十七試陸上攻撃機「連山」(G8N1)

「深山」の失敗に次いで、海軍が高性能長距離攻撃機として計画した
中島最後の傑作機として知られ、大きさはB-29とB-17との中間ぐらい
であった。終戦当時は、工場の爆撃や疎開、資材の不足などで生産は
中止されていたが、そのうち一機が米軍によるテストの結果、非常に
優秀な性能を示したといわれている。
◎ 製作所
  中島      生産機数 4機


十七試陸上攻撃機「連山」(G8N1)要目表

十七試陸上攻撃機「連山」(G8N1)


十七試陸上攻撃機「連山」(G8N1)


十七試陸上攻撃機「連山」(G8N1)

製作記号 G8N1 試作名 17試陸上攻撃機 コードネーム Rita


寸 度  全幅 32.540m 全長 22.935m(水平) 全高 7.200m
   主翼弦長 5.409m(中央)〜1.518m(翼端)
   補助翼幅 6.250m×2  フラッフ幅 9.616m×2
  水平尾翼幅 12.000m    垂直尾翼高 −− m
 垂直尾翼翼弦 −−−m(付根) 垂直尾翼高 −− m
   主輪間隔 7.182m    胴体最大幅 2.500m
プロペラ軸間隔 −−−m      地上角 −−°
  主翼上反角   4° 取り付け角 3.5°(捩れ下げなし)
  アスペスト比 9.44  テーパー比 0.281 

面 積  主翼 112.000屐   /緤身翼 21.324
   垂直尾翼  9.125屐    (篏翼  3.780屐滷
   フラップ  7.404屐滷押  ‐差濛鼻 2.562屐滷
    方向舵  3.118

重 量  自重 17,400圈 〜軆杜漫26,800(正規)
             偵察過荷 32,150kg 

発動機  中島「誉」24型ル(NK9K-L)  空冷星型 18気筒×4
     離昇馬力   2,000hp/3,000rpm
     公称馬力   1,850hp/3,000rpm/8,000m

燃 料  13,400函槐弾庫内増槽 700(攻撃過荷)
                3,000(偵察過荷)
     滑油 880

    プロペラ VDM電気式定速フルフェサ゛リンク゛ 4枚羽根
                       直径 4.000m
                  ピッチ −−°〜−−°

性 能  (推定値)
     最大速度 320.0kt(593km/h)/8,000m
     巡航速度 200.0kt(370km/h)/4,000m
     失速速度  80.5kt(149km/h) 着陸速度−−kt(− km/h)
     上昇時間 8,000m〜17分34秒 実用上昇限度 10,200m
     航続距離 2,130nm(3,950km)(正規)
          3,500nm(6,480km)(攻撃過荷)
          4,030nm(7,470km)(偵察過荷)
   離陸滑走距離  452m(正規) 652m(攻撃過荷)
   着陸滑走距離  550m

武 装  胴体上部、下部、尾部各2  20.0mm機関砲 6門
     機首×2、胴体両側各1   13.0mm機関銃 4門
     爆弾   250kg×8 又は800kg×3 又は
         1,500kg×2 又は 60kg×18 又は
         2,000kg×2 最大 4,000kg搭載

乗 員  3       初号完成 昭和19年10月
             正式採用 昭和  年  月

設計.製作会社      中島飛行機    生産機数4機

備 考 


一七試陸上攻撃機「連山」(G8N1)三面図

一七試陸上攻撃機「連山」の解説

海軍は昭和17年12月、遠距離にある敵基地へ進出が可能な快速4発
攻撃機として、一八試陸上攻撃機(N-40)の試作を中島に内示した。
これは、川西と三菱に対して開発を命じていた次期攻撃機が双発では
就役中の「一式陸攻」と、大して変わり映えしないことから、双発に
見切をつけて4発に踏み切り、先に4発大型機「深山」の開発で苦労
した中島に一社特命で内示されたものである。
 海軍の要求は、最大速度320ノット(600km/h)以上、航続距離は巡航
200ノット(370km/h)、爆弾1トン搭載して3,500浬(6,500km)という過
酷なものであったが、中島では「深山」の時と同じく松村健一技師を
設計主務者として、その条件を満たすために高翼面過重(250 km/m)を
採用、排気タービンつきの誉24型発動機を装備し、タンク防漏防弾の
優先実施、さらに機体構造は量産を考慮して設計され、本機にいたっ
てはみごと成功を収めていた。
 試作第一号機は19年10月1日に完成、同23日に初飛行した。しかし
排気タービン装置の材質不良で問題があり、その機能を充分発揮でき
なかったうえに、滑走中や着陸時の事故などにより損傷、修理に手間
どっているうちに空襲が激化し破損したり、工場疎開などにより一回
の正式性能検査は行う機会がないままに、戦局急迫による作戦変更と
資材欠乏などの理由によって、20年6月、ついに工事中止が命ぜられ、
4機が完成したのみで終戦となってしまった。しかし、その内の一機
が米国に送られテストを受けた結果、優秀な成績を示したと言われる。
 なお、昭和20年にアルミニューム欠乏の対策として、当時軍船建造
の必要我なくなった海軍艦政本部の技術陣が「鋼製連山」を計画したが、
図面のみで終った。
    設計・製作所 中島飛行機。 生産機数 4機。