攻略作戦、珊瑚海海戦、
  ミッドウェー作戦支援などに参加、のち新設の第八艦隊に移り
  第一次ソロモン海戦に大きな武勲をたてた。
昭和16年12月4日 グァム島攻略作戦のため、母島を出撃。
昭和16年12月10日 グァム島東方海面にて攻略部隊を支援。
昭和16年12月4日 太平洋戦争でトラック進出。グアム攻略部隊支援。
昭和16年12月20日 ウェーク島第二次攻略作戦に支援部隊の一艦とし
        て参加。
昭和17年1月18日 ラバウル攻略作戦支隊ちしてトラック基地出撃援。
昭和17年3月8日 ニューギニ、ラエ、サラモア攻略作戦支援。
昭和17年3月28日 ブーゲンビル攻略作戦支援のため、ラバウル出撃。
昭和17年5月7日 珊瑚海海戦では第一艦隊六戦隊にあって、攻略部
        隊輸送船団および空母祥鳳を援護して参加。
昭和17年6月16日 第八戦隊と合同、トラック進出。
昭和17年8月7日 第一次ソロモン海戦。
         この海戦は8月7日、米軍がソロモン諸島南端ガ
        ダルカナル島へ上陸したことを、海軍は重要視して
        即時、第八艦隊を率いる三川軍一中将は第一八戦隊
        の天龍、夕張、夕凪と第六戦隊の古鷹、加古、青葉、
        衣笠を合流させて反撃に出た。
         同艦隊は8月8日夜半、ルンガ泊地に停泊の米濠
        合同の艦隊に夜襲をかけ、砲、雷撃の結果、米重巡
        アストリア、クインシー、ヴィンセンス、濠重巡キ
        ャンベラの4隻を撃沈、米重巡シカゴを中破すると
        いう大戦果をあげた。
         その戦闘の正味時間、三十三分間という瞬時の攻
        撃であった。わが方は旗艦鳥海が小破しただけの、
        完勝であった。
昭和17年8月10日 第一次ソロモン海戦後、基地カビエンへの帰途、
        ニューアイルランドの北方カビエン沖02度28分S
         152度11分Eの地点において米潜S-44(SS-155)の
        雷撃を受け沈没。
昭和17年9月15日 除籍。

戻る


衣笠(きぬがさ)

建造所 川崎造船所(神戸)、 一等巡洋艦。
大正13年2月4日起工 同15年10月24日進水 昭和2年9月30日竣工
昭和12年8月20日 からで24日まで上海上陸支援作戦に従事。
昭和13年10月15日 佐世保工廠で改装工事着手。
昭和15年10月30日 改装工事完成。
  太平洋戦争初期には、古鷹、加古、青葉、衣笠の姉妹艦4隻で
  第六戦隊を編成し、井上成美中将麾下の南洋部隊、第四艦隊に
  属し、グアム島攻略、ウェーク島第二次攻略作戦、珊瑚海海戦、
  ミッドウェー作戦支援などに参加、のち新設の第八艦隊に移り
  第一次ソロモン海戦に大きな武勲をたてた。
昭和16年12月4日 太平洋戦争でトラック進出。グアム攻略部隊支援。
昭和16年12月20日 ウェーク島第二次攻略作戦に支援部隊の一艦とし
        て参加。
昭和17年1月18日 トラック基地出撃、ラバウル攻略作戦支援。
昭和17年3月8日 ニューギニ、ラエ、サラモア攻略作戦支援。
昭和17年5月7日 珊瑚海海戦では第一艦隊六戦隊にあって、攻略部
        隊輸送船団および、空母祥鳳を援護して参加。
昭和17年8月7日 第一次ソロモン海戦。
         この海戦は8月7日、米軍がソロモン諸島南端ガ
        ダルカナル島へ上陸したことを、海軍は重要視して
        即時、第八艦隊を率いる三川軍一中将は第一八戦隊
        の天龍、夕張、夕凪と第六戦隊の古鷹、加古、青葉、
        衣笠を合流させて反撃に出た。
         同艦隊は8月8日夜半、ルンガ泊地に停泊の米濠
        合同の艦隊に夜襲をかけ、砲、雷撃の結果、米重巡
        アストリア、クインシー、ヴィンセンス、濠重巡キ
        ャンベラの4隻を撃沈、米重巡シカゴを中破すると
        いう大戦果をあげた。
         その戦闘の正味時間、三十三分間という瞬時の攻
        撃であった。わが方は旗艦鳥海が小破しただけの、
        完勝であった。
昭和17年10月12日 サボ島沖夜戦。
        ガダルカナル島輸送隊援護と同島飛行場砲撃を兼ね
        第六戦隊の3番艦として参加したが、待ち伏せた米
        艦隊(重巡2、軽巡2、駆逐艦5)のレーダー射撃
        による集中砲火を浴びながらも、巧妙な操艦によっ
        て僚艦の巡洋艦や駆逐艦と反撃、駆逐艦ダンカンを
        撃沈、重巡ソルトレーイクシテイー、軽巡ボイスお
        よび駆逐艦ファレンボルトを撃破する戦果を挙げた。
昭和17年11月14日 第三次ソロモン海戦で、ガダルカナル島飛行場砲
        撃の後、空母エンタープライズ機および海兵隊機の
        空襲をうけ、ソロモン諸島ガダルカナル水域サボ島
        沖09度06分N 157度14分Eにて沈没。
昭和17年12月15日 除籍。

戻る


青葉(あおば)

建造所 三菱造船所(長崎)、 一等巡洋艦。
大正13年1月23日起工 同15年9月25日進水 昭和2年9月20日竣工
昭和12年8月20日 日華事変で24日まで上海上陸支援作戦に従事。
昭和13年1月 日 から佐世保工廠で改装工事に着手。
昭和15年10月30日 改装工事完成。
  太平洋戦争初期には、古鷹、加古、青葉、衣笠の姉妹艦4隻で
  第六戦隊を編成し、井上成美中将麾下の南洋部隊、第四艦隊に
  属し、グアム島攻略、ウェーク島第二次攻略作戦、珊瑚海海戦、
  ミッドウェー作戦支援などに参加、のち新設の第八艦隊に移り
  第一次ソロモン海戦に大きな武勲をたてた。
昭和16年12月4日 太平洋戦争でトラック進出。グアム攻略部隊支援。
昭和16年12月20日 ウェーク島第二次攻略作戦に第六戦隊の旗艦で、
        支援部隊の一艦として参加。
昭和17年1月18日 トラック基地出撃、ラバウル攻略作戦支援。
昭和17年3月8日 ニューギニ、ラエ、サラモア攻略作戦支援。
昭和17年5月7日 珊瑚海海戦では第一艦隊六戦隊にあって、攻略部
        隊輸送船団および、空母祥鳳を援護して参加。
昭和17年8月7日 第一次ソロモン海戦。
         この海戦は8月7日、米軍がソロモン諸島南端ガ
        ダルカナル島へ上陸したことを、海軍は重要視して
        即時、第八艦隊を率いる三川軍一中将は第一八戦隊
        の天龍、夕張、夕凪と第六戦隊の古鷹、加古、青葉、
        衣笠を合流させて反撃に出た。
         同艦隊は8月8日夜半、ルンガ泊地に停泊の米濠
        合同の艦隊に夜襲をかけ、砲、雷撃の結果、米重巡
        アストリア、クインシー、ヴィンセンス、濠重巡キ
        ャンベラの4隻を撃沈、米重巡シカゴを中破すると
        いう大戦果をあげた。
         その戦闘の正味時間、三十三分間という瞬時の攻
        撃であった。わが方は旗艦鳥海が小破しただけの、
        完勝であった。
昭和17年10月12日 サボ島沖夜戦。
        ガダルカナル島輸送隊援護と同島飛行場砲撃を兼ね
        第六戦隊の旗艦として参加したが、待ち伏せた米艦
        隊(重巡2、軽巡2、駆逐艦5)のレーダー射撃に
        よる集中砲火を浴び被弾しながらも僚艦の巡洋艦や
        駆逐艦と反撃、駆逐艦ダンカンを撃沈、重巡ソルト
        レーイクシテイー、軽巡ボイスおよび駆逐艦ファレ
        ンボルトを撃破する戦果を挙げた。
        しかし、この米巡洋艦群の電探射撃により、本艦に
        座乗の司令官後藤存知少将は戦死、艦も大きな損傷
        を蒙った。
昭和18年2月15日 ラバウル進出。同年8月1日まで、第八艦隊に属
        し、ソロモン作戦に従事。
        4月ニューアイルランド島カビエンで被爆、中破。
昭和18年12月15日 から第一南遣艦隊十六戦隊に属し同19年10月11日
        まで、ベンガル湾通商破壊作戦(サ一号作戦)、東
        インド水域での輸送作戦、渾作戦などに従事。
昭和19年10月23日 捷一号作戦出撃の途中、マニラ湾口南西約70浬に
        て米潜ブリームSS-243の雷撃により大破し、呉港に
        回航、修理。
昭和20年6月20日 特殊警備艦として、呉軍港鍋海岸に繁留。
昭和20年6月24日 および7月28日の米機動部隊、呉空襲のさい数発
        の爆弾が命中して大破、着底。(艦内満水、艦尾ほ
        とんど切断)
昭和20年11月20日 除籍。
昭和21年11月19日 呉播磨造船所にて解体着手、翌22年7月1日完了。

戻る


妙高(みょうこう)

建造所 横須賀工廠、 一等巡洋艦。
  大正13年10月25日起工 昭和2年4月16日進水 同4年7月31日竣工
昭和4年11月30日 第二艦隊第四戦隊に編入。
昭和6年3月29日 青島方面で作戦行動。
昭和7年2月6日 上海事変で揚子江方面水域を警備のため佐世保発。
        21日佐世保帰着。
昭和7年2月27日 上海警備のため、小松島発。同年3月7日佐世保
        帰着。
昭和9年11月20日 から佐世保工廠において第一次改装に着手。12月
        10日、主砲塔関係工事完了。
昭和10年10月18日 引き続き機銃、探照燈などの、換装工事を行う。
昭和10年11月15日 第二艦隊第五戦隊に編入。
昭和11年3月 日 船体補強工事を施工。
昭和11年4月13日 青島方面行動のため福岡湾発、22日佐世保帰着。
昭和12年7月28日 第三艦隊第九戦隊に編入。
昭和12年8月20日 日華事変で30日まで、上海上陸作戦支援、陸兵
        輸送に従事。
昭和12年8月30日 第四艦隊から第五艦隊旗艦となり同14年11月28日
        まで、台湾、馬公を基地として華南作戦、杭州湾上
        陸作戦、広東上陸作戦、海南島上陸作戦、封鎖作戦
        などに従事。
昭和14年11月15日 第二遣支艦隊十五戦隊に編入。
昭和15年3月19日 から呉工廠において、第二次改装に着手。同16年
        4月30日改装工事完了。
昭和16年11月26日 パラオ進出。
  太平洋戦争初頭、妙高、羽黒、那智で編成された第五戦隊は、南
  方部隊のフィリピン部隊に属しフィリピン攻略作戦支援の主力で
  あった。南洋作戦においては、セレベス方面攻略作戦支援隊の一
  艦として活躍した。
昭和16年12月17日 ダバオ、ホロ攻略作戦支援。
昭和17年1月4日 ダバオ湾マララグ泊地に在泊中、米陸軍機B-17の
        爆撃をうけ前部砲塔群に命中、中破。
昭和17年2月20日 佐世保工廠にて修理完了。マカッサルに向かい、
         蘭領東インド攻略作戦を支援。
昭和17年2月27日マカッサルを出港、スラバヤに向う。
昭和17年3月1日 スラバヤ沖海戦後、スラバヤよりチラチャップに
        脱出避退しょうとする、損傷英重巡エクゼターおよ
        び駆逐艦2隻を、ジャワ島の北海面を哨戒中の第16
        戦隊足柄を加えた第5戦隊(那智、羽黒、妙高)が
        捕捉、英国軽巡エクゼター、駆逐艦エンカウンター
        を撃沈、米国駆逐艦ポープ撃破した。
昭和17年4月18日 東京空襲の米機動部隊追撃。
昭和17年4月23日 トラックに進出。
昭和17年5月7日 第五航空戦隊を羽黒と共に援護、サンゴ海海戦に
        参加。
昭和17年5月29日 ミッドウェー作戦参加のため柱島出撃。
昭和17年6月5日 ミッドウェー海戦に、羽黒と共に攻略部隊の一艦
        として参戦。
昭和17年6月14日 北方部隊に編入、アリューシャン攻略作戦に協力。
昭和17年6月28日 アリューシャン上陸作戦支援のため、川内湾出撃。
昭和17年8月11日 ソロモン作戦支援のため柱島出撃、トラック進出。
昭和17年8月24日 第二次ソロモン海戦に前進部隊の第二艦隊に属し
        第五戦隊羽黒と共に参戦。
昭和17年10月15日 ガダルカナル島飛行場を摩耶と共に砲撃。
昭和17年10月26日 南太平洋海戦に第三艦隊、警戒部隊として参加。
昭和17年11月30日 トラック進出、呉第六特別陸戦隊の、ラバウル
        輸送作戦に従事。
昭和18年1月31日 ガダルカナル島撤収作戦を支援。
昭和18年5月15日 幌延に進出、同年6月12日まで北方哨戒。
昭和18年7月31日 トラック進出、同年11月17日までラバウルへ陸兵
        および陸軍の物資輸送に従事。
昭和18年11月2日 ブーゲンビル島沖海戦に、重巡戦隊の旗艦として
        参加、被弾と初風との触衝で外板に損傷。
昭和18年12月24日 トラック、リンガ、タウィタウィ進出。
昭和19年6月2日 渾作戦参加。
昭和19年6月19日 マリアナ沖海戦に参加。
        昭和19年6月30日 捷号作戦に備え、リンガ泊地へ進出。
昭和19年10月24日 比島沖海戦に参加。
  比島沖海戦に出撃して三日目、シブヤン海において、敵の第一波
  空襲をうけ、第五戦隊旗艦であった妙高は落伍、ブルネイ基地に
  避退、12月13日シンガポールで応急修理後、内地に回航中、サイ
  ゴン南西方仏印サンジャック沖にて米潜バーガルSS-320の雷撃に
  より艦尾を失い、羽黒に曳航されシンガポール、セレター軍港に
  戻り、同地に繁留。
昭和20年8月15日 シンガポール、セレター軍港で第一南遣艦隊付属
        のまま航行不能で終戦。
昭和21年7月2日 英海軍によりマラッカ海峡03度06分N 100度41分
        Eにて海没処分。
昭和21年8月10日 除籍。

戻る


那智(なち)

建造所 呉工廠、 一等巡洋艦。
大正13年11月26日起工 昭和2年6月15日進水 同3年11月26日竣工
昭和7年2月6日 上海事変で揚子江口水域の警備に従事。
昭和10年2月 日 佐世保工廠で主砲塔の換装を含む第一次改装工事
        に着手、同年10月6日工事完了。
昭和11年7月 日 佐世保工廠にて機銃装備などを含む残工事と船体
        補強工事完成。
昭和12年8月20日 日華事変で24日まで、上海上陸作戦および、封鎖
        作戦を支援。
昭和12年9月15日 第二艦隊五戦隊にあって同年11月16日まで、旅順
        基地から華北沿岸作戦に従事。
昭和13年10月 日 から佐世保工廠で第二次改装工事着手。
昭和15年3月31日 第二次改装完成。
昭和16年12月3日 太平洋戦争でパラオ進出、フィリピン攻略作戦、
        蘭領東インド攻略作戦などに従事。
昭和17年2月27日 スラバヤ沖海戦では、第五戦隊旗艦として南方
        作戦、セレベス方面攻略作戦支援隊の一艦として
        参加、僚艦羽黒および第二、第四水雷戦隊と協力
        して、英重巡エクゼター、および米重巡ヒュース
        トンその他連合国軍の艦艇を撃破した。
         翌28日、再度襲撃してきた連合国軍を発見、羽黒
        らと共に蘭巡デ・ロイテル、ジャワ、英蘭駆逐艦各
        一隻を撃沈。
昭和17年3月1日 スラバヤ沖海戦後、スラバヤよりチラチャップに
        脱出避退しょうとする、損傷英重巡エクゼターおよ
        び駆逐艦2隻を、ジャワ島の北海面を哨戒中の第16
        戦隊足柄を加えた第5戦隊(那智、羽黒、妙高)が
        捕捉、英国軽巡エクゼター、駆逐艦エンカウンター
        を撃沈、米国駆逐艦ポープ撃破した。
昭和17年6月3日から
  細萱戊四郎中将の率いる北方部隊の第五艦隊に属し、旗艦として、
  北方作戦アッツ、キスカ両島の占領に従事した。
  第五艦隊は那智のほか第二一戦隊の木曽と多摩、第一水雷戦隊の
  阿武隈と駆逐艦数隻からなっていたが、アリューシャン作戦にあ
  たっては、摩耶、高雄、第四航空戦隊その他を増強している。
昭和17年10月26日 アッツ島攻略、同年11月6日攻略成功。
昭和18年3月7日 同年3月23日の二度アッツ島に物資輸送。
昭和18年3月27日 アッツ島沖海戦では、第五艦隊二一戦隊に属し、
        米重巡ソルト・レークシテイおよび 駆逐艦ベー
        リーを撃破したが、那智自らも命中弾を受け損傷。
昭和18年7月10日 第一次キスカ撤収作戦に参加、15日完了。
昭和19年10月21日 捷一号作戦発動、リンガ出撃。
  比島沖海戦で10月25日、志摩艦隊の旗艦として足柄などととも
  にスリガオ海峡に突入したが、先に突入し、敵の砲弾を浴び、
  損害甚大な西村艦隊の最上と衝突、戦果なく、かえって、大破
  炎上中の同艦をさらに傷つけ、自らも損傷することになった。
昭和19年11月2日 マニラ湾に避退中、空襲で被害をうけ、さらに
        5日、米空母レキシントンの艦載機による雷爆撃
        の集中攻撃をうけ沈没。
昭和21年1月20日 除籍。

戻る


足柄(あしがら)

建造所 川崎造船所(神戸)、 一等巡洋艦。
大正14年4月11日起工 昭和3年4月22日進水 同4年8月20日竣工
昭和7年2月6日 から上海事変で出動、3月7日まで揚子江水域の
        警備任務に従事。
昭和9年11月25日 から佐世保工廠で砲塔関係の換装および近代化の
        第一次改装に着手。翌10年2月完成。
昭和11年3月31日 長崎三菱重工業で船体補強工事完成。
昭和12年4月3日 英国皇帝ジョージ6世即位、戴冠記念観艦式(ス
        ピッドヘッド)に参加のため横須賀出発、艦観式後
        帰途ドイツ、キール軍港親善訪問、同年7月8日、
        横須賀帰着。
  列国を代表する軍艦が一堂に会したが、この時、日本からは第一
  次改装後間もない本艦足柄が参列、世界の目を見張らせた。
昭和12年8月20日 日華事変で上海上陸作戦のち第五戦隊から第十四
        戦隊に編入旅順基地から華中、華北沿岸作戦および
        杭州湾上陸作戦、封鎖作戦に参加。
昭和14年6月 日 から横須賀工廠において第二次改装工事に着手。
昭和15年6月20日 改装工事完了。
昭和15年10月15日 から第二遣支艦隊の13戦隊にあって、台湾基地か
        ら華南、仏印作戦を支援。
  昭和16年1月から2月仏印進駐作戦に参加。
  開戦当初は、姉妹艦3隻で編成された第二艦隊第五戦隊をはなれ、
  南方部隊の第三艦隊に属し、司令長官高橋伊望中将座乗の旗艦と
  してフィリピン作戦、蘭印作戦全般の指揮にあたった。
昭和16年12月3日 パラオ進出、太平洋戦争でフィリピン攻略作戦、
        蘭領東インド攻略作戦などに従事。
昭和17年1月2日 からダバオ、スラバヤ、リンガへ進出。
昭和17年3月1日 スラバヤ沖海戦後、スラバヤよりチラチャップに
        脱出避退しょうとする、損傷英重巡エクゼターおよ
        び駆逐艦2隻を、ジャワ島の北海面を哨戒中の第16
        戦隊足柄を加えた第5戦隊(那智、羽黒、妙高)が
        捕捉、英国軽巡エクゼター、駆逐艦エンカウンター
        を撃沈、米国駆逐艦ポープ撃破した。
昭和17年6月25日 スラバヤ沖海戦後も第二南遣艦隊に属し南西方面
        旗艦として同方面にとどまったため、クリスマス島
        攻略作戦支援、サンホセ砲撃作戦(札号作戦)など
        に参加したが、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、南
        太平洋海戦などには参加しなかった。
昭和18年中期から 北方方面の第五艦隊に移る。
昭和19年4月4日 第五艦隊二一戦隊で大湊基地から北方哨戒。
昭和19年10月13日 台湾沖航空戦で、米艦隊追撃のため南下、引き続い
        てレイテ沖海戦に参加。
昭和19年10月25日 志摩部隊の主力としてスリガオ海峡に突入したが、
        僚艦那智の衝突事故により戦果なく、結局無傷のまま
        引き返した。その後、第五艦隊から第十方面艦隊第五
        戦隊にあって輸送作戦に従事。
昭和20年6月8日 スマトラ島東方のバンカ島北岸で輸送作戦に従事中
        バンカ海峡北口付近01度59分S 104度57分Eにおいて
        英潜トレンチャントの雷撃をうけ沈没。
昭和20年8月20日 除籍。

戻る


羽黒(はぐろ)

建造所 三菱造船(長崎)、 一等巡洋艦。
大正14年3月16日起工 昭和3年3月24日進水 同4年4月25日竣工
昭和7年2月6日 から上海事変で出動、3月7日まで揚子江水域の
        警備任務に従事。
昭和9年5月22日 佐世保工廠で主砲換装などを含む、近代化第一次
        改装工事に着手。翌10年6月完成。
昭和11年3月 日 長崎の三菱重工業において船体補強工事完成。
昭和12年8月20日 日華事変で、第二艦隊第五戦隊にて同年11月16日
        まで上海上陸、封鎖作戦の後、旅順基地から華北沿
        岸で作戦行動に従事。
昭和14年1月10日 長崎の三菱重工業で 第二次改装に着手。
昭和14年12月28日 第二次改装完成。
昭和16年11月26日 南方作戦準備のためパラオ進出。その後、太平洋
        戦争でフィリピン攻略作戦、蘭領東インド攻略作戦
        などに従事。
  太平洋戦争開戦初頭、妙高、羽黒、那智で編成された第五戦隊は
  第二艦隊に属し、南方作戦においてセレベス方面攻略作戦を支援。
   昭和17年2月27日 スラバヤ沖海戦では、第五戦隊に属し南方作戦、
        セレベス方面攻略作戦支援隊の一艦として参加し、
        僚艦那智および第二、第四水雷戦隊と協力、英重巡
        エクゼター、および米重巡ヒューストンその他連合
        国軍の艦艇を撃破した。
         翌28日、再度襲撃してきた連合国の艦隊を発見、
        那智らと共に蘭巡デ・ロイテル、ジャワ、英蘭駆逐
        艦各一隻を撃沈。
昭和17年3月1日 スラバヤ沖海戦後、スラバヤよりチラチャップに
        脱出避退しょうとする、損傷英重巡エクゼターおよ
        び駆逐艦2隻を、ジャワ島の北海面を哨戒中の第16
        戦隊足柄を加えた第5戦隊(那智、羽黒、妙高)が
        捕捉、英国軽巡エクゼター、駆逐艦エンカウンター
        を撃沈、米国駆逐艦ポープ撃破した。
昭和17年4月23日 からトラック進出。
昭和17年5月7日 珊瑚海海戦には妙高と共に第五戦隊にあって主隊
        第五航空戦隊を支援して参加。
昭和17年5月29日 ミッドウェー作戦参加のため柱島出撃。
昭和17年6月5日 ミッドウェー海戦に、妙高と共に攻略部隊の一艦
        として参戦。
昭和17年6月14日 北方部隊に編入、アリューシャン攻略作戦に協力。
昭和17年6月28日 アリューシャン上陸作戦支援のため、川内湾出撃。
昭和17年8月11日 ソロモン作戦支援のため柱島出撃、トラック進出。
昭和17年8月24日 第二次ソロモン海戦に前進部隊の第二艦隊に属し
        第五戦隊妙高と共に参戦。
昭和18年2月1日 ガダルカナル島撤収作戦支援。
昭和18年5月15日 幌延に進出、同年6月12日まで北方哨戒。
昭和18年7月31日 トラック進出、同年11月17日までラバウルへ陸兵
        および陸軍の物資輸送に従事。
昭和18年11月2日 ブーゲンビル島沖海戦に、第五戦隊、妙高ととも
        に参加。
  ブーゲンビル島沖夜戦で、爆撃と砲撃を受け損傷したが、この時、
  駆逐艦と衝突して速力低下した僚艦妙高をかばい、敵艦隊の間に
  躍りこんで砲火を一身に浴びながら、良く援護の任を果たした。
昭和18年12月24日 トラック、リンガ、タウィタウィ進出。
昭和19年6月19日 マリアナ沖海戦に参加。戦闘で旗艦大鳳の沈没に
        より一時、司令部は本艦に移乗、将旗を揚げた。
昭和19年6月30日 捷号作戦に備え、リンガ泊地へ進出。
昭和19年10月24日 比島沖海戦に参加。
  栗田艦隊の一艦として参加、比島沖海戦のサマール島沖海戦では
  敵護衛空母群にもっとも接近して攻撃、この戦闘で2番砲塔を、
  爆撃により大破したが、迅速適切な処置で弾火薬庫の誘爆を防ぎ、
  大事に至らずブルネイに帰投した。
昭和19年12月25日 内地に回航の途中被雷した妙高を曳航し、シンガ
        ポール入港。
昭和20年5月16日 アンダマン諸島向け強行輸送作戦中、ペナン島の
        西方で英空母シャー艦載機の爆撃をうけ損傷のあと
        続いて、英駆逐艦5隻による雷撃をうけ、ペナン沖
        05度00分N 099度30分の地点に没す。
昭和20年6月20日 除籍

戻る


高雄(たかお 四代)

建造所 横須賀工廠、 一等巡洋艦。
昭和2年4月28日起工 同5年5月12日進水 同7年5月31日竣工
昭和12年8月20日 日華事変で出動、同年11月17日まで、上海上陸
        作戦を支援、のち旅順基地から華北作戦などに従事。
昭和13年4月 日 から改装工事に着手。同14年8月21日工事完了。
昭和16年12月4日 第二艦隊第四戦隊で、太平洋戦争に向け出動。
        翌17年3月18日までマレー、比島、蘭印作戦支援、
        3月2日、愛宕と協同で米駆逐艦ビルスベリーを
        撃沈。
  太平洋戦争開戦時には、第二艦隊司令長官近藤信竹中将の旗艦と
  して南方攻略作戦全般を支援し、ジャワ島南方水域機動作戦の他、
  ポート・ダーウイン攻撃に参加の後、第二艦隊を離れ、北方部隊
  に移りアリューシャン攻略に出動。その後再び南方に転戦、南太
  平洋海戦、第三次ソロモン海戦に参戦した。
昭和17年1月19日 ポート・ダーウィン攻撃に参加。
昭和17年4月18日 東京空襲の米機動部隊を追撃。
昭和17年5月26日 から同年6月24日までアリューシャン北方作戦に
        従事。
昭和17年8月11日 トラック進出。
昭和17年8月24日 第二次ソロモン海戦に前進部隊の第二艦隊に属し
        第四戦隊の愛宕、摩耶と共に参戦。
昭和17年10月26日 南太平洋海戦には、第四戦隊にあって僚艦愛宕、
        摩耶とともに警戒部隊として参戦。
昭和17年11月15日 第三次ソロモン海戦では僚艦愛宕と共に第三次
        ガ島砲撃参加、霧島と協同で米新鋭戦艦サウスダ
        ゴタを撃破した。
昭和18年2月1日 ガダルカナル島撤収作戦を支援。
昭和18年11月5日 ラバウル進出後、米空母部隊のラバウル第一次
        空襲の際、ラバウル港内で被爆、小破。
昭和19年1月29日 から同年2月6日まで、空母雲鷹の護衛に従事。
昭和19年2月15日 から「あ号」作戦に備えリンガ、タウィタウィ
        進出。
昭和19年6月19日 マリアナ沖海戦に参加。
昭和19年7月8日 捷一号作戦に備えリンガ進出、訓練に従事。
昭和19年10月22日 比島沖海戦には栗田艦隊の一艦として参加、
昭和19年10月23日 比島沖海戦で出撃後、パラワン島沖09度28分N
         117度17分Eにて米潜ダーターSS-227の雷撃をうけ
        大破、落伍したが、応急修理が功を奏し自力航行で
        ブルネイに帰投。その後シンガポール回航。
昭和20年7月31日 第一南遣艦隊としてシンガポール在泊中、英潜の
        攻撃(英潜XE3潜水員の時限機雷)により損傷大、
        終戦時航行不能。
昭和21年10月29日 マラッカ海峡03度06分N 100度41分Eの地点にて
        英国海軍により海没処分。
昭和22年5月3日 除籍。

戻る


愛宕(あたご)

造船所 呉工廠、 一等巡洋艦
昭和2年4月28日起工 同5年6月16日進水 同7年3月13日竣工
昭和13年4月 日 舞鶴と横須賀工廠で改装工事着手。
昭和14年10月30日 改装工事完了。
昭和16年12月4日  太平洋戦争で南方進出、翌17年4月17までに
        マレー、比島、蘭印作戦など南方攻略作戦全般支援、
        ジャワ島南方水域機動作戦などに参加した。
        3月2日高雄と協同で米駆逐艦ビルスベリーを撃沈。
  太平洋戦争開戦時には、南方部隊の第二艦隊に属し僚艦高雄と共
  に南方攻略作戦全般を支援し、ジャワ島南方水域機動作戦の他、
  ポート・ダーウイン攻撃に参加の後、南方に転戦、南太平洋海戦、
  第二、三次ソロモン海戦に参戦した。
昭和17年4月18日 東京空襲の米機動部隊を追撃。
昭和17年6月5日 ミッドウェー作戦には、第四戦隊鳥海と共に攻略
        部隊の一艦として参加。
昭和17年8月11日 トラック進出。
昭和17年8月24日 第二次ソロモン海戦に前進部隊の第二艦隊に属し
        第四戦隊の高雄、摩耶と共に参戦。
昭和17年10月26日 南太平洋海戦には、第四戦隊にあって僚艦高雄
        摩耶とともに警戒部隊として参戦。
昭和17年11月15日 第三次ソロモン海戦では近藤中将の旗艦として
        出動、僚艦高雄と共に第三次ガ島砲撃参加、霧島と
        協同で米新鋭戦艦サウスダゴタを撃破した。
昭和18年2月1日 ガダルカナル島撤収作戦を支援。
昭和18年11月5日 ラバウル進出後、米空母部隊のラバウル第一次
        空襲、第一次ブーゲンビル島沖航空戦で、ラバウル
        港内で被爆、小破。
昭和19年1月5日 「あ号」作戦に備えリンガ、タウィタウィ進出。
昭和19年6月19日 マリアナ沖海戦に参加。
昭和19年7月8日 捷一号作戦に備えリンガ進出、訓練に従事。
昭和19年10月22日 比島沖海戦には第二艦隊旗艦として、司令長官
        栗田健男中将座乗の栄を担って、ブルネイ泊地を
        出撃した。
昭和19年10月23日 捷一号作戦で、レイテ湾突入の途中パラワン島沖
        09度28分N 117度17分Eにて米潜ダーターSS-227の
        魚雷攻撃を受け4本命中、沈没。
昭和19年12月20日 除籍。

戻る


摩耶(まや 二代)

建造所 川崎造船所(神戸)、 一等巡洋艦。
昭和3年12月4日起工 同5年11月8日進水 同7年6月30日竣工
昭和7年12月1日 第二艦隊第四戦隊に編入。
昭和9年10月22日 操舵装置一部改造工事着手、12月20日工事完了。
昭和11年7月9日 横須賀工廠にて外板補強工事、9月20日完了。
昭和12年12月8日 横須賀工廠で補助缶と関連機関撤去工事に着手。
昭和13年1月14日 工事完了、横須賀工廠出渠。
昭和14年12月1日 翌15年2月1日まで砲術学校練習艦を務める。
昭和15年5月1日 再度、第二艦隊第四戦隊に編入。
昭和16年11月25日 南方本部隊となり、柱島出撃馬公へ向う。
昭和16年12月8日 太平洋戦争開戦、馬公出撃、比島作戦を支援。
  開戦時には、第四戦隊の姉妹艦と離れ、別に第五戦隊妙高型4隻
  と共に、南方部隊のフィリピン部隊に属した。
   ちなみに高雄、愛宕は南方部隊の主体として馬公にあり全作戦
  の支援に就き、高雄は第二艦隊司令長官近藤信竹中将の旗艦を務
  め、鳥海はマレー部隊攻略部隊の、南遣艦隊司令長官小沢治三郎
  中将の旗艦であった。南方作戦に従事の後、高雄、那智と共に北
  方部隊の第五艦隊に移りアリューシャン攻略作戦に参加した。そ
  の後再び第二艦隊に属し南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦など
  に参加した。
昭和16年12月7日 太平洋戦争では臨時南遣艦隊に属し、比島、蘭印
        作戦支援に従事。
昭和17年4月18日 東京空襲の米機動部隊を追撃。
昭和17年5月26日 から同年6月24日までアリューシャン作戦支援。
昭和17年8月11日 トラック進出。
昭和17年8月24日 第二次ソロモン海戦に前進部隊の第二艦隊に属し
        第四戦隊の高雄、愛宕と共に参戦。
昭和17年10月15日 ガダルカナル島飛行場を妙高と共に砲撃。
昭和17年10月26日 南太平洋海戦には、第四戦隊にあって僚艦高雄
        愛宕とともに警戒部隊として参戦。
昭和17年11月13日 第三次ソロモン海戦では、西村祥治少将率いる
        第二次ガダルカナル島砲撃隊の一艦として参戦。
昭和18年2月23日 からアッツ島輸送作戦に従事。
昭和18年3月27日 アッツ島沖海戦、第五艦隊第二一戦隊に属して、
        妙高と協力、米重巡ソルト・レークシテイおよび
        駆逐艦ベーリーを撃破。
昭和18年5月12日 アッツ島救援作戦に従事。
昭和18年7月10日 第一次キスカ撤収作戦に参加、天候悪く15日中止。
昭和18年8月19日 横須賀工廠で操舵機修理、電探装備。
昭和18年9月15日 トラック進出、ラバウル方面輸送作戦に従事。
昭和18年11月5日 ラバウル在泊中、米機動部隊のラバウル第一次
        空襲で被爆、中破。
昭和18年12月21日 損傷部修理の際、横須賀工廠三番主砲撤去、対空
        兵装強化改装工事、同19年4月9日完成。
昭和19年4月21日 「あ号」作戦に備えリンガ、タウィタウィ進出。
昭和19年6月15日 マリアナ沖海戦に参加。後の6月20日、被爆小破。
昭和19年7月14日 呉、門司から宮古島へ陸兵輸送。
昭和19年7月29日 捷号作戦に備えリンガ泊地へ進出、訓練に従事。
昭和19年10月23日 比島沖海戦、栗田艦隊の第四戦隊に属して捷一号
        作戦で出撃の早朝、途中パラワン島沖で米潜デース
        SS-247の魚雷4本が右舷に命中、弾火薬庫に誘爆し
        僅か4分間でパラワン水道南09度22N 117度07分E
        の地点で沈没。
昭和19年12月20日 除籍。

戻る


鳥海(ちょうかい 二代)

建造所 三菱造船所(長崎)、 一等巡洋艦。
昭和3年3月26日起工 同6年4月5日進水 同7年6月30日竣工
昭和7年12月1日 第二艦隊第四戦隊に編入。
昭和8年7月13日 8月21日まで南洋方面に行動。
昭和8年10月18日 横須賀工廠で主砲砲戦指揮装置及び無線装置改装
        工事に着手、翌9年2月2日完了。
昭和9年9月27日 旅順より青島方面を行動、10月5ひ横須賀帰着。
昭和10年1月29日 横須賀工廠にて、機関部関係の改造工事に着手、
        2月20日工事完了。
昭和11年10月19日 横須賀工廠にて艤装改善工事に着手、翌12年7月
        31日改善工事完了。
昭和12年9月6日 日華事変で11月21日まで、旅順より中支方面で、
        華北作戦、封鎖作戦などに従事。
昭和14年11月10日 第五艦隊付属になる。
昭和15年11月15日 第二艦隊第四戦隊に編入。
昭和16年12月4日 陸軍マレー攻略部隊の船団護衛。
昭和16年12月8日 太平洋戦争初頭には第一南遣艦隊旗艦として小沢
        治三郎中将が座乗、マレー方面攻略作戦、スマトラ
        上陸作戦を支援。
昭和17年4月1日 ベンガル湾機動作戦で、6日商船3隻を撃沈。
昭和17年4月12日 南遣部隊旗艦を香椎に変更。
昭和17年6月5日 柱島出撃し、ミッドウェー作戦に愛宕と共に攻略
        部隊として参加。
昭和17年7月19日 ラバウル進出、ソロモン攻略作戦支援。
昭和17年8月8日 第一次ソロモン海戦には、第八艦隊旗艦として、
        第六戦隊と十八戦隊と協同して米重巡クインシー、
        ヴィンセンス、アストリアおよびキャンベラを撃沈
        し、鳥海は第一砲塔に被弾したが中破、その他損傷
        の程であった。
  この海戦は、8月7日米軍がソロモン諸島南端ガダルカナル島へ
  上陸したことを海軍は重要視し、即刻三川軍一中将率いる第八艦
  隊を急派して反撃させた。同艦隊は8月8日夜半、ルンガ泊地に
  在った米濠合同の艦隊を夜襲して、砲、雷撃の結果、米重巡アス
  トリア、クインシー、ヴィンセンス、濠重巡キャンベラの4隻を
  撃沈、米重巡シカゴを中破するという大戦果をあげた。
   正味戦闘時間、三十三分わが方は旗艦鳥海が小破しただけで、
  海戦史上に残るパーフェクトな海戦であった。
昭和17年10月14日 ガダルカナル島飛行場を衣笠と共に砲撃。
昭和17年11月13日 第三次ソロモン海戦に第八艦隊旗艦として参加、
        エンタープライズの艦上機と遭遇、被弾中破。
昭和17年12月1日 ラバウル、カビエン作戦支援、ラバウル方面輸送
        作戦に従事。
昭和18年9月15日 トラック進出。
昭和18年11月24日 トラック出動、ギルバート方面迎撃作戦に従事。
昭和19年6月5日 リンガ、タウィタウィ進出、あ号作戦に備える。
昭和19年6月15日 マリアナ沖海戦に第二艦隊第四戦隊で参加。
昭和19年7月10日 リンガ進出、捷号作戦に備え訓練に従事。
昭和19年10月25日 比島沖海戦には、栗田艦隊に第四戦隊の一艦と
        して、サマール沖海戦に参加、米空母機の爆撃に
        より被爆、その後、米駆逐艦ジョンストンの魚雷
        攻撃をうけ大破、落伍。友軍駆逐艦藤波の魚雷で
        サマール島沖11度30分N 126度30分Eの地点にて
        にて撃沈処分。
昭和19年12月20日 除籍。

戻る


最上(もがみ 二代)

建造所 呉工廠、 二等巡洋艦で建造、改装後一等巡洋艦。
昭和6年10月7日起工 同9年3月14日進水 同10年7月28日竣工
昭和10年7月28日 竣工と同時に、呉工廠で引き続き強度、性能改
        善工事着手、翌13年2月改善工事完了。
昭和14年1月31日 呉工廠において主砲換装工事着手、翌15年4月
        12日工事完了。
  この工事は設計当初から、有事の際に重巡改装をひそかに意図
  してあったのであり、現在ではこの改装も、艦艇フアンならば
  ほとんどが知っている事であるが、当時は一般国民は無論のこ
  と、列国の海軍関係者にもまったく知られず、情報網の優れた
  アメリカ海軍でさえ、ミッドウェー海戦で大破炎上中の三隈を
  低空撮影した写真を見て、初めて知り愕然としたという、有名
  な話が伝えられている。
昭和15年5月1日 第二艦隊第七戦隊に編入。
昭和16年1月23日 海南島派遣、仏印作戦支援。
昭和16年7月16日 支那方面艦隊の指揮下に入り、仏印進駐で海南島、
        サイゴン沖派遣。
  新鋭の威容を誇った最上型4隻の姉妹艦は、重巡として改装後、
  第七戦隊を編成、司令官には栗田健男少将を迎えた。この第七戦
  隊は開戦当時、南遣艦隊司令長官小沢治三郎の直卒下にあって、
  マレー攻略作戦、さらに蘭印作戦に特派されて、バダビア沖海戦
  では、最上、三隈が戦果を上げた。4月には機動部隊のセイロン
  島攻撃に際し、第七戦隊はベンガル湾に進出、英商船9隻を撃沈
  する戦果を挙げた。
昭和16年12月4日 マレー半島上陸作戦支援にため、海南島三亜出撃。
昭和16年12月20日 から翌17年2月24日まで蘭領東インド攻略作戦、
        ジャワ攻略作戦などを支援。
昭和17年3月1日 バダビア沖海戦に、重巡戦隊の一艦として三隈と
        参加、米重巡ヒューストン、および英軽巡バースを
        撃沈した。
昭和17年4月6日 ベンガル湾機動作戦では、僚艦三隈、天竜と協同
        して、商船5隻を撃沈。
昭和17年5月22日 ミッドウェー攻略隊として柱島出撃。
昭和17年6月5日 ミッドウェー海戦において僚艦三隈と衝突、中破。
        6月7日 三隈と衝突のあと、艦上機の爆撃により、
        被爆大破、自力で航行でトラックに避退、応急修理。
昭和17年9月1日 佐世保工廠で損傷修理期間を用いて航空巡洋艦に
        改装、翌18年4月30工事完了。
昭和18年5月17日 第二艦隊第七戦隊に復帰。
昭和18年6月10日 第三艦隊第七戦隊に編入。
  18年 中部太平洋輸送作戦。
昭和18年7月10日 トラック進出、ラバウル輸送作戦に従事。
昭和18年11月5日 米機動部隊の第一次ラバウル空襲で被爆、小破。
        トラックにて工作艦明石に横付け修理に従事。
昭和19年2月17日 呉工廠での本格修理完成、出渠。
昭和19年3月8日 軍需品、人員輸送に従事。
昭和19年5月11日 リンガ、タウィタウィへ進出、あ号作戦に備える。
昭和19年6月19日 第三艦隊に付属しマリアナ沖海戦に参加。
昭和19年7月20日 捷号作戦に備えリンガ進出、訓練に従事。
昭和19年10月22日 比島沖海戦には、第一遊撃隊で西村祥治中将率い
        る第三部隊の扶桑、山城を援護してスリガオ海峡戦
        に参加。
昭和19年10月25日 スリガオ海峡で米水上艦艇と交戦、3発の命中弾
        をうけ火災発生、その後0415(午前4時15分)突入
        してきた志摩部隊の那智と衝突。0700(午前7時)、
        駆逐艦「曙」に護衛されコロンに向かったが、再度
        米機の攻撃をうけ被害甚大、乗員退避の後、ミンダ
        ナオ海パナオン島ピニト岬南東38浬で「曙」により
        雷撃処分、09度40分N 124度50分Eの地点に沈没。
昭和19年12月20日 除籍。

戻る


三隈(みくま)

建造所 三菱重工業(長崎)、二等巡洋艦で建造、改装後一等巡洋艦。
昭和6年12月24日起工 同9年5月31日進水 同10年8月29日竣工
昭和10年8月29日 竣工後、引き続き補強、性能改善工事、同年12月
        10日、三菱重工業長崎で完成。
昭和12年12月1日 第二艦隊第七戦隊に編入。
昭和14年6月 日 横須賀工廠で主砲換装工事着手、同年12月30日、
        工事完了。(換装工事、最上参照)
昭和16年1月23日 海南島派遣、仏印作戦支援。
昭和16年7月16日 支那方面艦隊の指揮下に入り、仏印進駐で海南島、
        サイゴン沖派遣。
  新鋭の威容を誇った最上型4隻の姉妹艦は、重巡として改装後、
  第七戦隊を編成、司令官には栗田健男少将を迎えた。この第七戦
  隊は開戦当時、南遣艦隊司令長官小沢治三郎の直卒下にあって、
  マレー攻略作戦、さらに蘭印作戦に特派されて、バダビア沖海戦
  では、最上、三隈が戦果を上げた。4月には機動部隊のセイロン
  島攻撃に際し、第七戦隊はベンガル湾に進出、英商船9隻を撃沈
  する戦果を挙げた。
昭和16年12月4日 マレー半島上陸作戦支援にため、海南島三亜出撃。
昭和16年12月20日 から翌17年2月24日まで蘭領東インド攻略作戦、
        ジャワ攻略作戦などを支援。
昭和17年3月1日 バダビア沖海戦に、重巡戦隊の一艦として三隈と
        参加、米重巡ヒューストン、および英軽巡バースを
        撃沈した。
昭和17年4月6日 ベンガル湾機動作戦では、僚艦最上、天竜と協同
        して、商船5隻を撃沈。
昭和17年5月22日 ミッドウェー攻略隊として柱島出撃。
昭和17年6月5日 ミッドウェー海戦において、作戦中止により本隊
        に合同すべく行動中、僚艦最上と衝突、中破、のち
        6月6日早朝より、米艦上機の爆撃を受けたが被害
        続いて7日再度、米艦上機と海兵隊機の攻撃をうけ
        大破、総員退去の後、ミッドウェー北西方 600浬、
        30度00分N 176度34分Eの地点に沈没。
昭和17年8月10日 除籍。

戻る


鈴谷(すずや 二代)

建造所 横須賀工廠、 二等巡洋艦で建造、改装後一等巡洋艦。
昭和8年12月11日起工 同9年11月20日進水 同12年10月31日竣工
昭和12年12月1日 第二艦隊第七戦隊に編入。
昭和14年2月 日 横須賀工廠で主砲換装工事着手、同年12月30日、
        工事完了。(換装工事、最上参照)
昭和16年1月23日 支那方面艦隊の指揮下になり仏印進駐で海南島、
        サイゴン沖派遣。
昭和16年11月20日 太平洋戦争でマレー、蘭領東インド攻略作戦、
        ビルマ作戦支援のため柱島出撃。
  新鋭の威容を誇った最上型4隻の姉妹艦は、重巡として改装後、
  第七戦隊を編成、司令官には栗田健男少将を迎えた。この第七戦
  隊は開戦当時、南遣艦隊司令長官小沢治三郎の直卒下にあって、
  マレー攻略作戦、さらに蘭印作戦に特派されて、バダビア沖海戦
  では、最上、三隈が戦果を上げた。4月には機動部隊のセイロン
  島攻撃に際し、第七戦隊はベンガル湾に進出、英商船9隻を撃沈
  する戦果を挙げた。
昭和16年12月4日 マレー上陸作戦を支援のため三亜港出撃。
昭和17年1月30日 アナンバス攻略作戦支援。
昭和17年2月10日 バンカ、バレンバン攻略作戦支援。
昭和17年2月24日 バダビア攻略作戦支援。
昭和17年4月6日 ベンガル湾機動作戦で商船7隻を撃沈。
昭和17年5月22日 ミッドウェー攻略のため、柱島出撃。
昭和17年6月5日 ミッドウェー海戦に攻略部隊の第七戦隊で参加。
昭和17年7月4日 第三艦隊第七戦隊で、24日シンガポール進出。
昭和17年8月24日 第二次ソロモン海戦参加。
昭和17年10月26日 南太平洋海戦では、機動部隊前衛で参加。
昭和17年11月14日 第三次ソロモン海戦でガダルカナル島砲撃。
昭和18年2月5日 トラック進出、ソロモン諸島、中部太平洋方面
        輸送作戦に従事。
昭和18年6月16日 ラバウル進出、同19年6月22日まで第五防空隊
        輸送作戦に従事。
昭和18年11月5日 米機動部隊の第一次ラバウル空襲で米空母機の
        大編隊と戦闘。
昭和19年2月21日 リンガ泊地にて、あ号作戦に備え訓練に従事。
昭和19年6月19日 マリアナ沖海戦に参加。
昭和19年7月8日 呉よりシンガポールへ陸軍部隊輸送。
昭和19年7月16日 リンガ泊地にて、捷号作戦に備え訓練に従事。
昭和19年10月22日 比島沖海戦、第一遊撃隊(栗田艦隊)第二部隊
        としてブルネイ出撃。
昭和19年10月25日 比島沖海戦、サマール島沖で、米護衛空母群を
        追撃中、米空母機の雷爆撃をうけて、搭載魚雷に
        誘爆し航行不能になり、友軍駆逐艦の雷撃により
        サマール島沖11度48分N 122度26分Eにて沈没。
昭和19年12月20日 除籍。

戻る


熊野(くまの)

建造所 川崎神戸造船所、 二等巡洋艦で建造、改装後一等巡洋艦。
昭和9年4月5日起工 同11年10月15日進水 同12年10月31日竣工
昭和12年12月1日 第二艦隊第七戦隊に編入。
昭和13年10月17日 から翌14年3月21日まで、高雄、馬公を基地と
        して、南支方面の作戦行動に従事。
昭和14年5月20日 呉工廠で主砲換装工事に着手、同年12月20日、
        工事完了。(換装工事、最上参照)
昭和16年1月23日 支那方面艦隊の指揮下になり仏印進駐で海南島、
        サイゴン沖派遣。
昭和16年11月20日 太平洋戦争でマレー、蘭領東インド攻略作戦、
        ビルマ作戦支援のため柱島出撃。
  新鋭の威容を誇った最上型4隻の姉妹艦は、重巡として改装後、
  第七戦隊を編成、司令官には栗田健男少将を迎えた。この第七戦
  隊は開戦当時、南遣艦隊司令長官小沢治三郎の直卒下にあって、
  マレー攻略作戦、さらに蘭印作戦に特派されて、バダビア沖海戦
  では、最上、三隈が戦果を上げた。4月には機動部隊のセイロン
  島攻撃に際し、第七戦隊はベンガル湾に進出、英商船9隻を撃沈
  する戦果を挙げた。
昭和16年12月4日 マレー上陸作戦を支援のため三亜港出撃。
昭和17年1月30日 アナンバス攻略作戦支援。
昭和17年2月10日 バンカ、バレンバン攻略作戦支援。
昭和17年2月24日 バダビア攻略作戦支援。
昭和17年4月6日 ベンガル湾機動作戦で商船7隻を撃沈。
昭和17年5月22日 ミッドウェー攻略のため、柱島出撃。
昭和17年6月5日 ミッドウェー海戦に近藤信竹中将の下、攻略
        部隊の第七戦隊で参加。
昭和17年7月4日 第三艦隊第七戦隊で、24日シンガポール進出。
昭和17年8月24日 第二次ソロモン海戦参加。
昭和17年10月26日 南太平洋海戦では、機動部隊前衛で参加。
昭和17年11月29日 トラック進出、ソロモン諸島、中部太平洋方面
        陸軍部隊輸送作戦に従事。
昭和18年6月16日 ラバウル進出、同19年6月22日まで第五防空隊
        輸送作戦に従事。
昭和18年7月20日 雷撃機の攻撃をうけ右舷後部損傷、8月1日、
        工作艦明石に接舷し修理。
昭和19年2月21日 リンガ泊地にて、あ号作戦に備え訓練に従事。
昭和19年6月19日 マリアナ沖海戦、新編成された第一機動部隊
        長官小沢中将の前衛、第二艦隊長官栗田中将所属
        の第七戦隊熊野、鈴谷、利根、筑摩の旗艦として
        出撃。
昭和19年7月16日 リンガ泊地にて、捷号作戦に備え訓練に従事。
昭和19年10月22日 比島沖海戦、第一遊撃隊(栗田艦隊)第二部隊
        としてブルネイ出撃。
昭和19年10月25日 比島沖海戦には第七戦隊の旗艦として参加、
        サマール沖海戦で米護衛空母群を追撃戦中に米駆逐
        艦の発射した魚雷を受け損傷、マニラに避退。
昭和19年11月6日 青葉と共に内地へ回航の途中、ルソン島西方水域
        にて米潜ギタロSS-363、レートンSS-270、プリーム
        SS-243、レイSS-271の連続攻撃で損傷、航行不能と
        なりルソン島サンタクルス港に曳航、繋留。
昭和19年11月25日 ルソン東北部コロン湾サンタクルーズ港に避泊中
        米空母タイコンデロガの艦載機の雷爆攻撃をうけて
        15度45分N 119度48分Eの地点にて沈没。
昭和20年1月10日 除籍。

戻る


利根(とね 二代)

建造所 三菱重工(長崎)、 一等巡洋艦。
昭和9年12月1日起工 同12年11月21日進水 同13年11月20日竣工
昭和15年9月17日 筑摩と第八戦隊を編成、第二遣支艦隊に属して
        日華事変で同年10月6日まで、華南警備に従事。
昭和16年11月26日 真珠湾奇襲のため柱島出撃。
  太平洋戦争では開戦以来、筑摩とともに第八戦隊で活躍した後、
  熊野、鈴谷と新編成の第七戦隊を形成、主力機動部隊の一勢力と
  して、終始空母部隊と行動を共にした。
昭和16年12月8日 太平洋戦争ハワイ攻撃作戦で第一航空戦隊に属し
        第八戦隊にあって筑摩と共に空母機動部隊直掩隊と
        して参加。
昭和16年12月21日 第二航空戦隊を筑摩と共に掩護、第二次ウェーク
        島攻略作戦を支援。
昭和17年2月19日 筑摩と共にポート・ダーウイン攻撃に参加。
昭和17年4月5日 インド洋機動作戦に第一航空艦隊を掩護して参加。
昭和17年6月5日 ミッドウェー海戦に、南雲忠一中将の機動部隊の
        直衛艦として筑摩と共に参加。
昭和17年6月28日 アリューシャン攻略作戦支援。
昭和17年8月24日 第二次ソロモン海戦には、第三艦隊に属し別働隊、
        龍驤を掩護して参戦。
昭和17年10月26日 南太平洋開戦では、第三艦隊本隊の前衛部隊とし
        て筑摩と共に参戦。
昭和18年3月22日 トラック進出、ラバウル方面輸送作戦に従事。
昭和18年7月10日 トラック進出、12月12日までカビエン部隊の輸送
        作戦に従事。
昭和19年2月5日 リンガ進出、インド洋交通破壊戦に従事。
昭和19年6月19日 マリアナ沖海戦には、新編成された第一機動部隊
        長官小沢中将の前衛、第二艦隊長官栗田中将所属の
        新編成、第七戦隊熊野、鈴谷、筑摩と共に出撃。
昭和19年10月25日 比島沖海戦ではサマール島沖で米護衛空母を追撃
        砲撃したが、空母機の襲撃をうけ被爆。
昭和20年2月20日 兵学校練習艦。
昭和20年3月19日 7月24日、28日と続く米空母機の呉軍港大空襲を
        江田内で受け、5発の命中弾および20発内外の至近
        弾をうけ大破、着底。
昭和20年11月20日 除籍。
昭和22年4月7日 呉播磨造船で解体に着手。翌23年9月30日完了。

戻る


筑摩(ちくま 二代)

建造所 三菱重工(長崎)、 一等巡洋艦。
昭和10年10月1日起工 同13年3月19日進水 同14年5月20日竣工
昭和15年9月17日 筑摩と第八戦隊を編成、第二遣支艦隊に属して
        日華事変で同年10月6日まで、華南警備に従事。
昭和16年11月26日 真珠湾奇襲のため柱島出撃。
  太平洋戦争では開戦以来、筑摩とともに第八戦隊で活躍した後、
  熊野、鈴谷と新編成の第七戦隊を形成、主力機動部隊の一勢力と
  して、終始空母部隊と行動を共にした。
昭和16年12月8日 太平洋戦争ハワイ攻撃作戦で第一航空戦隊に属し
        第八戦隊にあって筑摩と共に空母機動部隊直掩隊と
        して参加。
昭和16年12月21日 第二航空戦隊を筑摩と共に掩護、第二次ウェーク
        島攻略作戦を支援。
昭和17年2月19日 筑摩と共にポート・ダーウイン攻撃に参加。
昭和17年4月5日 インド洋機動作戦に第一航空艦隊を掩護して参加。
昭和17年6月5日 ミッドウェー海戦に、南雲忠一中将の機動部隊の
        直衛艦として筑摩と共に参加。
昭和17年6月28日 アリューシャン攻略作戦支援。
昭和17年8月24日 第二次ソロモン海戦には、第三艦隊に属し前衛隊
        として戦艦部隊と共に参戦。
昭和17年10月26日 南太平洋開戦では、第三艦隊本隊の前衛部隊とし
        て利根と共に参戦、空母機の爆弾2発を受け中破。
昭和17年11月29日 から呉工廠で同18年2月27日まで損傷部修理。
昭和18年3月22日 トラック進出、ラバウル方面輸送作戦に従事。
昭和18年7月10日 トラック進出、12月12日までカビエン部隊の輸送
        作戦に従事。
昭和18年11月5日 米機動部隊の第一次ラバウル空襲で被爆小破。
昭和19年2月5日 リンガ進出、インド洋交通破壊戦に従事。
昭和19年6月19日 マリアナ沖海戦には、新編成された第一機動部隊
        長官小沢中将の前衛、第二艦隊長官栗田中将所属の
        新編成、第七戦隊熊野、鈴谷、利根と共に出撃。
昭和19年7月8日 リンガ進出、捷一号作戦に備え訓練に従事。
昭和19年10月25日 比島沖海戦ではサマール島沖で米護衛空母を追撃
        砲撃したが空母機の雷爆撃で損傷、航行不能となり、
        サマール島沖、11度30分N 126度30分Eの地点にて
        駆逐艦野分の魚雷で処分。
昭和20年4月20日 除籍。

戻る


工事中