3 ドイツ式潜水艦
これまでの潜水艦は、その先進国より各種の優れた艦型を購入して
研究をしてきたのに、欧州でも一歩先んじていたドイツ潜水艦の技術
導入がなかったことに疑問をもたれるであろうが、この頃、独国は露
国と同盟関係にあり、わが国とは国交がスムーズに行っていなかった
からである。
しかし、第一次世界大戦で英国の同盟国として独国と戦い、戦勝国
となった日本は、優秀な性能を以て連合国を脅かしていたドイツ潜水
艦Uボート7隻を戦利艦として引き渡しを受けることになった。
日本に回航されてきたドイツ潜水艦は、徹底した調査、研究が行わ
れたが、その結果、各種装置の操作が簡易で、確実に作動する優れた
機能や応急設備など、潜水艦に必要とされる基本的なもの全てが、日
本潜水艦の其れよりも遥かに優秀であることを認めた。
同じ頃、我が海軍では、はじめての大型潜水艦「海大型」の建造に
着手していたが、いまだ試験艦的域より脱却することが出来ず研究を
重ねていた。これにより日本海軍は、ドイツ式潜水艦の優れた技術を
模倣し、我が海軍が用兵上最適と着目した巡洋型と機雷潜型の二型式
を国産化しようとしたのである。
その第一の型式が、独国ゲルマニア社でテッヘル博士を主任として
第一次世界大戦の末期に設計された高性能大型潜水艦U142 型、いわ
ゆる巡洋型潜水艦であった。ただちに同社より図面を購入、大正12年
3月12日、「巡潜1型」伊号第1型潜水艦が川崎造船所で起工された。
その巡潜1型を建造中の大正13年12月、敗戦のため潜水艦の建造を
停止しされ、手腕を振るえずにいたゲルマニア型潜水艦の設計者テッ
ヘル博士を招聘、約5ヶ月間にわたり、我が国の潜水艦関係者は熱心
な技術指導を受けることができた。この間に受けたゲルマニア型潜水
艦の技術は、次いで建造された巡潜2、3型及び発展途上にあった海
大型にも活用され、ここに、確立しつつあった日本の潜水艦技術は、
独国の優れた技術が加わることで、完璧なものとして完成されたので
ある。
昭和の初期に、一躍発展を遂げて列国強の注目を集める事となった
日本潜水艦の陰には、テッヘル博士とドイツの潜水艦専門技術者達の
熱心な指導によるとこが大であったことは当然である。事実、当時の
潜水艦では、海大型よりゲルマニア型、又海中型より英式L型の方が
遥かに実用的で好成績で有り、之れは主機である独国マン型、英国の
ヴイッカース型機関の優秀性に因をなし、次いでは的確な艤装方式に
依るものであった。
しかし我が技術陣も貴重なる多くの経験及び努力により、精密工業
化学工業の発達に伴なって、潜望鏡、水密測距義、主電動機、二次電
池などに於いても、国内で優秀な物を生産出来るようになった。又、
主機に関しても、用兵者の要望により高速潜水艦を追及し続ける我が
海軍では、信頼性では英国ヴイッカース式を第一としながらも、高速
を求めるため、出力の大きいスイスのズルザー式を採用し故障と闘い
ながら改良を加えて、遂に大出力機関、艦本式1号ディーゼル機関を
完成させるに至った。このことは内燃機関系技術陣の努力が高く評価
されて良いだろう。
かくして昭和も十年代になると、先進国であった米、英、仏を驚愕
させる潜水艦を次々と竣工させた日本海軍は、これを以て世界最強と
謳われる潜水艦隊を編成していったのである。
之れはお世辞抜きにして、自他ともに認める世界最優秀な潜水艦隊
であり各列強国の注目を集めるには十分であった。この事実を証明す
るかのように、東京に在る主要海軍国の各国大使館付きの海軍武官が
全て潜水艦の専門家であったと言われており、この事がらからにして
も、うかがいしることが出来よう。
@ 巡潜型潜水艦
巡潜1型はゲルマニア型である「U142 型」の図面を引用し、魚雷
発射管と備砲の口径を日本の制式に変換しただけで、艦型は原型その
ままであった。しかし燃料搭載量の増加により延伸された航続距離は
24,400浬にも達し、これは米艦隊の集結するハワイはもとより、米国
西海岸までを往復し更に長期にわたる作戦行動にも余裕が有ることを
示唆していた。この行動力は、渡洋作戦を意図する米海軍に大いなる
脅威を与えるには十分であった。
巡潜1型5隻の内、最終艦である昭和2年度計画艦の「伊号第5」
潜水艦では、偵察力の向上をねらい小型水偵のを搭載を決定し、その
格納筒を艦橋の後方に設けた。その後、昭和8年6月には艦橋後部に
射出機が設置され、これにより完全に航空機搭載型潜水艦の第一番艦
となった。又この工事の際に後部の14センチ砲は撤去された。
昭和7年に巡潜1型の使用実績により根本的に改良を加えられ建造
したのが「巡潜2型」伊号第6潜水艦である。巡潜2型では、まだゲル
マニア型の原形を留めているが、潜航深度の増大及び水中抵抗を減少
させるため線図の改正など改良を加え、主機には日本海軍独自の設計
による、艦本式1号甲7型ディーゼル機関を搭載した純日本式巡潜で
ある。
この艦本式1号ディーゼル機関はズルザー式3号又ラウシェンバッ
ハ式2号機械の出力が3,000 馬力に対し同重量で4,000 馬力を発生さ
せることが出来、これにより公試運転で水上速度21.3ノットを得る事
が出来た。本艦は水偵用射出機を新造時より装備した世界で初めての
潜水艦であり、又南方での長期作戦行動を考慮し、居住性やその他多
くの点に於いて改善が加えられた艦であった。しかし水偵実用化には
種々の不便なこともあり、艦橋後方に搭載予定の高角砲は中止された。
昭和9年、呉工廠と川崎造船所で「巡潜3型」伊号第7型潜水艦2隻
が起工され、昭和12、13年にそれぞれ竣工した。
巡潜型も3型に至っては、これまでのゲルマニア型から完全に抜け
出し、日本海軍独自の戦術思想の基に設計され、従来の艦とは船型や
性能を全く異にした世界でも類を見ない大型潜水艦であった。また、
艦隊決戦を想定して、司令部施設を設けた旗艦型潜水艦であって他に
も、独自の機能を備えていた。
主機には巡潜2型の艦本式1号甲ディーゼル機関7気筒を更に大型
にした10気筒の艦本式1号甲10型を2基搭載し11,200馬力を発生させ
之れにより水上速力23ノットの高速を得た。又旗艦としての諸施設を
設け更に通信能力の強化及び居住性の著しい改善が加えられた。
排水量も一段と増大したが、其れにもかかわらず潜航の所要秒時は
1分20秒程で、水上水中での運動性も極めて良好であり艦型、速力共
に世界に比肩するものが無い画期的な潜水艦である。
兵装面では、艦尾発射管を廃止し艦首6門にし、他に発射管に換装
出来る魚雷格納庫を設け艦首8門に備え、魚雷は新式95式魚雷20本を
搭載した。備砲は用兵側の砲戦能力強化の要求によって、日本潜水艦
では異例の14センチ連装砲塔を装備することになった。航空兵装では、
新型の「呉式1号4型」射出機を搭載し水偵の発進及び、収容も容易
に出来るようになり又格納庫や諸設備も改善され、水偵の完全実用化
に成功した。
巡潜型の変貌の様子を大別すると、1型ではゲルマニア型「U142」の
設計を日本式に制式化しただけで原型はそのままであったが、後期型
伊号第5ではには射出機を後日搭載したが、固定式格納庫を艦橋後部
左右に各一個設け水偵1機を搭載した。
2型では、新造時より射出機を装備、格納筒は昇降式に改善されて
船体線図も高速化に適応した型に更新、日本海軍開発の艦本式機関を
搭載しゲルマニア型より脱却した純日本式である。
3型は旗艦設備を持ち、艦型速力共に増大した大型潜水艦で内殻板
に20mmDS鋼を使用、安全潜航深度100 メートルになった。尚、本艦の
設計は後日建造される、丙型潜水艦に引き継がれている。
巡潜1型(伊1型)
伊号第 1 大正15年3月10日竣工 昭和18年4月1日除籍 川崎造船所で建造
伊号第 2 大正15年7月24日竣工 昭和19年6月10日除籍 川崎造船所で建造
伊号第 3 大正15年11月30日竣工 昭和18年1月20日除籍 川崎造船所で建造
伊号第 4 昭和4年12月24日竣工 昭和18年3月1日除籍 川崎造船所で建造
伊号第 5 昭和7年7月31日竣工 昭和19年9月10日除籍 川崎造船所で建造
巡潜2型(伊6型)
伊号第 6 昭和10年5月15日竣工 昭和19年9月10日除籍 川崎造船所で建造
巡潜3型(伊7型)
伊号第 7 昭和12年3月31日竣工 昭和18年8月1日除籍 呉工廠で建造
伊号第 8 昭和13年12月5日竣工 昭和20年8月10日除籍 川崎造船所で建造
B 機雷潜型
巡潜型と同じ経緯により建造が決定された第二の艦型は、戦利艦の
の内、日本海軍では未開発の新式機雷敷設装置と優れた航洋性に注目
した潜水艦、U117型をモデルとして建造されたのが、略称「機雷潜型」
「伊号第21」型潜水艦で、大正13年第一番艦が川崎造船所で起工され、
昭和3年12月までに全艦4隻が竣工した。
本艦型はドイツより技術導入を目的に、招聘した技術者の協力を得
て建造されたのは巡潜型と同じであるが、南方での作戦行動を考慮し
て冷却装置搭載の他は、備砲と発射管を日本海軍制式に変更しただけ
で、実質的にはドイツ式潜水艦を模倣しただけの艦型であった。
しかし低速であった事を除くと航洋性は良好で性能も安定し、戦前
には水偵搭載の試験艦に、又戦時中には飛行艇への燃料補給艦に改造
された艦もあって、使用成績は極めて良かった。
雷装は艦首発射管4門のみにし、艦尾発射管を廃止、代わりとして
機雷敷設筒を設け、搭載した機雷42個は之れより敷設することが出来
た。低速のため活動は地味なものであったが、太平洋戦争緒戦期には
蘭印方面での敷設作戦に参加し活躍した。
機雷潜型(伊21型−伊 121型)
伊号第 121 昭和2年3月31日竣工 昭和20年11月30日除籍 川崎造船所で建造
伊号第 122 昭和2年10月28日竣工 昭和20年9月15日除籍 川崎造船所で建造
伊号第 123 昭和3年4月28日竣工 昭和17年10月5日除籍 川崎造船所で建造
伊号第 124 昭和3年12月10日竣工 昭和17年4月30日除籍 川崎造船所で建造