Mejls^tono


n-ro 155
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Eldonas: SENDAI  ESPERANTO-SOCIETO
Regula Kunsido: vendrede 19:00〜20:30 (Esp-Domo de SENDAI)
『メイルシュトーノ(里程標)』 仙台エスペラント会機関紙
例会:毎週金曜日 19:00〜20:30、仙台エスペラントの家
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La 40a TOHOKU Kongreso     AIHARA   Ecuko
Kiam mi vidis la programon de la TOHOKU Kongreso, mi konsternig^is. Multe da programeroj ! Kaj c^iu programero estis tre interesega. Mi partoprenis en la fakkunsido de s-ro Matumoto kaj mi sciis la spuron de la esperantistoj, kiuj agadis en Tohoku. La granda fluo de Esperanto. Tio plenigis mian koron. Do, la fluo dau~ras ankau~ nun. Ni dau~rigas. Mi povis ricevi la energion de antau~uloj, estis tre bona kongreso por mi. Mi estis felic^a c^i tiun kongreson partopreni.
Koran dankon !
Grandaj antau~uloj.
Samidenanoj de Fukus^ima.


ロンド・マーヨのエネルギーに乾杯!
―― 第 40 回東北エスペラント大会に 70 人 ――
第40回東北エスペラント大会は,10月2日から3日(日)にかけて福島 市郊外の飯坂温泉「ホテル大島」で開かれました。地元の福島の意気込みを反映して 参加者70(うち不在参加22)人という盛況で,東北地方以外から,星田淳(北海道連 盟会長)・堀泰雄(JEI理事,群馬)のお二人の他,神奈川・東京などからの参加者 も目立ちました。外国人参加者としては,去年からおなじみのセルゲイ・アニケーエフ さん,それに昔なじみ,韓国のチェ・ユンヒ(Hortensio)さんの顔も。また, 佐藤勝一東北連盟会長の宮古短大での教え子3人の若々しい顔も見えました。
多彩な内容,開会式からパラディーゾまで
午後5時からの開会式に続き,木村護朗さんの講演「ドイツは今」。わずか30分 ながら,ベルリンへの首都移転の話などから,「壁」崩壊後のドイツの動きを実に 的確にまとめてくれました。若き言語学者の,若々しいエネルギーを感じさせる講演 でした。軽いアルコールを伴った夕食の後は,第二の講演,「北国の空に輝いた星 ―― 斎藤秀一の生涯 ―― 」は,鶴岡の佐藤治助さん。命をかけて民族の平等のために,反戦 のために闘った斎藤秀一ひでかつ の生涯を淡々と語ってくれました。 詳しくは佐藤さんの『吹雪く野づらに ―― エスペランティスト斎藤秀一の生涯 ――』 (鶴岡書店刊,2900円)でどうぞ。 夜の部はまだまだ続きます。親睦会では福島の会員有壁朋子さん他による弦楽 四重奏。続いてロンドマーヨ総出演の寸劇「かさ地蔵」。大会の準備の中でどう 練習したのか,と驚くばかり。最後に圧巻,堀康雄さんの尺八演奏まで。9時半に 始まった東北連盟総会と並行して,広い別室を確保してのパラディーゾ。 日本酒あり,スコッチあり,韓国の法酒あり,もちろんビールも沢山。開会が 翌日になったのは確かです。
まじめあり,楽しさあり ―― 二手に分かれた分科会 ――
無事に一夜が開けて午前9時から「朗読コンクール」の参加者は4名。すぐに分科会。 「会話を楽しむ」(1)初心者クラスはおなじみセルゲイさんと11名,(2)自由会話は ホルテンスィーオと木村護朗さんと共に9名。楽しい時間を過ごしたもよう。初めての 分科会「東北エスペラント界の先人たち」にはなんと21名。これには主催者側も レポーターの松本もびっくり。他地方からのベテランたちや佐藤治助さんが出てくれた せいもあるのですが,それにしても驚きました。ここで取上げたのは,新渡戸稲造・ 秋田雨雀・中田覚・淡谷悠蔵・篠田秀男・神キヨシ・菅原慶一・長岡二郎など11人で したが,話の中心は,土井英一・ツムラカツミの2人。詳細は松本まで。
SES が次回大会を招致
朗読コンクールは仙台の畠山篤志さんが優勝。次回大会はわが SES を代表して 相原悦子さんが招待のことば。連盟三役は留任。12 時半,大会は閉幕しました。 それにしてもロンド・マーヨの元気には恐れ入りました。 KORAN DANKON ! (文責:松本)
講習会を受講して、合宿に参加して     入町 秀樹   
塩釜の高等技術専門校から週一回の楽しみでやって来ています。 講習参加の動機は、月刊誌を積ん読しては、いかんと、いっそのことお金を 投資して、まとまったことを勉強しないと駄目かなという(不純な?)ことから です。第1回目は、私1人と後藤先生1人、講習会が続くのかという心配が ありました。 2回目以降、煤孫さんが加わり、互いに休まぬよう、9回まできました。 6月の合宿参加にあたって、最悪のコンディションで参加し、睡魔と闘いながらの 受講でした。たくさんの人が合宿に参加されているのかと期待したものの…、 若い参加者が多いと思い、何と最年少とはちょっと心配でした。松本先生と 萱場さんと3人で初級コースを受講しました、萱場さんの勉学意欲には感心させられ ました。投資した以上に、学べたらと思うこのごろです。
講習会を受講して       煤孫 利津子
後藤先生の御指導のもと、6月より受講におります煤孫です。 最後までついていけるのか不安な思いでのスタートでしたが、 この国際語を考案したザメンホフの 生き方……意志……心の美しさ、そして何よりも 耳に新鮮なエスペラント語の響きに魅力を感じた私です。 発音、文法とシンプルかつ合理的な言語と 聞いてはいても、やはり課が進む毎に難しく この8月の休講中も、忙しいことをいいことにあまり 復習もせず、多いに反省しているところです。 受講中、入町さんの数々の質問に対し 後藤先生の1つ1つ丁寧な説明…… その質疑応答が私にはとてもためになりお二人に 心から感謝しております。 私も早く質問ができるように努力したいと思って おります。
ロンドン便り
――後藤斉さんから松本会長あての電子メールです。9/17付――
Dankon pro via mesagxo. Pardonu min pro la malfrua saluto.
ロンドンに来て早くも半月を過ぎ、右も左もわからないという状態は抜け出した ように思います。ただ、先日まで予想以上に残暑が厳しく、その一方ここ数日 急に寒くなり閉口しています。 住まいは大学から地下鉄で20分ほど離れたFinchley Central駅から5分程度の ところで、一通りの店はそろっていて生活に困ることはないようです。 ロンドンは大都会なので、行くところにいけば日本の食材や本・雑誌も手に入り ます。また、住まいにも衛星放送受信装置があるので、NHKのニュースを見ること も できます。(受信契約をすればジャミングを解除してそれ以外の番組も見れる のですが、番組が限られているので、それほどの魅力は感じません。) 大学はまだ新年度前とあって、本格的なにぎわいにはなっていないようです。
Saluton ! el Hanojo
―― ベトナムのハノイ在住の 上坂宜生さんから松本会長宛の電子メール ――
al: prof. Matsumoto Takashi
de: Uesaka yoshio, Hanojo
Saluton kaj koran dankon pro via retpos^to. Mi jam log^as en Hanojo preskau~ 3 jarojn. Sed mi ne certas, kiam mi revenos al Japanio. Antau~ 2 semajonj okazis la 2a Azia Kongreso de Esperanto en c^i tiu urbo, kiel vi scias, kaj tie mi renkontis s-inon Sanpei, s-ron Satoo Shoichi kaj aliajn esperantistojn el Tohoku. Estis g^oje, ke mi kunparolis kun ili. Mi nun uzas japanan `windows 95', do mi pensas, ke mi povas sendi retpos^ton en la japana lingvo. Mi jen skribos kelkajn frazojn japane;
今回の大会は私にとってはじめての国際大会だったので、いろいろ興味を持って参 加できました。 仙台の皆様はお変わりありませんか。 交通の便利な時代ですので、いつかどこかの国際大会でお会いできるのを楽しみに しております。
G^is revido.
世界大会前観光 ポーランドの5日間     三瓶圭子
ワルシャワ市内のムラノフ地区、ヒットラー・ナチズム時代のゲットー跡区に 出かけることになった。イスラエル人のヨゼフとその友人、以前、来仙したユダ ヤ系アメリカ人のセラ・ナタリイ、 そこに日本人4人が同行した。ムラノフ地 区は、ザメンホフ一家も住んでいたユダヤ人居住区である。のちにゲットーとし て、各地から集められたユダヤ人が収容され、そこから更に遠くの強制収容所へ 送られて行った。現在は公園となり、その一画にワルシャワ・ゲットー英雄記念 碑が建っている。ヨゼフは記念碑の前に4人を呼び寄せて、ぜひ、日本人に自分 の話をきてほしいと言い、語り始めた。

「第2次大戦中、ナチス、ドイツはユダヤ人に対して何をしたか、自分の祖父 母もガス室に送られ殺された。当時22才だった自分の母親は強制収容所で見た こと、そしてその状況を」初めて訪れたワルシャワはヨゼフにとって、つらさ、 悲しさ、くやしさ、諸々の感慨が入り混じった街であった。

翌日(7月27日)からエスペラント世界旅行社ツアーガイドのアンジェの案 内でポーランド5日間の旅が始まった。 英雄記念碑から西へ1km 程のところにある広大なユダヤ人墓地へ行った。小さ な入口をくぐると左に受付、右に立て看板がある。多くの埋葬者の後方に、 LUDVIK ZAMENHOF の名を見つけた。生い茂る草を手で払いのけ、蚊と格 闘しながら後をついて行くと MARKO ZAMENHOF (ザメンホフの父)の石 碑があった。更に奥へ奥へと墓の間を進んで行く。小さな傾斜地に緑の石が埋め 込まれた緑星旗、その上方に台形の墓石、ザメンホフ博士の墓だった。そこだけ は周りの草も刈られ花も咲いていた。隣には夫人クララの墓もあった。

世界旅行者のこのツアーはポーランドの5つの都市をバスで巡り、各街で地元 エスペランチストとの交流を持ちながら、世界大会開催地ベルリンへ向かう企画 である。各都市での交流の一部を紹介すると、

☆ ワルシャワ市内路面電車内交流会
車両2両を借切り、フィンランド、バルト3国からのエスペランチスト 旅行団と合同交流会。15ケ国から120人位が集まった。
☆ ミステリーバス
前もって予告も無く、希望者だけ出かける事になった。闇の中、田舎道 を30分バスは走った。突然、赤々と燃える火に大きな歓声が上がった。 たき火の明かりを透して見える顔、顔、顔、金串に刺した特大のソーセ ー ジとビールでおしゃべりは果てしなく続いた。
☆ ビヤリストゥク
ワルシャワから北東へ170km、延々と続く畑と白樺の木々。大戦時は、 ナチス・ドイツに占領され、建物はほとんど破壊され、住民は殺された。 ザメンホフ博物館見学後、館内で地元エスペランチスト達の手作りの昼 食をごちそうになった。ザメンホフの生家のあったアパートの壁面に 「国際語エスペラントの創始者、ザメンホフ博士の生家はここにあった。」 と書いたプレートがある。ザメンホフ胸像のある広場、エスペラント通り、 ザメンホフ通り...。ビヤリストゥクの市民がどれほど、ザメンホフを誇り としているか、感じることが出来た。

ナチス.ドイツ体ソ連の戦場となったポーランドも、現在その傷跡はほとんど 消え去っている。多くの川や森に囲まれた豊かな自然を持つ国、ポーランド。 イタリアのベネツチアのような観光地になぞらえて「ベネチア」の地名を付し た村もあった。コペルニクスの街、トウルン、かつての首都、現在は商業の中 心地、ポズナニ、各地での様々なプログラムを大いに楽しみ、5日間はまたた く間に過ぎた。バスは長い長い待機時間の末、国境を越え、ドイツに入り、 ベルリンへ向かった。
第2回アジア、エスペラント大会 ―― ベトナムを旅して      三瓶 圭子
半年前「ベトナム戦争とは何だったか」というテーマのNHKテレビを見ました。 ベトナムとアメリカの高官がそれぞれ数人ずつ長机を挟んで対峙し、当時の状況を 明らかにするという番組でした。アメリカ側の威圧的かつ正当化する態度に対し、 ベトナム側の弁が大変印象的でした。沈着、冷静、諭す様に話し始めたのです。  「あなた方、お解りですか、あの戦争は私どもの国、ベトナムにあなた方が来て、 地上戦を行ったのですよ、あなた方の国で戦ったのではないのですよ。」アメリカ 側はしばらくの間、返事は出来ませんでした。 小国ベトナムが大国アメリカに勝った秘密がここに有ったのだと確信したのです。 1965年本格的に北爆が開始され、ベトナム戦争反対の声が渦巻いていました。 

実際、勝つには勝ったけれど、満身創痍の状況だったはずです。 ベトナム人の人間性に直接ふれてみたい、その民族性を知りたい。アジア大会は 又と無い機会となりました。

ハノイ、ノイバイ空港から市内に入る手前でかの有名な、全長 1.7km ロンビ エン橋を渡る。戦争中、何度も爆撃を受けながらも、守り続けた橋です。橋の下を 流れる川、紅河(ホン)は赤土色、ゆったり流れ、その両側の河川敷には小さな家 が密集し、雨期で増水すれば、たちまち水浸しになるのが目に見えるようでした。

市内の建物はほとんど、二階か三階建てで、フランス統治時代の名残りなのか、 クリーム色や薄茶色の壁に赤い屋根、しゃれたベランダ付でした。道路には、たま に四輪駆動車を見かけましたが、タクシー以外は乗用車の数は少なく、自転車、バ イクの夥しい数に圧倒されます。それも二人乗り、三人乗りはざらです。父親の運 転する後ろに子供と母親がつかまっているファミリー車、色とりどりのスカーフを 三角折りにし、日除けと埃よけか、目の下からすっぽりと顔を包んでバイクに跨っ ている姿は異様でした。これほど多くの車の数にもかかわらず、騒音はさほど気に なりません。 大会会場であるハノイホライゾンホテルの前の道路も自転車、バイクの洪水です。

会場から向かいのフォー(米粉のうどん)を食べに行こうとしても、道路を渡る のが一苦労でした。切れ目無く続く車の間をびくびくしながら、注意深く、足を進 めなくてはならないのです。手を広げながら「ATENDU! ATENDU!」と無駄と知 りつつ、叫びながら渡ったものです。それでも、大会3日目頃からコツを飲み込ん で、ゆっくり自分のペースで行けば、車がうまくよけてくれることが解りました。

庶民の足である「シクロ」も外国人にとって、料金交渉が難しいから敬遠した方 が良いといわれていた。ダメと言われると乗りたくなるのが人の常。幸いにも、佐 藤勝一氏の知人であるベトナム人のおかげで、経験することが出来た。自転車の前 輪をはずし、2人乗り座席が付いている。大人2名を前に乗せて漕ぐのだから運転 手は比較的若い人が多い。車の洪水の真っ只中を実にスイスイとすり抜けて行く。 乗り手の我々は左右の車がぶつかるのではないかとひやひやの連続だった。 ところが、10分も走ると爽快感に変わった。              (次号へつづく)
第84回世界エスペラント大会 ―― ベルリンにて    斉藤 ツメ
今から10年余り前、ベルリンの壁が有った頃、ポーランドの友と車で、ベルリン を訪問しようとしたことが有る。しかし、ポーランドへの再入国ビザを用意していな かったので、国境で惜しくも、Uターンしたことが有る。その後、まもなく壁が崩 れ、東西の緊張を見る機会を逸してしまった。 しかし、今、東西ドイツが困難を乗り越えて、ベルリンへの首都移転も着々と進ん でいる状況を見るのには、今年の大会参加は絶好のチャンスでした。

7月31日、今回はビザも必要無く、パスポートを提示するだけで、難なく入国出 来た。往来が簡単なだけ、車の数も大変なもので、国境で小1時間ほど待たされた。 ポーランドに向かう車の列はは10km以上の長い渋滞であった。

ベルリンのホテルで、ポーランドの友に別れ、大会会場へと行く準備に掛かる。 東のホテルフォルムを選んで、会場へは電車で通えば、街の様子を眺めることが出 来ると思ったが、初日から大変であった。まず、会場へ行く電車を探す。西の方へ行 く電車に乗り込んだところ、ツオー駅を過ぎたら、電車がスピードを出し、各駅を通 り越し、30 分も過ぎてやっと止まったところがポツダムであった。 切符も持たず、急行電車で早速、ドイツ観光をしてしまった訳です。

遠足の折、ブランデンブルク門と「旧壁」の断片のを見ることが出来たが、今回の ベルリン滞在は3日だけ、いつも時間に追われ、車外の景観もじっくりと見ることも 無く、ましてや、ベルリンを味わうことは無理であった。 大会に参加して、常連のエスペランテストたちと会うのも楽しみだが、新たな仲間 との出会いも楽しいものです。今年はアフリカの人たちと知り合えた。 トーゴランドの若い男性はトーゴのエスペラント会のこと、エスペラント一家であ る家族のこと、写真を見せながら、自慢げに話してくれた。大会には友人の援助で参 加したとのことだが、大会参加を満喫しているようでした。

もう一人、タンザニア、ダルエスサラームのデレギート、マシャウリさんに 会った。2年前、ダルエスサラームに行った時、連絡が取れなかったので、今までの タンザニアとの交流のことを彼に話し、今後の事など、話し合った。彼は自身、タ ンザニアでのほとんどのクラブの結成に参画しているとの事、私たちはパンガニでの ココナッツ油の生産が軌道に乗ったら、次は、ココナッツの植林を手がけたらとアド バイス(?)を貰った。8月1日の夜、会場のロビーで彼と話し合っていると、彼を 見つけて、タンザニアに関係有る人が声をかけて来た。 まず、以前、大使館で3年間勤務していた男性(フランス人?)、タンザニアのエス ペラント運動に寄与したとの事、また、フランス人の女性は、タンザニアの運動の草分 け的存在で、各地を訪れているとの事だった。途中から三瓶さんも話し合いに加わり 和やかに“タンザニア交流会”が、2時間ほど続いた。

2年前から、ココーサ・クルーボの一員として、タンザニア、パンガニの女性たち と交流しているが、このように、以前から多くのエスペランテイストたちの働き掛け で、タンザニア各地にエスペラント会が出来上がっている事を実感した。  大会の本屋ではスエーデン、ルンダエスペラント会発行の2000年カレンダーが発売 されていた。来年のテーマは“世界の子供たち”私の写真も、タンザニアの水汲む女 の子と日本のゆかた姿の幼い姉弟の2枚採用された。彼らもタンザニア、ムワンザ エスペラント会と交流中である。
La 18a Komuna Seminario       GOTOU  Humihiko
(1999/7/29 - 8/1, Japanio, S^iga-ken, U~anihama)
Antau~konigo
La sekvanta Komuna Seminario okazos kune kun kaj parte de la sekvanta Internacia Junulara Kongreso okazonta en 2000/8/5 - 8/12 en Honkongo.


Komence
Mi partoprenis en la 18a Komuna Seminario okazinta ekde 1999/7/29 g^is 8/1 en Japanio, S^iga-ken, U~anihama kaj mi senorde skribac^os nur kelkajn {\bf pecojn} da memoroj.
Pro diversaj kialoj ekz. ke tuj post la seminario okazos Universala Kongreso en Berlino, ke post tio okazos Azia Kongreso en Vjetnamio, ke por c^inoj por vojag^i al Japanio necesas oficiala rekomendilo por akiri vizon k.t.p., partoprenantoj malmultis kompare kun ordinaraj jaroj. Malgrau~ la malmultaj partoprenantoj 20 japanoj, 6 koreoj, 1 Honkong-ano, 1 Au~strali-ano kaj 1 Argentin-ano, mi sufic^e g^uis la iusence densan enhavon.

t.e.-ismo
Mi vidis mian iaman Esperanto-gvidanton O post 2-jara ne-vido. En la auntau~-2-jara tempo, kiam mi vidis O, mi estis nur duon-jara esperantisto kaj sentis, ke c^iuj esperantistoj c^irkau~ mi parolas tro rapide kaj ke i.a. O speciale tro rapide parolas. C^ar mi ofte travivis, ke mi kapablig^is senti Esperanto-parolon de iamaj rapid-parolintoj postjare pli malrapida kaj pli klara, mi tiusence antau~g^ojis c^ifojan revidon kun O. Kaj tamen mi sentis Esperanto-parolon de O ankorau~ tre rapida. Nu, eble pro tio, ke O parolas rapide ankau~ patralingve, do ri rapide parolas ankau~ Esperanton... Sajnas, ke O legis mian opinion kontrau~ Grek-Latin-devenaj Esperanto-vortoj en mia ret-pag^ejo kaj ri rimarkigis, ke mia opinio inkludas kelke da klare eraraj punktoj. Ekz. mi skribis jene:
Sed g^is hodiau~ Esperanto kreskis ne tiom alloga eble pro tio, ke Zamenhof kaj tiamaj antau~uloj en Esperantio ne sciis lingvojn kiel la C^inan (dum ili ja eble sciis la Germanan). C^i tiu fakto s^ajnas al mi ege stranga, c^ar por internacia lingvo ne nur facile-lernebleco de frazregulo sed ankau~ facile-lernebleco de altnivelaj vortoj estu grave konsiderenda afero, c^u ne ? Kompare kun naciaj lingvoj Esperanto estas eble la plej facile lernebla lingvo ja en frazregulo sed ne en altnivelaj vortoj.
Tamen lau~ O, dum Zamenhof mem ja utiligis kunmetitajn vortojn el bazaj radikoj, post-Zamenhofaj c^efe Francaj Esperantistoj sen-cerbume enkondukis multe da Grek-Latin-devenaj radikoj por altnivelaj vortoj. Ekzemple, lau~ O, Zamenhof en ria komenca verko ne uzis ec^ la vorton `pluralo' kaj anstatu~e uzis la kunmetitan vorton `mult-nombr-eco'. Ankau~ mi pensas, ke verkoj de Zamenhof estas facile legeblaj pro ilia malmulta uzado de Grek-Latin-devenaj unu-radikaj vortoj kaj tamen ke Zamenhof ne g^islime klopodis serc^i kunmetitajn esprimojn (mi poste legis la komencan verkon de Zamenhof kaj trovis, ke Zamenhof ja uzis la kunmetitan vorton `multe-nombro' anstatu~ `pluralo' sed ri uzis ankau~ Grek-Latin-devenajn unu-radikajn vortojn kiel `substantivo', `prepozicio' ktp. sen-kunmete. Dum mi opinias, ke oni anstatau~igu Grek-Latin-devenajn unu-radikajn vortojn per kunmetitaj vortoj el bazaj radikoj, O opiniis, ke c^ar oni ne permesas tian anstatu~igon (forigon de Grek-Latinaj^oj), oni paralele aldonu facile-kompreneblajn klarigojn tuj post la apero de Grek-Latin-devenaj malfacilaj vortoj. Ekzemple lau~ O kiam oni uzas altnivelan vorton kiel `otologio' en frazo, oni povas klarigi g^in aldonante tuj post la vorto facile-kompreneblan kunmetitan esprimon (ekz. `otologio t.e. orel-scienco') kaj O (kaj aliaj ?) nomas tian sintenadon `t.e.-ismo (tio-estas-ismo)'. Pli g^enerale (lau~ O) iuj nomas tian ismon ankau~ `paralelismo'. S^ajnis, ke O pensas, ke sintenado tiamaniere paralele skribi/paroli po-iome rimarkigos al Eu~ropanoj, kiuj g^is nun ec^ ne povis imagi eblecon krom Grek-Latinaj^oj, alian eblecon kunmeti vortojn el bazaj radikoj. O diris, ke ri baldau~ skribos sian opinion pri tia temo en sia ret-pag^ejo, do mi antau~g^ojas. Nu, tute cetere, min ege impresis la piano-kapablo de O por tiuloke akompani c^iuspecajn kantojn.

C^u vere Esperanto estas facile lernebla lingvo ?
Mi gvidis la fakkunsidon titolitan `C^u vere Esperanto estas facile lernebla lingvo ?' pri la problemo de Grek-Latin-devenaj unu-radikaj vortoj en Esperanto. O, kiu gvidis elementan kurson ne partoprenis la fakkunsidon (eble tial ri antau~tage rimarkigis min pri rilataj temoj). Partoprenis en la fakkunsido koreo J, en-Japania Irano R, japanoj H, M, K ktp. (kvankam mi timis, ke neniu partoprenos). Mi priparolis pri temoj, pri kiuj mi skribis en mia ret-pag^ejo kaj pri kiuj mi priparolis en la lastajara Komuna Seminario kaj pri t.e.-ismo, pri kiu antau~tage O parolis. Partoprenantoj parolis diversajn opiniojn. Ekz. J diris, ke ri g^is nun tute ne konsciis pri tio, c^u iu vorto, kiun ri uzas estas kunmetita vorto au~ Grek-Latin-devena vorto. Do mi diris, ke mi memoras, ke en la lasta Komuna Seminario trinkante fortegan alkoholaj^on ri kunmetante faris la vorton `mang^-vojo' (anstatau~ `ezofago') por diri `Mia mang^-vojo brulas.'. S^ajnas, ke al J plac^is `kun-met-ismo', kiun mi provas diskonigi kaj poste ri diris al mi, ke ri ja s^atas kunmetitajn vortojn kaj ri volas kunporti pli detalan artikolon pri la temo por diskonigi al aliaj koreoj. Do mi donis al ri la kopion de mia ret-pag^o. Mi persone g^ojas, ke po-iome multig^as homoj, kiuj ekinteresig^as pri la temo, ec^ se ili ne tute konsentas kun `kun-met-ismo'.

Malridinda s^erco
En la lasta vespero de la Komuna Seminario okaz-ont-is `Gaja Vespero'. Por g^i iuj c^ambranoj cerbumis por elpensi tau~gan prezentadon kaj mi duon-moke observis ilin. H duon-s^erce proponis `unu-frapa s^erco' kiel jene:
Ni trinku trinkaj^on.
Oo, jes, jes. Kian trinkaj^on ni trinku ?
Mirinda(n) !
Malgrau~ ties malridinteco, rememorante la karmemoran trinkaj^on nomatan `Mirinda' troveblintan en antau~-kelkdek-jara Japanio, mi ridegis kaj aliaj junuloj nenion komprenante silentis. Kompreneble oni malakceptis la `Mirinda s^erco' por `Gaja Vespero'.
Mi metis la similan artikolon ankau~ en mia ret-pag^ejo:}
(http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/ks99-e.html)
{\it kaj la japanan version:}
(http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/ks99.html).


運営会報告
☆ 9月10日 出席者:相原,後藤文彦,斉藤,三瓶,平山,松本
1)諸大会報告
世界大会(ベルリン) 斉藤,三瓶 [参加者総数2712人]
アジア大会(ハノイ) 三瓶 [参加者総数420人]
Komuna Seminario 後藤文彦
2)中級講習会開催
3)メイルシュトーノ155号の編集について  10/15日発行予定
4)東北大会(福島)について  参加者確認,朗読コンクール参加者について,他
5)その他 ザメンホフ祭は12月12日(日)午後開催と決定
☆ 10月8日 出席者 大越,後藤文,斉藤,三瓶,手塚孝,平山,松本
1)第40回東北大会報告
宮城からの実参加者:斉藤,佐竹,三瓶,手塚孝,平山,松本(以上会員),板 垣,カワハラ,畠山篤志,畠山佳子
連盟総会について 本会代表として,相原,斉藤が出席
次回大会招致について 本会が招致(経過説明)
2)中級講習会について
会場を変更して11/2〜3/14に荒町市民センターで開く ことになった。
3)メイルシュトーノ155号編集について(作業)
4)メイルシュトーノ156号について 11/26(金)発行(ザメンホフ祭,その 他)
5)ザメンホフ祭日程の再確認
6)その他 次回運営会は11月12日(金),議題はザメンホフ祭,来年の東北大会 についてなど


DANKE RICEVITAJ ('99.7.26〜'99.9.21)
Verda Monteto n-ro.107 La Flugiloj n-ro.140,141 La Voc^o '99.8,9.
Krokodilo Krokodilas '99 n-ro.8,9 Eskalo '99 n-ro.81 Heroldo de HEL n-ro.80
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La Zelkovo n-ro.133 Sazanko n-ro. 65 Tri Montoj n-ro.81