
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3921/diary.yyyymm.html#mmdd??
_ダウナーなときはダウナーなことを 書くのがいいでしょう。づしの森のMK2さんの日記の最近のあたり。 すごく自覚があるので。
_私は何か書きながらでないと、 自分の意見をまとめられないことがあります。いや、主張の矛先が確定しない。 紙やディスプレイに意見がまとまる前のものを出力して、場所を変えたり挿入したり 削ったりしてゆくにつれて、自分が感じていることが言葉としてはっきり意見に なってゆくきがします。下の文章だって、最初書き出した ときは「そんな教科書作ってはしゃぐ方が問題」だとまでは意識できてなくて、最初の 段落で言い足りないと思ったときああ、騒ぎの元凶にまで言及しないと不公平だと 気がつきました。なので自分の書く文章にかんして「あんたが主張したいことじゃ ないだろう」と感じられるとすれば多分それは、そうやって組み上げていった 理屈パズルみたいな文章に筆者(あたし)の一貫したテンションが通っていない、 あるいは顔が見えてこないためだと思います。言い換えれば、ある文章を書きはじめ たときはそれはまだ自分の主張したいことが盛り込まれてないんです。
_そんな論文みたいな書き方せんでも よかろうと自分でも書いててよく思うのですが、「書いてると、筆が走っちゃって」 という状況がなんか好きな身としてはこればっかりは、止まりません。そして ここでいう筆が走るとは、例えば数式をいじり回しているうちにはっとその裏の 世界が見えたりするので数学が楽しい、というのと内的動機としては同じです。 紙の日記帳につけてる日記もあるのですが、同じことが頻繁に発生していて日記の体を なしていません。
_「自分の意見を見出していく過程」 が素直に出せるのはむしろ会話体です。けど、いくらなんでも日記と銘打った とこでやると怖いので(^^;;;
_一般に、他所の国の義務教育の教科書に 文句つけること自体どうかと思うけれど、でもそれに対するこちらの対応も相変わらず 腰抜けである。前向きってどっちの方向だ。何を検討するつもりだ。そうやって主語を 濁して誤魔化してるから馬鹿にされて何かにつけケチつけられ続けることになるのだ。
_もちろんもっと問題なのはやるべきこと
放ったらかしておいて相手が顔しかめるような教科書作ってはしゃいだりすること
の方なんだけどね。他人にどう見られてるか自覚できてないのに自国を喧伝して回る
のは誇りでもなんでもなくて、頭の悪そうなただの誇大妄想である。同じ国民として
恥ずかしいので止めてほしいんですけど。
※こんなところで私ごときに馬鹿にされたくなかったらちっとはマシなもん出してほしい>つくる会
_たまに性格診断の CGI で悪戯して みたりすることがあります。今日のターゲットはご存知エゴグラムによる性格診断です。 『まじめにやれば納得するほど良く当たる』そうですので、本当に真面目にやってみます。
_まず設問を真面目に見るわけです。
もちろんこれらの項目はみな人間心理に対しては「言われてみれば、そうかも しれない」と思わせるものばかりな(身近な設問である)わけです。つまり逆に、 軽く読み飛ばさず、ほんとうに真面目に考えれば答えはすべて「どちらともつかない」 になるはずです。人間は判断する生き物であって、それは「もう判断しない、 思考停止しよう」というのも一つの判断であるような超越性を持っていますから、 一般に「〜しますか?」と訊かれた場合、その答えは「する場合もあるし、 しない場合もある」でしかありません。なので居並ぶ 50 問全部に対して 「どちらともつかない」が選択されます。
_結果が得られました。 きわめて当然のことが書いてあります。努力しなければ落ちこぼれるのは普通、 当然のことであり、またきらりと光るものを生み出すためにはやはり努力が必要 なのは通常、当然のことです。結婚後に相手のほんとうの良さが見出されるというのも 当然のことです。この結果、この性格診断からは「真面目に考えれば普通に 生きやすい」という主張が読み取れます。さて、ついでにこのタイプ「オールB型」 どうしの相性を見てみましょう。
_判断を投げられてしまいました。 今日の悪戯は以上です。
_洩れたてのコーヒーにカルーアを
落してもあんまり面白くなかった今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
※いや、寒かったんで。
_今日のびよらジョーク
セカンドばよりん「高層ビルって火事とかで閉じ込められたら怖いよね。それ想像
すると行けなくってさ」
ファーストばよりん「うんうん、でも怖いとか思っても、用事があれば登んないといけないじゃん」
ちぇろ「俺はいつも非常口の場所とか脱出シュートとか確認してるから安心」
びよら「みんな心配症だな。そんなの上から飛び降りれば助かるよ」
べーす「別に構わないけど、俺の上にぁ落ちてこないでくれ」
_普段使いのメールサーバが Linux になりました。
_/usr/bin/emacs ってのがが存在します。 もちろんそういうもんだと知ってはいたんですが、実際にそれを使わなければならない状況になるとある意味感無量です。
_/etc に last (実行ファイルが、だよ) がある HPUX 以来の衝撃かも。HPUX は、中途半端な SYSV 臭さがなんともいえない 味を醸し出していますけど、Linux はなんかこう、直截的な感じですね。
_宿酔いの状態でヴァージョンアップ
しようとすると miniroot から binary set を置いてある /home に fsck かけて
3 時間ほど無駄にするということがわかりました。
※ついでに、fstab を間違えて / を readonly でマウントしちまってどうしよう
かと思った。
★Janacek:"Idyll"、"Suite for String Orchestra" ほか/ロンドン祝祭管(Arte Nova)
_ヤナーチェクは出来不出来の激しい 作曲家だと思っています。どっちかっていうとオケ曲はどうでもいいんじゃんっ てかんじなんですが、この初期の弦楽合奏曲二曲(および管六のための“青春”) は冷静に聞けばたんに若書き以上のものではないでしょう。それでも、 そこに何となしによさを感じてしまうのはもちろん私がそういうのが好きだからです。 オペラはですね、「牝狐」とか聞いたんですが。多分言葉の面白さなんだろうと思う 場所が多くて。「消えた男の日記」だと内容が内容だけにまだ判るってところです。
_ファンサイトなんてのを見つけました。 「草陰…」のハルモニウムでの演奏があるらしいです。激萠え(←こら)
_awk で計算したのと Rで計算したのと標準偏差の値が違うなと 思ったら、よく考えたら R のは不偏分散なのでした。
というわけで、現在、つくばセンターから大学中央までのバスの運行間隔の平均と 偏差はそれぞれ約 8'48、6'22(平日、学校日、栗原経由土浦行のバスなど、もっと 先にいく奴ははぶく)ほどです。平均9分弱なのに、ランダムにバス停に行くと20回 に3回は15分以上待たされるって結論はどうかと思うんですが。
_谷山浩子の「SAKANA GIRL」を数ヶ所 変えると「MAGURO GIRL」というえげつない歌になります。
★最近びっくりしたこと
_find-file で hogehoge.csh という 新規ファイルを開いたら頭に
#! /usr/local/bin/tcsh -f
とか self-insert されてびっくり。tcsh ユーザなことがばれてしまいました。 だって綾波のカタログが。だいたい csh スクリプトなんて数年ぶりに作ったんだもの。
_executable.el の中身を見てみます。 どうも $SHELL からぶっこ抜いてくれてるみたいなんですが、中でかなりややこしい ことになっています。オーバーレイドしたいんですけど、どうすればいいんでしょうか。
_というわけで、土曜日はのと鉄道に 行っていました。おどりこの定義では東海道線の下り夜行というのは小田原で捉 まえるものだったのですが、今回ばかりはそれは神領車に失礼なので品川から 乗車し、車両に対して古いとかケチつける不遜な輩を片っ端から車外放出の刑に 処しようと思っていたのですが激混みだったので止めておきました。しかしメイン だった方が廃止になるなんて皮肉です。乗客層や駅でのお別れイベントの 雰囲気を見る限り、たぶん輪島の人に取って鉄道は「他所者がおらが町に金を落しに やってくるための道具」のひとつだったんじゃないかと思います。そういう感覚 だから三セクになったあともさしたる増発もせず、観光客がそれを使わなくなっ て駅前付近がさびれたと判るやとっとと潰してしまおうなどと考えはじめるわけです。 そのうち北陸新幹線ができて、観光客が七尾や和倉温泉からでなく金沢から直接 バスで来るようになれば残りの部分も、現在の七尾線でさえ早晩似たような命運を 辿らされるにちがいありません。車窓からは普段、荒波砕ける太平洋を見慣れた目 には湖のように映る七尾湾の風景の手前に国道脇の中古車屋や廃車解体場、どこに でもあるはずのカラオケボックスが目につき、人が集う場所であったはずの輪島 駅前にはコンビニが見つかりませんでした。私は鉄道に乗りたいというのはもちろん、 その地方を感じさせてくれる風景を見、その土地の人の生活を垣間見るのが好きで 旅しているので、仕事の用以外で輪島に行くことは多分もうないでしょう。
_で、ついでに浅野川線と福井鉄道 (全線じゃないけど、とにかく急行に乗りたかったので)にも寄ったので時間が取れず、 あのへんの駅そば/駅うどんは好きなのに一食もできないまま上りのながらで カロリーメイトを噛っていた次第です。夜行の車内で i-mode でボタンを打つ音は 私にとってはかなり耳障りです。えぇ、耳がいいもんで。
_あと、武生の駅そばに「珍々飯店」 というのがあったことをついでにご報告いたします。_先週は下北交通に行っていました。 平日昼間から鈍行を乗り継ぎ、帰りの室蘭からのフェリーの雑魚寝で寝っ転がって 岩井克人の文庫本読みながら自律型アンドロイドが普及したら資本=労働力原則が 不成立で古典経済学食い上げだな、でもそうすると単純労働はみんな機械がやるよ うになって例えば大畑線のキハ22をマルチやちぃが運転していて激萌えとか 考えていたので駄目駄目です。
_文化だの伝統だの大東亜戦争だのの前に、
日本はすでにアメリカの属国にすぎないことにまだ気づいてないらしいが>野呂田さん。
※戦前文化を思いだすついでに、何で負けちゃったのかもっとよく考えようね。
単にアメリカが強かったからだよ(今でも)。
★text/html はテキストファイルの巻
…いくらでも笑ってやってくれ。畜生…
_検索エンジンの使い方としてすでに 一般的になっている利用法に、分からない概念を調べるというのがあります。 「プッチモニ」や「IT革命」は広辞苑にありませんし、kondara MNU/Linux なんてのは百科辞典に載っていません。「浅茅生の小野の篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき」の作者が誰だったかも一発で判ります。 ちなみに参議スーパーひとしくん人形の作です。数名の辞書編簒者によって選択された 概念に対する説明文ではなしに直接、その概念が使用されている現場に 当たることができるわけですから、検索エンジンによってデータベース化された 全世界のオンライン・コンテンツの総体は当然、例えばごきぶりについて 「触るとくさい」とか書いてあるような辞書より優れているでしょう。
_さて、ここで問題にしたいのはそんな データベースの精度です。私たちが使う大部分の言葉はふつう、長い歴史の間に その意味やニュアンスを純化され淘汰されてきたものたちです。しかしながら、 私たちが使うすべての言葉がそうであるとは限らないのです。例として 「ホームページ」という単語を考えます。恐らく検索エンジンでこの単語を検索 すると「私のホームページへようこそ」などと<H1>でくくって大描きされた コンテンツの大群を目にすることができます。ちなみに今 google で検索したら約 6,360,000 件ひっかかりました。先頭を切って出てきた項目は「文部省 INDEX」です。 古すぎです。一方、ここに一群の人たちがいて、例えばホームページ という概念についてその本来的な意味を啓蒙しようとしたとします。そうすると どうでしょう。いくら「ホームページとは UA を起動したときに最初に表示される コンテンツのことだ」あるいは「あるサイトの“入口”のコンテンツのことだ」 とインターネット上で喧伝したところで、いざ検索エンジンが知っている六百万もの 具体的な「ホームページ」の用法の前には焼け石に水です。例えば検索エンジン の巡回ロボットにもう少し認めて貰いたかったらこんなふうにすればいいのですけど、 (*1)
なんて並べたところで「人生のホームページの更新」なんてのがコンビニで 流れるこの御時世ではこういうのは電波系サイトか何かにしか見てもらえないでしょ う。それはそうとこれ、どれくらい上位に食い込めるかな。
_言葉の使い手である私たちが今、 ある単語の汎く使われている意味、つまり文脈ですが、をすぐに知ることができる ようになったとします。つまりここでいう検索エンジンですけど。そして、 それによって自分の言語世界を再構築していったとします。そうすると言葉の意味は その語源、由来、構成要素の意味をしだいに離れ、より民主的、一般的なものに 変化してゆくでしょう。そうなると言葉はそこで、それが使われている世界に 従属するものとなってきす。例えば世界の変革ではなく、世界の肯定。告発ではなく、 従属。脱構築ではなく、記号化。そこに残るのは体制的言語あるいは居酒屋の 愚痴ないし便所の落書きでしかないだろうというのは私の僻目な予想ですが、実際、 そうならないと断定できる根拠もないだろうと思います(2ch なんか、そういう 文章がほとんどだと感じる)。今述べたような言葉の意味の淘汰は何も検索エンジン 特有のものではなく、権威ある辞書や国語審議会によっても成しえることですが、 いざ相手が検索エンジンであるとその向うには顔の見えない群衆一人ひとりが自らの 言葉を模索してさ迷っている姿しか見えてきません。何かを悪者にして済む問題 ではないのです。検索エンジンは言葉の意味の淘汰を(しばしば、望むべくもない 方向に)加速させただけです。淘汰してしまうのはあくまで使い手である私たち なのですから。
_多分私たちにできることはただ、 自分の使う言葉の意味と文脈に対していつも自覚的であることだけでしょう。 それは決して自分だけに通じる言語世界を構築することではなく、他人の世界を 否定することでもありません。他人の文章を読むときは他人の文脈で読めばいいの です。それは感受性が高ければ難しいことではありません。まあ、有体な結論を 言えば、検索エンジンで意味を調べる時には、それが本当に正しいかどうかちょっ と考えてみるのがいいのではないかと覚ゆることこそものぐるほしけれ。
(*1) この議論は、例えばキーワードを META に放り込んだりしたとしても 本質的にはかわらないです。
_root になってファイルを全部消しちゃっ
た時、人は UN*X システムでの一般ユーザのありがたさを実感することになる。
※アーカイブから抽出しなおして 5 分後にもう一回。疲れてたんだね。
_皮をかぶった gcc であるところの
egcs の f77 なんですけど、最適化で実行形式がどれだけ「軽く」できるでしょう。
いや、C で書き直せってのはなしで。
※どうも I/O とか、プログラムの本質じゃないところで重くなってるきがする
_今日作ったカーネル。まだ 1.4.2 ですけど。
% uname -a NetBSD ***.***.***.*** 1.4.2 NetBSD 1.4.2 (MIZUKA) #3: Fri Jan 26 16:02:54 JST 2001 root@***.***.***.***:/usr/local/src/sys/arch/***/compile/MIZUKA ***
(一部伏せてあります)。これでいつだって長森と一緒。瑞佳瑞佳〜(ばき)
_今日の馬鹿げた tips:
CD-ROM ドライブというのは、中にメディアが入っていないと mount できない。
※ついでに、惚けていたのでカートリッジに入れずに直接突っ込みそうになりました
_うわーんあかぎれが痛いよう。 皮膚が弱い人のことも考えてくれ>このへんのからっ風。おかげでメンタームと オロナインが離せません。
_柏の新星堂のクラシックのコーナー は昔からコンパクトな割に品揃えがよくて好きな店です。正月にそこでボロディンSQ/ ちゃい子の四重奏全集(93年の新録)買いました。以前ビクターで国内盤で出てた 旧録を覚えている身からすると「このグループってこんな音だったのかしら」 という印象です。面子が変わったせいなのか(旧録はいつの録音だったけ)、 機材のせいか歳のせいかってとこですけど、以前あったそこはかとないロシア/ソ連 臭い音色は薄れてる気がする(弾き方はロシア弾きなんだけど)。テルデック(ドイツ) のプロデューサが作るとアルバンベルクだろうがどこだろうかこういう音になるの か、ソ連邦崩壊でそういう臭いが抜けつつあるのか、もとからそんなものはなかっ ただけなのかは判りません。
_何か終っちゃうと気が抜けるね。 だいたい年末年始なんて楽器弾くくらいしか面白いことないもんさ。それはそうと センターの21世紀カウントダウンの会場に即席のお社が作ってあったのはどうよとか 思わないでもなかったです。別にいいんだけど。
_というわけで、紀元2661年おめでとう ございます。
_何か日付が開いてしまったのですが、 数日前に急遽喪中になってしまったのでとりあえず年賀状は出しません。どうせ 出す気もなかったんだろうって。もちろんです。だいたい、出さなきゃいけない と思うから出さなきゃいけなくなるのです。出さなくてもいいと思えば(違)
_で、昨日バイトでハマったのが Perl 5.6 の make なんですけど。miniperl が Bus Error でコケるんですけど。 コケずにできたと思ったら今度はちゃんと @INC 下に存在する Glob.pm が存在せん とか言うて installperl がコケるんですけど。5.005.03 まではすんなり 行くんですけど。古い perl 使って手でインストールしてみようかしら。
_「フォークソング」の八雲意宇さんが とり・みきと WA の原田宇陀児さんと合作で出したハードカバーの詩集を買う 夢を見ました。
_桜の友朋堂 ができて以来、部屋の積読本や積読まんがが増える一方なのでとても困っています。 その手前にあるバーミヤンはときに自炊の意志を喪失させるため、これも困った 存在であるといえます。さっき一人でレバニラ食いながらやっと見つけたあずまんが 大王の二巻読んでたおどりこはもっと困った存在だったかもしれません。その前に 石丸で買って鞄に入れた「かのうぉ」の存在を忘れて、です。
_未使用BGM。うーん、やっぱ未使用っ てかんじの曲ですね。暗すぎて没になった曲とかないのかしらん。
_ふと気になったのでgoogleで「おどりこ」を検索。結果、 トップに注意書きなんぞ追加してみましたが、 「ドラクエ」と書いた時点で逆に検索エンジン経由のヒット率が上がりそうです (←また書いてるし)。
_年々、風邪が治りにくくなっている と思うのは歳のせいでしょうか。まだ声が復活しないもんな…
_声が出なくなるのは飲んで騒ぎすぎたり とかも含めて何回か経験してるんですが、手話やっときゃよかったとそのたびに思い ます。他の人が読めなきゃ意味ないんだけど。何が一番困るかって、会話中にぽんぽん 駄洒落を入れられないのが嫌ですね(そんなことで困るな)。文字だと途中でオチが 判っちゃうし、ちゃんと発音できないと聞き返されたりして面白くないんです。 話下手な噺家が存在できないのと同じで。そう考えると ONE の澪なんか多分駄洒落が 全然通じないキャラなんじゃないかと思います。その点長森は普段から鍛えられて いるので(以下250行省略)
_ビールなんて久しぶりに飲んだわい。 てなわけで毎年恒例残響ゼロ交通不便入口に禁酒禁煙と書いてあることで知られる 土浦市民会館の音響と闘う会が終了しました。C 線の巻線がはがれて昼休みに新品に 張りかえるハプニングがありましたが、ステージ上があいかわらず暑かったことを 除けば大したこともなく。土曜の朝から別な練習を入れてたので2日間弾きっぱなし でしたが、最近そういうパターンが多いのでスケジュールは分散していただけると ありがたい、って練習入れたの俺か。土響のみなさまお疲れさまでした。
_そのあとで駅前のバスターミナルで寝てて
一本のがしました。目の前にしばらく停まってたはずなのに気づかないんだもんな〜。
観鈴ちんにつっついて起こしてもらえればよかったのに。
★友朋堂桜店
_やっと大学のそばにまともな売場面積の 書籍小売店舗ができました。欲を言えばCDコーナーはいらないから学術書のスペース増やしてくれ。もちろん丸善と競争させてその恩恵をこうむるつもりです。値引き ができない以上競争原理は品揃えの方に傾くしかないよ>両者。
_電波ががんがん飛んでる前回の日記の追加ですが、自分が AIR の評を書くとしたら、 たぶんそれは自分がどうしてそういうパワーを感じたかを作品を拠り所にして説明する こころみ、になるでしょう。自分が一番インパクトを感じた所から攻めてゆくっ てのは方法論としては印象批評でしかないのですが、「作品→テーマ」ってコード は前回に書いた「経験」という立場からはその一部しか説明してくれない。 もちろんテーマについて語るのは一番言葉にしやすいことだとは思いますが。 もっとも私は作品のテーマはあまり興味はないんで、そういう意味では何に対しても テーマのかわりに余計なことを読みとろうとしてるだけかもしれない。だとしても、 だからこそ、AIR に関してはそこにテーマを読み取ろうとするこころみよりは、 うまく何かを感じられているんじゃないかなと思います。
_やっと Geo に繋がった…。SINET からだと遠いか、細いかかな。
_AIR の評論を色々読むわけですが、 「作品テーマ」ってのはどういう意味なのでしょう。以下自分のための乱暴な試論 になります。まず、AIR を芸術作品と措定します。
_一般に芸術作品とは、テーマを伝える ために構築される入れものなのでしょうか。このいわば「作品→テーマ幻想」 を脱コード化するために料理の比喩を導入します。いっぱんに料理を評する時、 それは味の評価になるでしょうか。その料理のもつ栄養価でしょうか。見てくれ でしょうか。食事をする場所の雰囲気が大切でしょうか。料理人(たとえば恋人) の評価になるでしょうか。料理の存在意義がそもそも生物としての人間のエネルギー 補給でしかないにもかかわらず、です。さて、AIR に立ちかえりましょう。 そもそも AIR という作品は何だ。私には「AIR のテーマが」と語る口調からは、 料理を食べながら栄養価の話しかしていないような印象を受けます。 AIR を他の、テーマがわかりにくいものに置き換えてみましょう。メンデルスゾーン の「イタリア」のテーマ(もちろんこのテーマってのは、音楽用語でいうテーマじゃ ない)は?ベートーヴェンの弦楽四重奏第12番のテーマは?バルトークの「弦楽器、 打楽器とチェレスタのための音楽」のテーマは?テーマの大小ないしは好みの 問題に曲を還元されたら、クラシック音楽の存在意義なんてあらかたなくなっ てしまう。ただベートーヴェンが喚いてるだけ。マーラーがインポになっただけ。 ショスタコーヴィチが狡猾なだけ。つまり、音楽の reason d'etre はテーマだけ じゃない。
_ゲームを遊ぶ者をあらわす「プレイヤー」 という言葉は「演奏者」を連想させます。これは私の思い込み以上のものでは ありませんが。こういうゲームを遊ぶ時、選択肢を選ぶことをまるで演奏者が 演奏するかのように感じることがあります。再現芸術の再現者はふつう譜面なり 台本なりを見て、その中で自分を表現する方法を模索するのですが、 ゲームの選択肢を選ぶことに同じような、自己表現(誰かに見せるわけじゃないけど) を感じるという意味です。それで(作曲家の/ゲーム制作者の掌のなかで)自分で 再構築したある物語をリアルタイムに、自分で享受します。ゲームは私にとっては 「経験」です。そこからテーマという知識的なものを受けることはその経験のひとつの 断面にすぎません。
_なんか眠いのでまとめて言ってしまおう。 AIR で私が経験した最も大きなことは、麻枝さんをはじめとした Key のスタッフの パワーでした。それを何かテーマに還元してしまえば、単にエヴァった連中が叫ん でるだけとまとめられてしまう。でもそれは自分にとっての AIR じゃありません。 最後の方の、どう見ても筆が暴走してるとしか思えない荒削りなえげつない物語 がどうしてそういう、荒削りなえげつない形で迫ってこなければならないのか。 なぜあれほどまで大がかりな装置を用意して、相変わらず理解困難なしかし美しい という意味ではただひたすら美しいイメージをプレイヤーに投げてよこすのか。 もし AIR が曲だったら、つまり、上で書いたのと同じ印象を与える音楽があったら、 死ぬまでに是非一度演奏したい。とにかくそういうことです。
★万博について
_万博嫌い なおどりこなわけですが、 ネットニュースの万博がらみのスレッドで紹介されていた URI を途中まで見て焦ったのは誰にも秘密です。
_打ち上げで眠いとかゆーてたくせに 今ごろ起きて何やってるんでしょうね。これ打ってるのか。そうかそうか。
_って、今日の アンケートにも色々書かれていたのですが、印象に残ったのは以下の二例です。
_私は客席の騒音は演奏/観客どちらの 立場であってもあまり気にならないのですが、自分の音楽をどういう人に聞いて ほしいかと言われたら、無論後者のほうです。