九七式1・3号艦上攻撃機(B5N1〜2)
九七式2号艦上攻撃機(B5M1)

 海軍では艦攻の近代化をはかり、三菱と中島に十〇試艦攻の試作を
命じたが、両社の機とも性能に大差なく共に制式採用となった。だが
三菱の九七式2号(B5M1)機は少数機生産され、沿岸哨戒に使用された
程度で、あまり国民には知られなかった。
 中島の九七式1号機(B5N1)は、艦攻の伝統的型式である複葉固定脚
から、一躍低翼単葉引込脚に進歩した革新的な艦攻で、主翼も従来の
後方折畳式から簡単な上方折畳式に変えた斬新で進歩的な機体であっ
た。この発動機を「栄」11型に換装したのが3号(B5N2)機で、大戦中
活躍した九七艦攻は全てこの3号機で、主として中島で製作された。
 日支事変末期から大陸で大活躍をし、後に真珠湾攻撃の主役として
知れわたり、魚雷や爆弾を抱えて出動する本機の写真は、戦時中に数
多く発表され、その斬新な機姿は国民を魅了した。開戦以来、マリア
ナ海戦の頃まで第一線機として使用され、戦争末期には特攻機として
も、多くが出撃して行った。
◎ 製作所
 中島、三菱、愛知、広工廠   生産機数 1,245機


九七式艦上攻撃機・各型

九七式1・3号型(B5N1〜2) 九七式2号型(B5M1)


九七式1・3号艦上攻撃機(B5N1〜2) 要目表

大和型戦艦の上空を飛ぶ九七式3号艦上攻撃機(B5N2)

九七式1号艦上攻撃機(B5N1)
(九七式艦上攻撃機11型と改称)

製作記号 B5N1 試作名 十〇試艦上攻撃機 コードネーム Kate

寸 度   全幅 15.518m  全長 10.300m 全高 3.700m(3点)
    翼折畳み          翼折畳み時
     時全幅  7.300m          全高 4.800m
    主翼弦長 −−−m(中央)〜−−−m(翼端)
    補助翼幅     m×     フラッフ幅 −−−m×
   水平尾翼幅  4.800m     垂直尾翼高 −−−m
    主輪間隔  3.800m     主翼上半角 −−−度
     後退角     % 翼弦で−−−度°

面 積 主 翼 37.700u(補助翼を含む)   水平尾翼 −−−u
   垂直尾翼 −−−u           補助翼 −−−u×2
    昇降舵 −−−u 抵抗板 −−−u×2 方向舵 −−−u

重 量  自重  2,107s 総重量 3,650kg(正規)−−kg(爆撃過荷)
             搭載量 1,543kg   −−kg(偵察過荷)

発動機      中島「光」3型 空冷星型 9気筒×1
         離昇馬力    770hp/ 6,600rpm/ 2,000m
         公称馬力  −−−hp/−−−rpm/m 
               −−−hp/−−−rpm/m

プロペラ  住友ハミルトン油圧式2段可変ピッチ式       3枚羽根  直径 3.200  ピッチ 23.5度〜31度

燃 料         1,150g
      実搭載量 −−−g(爆撃正規) −−−g (爆撃過荷)
           −−−g(偵察過荷)
      滑  油   90g

性 能   最大速度  199.0kt( 368km/h)/ 2,000m
      巡航速度  135.0kt( 250km/h)/ 1,000m
      着陸速度  60.0kt( 111km/h)〜 62kn(115km/h)
      上昇時間  3,000m〜7分15秒 6,000m〜 15分23秒
    実用上昇限度  7,400m
      航続距離   590nm( 1,093km)/4.35h(正規)
            1,220nm( 2,260km)/9.00h (爆撃過荷)
           −−−nm(−−−km)(偵察過荷)
      離陸距離 (無風) −−m  (風速 −−m/s) −−m

武 装   胴体後上    7.7mm旋回機関銃  1門
      機  首     mm固定機関銃   門
      爆  弾   800kg×1 又 500kg×1
           又は250kg×2 又  60kg×6
      魚  雷   800kg×1

乗 員   3名      初号完成 昭和11年12月31日
              制式採用 昭和12年11月16日
             量産一号機 昭和13年 4月 5日

設計.製作会社  中島  生産機数 約 100機
 


備 考 九七艦攻は中島の1・3号機型(B5N1〜2)と三菱の2号機型
   (B5M1)との2種が作られたが、性能には大差がなかったもの
    の、固定脚だった三菱機は外観上旧式の感を残しており、少
    数機しか生産されなかった。


九七式3号艦上攻撃機(B5N2)
(九七式艦上攻撃機12型と改称)
製作記号 B5N2 試作名 十〇試艦上攻撃機 コードネーム Kate

寸 度   全幅 15.518m  全長 10.300m 全高 3.700m(3点)
    翼折畳み          翼折畳み時
     時全幅  7.300m          全高 4.800m
    主翼弦長 −−−m(中央)〜−−−m(翼端)
    補助翼幅     m×     フラッフ幅 −−−m×
   水平尾翼幅  4.800m     垂直尾翼高 −−−m
    主輪間隔  3.800m     主翼上半角 −−−度
     後退角     % 翼弦で−−−度°

面 積 主 翼 37.700u(補助翼を含む)   水平尾翼 −−−u
   垂直尾翼 −−−u           補助翼 −−−u×2
    昇降舵 −−−u 抵抗板 −−−u×2 方向舵 −−−u

重 量  自重  2,200s 総重量 3,800kg(正規) 4,100kg(爆撃過荷)
             搭載量 1,521kg    −−kg(偵察過荷)

発動機      中島「栄」11型 空冷星型 14気筒×1
         離昇馬力   1,000hp/ 2,550rpm/m
         公称馬力    970hp/ 2.550rpm/3,000m
               −−−hp/−−−rpm/m

プロペラ  住友ハミルトン油圧式定速式       3枚羽根  直径 3.200  ピッチ 16度〜36度

燃 料         1,150g
      実搭載量 −−−g(爆撃正規) −−−g (爆撃過荷)
           −−−g(偵察過荷)
      滑  油   90g

性 能   最大速度  204.0kt( 377km/h)/ 3,600m
      巡航速度  142.0kt( 263km/h)/ 3,000m
      着陸速度  61.0kt( 113km/h)〜 −−kn(−−km/h)
      上昇時間  3,000m〜7分40秒 5,000m〜 13分46秒
    実用上昇限度  7,640m
      航続距離   551nm( 1,021km)/4.10h(正規)
            1,076nm( 1,993km)/8.00h (爆撃過荷)
           −−−nm(−−−km)(偵察過荷)
      離陸距離 (無風) −−m  (風速 −−m/s) −−m

武 装   胴体後上    7.7mm旋回機関銃  1門
      機  首     mm固定機関銃   門
      爆  弾   800kg×1 又 500kg×1
           又は250kg×2 又  60kg×6
      魚  雷   800kg×1

乗 員   3名      初号完成 昭和13年 月 日
              制式採用 昭和14年12月 日

設 計   中島
製作会社  中島     生産機数1号・3号計 669機
      愛知 広工廠での両生産機数   計1,250機


備 考 試作1号機は主翼油圧折畳み、フアウラー・フラップ。
    試作2号機以降、主翼人力折畳み、スロッテド・フラップ。
    97式 1号艦攻と称す。
    九七艦攻1号機型(B5N1)の発動機を「栄」11型に換装した
    機体を3号機型と称したが、後に1号型は九七式11型、2号
    型は九七式61型、3号型は九七式12型と改名された。
    97式1号艦攻の中席に操縦装置を付けた練習機、97式1号練
    習機(B5N1-K) 30機生産。 
   


九七式3号艦上攻撃機(B5N2)三面図
(九七式艦上攻撃機12型)

九七式艦上攻撃機の解説

 海軍は昭和9年、9試において従来の複葉機から近代的単葉機化を
はかり、96艦戦と96陸攻に成功した。つづく10試では他の機種も単葉
機化とすることとし、まず艦上攻撃機の近代化に着手することとして
中島と三菱に10試艦攻の試作要求書を指示した。
 その概要は、単葉車輪型式、翼は折り畳み式、兵艤装 800kg爆弾か
魚雷(800kg)また 250kg爆弾2個 7.7mm旋回機銃1挺、可変ピッチプ
ロペラで緩降下攻撃が容易なことなどのほか、速度、離着艦時の条件
など多くの事項が指示されていた。三菱は服部譲治郎のもとで、高橋
己治郎技師を主務者として設計に着手、昭和11年10月に試作第一号機
を完成させた。中島は、三竹忍技師のもとに中村勝治技師が主務者と
なり、試作第一号機を昭和12年1月に完成させた。
 中島の試作機は、日本の単発機としては初めて油圧式引っ込み脚を
採用したほか、人力ではあるが主翼の上方折り畳み式、定速プロペラ
や蝶つがい式セミ・インテグラルタンクなど新機軸を各所に採用した
画期的な機体であった。一方、三菱の試作機も低翼単葉全金属製とい
う近代的なものであったが、楕円翼で脚が固定式になっていた機体は
中島の試作機に比べ旧式の感は否めなかった。比較試験の結果、最大
速度では中島機がわずかに勝り、離昇性能は三菱機が若干よかったと
いう程で性能に大差はなかったが、中島機の方が将来性に富むとして
九七式1号艦上攻撃機(B5N1)、三菱機は、その補助的な機体として
九七式2号艦上攻撃機(B5M1)の名で両機とも制式採用になった。
 2号艦攻の試作機では、主翼が後方折りたたみ式であったが、量産
機型では中島と同様に上方折りたたみ方式に改造して 150機が生産さ
れた。補助的意味で生産され、沿岸哨戒などに使用された程度でたい
した活躍もなかったため、2号艦攻の名はあまり知られなかった。
 1号艦攻は、昭和13年4月5日に量産第一号機が完成すると、ただ
ちに中国大陸の作戦に投入され、九六式陸攻と共に活躍した。同年末
発動機を「栄」11型に換装した機体が完成、テストの結果、昭和14年
12月に九七式3号艦上攻撃機として制式採用となった。
 昭和16年12月の真珠湾攻撃以降、艦攻「天山」が出現するマリアナ
沖海戦前まで日本海軍の主力艦攻として活躍したのは、全てこの3号
型艦攻であった。昭和20年、戦争末期に再び活躍の場をあたえられた
が、それは悲惨な特攻攻撃であった。