このコンサートについては、やはり1ページ作ったほうが良いですね。

今となってはサドラー2号の大切な思い出です。





1985年8月、合唱団京都エコーは広島へ向かいました。
「広島平和コンサート」に参加するためです。

1985年8月6日、7日の2日間の予定で
出演者はもちろん、レナード・バーンスタイン、そして五嶋みどり。
それに当時バーンスタインのアシスタントをしていた大植英次。
ソリストとしてバーバラ・ヘンドリックス、そして語り手はマイケル・ウェーガー。
オケはECユース・オーケストラ、合唱はウィーン・ジュネス合唱団。
演奏曲目は、バーンスタインの指揮で「レオノーレ」序曲第3番
大植さんで糀場富美子作曲「広島レクイエム」
大植さんと五嶋みどりでモーツアルトのヴァイオリン協奏曲の5番
そして最後がバーンスタインの「カディッシュ」
会場は広島郵便貯金会館でした。

そこへなんで私が出られたかというと、日本の合唱団を出演させたいということで合唱団京都エコーに白羽の矢が当たったからでした。
当時私が聞いた話では、バーンスタイン・サイドにその前年に長野で開かれたアジア・カンタートという合唱フェスティバルに参加した人がいて、それでエコーに話が来たということらしいです。

さて、コンサートの模様ですが、当時私はまだ大学を卒業して2年目だったので、まだ音楽経験も豊富でなくバーンスタインがどれほどすごい人かも知らずに出てたので、あまり詳しくは覚えていないのです。洋画ファンの母が「ウェストサイド・ストーリーの作曲家」というので、てっきりミュージカル畑の人だと思ってました。
実際に指揮を見ても、なんか振り間違えるし(楽譜に手を入れたばかりだったので自分でも間違ってたらしい)よたよたしてるし、大した指揮者だとは思えなかったのです。
でも、オケのメンバーへの接し方、一緒に楽しそうに談笑している様子などから、「この人は教育者なんだなあ〜〜」と思ったものでした。

それが!
本番になるといきなりパシッと燕尾服で決めて、すごくかっこよくなってしまってビックリしました。おまけに、練習のときと全然指揮が違って、すごくダイナミックで生き生きとしていて、別人のよう・・・
指揮台の上でバーンスタインが両手を上げてあおるように振りながら、両足を後ろに蹴り出して踊っていた姿は、今もはっきり目に焼き付いています。それまでそんな指揮を見たことなかったので、よほど印象深かったのですね。

しかしバーンスタインはやっぱり本番でも振り間違えて、ダブル・コーラスの右と左が見事にずれたところがありました。合図が無くてもちゃんと出た人達と、「あれ?あれ?」と思いながら待ってた人達がいたのでした。 その様子は、当時NHKで放送された映像にしっかり写っていました。

ソリストのバーバラ・ヘンドリックスは、小柄で知的な美しい人でした。テレビで彼女のスザンナを見て可愛い人だなと思っていたので、実物に会えて感激しました。
語り手のマイケル・ウェーガーはどうやらあまり楽譜が読めないらしく、語りを入れるタイミングをバーンスタインに頼っているようでしたが、バーンスタインが合図をよく忘れるので困った顔をしていました。

ところで、「カディッシュ」とはユダヤの言葉※で「(死者の哀悼のための)祈り」という意味であり、広島で歌うにはとてもふさわしい曲でした。難しい曲でしたが、それだけ感動的でもありました。
私は広島へ行ったのはこのときが初めてだったのですが、広島を訪れることの意義を重く噛み締めた公演でした。






広島平和コンサートこぼれ話

その1 スプリンクラー事件

バーンスタインの公式評伝でも「2回のコンサートを終えて・・・」と書いてありますが、実はコンサートは1回しかなかったはずなのです。サドラー2号の記憶に寄れば。
なんでかというと8月6日のコンサートはキャンセルされてしまったからです。

実は、5日のリハーサル中あまりの暑さにスプリンクラーが誤作動してしまい、客席が水びだしになったので客席シートの入れ替えのため1日目は公演ができなかったはず・・・。

その事故は本当に私達の目の前で、リハーサルの真っ最中にありました。
確かバーンスタインが何か話してて、音がやんでたときのことです。
突然プッシュ〜〜とかいう大きな音がして、その次はドドドドッという音が聞こえ初めました。
しかし、突然のことで私達はなんのことやらさっぱりわからず、バーンスタインが客席の方を振り返り、それからオケの方を向き「えっ?」という顔でまた客席を振りかえり「やれやれ」というように首を振ったりするので、「?」でした。

そのバーンスタインの動作に促されて客席を見ると・・・水が流れている!
2階席だったか照明室だったかの下の壁から1階席に向かって勢いよく水が落ちていたのです。
その年の夏はかなり暑かったので、スプリンクラーが狂ったんですね。
大量の水が落ちる音はかなりの大音量で、とてもリハーサルなんてできたもんじゃなかったので休憩になりましたが、バーンスタインがみょーに嬉しそうだったのを覚えています。

ともかく、シートが水で濡れてしまったので、会場は使用不可能になってしまいました。
でも、平和コンサートそのものを中止にすることはできないので、6日のコンサートをキャンセルして1日でシートを入れ替え、7日だけの公演をしたのでした。

後にも先にも、誤作動で水を噴き出したスプリンクラーを見たのは、あのときだけです。
人間誰しもいろいろ珍しい瞬間というものに出会うでしょうが・・・あんなことはもうないでしょうねえ〜〜



その2 バーンスタインのピアノ

スプリンクラーのせいでリハーサルが中断したので、私達は客席に下りてしゃべってました。
そのうち、ふと気づくと、ステージ上に残っていた学生達がちょこちょこっと楽器を弾いて遊び始めました。
と、そこに当時13歳の五嶋みどりさんがまじるではありませんか。

ほんの2小節ほどでしたが、すでに「天才少女」として有名だった方なので「ええもん聴かせてもろたな〜〜」と思っていると!
なんとその次には、バーンスタインがピアノのところへ行って弾き出すではありませんか!

即興で、でもとても楽しそうに弾いていました。ブギウギだったらしいです。
あの時の音はもう覚えていないけれど、あのバーンスタインの姿は私の脳裏に焼き付いています。
記憶の中の私の宝物です。

おまけ

バーンスタインのピアノに感激している私達の横を、会釈しながら通りすぎるひとりの日本人。
なんの気無しに会釈を返してから「スタッフの人かな?」と思ってる私に、合唱団のメンバーが「今の、小澤征爾さんやったよ」と・・・。
ちょうどコンサートのために広島に来ておられて、バーンスタインを表敬訪問されたのでした。

初めて小澤征爾さんに会って、さらに感激しました。
翌8月6日の朝、原爆投下の時間に平和公園で祈りを捧げるバーンスタインと小澤さんの映像を、いつだったか見たことがあります。






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