2 ハワイ海域と米西海岸
@ 伊号第6潜水艦(巡潜2型)
昭和16年11月初めから、軍港横須賀に集結していた第1、第2潜水
戦隊の潜水艦11隻は、11月16日から21日にかけて演習を装い分散して
母港を後にしていった。その第2潜水戦隊、第8潜水隊のなかの一艦
に「伊号第6潜水艦」がいた。
出港後間もなく「当直員を残し全員集合」と艦内スピーカーが鳴り
出し、不意の集合にザワメク乗員に、艦長よ訓示があった。「日本は
米国に対し宣戦布告をする、本艦はこれよりハワイ哨戒海域へ向かう」
と、艦内に一瞬緊張が走った、しかし、それはすぐに歓声に変わった。
当時の第2潜水戦隊は、特設潜水母艦「8さんとす丸」に伊号第7
潜水艦を旗艦とし、第7潜水隊(伊号第1、2、3潜水艦)、第8潜水
隊(伊号第4、5、6潜水艦)の巡潜型で編成されていた。
横須賀を出撃後は、12月8日に予定されている真珠湾奇襲攻撃の先
遣部隊として一路ハワイ諸島オアフ、モロカイ、カウアイの各島付近
の散開地点に急いだ。任務はハワイ方面の米艦隊の監視と邀撃、また
日本軍の奇襲攻撃で撃ちもらし、逃げ出してきた米艦船を討ち取ろう
と言うのである。
12月8日の奇襲攻撃は大成功に終わった、しかし肝心の空母が不在
で撃滅することが出来なかった。それ故、第2潜水戦隊は一ヶ月余り
もハワイ付近に残り米空母艦隊の動向を探っていた。果たせるかな!
昭和17年1月12日夕刻、伊号第6潜水艦はハワイ南西500カイリ
で探し求めていた米空母発見!「主力大型空母サラトガだ」すかさず
艦長の号令が飛ぶ「魚雷戦用意」、敵はなにも気付かずに15ノットの
速度でにのんびりと航行している、好発射位置を狙いサラトガと並航
する。
巡潜2型の伊号第6潜水艦は水上速力21ノットまで出せる、十分に
追い越すことも出来るのだ。「目標、空母、距離4,500、速度15ノット、
艦首発射管4、発射用意」しかし発射管4本のうち一本が故障だ、艦
首発射管3本に決め、艦長は潜望鏡で好機を狙う。
「よう〜い、てぇ!」3本の魚雷はサラトガ目指し突っ走る、艦内に
走る静寂のなか秒針が時を刻む音だけが響く、時をおいて「かぁ〜ん」
という甲高い金属音、続いて「グワ〜ン」爆発の轟音が伝わる。
「命中だ!」。
3本の魚雷のうち1本が「サラトガ」の左舷中央部に命中、爆発は
船腹をえぐり缶室3つを浸水させ、修理に4か月を要する損傷を与え
た。撃沈は出来なかったが「伊号第6潜」の初手柄である。
A 伊号第26潜水艦(乙型、伊15潜型)
昭和16年11月19日、伊号第26潜水艦は、横須賀に集結していた第1
潜水戦隊の寮艦と別れ一足先に単艦、母港を後にした。任務は真珠湾
奇襲攻撃の先遣隊として、北方海域の要地偵察後ハワイ方面の米艦隊
監視および邀撃であったが、乗組員には防諜を考慮して出港後に知ら
された。艦長の訓示は「12月8日を以てアメリカと開戦する、しかし
その前に中止の電報が入ったら直ちに帰投せよ」というものであった
が、「そこまで行って帰れるか!」今まで猛訓練の成果を目にものを
見せんと、艦内の意気が挙がった。伊号第26潜水艦(伊26潜と省略)は
一路北方海域に向け北上を続けた。
この、伊26潜は開戦劈頭より商船8隻撃沈、1隻撃破、ソロモン戦
では米空母サラトガを撃破、米軽巡ジュノーを撃沈するなどの活躍を
した武功高い潜水艦である。ここでは、そのうち開戦早々に挙げた、
米輸送船撃沈の一番手柄の話をしよう。
出港後一週間も経つと、すでに警戒海域である、日中は潜航し夜間
に浮上、水上走航をしながら電池の充電を続けてきたが、北上するに
つれて外気の温度は極度に低く、零下30度にまで下がった。目前にア
リューシャン列島を見ながら、北方海域の要地偵察を開始した。
最初にアツッ島、つづいてキスカ島に潜航して近ずき潜望鏡を上げ
観察するが異常なし、次にアダック島、最後はダッチハーバーの湾内
を潜望鏡偵察をするが特別な艦艇も在泊せず、何人かの警備兵が見え
るがさして緊張感もなし、日本艦隊の奇襲には気付いて無いようだ。
安堵を胸に、偵察任務を終えた伊26潜は予定配備海面の米西海岸に
向け舵を南東にとった。南下するにつれ今度は逆に温度が上昇し始め
北方海域を抜け出したことが気温で判った。
12月2日、「新高山登れ」12月8日を以て開戦をすると言う暗号電報
を受信、いよいよ戦争だ!緊張感高まる中、伊26潜は南下を続ける。
12月7日、サンフランシスコ沖480kmに米輸送船を発見、まずは
手始めに撃沈しようと勇み立ったが、まだ開戦の通達を受けていない、
敵に気ずかれぬよう追跡をしながら相手の針路と速度を計測、日没を
待って浮上、夜間洋上を高速走航し先回りをして機会を狙う事にする。
12月8日早暁、計算違わず、明るくなるにつれ昨日の米輸送船が、
艦尾方向水平線上に現れてきた。0230(日本時間、午前2時30分)総員
戦闘配置に付き、潜航して攻撃の時期を計る。潜望鏡深度にて、米輸
送船の船型、武装の有無などの詳細を観察、武装が無いのを確認した
艦長は、浮上し砲戦で沈めようと決めた(当時、日本の潜水艦は高価
な魚雷の使用に規制があり、商船、駆逐艦などでは1本、戦艦、空母
などの主力艦のみに全斉射6本が許されていた)。
12月8日0330(午前3時30分)、ハワイ時間7日0730、開戦の時刻で
ある、艦長は急速浮上砲戦を発令「メインタンク、ブロー」伊26潜は
海面に浮き出るや否や、ハッチが開かれ、飛び出した砲員は艦首の砲
に取りついた。一瞬の出来事である、「射撃開始!」米船との距離約
千メートル、至近距離で並行しつつ左砲戦で射撃、初弾は無警告攻撃
を避け、威嚇の意味で標準を遠方に発射。
米船からは乗員がボートで脱出するのが目視できた、続いて狙いを
定め数発発砲、輸送船の艦橋付近に火災発生するが、沈没のようす無
し。乙型潜水艦は14cm砲を主砲としており、軽巡のそれと大して変わ
らず、1門だけの破壊力を見れば駆逐艦よりも大きい、普通の商船な
ら数発で撃沈できるはずなのだが!更に、20数発射撃後、船体が傾斜
しながら沈下するを確認。
米船は当然「SOS」を発信してるだろう、それにより敵の駆逐艦か
飛行機にでも来られては面倒、これ以上の長居は無用と沈没するのを
見ず潜航しこの場を離脱した。
この船は、米国陸軍徴用の貨物船シンシア・オルソン号2140総トン
で、米軍が駆けつけたときは、まだ沈まずに横倒しのまま浮いていた
という。これが太平洋戦争で、日本潜水艦が敵艦船を撃破した初手柄
第一号であった。
B 伊号第168潜水艦(海大6型a)
昭和17年6月5日、ミッドウェー海戦で連合艦隊の航空戦隊は思い
もよらぬ不覚をとり、真珠湾攻撃の精鋭、第1航空戦隊、赤城、加賀、
第2航空戦隊の蒼龍、飛龍を一挙に失う大打撃を受けたのである。
日本海軍は、米海軍の拠点ミッドウェーを攻略、米機動部隊を誘い
出し一挙に撃滅せんと5月27日、連合艦隊の総力をあげて瀬戸内海の
桂島を出撃した。
第1航戦と第2航戦を基幹とする機動部隊は6月5日ミッドウェー
西方230浬の地点に到達、攻撃隊を発艦させたが、すでに暗号解読
により日本軍の来襲を察知していた米機動部隊は、第一次攻撃隊の収
容時期を見計らい襲いかかって来た。
奇襲を受けた航空戦隊の赤城、加賀、続いて蒼龍が大火災を発して
戦闘不能、0730(日本時間午前7時30分)ただ1隻だけ残って奮闘する
「飛龍」に、「筑摩」索敵機から米空母群の正確な位置を知らせてきた。
この報に接し、第2航戦司令官山口多聞少将はただちに敵空母攻撃
隊を編成した。
0758、小林大尉を指揮官とする99艦爆18機、零戦5機からなる第一
次空母攻撃隊を発艦、0910、艦爆隊は敵空母ヨークタウンを攻撃、大
火災を発生させた。
1031、収容した第一次ミッドウェー攻撃隊のうち、稼働可能な残存
機のすべてを集めた、97艦攻10機、零戦6機の第二次空母攻撃隊を発
艦させた。97艦攻雷撃隊は、さらにヨークタウンを攻撃、魚雷命中さ
せ航行不能に陥れた。この空母にとどめを刺したのが伊号第 168潜水
艦である。
「伊号第168潜水艦」は第3潜水戦隊、第12潜水隊に所属。昭和17年
5月23日、ミッドウェー攻略作戦の先遣隊として第3潜水戦隊旗艦、
伊号第8潜水艦と第11、12潜水隊の寮艦5隻と共に呉を出撃した。
伊 168潜の任務は、ミッドウェー島の飛行場を艦砲射撃し、米機動
部隊を誘い出すと言うものであり、6月5日、同艦は作戦どうりに敵
飛行場を主砲50口径88式10cm高角砲で数発射撃後、潜航退避した。
しかし、その頃すでに味方空母3隻は戦闘不能に陥り唯一隻、飛龍
のみが奮闘、敵空母ヨークタウンに打撃を与えていた。その飛龍も、
1403、突如、真上から敵急降下爆撃機、数十機の爆撃を受け被弾炎上、
空母なき残存の機動部隊は、夜戦を決意し追撃せんとするが艦隊司令
部はこれを静止、攻略作戦を中止反転を命ずる。
6月7日早朝、第3潜水戦隊司令官より、飛龍の攻撃で損傷を受け
退避中の「敵空母を捕捉撃沈せよ!」の命を受けた伊 168潜は直ちに
行動開始、まもなく曳航されてる敵空母ヨークタウンを発見した。
だが空母の周りには駆逐艦数隻が護衛している、即攻撃とは行かな
い。敵は曳航しているため速度は鈍い、雷撃の好射点を狙い奮闘する
こと9時間、3ノットの低速で機会を狙う。
1000(午前10時)頃、駆逐艦の護衛網をかいくぐり、わずか 900メー
トルの近距離まで接近。
前部発射管全4門「発射用意」続いて「射(テーッ)」の号令で4本
の魚雷が射ち込まれた。
伊 168潜は急速潜航、深度70、潜航安全深度ぎりぎりで身を潜める、
轟音1発、続いて2、3発、4本発射の内2本は、空母左舷中央部の
艦底近くに命中して大穴を開けた。後の1本は空母に横付けしていた
駆逐艦ハンマンに命中、これを撃沈した。ヨークタウンは深い部分の
破口から高い圧力で海水が一気に缶室まで浸水、沈没。
その直後より、怒り狂ったような駆逐艦の爆雷攻撃を半日以上も受
けたが、沈着冷静な名艦長、田辺弥八の操艦により虎口を無事脱出に
成功、見事に帰還した。
これはミッドウェー海戦で日本海軍が挙げ得た唯一の戦果であり又
潜水艦が敵空母沈めた初手柄でもあった。伊 168潜はその後ソロモン
戦でも、米重巡チェスターに再起不能の損傷を与えている。
C 第7潜水隊と伊号第25潜
昭和16年12月8日、ハワイのオアフ島とカウアイ島の間に配備され
て開戦を迎えた第7潜水隊の伊号第1、2、3潜水艦の3隻は、同じ
監視任務に付いていたが、真珠湾攻撃後には、第2段作戦として湾内
の敵艦船を誘い出すため、16年12月31日ハワイ諸島の要衝に艦砲射撃
を加えた。
伊号第1潜はハワイ島ヒロを砲撃、伊号第2潜、マウイ島カフルイ
港を砲撃、伊号第3潜はカウアイ島ナウィリウィリ港を砲撃。12月末
に監視区を引き上げるまでに、カウアイ海峡に潜航し商船など船舶3
隻を撃沈の戦果を挙げた。
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昭和17年9月9日、伊号第25潜水艦は米国西海岸のオレゴン州の沖
にいた。「急速浮上、飛行機射出用意、メイン.タンク.ブロー」の
号令で、潜水艦は闇の洋上に浮上する、ハッチから飛び出した乗員は
真っ暗の中無言で、丸い長い格納筒から、胴体、主翼、プロペラと、
分解された部品を次々と引き出して、カタパルト上の胴体に手際良く
組み付けていく、この間に艦長より飛行命令を受けた搭乗員、藤田信
夫飛曹長(操縦)奥田兵曹(偵察)は挙手の礼を交わし座席にすべり
込む、最後に尾翼を組み立て完了とともに整備長の合図で、発動機の
試運転開始、この間約7分の出来事である。
ウオームアップが出来たとこで「発射用意 テーッ」で射出された
零式小型水偵は真っ暗闇の洋上に吸いこまれるように消えていった。
この米西海岸オレゴン州、山中への焼夷弾夜間爆撃は、小型水偵で
あったが、唯一の米本土爆撃として知られている。