日本潜水艦史

第二章 潜水艦の建造

  一 黎明期の潜水艦

1 ホーランド型

 日本海軍が初めて保有した潜水艦は、米国エレクトリック・ボート
社製のホーランド型潜水艇5隻であった。これは日露戦争の真っ最中
同社において突貫工事で製造され、一度解体された後、汽船神奈川丸
に搭載され横浜港に運ばれてきた。
 組み立ては横須賀工廠で米国人技師の指導のもと、ただちに着手、
明治38年7月31日に1号艇が完成し、後の潜水艇も明治38年10月1日
迄に全艇5隻が完成した。これがホーランド型潜水艇「第1型」と呼ば
れる日本海軍で初めての潜水艇である。
 続いて川崎造船所がホーランド社から入手した新型艇の図面により
日本人だけの手で造ろうとの意気込みで、ホーランド型改とも言うべ
き、ホーランド型潜水艇「第6号型」2隻が建造された。
 本艇は「第1型」より小型であったが、それは攻撃地点まで母艦に
載せての、運搬を容易にするためであったといわれ、又潜舵を設けた
船体は「第1型」より潜水時の安定性を優れたものにしたが、機関に
信頼性を欠く所があった。
 このホーランド型は凌波性、航洋性共に未発達で、外洋での作戦行
動には乏しく、当初期待したほどの戦力になる兵器には程度遠いもの
であった。しかし、第6型「第6潜水艇」のごとく、内燃機による潜航
走行実験中に沈没し、大きな犠牲を出す残念な事故もあったが、その
後、原因を良く追究し、潜水艦に対する認識を深め、造艦、運用術の
習得に、その後の潜水艦乗りの養成に大きな貢献をした艦型である。

 ホーランド型(第1型)
第1潜水艦 明治38年7月31日竣工 大正10年4月30日除籍 横須賀工廠で組立
第2潜水艦 明治38年9月5日竣工 大正10年4月30日除籍 横須賀工廠で組立
隊3潜水艦 明治38年9月5日竣工 大正10年4月30日除籍 横須賀工廠で組立
第4潜水艦 明治38年10月1日竣工 大正10年4月30日除籍 横須賀工廠で組立
第5潜水艦 明治38年10月1日竣工 大正10年4月30日除籍 横須賀工廠で組立
      全艦5隻とも、明治38年12月12日、水雷艇より潜水艇に類別変更、
      大正8年4月1日潜水艦に改名、再度3等潜水艦に類別変更。
ホーランド型改(第6型)
第6潜水艦 明治39年4月5日竣工 大正9年12月1日除籍 川崎造船所で建造
第7潜水艦 明治39年4月5日竣工 大正9年12月1日除籍 川崎造船所で建造
      第6潜水艇は、明治43年4月15日瀬戸内海新湊沖で潜航走行中、事
      故のため沈没、引き揚げ後再度使用、除籍後も潜水学校に記念艦と
      して保存。2艦とも竣工時潜水艇に類別、大正8年4月1日再度3
      等潜水艦に類別。第7潜水艦は除籍後、呉工廠で解体。


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2 C型と川崎型潜水艦

 いまだ自力建造に途惑いを感じていた日本海軍ではホーランド型に
続いて、明治42年英国ヴイッカース社製C型潜水艇5隻の購入を決め
た。2隻は同社で建造し特殊運搬船トランスポルダー号に搭載されて
日本に運ばれてきたが、後の3隻は機材を輸送の上、呉工廠で改良を
加え建造された。
 C型はホーランド型に比べ排水量では約3倍にも達し、水上、水中
航続距離や航行速力も増大し、又潜望鏡2本、発射管2門を装備する
など、兵装においても強化された実用的な潜水艇に発達していた。
 呉工廠で建造の3隻は、英海軍が建造中であった改C型の情報によ
り、艦橋の大型化、上部構造物を艦首まで延長するなどの改良を加え
凌波性の改善を図った。そのためヴイッカース社と、呉工廠で建造し
たのを、それぞれC1型、C2型と型式別に呼称した。C型の完成に
より日本海軍は、沿岸防御に有力な潜水艇を保有することになったの
である。

 C1型(波1型)
波号第1 明治42年2月26日竣工 昭和4年4月1日除籍 ヴイッカース社建造
波号第2 明治42年3月26日竣工 昭和4年4月1日除籍 ヴイッカース社建造
 C2型(波3型)
波号第3 明治44年8月21日竣工 昭和4年4月1日除籍 呉工廠で建造
波号第4 明治44年8月26日竣工 昭和4年4月1日除籍 呉工廠で建造
波号第5 明治44年8月31日竣工 昭和4年4月1日除籍 呉工廠で建造
     全艦5隻とも、大正8年4月1日潜水艇より潜水艦に改名、
     3等潜水艦に類別変更。大正12年6月15日、波号第1〜波号
     第5と改名。

 日本海軍は英国のC型潜水艦と、国産潜水艦とを比較研究するため
に、一隻の試験的潜水艦を、ホーランド型で実績のある川崎造船所で
建造した。これが川崎型(波6型)と呼ばれる日本人だけの手で初めて
設計された潜水艦で、日本海軍独自の工法で作業は進められ大正元年
に竣工した。
 本艦はC型よりも、2倍近い馬力の機関を搭載して、速力の向上を
図ったが、この機関が所定の出力を発揮できず、さらには途中で設計
の変更などがあり失敗の要因を作った。C型と比べて特に見るべき点
も無く、実用性に関しても満足出来るものでなかったために同型艦は
建造されず、またこれ以後、日本海軍独自の設計、建造は当分見送ら
れるようになった。

 川崎型(波6型)
波号第6 大正元年9月30日竣工 昭和4年4月1日除籍 川崎造船所で建造
     大正8年4月1日潜水艇より潜水艦に改名、3等潜水艦に類別変更。
     大正12年6月15日、波号第6と改名。

 日本海軍では川崎型以来、独自による開発を中断していたが、第一
次世界大戦が始まり、ヨーロッパで活躍する潜水艦の働きに刺激され
潜水艇の開発を再開、新型艇の建造をめざした。しかし、自力による
設計、建造にはいまだ難点も多く、といって大戦中のヨーロッパから
の技術導入もままならず、結局建造した艦はC型潜水艦に改造を加え
雷装を二倍に強化しただけのものに止まり、特に目立った発展は見ら
れなかった。
 この改造により増強した発射管も外装式であったため、自質的には
戦力を向上させるには至っておらず、これをC3型(波7型)と呼び2
隻建造されただけで後続艦は造られなかった。

 C3型 (波7型)
波号第7 大正5年10月31日竣工 昭和4年4月1日 除籍 呉工廠で建造
波号第8 大正6年2月20日竣工 昭和4年4月1日 除籍 呉工廠で建造
     大正8年4月1日潜水艇より潜水艦に改名、3等潜水艦に類別変更。
     大正12年6月15日、波号第7、波号第8と改名。


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3 S型、ローブーフー型(波9型)

 C型に続き、さらに新技術導入のため仏国の最新式潜水艇ローブー
フー型2隻の購入を決め、明治44年シュナイダー社に発注した。しか
し第一次大戦勃発により、一番艦である第14潜水艇は仏海軍に買い取
られ、2番艦15潜水艇は買収を避けるため工事未完のまま日本に輸送
し、残工事は我が国で行う事にした。
 大正5年6月10日、呉に到着した2番艦は、その後約1年間の工事
を続け完成、大正6年7月ようやく竣工、第15潜水艇と命名された。
引き続き、第14潜水艇の代艦も呉工廠において建造され、この2隻の
潜水艇をS型と称した。
 呉工廠で建造された第14号艇「波号第9」は、排水量、主要寸度に
若干の増大を見たが、搭載した主機などは変更なく、性能的に大きな
変化は無かったが、日本潜水艦で初めて砲銃の搭載が試みられ、5cm
単装高角砲が装備された。
 S型が採用していた二重殻(複殻式)船体構造や石油機関2基搭載
2軸などの新方式は日本海軍初めてのものであり、その後、我が海軍
の潜水艦建造には、大いに参考になった艦型である。

 S型(波9型)
波号第9 大正9年4月20日竣工 昭和4年4月1日除籍 呉工廠で建造
波号第10 大正6年7月20日竣工 昭和4年4月1日除籍 シュナイダー社建造
     大正8年4月1日潜水艇より潜水艦に改名、3等潜水艦に類別変更。
     大正12年6月15日、波号第9、波号第10と改名。


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4 F1、2型(呂1、2型)

 大正4年7月、川崎造船所は当時世界的優秀艦と定評があったロー
レンチ型潜水艦と同時にフイアット式デイーゼル機関の製造権を、伊
国フイアット・S・ジョルジョ社より取得、建造に着手した。
 本艦型はディーゼル機関を採用、大出力による高速と雷装強化に加
えて 7.5cm砲搭載などの兵装が施されおり、更に船体の艤装などにも
幾多の新機軸を取り入れた大艦型で「F型」と呼ばれた。
 大正9年、竣工した2隻は予想に反し、公表潜水深度に達する前に
船体に歪みを生じるなど使用実績は意外に悪く、実用性に乏しい艦で
あった。しかしこの頃すでに次の3隻が着工されており、これらには
船体強化などの改良が極力施され、大正11年に完成した。改良前のを
F1、改良後をF2型と呼んだ。
 F2型はF1型の船体に補強を加えただけで主要目は同じであるが
F2型には、国産のフイアット式ディーゼル機関が搭載されていた。
だが、この国産ディーゼル機関は故障を頻発し、加えて所期の性能を
発揮できず、F1型に比べ速力もF1型の18ノットを下回る14ノット
と大きく低下した。
 この頃には、これ以上の潜水艦が国産化されつつあり、当初の建造
予定10隻が5隻で打ち切られた。このようにF型からは予期した性能
を得ることが出来なかったが、しかしディーゼル機関の採用は、燃料
のガソリンによる危険から逃れ、乗組員に大きな安心感を与えた事は
大きな進歩である。なお竣工時、機銃1基だったのが後には、短8cm
高角砲が増設された。

   F1型(呂1型)
呂号第1 大正9年3月31日竣工 昭和7年4月1日除籍 川崎造船所で建造
呂号第2 大正9年4月20日竣工 昭和7年4月1日除籍 川崎造船所で建造
 F2型(呂3型)
呂号第3 大正11年7月15日竣工 昭和7年4月1日除籍 川崎造船所で建造
呂号第4 大正11年5月5日竣工 昭和7年4月1日除籍 川崎造船所で建造
呂号第5 大正11年3月9日竣工 昭和7年4月1日除籍 川崎造船所で建造
     大正13年11月1日、呂号第1〜呂号第5と改名。


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5 L型潜水艦

 日本海軍は、大正6年度計画でC型に続き、当時英国において最も
実用性の高さで好評を受けていた、ヴイッカース社建造の最新型潜水
艦L型の導入を決め、製造権購入を三菱造船所に依頼した。
 これにより三菱造船所は、L型潜水艦の図面購入と共に、主機であ
るヴイッカース式ディーゼル機関の製造権も獲得。同造船所では初め
ての潜水艦建造に着手したのである。
 L型は、ホーランド型の発展型であって、単殻構造の船体中央部の
両側面に大型バルジ状メイン・タンクを装着した半複殻式とも言える
構造で、同年度に建造されていたF2型、海中2、3型等の完全複殻
式に比べると船型的には旧式の感があった。
 しかし、L型の主機械たるヴイッカース式ディーゼル機関は、当時
海中型に搭載して故障の多かったズルザー式機関より、出力では多少
劣るが長時間運転にもよく耐え、安定性、実用性共に優れたディーゼ
ル機関であった。このヴイッカース式機関を搭載したL型は、逐次改
良を加えながらL1型からL4型まで18隻が、大正7年より昭和2年
にかけて三菱造船所で建造された。
 本艦型は、船体の前後部が単殻構造で長円形のため、これ以上潜航
深度の発展が望めず、又波浪に対しての動揺が大きいなど短所もあっ
たが、それより以上に堅実な設計とヴイッカース式ディーゼル機関の
信頼度の高さにより極めて評判が良く、海中型と共に並行して建造さ
れていった。
 L1型は大正6年度計画で建造されていたが、早期に建造されてい
た1型の実績を取り入れ改良を加えたのが2型であり、本来同年度の
同型艦である。
 L2型では、製造権得とくにより三菱造船所でライセンス生産した
ヴイッカース式ディーゼル機関を搭載、電池も国産品が使用されたが、
その他では艦内の一部を配置換えをした程度で主要寸法性能に大きな
変化は見られなかった。
 L3型は、大正7年度計画で同9年11月に起工され、先に就役して
いるL1型の使用実績を考慮し、各部所に於いて多くの改善が施され
建造された。艦の外見的変化は凌波性向上を狙い艦舷の増大と、また
水上走行中でも波浪に影響されず射撃が出来るように短8cm高角砲を
艦橋に装備した。だが其の旋回砲座のために、艦幅全体に拡大された
艦橋側部に前後甲板への通路を設け、艦橋は長大なものとなった。
 なお新造時より装備されたKチュウブ、さらに南方での作戦行動を
考慮して電動機室と電池室に冷却装置を設けるなど、新技術採用によ
る多彩な改善が随所に見られる。
 本艦型の兵装面を見ると、短8cm高角砲を装備し、発射管ではL1
型、L2型で採用されていた舷側式発射管を廃止し、53cm発射管4門
を艦首に集中して雷装強化を図っている。
 4型はL型最後の型になるが、53cm発射管6門に増強され一番艦呂
号第60では45口径12cm砲搭載の重兵装艦である、しかしこれは重心の
上昇など悪影響を及ぼしたため、他の艦と同じ40口径8cm砲砲に換装
された。
 このように改善されながら建造されてきたL型潜水艦も、英国にお
ける同系統艦の、発達にともなった模倣をしながら進められたとこが
多く、日本でのL型潜水艦発展には、同国の技術供与によるとこが大
きかった。
 しかし、新技術を導入しながらも主要部品の多くは国産化して装備
していったこと、又L4型でみられる艦首を直角型より傾斜型にし、
舷側を傾斜させて船殻を覆い凌波性の向上を図り、さらには推進器の
空転防止のため、艦尾を扁平な形状に改造するなど、日本海軍独自の
発想による進展も少なくなかった。
 だが、このような改造を進めるに従い排水量も増加、それに伴ない
速力が低下していった事は、同じ時期に開発中の「海中型」と同様に
中型潜水艦の限界を示唆するものであり、又小型で強力なディーゼル
機関の開発を促すものでもあった。
 L型の優れた実用性を見るとき、潜水艦の性能向上には、信頼度の
高い高性能ディーゼル機関の開発が絶対的不可決であることを示して
おり。そのL型の優秀さを証明するかのように、L3型では太平洋戦
争中にも在籍し、L4型では老齢にもかかわらず、第一戦に出撃して
米駆逐艦と砲戦を交えた艦もあった程度、すぐれた艦型であった。

  L1型(呂51型)
 呂号第51 大正9年6月30日竣工 昭和15年4月1日除籍 三菱造船所で建造
 呂号第52 大正9年11月30日竣工 昭和7年4月1日除籍 三菱造船所で建造
     L2型(呂53型)
 呂号第53 大正10年3月10日竣工 昭和15年4月1日除籍 三菱造船所で建造
 呂号第54 大正10年9月10日竣工 昭和15年4月1日除籍 三菱造船所で建造
 呂号第55 大正10年11月15日竣工 昭和15年4月1日除籍 三菱造船所で建造
 呂号第56 大正11年1月16日竣工 昭和15年4月1日除籍 三菱造船所で建造
  L3型(呂57型)
 呂号第57 大正11年7月30日竣工 昭和20年11月20日除籍 三菱造船所で建造
 呂号第58 大正11年11月25日竣工 昭和20年9月15日除籍 三菱造船所で建造
 呂号第59 大正12年3月20日竣工 昭和20年11月20日除籍 三菱造船所で建造
      大正13年11月1日、二等潜水艦の総称より呂号の冠称を付加し
      呂号第51〜呂号第59と改名。
  L4型(呂60型)
 呂号第60 大正12年9月17日竣工 昭和17年11月1日除籍 三菱造船所で建造
 呂号第61 大正13年2月9日竣工 昭和17年10月20日除籍 三菱造船所で建造
 呂号第62 大正13年7月24日竣工 昭和20年11月20日除籍 三菱造船所で建造
      大正13年11月1日、二等潜水艦の総称より呂号の冠称を付加し
      呂号第60〜呂号第62と改名。
 呂号第63 大正13年12月20日竣工 昭和20年11月20日除籍 三菱造船所で建造
 呂号第64 大正14年4月30日竣工 昭和20年8月10日除籍 三菱造船所で建造
      建造中の大正13年11月1日、改名され、呂号第63、呂号第64の艦名
      で竣工。
 呂号第65 大正15年6月30日竣工 昭和18年8月1日除籍 三菱造船所で建造
 呂号第66 昭和2年7月18日竣工 昭和17年1月15日除籍 三菱造船所で建造
 呂号第67 大正15年12月15日竣工 昭和20年7月20日除籍 三菱造船所で建造
 呂号第68 大正14年10月29日竣工 昭和20年11月30日除籍 三菱造船所で建造

 これまで、外国より購入した各種潜水艦により、設計、建造技術の
習得、更に操艦、用兵技術の修練に努めてきた。これに併せて潜水艦
関係者が、新技術開発をめざして協力と努力を重ねた結果、日本海軍
特有の潜水艦である、海軍式中型、いわゆる「海中型」や海軍式大型
「海大型」潜水艦など、日本海軍独自の潜水艦建造技術を確立したの
である。


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