艦上攻撃機「流星」(B7A1〜3)

 名称は艦攻であるが、実際は水平爆撃や雷撃はもとより、急降下爆
撃もでき、投弾後は機銃掃射による襲撃を行うという高速の万能攻撃
機であり、米海軍のカーチスSB2Cヘルダイバーに相当する新鋭で
あった。しかし時すでに災害と空襲による工場被爆のため生産がつづ
かず、少数機が日本近海の米機動部隊の攻撃に参加したのみで、本来
の高性能を発揮する機会にめぐまれなかった。


艦上攻撃機「流星」各型(B7A)

試製流星(B7A1) 流星改(B7A2) 流星改1(B7A3)


艦上攻撃機「流星」(B7A1〜2)要目表

艦上攻撃機「流星改」(B7A2)


艦上攻撃機「流星」要目表

艦上攻撃機「試製流星」(B7A1)

製作記号 B7A1  試作名 16試艦上攻撃機 コードネーム Grace


寸 度  全幅 14.400m  全長 11.473m(水平) 全高 3.97m(3点)
   主翼弦長 −− m(中心線)〜−−m(翼端)
  主翼取付角   2度0分   主翼上反角 内翼 −6度30分
                    外翼  8度30分
   補助翼幅 −−m×2   フラッフ幅 −−m(全幅)
  水平尾翼幅 −−m 垂直尾翼高 −−m 取付角 2°10分
  水平尾翼取付角 普通時(−−°) 着陸時(−−°)
   主輪間隔 −−m  3点角 12度

面 積  主翼 35.500屐/緤身翼 −− 屐/眥照翼 −−
    補助翼  −− 屐.侫薀奪廖 檗 屐滷押
    昇降舵  1.320屐 (向舵 −− 屐

重 量  自重  3,150圈 〜軆杜漫4,945(正規) −−kg(過荷)

発動機  中島「誉」11型      空冷星型複列 18気筒×1
     離昇馬力 1,800hp/2,900rpm 
     公称馬力 1,440hp/2,900rpm/1,800m
          1,560hp/2,900rpm/6,400m

プロペラ  VDM油圧式 定速 4枚羽根 直径 3.50m ピッチ °〜°
燃 料  −− 函 〜槽 −− メタノール槽 −−函ヽ衞 −−

性 能  最大速度 −− kt(−−km/h)/−−m −−kt(−−km/h)/SL
     巡航速度 −− kt(−−km/h)/−−m
     着陸速度 −− kt(−−km/h) −−kt(−−km/h)(正規重量)
     上昇時間  −−m〜−分−秒  海面上昇率 −−m/s
   実用上昇限度  −−m
     航続距離  −−nm(−−km)/−−kt(−−km/h)
           −−nm(−−km)/−−kt (以上正規重量)
           −−nm(−−km)/−−kt
           −−nm(−−km)/−−kt (以上 過荷重)
   離陸滑走距離  風速 −−m/s      m(正規重量)
                        m (過荷重)

武 装  翼内           20.0mm固定機関砲 2門
     胴体 機首カウリング上面  7.7mm固定機関銃 2丁
    後席に旋回銃         7.7mm又は13mm銃 1丁

      爆弾  500kg×1又は250kg×2又は60kg×6
      魚雷  800kg×1

乗 員   2       初号完成 昭和18年 月 日
              正式採用 昭和 年 月 日
設計.製作会社  愛知(試作機2号〜9号機)生産機数 8機


備 考 17年12月完成の1号機の失敗により、2号機の試飛行は
   18年に入って始まる、試製「流星」(16試艦上攻撃機)B7A1
   :増加試作機の第2号機〜9号機迄を称す。
    試製「流星改」(B7A3):発動機を三菱「ハ43」11(MK9A)
   2,000HPに換装、完成せず。

艦上攻撃機「流星改」(B7A2)

製作記号 B7A2   試作名 16試艦上攻撃機   コードネーム Grace
 


寸 度    全幅 14.400m  翼折畳み時幅 8.300m
       全長 11.490m(水平)    全高 4.070m(3点)
     主翼弦長 −− m(中央)〜 m(翼端)
     補助翼幅 −− m×2 フラッフ幅    m×2
    水平尾翼幅  5.440m   垂直尾翼高 2.103m
     方向舵高 −− m    昇降舵幅  m
     主輪間隔  5.340m  ホイールヘ゛ース    m
    主翼取付角 2度0分 主翼上半角 -6度30分(内翼)
                    8度30分(外翼)
  垂直尾翼取付角 2度10分       3点角 12度

面 積    主翼 35.400屐/緤身翼 −−屐/眥照翼 −−
      補助翼  屐滷押.侫薀奪廖´屐滷
      昇降舵  屐滷押(向舵  

重 量  自重  3,614圈 〜軆杜漫5,700(正規) 6,500kg(過荷)

発動機  中島「誉」12型       空冷星型複列  18気筒×1
     離昇馬力 1,825hp/2,900rpm
     公称馬力 1,670hp/2,900rpm/2,400m
          1,500hp/2,900rpm/6,550m

プロペラ  住友ハミルトン油圧式 定速 4枚羽根 直径 3.45m
                  ピッチ 26°〜56°
燃 料  1,406函〜槽 −− メタノール槽 −−函 ヽ衞 65

性 能  最大速度 293.0kt(543km/h)/6,200m
     巡航速度 200.0kt(370km/h)/4,000m
     着陸速度  69.5kt(129km/h)
     上昇時間 6,000m〜10分20秒  実用上昇限度  8,950m
     航続距離 1,000nm(1,850km)(正規)
          1,640nm(3,040km)(爆撃過荷)
          1,610nm(2,980km)(雷撃過荷)

武 装  翼内            20.0mm固定機関砲 2門
     胴体  機首カウリング上面  7.7mm固定機関銃 2丁
                  (量産機は装備なし)
     座席後に旋回式        7.7mm又13mm銃  1丁

     爆弾  500kg×1又は250kg×2又は60kg×6
     魚雷  800kg×1

乗 員 2         初号完成 昭和17年12月 日
              正式採用 昭和20年3月 日

設計.製作会社  愛知        生産機数   82機
         大村の21空廠           20機
                   生産総計約 111機
                      (試作機9機含む)

備考 17年12月完成の1号機の失敗により、2号機の試飛行は18年に
   入って始まる。試製「流星」(16試艦上攻撃機)B7A1:増加試作
   機の第2号機〜9号機迄を称す。
   試製「流星改」(B7A3):発動機を三菱「ハ43」11(MK9A)2,000HP
   に換装、完成せず。


艦上攻撃機「流星改」(B7A2)三面図

艦上攻撃機「流星」(B7A)の解説

 昭和14年(1939)、海軍では次期試作機に対する方針を、軍令部が
用兵に応じて必要とする機種を定め、これを航空本部を通して空技廠
で検討し、試作計画を決定するという実用機試製計画(実計と略した)
を実施した。その後、まもなく機種を統合して整理するという問題が
おこり、海軍としては手始めに艦攻と艦爆の一元化に着手した。
 この理由として、太平洋戦争開戦直前頃には艦艇の装甲も強化され、
従来の250kg 級の小型爆弾を抱いて急降下する艦爆では効果が期待で
きなくなり又 800kgの魚雷をもって鈍速な艦攻が行う魚雷攻撃では、
高速化した艦艇に対して対抗が難しく、急降下爆撃でも 500kg以上の
大型爆弾を又、魚雷攻撃にも、高速で低空まで急速降下できる頑丈な
強度をもつ機体などが要求されていたからである。
 この相反する性格を持つ両機種の一元化は難しいとされたが、空母
側からも両機種の統合は使用上有利であるとの結論がだされ、昭和16
年、新しい艦上攻撃機(十六試艦上攻撃機)の試作指示が、「実計」
から愛知に対してだされた。主な要求事項は次のとおりであった。

 1 艦爆と艦攻との両性能を持つこと。いわゆる、急降下爆撃及び、
   水平爆撃、雷撃が可能であること。
 2 爆弾は 800kg×1、250kg ×2、60kg×6のいずれかを装備で
   きること。
 3 最大速力は 250kg爆弾×2個装備時で300kt(556km/h) 以上で、
   航続距離は正規状態で 1,852km、過荷重で 3,330km以上。
 4 武装は20mm固定2門、13mmまたは17mm旋回機銃を1丁装備し、
   運動性は戦闘機に匹敵すること。
 5 堅牢な構造をもち、整備、工作が容易で、量産に適すること。


 この要求に対し愛知では、昭和16年10月に尾崎技師を主務、森技師
を補佐、小沢技師を空力担当として、会社名 AM-23、海軍呼称B7A1の
基礎研究に着手し、17年1月設計開始、5月には設計を終了し、同年
の12月に試作第一号機を完成させた。
 本機の大きな特徴は、正面から見ると主翼が軽いW形をした米国の
F4UコルセアやドイツのJu87シュツーカに類似しており、いわゆる
逆ガル形をした日本機では珍しい外観を呈している。これは爆弾庫を
機体内におさめたため、これまでの艦攻より胴体が太くなり、主翼を
中翼配置にしたことで脚が長くなってしまう、大重量の艦上機だから
脚は短く頑丈なものが必要であることから、内翼に軽い下反角を与え、
その位置を低くしようとしたことから必然的にこのような形状におさ
まってしまったのである。しかし、逆ガル形の採用により、主翼付け
根のフィレットの必要がなくなり、胴体との干渉抵抗を減少させると
いう利点もあった。
 本機の総重量は5トン近くにもなり、この機体に戦闘機並みの速力
と運動性を与えるため、エンジンは新鋭の戦闘機用に開発された小型
で馬力の大きい中島「誉」11型エンジンを装備した。また、高揚力を
得るためフラップは二段式になった二重スロッテッドフラップを採用
して、フラップ作動時には、同時に補助翼も10度下がって効果を大き
くするエルロン・フラップとなっていた。
 外翼はフラップと補助翼との境目から上内方への折畳み式になって
おり、急降下ブレーキは主翼下面後縁近くのフラップ直前に装備され
作動には油圧を使用ていた。胴体が太くなった関係上、操縦席からの
視界を考慮し、風防の形に工夫を凝らすとともに、機首上面を下げた
ため、独得な形状をしていた。
 武装面では従来の艦攻と比べて、強力になっているのも本機の特徴
の一つで、内翼のプロペラ面直外方に20mm機関砲2門を装備したが、
これは戦闘機以外では初のことであり、ほかに 7.7mmか13mm旋回機銃
1丁を後席に、さらに機首カウリング上面に、固定 7.7mm機銃2丁を
装備した。(量産機では機首の 7.7mm固定銃は取り除かれた。)
 完成した試作機は早々にテストが行われたが、結果は予想外の失敗
作であった。指摘された問題点には、強度不足、重量の超過など構造
基本設計のミスと思われる点が多く、重量オーバーにより性能も予定
を大きく下回っていた。直ちに再設計が施され、主翼から胴体にいた
る全面的改正が加えられた。
 昭和18年に入ってから、試作2号機の試飛行が行われたが実用機と
しては満足のいくものではなく、翌19年春までに増加試作機9号まで
作られテストが続けられた。試作機の問題点には依然として、強度不
足と重量軽減という相反した点にあった。この解決法にはプレス加工
技術を大幅に取り入れた板骨構造として、強度増加と生産性の向上を
はかった。また、油圧系の故障も続発し、特に脚の引込み不足などが
整備員を手こずらせ、さらにはエンジン「誉」11型(NK9B)の不調と
整備性の悪さなど、多くの点で改良をくりかえした。
 19年4月(1944)長期にわたる苦労の末ようやく実用機として目途
がつき量産の段階にこぎつけた。量産型は試製流星改(B7A2)と呼ば
れたが、20年3月制式採用になり「流星改」の正式名が与えられた。
これに対して増加試作機は試製流星(十六試艦上攻撃機 B7A1)と呼
ばれる。なお、その資料によってはB7A1を流星11型、B7A2を流星12型
と呼んだという説もあるが、海軍での正式名称は「流星改」であった
といわれている。なお、発動機を三菱「ハ43」11(MK9) 2,200hp (離昇)
に改めた試製流星改1(B7A3)も計画されたが、完成しないままに終戦
をむかえてしまった。
 生産機数は、昭和19年12月の東海大地震や昭和20年になるとB-29に
よる本土空襲の激化、さらに熟練工の不足など、量産も流れに乗ろう
とした矢先に悪条件が重なり、結局、終戦までに愛知航空機で82機、
大村の21空廠で約20機、総計約 111機(試作機9機を含む)にすぎな
かった。
 艦攻と艦爆の一元化の基礎となった「実計」は、基本的には正しい
ものであったが、なにせ海軍でも初めての機種であり、実用化までに
長時間を費やし過ぎ、戦力として寄与できなかったのが残念である。
しかし、この機種がいかに、難しいものであったかを示す例として、
同時期にアメリカ海軍でも同じ思想で開発に着手した同種機ダグラス
XSB2D〜BTDデストロイヤーは、テストを繰り返しただけで仕様変更し
量産はされなかったことである。結局、アメリカ海軍で最初の同機種
であるダグラスADスカイレーダーが、実用化されたのは、太平洋戦
争終了後であった。ここで興味深いのは、ダグラスXSB2D-1も同様の
逆ガル翼を採用していたことである。
 本機の実用化が遅れた理由としては、ただでさえ難しいこの機種を
"戦闘機並みの速力と操縦性"をという過度な要求にあり、製作者側の
技術を責めるより、むしろそれに執着した海軍側にも責任があったで
あろう。強いていうなれば、日本の航空界全体の問題ではあったが、
爆撃機用の大馬力で強力なエンジンの開発が遅れていた事も、要因の
一つに上げる事ができる。
 第一線に配備された艦上攻撃機「流星改」であったが、すでに搭載
できる空母はなく、陸上機として本土近海に侵攻するアメリカ機動部
隊の攻撃に出撃した。しかし、燃料の質低下や工作精度の低下により
実働機数は少なく、戦争末期には特攻機としても出撃していった。
 昭和20年7月25日、神風特攻第七御盾一次流星隊(指揮官、森正一
大尉)4機が、大王崎南東海面で米艦隊に突入したのにつづき、8月
9日、第二次流星隊6機(指揮官、林憲正中尉)、金華山東方洋上に
8月13日には第三次流星隊4機(指揮官、元八郎中尉)が、日本本土
東洋上に、そして終戦の日の8月15日第四次流星隊、縄田准二一飛曹
の機が木更津の基地を出撃、勝浦沖130度200浬で散華した。
 流星改は、難問と悪条件の中で生まれ、実力を発揮できずに終った
薄運の名機といえよう。