一八試陸上偵察機「景雲」(R2Y1)

 終戦直前に試作機1機が完成した特殊構造の快速機で、当時最速を
誇った艦偵「彩雲」や陸軍の「一〇〇司偵」をはるかに上回る最大速度
740km/hを目標としたものであった。同体内に空冷「熱田」ハ70を2基
を結合した発動機で 3,400hpを得て、これを延長軸で機首に導き6翅
プロペラを回すという特殊な方式をとっていた。後にはジェット化も
計画されていたが終戦により実現しなかった。

◎ 製作所  空技廠      製作機数 1機


一八試陸上偵察機「景雲」(R2Y1)要目表

十八試陸上偵察機「景雲」(R2Y1)


十八試陸上偵察機「景雲」(R2Y1)


一八試陸上偵察機「景雲」 要目表(R2Y1)

製作記号 R2Y1  試作名 一八試陸上偵察機  コードネーム −−


寸 度  全幅 14.000m 全長 13.050m(水平) 全高 4.240m(水平)
   主翼弦長 3.000m(基準翼)〜1.650m(翼端)
   補助翼幅 2.790m×2  フラッフ幅 3.800m×2
  水平尾翼幅 6.000m    垂直尾翼高 2.150m(胴体軸から)
 垂直尾翼翼弦 −− m(付根) 垂直尾翼高 −− m(中心線ヨリ)
   主輪間隔 3.900m    胴体最大幅 −− m
プロペラ軸間隔 −− m      地上角 −−°

面 積  主翼 34.000屐 /緤身翼 7.740屐/眥照翼 2.580
    補助翼  1.186屐 .侫薀奪廖3.100屐滷
    昇降舵  0.890屐滷押(向舵 1.155

重 量  自重 6,015圈 〜軆杜漫8,100(正規) 9,400kg(過荷)

発動機  愛知「ハ70」01型 液冷倒立V形24気筒×1
     離昇馬力  3,400hp/3,000rpm
     公称馬力  3,100hp/2,900rpm/1,900m
           3,060hp/2,900rpm/3,000m(排気タービンなし)
           3,000hp/2,900rpm/8,000m(排気タービン装備)

  燃 料  1,556 函    〜槽 1,764

プロペラ  VDM低速 6枚羽根 直径 3.800m
             ピッチ −−°〜 −−°

性 能  最大速度 400.0kt(741km/h)/11,000m
          390.0kt(722km/h)/ 3,000m
     巡航速度 250.0kt(463km/h)/ 4,000m
     着陸速度  89.5kt(166km/h)
     上昇時間 10,000m〜 21分00秒 実用上昇限度 11,700m
     航続距離 1,950nm(3,610km>(正規)

武 装  なし

乗 員  2〜3     初号完成 昭和20年 4月
             正式採用 昭和  年  月

設計.製作会社  空技廠       製作機数 1機

備 考  ジェット化を考慮して試作されたが、終戦によりその機会には
    めぐまれなかった。


一八試陸上偵察機「景雲」(R2Y1)三面図

一八試陸上偵察機「景雲」の解説

 海軍では陸上基地での偵察にも、艦上機を転用して使用していたが、
広大な中国大陸での戦闘で、専用偵察機をもたない事で作戦に支障を
来たし、その戦訓により、昭和16年度計画で長距離強行偵察が可能な
本格的陸上偵察機として十七試陸上偵察機「暁雲」(R1Y1)が空技廠での
計画機Y30として発足した。しかし、緒戦の勝利に乗って、あまりの
高性能が要求されていた本機は、戦局の急変により必要性もうすれ、
高高度で強行偵察が可能な小型機が望まれるようになり、結局Y30の
計画は中止される事になった。
 昭和18年、このY30に代わるべき高高度強行偵察を目的としたY40
が、同じく空技廠で一八試陸上偵察機「景雲」(R2Y1)として、はじめの
設計は山名正夫技術中佐により着手され、その後、大築志夫技術中佐
を主務設計者として計画が進められたが、海軍当局が要求する値は、
最大速度 400ノット(740km/h)、航続距離2,000浬(3,700km)というも
ので、速度においては、現役のどの戦闘機でもはるかに及ばない高速
であった。設計陣はこの高速を得るため、海軍がドイツから購入した
ハインケルHe119 高速偵察兼爆撃機にヒントを得て、愛知製のアツタ
30型水冷式発動機2基を並列に組合わせたハ70−01(A23双子型)を
胴体中央部に装備して、4mに達する延長軸で機首の二重反転式3翅
プロペラを回転させるという計画であったが、技術的にも難点がある
とされ実用面からも6翅プロペラに落ち着き、一見して単発機のよう
な変わった形式が採用された。機体は簡素な厚板外板構造で、特殊構
造採用のインテグラル・タンク、首輪式降着装置、高速用薄型翼など、
新しい機構が試みられており、高高度用のため排気タービン、気密室
の装備が予定されていた。しかし、昭和19年秋に至って、戦況急迫に
よる機種削減で試作中止が決定された。
 しかし、本機にネ三三〇ターボジェット発動機2基を装備して快速
攻撃、爆撃機に改造する「景雲改」(R2Y2)が計画され、その資料を得る
目的で「景雲」の試作は再開され、昭和20年4月、空技廠で第一号機が
完成した。初の飛行試験では、排気タービン過給機の製造が遅れ装備
しないまま行った。だが、双子式の「熱田」エンジンのトラブルが多
く、5月の2回目の試験飛行では、発動機の焼損を起こして、換装を
準備中の7月下旬、空襲により木更津飛行場で爆砕されてしまった。
 技術的にも多くの問題がある機体を平時ならともかく、戦時の緊急
を要する時期では、いたずらに技術陣の労力を浪費してしまった感は
否めない。