4 戦闘機

    海軍機には設計のみや、試作だけで実用機として量産
   されず幻の翼と呼ばれる機体が非常に多かったが、特に
   戦闘機では多かった。その海軍機の中でも、最も期待を
   寄せられながら、遂に実戦に間に合わなかった「烈風」
   も悲運の傑作機と称されるその一つであろう。

 

仮称一三試双発三座戦闘爆撃機

 日華事変の拡大により、中国奥地へ進攻する陸攻の援護及び長距離
進攻用とて計画され、最初は三菱に内示されたのが、人員不足などの
理由から試作を辞退したので、後に一三試双発三座戦闘機として正式
に中島に発注され、後の夜間戦闘機「月光」になった。


十三試艦上戦闘機

 昭和13年、十二試艦戦に引き続き三菱に対し、さらに性能向上した
軽快な艦上戦闘機として、十三試艦戦の試作を内示したが、同社では
すでに十二試艦戦の試作が50%以上進行しており、この十三試艦戦の
設計性能と比較した結果、特に大きな進展が見られないとして本機の
計画は中止された。


十三試局地戦闘機

 海軍は、昭和13年に十三試局地戦闘機の試作を三菱に向け内示したが、
三菱では当時十二試艦戦や十二試陸攻の試作で手が回らず、一時見送り
の形となっていた。翌年には正式に十四試局地戦闘機として試作指示が
あり、あとの「雷電」となった。この時に十三試遠距離戦闘機の計画も
内示があったといわれるが、設計には至っていない。


十六試艦上戦闘機

 昭和15年三菱に「零戦」の後継機として十六試艦戦の内示があったが
新機種である十四試局地戦闘機の開発に手間どっていたことや、零戦の
改造などで、設計陣は手不足をきたしており、1年間延期されて翌年あ
らためて十七試艦戦として発足し「烈風」と名付けられた。


戦闘機「陸風」

 烈風の系列には「烈風」「烈風性能向上型」のほか、排気タービン付き
高々度局地戦闘機型の「烈風改」(A7M3-J)があるが、この「烈風改」を
再び艦上機型に改造したものが計画され、これが「陸風」と呼ばれる予定
であったと云われ、また二十試甲戦と同一とも云われる。


十七試陸上戦闘機(J3K1)

 開戦以来、南方進攻作戦の航空戦では、零戦による島伝いの進攻が頻発
した事で次期戦闘機には艦上戦闘機ばかりでなく、陸上の戦闘機も必要と
感じると同時に、優秀な高々度性能を有する敵機との交戦で得た戦訓から、
海軍は昭和17年、川西に対し高々度で作戦のできる甲戦闘機、十七試陸上
戦闘機(J3K1)の試作を指示した。
 甲戦(この時点ではまだ戦闘機に甲、乙、丙の種別はなかった)という
以上は、零戦なみの行動半径を要求されるわけで、また本格的な高々度を
要求されたものも、海軍機ではこれが最初であり、川西では社内名をK-90
あるいはKX-2と呼び、この新種の高々度甲戦の設計に意欲的に着手した。
 当初、発動機は中島の「誉」を装備する予定であったが、海軍の指示に
より三菱のフルカン接手2段過給器付きのハ-43-21型を装備する低翼単葉
単発機として設計が開始されたが、同発動機はフルカン接手の故障等から
所期の性能を発揮し得ず、しかも燃料消費率も予想を上回ったため、広い
行動範囲を要求される本機の発動機としては不適当な事が判明し、適当な
発動機が完成するまで一時計画を延期する事とし、18年初めにこの計画は
一旦中止された。
 尚、この時期に川西では水上戦闘機「強風」を陸上機化した乙戦「紫電」
の開発を行っていたことから、一時”紫電シリーズ”と混同されたことも
あったが「紫電」とはまったく別の、本格的な陸上戦闘機である。


十七試局地戦闘機「閃電」(J4M1)

 昭和17年度の試作戦闘機として川西の十七試甲戦(J3K1)と共に、三菱に
対し「乙戦」、いわゆる局地戦闘機の試作指示が出され、要求性能は最大
速度380kt(704km/h)/8,000m、上昇時間8, 000mまで15分、実用上昇限度
11,000m、着陸速度80kt(148km/h)、航続力0.5時間(全力)+2.0時間(巡航
250kt−463km/h/3,000m)、武装30mm×1(100発)、20mm×2(各200発)と
いうものであった。
 三菱では、設計主務者を佐野技師、補佐に櫛部技師らを加え設計に着手、
堅実な型式を選定する三菱の設計陣としては珍しい単発双胴推進式という
特異な型式を採用した。目的は単発戦闘機の前部に大口径機関砲を搭載す
る事と、要求に沿った高性能をねらうことにあったが、しかし、世界でも
実用機として成功した例はなく、技術的に多くの困難が予想された。
 本機は流線型の短い中央胴体の操縦席後方に、三菱ハ-43-21型を推進式
に改造したフルカン接手駆動過給器付ハ-43-41(MK9D)発動機を置き、延長
軸によって推進式6翅プロペラを駆動する計画であった。
 だが、この型式で空冷発動機を使用する場合、最も懸念されたのが冷却
効果などの問題であったが、18年春に試験用胴体を作り実験を行った結果、
筒温度分布は良好で実現の見通しは立った。しかし開発中の発動機が運転
試験を繰り返すうちに、フルカン接手が不具合から問題続出で性能低下を
かさね、また風胴実験の結果、プロペラ後流による水平尾翼の振動などの
欠陥が発生、これらの対策に開発期間が長びいてしまった。
 こうして時日を費やしているうちに、同じ局戦として開発を進めていた
十八試局戦「震電」の将来性が有望となってきたのと、戦局の悪化による
機種統合整理により、昭和19年10月ついに、「閃電」は正式に試作中止と
決定した。

三菱 十七試局地戦闘機「閃電」(J4M1)略図


十八試甲戦闘機「陣風」(J6K1)

 適当な発動機がないことから開発が一時試作が中止されていた川西
の十七試高々度陸上戦闘機(J3K1)は、18年夏、2段2速過給器付きの
「誉」改高空型発動機が完成の見通しが付いたとの報告から海軍では
再び陸上甲戦の開発を行うことにし、あらためて一八試甲戦(J6K1)と
して川西に試作が指示された。
 しかし、あらためて始めるとなると、また例によって戦訓と称して
用兵側から重装備に加えて、防弾装備や装甲、さらに速度、上昇力、
航続力など、あきらかに過大とも思われる要求が山積みされることに
なった。これでは当初装備予定の「誉」改発動機では馬力不足で性能
を発揮できないとされたが、さらに性能向上型発動機の出現を期待し
て試作を続行するという事になった。ところが、性能向上型はおろか、
当初予定の「誉」改型さえ、実用化の見通しが立たぬまま、それでも
昭和19年6月に第1回木型にまでこぎつけ、つづいて昭和19年9月、
第二次モックアップ審査が行われたが、翌10月に発動機の完成見込み
無しとして試作機種削減などのため試作中止となった。
 設計性能によると、本機は最大速度10,000mで370ノット(690km/h)
を目標とし、武装は先の十七試陸戦と比べて非常に強化され、翼内に
20mm銃4、または30mm銃2、機首に13mm銃2という重武装であった。
また本機の外型は、戦後出現した米国のボーイングXF8B-1に似ていた
のも、興味深い。戦後レシプロエンジンと、ジェットエンジンの混合
動力式戦闘機で、実戦にも参加したと誤り伝えられて、非常に有名に
なった機体であるが、「陣風」の空戦説は"紫電シリーズ"と混合され
ての誤報と思われ、また混合動力というのは、「紫電」の噴進装置付
の改造型と混同されたものと思われる。

     十八試甲戦闘機「陣風」(J6K1)要目

全幅 12.50m 全長 10.118m 全高 4.13m 翼面積 26.0
自重 3,500kg 総重量 4,373kg 
発動機 中島「誉」改201型(「誉」42型)空冷複列星型18気筒×1
離昇馬力 2,200hp 公称 1,800hp/3,100rpm/ 5,900m
             1,600hp/3,100rpm/10,000m
プロペラ 金属製定速4枚羽根、直径3.50m
最大速度 370kt(685km/h)/10,000m 着陸速度 70.5kt(130km/h)
上昇力 10,000m〜13′20″実用上昇限度 13,600m 航続時間5.0h
武装 20mm砲×4または30mm砲×2(主翼)13mm銃×2(機首)
乗員 1

川西 十八試甲戦闘機「陣風」(J6K1)略図


夜間戦闘機「白光」(P1Y1-S)

 空技廠が「銀河」11型を夜間戦闘機として試作改造された機体で「白光」
又は「仮称銀河21型」と称された。同じく「銀河」を夜間戦闘機に改造した
機体には川西の「極光」があるが本機は之と異なり発動機には「誉12型」を
装備し、武装は胴体前部および後部に夫々2門の20mm斜銃を装備、後席には
13mm旋回銃1を装備した重武装機であった。


二十試甲戦闘機

 「烈風」の後継機として三菱、中島両社の協力による設計、試作を予定
していたが、終戦のため計画のみで終わった機体である。本機の基本設計
では「烈風」を基礎とした機体に「ハ-44-21型」発動機を装備して高々度、
高速をねらた甲戦闘機である。
 昭和20年6月計画要求が決定され、昭和22年度の戦力を目途にしていた
が日本海軍で最後に計画された戦闘機となった。


  
目次に戻る

次ヘ゛ーシ゛