日本潜水艦史

第一章 潜水艦の発達と概要

  二 潜水艦特有の機構

1 海の忍者・潜水艦

 水中を敵に気づかれぬように近づき、不意を衝いて攻撃をする忍者
十八番の「水遁の術」。映画などでおなじみのシーンである。
 これは戦乱の世に生まれた極めて原始的手法で、水中を利用した攻
撃法であるが、姿を隠したままで敵に近づき攻撃する戦法は近代海軍
でも、それを見逃してはいなかった。
 1777年、米国人プッシュネルは潜航艇タートル号を操縦して敵艦の
攻撃に参加して損害を与えたという記録がある。また1864年南北戦争
では南軍の鉄製潜航艇ダヴィット号が、2月17日、北軍の艦隊泊地に
潜入し、軍艦ホーサトニック号を撃沈した。
 しかし、これらは現在の潜水艦のように、水中を完全に潜航し魚雷
攻撃するものでなく、半潜行状態で長い竿の先に装着した爆薬を突き
当てるという方法であり、自艦も危険が伴なうものであった。
 19世紀末になってホランドによって、水中での動力に電池を用いた
電気推進式の、現代潜水艦の原型となったホーランド型潜水艇が造ら
れたのである。出現当時には、排水量わずかに70トンたらずの潜水艇
の時代から、あらゆる設備を備えた現代の潜水艦に至るまで、一世紀
近くの時を費やし、構造的、技術的にも進歩、発展を遂げてきたが、
これからも「海の忍者」は、更に進化していくだろう。


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2 海中で活動するには

 近代の潜水艦は海中で三次元を自由に行動出来なければならない、
そのためには次の条件を満たすことが原則的に必要になる。
 @ 洋上から海中へ、また洋上へと、潜行、浮上の操作が確実に繰
   り返し可能であること。
 A 海面下の水圧に耐ええる構造であること。
 B 水中操縦性の安定、すなわち海中で変針、変速、変深が容易に
   出来ること。
 C 感覚、いわゆる聞く話すなどの情報通信、海中より洋上を観測
   するの手段(潜望鏡)を持つこと。
 D 攻撃、防御の手段を持つこと。
 これらの要目を相互に満足させるために、洋上を行動する通常の艦
艇と比べ、艦型は局限され、結局予備浮力は小さく、機構は多様かつ
複雑になっている。 
 潜水艦の最大の武器はご存知の魚雷であり、これをもって敵の水上
艦艇を攻撃し戦果を挙げることを主任務とするが、其の戦法は水中深
く潜航し隠密裏にして、敵の不意を突くことである。そのために潜水
艦は水上艦艇とは全く異なった動きを強いられる。
 それは、飛行機が上昇、下降運動をするが如く、潜水艦も水中深く
潜行したり、また浮上出来る運動性を持つことで、まさに此れ3次元
の行動である。これは、水上艦艇では絶対に真似できない、潜水艦だ
けのお家芸なのだ。
 三次元運動するものには飛行機があるが、これらは翼に生じる揚力
により上昇、下降を行うが、潜水艦の場合は艦内のタンクに、海水を
注排水することで生じる沈力(重力)浮力を利用し、潜航や浮上の運動
をするのである。これが両者の違いであるが、さらに飛行機はよほど
の高空を飛ばない限り圧力に左右される事はない、しかし、潜水艦に
おいては、この圧力、即ち潜航中の船体にかかって来る水圧が大きな
問題になってくる、これが飛行機と潜水艦の大いに異なる点である。
 而して、この水圧の大きさは如何なるものか例にとれば、潜水艦が
水深100mの海中で、潜航時にうける水圧は、1平方mあたり実に100t
もの力を受ける事になるのだ。
 此の恐るべき水圧に耐えながら、飛行機の如く自由に三次元の運動
をするためには頑丈な船殻が必要である事は勿論、潜航や浮上を容易
にするための、強力な注排水装置及び複雑な操舵装置等が必要になっ
てくる。
 水中を自由に行動する潜水艦には、水上艦艇とは異なり多くの舵を
もっている。
 まず原則として、大型潜水艦が有する舵は左右運動のための主舵で
ある縦舵が艦尾水面下に、また水上航行の時は水面上に出ている上部
縦舵という補助舵が各1枚、上下運動のための横舵が艦尾両舷に各1
枚、潜航時に使う潜舵が艦首両舷に各1枚の、合計6枚の舵をもって
いた。
 船体は内殻と外殻の二重構造になっており、この内外殻間は注排水
区画と燃料タンクに充てられ、多くの区画に分かれていた。此の区画
に注排水する事により浮沈運動を行うのであるが、そのため艦内には
各部所に通じる、諸々の配管類と管制装置が艦内ところ狭しと設置さ
れている。又水中を潜航しながら行動する潜水艦に於いては、水上艦
艇と違い、艦橋などの外部構造物が水の抵抗を受けることから、その
対策として艦外の突出物は最小限とどめ、艦橋の流線型化などのよう
に、極力抵抗の減少が求められた。


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3 潜水艦が走航するには

 潜水艦の洋上走航には通常の水上艦艇と同じように内燃機関を動力
としているが、潜航しての走航には、空気の供給を必要とする内燃機
関を働かすことが不能になる。それ故え、潜行しての航行には空気を
必要としない電動機に依る電気推進法を用いるのである。
 主機である内燃機関には潜水艦発明当時、ガソリン機関が使用され
ていたが、大正期になってディーゼル機関の出現により、主機関には
ガソリンの危険性を避けて、重油を用いるディーゼル機関に移行して
行った。
 では、潜航時に主機を止めて走航する電気推進法とは、まず推進器
(スクリュウー)を回転させる電動機(モーター)、その電源となる二次
電池、さらにそれを充電するための発電機により構成されるが、それ
には容量が大きくて軽い蓄電器(バッテリー)を必要とした。これらの
装置を駆動させ走航する潜水艦であるが、その方法を大別すると二通
りある。
 其の1 洋上走航時には主機の動力が、推進器を回転させて航行す
るのだが、それと同時に、連結された軸は電動機を兼ねた発電機を駆
動して、蓄電器の充電を行う。
 そして潜航時には主機を停止させ、電動機との間にあるクラッチに
より離脱、充電された蓄電池により電動機を駆動、推進器を回転させ
走航する方式である。
 此の方式は高速航行に有利であり、速力に重点を置いた日本海軍の
潜水艦では、一貫して此の方法が用いられた。また、日本海軍で設計
された艦には、水中での航続距離を延伸するために低速用の小型補助
電動機を装備されたものが多かった。
 其の2 洋上走航中でも電動機による電気推進方法で、主機の内燃
機関は発電用のために運転され、発電された電力は推進器に直結した
電動機を駆動しながら同時に充電を行いつつ走航する方法である。
 この方式でも、潜航時には主機を停止し蓄電器からの電力供給によ
り走航する事は前者と同じであるが、主機駆動の発電機と走航用電動
機の間にクラッチなどの機械的装置を必要とせず、主機を停止させて
電動機を駆動するのに、電気的断続で手軽に操作できる利点がある。
この方式は米国海軍の潜水艦で多く採用されていた。


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4 潜水艦の武器

 潜水艦は当初魚雷による攻撃だけを目的としていたが、発達と共に
艦型は大きくなり、砲銃の装備は当然のように普及し、日本海軍にお
いては、攻撃用航空機を搭載した艦や、さらに少数であるが機雷敷設
装置を持つ機雷潜型も建造された。しかし、なんと云っても潜水艦の
主兵器は魚雷である。
 魚雷発射管も初期の潜水艦では、上部構造物に固定した発射管や艦
内舷側式、また艦上に設置した旋回式発射管などが装備されていたが
その後、大正後期以降に日本海軍が建造した全ての艦では、艦首又は
艦尾に装備された水中固定式発射管に統一された。
 大正後期には53センチ魚雷を採用し、十年式潜水艦発射管が正式化
され、次いで一五式1型及び3型発射管が装備された。併しこれらの
発射管は魚雷装填後に、走行深度や斜進角の調整が不可能であり、ま
た魚雷発射時に使用された空気が海面に浮き上がり、発射位置を敵に
発見される欠点があった。
 昭和6年には、八八式発射管が正式化され1型、1型改1、2型、
3型、3型改と改良されていった。此れはピストン式無気泡発射管と
呼ばれ、魚雷発射にピストンが押し出す方法を用いて、発射時に気泡
の放出されない方式である。又この発射管により魚雷装填後でも管外
より調整が可能になった。しかし、此の方法には魚雷発射後、水圧に
より押し戻されたピストンの衝撃で発射管に歪みを生じさせるという
危険が有った。
 更に研究の結果、ピストンを用いずに、空気が直接魚雷を押し出し
た後に、空気の放出を防ぐ断気弁方式を採用した、九五式潜水艦無気
泡発射管が開発され、昭和16年以降に竣工して太平洋戦争で活躍した
新鋭潜水艦に装備されていた。なお九五式1型の他に、2型、3型、
3型改などの改良型がつくられ、その後に竣工した潜水艦に順次装備
されていった。
 魚雷を発射して目標に命中させるには、その方位、距離、速力など
その他諸々の状況を測定し、解析された情報により魚雷の駆走深度や
斜進角を調整、目標の予想到達位置に向け発射しなければならない。
それに必要となるのが、発射指揮装置で方位盤や照準器等の装置であ
る。
 明治、大正時代に建造された初期の潜水艦では、まだ発射指揮装置
と呼ばれるものは装備されておらず、分度器と雷速尺と呼ばれる物差
しを組み合わせたような簡単な水雷方位盤が使用されていた。
 昭和になってから、一四式潜水艦方位盤と呼ばれる装置が完成して
日本海軍では始めて発射指揮装置と言えるものが装備された。その後
外国製を参考にして開発された九二式方位盤改1が採用され潜望鏡照
準角自動追従装置と併せて使用されるようになった。
 九二式が装備されると、発令所と発射管室との命令や応答が電気的
計器で表示、その情報を伝達するために多くの電路や指令回路が設け
られた。
 なを、九八式対勢儀対勢盤や、三式照準角発信機2型などの装置も
開発され、昭和13年以降に竣工した一部の艦に装備された、又特殊潜
航艇用に、軽量小型の五式方位盤3型などもあった。


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5 潜水艦の目、潜望鏡

 潜水艦は潜航状態に入ると、洋上の視界は完全に遮断され盲人同然
になる。そこで、海面に潜望鏡なるものを突出させて、洋上を監視し
つつ行動するのであるが、此の潜望鏡こそが、潜行中の潜水艦にとっ
て唯一つの眼であり、魚雷攻撃の際に必要な情報を得るための重要不
可欠な装置なのだ。
 初期の潜水艦では潜望鏡が2本から3本装備され、第一が攻撃用、
第二が航海用、そして夜間用が第三潜望鏡となっていたが、全てが輸
入されたものであった。しかしその後、国内でも徐々に生産が開始さ
れ、大正8年頃に建造された艦から次第に国産品の潜望鏡が使用され
るようになった。
 昭和になると、輸入品であるツァイス式3型潜望鏡をモデルに開発
した八八式9メートル潜望鏡が制式化され、就役中の全艦に装備され
ていった。八八式には3型式あり、1型は航海用、3型は攻撃用で、
4型は夜間用に使用されていたが、昭和5年より4型が夜間用と航海
用とを兼用するようになり、潜望鏡は1型を廃止し3型と4型の2本
のみとした。
 なお、八八式3型系は倍率変換機構を有し、倍率が 1.5倍の時には
視界40度、6倍で視界 9.5度になり、切り替えて使用することが出来
仰角は20度まで可能であった。また4型では仰角が80度までかけられ
対空警戒用や天測にも使用されていた。さらに九七式特眼鏡と呼ばれ
る特殊潜航艇用の攻撃と航海兼用の潜望鏡も開発されていた。


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6 日本海軍開発の新装置

 海軍列国より一歩遅れ、潜水艦の開発に乗り出した日本海軍であっ
たが、弛みない造艦技術陣の努力は、自立建造に続き多くの新機構を
開発していった。中でも航空機搭載は、わが海軍の独壇場であったし
シュノーケル装置の研究も6号潜水艇で既に始められていた。
 完成が遅く、あまり知られていないが、日本海軍が開発した画期的
な装置に、自動懸吊装置と重油漏洩防止装置がある。この二つの新装
置に少し触れておこう。
 @ 自動懸吊装置 
 従来、潜水艦が一定の深度を保つためには、多数の乗員により潜舵
や横舵の操作と、各注排水区画に注排水を行い、又常に走航していな
ければならなかった。そのため停止状態でも一定の深度を保っていら
れる装置、いわゆる自動懸吊装置の研究が、潜水艦を保有する各国で
試みられた。
 しかし、海中では水温による比重の変化や潮流など、艦外の情況は
常に一定ではなく、瞬間的に静止できても長時間において浮量と重量
とのバランスをとることは非常に困難であり結局、静止状態での一定
深度持続は実現できなかった。
 しかし、日本海軍では昭和15年、友永英夫造船少佐が考案した極め
てシンプルな自動懸吊装置が完成して、伊号第74潜にて早々に実験が
行われた。この装置は結果が良好であった事から、その後ですぐさま
全潜水艦に装備され一定深度を維持するという難題が解決された。
 この装置とは、注排水量が浮沈力と比例することから、浮力と重量
の値が共に近くなるように、自動的に注排水を行おうというもので、
緩やかな浮沈運動を繰り返し、調定深度より2メートル以上離れると
装置が作動してもとの深度に復帰され、更に急激な浮沈運動が起こり
調定深度より7メートル以上離れた場合には、警報灯とブザーにより
警告を発するようになっていた。
 自動懸吊装置の完成は、艦が停止状態でも一定深度を持続出来るよ
うになり、潜航中に多くの乗員が休養をとれ、また電力消費の節約や
無音潜航をも可能にした。
 特に潜望鏡観測や超短波通信のための短波檣を海面より露頂させて
いる時に、艦が停止状態でいる事は、敵に発見されにくい利点があり
作戦行動に大きな貢献をしたことはいうまでもない。
 本装置の資料は、考案者に携行されて、訪独潜水艦により潜水艦の
先進国、ドイツ海軍に譲渡されている。
 A 重油漏洩防止装置 
 先記と同じ頃開発された重要な装置に重油漏洩防止装置がある。
 これまで潜水艦に限らず艦船の船殻は全て鋲構造により造られてい
たが、昭和になってから、我が国でも電気溶接の技術を採用するよう
になり、研究が始められた。しかし昭和6年頃までの溶接技術は完璧
なものでなく、当時の造船ではいまだ、溶接構造を用いることが少な
かった。だがその後、急速な技術の発達により広範囲に溶接が使用さ
れるようになったが、潜水艦には依然としてまだ鋲構造が多く用いら
れていた。
 しかし、この鋲構造による重ね合せ部分からの重油漏洩が、潜水艦
の運用に大きな課題となっていた。潜航中に漏洩した重油は海面に浮
き上がって航跡を残し、それが敵に発見されやすくして、艦の命取り
になり兼ねないからである。
 重油漏洩の原因の一つには、内殻と外殻の二重構造の一部を重油タ
ンクに使用している構造にあった。そのタンクの底部には艦外の海中
に通じるように開口された管が設けられ、それにより潜航中には重油
タンク外壁に水圧がに直接かかることはないが、海水と重油の比重差
により生じる力が外殻板上部にむけて重油を押し上げてしまう。
 この圧力は1平方メートルに約1トンにもなり、重油を微小な隙間
からでも海中に押し出される事になるのだ、これを防止するため次の
方法が考えられた。
 非耐圧部の重油タンクにでは、あらかじめ若干の海水をタンク内の
底部に貯めておき、それを少しずつ常時吸引することで、重油圧を艦
外の水圧より多少下げておく、これにより微小な隙間からの漏洩や又
攻撃を受けて溶接部に亀裂が生じ、タンク内に海水の浸入があっても
重油は艦外に漏洩することは無いというものである。
 この原理から考案された重油漏洩防止装置が昭和16年に完成、直ち
に全艦に装備され、戦闘中に敵の爆雷攻撃を受けて発生した亀裂から
の重油漏洩防止に対して、大いなる効果を発揮した。


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