十八試局地戦闘機「天雷」(J5N)

 P-38戦闘機やモスキート級夜戦よりも高性能な双発局地戦闘機機と
して中島が、最高の技術を集結して試作に着手、B-29に対しても悠々
と迎撃できる計画であったが、「誉」発動機の不調と工場被爆のため、
ついに量産に到らず、6機の試作で整理機にされてしまった。
◎ 設計・製作所
  中島飛行機      生産機数 6機


十八試局地戦闘機「天雷」(J5N)要目表

十八試局地戦闘機「天雷」(J5N)



十八試局地戦闘機(J5N1)

製作記号 J5N  試作名 十八試局地戦闘機 コート゛ネーム --


寸 度  全幅 14.000m 全長 11.500m(水平) 全高 3.510m
   主翼弦長 3.180m(中央)〜1.430m(翼端)
   補助翼幅 −− m×2    水平尾翼幅 −− m
  垂直尾翼高 −− m
   主輪間隔 4.500m     主翼上半角 5度

面 積  主翼 32.000屐    (篏翼 −−−屐滷
   水平尾翼 −− 屐   /眥照翼 −−−
   フラップ −− 屐滷押  ‐差濛鼻 −− 屐滷
    方向舵 −−

重 量  自重5,390圈   総重量  7,300(正規)

発動機  中島「誉」21型  空冷複列星形 18気筒×2
     離昇馬力    1,990hp/3,000rpm
     公称馬力    1,700hp/3,000rpm/6,500m

燃 料  −−函  増槽 −−函 ヽ衞 −−

プロペラ VDM定速 4枚羽根 直径 3.100m

性 能  最大速度 322.0kt(597km/h)/5,600m
     巡航速度 200.0kt(370km/h)/4,000m
     着陸速度  80.0kt(148km/h)
     上昇時間 6,000m〜8分00秒 
   実用上昇限度 9,000m
     航続距離  400nm( 741km) 800nm(1,482km)・・・過荷
   離陸滑走距離 −− m(正規) −− m(攻撃過荷)
   着陸滑走距離 −− m

武 装  30mm機関砲×2(機首)  20mm機関砲×2(機首)
     爆弾 60kg×2

乗 員  1(後に5、6号機は複座に改造)

     初号完成 昭和19年 7月
     正式採用 昭和  年  月

設計.製作会社      中島   生産機数 6機

備 考 


一八試局地戦闘機「天雷」(J5N1)三面図

一八試局地戦闘機の解説

 海軍は、これまでの戦闘において、頑丈で防御力の大きい米爆撃機
に苦戦を強いられており、戦況も守勢に廻り始めた昭和18年1月に、
これに対抗できる重戦闘機の開発を決定し、同年4月、中島に対して
一八試乙戦として試作を命じた。この頃、すでに米国で遠距離超大型
爆撃機B-29が完成したとの情報もあり、これに比しわが方で、開発中
の局戦「雷電」、「紫電」の実用化は一向に進まず、焦慮した海軍は
早急に戦力の強化を図るため計画したのが、強力な対爆撃機用戦闘機
としての、十八試局地戦闘機「天雷」である。
 要求性能は最大速度360kt(667km/h)以上、上昇力 6,000mまで6分
以内、上昇限度11,000mという厳しいもので、武装においては20mm砲
2門、30mm砲2門という強力なものであった。また、敵爆撃隊の激し
い防御弾幕を突破しての攻撃のため、防御力の強化も要求された。
 中島では設計主務者を「月光」と同じ中村勝治技師(途中より大野
和男技師と代る)で設計に着手したが、前作の失敗を招いた用兵者の
要望よりも設計者の意見を重視し、重量過大とできるだけ小型にまと
めることに専念した。特に翼面積は32屬斑曳の「烈風」とほぼ同じ
値でこれに2基の発動機を装備、2倍の馬力を与えて高速を得ようと
した。当然、馬力荷重は極度に小さくなり翼面荷重は零戦の126kg/
と比べ220kg/屬箸いβ腓な値になった。このことは高速には有利で
あるが、低速での安定性や運動性(空戦性能)には不利になることで、
その対策として親子フラップ、前縁スラットを用いて低速での着陸を
可能にし、また空戦フラップ形式や、昇降舵には弾性を利用した自動
可変操縦装置を組み込むなどして、単発機なみの空戦性能を得ようと
した。
 防御能力にも留意され、風防前面に厚さ70mmの防弾ガラス、操縦席
前下方に20mm防弾鋼板をもち、主翼前面の燃料槽もすべて防弾タンク
としたが、高速をいかしての攻撃のため敵に背後を突かれる事はない
として防御の強化は前面に集中された。また、量産性を考慮し部品数
の減少、機械工作数の引き下げ、ブロック方式の採用などが巧を成し、
昭和19年6月20日、試作要求から1年2ヶ月という短期間で試作第一
号機を完成させた。
 昭和19年7月8日に初試飛行を行ったが「誉」発動機が額面通りの
出力を発揮しまかったのに加え、前作の一三試陸戦での失敗以来懸念
されていた用兵者による過大要求で、又も重量過大となり、最高速度、
上昇性能ともに予想を下まわり、さらに、エンジンナセルとフラップ
の形状不良から以上振動を起こした他にも、脚引込装置の不具合など
機体にも問題があって結果は思わしくなかった。
 その後、飛行試験が進まずにいた同年の秋、整理機リストに上げら
れ、6機の試作で打ち切られたが、5、6番機は操縦席後方に計測員
の席を増設した複座型で、座席後上に30mmの斜銃2挺を装備した夜戦
として複座に再設計され、他の3機も斜銃を装備したりもした。この
ような事から、夜戦(丙戦)「月光」の後継機と誤解された面もあるが、
「天雷」は純然たる迎撃機(乙戦)として設計されたものである。
 完成したのは5機であるが、2機は事故で失われ、残り3機は爆撃
で損傷し、実戦に参加することはなかった。