6 補助目的と試験艦
昭和12年、B計画で多くの新鋭艦艇が建造された中に混じり一隻の
試験的潜水艦が極秘のうちに建造され、昭和13年8月完成した。昭和
15年度の追加計画、昭和16年度戦時建造計画で潜水艦の大量整備を行
なうなか、大型潜水艦の兵力不足を補うため、中型潜水艦36隻と小型
潜水艦18隻と、さらに輸送を主任務とする大型潜水艦3隻が含まれて
いた。
しかし実際に建造されたのは中型18、小型18隻と輸送用大型潜水艦
1隻に止まった。
@ 中 型(呂35型)
中型潜水艦の建造は、昭和6年度に戦時急速建造に適する艦型の実
験目的で、海中5型2隻が建造されていたが、その後の兵器、造艦の
発達は戦術などにも著しい変化を生み、本艦型の建造には全く新しい
設計が必要であった。この海中6型とも言える、新型の中型潜水艦が
通称「中型」と呼称される「呂号第35」型である。
昭和15年度追加計画(丸臨)で9隻が開戦直前に起工、昭和18年中に
竣工、昭和16年戦時建造計画(丸急、丸追)の各8隻と1隻は開戦後の
起工になり昭和19年後半に竣工、計18隻が完成した。
中型は急速建造に適する艦としながらも、艦隊決戦時には大型艦の
補助的戦力として中距離を高速で行動できる性能が望まれ、これには
主機に艦本式22号10型ディーゼルを搭載することにより、約20ノットの速力
と16ノット時で5,000浬の航続力を得た。此の航続距離は、特型駆逐艦に
匹敵するものであった。
船体構造に呂号型では、始めての外舷弁の二重方式を採用し鋼材の
厚さを増すなど多くの改良が加えられ、安全潜航深度が増大した。又
艤装の簡易化、電気溶接の使用範囲を拡大し、さらに建造所を特定す
ることで連続建造を容易にして建造期間を1年から1年半に短縮する
ことが出来た。
完成した「中型」は、公試運転で航洋性などでは大型艦に勝る点もあ
り、すこぶる優れた性能を示した。これは海中5型で成功修めた艦型
に、さらに再設計し改良を加えたのだから、当然の事だとも言うべき
であろう。
計画時には主力艦隊どうしの決戦に際し、大型潜水艦の補助的役と
位置ずけられながらも、完成されたとき既に戦況は悪化し初期の目的
に活躍する場を失い、激変する熾烈な戦場に投入され、本来想定もし
なかった多様な作戦に酷使された。
特に米軍の圧倒的戦力の下、厳重な警戒網を潜り抜け行動する局地
戦に於いて、其の優れた性能を発揮し良く善戦し、最も実用的な艦と
して好評を博した。戦場に投入されてからの実績を見るには、優秀な
性能故に過酷な作戦を強いられ消耗が激しかったが、本艦型は日本海
軍が建造した潜水艦のうちで、最も優秀で使用価値が高いとの評価を
得、より多くの建造が望まれた艦型である。
昭和17年度、改D計画で43隻の中型潜水艦が計画されながら、其の
価値を知る由もない一部の用兵者の、戦力が中途半端だとする主張に
よる艦型の変更等で、急速建造の軌道に乗った中型の建造を打ち切り、
後に戦線での評価を聞き建造再開を図った時既に遅く、戦況の悪化等
で計画に支障を来し、その後中型は建造される事は無かった。
本艦型と同じクラスにあたる、ドイツ潜水艦Uボートの活躍を見た
時、これを補助的なものとせず、独自で行動する場を与え適切な作戦
に使用していれば、本艦の性能から見てより多くの戦果が期待できた
艦型であっただろう。
尚、本艦型19隻中、呂号第50潜を除く全艦が熾烈極まる戦場に出撃
し短期間に戦没した。
中 型 (呂35型)
呂号第35 昭和18年3月25日竣工 昭和18年12月1日除籍 三菱造船所建造
呂号第36 昭和18年5月27日竣工 昭和19年8月10日除籍 三菱造船所建造
呂号第37 昭和18年6月30日竣工 昭和19年4月30日除籍 佐世保工廠建造
呂号第38 昭和18年7月24日竣工 昭和19年4月30日除籍 三菱造船所建造
呂号第39 昭和18年9月12日竣工 昭和19年4月30日除籍 三菱造船所建造
呂号第40 昭和18年9月28日竣工 昭和19年4月30日除籍 三菱造船所建造
呂号第41 昭和18年11月26日竣工 昭和20年5月25日除籍 三菱造船所建造
呂号第42 昭和18年8月31日竣工 昭和19年8月10日除籍 佐世保工廠建造
呂号第43 昭和18年12月16日竣工 昭和20年4月10日除籍 三菱造船所建造
呂号第44 昭和18年9月13日竣工 昭和19年8月10日除籍 三井造船所建造
呂号第45 昭和19年1月11日竣工 昭和19年7月10日除籍 三菱造船所建造
呂号第46 昭和19年2月19日竣工 昭和20年6月10日除籍 三井造船所建造
呂号第47 昭和19年1月31日竣工 昭和20年3月10日除籍 三菱造船所建造
呂号第48 昭和19年3月31日竣工 昭和19年10月10日除籍 三菱造船所建造
呂号第49 昭和19年5月19日竣工 昭和20年5月25日除籍 三井造船所建造
呂号第50 昭和19年7月31日竣工 昭和20年11月30日除籍 三井造船所建造
呂号第55 昭和19年9月30日竣工 昭和20年5月10日除籍 三井造船所建造
呂号第56 昭和19年11月15日竣工 昭和20年5月25日除籍 三井造船所建造
(註 三菱は神戸造船所 三井は玉野造船所で建造。)
呂号第50は昭和21年4月1日、五島沖で米軍により海没処分。
A 小 型(呂100型)
昭和15年度追加(通称丸臨)計画で、南方の航空基地がある離島防御
用という、従来の潜水艦と全く違う使用目的の、局地用小型潜水艦が
9隻、続いて昭和16年戦時建造計画の丸急計画で9隻が建造され昭和
18年3月から19年1月末迄に計18隻が竣工した。これが「小型」と呼ば
れる「呂号第100」型潜水艦である。
本艦型の建造も中型と同様に、戦時急造に適する艦型が求められ、
排水量も其れよりさらに小型の 500トン強として、建造期間は短縮さ
れ約1年で完成させることが出来た。
主機関には500馬力の艦本式24号6型ディーゼルを2基搭載 1,000馬力
の出力で14.2ノットの水上速力を得た。船体は小型のため耐波性を重
視して艦首乾舷を高め、艦橋も大型のものにするなど航洋性を考慮し
たが、急速建造に主眼を置き過ぎた本艦型には、耐波性を始め速力、
航続力共に充分なものでなかった。しかし潜航での速力と航続力は大
型艦なみの性能を有していた。
兵装は主砲を廃止し25mm連装機銃1基のみとしたが、雷装は中型と
同じ4門の53cm発射管を装備した。これは海中より内殻の直径が10%
強も縮小された本艦型には重装備過ぎ、居住性を苦しいものにしてい
た、特に南洋での行動に搭乗員はきつい艦内生活を強いられた。
艦内には冷却機を設け熱帯での作戦に対処したが、満足できるもの
でなく、まして長期の行動には耐えれるものでは無かった。本艦型は
局地防衛用として計画されながら、戦況の悪化は其れを許さず広範囲
な海域で酷使されたのは中型と同じであり、全艦が短期間で失われて
いった。
この事実は戦前に計画された潜水艦全般に言える事であるが、戦局
の急変的な展開により本来の使用目的を見失しなった事と、当時とし
ては予想もしなかった消耗戦で潜水艦の兵力が不足した事が、適切な
作戦での使用法を誤らせ、性能を超える過剰な作戦を強要し、これが
艦の持つ性能を充分に発揮することを妨げ、また其の期待された戦果
を挙げる事と無く戦没していった潜水艦を考えるとき、無念の一言で
は言い表すことが出来ないであろう。
小 型 (呂100型)
呂号第 100 昭和17年9月23日竣工 昭和19年2月5日除籍 呉工廠で建造
呂号第 101 昭和17年10月31日竣工 昭和18年12月1日除籍 川崎重工で建造
呂号第 102 昭和17年11月17日竣工 昭和18年7月15日除籍 川崎重工で建造
呂号第 103 昭和17年10月21日竣工 昭和18年11月1日除籍 呉工廠で建造
呂号第 104 昭和18年2月25日竣工 昭和19年8月10日除籍 川崎重工で建造
呂号第 105 昭和18年3月5日竣工 昭和19年8月10日除籍 川崎重工で建造
呂号第 106 昭和17年12月26日竣工 昭和19年8月10日除籍 呉工廠で建造
呂号第 107 昭和17年12月26日竣工 昭和18年9月1日除籍 呉工廠で建造
呂号第 108 昭和18年4月20日竣工 昭和19年8月10日除籍 川崎重工で建造
呂号第 109 昭和18年4月29日竣工 昭和20年6月10日除籍 川崎重工で建造
呂号第 110 昭和18年7月6日竣工 昭和19年4月30日除籍 川崎重工で建造
呂号第 111 昭和18年7月19日竣工 昭和19年8月10日除籍 川崎重工で建造
呂号第 112 昭和18年9月14日竣工 昭和20年5月10日除籍 川崎重工で建造
呂号第 113 昭和18年10月12日竣工 昭和20年5月10日除籍 川崎重工で建造
呂号第 114 昭和18年11月20日竣工 昭和19年8月10日除籍 川崎重工で建造
呂号第 115 昭和18年11月30日竣工 昭和20年5月10日除籍 川崎重工で建造
呂号第 116 昭和19年1月21日竣工 昭和19年8月10日除籍 川崎重工で建造
呂号第 117 昭和19年1月31日竣工 昭和19年8月10日除籍 川崎重工で建造
呂号第112.113.114.115.116.117は進水まで川崎重工泉州工場で製作。
B 試作71号艦
昭和13年8月、呉工廠水雷部内の機密工場内で1隻の特殊潜水艦が
完成した。これが昭和12年度B計画で、海軍の最高秘密である軍機の
もと、建造された小型水中高速艦、仮称「71号艦」と呼ばれた試作艦で
ある。
本艦の目的は、航空基地のある南方離島防御用の実験艦しているが
実際には、当時海軍で特殊潜航艇の名でで知られる甲標的の前身「A
標的」が実験に成功し、続いて甲標的の研究を進めていた時であり、
この特別な目的を持つ潜航艇の開発が、本艦の実験により関連付けら
れ発覚するのを恐れたのと、又本艦の水中高速艦という特殊性に着想
していることを秘匿する為のものではなかったのか。これには南方離
島間を行動する局地戦では、さほどの高速を必要としない事から容易
に推測される。
この日本海軍で初めての水中高速試験艦は、排水量約200トン、艦首に
45cm魚雷発射管3門を装備し、A標的の拡大型とも言えるもので、船
体の接合部には全て溶接が使用され、水中での高速力を得るため魚雷
を大型にしたような形状をし、横舵操縦の単殻方式とした全艦複雑精
巧な精密機械の如き設計であった。
動力には、A標的で成功した特A型電池を改良した新型の軽量で大
容量二次電池「特B型」と小型軽量の1,800馬力電動機を採用、推進器
には魚雷と同じ二重反転式を採用した電気推進艦であった。
当初の計画では、独国の ダイムラー・ベンツ600馬力ディーゼルを搭載、水上
18ノット、水中25ノット、の速力を目標としたが、この予定した電池充電用
ディーゼル機関が輸入不能になり、敢えて国産の 300馬力小型ディーゼルを
搭載して完成した。
昭和13年8月、呉工廠の全休日の閑間を狙い隠密裏、海上に浮上さ
れ極秘の中、昭和15年まで繰り返しあらゆる試験が行われたが、成績
は予定の計画を下廻る水上13ノット、水中21.3ノットの速力であった。
これは主機関変更での出力低下による二次電池の充電不足によるも
のであり、又減速歯車匡の潤滑法が不適切な点に因を発した焼き付け
事故にもあった。
本艦は構造が余りにも複雑過ぎ、整備が困難な事や、走航試験では
凌波、耐波性共に満足出来るものでなく、さらに視界不良などの難点
が指摘されたが、しかし本艦は実用性を無視した実験艦であり、これ
に改良を加えることで、多少の波浪にも堪え十分に行動出来る可能性
を確認した。この様に、画期的な水中高速潜水艦としての着想に基ず
く試験艦の目的を十分に果たした本艦は、昭和16年夏、艦籍に編入さ
れる事なく極秘裡に解体された。
而して、この第71号艦こそ列国に先駆けたものであり、又この実験
で得た貴重な実績は、我が海軍での水中高速艦の発展に大いに貢献し
戦争後期に建造された潜高型(伊号201型)に活かされたのは言うまで
もない事である。
此処で興味深いのは、水中で高速を要求される今日の潜水艦が魚雷
を大きくした涙滴型の、一軸艦に変貌しているのを見るとき、本艦の
構想が如何に先んじていたものかと思わざるを得ない。
試作 71号艦
試作71号艦 昭和13年8月21日竣工 昭和16年入籍せず解体 呉工廠で建造
C 潜捕型(伊351型)
昭和16年度戦時建造計画の内(通称丸追)で3隻の特殊潜水艦が計画
された。この潜水艦は従来型の様に攻撃を目的としたものでなく、前
線への補給を主任務とする前例のない大型艦で、略称「潜補型」と呼称
された「伊351型」潜水艦である。
昭和17年9月に艦型が決定されたが、特殊な構造を要求される船体
のため更に長時間の検討を必要とし、昭和18年5月呉工廠で起工され
昭和20年1月28日、一番艦の「伊号第351潜」が竣工した。
二番艦「伊号第 352潜」は19年4月に進水したが、工程90%で空襲の
ため沈没、三番艦は戦況の悪化により、起工される事なく建造が中止
され結果的には「伊号第351潜」一隻だけが就役した。
本艦型の計画時には、太平洋上で米主力艦隊との決戦が想定されて
おり、その進攻してくる米艦隊を、飛行艇による遠距離哨戒で早期に
発見し、迎撃或は襲撃態勢を整えようとするものであった。飛行艇に
洋上で航空燃料や爆弾、魚雷等の消耗品の補給さらには搭乗員の交換
も行なうための、補給中継基地ともいうべき大型潜水艦を計画した。
然し実際には戦局の変化により飛行艇への燃料補給は実験のみで、
洋上補給装置は装備される事なく、離島航空基地に対する補給用に一
部設計変更され完成した。
本艦の最大の特色は、軽質油運搬潜水艦、即ち高オクタン価の航空機用
ガソリンを500キロリットル搭載する事で、其の軽質油の漏洩防止又漏洩による
危険防止、特に戦闘時の爆雷攻撃の衝撃による艦内への漏洩は致命的
なものであり其の対策には慎重を極めた。
これには外殻と内殻の間に隔壁を設け、其の中殻ともいうべき隔壁
と外殻の空間を軽質油タンクとした。このように軽質油タンク部分を
三重にした特殊構造の潜水艦は世界にも類例を見ないものであろう。
計画時の輸送物件は、軽質油500キロリットル、250キロ爆弾20個、91式魚雷
15本その他各種機銃弾などで、4000トン級揮発油運搬艦の半分くらいの
補給能力を有しており、排水量は 2,800トン強に達し、当時建造された
最大の潜水艦であった。
なお建造中に 14センチ主砲を撤去し、8cm迫撃砲の装備など、再度の
設計、変更により若干排水量が減少し竣工したが、この潜補型潜水艦
の使用目的に、一貫したものが無く、安易に変更を重ねた結果、就役
を遅れさせ、戦力としての貢献には見るべきものが無かったのが残念
な艦型である。
潜補型(伊351型)
伊号第 351 昭和20年1月28日竣工 昭和20年9月15日除籍 呉工廠で建造
伊号第 352 昭和19年4月23日進水 昭和20年6月22日沈没 呉工廠で建造
伊号第 353 未起工
伊号第352は工程90%で呉工廠で被爆沈没。