新約聖書



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0.新約聖書の位置づけ

 キリスト教でいうところの「聖書」は、旧約聖書と新約聖書とにわかれます。「旧約」とは「古い契約」、「新約」とは「新しい契約」ということです。誰と誰との契約かといえば、神と人との間の契約です。

 話は逸(そ)れますが、キリスト者の中には、「福音派」と呼ばれる人たちがいます。福音派というキリスト教の宗派があるわけではありません。政治の世界でたとえれば、「保守系」とか「革新系」のような括り方です。ある種の信仰の傾向というか、スタンスを呼んでいるのです。

 福音派の人たちは、しばしば「わたしたちは聖書を文字通りに信じています」といいます。これは不可能なことです。外国語で書かれた文章を読むことを考えればわかりますが、何かを読むとということは即ち解釈するということです。"Time flies like an arrow."という英文は「時間は矢のように飛ぶ」と訳すべきですが、「トキバエたちは矢を好む」と訳しても文法的には間違っているわけではありません(「トキバエ」というハエがいるかどうかは別として)。読む人の解釈抜きで聖書を「文字通り」に読むことなど誰にもできないことです。しかし、福音派の人々は「聖霊の導き」があるから自分の解釈抜きで聖書に書いてある通りに読めるのだといいます。

 また、福音派の人々は「聖書は神の御言葉を記した書物であり、一語一句に至るまで一切誤りはない」とも主張します。ところが、それを認めると、彼らにとってはなはだ不都合な事態を招くこととなります。以前、私が書き込みをさせていただいていた「キリスト教否定論入門」というサイトの掲示板「信じる者は騙される」で、ある福音派の方はこう主張されました。

>聖書は、すべて、その方の霊感によって書かれたものです。多くの知識は要りません。聖書ただ一巻で、十分なのです。人間を救うのに必要な神の言葉はすべてそこに書いてあります。(「テモテ2」3:16)

 この方は「私は聖書以外の書物は全部捨てました」と自慢げにおっしゃったことがありましたが、新約聖書には「聖書以外の書物は不要」と本当に書いてあるのでしょうか。新約聖書の該当箇所には次のようにあります。

>また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救いに至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。(「テモテ2」3:15)

>聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。(「テモテ2」3:16)

 ここで言及されている「聖書」とは旧約聖書のことであり、新約聖書ではありません。新約聖書はイエスの死後に編纂されたのであり、イエスが「聖書」といえば、それは旧約聖書のことでした。福音派の方がおっしゃった「聖書はただ一巻で、十分なのです」という言葉も、「霊感に導かれて書かれた神の言葉」=旧約聖書であり、旧約聖書「ただ一巻で、十分なのです」というのであれば、新約聖書は余計なものという結論になります。

 むろん、以上は意地悪な見方ですが、旧約聖書も新約聖書も両方とも霊感に導かれて書かれた書物であって、一切誤りはないとするなら、新約聖書が誕生する前に書かれ、今日、「テモテ2」3:16として知られている記述の中で「(旧約)聖書だけで十分」としているという見方は自己矛盾となるでしょう。どうやら、聖霊はこの方をきちんと導いてはいないようですね。

上記の発言をされた福音派のキリスト者さんも、熱病患者のうわ言のような、非キリスト者が読んでも何をいっているのかさっぱりわからない「証(あかし)」なるものをところ構わずタレ流し、「信仰のないあなたにはわからないことばかりでしょう!!」などと信仰の高みから他人を見下すだけではなく、少しは頭を使ってほしいものです。論理的に話の筋が通っているかどうかは、信仰の有無とは関係のないことでしょう。

福音派の方の発言と新約聖書の記述との切れ目がはっきりしていませんでした。「聖書はただ一巻で、十分なのです」云々という福音派の方の発言の部分が新約聖書の記述との誤解を招いたようなので、両者の関係がわかるように加筆・修正しました。メールでのご指摘、ありがとうございました(2009年11月30日)。

1.新約聖書の構成

 新約聖書は、イエスをキリスト(救世主)として描いた書物です。新約聖書の全体を通して、「イエスは救世主(救い主)である」と繰り返し説かれていますが、そこで描かれるイエス像は必ずしも同じではありません。

 新約聖書は、全部で27種類の書から成立しています。「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」という4つの福音書(ふくいんしょ)に始まり、使徒行伝、書簡と続き、最後にヨハネの黙示録で終わります。

 ご存じのように、キリスト教はユダヤ教から生まれました。当初は、ユダヤ教の一分派に過ぎなかったので、旧約聖書以外の独自の正典(カノン)は持っていませんでした。「旧約聖書で描かれる創造主としての神は義と裁きの神であり、イエス様を地上に派遣した愛の神は別の神だ」と唱えて、後に異端としてローマ教会によって断罪されることになったマルキオンが最初に新約正典を編纂しました。ルカによる福音書と使徒行伝をベースとしたマルキオンの「主の福音書」に対抗して正統派の新約聖書は編纂されましたが、旧約聖書もそうですが、誰か1人が最初から1冊の書物として書き下ろしたわけではなく、それまでに伝わっていた多くの文書の中からいくつかの基準に照らして正典としてふさわしいと判断したものを採用して編纂されたのです。今日までに発見されているさまざまな写本の年代考証に基づけば、最も後に書かれたと見られる「ヨハネによる福音書」が紀元100年頃には存在していました。紀元200年代には、新約聖書は、4つの福音書+使徒行伝という、今日に近い形に整えられていました。

 福音書はキリスト(救世主)としてのイエスの生涯を描いたものです。4つの福音書のうち、マタイ・マルコ・ルカの3つはその構成や内容が似通っているので、「共観福音書」とも呼ばれています。

 使徒行伝は、全部で28章からなり、イエスの弟子(使徒)たちの生涯を通じて教会の誕生およびその歴史を描いたもので、伝承によると第3福音書の著者であるルカによるものとされています。使徒行伝の第9章では、タルソス出身の教養あるユダヤ教徒で、最高法院(サンヘドリン)の命を受けてキリスト者の弾圧を指揮していたサウロ(後に、パウロと改名)がダマスコの近くでイエスの声を聞き、回心して使徒となった様子などが描かれています。

 書簡は、パウロが11の民族に宛てた手紙、ヤコブ、ペテロ、ヨハネ、ユダの手紙からなります。もっとも、実際の手紙ではなく、誰かに宛てた手紙という形式をとっているのは、ギリシアの影響だといわれています。

 ヨハネの「黙示録」は、ローマ帝国の迫害によってパトモス島に流されたヨハネが書いたと伝えられていますが、実際の記者は不明です。ヨハネの黙示録は終末(この世の終わり)、キリストの再臨、キリストの完全な世界統治についての幻を描いたとされています。黙示録は、紀元前200年から紀元100年頃まで盛んであった黙示文学という象徴的・絵画的な表現形式を取っており、出来事の写実的な記録ではありません。

 上記の他に、「トマスによる福音書」や「ペテロによる福音書」など7種類の福音書を含む21の書が聖書外典として知られています。

 なお、イエス・キリストといいますが、「イエス」はヘブル語(ヘブライ語)の「ヨシュア」(イイェホーシューア)がギリシア語化したものです。ヘブル語でヨシュアは「神は救う」という意味ですが、比較的ありふれた名前でした。また、「キリスト」はヘブル語の「メシア」(マーシアハ)をギリシア語に訳したもので、元々はアラム語で「油を注がれた者」という意味です。



2.共観福音書

福音書とは?

 福音書についてもう少しだけ詳しく見ておきましょう。福音書とは、イエスの言行を、その死および復活まで記述した文書です。「福音」(エヴァンゲリオン)とは「よい知らせ」という意味です。先に述べたように、新約聖書には、「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」という4つの福音書が収録されています。

 新約聖書を初めて読んだ人から「(新約)聖書を読んだけど、イエス様が十字架にかかって亡くなられて復活されたと思ったら、また同じような話が始まって、何だかよく分からない」という感想を聞くことがあります。実際に、新約聖書に収められている4つの福音書のうち、「ヨハネによる福音書」を除いた、「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」の3つには、共通の記事(並行記事)が多いのが特徴です。

 具体的に数字で示せば、「マルコによる福音書」は661節の記事から構成されていますが、そのうち606節が「マタイによる福音書」にも見られますし、320節が「ルカによる福音書」にもあります。また、「マタイによる福音書」に見られない55節のうち31節が「ルカによる福音書」には見られます。つまり、「マタイによる福音書」にも「ルカによる福音書」にも載っていない「マルコによる福音書」の記事は24節[=661−(606+31)]ということになります。割合で見ると、「マルコによる福音書」は661節から構成されていたわけですから、24節は全体の3.6%ほどであり、残りの96.4%は「マタイによる福音書」か「ルカによる福音書」か、あるいはその両方に載っていることになります。

 このように、3つの福音書には共通する記事が多く、3つの福音書の記事一覧表(共観表)を作成できるという意味で「共観福音書」とも呼ばれます。「ヨハネによる福音書」は他の3つの福音書とは視点が異なり、それらより遅れて成立したとみられています。

福音書の成立過程

 正統派のキリスト教会では「福音書は使徒や使徒の教えを受けた者によって書かれ、4つで1セットになっている」という説を採用していますが、今日では受け容れ難い考え方といえます。4つの福音書は、イエスを直接には知らない無名の人たちによって書かれたようだというのが現在の聖書学の定説です。

 イエスの死後、使徒やイエスの親族によって形成された原始エルサレム教会(初期のキリスト教団)は、イエスの言行を文書化しようとはしませんでした。イエスの言行は、イエスを直接知っていた人たちが口頭で人々に伝えていたようです。イエス本人が自らの語録を編集しようとしなかったのは、書いたものを残すとそれがさまざまな解釈を生んで一人歩きしてしまうことや書いたものを解釈する人が権威を持ってしまうというユダヤ教の律法主義の弊害を避けようとしたからだといわれています。また、イエスは自分を「神の使者」として捉えていたようです。使者は誰でもよく、本当に重要なのは神の支配だと考えていたイエスは、「使者」に過ぎない自分についてあれこれ記録しておくことに何の意義も見出していなかったようです。

 しかし、イエスの意図に反して、イエスの言行を口伝することは、原始エルサレム教会の権威を高めるのに効果があったと思われます。外部から何か異論があったときも、「イエス様を知らないお前たちが何をいうか。わたしはイエス様の言葉をこの耳で聞き、イエス様の業(わざ)をこの目で見たのだ」ということによって、異論を一方的に封ずることができるからです。そうした教会の権威主義的なあり方に不満を抱く人々(恐らくはヘレニストのグループ)の中からイエスの言行を文書化する動きが出てきました。「マルコによる福音書」はそのような背景で編纂されたものです。

 「マルコによる福音書」という名前が付けられていますが、著者がマルコ本人であったわけではありません。後で見るように、今日でも正統派のキリスト教会では、「マルコによる福音書の著者はペトロの弟子であり通訳だったマルコ」「ルカによる福音書の著者はパウロの弟子であり旅の同行者だった医師ルカ」といった説が唱えられていますが、それらは史実ではなく福音書の権威(ひいては、教会の権威)を高めるための伝説に過ぎません。「マルコによる福音書」に限らず、福音書の記者が実際に誰だったのかは不明です。各福音書の記者は、イエスに関するさまざまな伝承やイエスの語録を収集し、それらの資料を編集することによって、イエスの生涯を彼らの信仰に基づいて再構成し、福音書を書き上げました。福音書は歴史書なく、各記者の立場からの宣教の書ですから、福音書をいくら読んでみても、実際にイエスがどのような人物であったのか(いわゆる史的イエス)を知ることは残念ながらできません。

 新約聖書には、「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」の順で収録されていますが、この順番に書かれたわけではありません。書かれた順番からいえば、「マルコによる福音書」が最も古いと考えられています。

 「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」とを比較してみると、両者は、「マルコによる福音書」には記述のない記事においても共通する箇所が見られます。「マタイによる福音書」の記者と「ルカによる福音書の記者」とは、どちらかがどちらかの福音書を参照したという形跡が見当たらないので、両者は何らかの共通の資料を用いて自らの福音書を執筆したと考えられます。この資料がQ資料と呼ばれるイエスの語録です。

 「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」とで共通する記事(並行記事)は、イエスの言葉が大部分を占めています。そのため、Q資料はイエスの語録であったと考えられます。また、Q資料を用いたと考えられる記事についても、2つの福音書には相違が見られることから、「マタイによる福音書」の記者と「ルカによる福音書」の記者とは、大筋では一致するが、細部では異なるQ資料(Q資料の異本)を用いていたと推定されています。

 「マルコによる福音書」を素材とし、Q資料を参照しつつ、独自の資料も交えて「マタイによる福音書」および「ルカによる福音書」が編纂されたというのが、今日の聖書学で定説とされる二資料説と呼ばれる仮説です(マタイ独自資料を「M資料」、ルカ独自資料を「L資料」として、四資料説と呼ばれることもあります)。正統派のキリスト教会では、「聖伝による裏付けが何もない」といった理由で聖書学の定説である二資料説を頑なに否認し、「新約聖書の順番通り、『マタイによる福音書』が最も古い」などと唱えています。

 なお、また、「マルコによる福音書」の記事は、そのほとんどが「マタイによる福音書」や「ルカによる福音書」に収録されており、分量もそれらの半分程度しかないことなどもあって、2世紀以降、正統派の教会内では、他の福音書よりも価値の低い福音書として扱われてきました。

各福音書の性格の違い

 「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」とはほぼ同時代に成立したとみられますが、「マタイによる福音書」には旧約聖書からの引用が多く、イエスを旧約聖書で預言されていたメシアであると強調する内容となっています。恐らくユダヤ教徒への宣教を目的として書かれたものだろうと推定されています。一方、「ルカによる福音書」にはユダヤ教的な要素が希薄であり、洗練されたギリシャ語によって書かれていることなどから、恐らく異邦人(非ユダヤ教徒)への宣教を目的として書かれたものだと推定されています。

 以上を表の形でまとめておきましょう。

共観福音書の比較
マルコによる福音書 マタイによる福音書 ルカによる福音書
編纂時期 50年代〜遅くともエルサレム神殿が崩壊した70年以前 70年〜90年代 70年〜90年代
伝説による記者
(実際の記者は不詳)
ペトロの弟子であり通訳であったマルコ 12使徒の一人であるマタイ パウロの弟子で旅に同行していた医師ルカ
編纂の背景 ペトロら原始エルサレム教会の権威主義への不満。 ユダヤ教との対立の中での布教。 非ユダヤ世界への布教。
想定する読者 異邦人(主としてローマ人) ユダヤ教徒 異邦人(主としてギリシャ人)
描かれるイエス像 パリサイ派への批判を通じて、イエスを律法の否定者であり、社会的な弱者の側に常に立ち、彼らとともに生きる者として描く。
十字架では「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(我が神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と大声で叫ぶイエス。
パリサイ派への批判があるが、イエスをダビデ王の血筋につながる者で、律法の成就者(旧約聖書で預言されたメシア=救世主)として描く。 イエスをキリスト=全人類の救い主として描く。
十字架の上で「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」と述べる何もかも悟り切ったようなイエス。
特徴 イエスの生誕や少年時代の記事がなく、洗礼者ヨハネによる説教と洗礼の場面から始まる。復活についても、早い時期の写本では女たちがイエスの墓を訪れた場面で終わっている。ペトロら弟子たちがイエスの教えを理解しておらず、終始的外れな反応をしていることを強調(イエスからペトロは「サタン」とまで批判される)。イエスの具体的な行動に従うことを主張。ぎこちないギリシャ語。 生誕の際に、東方の3博士が訪れてイエスを祝福。ヘロデ王による迫害を逃れて、イエスは両親とともにエジプトに避難し、後にナザレに移住したとする。旧約聖書からの引用が多い。教会や使徒の権威を強調(イエスからペトロは「天の国の鍵を与えよう」といわれる)。説教に重点が置かれる。主題別の構成。壮麗な文体。 生誕の際に、羊飼いたちがイエスを祝福。イエスは生誕後、エルサレムに宮参りに行く。幼年期のイエスの神童ぶりが描かれる。ユダヤ教的要素が希薄。贖罪としての十字架での死を強調。時間順の構成。洗練されたギリシャ語。

使徒行伝も同一人物の手による文書だと考えられている。



【参考】共観福音書に関する正統派キリスト教会の公式見解

マルコとルカによる福音書の著者、年代、史実性について及び共観福音書、すなわち最初の3福音書の相互関係についての教皇庁立聖書委員会の解答

DS 3568〜3578:聖書委員会の解答(1912年6月26日)

AAS4(1912)463ss;EnchBn.390−398参照。

マルコとルカによる福音書の著者、年代、史実性について

3568(2155)質問1:

聖伝の明らかな教えにより、

つまり、教会がそのはじめから驚くほど一致した数多くの論拠、聖なる教父たちと教会の著作家たちの著作にはっきりとあらわれた証言、同じ教父や著作家らの書いたものにおける引用や暗示、昔の異端者もそうとして使用していること、新約聖書の諸翻訳、最古のそしてほとんどすべての写本、更に聖書の文章自体による内的証明によってさえも堅固にされた教えにより、

ペトロの弟子であり通訳であったマルコと、医者でありパウロの助手であり旅の伴侶であったルカが、実際にマルコによる福音書、ルカによる福音書と呼ばれているものの本当の著者であると確定的に主張しなければならないか。

解答。肯定する。

3569(2156)質問2:

“マルコ福音書の最後の12節(16:9−20)は、マルコ自身が書いたものではなく、別の人がつけ加えたものであり、そのため、それらは「神感を受け正典として受入れるべきもの」ではない”、と証明しようと努力している一部の批評家たちの意見は、正しいものであるか?

或いは、その意見は、少なくともマルコがこの12節の著者ではないと証明するか?

解答。二つの部分とも否定する。

3570(2157)質問3:

同じように、ルカによるキリストの幼少時代の記録(1、2章)、また、天使がイエズスにあらわれたて慰労することやイエズスの血の汗について(22:43以下)の神感とその部分が正典であることを疑うことが許されるか。

或いは、これは昔の異端者たちが好み、最近の批評家でさえもが好意的に微笑むことであるが、上の記録がルカの本当の福音書の一部ではないと少なくとも確実な理由によって証明されるか?

解答。ニつとも否定する。

3571(2158)質問4:

非常にまれでごく少数の例外的な文書によれば、「マグニフィカット」(ルカ1:46以下)の賛歌は聖母のものではなくてエリザベトのものとされている。この文章は、ほとんどすべてのギリシャ語の原文及び諸翻訳の証言が一致して証明していることに反対し、のみならず文の前後関係だけでなく聖母自身の気持、教会の変らない聖伝がはっきりと要請している解釈に反対しても、優先させられるべきであるし、またそうすべきであるのか?

解答。否定する。

3572(2159)質問5:

福音書の年代順による配列について、最古からの常なる聖伝の証言によれば、“誰よりも早くその福音書を自国語で書いたマテオの後で、マルコが第2番目、ルカが第3番目に書いた”と証言されるが、この命題から離れることは正しいか。

また、この意見に反対する者たちの、第2と第3の福音書が第1の福音書のギリシャ語版より先に作られたという意見は、順序よく考えられるべきか。

解答。二つとも否定する。

3573(2160)質問6:

マルコとルカの福音書の成立の時は、エルサレムの滅亡まで遅らせることができるか。

また、ルカによると、エルサレム滅亡についての主の予言が詳しいように思われるが、少なくともこの福音書は既に攻撃が始まった時に書かれたという主張は支持され得るか?

解答。二つとも否定する。

3574(2161)質問7:

"ルカの福音書は使徒行録の先に書かれたものであり、使徒行録は同じルカによって(使徒行録1・1以下)、使徒パウロのローマでの監禁が終った後で(使徒行録28・30以下)書かれたもので、そのため、ルカの福音書はこの時より後に書かれたものではない"、ということを認めなければならないか。

解答。肯定する。

3575(2162)質問8:

マルコとルカが福音書を書くときに使った源泉ついて、聖伝による証言及び内的証拠を考慮して、"マルコはペトロの説教に従って書き、ルカはパウロの説教に従って書いた"という意見を疑うことは賢明であるか。

また、同時に "この同じ2人の福音記者は口伝または文書による信頼できる他の資料も持っていた" と主張できるか。

解答。否定する。

3576(2163)質問9:

マルコがペトロの説教に従って、正確にそしてほとんど絵に描くように書き、ルカが「はじめからの目撃者で、みことばの奉仕者となった」十分に信頼できる証人を通して「すべてのことをはじめから詳しく調べた」(ルカ1:2以下)上で、きわめて誠実に表現した、(私たちの主の)言葉や行いは、教会がそれらの福音書に常に与えている歴史的信憑性を充分に持っていると言えるか。

反対に、同じ(私たちの主の)言葉や行いは、少なくとも一部分は歴史的真実性がないと考えなければならないか。

それは、或いは、著者が目撃者でもなことから、

或いは、2人の福音記者に事件の経緯の順序がないことや相違があるのはほとんどまれではないことから、

或いは彼らは年月が経ってからやって来て書いたため、キリストや使徒たちの考えと違う概念やすでに民衆の想像によって多少ゆがめられたことを書いたのは当然でことから、

或いは、最後に、前もって持っていた教義的概念によって、それぞれ自分の目的に合わせて書いたことから、である。

解答。第1部については肯定する、第2部については否定する。

共観福音書、すなわち最初の3福音書の相互関係について

3577(2164)質問1:

特にマテオ、マルコ、ルカの三福音書の真実性、完全性について、ギリシャ語版のマテオ福音書が彼の原初の原語のものと実体的に同一であるについて、また、相互の類似点と相違点とを説明するために書かれた年代順について、現在までに決定されたことを尊重した上で、数多くの違った意見や矛盾した意見について、聖書学者は自由に討議し、書かれた伝え、或いは口伝、あるいは、その先にあった単数或いは複数の資料に由来するという仮説を立てることができるか。

解答。肯定する。

3578(2165)質問2:

聖伝による証言も歴史的な裏付けもなしに「二重資料説」と呼ばれる仮説をたやすく受入れることは、上の決定に忠実であると言えるか。この仮説はマテオのギリシャ語福音書とルカ福音書の成立が、主としてマルコ福音書と主の教話集といわれるものを資料として書かれたものであると言う。

また、この仮説を自由に吹聴して唱えてもよいか。

解答。ニつの部分とも否定する。


出所:http://fsspxjapan.fc2web.com/other/20030502c.html

【調和福音書について】

 福音書は「事実」を描いたものではなく、「真実」を語ったものです。事実は1つです。もし、福音書がイエスの生涯についての「事実」を描いたものだとすれば、福音書が4つもあるのも、それぞれ記述内容が異なるのも、新約聖書の編纂者にとってははなはだ都合が悪かったはずです。新約聖書の編纂者が「福音書はイエスさまの生涯についての『事実』を描こうとしたのだ」という立場であるなら、福音書は1つに絞り込んでいたでしょう。しかし、実際には、福音書は4つあり、イエスの言動についての記述は異なったまま残されています。

 なぜなら、新約聖書の編纂者は福音書が宣教の書であり、福音書の記者にとっての「真実」を描いたものであり、「事実」を描いているわけではないことを知っていたからです。

 一部のキリスト者さんに見られるように、聖書の価値を「事実の集大成」だという点に求めるのは、むしろ近代以降の態度ではないでしょうか。「事実でなければ価値がない」とでもいわんばかりの態度は、近代の病理とでもいうべきでしょう。聖書の価値は記述されていることが事実であるとか、そんなどうでもよいところにあるのではありません。

   もっとも、「福音書が4つもあるのは都合が悪い」と考えて、4つの福音書を編集して1つにまとめた「調和福音書(ディアテッサロン)」というのも作られたことがあります。キリスト教護教家として知られるタティアノス(120年頃−2世紀末)がまとめた「調和福音書」はシリア語を話す諸教会で広く使われましたが、初期キリスト教会の教父たちの間では不評でした。無理に1つにまとめることで多様なイエス像、イエス理解が損なわれるのを嫌ったからです(ちなみに、タティアノスは「結婚は悪魔の所業だ」とした人物です)。

 「新約聖書の編纂者は福音書が『事実』を描いていると勘違いしていて本当は1つにしたかったけれど、1つにするのが派閥の勢力関係で難しかったから4つで妥協した」といった半可通にありがちな解釈は、「調和福音書」が初期キリスト教会の教父たちの間では不評であったという、既に明らかになっている学問的な事実に反する単なる想像に過ぎません。福音書が「事実」を描いているとするのは、ダーウィンの進化論が広まった後の時代の一部のキリスト者(福音派)の捉え方であり、特に米国においてのことでしょう。「科学者」という言葉が生まれたのは19世紀のことです。非常に大雑把ないい方をすれば、個別科学は哲学から分化し、哲学は神学から分化しました。(個別)科学がまだなかった時代に、聖書に書かれていることをすべて「事実」だといい張ったり、聖書を科学的に証明しようとするようなピントの外れた試みがなされるはずはありません。そうした解釈は近代以降のものの見方・考え方をそのまま古代に持ち込んだものでしかなく、当然ながら誤っています。

 なお、「調和福音書」の話をすると、「聞いたことがない」「知らなかった」というキリスト者さんがおられますが、信仰する上ではどうでもよい知識です。知らなくても平気です。ただし、キリスト教について多少なりとも学問っぽいことあれこれ論じるのなら、当然知っておくべき常識だといえます。実際、市販されているキリスト教(というか聖書学)に関する入門的な解説書(例えば、青野太潮[1994]『どう読むか、聖書』朝日選書)にも「調和福音書」の話題は出ていますし、Wikipediaの「福音書」の項でも「合併福音書(ディアテッサロン)」として解説されています。ネットの掲示板では「合併福音書は知っていたが、調和福音書という名前は知らなかった」とか、自分の不勉強をタナに上げて弁解をする人も見かけますが、どちらも「ディアテッサロン」の日本語訳であって同じものです。「調和福音書」は、専門家しか知らないような高度な内容でもなんでもありません。にもかかわらず、自分が知らなかったということだけで「そんなのは常識じゃない」「知らないのが当然だ」という態度を取る人たちが一部にいます。見苦しい限りです。誰でも知らないことはあります。知らなかったことは勉強すればよいのです。恥ずかしいのは知らないことではなく、知ったかぶりをしたり、無知を開き直ることでしょう(余談ですが、掲示板における議論の際にしばしば見かける「わたしはバカだから」という態度は、そういっている本人が決して自分のことを本当にバカだと思っていないという意味において性質[たち]の悪い開き直りでしかありません)。

ネットの掲示板で「キリスト教不要論」だとか「キリスト教否定論」だとかを唱える人たち(「不要論」と「否定論」とが一体どう違うのかという点についての納得のいく説明は一切ない)の中には、キリスト者の言葉の揚げ足を取ったり無知をあざ笑ったりすることだけが目的ではないかと疑わざるを得ない人たちもいます。例えば、ネットで調べれば簡単にわかるような事柄を得意げに語る人たちがいます。今はキリスト教関係のWebサイトも結構ありますから、大抵は検索すれば何か見つかります。Wikipediaだけでも、知ったかぶりぐらいはできます。私は仏教には疎いのですが、ネットで検索しまくれば、素人を騙すぐらいのことなら多分いえるでしょう(そうするインセンティブが全くないのでしませんが)。しかし、ネットで知識の欠片が得られたとしても、しょせんは付け焼刃です。そうしたアプローチではいろいろと知らないことも出てきます。調べ方がまずくて見つけられないこともあるでしょう。見る人が見ると、枝葉の細かい箇所には異様に詳しい反面、基本中の基本の部分が抜けていたり、間違っていたりすることもしばしばあります。これはその学問分野の基本的なトレーニングを積んでいないからです。とはいえ、自分が知らないからというだけで「常識じゃない」「知らないのが当然」と開き直るようでは知識は増えませんし理解も深まりません。ネットの検索ではわからなければ、図書館にでも行って関連図書を読むとかすればよいのです。そこまでするのが面倒だから、「常識じゃない」「知らないのが当然」といい張るのです。恐らくは費用対効果を考えると、そこまですることに意味がないからでしょう。この手の人たちは、結局のところ、掲示板の他の投稿者を小バカにしたりROM(ロム:掲示板の書き込みを読むだけで自分では書き込まない人)をしている人たちに「博識」だとか「頭がいい」だとか思われたいだけなのです。誉めてほしくてやっているという点では、「立派な信仰者だ」といってほしくてネットの掲示板に意味不明な証をタレ流したり、誰彼構わずに信仰を押し付けるような無神経なことを平気でやっている一部の勘違いキリスト者と変わりません。議論というのは意見の交換です。議論を通じて自分の考えの曖昧な点や間違った点に気づかされて、自分の考えをよりよいものとしていこうとは彼らは考えていません。彼らにとって議論とは勝ち負けであって、屁理屈をこねてでも相手をいい負かせばいいのです。そのためには前後矛盾するようなことも平気でいいます。言葉の定義すら捻じ曲げます。議論を勝ち負けだと誤解している人たちと議論するのは、単なる時間のムダでしかありません。真剣に議論するだけバカらしくなります。はっきりいいますが、ネットで調べて簡単にわかる程度のことは「知識」と呼べるようなものではありません。なるほど、効率よく調べものができることも1つのスキルであるのは間違いないでしょう。しかし、だからといって、「博識」であるわけでも、まして「頭がいい」わけでもありません。

 キリスト者の中には、確かにものを底抜けに知らない人もいますし、小学校低学年程度の基礎的な読解力が欠如しているとしか思えない人もいますが、無知な人や読解力のない人は非キリスト者の中にもいます。まして、キリスト教のあれこれの教理を学んだ上でキリスト者に「なる」わけではありません。三位一体の教理を十分に勉強した上でキリスト者に「なった」なんて人はまずいないでしょう。キリスト教の知識が欠けているキリスト者がいても何もおかしくはありません。キリスト教のあれこれの教理というのはいわばオマケなのであり、そんなものは知らなくても信仰者として暮らしていく上では全然平気です。イエスが救い主であると心で信じ、口で告白する人はキリスト者なのです。あとのことは全部余計なことです。そこのところの理解を欠いたまま、キリスト者の発言の細かい部分での無知や誤解を論(あげつら)って自慢顔をするおバカさんが跡を絶ちません。愚かなことです。熱病患者のうわ言のような証をタレ流す勘違いキリスト者にもうんざりですが、ネットで調べれば簡単にわかる程度のことで揚げ足取りをして喜んでいる、一部のキリスト教「無用」論者やキリスト教「否定」論者もいい加減にしてほしいものです。



3.福音書に見るイエスの生涯

 既にみたように、福音書で描かれるイエス像は互いに異なります。また、記述内容が「事実」だとすると矛盾しているように見えるところも少なくありません。しかし、福音書が書かれた目的は、大筋では「十字架に付けられて死んだイエスこそが救世主である」ということを証(あかし)するためでした。そうした宣教の書であるという福音書の性格上、そこに描かれている出来事を史実として鵜呑みすることはできませんが、イエスの生涯はおおよそ次のようなものだとされています。

 ヘロデ王の治世のある日、イエスは、ローマ帝国の支配下にあったパレスチナ・ユダヤのベツレヘムでマリアの子として生まれました。マリアには婚約者で大工のヨセフがいましたが、マリアは「聖霊によって身篭った」とされています(いわゆる処女懐妊)。

 イエスは、幼少年期をガラリア地方のナザレ村で過ごし、家業の大工の手伝いなどをしていました。30歳の頃、洗礼者ヨハネからヨルダン側で洗礼を受け、ガラリア地方を中心に伝道を始めました。

 イエスは、当時のユダヤ教が隣人愛を忘れて律法主義の偽善に陥っていると厳しく批判し、社会的に虐げられていた人たちの側に立ちました。また、神の国が近づきつつあるとし、人々に悔い改めて福音を信ずるように説きました。その過程で、死者を蘇らせたり、病人を癒したり、水の上を歩くなど数々の奇蹟を起こしたといわれています。

 イエスの伝道は、ユダヤ教徒の主流派(パリサイ派やサドカイ派)の反感を買いました。首都エルサレムで伝道を行っていたイエスは、弟子の1人であったユダの裏切りにあってゲッセマネの園で捕らえら、最高法院(サンヘドリン)での尋問の後、ローマの総督であったピラトに引き渡されます。

 ピラトは、ユダヤ教徒がイエスを訴えた理由が彼らの妬みであることを見抜き、何とかイエスを釈放しようとします。しかし、最後にはユダヤ教徒に押し切られて、イエスの処刑に同意します。

 「ユダヤ人の王」という罪状書きをつけられたイエスは、殴られたりツバを吐きかけられたりした上にムチで打たれ、エルサレム門外のゴルゴタの丘で2人の強盗とともに十字架にかけられて死にました。イエスが息を引き取ると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けたり、地面が揺れて岩が裂けたといいます。

 死後3日目にイエスは復活し、40日間にわたって弟子たちの前に姿を現します。そして、最後にはエルサレムの東にあるオリーブ山から弟子たちの見守る中、天に昇っていったとされています。



 繰り返しになりますが、新約聖書はイエスの言動を記録した歴史書ではなく宣教の書、神学書であり、そこに描かれたイエスの問答も、「イエスさまならこんな場面にはこうお答えになっただろう」といういわば想定問答のようなものです(とはいえ、想定問答を創る上での素材としてはイエスの実際の発言が用いられていると考えられています)。新約聖書の解読から「史的イエス」に迫ろうとした19世紀の自由主義神学的なアプローチはいわばタマネギの皮むきのようなものであり、最後には「イエスは実在したのだろうか?空想上の人物ではないのか?」というところまで行き着きました。

 とはいえ、「使徒信条」


  我は、天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我は、その独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は、聖霊によりてやどり、
処女マリアより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、
三日目に死人のうちよりよみがえり、
天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、
かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず、
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪の赦し、体のよみがえり、とこしえの生命を信ず。アーメン



で描かれるイエスは、その生涯の最初(生誕)と最後(十字架での死と復活)とが取り上げられ、途中がすっぽりと抜けているわけです。シュライエルマハーに始まり、『義認と和解』のリッチュルや『キリスト教の本質』のハルナックらに代表される19世紀の自由主義神学は、その点に不満を抱いていたのでしょうし、「本当のところ、イエスはどんな人物で、どんな教えを説いたのか」を知りたいという欲求はイエスに心惹かれた人たちにとってはごく自然なもののように思います。

【イエスの死と復活の意味】

 キリスト者はイエスの十字架での死と復活とを非常に重視する傾向がありますが、非キリスト者にはどうにもピンとこないことの一つだといえます。処刑されたイエスが甦ったというのは奇蹟だとしても、それがどうして人類の罪を赦すことを意味するのかさっぱりわからないわけです。

 イエスが説いた元々の「福音」の意味は「神の国(=神の支配)が近づいた」ということです。イエスの宣教というのは、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」というものでした。死後、イエスは彼が「父(アッバ)」と呼んだ神と同一視されるようになりますが、イエス本人はどうやら自分のことを神の福音を伝える使者だと位置付けていたようです。イエスの死後、パウロ辺りになると、福音は律法との対比で捉えられるようになり、「罪なきイエスが人間の罪を贖うために身代わりになって死んだこと、そして復活したこと」を意味するようになります。いわゆるパウロ神学というのは、こうした十字架の贖罪説をとっています。

 なぜ、それが福音(=よい知らせ)なのかは、1つには、ユダヤ人の間では人間の死が罪ゆえだとされてきたことを知らないとわかりません。また、聖書の神が生贄を求める神であることも知っておくべきです。(旧約)聖書の冒頭の創世記では人間(アダムとエヴァ)が神のいいつけに背いて知恵の木の実を食べて善悪を知る者となりますが、神は彼らを放置すると命の木の実まで食べて永遠に生きる者となるのではないかと恐れ、彼らを園から追放します。一般には、人間が死ななければならないのは罪ゆえだとされてきたわけです。人間の死を罪と結びつける考え方は異邦人(ギリシア人など)の間にはありませんでしたから、パウロがギリシア人を相手にイエスの死者の中からの復活を説いても、まともに相手にされなかったのです。

 人間はその罪ゆえに死すべき存在とされました。ところが、自らを生贄として神に捧げたイエスは死んで復活しました。これは人間が死から解放されたこと、つまり、罪を赦されたことを意味します。イエスが初穂となって復活したことは、人間が神から罪を赦されたということの何よりの証拠といえますから、パウロはイエスが十字架で死んで復活したことを福音だと述べたのです。新約聖書にはマリアの処女懐妊についての記述もありますが、パウロの場合、イエスがキリストであるとする根拠はイエスが死者の中から甦ったことに求められています。そして、イエスをキリストだと信ずる者、すなわち、キリスト者はイエスと同じく罪を赦されます。罪を赦されたことは死からの解放として示されますから、イエスをキリストだと信ずることを「永遠の命」と呼ぶわけです。「永遠の命」というのは単純な「不死」を意味するわけではなく、罪を赦されたというところにポイントがあるのです。

 以上の私の主張の根拠となる聖書の該当箇所も引用もしておきましょう。

 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」といわれた。(マルコ1:14−15)

とあります。これがイエスが説いた元々の福音です。

 次に、パウロですが、コリントの教会員に対してパウロは「あなたがたはこの福音によって救われます」と述べ、その内容として「聖書に書いてある通り、キリストが私たちの罪のため死んだこと、葬られ、そして三日目に復活されたこと」(コリント15)を改めて挙げています。

 また、「神はキリストによって世をご自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉を私たちに委ねられたのです」(第2コリント5:19)という箇所もありますし、「キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました」(第2テモテ1:10)などとも述べられています。他にも、「キリストは…雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって…贖いを成し遂げられた」(ヘブル9:12)とか、「[キリストは]御自身を生け贄として捧げて罪を取り去るために、現れてくださいました」(ヘブル9:26)とか、「キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされた証なのです」(第1テモテ2:6)といった記述もあります。

 以上、私が理解している範囲では、キリスト教における「福音」とは、「人間の罪が赦された」ということです。どうしてそういえるのかといえば、自らを生贄として神に捧げて十字架にかかって死んだイエスが死者の中から甦ったからです。罪ゆえに死すべき存在とされた人間が復活したということは神が人間の罪を赦したことの何よりの証だからです。その意味において、イエスはキリスト(救世主)とされ、イエスをキリストと心で信じ口で告白する者(=キリスト者)は永遠の命を得るとされるのです。

 もっとも、後のキリスト者のように、イエスを神自身だとしてしまうと、「イエスが神に自らを生贄として捧げた」というところが、「神が神に自らを生贄として捧げた」こと(天父受難説)になってしまい、全く意味不明な事態に陥ってしまいます。こうしたわけのわからないことが起きてしまったのは、「イエスは自らを生贄として神に捧げた」という元々の話に、初めにはなかった「イエスは神だった」という話が加わったからです。その上、ユダヤ人の間では伝統的に神は唯一神とされていますから、イエスを神とすると、イエスが天父と呼んだ神とで2柱の神がいることになるのははなはだ都合の悪いことです。そこで、「イエスは神であり、同時に人でもある」というウルトラC級の解釈(「神・人両性」論)が生まれます。「イエスは神であり、同時に人でもある」というこの不可解というしかない解釈は、「イエスは神だ」という新しい説と「神は唯一神だ」というユダヤ教の伝統的な立場と「イエスは自らを生け贄として神に捧げた」という元々の解釈とを、何とか同時に成り立たせようとして生まれたものであり、キリスト教父らの苦心の産物といえます。つまり、「イエスが自らを生け贄として神に捧げた」というときには、イエスの神性は無視して人性だけに注目することで天父受難説のような意味不明な事態を回避しようとしたのです。

 なお、世間の常識としては、死んだ人は生き返ったりはしません。真顔でそんなことをいえば、まともではないと思われるでしょう。それが普通なのですが、どうもそのことをわかっていないキリスト者さんが少なからずいるようで呆れます。

◆死んだ父親の蘇生願い墓から遺体を掘り起こす (ロイター)

 [カラチ 3日 ロイター] パキスタンの警察当局は、2年前に死亡した父親を生き返らせようとして、墓から遺体を掘り起こし、強奪した救急車で自宅に搬送した男の行方を追っている。

 警察は、家族の話として、男は精神障害があり、父親の死を受けられないでいる、と事件について説明した。

 警察の担当官はロイターの取材に対し「この男は1日夜、父親の遺体を掘り起こし、乗っ取った救急車の運転手に拳銃を突きつけ遺体を自宅に運んだ」と話した。

 警察は2日、救急車の所有機関およびこの男の兄弟からの連絡を受けて、家宅捜索を行った。

 男は、白骨化した父親の遺体を自室に12時間以上も置いていたが、警察が捜索に入った際に逃走。遺体は警察によって再び埋葬された。

 さらに男は、墓地で寝ていたホームレスも誘拐し自宅に監禁。このホームレスは、男が父親を生き返らせるために遺体に呪文(じゅもん)を唱え、ローズ水をかけているのを見た、と話している。

 この男は遺体損壊罪で懲役1年に処せられる見通し。

出所:http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/surprise_news/story/05reutersJAPAN249658/



 これが「死者が生き返る」という話を聞いたときの世間一般の反応です。キリスト教の世界に首までドップリと浸かっていると、「死者の中からの甦り」といったことが当たり前であり、疑い得ない真実として実感されるのでしょうが、世間ではそうではありません。世間では死者が生き返るなどという話は荒唐無稽な話であり、そんなことを真顔でいえば、「コイツ、頭がおかしいんじゃないか?」と思われるということは、十分に認識しておくべきでしょう。その点の自覚が乏し過ぎるキリスト者さんが目立つように思えます。

【マリアの処女懐妊】

 マリアの処女懐妊については「イザヤ書で預言されている」という主張がしばしばキリスト者からなされます。確かに、「イザヤ書」(7:14)には、「見よ、乙女が身篭って」云々とありますが、ここで「乙女」と訳されているのは、ヘブル語聖書マソラ・テキストでは「アルマ」であり、七十七人訳ギリシャ語聖書では「パルセノス」です。アルマは「若い女性」という意味ですし、パルセノスも「結婚適齢期の女性」という意味であり、「処女」ではありません。つまり、「イザヤ書」で述べられているのは、「処女が懐妊する」という話ではないのです。「イザヤ書」の記述を処女懐妊についての預言だとしたのはアンティオキアのイグナティウスであり、神学的な意味づけを行ったのはエイレナイウスです。「主は、聖霊によりてやどり、処女マリアより生まれ」としている「使徒信条」は、エイレナイウスの解釈を継承しているわけです。

 イエスの生誕についての記述は、「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」には見られますが、聖書学者の研究によって最古の福音書とされる「マルコによる福音書」にはイエスの生誕についての記述は存在しません。また、最も後に書かれた福音書である「ヨハネによる福音書」にもイエスの生誕に関する記述はありません。マリアがヨセフとの婚約中に妊娠し、ヨセフがイエスの実父でないことは、聖書学者もほぼ確実に史実であると見ています。そして、「マルコ」にイエスの生誕についての記述がないのは、「マルコ」の記者の関心がイエスの生い立ちにはなかったからであり、「ヨハネ」の記者がイエスの生誕に触れていないのは、その必要がなかったからだと考えられています。他方、「マタイ」の記者と「ルカ」の記者は、イエスの生誕についての記述を欠く「マルコ」を補う必要があったのだと考えられます。

 異邦人伝道を意図した「ルカ」の場合、イエスの生誕を聖霊によって処女が懐妊したものとして描き出すことで、古代の偉人や英雄の物語に見られる神秘性をイエスにも与えることが目的の1つでした。そして、もう1つの(より重要な)目的は、イエスが私生児であるという風説を打ち消すためでした。「イエスは強姦されたマリアが生んだ私生児だ」という話は、ユダヤ教徒の側から唱えられたもので、1世紀から5世紀のラビ文献のあちこちに登場します。オリゲネスの『ケルソス反駁』の中でも、ユダヤ人の哲学者ケルソスがイエスをマリアがローマ兵パンテラと姦通して生まれた子どもだとしていることに言及しています。著者のオリゲネスは、「少なくともニカイア会議以前の時代における最も傑出した神学者」と呼ばれるアレクサンドリア学派の弁証家ですが、「イエスは自分を神だといった」という点および「マリアは密通して捨てられた」という点の2点についてのみケルソスに反論しており、その他の点ではケルソスの主張を認めています。もっとも、禁欲を貫くために自ら去勢までしたオリゲネスは、「インマヌエル」の母であるマリアには、通常の懐妊よりも、処女懐妊の方が「ふさわしい」(?)とも述べています。

 「マルコ」(6:3)では、イエスの故郷の住民が「この人(イエス)はマリアの息子ではないか」と述べていますが、当時のユダヤ社会では、子どもは父親の名前によって呼ぶのが通例でした。つまり、イエスの場合なら、「ヨセフの息子」と呼ばれるはずなのに、母であるマリアの名前で呼ばれています。これは、イエスが私生児であることを示唆します。「ヨハネ」(8:41)の中で、ユダヤ教の指導者たちが「私たちは姦淫によって生まれたのではありません」と述べているところからは、「あなた(イエス)は姦淫によって生まれた」と非難する意図が読み取れます。「ルカ」の記者は「イエスは私生児だった」「私生児が神の御子のはずがない」という非難に対抗する必要上、「マルコ」にはないイエスの生誕に関する記述を付け加えたのではないかと考えられるのです。

 さて、マリアの処女懐妊という物語を示すことで「イエス様は私生児などではない!」と「ルカ」の記者は反論したわけですが、「イエスは私生児じゃないか」という非難に対しては別の対応も可能だったように思えます。「イエス様は私生児ではない」というとき、人は知らず知らずに私生児を蔑視しているのです。「私生児が神の御子のはずがない」という点を認めているからこそ、「いいや、イエス様は私生児ではない」という反論が出てくるわけです。しかし、「確かに、イエス様は私生児だった。しかし、私生児であることは悪なのか。世間で蔑まれる私生児であっても、イエス様はまことに神の御子であった」という反論もできたように思います。でも、初期のキリスト教会はそういう反論はしなかったんですよね。

 駐屯しているローマ兵たちによる婦女暴行事件も恐らくしばしば起きており、そうした不幸な出来事によって望まない妊娠をしてしまった女性も少なからずいたはずです。「イエス様は私生児ではない」と反論することで、「マルコによる福音書」で描かれた社会で差別され抑圧されている人たちの側に立つイエスとは異なり、初期キリスト教会は私生児を蔑視する側に立ってしまったことになります。

 なお、既に見たようにパウロの場合、イエスの神性の根拠は十字架にかけられて死んだイエスが甦ったという「死者のうちからの甦り」という点に求められており、マリアの処女懐妊への言及はありません。

 三位一体説もそうですが、十字架での死というイエスの最期から遡る形で理屈を追っていく中でマリアの処女懐妊も要求されたわけです。

 まず、ユダヤ人の間では、アダムの背きによる罪(原罪)は、子々孫々に引き継がれる(遺伝する?)とされましたから、イエスが人間の両親から生まれたとすると、イエスも原罪を引き継いでしまいます。

 次に、イエスが十字架にかかることでこれまでの人類とこれから先の人類の罪を一身に背負って、それを贖うために死んだのだという十字架贖罪説があります。この立場でいえば、イエスが罪のある存在では困るわけです。イエス本人には罪はないのだけれど、全人類の身代わりとなって十字架にかかったとしなければなりません。

 こうした要求を満たそうとすれば、イエスは普通とは違った生まれ方をしてくれないと困ると考えたわけです。

 とはいえ、初期キリスト教会は、「イエスは霊体であって肉体を持たない存在だ」というマルキオンのような見方(仮現説)は採用しませんでした。マルキオンの場合、イエスには人間の親はなく、カペルナウムに突然大人の姿で現れたことになりますが、そうした見方を否定したわけです。グノーシス派(といっても、非常に幅広いわけですが)の場合、イエスは「水が管を通るように」マリアから生まれてきたとします。この場合も、イエスは肉体を持っていません。

 オリゲネスの批判を読むと、イエスに肉体がなく霊体であるとすると、我々人間の罪の贖いができないという点が強調されています。ここでも、十字架が最初にあって、そこから遡っていくわけですね。

 イエスについては、神の養子説(Adoptionism)もあります。イエスは人間の両親から生まれた普通の人間であったが、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時点で神の養子となったのだとする説です。オリゲネスがさかんに批判したエビオン派もこの立場でした(オリゲネスは「エビオンとは『貧しい者』という意味だが、あの連中は理解が貧しいからそう呼ばれるのだ」とまでこき下ろしています)。確かに、イエスがヨハネから洗礼を受けた場面の記述は、そういうふうに読めなくもありません。

 イエスの弟子たちの場合、上記のような理屈の整合性というのはほとんど問題にはならなかったと思われますが、後になると、そうもいっていられなくなります。キリスト教を国教と定めたローマ帝国にとっては、さまざまなキリスト教が分立している状況は決して好ましいものではなく、正統派の教義を確定し、国定教科書ならぬ国定キリスト教を打ち立てることは政治的に不可欠でした。そのため、不毛とも思える長く激しい論争が繰り広げられ、最後には武力をも用いて反対派を議場から排除することとなったわけです。

【使徒信条とは?】

 使徒信条という名称は4世紀には用いられていたことが判っています。使徒信条の「使徒」は、いうまでもなくイエスの弟子であった12使徒に由来しますが、それを裏付ける資料は発見されておらず、単なる伝説のようです(とはいえ、そういう伝説が残っていること自体には意味があります)。実際には、2世紀の後半にローマで洗礼の際に用いられていた信仰告白である「ローマ信条」が使徒信条の原型であるといわれています。

 使徒信条は東方教会(ギリシャ正教およびロシア正教)を除く総てのキリスト教会で広く用いられてきましたから、正統派のキリスト者ならば誰でも使徒信条を受け容れているといえます。

 内容を詳しく見ると、使徒信条は、三位一体(イエスは、神=神の子=聖霊)の神を告白する構成になっています。三位一体の神を信じ告白することが正統派キリスト教会にとって真実の信仰であり、この信仰が不明確になると信仰の屋台骨が崩れてしまうというような教会の根本教理であるとされています。もっとも、イエスの存命中には新約聖書はまだ編纂されていませんでしたし、新約聖書にも三位一体の教理が明記されているわけではありません。長く不毛とも思える激しい論争の過程で形成されたのが三位一体説(三位一体の教理)です。

 なお、三位一体説の形成過程については、ここをご参照下さい。

【福音書間の記述の食い違いについて】

 4つの福音書の間には、あちこちに記述の食い違いが見られます。例えば、イエスの生誕に触れているのは、「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」の2つです。「マルコによる福音書」と「ヨハネによる福音書」ではイエスの生誕については触れられていません。「マタイ」を読むと、イエスの誕生に際しては東方の博士がお参りに訪れます。「ルカ」ではお参りに来るのは羊飼いです。「マタイ」ではメシアの誕生を恐れたヘロデ王がベツレヘムとその周辺一帯の2歳以下の男の子を皆殺しにし、それを避けるためにイエスの家族はエジプトに逃れたとあります。一方、「ルカ」ではエジプト逃避行の記述はありません。

 ここから「だから、聖書の記述は信用できない」と結論する人たちもいます。一方、「聖書は神の御言葉を記した書物」という立場から食い違いにしか見えない福音書間の記述の辻褄を合わせようとする立場もあります。

 ただ、イエスは1人だとしても、キリスト者の数だけイエスはいたのではありませんか。それらのイエス、イエス像は1人1人のキリスト者にとっては真実のイエスです。事実かどうかなんて、そんなことはどうでもよいのです。

 「(旧約?)聖書は百科事典」といういい方がありますが、新約聖書に福音書が4つもあるのは、福音書を同人誌のような二次創作だと捉えてみると、理解しやすいかも知れません。イエスの死後、何十年も経つうちに、キリスト者の間にはさまざまなイエス像が生まれてきます。それらを無理やり1つにまとめるのではなく、食い違いは食い違いとして、そのまま残してまとめたものが新約聖書だったのではないでしょうか。その意味では、新約聖書は、同人誌でも、誰か1人が自分のイメージするイエス像を描いた個人誌ではなく、何人ものキリスト者が各々自分のイメージするイエス像を描いたいわば合同誌のようなものかも知れません。

 どれが正しくて、どれが間違っているというのではなく、各々それを描いた人にとっては魂の真実なのです。記述に食い違いがあるから間違いだとか信用ならないとするのも、そうした批判をかわそうとして異なる記述の間の辻褄を無理にでも合わせようとするのも、どちらも事実と真実とを区別しないところから起こってくるのではないでしょうか。

 さて、イエス生誕の場面について「マタイ」と「ルカ」との記述に食い違いがあることはよく知られていますが、この食い違いについては実は食い違いではないとする解釈もあります。日本語ではどちらもイエスを「幼子(おさなご)」と標記していますが、英語訳の聖書では、「マタイ」ではyoung child、「ルカ」ではbabeとなっているので、「マタイはイエスが生まれてから何年か経ってからの話で、ルカはイエスが生まれた直後の話だ」とする「時期の違い」説とでも呼ぶべき解釈です。

 確かに、「マタイ」には、イエスがベツレヘムのどこで生まれたかは記されていません。星に導かれて東方の博士たち(「東方の三博士」と呼ぶのが通例ですが、実は人数は書かれていません)がイエスがいる家を訪れたとされているだけです。ここから、「ルカ」が描いたのはイエスが生まれたときのことで、イエスの生後2年ほど経ってから東方の博士が訪れたのだという解釈も成り立ちそうに思えます。なるほどそうした解釈が成り立てば、「イエスが生まれたときに訪れたのは東方の博士たちか、それとも羊飼いか」という問題は解消するでしょう。しかし、私は、そうした「時期の違い」説にはやはり無理があると考えています。

 もし、イエスがベツレヘムで生まれてから2年ほど経ってから東方の博士たちが星に導かれてイエスの家を訪れたとしたら、ヨセフとイエスとマリアはその間、ベツレヘムに住んでいたのでしょうか?「ルカ」(2:39)には、「両親は主の律法通りにすべてのことを済ませたので、ガラリヤに向かい、自分の町ナザレに帰った」とあります。イエスが生まれたのはベツレヘムでも、イエスが育ったのはナザレです。2年もベツレヘムに住んでいたとしたら、ここで矛盾してしまうでしょう。

 また、仮に、イエスの生後2年経った頃にたまたま何かの用事でベツレヘムをイエスの一家が訪れていたところに博士たちが訪問してきたとすれば、これまたおかしなことになります。「マタイ」では、博士たちが去ってすぐヨセフは夢のお告げを聞いて一家でエジプトに逃げ、ヘロデ王が死ぬまでエジプトにいたことになっているのに、「ルカ」では「過ぎ越しの祭りには毎年エルサレムに行っていた」とあって、矛盾します。

 まさか、イエスがエルサレムから帰るときに行方不明になり、探してみたらラビ相手に教理問答をしていたという「ルカ」で描かれている話は、エジプトに逃げる前のイエスが1歳や2歳ときの話だというわけにもいかないでしょう。大人相手に問答ができるぐらいの年齢までイエスは過ぎ越しの祭りには家族で毎年エルサレムに上京していたのです。つまり、東方の博士の訪問を受けた直後にイエスの家族はエジプトに逃げてはいません。

 福音書間の記述の食い違いを何とかつなぎ合わせて1つの整合性のある話にまとめ上げようとする試みは過去にもなされてきましたし、そうした観点からの福音書も書かれたこともあったわけですが、そうした努力は福音書に描かれた出来事を「事実」とみなすから出てくるわけです。

 福音書で描かれた出来事は、各福音書の記者にとってのイエス像であり、「真実」なのだと捉えれば、福音書の間で記述に食い違いがあるのはむしろ当然であり、そうした食い違いを無理に1つにまとめる必要性など全くないことは自明ではないかと思います。同人誌で描かれるアナザー・ストーリーを1つにまとめる必要なんかありませんよね。

 なお、イエスの復活についての記述の食い違いについては、「イスカリオテのユダ」をご参照下さい。

【「ユダの手紙」の謎】

 新約聖書については「『ユダの手紙』の中には、旧約聖書に載っていないエノクの預言というのが引用してあって、その引用元は偽典とされた『エノク書』だ。だから、新約聖書は信用できない」といった話を聞くことがあります。

 何を聖書に含め、何を聖書に含めないかは時代とともに変わってきました。「ユダの手紙」の著者が引用しているエノクの預言というのは、

 アダムから数えて七代目に当たるエノクも、彼らについてこう預言しました。「見なさい、主は数知れない聖なる者たちを引き連れて来られます。それは、すべての人を裁くため、また不信心な生き方をした者たちのすべての不信心な行い、および、不信心な罪人が主に対して口にしたすべての暴言について皆を責めるためです」

というものですが、確かに今日の旧約聖書にこのような預言は載っていません。

 エノクは、「創世記」の第5章に登場しますが、エノクという人物がイエレドから生まれてメトシェラや他の子供を生んで、965年間生きて、神が取られたのでいなくなったとか書いてあるだけです。エノクの預言というのはどこにも書いてありません。では、「ユダの手紙」の著者はエノクの預言なるものを一体どこから引用してきたのかといえば、ユダヤ教や主流派のキリスト教から偽典とされた「エノク書」の第1章第9節からなのです。なぜ、こんなことが起きたのでしょうか。

 よく知られているように、カトリック教会の用いる旧約聖書には、「トビト記」「ユディト記」「マカバイ記第一」「マカバイ記第二」「ソロモンの知恵の書」「シラ書」「バルク書」などが含まれていますが、プロテスタントの用いる旧約聖書にはこれら(アポクリファ)は収録されていません。カトリックの信徒にとっては聖書は全72巻ですが、プロテスタントにとっては聖書は全66巻なのです。もっとも、初期のプロテスタントの旧約聖書(例えば、ウイクリフやルターの翻訳聖書)にも今日のプロテスタントが認めていないアポクリファが含まれているので話はなかなか複雑です。

 さらに、初期のキリスト者たち、例えば、新約聖書の記者たちが使用していた旧約聖書には、アポクリファが含まれていました。新約聖書の中で旧約聖書を引用するときには、セプトア・ギンタ(七十人訳聖書)と呼ばれるギリシャ語訳聖書から引用していますが、セプトア・ギンタにはアポクリファが含まれていたからです。その意味で、プロテスタントがヘブル語聖書には含まれていなかった文書を外典化したことは、新約聖書の記者たちが使用していた旧約聖書の一部を正典ではないとして否定したことになります。

 20世紀最大の考古学的発見の一つとされる「死海文書」の中には、アポクリファがその他の聖書文献と一緒に含まれていました。このことは、かつてユダヤ人の間では、今日アポクリファと呼ばれる文書が他の文書から区別されずに神の御言葉とされていたことを示唆します。今日、ユダヤ教ではアポクリファは正典に含まれていませんが、それは西暦90年に開かれたヤブナ会議での決定によるというのが聖書学者たちの間で最も一般的な仮説です。新約聖書の元になる文書が書かれたのは西暦50年頃から西暦100年頃までの期間とされていますから、ユダヤ教の正典が確定されたのは新約聖書の元になる文書がほぼまとまった後だったことになります。

 さて、ここまで見てくると、「ユダの手紙」の記者が偽典とされている「エノク書」からエノクの預言を引用している謎が解けます。「ユダの手紙」の著者が「エノク書」からエノクの預言を引用した当時は「エノク書」は旧約の正典に含まれていたのです。というか、「ユダの手紙」の著者が「エノク書」からエノクの預言を引用した当時は、ユダヤ教の中で正典を確定するという作業がまだなされていなかったというのが正確でしょうね。「ユダの手紙」の著者は、自分が引用した「エノク書」が後に偽典として除外されるとは予想もしていなかったことでしょう。

 なお、上記は既に佐倉哲さんのサイトで考察済みのものであり、聖書学を学んだ人たちにとっては別に目新しい話でも何でもないと思います。

 佐倉哲さんのサイトの該当箇所はここ

http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/bible.html

です。



4.イエスの奇蹟

 ちなみに、新約聖書で述べられたイエスの奇蹟は以下の通りです。これらが「奇蹟」と呼ばれるのは、常識的に考えて、それが人間には不可能だからです。神は人間には不可能なことをやろうと思えば平気でやってのけられるから、それは神の御業(奇蹟)なのです。ところが、キリスト者の中には科学に対して妙なコンプレックスを持つ人たちが少なからずいるようで、これらの奇蹟を科学的に証明しようとムダな努力を重ねています。もし、以下で示すような奇蹟が「科学的に」証明されてしまえば、必要な手順さえきちんと踏めば、あなたも私も水の上を歩いたり、死者を蘇らせたりできるでしょう。誰でも同じことができるのなら、それは奇蹟ではありません。携帯電話で遠くの人と話ができたからといって、誰もそれを奇蹟とは呼びません。人間にはできないことだから、言い換えれば、科学的にあり得ない現象だからこそ奇蹟なのです。

【自然に対する奇蹟】

カナで水をぶどう酒に変える。カペナウムでの大漁。別の大漁。嵐を静める。5000人に食事を与える。水の上を歩く。4000人に食事を与える。納入金。イチヂクの木を枯らす。

【人間に対する奇蹟】

王室役人の息子ヤイロを癒す。38年の病気の人を癒す。ペトロの姑を癒す。らい病患者を清める。中風の人を癒す。片手の萎えた人を癒す。百卒長の僕を癒す。2人の盲人を癒す。耳が聞こえず口のきけない人を癒す。ベッサイダの盲人を癒す。エルサレムの盲人を癒す。18年間病気の女を癒す。長血を患っている女を癒す。水腫の病人を癒す。10人のライ病人を癒す。盲人バルテマイを癒す。祭司長の僕の耳を癒す。会堂での癒し。盲人を癒す。ゲサラでの癒し。口のきけない人を癒す。ツロ・フニキャヤの女を癒す。てんかんの息子を癒す。

【死者に対する奇蹟】

ヤイロの娘を生き返らせる。やもめの息子を生き返らせる。ラザロを生き返らせる。

 なお、これらの奇蹟が文字通り実際に起きたことだと信じているキリスト者(福音派)もいるわけですが、例えば、「水の上を歩いたという奇蹟で水は人間の心を表している」といった解釈をしているキリスト者もいます。こうした解釈はルドルフ・ブルトマンらが行った「非神話化」論に通ずるものです。

 キリスト教を批判する人たちの中には、上記のような奇蹟が「科学的にあり得ない」ことを根拠として「キリスト教はインチキだ」と主張する人たちもいるわけですが、普通に考えれば「あり得ない」出来事だから「奇蹟」と呼んでいるのであって、その点を指摘してみても、キリスト者にとっては痛くも痒くもないでしょう。そもそも、キリスト者はイエスが数々の奇蹟を起こしたからイエスを神だと信じているわけでもありません(といい切れない面もあります。奇蹟ゆえにイエスをキリストだと信じているようなキリスト者も一部には確かにいるからです)。「しるし」を見て信ずる、あるいは「しるし」を見ないと信じられないというのでは、「しるしを見せてほしい」とイエスに迫ったパリサイ人と同じです。その意味で奇蹟を「科学的にはあり得ない」と否定するのは、キリスト教への批判としては的外れだといえるでしょう。



5.洗礼者ヨハネとイエス

 ヨルダン川でイエスに洗礼を施した洗礼者ヨハネは、イエスがメシアであることを証します。しかし、後にイエスの下に弟子を送って、「あなたはメシアなのですか?それとも、別の方を待つべきですか?」と尋ねています。イエスは「わたしに躓かない者は幸いである」と遠まわしにヨハネを批判します。

 福音書を読む限り、洗礼者ヨハネはイエスをメシアだと証した後、イエスと行動をともにしていません。本来、預言によって洗礼者ヨハネに期待されていたのは、イエスを補佐し、人々にイエスをメシアだと証して伝道することだったと考えられますが、洗礼者ヨハネはなぜかそうしていません。その結果、イエスは自らが伝道しなければならなくなりました。自分で自分をメシアだと証するわけにもいかないので、イエスは「人の子」(ダニエル書ではメシアを指す言葉として用いられています)といういい方で自分のことをそれとなくメシアだと述べますが、弟子たちも含め周囲の人々は「人の子」がイエス本人を指していることに全く気がつきませんでした。

 聖書学の研究成果によると、イエスは洗礼者ヨハネのグループに所属していたが、律法の捉え方などを巡って対立して袂を別ったようです。福音書には、その辺りの詳しい事情は何も描かれておらず、洗礼者ヨハネはイエスをメシアだと証した後は、獄につながれて首をはねられるだけの存在となっています。もっとも、洗礼者ヨハネは民衆に広く支持されていたようで、彼の死後、イエスの弟子たちによる福音伝道が行われると、人々はイエスを「洗礼者ヨハネの再来」とも呼んでいます。

 なお、イエスは「女から生まれた者で洗礼者ヨハネほど偉大なものはいない」としつつ、「天国で最も小さな者でも彼よりは偉大だ」と述べており、ヨハネに対してここでも批判的です。詳しい事情は分かりませんが、2人の間には、よほど深い溝ができてしまったのでしょう。

 それにしても、もし、預言の通りに、洗礼者ヨハネがイエスを補佐してイエスをメシアであると証して伝道していたら、イエスは十字架にかけられて死ぬこともなく、ユダヤ人の間でメシアとして受け容れられていたかも知れません。もっとも、正統派キリスト教における伝統的な解釈では、イエスの十字架の上での死は人類救済のために神が予め計画していたことであり、不可避的であったということになっていますから、先のような素朴な感想をもらした時点で「あなたはキリスト教の基本が分かっていない」と批判されそうですね(笑)。

 なお、非キリスト者から見たイエスの十字架での死の不可解さについては、本サイト内の「三位一体」の教理をご参照下さい。



6.隣人愛

 「隣人愛」と聞いて何を連想するでしょうか?「隣人」を「愛しなさい」というイメージが一般的かも知れませんが、イエスの説いた隣人愛はそうではありませんでした。

 キリスト者が「隣人愛」を語るときに、必ず言及するのが「よきサマリア人の喩え」です。この話は、ルカによる福音書の第10章第30節から35節に述べられています。自分を義としようとして「では、わたしの隣人とは誰ですか?」とイエスに尋ねた律法の専門家は、イエスから「隣人とはユダヤ人の同胞のことです」という答えを引き出そうと考えたのでしょう。そして、イエスがそう答えたら、「私は(旧約聖書の「レビ記」第19章第18節にあるように)同胞のユダヤ人を愛しています」と答え、イエスに「なるほど、あなたは義人です」といわせたかったのではないでしょうか?

 ところが、イエスはその問いには直接答えずに、強盗に襲われて瀕死のユダヤ人の男を見て、同じユダヤ人である祭司やレビ人(神殿の雑用をする人)は見て見ぬ振りをして立ち去ったのに、見殺しにできずに思わず助けたサマリア人(サマリア人はユダヤ人と不仲です)の話を聞かせ、「3人の中で誰がこの男の隣人となりましたか?」と尋ねます。律法の専門家は「助けた人です」と思わず答えてしまい、イエスに「行ってあなたも同じようにしなさい(まぁ、無理だろうけど)」といわれてしまうのです。

 「誰が隣人ですか?」という律法の専門家の問いを、「誰が隣人になりましたか?」という問いへとイエスは論点を巧みにずらしています。「隣人になりましたか?」といわれれば、これは存在ではなく、行為を尋ねることになりますから、律法の専門家は「助けた人です」と答えてしまったわけです。イエスの誘導尋問にまんまとひっかかってしまった律法の専門家は大いに悔しがったことでしょう。

 イエスの説いた隣人愛は、「隣人である者を愛する」ことではなく、「(敵を)隣人のように愛する」ことです。これはとても難しいことです。敵を隣人のように愛することで、味方から自分は敵視されるでしょう。命すら危うくなるかも知れません。それだけの覚悟がなければ、隣人愛の実践はできないのです。実際、イエスは別のところで、「強盗ですら、自分の仲間を愛しています」といって、自分の説く隣人愛が「隣人を愛すること」ではなく、「隣人として愛すること」だと述べたと伝えられています。

【参考文献】

土井健司(2003)『キリスト教を問いなおす』ちくま新書

【追記】(2005年11月19日)

 新約聖書のある箇所では「神のようなものになりなさい」といわれています。しかし、実際問題としては人間が「神のようなもの」となることはまず不可能なわけです。「善きサマリア人の喩え」でイエスは「あなたも行って、そのようにしなさい」と述べていますが、自分の敵を無償で助けてやることなどできることではありません。まして、イエスの説く隣人愛は、砂漠で自分の分しか水も食べ物も持っておらず、この先、どこで水や食べ物が手に入るのかまったく見当もついていない状況下で、行き倒れている人を見つけたら、自分の持っている水や食べ物を全部あげてしまいなさいと求めるようなものです。コンビニに備え付けの募金箱に小銭を入れて、「ああ、いいことしたな」というようなレベルでの善行とはわけが違います(それすらもなかなかできませんが)。

 イエスの説いた「隣人愛」を「小さな親切」の延長線上で捉えている限り、それを実践することはそんなに大変ではないでしょう。しかし、本気で「隣人愛」を実践しようとすれば、ほとんど不可能だと直ちに気がつくはずです。パウロがいうように、律法を厳格に守ろうとすればするほど、人間は己の罪深さを思い知らされ、罪悪感から自己嫌悪の感情を抱くばかりでしょう。ルターの「塔の体験」(人間は善行によってでなく信仰によってのみ義とされるのであり、それはすべて神の恵みであるという理解)も、そうした究極の罪悪感を突き抜けたところで起きたものだと思います。

 イエスの説いた隣人愛は、普通の人間には実践できません。「善きサマリア人の喩え」は、「困っている人には親切にしましょう」という話ではないのです。サマリア人はユダヤ人の敵でした。その敵を、何の見返りも求めず、いやむしろ周囲の冷たい視線にもかかわらず助けることを求めているのです。例えば、自分の家族や恋人や友人を殺した犯人が逮捕されて法の裁きを受けるでもなくのうのうと暮らしているとします。その犯人の家が火事になり、犯人が火の中に取り残されたことを知ったとき、火の中に飛び込んでその犯人を助けなさいという教えです。こんなことは普通の人間にはできませんよね。「愛」を連発するキリスト者はそれこそ星の数ほどいるわけですが、彼らは自分が口にする愛を実践しているのでしょうか。口先で愛を説くのは簡単です。「それは神の愛です」「神は愛あるお方です」といったキリスト者の発言を聞くたびに、愛をそんなに安売りしてもいいのかなと疑問に思います。



 とあるキリスト教関係の掲示板で、「聖書では因果応報が説かれてある。ヨブも苦難に遭ったが、それを上回る祝福を受けた」といった反論が寄せられましたので、それに対する回答をここに書いておきます。

 旧約聖書の出エジプト記の第20章5−6節には、「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、私の命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである」と書いてあります。これはどう見ても因果応報的な見方です。

 一方、新約聖書のルカによる福音書の第10章25節−37節には、「よきサマリア人の喩え」が述べられています。自分を正当化するために「隣人とは誰ですか」と尋ねたパリサイ人に対して、イエスが語った喩え話です。キリスト者が隣人愛を説くときには、よくこの話を引き合いに出します。

 強盗に襲われて虫の息で行き倒れているユダヤ人をみて、神殿で下働きをしているレビ人や祭祀は穢れを怖れて見てみぬふりをして立ち去ります。そんな中、ユダヤ人と不仲だったサマリア人が見捨ててはおけないという気持ちから宿屋にそのユダヤ人を連れて行き、お金を払って宿屋の主に世話を頼むという、あの話です。

 「この3人(祭祀・レビ人・サマリア人)の中で誰が強盗に襲われた人の隣人となりましたか」というイエスの問いかけに対してパリサイ人も思わず、「助けた人です」と答えてしまうわけですが、あの喩え話のユダヤ人を人間(人類)とし、サマリア人をイエスとすれば、「イエスの愛は無償の愛」という話になります。

 サマリア人は行き倒れになっているユダヤ人を助けましたが、それは何ら見返りを期待してのものではありません。人間がイエスを崇めるから、あるいはイエスの教えに従うから助けるというのではないはずです。そこには因果応報的な発想はありません。仲間を大切にするだけなら、強盗でもそうしているとイエスは指摘していますね。

 今の私は上記のように解釈をしていますが、間違いなのでしょうか。キリスト教における神の愛とは、ギブ・アンド・テイクなものなのですか。

(04/29/2005)




7.信仰義認と悪人正機説

 正統派のキリスト教会では、信仰義認の立場をとっています。「よい行いをすれば天国に行ける」といわれますが、信仰義認の立場ではそのような考えは間違いとされます。イエスを救い主としてひたすら信じること、ただそれだけで救われると説くのです。このような信仰義認の立場は、親鸞の悪人正機説と似ていると指摘されることがあります(クリスチャンであった遠藤周作氏のキリスト教理解は浄土真宗的であるともいわれました)。

 親鸞の弟子である唯円(ゆいえん)が『歎異抄(たんにしょう)』の中に書き記した「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉は、「悪人正機説」として知られ、親鸞の言葉の中では最も有名かも知れません。親鸞の師にあたる法然も同様のことを述べているとことが近年の研究によって明らかになっていますが、親鸞は法然の教えを継承しつつ一層はっきり述べたのだと評価されているようです。もっとも、悪人正機説は『歎異抄』や口伝抄だけに見られます。親鸞の書いた『教行信証』では説かれていません。

 「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」とはどのような意味でしょうか。現代語に訳せば、「善人でさえ死後は極楽浄土に生まれ変わることができる。ましてや悪人ならなおさらだ」ということになります。これはある種の逆説です。「どうしようもない悪人でさえ極楽往生できるのだから、善人ならなおさらだ」というのであれば常識的に理解できる人も多いでしょうが、親鸞は常識の逆を説きました。

 悪人正機説の逆説的な論理を理解することは困難ですが、そこで説かれている「善人」とはどういう人でしょうか?善人とは自力で善行を積める人です。一方、悪人とは自力で善行を積めない人です。つまり、悪人正機説は「自力で善行を積む善人ですら極楽浄土に行けるのなら、自力で善行を積めない悪人ならなおさらだ」というになります。

 これでもまだ判ったような判らないような話ですね。補足しましょう。浄土真宗では、ご本尊として奉っている阿弥陀如来がまだ菩薩で仏になるために努力していたとき、四十八の願を立て、この願をすべて成就するまでは仏にはなるまいと心に堅く誓って修行を続けたという話があります。その四十八の願の中に「すべての人間を成仏(極楽往生)させられないのであれば、自分は仏にはならない」という願があるのだそうです。つまり、誰でも極楽往生できると阿弥陀如来によって約束されているというのです。

 「自分で良い行いができる善人は自分で自分の極楽を作ってさっさと救われてしまう。阿弥陀様が極楽を用意して救って下さろうとしているのは、煩悩に囚われて善行を積めない悪人なのだ」というのが悪人正機説で説かれる弥陀の本願だったと思います。イエスも「わたしがここに来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。医者を必要とするのは健康な人ではありません」と述べていましたね。

 「自分で善行を積める善人でさえ救われるのだから、絶対的な力を持つ阿弥陀如来が救おうと決意した悪人は必ず救われる」ということです。だから、あとは専修念仏(「南無阿弥陀仏」=「阿弥陀様にお任せいたします」という念仏をひたすら唱えなさい。他には何も必要ありません)ということになります。

 このようにいうと、「悪人でも救われるのなら何でも自分の好きなように勝手放題に生きてやろう」と考える人が出てきます。そのような考え方は「異安心(いあんじん)」(間違った解釈をして安心してしまうこと)と呼ばれます。親鸞も、そうした誤解が生ずることは十分承知していて、「いくらよく効く解毒薬があるからといって、わざわざ毒を飲むのは間違っているだろう」と述べて戒めています。正統派のキリスト教にも信仰義認という教えがありますが、場合によっては、「イエス様を救い主だと認めているから、何をやっても大丈夫。ありのままの自分を神様は愛してくれている」といったご都合主義の開き直りとなり、エゴを正当化する根拠に転落する危険を持つと指摘されています。

 悪人正機説への世間の誤解が跡を絶たない中、本願寺第8世の蓮如は「現世での行いがよいほどあの世でよい世界に行ける」と説きました。「すべての人は極楽に行ける」が、「極楽の中心地にいけるのはよい行いをした人たちで、悪事を働いた人たちは極楽でも中心から外れたところで暮らすことになる」というわけです(似たような発想はモルモン教にもあります)。これは、分かり易いといえばそうですが、「あとはひたすら阿弥陀様におすがりすればよい」という親鸞の元々の教えからすると、ずいぶんと大きな軌道修正ではないかと思います。

 何らかの戒律を守ったり儀式を行うことで救われるという立場は「行為義認」と呼ばれています。モルモン教会も行為義認の立場です。モルモン教会の行為義認説への疑問としては、例えば、「『神の御下で暮らすためには、善行を積まなければならない』?」などをご参照下さい。




8.遠藤周作氏の『イエスの生涯』におけるイエス

 既に故人となりましたが、カトリック信徒でもあった遠藤周作さんの『イエスの生涯』におけるイエス像は、非キリスト者の私から見ても、共感できるものでした。そこで描かれているイエスは、一言でいえば「無力な者」であり、社会的に虐げられた人たちの「永遠の同伴者」としてのイエスです。次々と奇蹟やしるしを見せるスーパーマン的な人物としてのイエスでは決してありません。

 最後の晩餐の際、イエスが再び地上のメシアになるつもりがないことを繰り返したためイスカリオテのユダや失望した群集が去った後、その場に残ったのはペテロらわずかな人数の弟子たちでした。では、彼らはイエスの真意を理解していたかというと、相変わらず誤解したままでした。残った弟子たちはイエスが地上のメシア(ユダヤ人の民族的な解放者)となってくれるものだと信じていました。「牢獄へもついていくし、死も恐れません」とまでいっていたペテロは結局「こんな人(イエス)のことは全く知らない」と否定します。遠藤周作さんはこのとき、弟子たちと祭司長たちの間で取引が行われ、イエスと一切縁を切る代わりに、自分たちの助命を願い出たのだと述べています。ペトロらもイエスを売ったのです。自分たちの弱さ、ふがいなさに情けなくなり、弟子たちは烈しく泣きます。

 ペテロらはイエスが裏切り者の自分たちをさぞかし恨んでいるだろうと思いました。十字架の上でこと切れるまでにイエスが何を言い遺すかに弟子たちはびくびくしていました。しかし、イエスは弟子たちを呪ったりはしませんでした。むしろ、彼らを赦したのです。弟子たちは大きなショックを受けました。こんな人は見たことがない。いや、ユダヤの歴史を振り返っても、こんな人の話は聞いたこともない。「まことこの人は神の子であった」とは弟子たちの口から出た言葉だったと遠藤さんはいいます。

 ペテロらは、自分たちがイエスの真意をいかに誤解していたのかをようやくぼんやりとではありますが、わかるようになりました。しかし、ペテロらが愛を貫いて死んだイエスの姿に衝撃を受けたとしても、それだけで弱虫で卑怯者だった彼らが弾圧に屈しない信仰者として伝道の旅に出たと考えることはできないと遠藤さんはいいます。人間は弱いので、一時は心を動かされても、そう長続きはしないものだ。彼らが不屈の伝道者となったのには、もっと別の理由があるはずだというのです。

 それがイエスの復活でした。今日、聖書学者は、イエスの復活については「イエスの教えが弟子たちの心の中にありありと生きるものとして甦ったことを指している」などとしています。合理的な解釈ではありますが、違うのではないかと遠藤さんはいうのです。

 最古の福音書である「マルコによる福音書」によれば、イエスの遺体に香油を塗るために婦人たち(マグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ、サロメ)がイエスの墓を訪れると、岩の蓋が動かされていて、中を覗くと若者がいました。若者はイエスが復活したと告げますが、婦人たちは恐ろしくなってその場から逃げ出し、誰にもそのことを告げませんでした(この後に続く、イエスがマグダラのマリアの前に姿を現した云々という記述は初期の写本にはなく、後に別の記者によって書き加えられたものであることが聖書学者の研究によって判っています)。

 この復活の場面については、福音書によって記述が異なりますが、そんなことはともかくとして、イエスの遺体がなくなっていたことだけはどの福音書でも共通しています。死んだはずのイエスがむっくりと起き上がり、墓の中からまるでゾンビのように出てくる…といった様子を描いたのは、「ペテロによる福音書」だけだったと思いますが、文字通りの復活でないとしたら、イエスの遺体は誰かがどこかに移したと考えるしかありません。「マタイによる福音書」では、パリサイ人たちがピラトのところへ行って、「イエスの弟子たちがイエスの死体を盗み出して、復活したなどといいふらさないように、墓の前を見張りを置くべきだ」と要求し、それを受けてピラトは墓石に封印をさせてローマの番兵を置いたとされます(福音書によっては、番兵はローマ兵ではなく、祭司長カヤパらの配下の兵士とされています)。イエスを処刑した側がイエスの遺体をどこかに移す理由はありません。

 となると、誰が遺体を移したのでしょうか。ここからは私の勝手な想像です。イエスの遺体を移したのは、イスカリオテのユダではなかったでしょうか。先に述べたように、イスカリオテのユダはイエスを売ったことを後悔して自殺したとしていますが、彼が自殺したという記述は「マタイによる福音書」だけに載っているものです。他の福音書では一切触れていません。「使徒行伝」では、ユダがイエスを売って得た銀30枚で土地を買ったが、真っ逆さまに落ちて内臓が全部飛び出して死んだとしています(銀30枚で土地を買うのは無理でしょうが)。これは、自殺ではなく、事故死でしょう。要するに、イエスを売り渡した後のイスカリオテのユダの消息は不明なのです。

 イエスの復活については、ペテロら弟子たちがイエスの遺体を墓から運び出して、イエスの復活をふれ回ったとする解釈(自作自演説)もありますが、どうにも不自然です。

 弟子たちは、イエスの最期を見て、自分たちを呪わないばかりか自分たちを赦すその姿にショックを受けました。彼らは無力なイエス、十字架につけられて惨めな死を遂げたイエスに神の愛を見出し、自分たちがいかにイエスの真意を誤解していたかを悟りました。

 しかし、彼らはイエスと縁を切ることを条件に自分たちの身の安全を保証されていました。後悔の念に苛まれたとしても、それだけでイエスの復活を自作自演した上、危険を承知で伝道の旅に赴くとは思えないのです。そこまでの強さがあれば、ペテロは呪いの言葉まで口にしてイエスを知らないと烈しく否認したりはしなかったでしょう。そもそも、自作自演なら、福音書によって記述がかなり食い違う点も説明が困難です。目撃証言や伝聞をつなぎ合わせていったから、あのような食い違いが起きたのであり、自作自演なら矛盾なくきれいに話がつながったはずでしょう。食い違いの背後には、何かの事実があったと考えた方が自然です。

 イエスを殺した側でもなく、残された弟子たちでもないとしたら、イエスの遺体を墓から運び出させたのは誰でしょうか。残る者で、そうする動機が見出せるのは、イスカリオテのユダぐらいしか思い浮かびません。先に述べたように、イエスの死刑判決を聞いたあとのイスカリオテのユダの消息は不明です。

 イスカリオテのユダは、弟子たちがイエスの真意をようやく悟り始めたことを知りますが、弱い彼らは時が経てば元に戻ってしまうだろう、そうなれば、イエスは忘れ去られ、その教えは地上から消滅します。騙されたとはいえ、師を売り渡して死なさせしまったイスカリオテのユダにとって、それは耐えられないことでした。彼は、イエスの復活を演出します。墓からイエスの遺体を密かに運び出させました。恐らくは銀30枚もこのとき使ったのでしょう。

 早朝、空になった墓を見て、イエスの遺体に香油を塗りに来た婦人たちは悲鳴を上げて逃げ出します。やがてイエス復活の噂がエルサレムの街のあちこちで囁かれるようになりました。それを見届けたイスカリオテのユダは首を吊って自殺します。

 上記は非キリスト者である私の勝手な想像に過ぎず、聖書学的な裏付けなどは何もありません。遠藤周作さんの『イエスの生涯』にもこんな話は書かれていません。『イエスの生涯』ではイスカリオテのユダはイエスの死刑判決を聞いたあと、「私は無実の血を売った!」と叫んで祭司たちに金を返そうとしますが、「それはお前の問題だ。我々の知ったことではない」と冷たく一蹴されます。彼は師を売って得た金をカヤパの公邸の庭に投げ捨て(「マタイによる福音書」では「神殿に投げ込み」となっていますが)、(城壁の)外に出て首を吊って死にます。遠藤周作さんのこの辺りの描写は、「マタイによる福音書」を踏襲したものといえますが、イエスに対する死刑判決にショックを受けたとしても、やや行動が短絡的に映ります。ここで自分が首をくくっても、何の意味もないことは彼には理解できたはずです。ましてイエスの最期を見届けることなく、さっさと自殺したとは思えません。彼は十字架につけられるイエスの一部始終をその脳裏に焼き付けつつ、師を売り渡してしまった自分、もはや誰にも顔向けできない自分にできる償いは何だろうかと必死に祈り自問したのではないでしょうか。そして、行き着いた答えが「イエスの復活を演出すること」だったのです。ペテロら弟子たちにとっては、心の中にイエスの教えが甦ることだけではダメだったのです。目に見える形で、イエスが神の子だったという証を示してやらなければならない。そうすることが、ひたすら愛を説き、愛ゆえに「永遠の同伴者」となるために死を選んだイエスに応えるただ一つの道なのだとイスカリオテのユダは信じたのではないでしょうか。

 むろん、イスカリオテのユダのやった復活の演出がイエスの望んだことであるかどうかは判りません。しかし、結果的に、弱虫で卑怯者だったペテロら弟子たちは、不屈の伝道者としてイエスの教えを説いて回るようになったのです。

 繰り返しますが、これは、私にとって現時点で最も納得のいく解釈ですが、私の勝手な想像であってフィクションです。ご気分を害されるキリスト者さんもなかにはおられるであろうことは、承知の上で書いております。

 なお、イスカリオテのユダの裏切りの理由については、昔からさまざまな議論がありました。

 比較的ポピュラーなところでは、イエスの処刑がユダヤ流の石打ちではなく、ローマ式の磔刑(十字架での磔)であり、ローマでは磔刑は反逆罪などを対象としていたという点を根拠として、イエスがこの世のメシア(ユダヤ人の民族的な解放者)を目指していた武力革命家であったという説は、18世紀に公にされたライマールスの『イエスと彼の弟子たちとの目的について』辺りからのものですが(シュヴァイツァーは『イエス伝研究史(ライマールスからヴレーデまで)』の中でライマールスらのイエス像をこき下ろしていますよね)、遠藤周作さんはそうした説を裏返しています。イエスは十字架での死を覚悟したが、(イスカリオテのユダを除く)弟子たちはイエスが地上でのメシアになってくれることを期待し続け、イエスの真意をまるで理解しなかったのだと。

 イスカリオテのユダの裏切りについても、ひろさちやさんなどは「イスカリオテのユダは、イエスがローマ人の支配を覆す軍事的な英雄であることを誰よりも強く望んでいたが、イエスが実行しようとしていたのは『心の革命』であった。イスカリオテのユダはそれがわからなかった」といった説明をしていますが、彼の呼び名であるイスカリオテを「イシュ・カリオテ(南方ユダのカリオテの男)」と読むのではなく、「シカリオス(ギリシア語で『刃を持つ者=暗殺者』の意)」とし、彼を愛国主義的な人物とする理解はドイツの異端的なカトリック作家であるルイーゼ・リンザーが1980年代に発表した『ミリアム』の中にも見られます(『ミリアム』では、マグダラのマリアが語り手となっています)。リンザーの描くイスカリオテのユダ(リンザーは「イェフダ」とアラム語で呼びます)は、「絶望に駆られた革命家」でした。こうしたイスカリオテのユダ像は、遠藤周作さんの描いた「イエスの奇妙な理解者」としてのユダとは逆のものです。とはいえ、遠藤周作さんと同様に、リンザーはイスカリオテのユダに同情的なんですよね。「ヨハネによる福音書」では、イスカリオテのユダを「盗人」と罵り、「彼は金入れを預かりながら、中身を誤魔化していた」と述べている点について「仲間の中からこんな罵りの言葉が出て来るのは悲しいことだ。イェフダは仲間の金を自分のためにびた一文たりとも使ったことなどない。正確にいえば、彼は金入れを2つ持っていたのだ。そして、今すぐに使わない金は来るべき反ローマ闘争のための資金として蓄えていたのだ。可愛そうなイェフダ!」云々と述べています(イスカリオテのユダは作家の創作意欲をかきたてるようで、太宰治も『駆け込み訴え』の中で彼独自のイスカリオテのユダ像を展開しています)。

 カール・バルトは、イスカリオテのユダの「裏切り」を「引渡し」と呼んで、彼についてわざわざ論じていましたが、イスカリオテのユダの裏切りがなければ、イエスは十字架にかけられて死ねず、したがって、正統派のキリスト教会が説いてきたような神の救いの計画も頓挫してしまったはずです。イスカリオテのユダが神に召されて「裏切り」をなすように命じられたという理解に立てば、イスカリオテのユダを「泥棒であって、金入れの金を誤魔化していた」などと非難する「ヨハネによる福音書」の記述は整合性のあるものとはいえません。まして、イエスがイスカリオテのユダを念頭に置いて、「人の子を裏切るものは災いである。その人は生まれてこなかった方がよかった」と述べたというのも理解に苦しむところです。なにしろ、その「裏切り」がなければ、イエスは十字架の上で死ねないわけですし、捕縛に際して刀を抜いて応戦したペテロを制止して、「わたしが父に祈れば、父は天使の12軍団をすぐさま送って下さるだろうが、それでは聖書に書かれていることが成就されない」と述べて、抵抗せずに連行されていく様子とも矛盾してしまうわけです。

 こうした素朴な疑問に対して、一部のキリスト者さんは「それは神の愛です」とか「神様の深いお考えは人の浅知恵では測れません」というだけで、それ以上突っ込んで考えようともしないわけですが、それでは「信じてしまえば、どんなにおかしな話でもおかしいと思わなくなる」といっているのと同じでしょう。理性の放棄・思考停止と揶揄されても止むを得ない事態ではないでしょうか。

 バルトの場合、全知全能の神の圧倒的な力の前には人間は全く無力だという立場からイスカリオテのユダの悪意をも、神は人類の救いのために、その道具として利用されたのだといった解釈をしているようです。要するに、神様を出しぬいて裏切るなんてことは、人間にはそもそもできないんだよということですね。神様はとっくの昔にお見通しで、ちゃんと手を打っているのだよという立場です。

 イスカリオテのユダを選んで裏切らせたというのではなく、弟子たちの誰もがユダと同じ立場になり得たのだが、たまたまユダが裏切る役になったとするのです。実際、弟子たちはイエスの捕縛に際してはクモの子を散らすようにイエスを置き去りにして逃げていますし、「あんた、イエスと一緒にいただろ?」と疑われたペテロは「そんな人は知らない。わたしには関係ない」と呪いの言葉まで口にして烈しく否定したわけです。「あなたにどこまでもついていく覚悟です」と誓ったペテロですらそうだったのです。

 イスカリオテのユダの裏切りを上記のように捉える立場だと、イエスの十字架での死というものは、いくつかある神の救いの計画のシナリオの1つでしかなく、他の方法もあったということにつながるように思えます。つまり、人々がイエスを受け容れていれば、イエスは十字架にかからずに神の国を作ることができたという解釈もあり得るわけです。イエスの十字架は途中からは必然であり、不可避であったが、最初から計画されていたわけではないのだと。例えば、洗礼者ヨハネがイエスと行動をともにして「この方こそがメシアです」と証していれば、イエスの伝道の旅はずいぶんと変わっていたかも知れません。しかし、ヨハネはそうはしませんでした。後には、イエスに使いをよこして、「あなたはメシアなのですか。それとも、あなた以外の人を待った方がよいのですか」とまで訊いている始末です。イエスには、モーセの場合のアロンに相当する人物が必要でしたが、ヨハネはその役を務めなかったわけですね。自分で自分をメシアだと証するというイエスの奇妙な伝道の旅は、ヨハネの期待外れな反応によって余儀なくされたものであって、当初からの計画でも何でもなかったと考えざるを得ません。

 そう考えると、「ヨハネによる福音書」の記者がイスカリオテのユダを「盗人」と罵り(イエスから弟子団の会計を任されていたユダには、他の弟子たちにはわからないお金のやりくりの上での大変な苦労があったと思われますが、ヨハネの記者はそんな事情はまるで理解していません)、ベタニヤでのナルドの香油の件で女を責めたのはユダだけだったとした(マルコやマタイでは、「弟子たち」や「一部の弟子たち」が「何てもったいないことをするんだ」と憤慨したとあります)ことでも窺えるように、イスカリオテのユダを憎み非難する態度も、「他の方法があったのに、あいつが裏切ったから、イエス様は十字架にかけられなくてはならなくなった。まったく何てことをしてくれたんだ」という反発から生まれたものと理解できるでしょう。

 神が最初からイエスが十字架にかけられて死ぬことで人類を救うという道を決めていたのなら、イスカリオテのユダがイエスを裏切ったのも救いの計画の一環であり、イスカリオテのユダは神から召されてそういう役を与えられたのだと理解する他なくなりますし、そうなれば、今日、伝統的なキリスト教会においてイスカリオテのユダが悪し様に罵られていることは全くおかしな話となるでしょう。それでは、一部のキリスト教否定論者がいうように、「クリスチャンはイエスの十字架での死に貢献したイスカリオテのユダに感謝すべきだ。何しろ、イスカリオテのユダが裏切ったおかげで、クリスチャンは救われたんだからな(笑)」ということになるわけです。

 ただ、イエスの十字架での死は神が人類救済のために想定したいくつかあるシナリオの中の1つだったというのは、なるほど合理的な解釈かも知れませんが、仮にそうだとしても、イエスが「人の子を裏切る者は災いである。その者は決して生まれてこなかった方がよかっただろう(It would have been good for that man if he had never been born)」(マルコ14:21)とまでいって、イスカリオテのユダを評したとされる箇所はやはりよく解りません。イエスがゲッセマネの園で血のように汗をしたたらせながら、「できることなら、この杯をわたしの前から取り除いて下さい。(しかし、わたしの望むようにではなく、あなたの御心のままにして下さい)」と天父に祈るところを見ると、神の子イエスといえども、受肉して人として苦しむことがわかっているわけですから、人として死ぬのはイヤだった、避けられるなら避けたかったということなのでしょうか(それにしても、この天父にイエスが祈る場面は、三位一体的な神とすると自分で自分に祈ったことになって、意味不明な事態といえます)。そんなイヤなシナリオを選ばせた、イスカリオテのユダを「あんなヤツは生まれて来なきゃよかったんだよ」と悪態をついたということなのでしょうか。

 「お前なんか生まれなきゃよかった」というのは、親が子どもを叱るときにいってはダメな言葉の1つでしょうね。何しろ、産んだのは親なんだから。子どもに選択の余地はありませんでした。生まれて来る子どもには親を選ぶ権利もありません。子どもとしては「あんたらが勝手に産んだんじゃないか」と反論の一つもしたくなることでしょう(まぁ、勝手に産んでくれたお蔭で、今日の自分という存在があるわけですが)。勝手に産んでおいて、育て方がまずくて、その結果として子どもが自分の思い通りにならないからといって、「生まれて来なきゃよかった」というわけですから、子どもの側から見れば、完全な親の身勝手といえます。こんな言葉は口にしてはダメでしょう。子どもは親にますます不信感をいだき、反発するだけです。

 一部のキリスト者さんは、何かというと「それは神の愛です」と連発するのが半ば条件反射(オペラント条件づけ?)となっているように見えますが、愛(アガペー)と「生まれてこない方がよかった」という福音書の言葉とは、どうすれば整合性を保てるんでしょうかね。

新約聖書学者の田川建三さんは、『宗教批判をめぐる―宗教とは何か(上)』洋泉社(この本は田川さんの初期の著作である『宗教とは何か』の増補改訂版です)の第3部で遠藤周作さんの描くイエス像を徹底的に批判しています。確かに、田川さんが指摘するように、遠藤さんはいろいろと基本的な部分で間違いを犯していますし、無理に学問っぽく書く必要などなかったとの指摘もその通りだと思います。ただ、そうした点についての批判は当然だとしても、遠藤さんの描くイエス像を「開き直り」だとしている辺りには、何か田川さんの勇み足のようなものも感じてしまいます。

 田川さんも指摘しておられるように、遠藤周作さんのイエス像は「ヨハネによる福音書」の説くところと共通点があります。そうした共通点を田川さんがいうところの「遠藤節」で結んでいくと、『イエスの生涯』になるのだと田川さんはおっしゃるわけです。遠藤周作さんは変に学問っぽく書いているので、何か史的イエスを明らかにしようとしているかのような印象を読み手に与えてしまうかも知れませんが、『イエスの生涯』の中でも述べているように、遠藤周作さんにとって大切なのは「真実」であって、「事実」ではありません。『イエスの生涯』で描かれたイエス像は、遠藤周作さんが最も納得できる形でのイエス像であり、それが実際のイエスの姿と同じかどうかはどうでもよいのです。そこをはっきりさせていないという点においては、田川さんの指摘なり批判なりは正鵠を射ているといえますが、遠藤周作さんの描くイエス像は決して「今のままでいい」とかそういうことをいっているわけではありません。田川さんは『沈黙』も読んでおられるわけですから、遠藤周作さんのイエス像がそういうものではないことはわかるはずではないかと思います。

 『沈黙』の中で宣教師ロドリゴは自分のために何も知らない民たちが拷問を受けていることを知らされます。拷問に耐えるのは、殉教を覚悟して日本に渡って来たロドリゴ本人ではなく、何も知らない民たちなのです。「なぜ彼らは転ばないのですか」とロドリゴは役人に尋ねます。役人は「やつらはもう何度も転ぶといった。だが、お前が転ばない限り、あの連中を穴から出すことはかなわない」と答えます。ロドリゴが「今こそあなたが厳におられるということを見せて下さるときです」と神に祈っても祈っても、神からは何の答えも与えられません。そして、自分が踏絵を踏んで棄教すれば、穴に吊られている民たちが実際に救われるという事実を前にして、ロドリゴは踏絵を踏もうとします。そのとき、踏絵のイエスがロドリゴに語りかけます。「踏むがいい。わたしはお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」と。確かに、ロドリゴは踏み絵を踏むことによってキリスト教信仰を棄てたわけですが、同時に踏絵にかけた足に痛みを覚えたことで、それまではわかっているつもりで実はわかっていなかったイエスの愛を初めて知ったのです。神は決して沈黙していたのではなく、ともに苦しんでいたのです。ロドリゴはそれまでのキリスト教信仰を捨てましたが、そのことによって深いところでイエスと本当につながったという実感を抱けたのです。「わたしが棄教したのでないことは、イエス様だけがご存じです」とロドリゴは心の中でいいます。

 田川さんはこういうイエス像・イエス理解を遠藤周作さんの「開き直り」だと批判され、現代日本の病んだ心を表しているとか評されるわけですが、遠藤周作さんのイエス像は「奇蹟ゆえにイエスを信ずる」ような一部の(というか少なくとも日本では多数派の)クリスチャンの抱いているイエス像との対比で捉えない限り、その意義がわからないのではありませんか。

 田川さんによる遠藤周作さんのイエス像への批判には、確かになるほどと思えるところも多々ありますが、やはり全体として見ると、ポイントをきれいに外しているように思えてなりません。



9.イエスの復活とイスカリオテのユダ

 遠藤周作さんの『イエスの生涯』では、群集はもとより、弟子たちもイエスの真意を誤解する中でイスカリオテのユダだけがイエスの奇妙な理解者であったかも知れないとされています。「人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」とイエスにいわれたとされるイスカリオテのユダです。

 イエスをメシア(異邦人からユダヤ人を解放してくれる民族的指導者)と待望する巡礼者が取り囲むベタニヤのラザロの家でイエスは(ラザロの姉妹でありマルタの妹である)マリヤから高価なナルドの香油を注がれます。家の中は香油の香りで満たされ、周囲の人々はその光景に感動しました。マリアは群集の期待に応えてイエスに香油を注いだのです。ところが、一人イスカリオテのユダだけは「これほど質のよい香油なら300デナリオンで売れる。その金で貧者に施しをした方がよいものを」と醒めた意見を述べます。遠藤周作さんによると、ユダは、マリアがイエスに香油を注いだという行為の意味は百も承知の上で、その場の感動的な雰囲気にあえて水を差そうとしたわけです。それは、師であるイエスへの初めての批判でもありました。「師よ。あなたは神の愛を説かれるが、群集があなたに求めているのは愛ではありません。もっと現実的なことです。これまでも病人は病気が治ることしかあなたに求めなかったではありませんか。それが人間というものです」と。イエスはイスカリオテのユダに対して「この人(ナルドの香油を注いだマリア)を困らせてはいけない。この人は(民族解放の旗手としての)メシアに香油を注いだのではなく、わたしの葬式の準備をしてくれたのだ。あなた方(弟子たち)はいつもわたしと一緒にいるが、他の者たちはそうではないのだから」と答えます。

 群集や他の弟子たちがイエスをメシアだと誤解し続ける中で、イスカリオテのユダだけはイエスが彼らの期待を再び拒否することを感じていました。イエスには政治的な指導者になるつもりなど毛頭ないとユダには解っていました。

 なお、「ヨハネによる福音書」では「香油を売って貧しい人に施した方がよかったのに」と述べたユダについて「彼がこういったのは貧しい人に対する思いやりがあったのではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていた」としていますが、もし、それが本当であれば、金銭にだらしのない人物に弟子団の会計を任せていたイエスには人を見る目がなかったということになるでしょう。会計を任されていたということは、イスカリオテのユダはそれだけイエスから信頼されていた弟子だったということです。

 いわゆる最後の晩餐の際、イエスは取り囲む群衆に対して自分にはメシアになるつもりがないことを告げます。群集は再び失望します。イスカリオテのユダは、イエスが死を覚悟していることを知っていました。彼は、イエスの決意が固く、自分が何をいったところでその決意が揺らがないことを知っていましたが、イエスに反論します。イエスとの間にどのような問答があったのかは福音書には記されていませんが、「行きなさい。お前の思う通りにしなさい」とイエスからいわれたユダは失望した群集とともに席を立ちます。イスカリオテのユダはイエスを悪し様に罵る群集に囲まれて歩きながら、「わたしはこの連中とは違うんだ!」と大声で叫びたかったに違いないと遠藤さんはいいます。彼の愛するイエスは「永遠の同伴者」となるべく死を覚悟していました。ユダはイエスの決意を何とか覆したかったわけですが、結局はかないませんでした。遠藤さんはイスカリオテのユダが愛憎入り混じった自虐的な気持ちからイエスを銀30枚というわずかな金で祭司長たちに売り渡したのだといいます。ユダには、銀30枚というスズメの涙ほどの金がいかにイエスの生涯を侮辱するものかが痛いほど判っていました。その上で、師を売り渡すという自分の卑しい行為への対価にはこのはした金こそふさわしいと考え、祭司長たちから蔑まれながら歪んだ表情でこれを受け取ったのです。

 イスカリオテのユダの手引きによってゲッセマネの園でイエスは捕らえられ、大急ぎで開かれた裁判の結果、イエスの死刑が決まります。ユダは「私は無実の血を売った!」と叫んで、銀30枚を祭司長たちに返そうとしますが、冷たく一蹴されてしまいます。彼は絶望のあまり銀30枚を庭に投げ捨て、城壁から外へ出て首をくくって死んだといわれます。

 遠藤周作さんは、イスカリオテのユダがイエスの死刑判決を聞いてショックを受けたのは、「まさか死刑にはならないだろう」と事態を甘く見ていたか、祭司長たちから「イエスのところへ案内すればイエスの命だけは助けてやろう」と騙されたていたかどちらかだろうと述べています。もっとも、イエスの居場所だけなら、祭司たちも把握していたと思われますので、イスカリオテのユダに利用価値があるとしたら、イエスの身近にいた弟子としての証言でしょう。新約聖書では、イスカリオテのユダは武装した人々(よく読むと、ローマ兵も含んでいる点に注意!)を単にゲッセマネの園まで道案内をして「わたしが接吻する人がイエスだ」とイエスを捕縛させる手伝いをしただけとなっていますが、これはかなり不自然だといえます。

 以下は、遠藤周作さんの『イエスの生涯』におけるイスカリオテのユダ像をヒントにして、私が想像してみたものです。聖書学的な裏づけは何もありませんので、その点、ご注意下さい。

 イスカリオテのユダは生きていました。彼は「私は無実の血を売った!」と叫んで祭司長たちに金を返そうとして拒まれたあと、闇の中に飛び出しました。

 イエスが十字架にかけられて、惨めな死を遂げたあと、イスカリオテのユダは祭司長たちに騙されて師を売り渡した自分の愚かさを責め、改めて死のうと思いましたが、思いとどまります。

 ここで死んでも何の意味もない。それではただの逃避だと彼は思い直しました。イエスは「永遠の同伴者」となるために人々の犠牲となって死ぬことを選びました。イエスのために自分は何かできないのかイエスリオテのユダは必死に祈りました。

 人を通じて、ペテロたちがイエスと縁を切ることを条件として赦されたことを彼は知りました。彼らもイエスの最期を知って、今ようやくイエスの真意を悟り始めたことだろうとユダは感じました。ただ、彼らは弱い。もちろん、自分も弱いわけだが、彼らは今はイエスの真意を悟り、イエスが説いた愛の意味を理解し、イエスが「永遠の同伴者」になろうとしたことをわかっているとしても、時が経てば彼らは元の弱い人間に戻ってしまうだろう。そうなれば、イエスの存在は人々の心から忘れ去られ、イエスの教えはこの地上から消えてしまう。そんなことは何としても防がなければならない。それが師を売り渡してしまった自分の責務だとイスカリオテのユダは確信するに至りました。

 彼は、ペテロたちが不屈の伝道者になるには、イエスの復活が不可欠だと考えました。イエスが復活したとなれば、イエスは文字通り神の子だったとペテロたちは信じるだろう。そのためには、イエスの遺体を墓から移さなければならない。イスカリオテのユダは師を売って得た銀30枚を使います。投げ捨てようとして捨てられなかった金をここで使うのです。彼は番兵を買収し、人を雇ってイエスの遺体を別の場所に移しました。

 イスカリオテのユダが思っていたように、婦人たちがイエスの遺体に香油を塗るために早朝イエスの墓を訪れますが、遺体はそこにはもうありません。婦人たちは悲鳴を上げて逃げ出しました。やがてイエス復活の噂がエルサレムの街のあちこちで囁かれるようになります。

 「これで終わった」イエスの遺体を密かに移した墓からそう遠くない小さな丘の上に立った一本の樹を見上げて、イスカリオテのユダはつぶやきました。彼はそこで首を吊って自殺しました。



10.事実と真実

 遠藤周作さんの『イエスの生涯』は、非キリスト者からは歓迎されたものの、日本のキリスト者からはずいぶんと不評だったようです。『キリストの誕生』の序文の中で、遠藤周作さんはその理由として、『イエスの生涯』の中ではイエスの奇蹟物語を強調しなかったからだろうと述べています。

 遠藤さんによると、新約聖書には、イエスの奇蹟物語とイエスの癒しの物語という2つの流れがあって、遠藤さんが『イエスの生涯』で描いたのはもっぱらイエスの癒しの物語だったのに対して、日本のキリスト者が抱いているイエス像はもっぱらイエスの奇蹟物語に基づいているからだろうという話です。確かに、『イエスの生涯』には、イエスの奇蹟についての話は出てきません。イエスは病人の病気を治してやりたかったができなかった、子どもをなくした母親には子どもを行き返らせてやりたかった、でも、イエスにはできなかったとして、イエスをこの世的には「無力な者」として描いているのです。一方、日本のキリスト者がしばしば口にするのは、次々と奇蹟を起こしたスーパー・ヒーローのようなイエスです。そうしたイエス像を抱いている人からすれば、「無力な者」として描かれたイエスは物足りないでしょうし、認められない描き方だったのかも知れません。

 もっとも、その点は遠藤さんも気にしていて、『イエスの生涯』の中でイエスがベツレヘムで生まれたという話を取り上げて論じています。クリスマス・ツリーのてっぺんに載っている星はベツレヘムの星と呼ばれていますが、あの星は「ルカによる福音書」の中で東方の博士たちを(「東方の三博士」と呼ばることもありますが、実は人数についての記述はありません)生まれたばかりのイエスのところへ導いた星とされているわけです。聖書では、イエスが生まれたのはベツレヘムだとされているのですが、聖書学者らの研究によると、そうした話はイエスを神格化するために旧約聖書の記述とつじつまを合わせるために創作されたもので、実際にイエスがどこで生まれたのかはわからないとされています。イエスは「ナザレのイエス」とも呼ばれていますから、ナザレで生まれたのが史実だとする人も少なからずいるわけですが、ナザレについても旧約聖書とのつじつま合わせによるものとの見方があって、やはりイエスがどこで生まれたのかはわからないというのが学問的には最も正確なようです。遠藤周作さんは聖書学者らの研究は知った上で、「イエス様はベツレヘムでお生まれになった」といいます。それは、クリスチャンとしての遠藤さんにとっては「真実」なのだと。事実か事実でないかというようなレベルの話ではないのだというわけです。

 こういうと、「事実と真実とはどう違うんだ」という疑問を抱かれる諸賢もおられるでしょう。少し例を挙げてみましょう。女優の吉永小百合さんのファンは、サユリストと呼ばれています。サユリストの中には「吉永小百合さんはトイレに行かない」といい張る人たちがいるそうです。むろん、吉永小百合さんも生きている人間である以上、当然、排泄行為に及ぶこともあるわけです。これは事実です。しかし、清純そのものの小百合さんがトイレで排泄行為に及んでいるなんてことは、サユリストとしては絶対に認められない、そんなことはウソだ絶対にあるものかというのがサユリスト氏の真実なのです。誰かが「吉永小百合さんがトイレに行かないなんて話は事実じゃない」と証拠(?)を挙げて説明したとしても、サユリスト氏は恐らく納得しないでしょう。サユリスト氏も吉永小百合さんが人間である以上、トイレに行くことぐらいは当然アタマでは理解しているのです。でも、生理的には、あるいは心情的には、そんな話は聞きたくもないし、認めることはできないわけです。人間、誰しもそれに近い感覚を持っているのではないでしょうか。サユリスト氏の場合、それは「吉永小百合さんはトイレに行かない」という話であり、遠藤周作さんの場合、それは「イエス様はベツレヘムでお生まれになった」という話なのです。

 キリスト者の中には、「聖書に書いてある出来事は事実です」という人たちがいます。こういういい方をされると、「じゃあ、エデンの園はどこにあったんだ」とか「アダムやノアは900歳以上生きたというけど、人間がそんなに長生きしたというのか」とかついつい突っ込みたくなるかも知れません。旧約聖書を少しぐらいは読んだことがある人なら、「占い師バラムが自分の乗ったロバがいうことを聞かないのに腹を立て、持っている杖で3回ロバを打ったとき、神がロバの口を開いたので、ロバは人間の言葉でバラムに抗議したと書いてある。ロバが本当に喋ったというのか」と問い詰めるかも知れません。恐らく、そうした問いに対して、キリスト者は「事実です」というでしょうが、ここで彼らがいっている「事実」というのは、信仰者にとっての、信仰者としての「事実」であって、遠藤周作さんの先の用語法に基づけば「真実」ということです。自分にとっては、疑い得ないことという意味で「事実」という言葉を使っているのであって、万人が認めざるを得ないこと、例えば、科学的に証明可能な現象といった意味やビデオ・カメラをセットしておけば録画して見ることができるといった意味での「事実」といっているわけではないのです。

 むろん、キリスト者の中には「事実」と「真実」との区別がついていない人がいて、「イエスが水の上を歩いたという奇蹟は科学的に証明できる」とか、「進化論は間違いで、化石はノアの洪水によって溺れ死んだ生き物のものだ」とか主張したりすることもあります。そうした一部のキリスト者の主張に対してはここではこれ以上触れるつもりはありませんが、「事実」でなければ価値がないかのような議論には疑問を覚えずにはいられません。

 文学作品、例えば、小説のようなものは、元になる何らかの事実があったとしても、基本的には作者の創作です。フィクションです。つくりものです。では、価値がないのかといえばそうではありません。ドキュメンタリのようなものでも、それを記録して編集した人の価値観なりが反映されているわけであって、それらから独立した「事実」というわけではないのです。私には、「聖書に書かれていることは事実です」と無闇にこだわる一部のキリスト者の心情がどうも理解できません。万人が認めざるを得ない「事実」でなくても、これは自分にとっては魂の「真実」であって、絶対に譲れないんだという話ならよくわかるのですが、そうではないのかと問うと、キリスト者は「聖書はつくり話とは違う」と答えるわけです。ここは非キリスト者である私には、どうにもわからないところですね。

 ラザロの復活について考えてみましょう。「ラザロの復活」は「ヨハネによる福音書」でのみ描かれた話であり、他の3つの福音書(「マタイ」「マルコ」「ルカ」)には登場しません。福音書はイエスの伝記ではなく、あくまでも宣教の書であり、各福音書で描かれたイエスの姿は各福音書の記者が信ずるところのイエス、すなわち、信仰上のイエス、真実のイエスであり、歴史に登場した1人の人間としてのイエス、事実のイエスではありません。つまり、福音書で描かれるイエスの言動は、福音書の記者たちの信仰に基づいて構成された物語であり、そもそも史実(歴史的な事実)ではありません。とはいえ、「史実でないから無価値」というわけではないのは当然です。史実でないといわれると、「あなたは聖書に書いてあることは嘘偽りだというのですか!」と怒り出す人たちがいますが、あの手の人たちのアタマの中では世の中は史実か嘘偽りかどちらかしかないのでしょう。彼らには真実という見方がありません。

 「死んだ人が生き返ることなんかない。ラザロの復活など安物のコントの世界だ」という批判に対して、「神様なんだから死んだ人を生き返らせることぐらいできて当然だ」といった反論がなされることがありますが、不毛な議論だといわざるを得ません。いい加減に「事実か事実でないか」といった次元の議論からは卒業してほしいものです。福音書が伝えているのは事実ではなく、真実なのです。クリスチャンの少なくない部分が死者の復活を何とか「科学的に」証明しようと四苦八苦しているのは滑稽ですらあります。そんな「証明」は信仰にとって必要のないものです。なぜなら、福音書が明らかにしているのは真実であって、証明が必要な事実ではないからです。

 さて、前置きが長くなりましたが、「ヨハネによる福音書」の記者は、「ラザロの復活」の話を通じて一体どんな真実を語りたかったのでしょうか。

 ラザロの復活の話は大雑把にいえば次のようなものです。


 イエスのところへ使いの者がやってきて「あなたの愛しているラザロが危篤です」と告げます。その話を聞いてもイエスは「この病気は死で終わるものではありません。それは神の栄光のため、また神の子がそれによって栄光を受けるためのものです」と答えるだけです。イエスはなお2日ほどそこにいて、「ラザロは死にました。わたしがその場にいなかったのはあなたたちのためによかった。あなたたちが信じるためです。さあ、彼のところに行きましょう」といいます。イエスの一行がベタニアに到着したのはラザロが死んでから4日後のことでした。ラザロの姉であるマルタは「わたしは終わりの日に死者が復活することを信じます」といい、もう一人の姉であるマリアは「主(イエス)がここにいて下さったなら」と嘆き悲しみます。イエスはその様子をみて、激しく心を動かされて涙を流し、ラザロの葬られた墓穴へ行き墓穴を塞いでいる石を見て、「石をどかしなさい」といいます。「主よ、もう臭くなっております。4日も経っておりますから」とマルタが止めるのも聞かず、イエスは「ラザロよ、出てきなさい!」と叫びます。すると、全身に布を巻いた姿のラザロが墓から出てきました。それを見たユダヤ人の多くはイエスを信じました。


 友人のラザロが病で死にそうだと聞いても、イエスはすぐに駆けつけようとはしません。同じ場所に2日間ぐずぐずと滞在しています。結果的には、知らせを聞いてからすぐに駆けつけたとしてもラザロの死に目には間に合わなかったかも知れませんが、それにしてもイエスの態度は何ともそっけなく思えます。しかも、2日経ってからラザロのところに向かうときもイエスは別に急いでいるようでもありません。「昼間は12時間あるではありませんか。昼のうちに歩けば光があるのでつまずくことはありません。しかし、夜歩けばその人のうちに光がないのでつまずきます」とイエスはいっています。言葉の表面だけを見れば、「夜は暗くて危ないから、明るいうちだけ歩けばいい」といっているようにもとれなくはありません(もっとも、「ヨハネによる福音書」にはさまざまな象徴的な表現が多用されているので、「光」や「闇」も「文字通り」には読まない方がよいかも知れません)。

 さらに、イエスは出発する直前に「ラザロは眠っている」といい、弟子が「眠っているのなら大丈夫ですね」と答えたのに対して、「ラザロは死にました。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなた方にとってよかった。あなたがたが信じるようになるためです」と述べています。これではラザロが死ぬのをまるで待っていたかのようです。つまり、「ラザロはもう死んだ頃だろう。生きているうちに病気を治しても、その程度のことでは人々はわたしを信じない。死者を生き返らせてみせれば、あなた方はわたしを信じるようになる」とでもいっているかのようにさえ思えます。そうした解釈に基づけば、使者が訪れたときに、「神の栄光のため、また神の子がそれによって栄光を受けるため」とイエスが答えたのも、「神の名声、神の子たる自分の名声を増し加えるため」だということになってしまい、イエスは友人であるラザロの死を利用しようとする卑劣漢であるかのように見えてしまうでしょう。 そうしたイエス像は、片手の萎えた人を安息日に会堂に連れ出してイエスを陥れようとした人々を怒りを込めて見まわしたイエスとは対極にあるものであり、到底納得できるものではありません。「ヨハネ」の記者はそんなイエスを描きたかったのでしょうか。そうではないはずです。

 イエスがヨルダンの向こう側にいたのはエルサレムで危害を加えられそうになったからでした。イエスの一行はエルサレムから遠く離れた場所に身を潜めていたのです。ラザロの住むベタニアの村はエルサレムから目と鼻の先にありました。ベタニアに行くのは大変危険をともなうことでした。イエスが2日の間何を考えていたのか「ヨハネ」の記者は何も語っていませんが、ベタニアに行くことがイエス一行にとって命の危険をともなうものだったことは、弟子たちがイエスに「ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか」といっていることや、弟子の一人であるトマスが「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と他の弟子たちに呼びかけていることでもわかります。

 ともかく、イエスは使者が訪れてから2日後に、ベタニアのラザロのところに向かう決意を固めました。しかし、イエスが到着したときにはラザロの死後4日も経っていたのです。イエスはラザロの姉であるマリアが泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、涙を流します。新約聖書の中でイエスが涙を流すのはここだけです。この涙がどういう涙だったのかについては諸説あります。例えば、「愛するラザロを失って嘆き悲しむ人たちへの同情の涙だった」とか、「死んでしまったラザロに対する深い愛を示す涙だった」とか、あるいは「神の力を信じようとしない不信仰な人々に対する怒りと嘆きの涙だった」とか、いろいろにいわれています。特に、最後の解釈はイエスを奇蹟をバンバン起こしたスーパーマンのように描きたがる一部のクリスチャンには好まれるものであり、ラザロの姉であるマルタは信仰的な態度でイエスに接したのに、もう1人の姉であるマリアや集まっていたユダヤ人たちは嘆き悲しむばかりで、イエスや神の力に対する信仰を示さなかったから、イエスは自分を信じない人たちに対して憤り、怒りの涙を流したというわけです。

 しかし、そうなのでしょうか。むしろ、イエスの涙は自分に向けられたものではなかったのでしょうか。ベタニアの村はエルサレムにほど近く、エルサレムには自分の命を狙う者たちが待ち構えていました。ベタニアに行くべきか行かざるべきか、イエスは2日間悩み、ベタニアへ向かうと決意してからも一目散に駆けつけるでもありませんでした。結局、イエスが到着したときには、ラザロの死後4日が経過していました。友の死に目に会えなかったことで、イエスは自分を責めたのではないでしょうか。自分の不甲斐なさ、情けなさが悔しくて、イエスは涙を流したのではなかったでしょうか。

 イエスはベタニアの村に死を覚悟して向かいます。そして、ラザロが復活します。よく「ラザロの復活はイエス様の復活を証するものだった」といわれることがありますが、この解釈には納得がいきません。確かにラザロは甦りますが、ラザロは結局死んでしまいました。イエスの復活とは違います。ポイントとなるのはラザロのためにイエスは身の危険を顧みずベタニアの村に赴いたというところです。つまり、「ヨハネ」の記者がいいたかったのは、人間が甦るためにイエスが死んだということなのです。「友のために死ぬこと、これにまさる愛はない」といいます。イエスの十字架での死が何のためなのかということを「ヨハネ」の記者は語りたいのではないでしょうか。「ラザロの復活」はそのための物語なのだと私は思います。

 なお、「ヨハネによる福音書」では、復活したラザロはイエスと何も言葉を交わしていません。これは私には奇妙な印象を与えます。三田誠広さんの『ユダの謎 キリストの謎』(祥伝社、2004)では、復活したラザロこそがヨハネその人だったとしています。ベタニアの実家に資金調達のために赴いたヨハネ(ラザロ)はイエスを敵視する人々に襲撃されて重傷を負って亡くなったと考えれば、イエスがベタニア行きをためらった理由もわかりますし、「ヨハネによる福音書」だけにラザロの復活が描かれていることも理解できます。三田さんはいいます。「ラザロすなわちヨハネは一度死んだ人物である。…だからこそ実直なペテロは、思わず(復活した)イエスに問いかけずにはいられなかったのだ。イエスによって生かされたヨハネは、そのままずっと死なないでいるのかと。ヨハネとはそのような、特別の使徒なのである」と(括弧内は引用者)。



11.天国と地獄

 キリスト教では天国や地獄について云々されることが結構あります。京都のキリスト教系の新興宗教団体の主管牧師が「逆らえば地獄に落ちるぞ」と脅かして信者の女の子たちに性的暴行を加えていた事件がありましたが、一般的に、カルト色の強いところほど無闇やたらに地獄を強調して、信者の恐怖心を煽りたてて教会や指導者への絶対忠誠を誓わせる傾向があるように思えます。

 天国や地獄という概念は、キリスト教の母体となったユダヤ教にもともとあったものではありません。旧約聖書の創世記を読んでみるとわかりますが、神はアダムに対して「塵から造られたお前は塵にかえる」と告げていますし、旧約聖書の登場人物についても「○○歳まで生きて死んだ」とか「××に葬られた」とか「先祖の列に加えられた」とかあるだけで、死後どうなったのかは語られていません。「人は死んだら塵にかえる」という見方をユダヤ人たちはしていたのです。地獄や天国といった概念は、ゾロアスター教などの影響を受ける中でユダヤ人の間で後に広まったものをキリスト教が引き継いだのです。これは素人の私の勝手な解釈ではなく、キリスト教神学においても学問的に認められているところです。例えば、H.オットー(沖野政弘訳)『現代神学の基礎知識 教義学』(ヨルダン社、1988)では「神の国における人間の永遠の生命への期待が起こってくるのは、旧約聖書の中にはっきり示されているイスラエル史の後期の時代である。(中略)イスラエルの初期の歴史の中では死人の甦りはまだ予期されていない。(中略)イエス・キリストと原始キリスト教は、この点で周知の後期ユダヤ教的見解を継承しているので(以下略)」(p.105)と述べています。

 とはいえ、旧約聖書の中にもキリスト教で説いている「死者の復活」について述べているとする見方もあります。旧約聖書の「ダニエル書」(12:1−3)の

その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続くであろう/国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう/お前の民、あの書に記された人々は。

多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り/ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。

目覚めた人々は大空の光のように輝き/多くの者の救いとなった人々は/とこしえに星と輝く。


といった記述を「死者の復活」について述べたものだとするわけです。

 木田献一さんは『旧約聖書の概説』(リトン、1995)の中でこの箇所について「明白な言葉で復活の信仰を語っている」(p.305)と述べていますし、オットーの先の引用でも「神の国における人間の永遠の生命への期待」が「イスラエル史の後期の時代」には「旧約聖書の中にはっきり示されている」としているわけですが、こうした見方はキリスト教の立場から深読みし過ぎているとしかいいようがありません。「ダニエル書」の上記の箇所で述べられているのは、ユダヤ人が異教徒の圧制から解放されて、独立を果たした暁には、律法を守って迫害を受けて死んだ人たちは殉教者として永遠に賞賛され、律法に背き圧制者におもねった人たちは背教者として永遠に蔑まれるといっているに過ぎません。文字通りに、死んだ人たちが生き返るとかそういう話ではないのです。この箇所を「文字通りに」受け取るようでは、イエスが「生まれ変わり」といったのに対して、「もう一度母親の胎の中に入ることはできません」と驚いたニコデモのようなトンチンカンなこと(ヨハネ3:4−8)になるでしょう。

 ヨセフスの『ユダヤ古代史』は、当時のユダヤ教の3大派閥(パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派)について説明し、「サドカイ人は、霊魂は肉体と共に消滅するという教義を信奉している。彼らは、書かれた律法以外の何ものにも従うことを認めない…」と述べています。サドカイ派(サドカイ人)は、祭司階級や富裕な地主らからなる党派で神殿を中心に活動し、政治的には保守的でした。一方、パリサイ派(パリサイ人)は律法に精通した学者たちです。彼らは死者の復活を信じていました。

 「使徒行伝」の中にも、サンヒドリンの法廷で弁明することになったパウロが復活を巡る両派の見解の相違を巧みに利用して難を逃れた話が載っています。

「パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って『兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、裁きを受けているのです』彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は2つに割れた。サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないといい、パリサイ人は、どちらもあるといっていたからである」(使徒23:6−8)。

 サドカイ派の立場がユダヤ教の伝統的な立場です。彼らが祭司階級だったことを思い出して下さい。(旧約)聖書のもともとの教えは、「塵から生まれた人は死ねば塵にかえる」としており、基本的にはサドカイ派のようなものでした(もっとも、彼らの場合、そうした教えは形骸化していたわけですが)。肉体と霊魂とを分離するのではなく、両者は一体不可分だとみたのです。人は死ねば肉体は朽ち果ててあとには何も残らない、肉体から離れた霊魂など認めないというまるで唯物論者のような立場が(旧約)聖書のもともとの死生観です。旧約の神もアブラハムに子孫の繁栄などを約束したことからもわかるように、もともとは信仰の見返りとして現世ご利益をもたらす存在でした(こうした因果応報的な神観を痛烈に批判しているのが「ヨブ記」なわけです)。

 ユダヤ人にとって、地獄とはユダヤ人が抑圧されているこの世そのものでした。1986年の2月に東京都の中野区立富士見中学校2年生の鹿川裕史君(当時13歳)がいじめに遭って盛岡駅の隣のデパートのトイレで首を吊って自殺した事件がありました。鹿川君が残した遺書に中に「このままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」とありましたが、まさに地獄とはユダヤ人が生きていたこの世だったのです。そして、神の国、天の国とはこの地上におけるユダヤ人の王国を指していたのです。もし、ユダヤ人の間で、天国や地獄がこの世とは別のところに実在する場所として意識されていたのなら、民衆はもとよりイエスの弟子たちさえもが、イエスにダビデの栄光を再びもたらしてくれるこの世のメシア(ユダヤ人の民族的な解放者)となることを望んだ理由を理解するのは困難でしょう。メシアはこの世的な存在としてユダヤ人の間では理解されていたのです。

 しかし、「カエサルのものはカエサルに返しなさい」というイエスの言葉からも察することができるように、イエスにはこの世のメシアになるつもりは恐らくありませんでした。イエスの胸中をイエスの生前には弟子たちも含めて誰も理解することはできなかったのです。

 ところで、キリスト教の中には、救いの機会は生きているうちだけのものか、それとも死んでからも救われる機会があるのかを巡って見解が食い違っています。「救いの機会は生前のみ」とする立場は、「ルカによる福音書」の中でイエスが語ったとされている「ラザロと金持ち」の喩え話がある点などを根拠として、「救いの機会は生前のみで、死後に救いの機会はない」とします。一方、「死後にも救いの機会がある」とする立場は、イエスの陰府降下や陰府伝道という教義に基づくものです。

 ユダヤ教においてエノクは、「メシアの予型」と信じられていました。イエスをメシアと信じた最初期のユダヤ人キリスト者たちは、イエスが十字架で刑死した後に、エノクと同じく、陰府に降下したのだと信じました。

 ただ、エノクとイエスとでは、陰府に降下している間の行動に大きな違いがあります。「エノク書」によれば、エノクは、陰府の獄につながれている堕天使たち対して「神に逆らったお前たちのような者は、決して赦されることがない!」と告げたとされています。それに対して、「ペトロの手紙第一」(成立は紀元70−100年頃?)によれば、イエスは、獄につながれていた不従順な霊たちに福音を宣べ伝えたというのです。

 「イエスが陰府において、霊たちに福音を宣べ伝えた」という解釈をさらに拡大して、「イエスの到来以前に死んだすべての死者(ユダヤ人のみならず、異邦人も含めて)に福音が伝えられた」という議論展開したのは、ヘレニズムの中心地であったエジプトのアレクサンドリアに生まれた神学者のオリゲネス(185−254)でした。

 「イエスの陰府降下」については、「ペトロの手紙第一」第3章に影響されて、359年のシルミウム教会会議において初めて正式の問題として取り上げられ、救済論的に理解され始めました。2世紀後半にローマで行われた信仰告白をもとに、4世紀頃に西方教会で定着した「使徒信条(Symbolum Apostolicum)」の中には、「イエス=キリストは、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に降り、三日目に死人のうちより蘇り、…」という言葉があり、この解釈がそれ以降の伝統的なキリスト教会の基本的な姿勢となったのです。

 なお、オリゲネスは、エジプトやギリシャのオルフェウス教の「転生輪廻の思想」も支持していたため、彼の死後300年経った6世紀半ば頃に至って、コンスタンチノポリスの公会議においてオリゲネスの神学は「異端」の烙印を押されることになります。「陰府降下」説も、西方教会を代表するアウグスティヌスによって否定されました。

 しかし、「死者にも救いの機会が与えられる」という伝承は、中世のカトリック教会に受け継がれ、1563年のトレント公会議では「死者の魂も、悔い改めて浄められることによって、天の御国へ入ることが許される」という教義が生まれます。それが、地獄(ゲヘナ)と天の御国との間に存在する「煉獄(purgatorium)」と「浄罪の火」という教義です。この教義によれば、煉獄にある霊たちは、自ら苦痛を和らげることも、煉獄に留め置かれる時間を短縮することもできませんが、ミサや生きているキリスト者の祈りや善行(施し、寄付などを含む)によって執り成してもらうことで、その苦しみが軽くなったり、煉獄にいなければならない時間が短縮されたりするというのです。この「煉獄」の教義の延長線上に、いわゆる免罪符(贖猶状)が生まれ、フスやルターらの批判を招くことになったのはよく知られている通りです。

 さて、信仰の目的は一体何でしょうか。死後に天国に入ることが信仰の目的だとするなら、死後にも救いの機会が与えられるということになれば、どうなるでしょう。死後にも救いの機会があるなら、死んでみて本当に死後の世界があって、自分が地獄に落ちてから悔い改めればいいやということになるのではありませんか。

 死後の世界なるものがあるのかないのかまだ死んだことがないのでわかりかねますが、少なくとも我々は今生きています。あるのかないのかわからない死後の天国や地獄の話より、今をいかに生きるのかが大切なのではありませんか。一部のキリスト者さんのお話を伺っていると、生きている今のことではなく、死んでからのことばかり気にしているように見えます。我々にとって大切なのは、今をいかに生きるかでしょう。人は自分の信ずるように生きるしかありません。たとえ「神の御心」なるものに沿って生きているつもりでも、結局は、自分が神の御心だと考えているものに従っているに過ぎず、自分の解釈なのです。「聖霊の導き」とかを持ち出すキリスト者さんもいますが、聖霊の導きなるもので自分の生き方が神の御心に沿っているのかいないのかわかるというのなら、世の中にこんなにも多種多様なキリスト教があって、いっていることがみんな食い違っているという事実を説明するのは無理でしょう。

 自分の信ずるところに従って今を懸命に誠実に生きて、それで死んでから天国に入れてもらえるのか地獄に落とされるのかは、あくまでも結果でしかありません。神様から「お前は地獄行きだ」といわれればそれはそれで仕方のないことです。



12.ダヴィンチ・コード

*沢野忠安(改名しました)さん

>  水曜日にダビンチコードを観にいきました。原作を読まないで行ったのが悪かったのか、ストーリー展開が速すぎてちょっとイマイチでしたが、

 映画は観ていませんが、そういう感想を抱く人は結構いるようですね。あれこれ詰め込み過ぎているのかも知れません。

>イエスがマグダラのマリアと結婚していたいう内容が出てきました。

 まぁ、これは昔からある話です。マグダラのマリアはイエス亡き後、南仏に渡ったとかさまざまな伝説が生まれています。復活のイエスに最初に会ったのは、「ヨハネによる福音書」ではマグダラのマリアだけだったわけですし(他の福音書ではマグダラのマリアだけではなく、彼女も含む婦人たちですよね)、グノーシス派の一部には彼女が復活したイエスから「知恵」(グノーシス)を授けられたという話もあります。

>然も聖書自身が編集されていたという事も、前まで教会で教えられてきた事とは全く違う内容で、驚きでした。

 聖書の成立史を調べれば、初期の写本になかった箇所が付け加えられていることに気づくでしょう。「マルコによる福音書」でいえば、イエスの復活の場面は空の墓を見て婦人たちが恐くなって逃げ出したところで元々は終わっています。それ以降の部分は後になって付け加えられたものであることがわかっています。このことは、イエスの復活を論じた初期キリスト教会の教父が他の福音書からは引用しているのに、「マルコによる福音書」からは引用していないことでも傍証されます。なぜ、引用しなかったかといえば、その当時にはまだ空の墓より後の記述が追加されていなかったからです。

>この映画が封切りされた時、外国のキリスト教界が反発したというニュースを耳にしましたが、納得しました。まあ、日本ではそんなに問題にならないでしょうけど。

 カトリック教会は当然反発するでしょうね。米国では、一部のカトリック教会系の団体が映画のスポンサーであるソニーの製品をボイコットしようと呼びかけたりもしています。作品の中で殺人集団であるかのように描かれたオプス・デイもここ

http://www.opusdei.jp/art.php?p=14815

のようなコメントを出していますね。

 今回、映画「ダヴィンチ・コード」が公開されたことで、欧米のクリスチャン、特に、カトリック信徒には、ムハンマドの風刺画で怒り狂ったイスラム教徒の気持ちの一部は実感できたのではないでしょうか。

 デンマークで最大の発行部数を誇る新聞「ユランズ・ポステン」紙の編集者が「デンマークで自己検閲が広がっている」と憂慮し、「表現の自由がイスラム・テロの脅威で制限されているかどうかをテスト」する目的で、預言者ムハンマドの姿を描いた12の風刺漫画を2005年9月30日付けの同紙に掲載しました。中でも、ムハンマドのターバンが点火された爆弾になっているイラストはイスラム教徒の怒りを買い、各地で抗議行動が相次ぎ、それがエスカレートして大使館を焼討ちするなどの暴動となって死者まで出したわけです。デンマークでも風刺漫画を描いたイラストレータを殺すという脅迫があり、彼らは身を隠さざるを得なくなりました。これらを通じて、「ユランズ・ポステン」紙のテストは「表現の自由がイスラム・テロの脅威で制限されている」ことを証明して終わったわけです。

 あの風刺画騒ぎが起きたとき、欧米では「イスラム教徒が求めるように、デンマークの政府が公式に謝罪などすれば、それこそ言論の自由を制限する第一歩となる」との声が上がりました。ムハンマドの風刺画はデンマークの政府が発表したわけでもありませんし、ユランズ・ポステン紙に風刺画を載せるように政府が命令したわけでもありません。新聞社が自分の判断と責任とにおいて掲載した風刺画について、政府が謝罪するのは全くの筋違いだというのが欧米での平均的な反応だったといえます。

 ただ、あの風刺画によってイスラム教徒の宗教的な信条が大いに傷つけられたのは事実であり、そのことについてデンマークの政府関係者が共感を示すこと、例えば、「あなた方の信仰心を傷つけてしまったことを残念に思う」といった声明を出すことは可能ではなかったでしょうか。イスラム教徒がデンマークの政府に対して「謝れ」といったのも、法的な責任を認めろということではなく(そんな責任はデンマークの政府には当然ありません)、道義的責任のようなものを認めろという要求だったと思われます。自分の子どもが重大な事件を起こしたときに、親が「世間をお騒がせして申し訳ありません」と謝るのと同じようなことを求めていたのではないでしょうか。

 誰しも自分の信ずるところを否定されれば不愉快になるでしょう。しかし、そうした不快な感情を抱きながらも、言論の自由は守らなければならないのです。

※この「ダヴィンチ・コード」は、2006年6月18日(日)に「キリスト教否定論入門」の掲示板「信ずる者は騙される」に投稿したものを一部手直ししたものです。