自殺率の地域的な差違について



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【自殺率の地域的な差違について】(05/15/2001)


●以下の記述は、いわゆるモルモン教会(末日聖徒イエス・キリスト教会)関係の、とある掲示板への私の投稿に加筆・修正したものです。その掲示板では、「モルモン教会が人を幸せにしない」証拠の1つとして、モルモン教の総本山であるソルトレイク・シティがある米国のユタ州での自殺率の高さが挙げられたりしており、その議論に疑問を覚えて投稿したものです。


●「自殺」というと、社会学の分野ではエミール・デュルケム(1857〜1917)の『自殺論』(1897年)が古典的な著作です。私は社会学の専門家ではありませんし、『自殺論』は、学生時代にレポートの課題図書の1冊として読んだだけなので、内容はうろ覚です。私の記憶では、デュルケムは国や地域ごとの自殺に関する統計データを用いて、各々の社会が固有の自殺率を持つか否かを検討し、自殺率の違いに影響を及ぼす社会的要因を研究した人だったと思います。

●デュルケムが自殺を3つの類型(「宿命的自殺」も入れれば、4つ?)に分けて、それらを「自己本位的自殺」「集団本位的自殺」および「アノミー的自殺」と各々名付けたことは有名ですが、ここでは細かいことには立ち入りません(というか、はっきり覚えていないので)。

●デュルケムは、自殺率に大きな影響を及ぼす社会的な要因として宗教に注目しました。カソリック、プロテスタント、ユダヤ教などの影響が強い地域を比較検討することで、自殺率にはっきりとした違いが出たと彼は述べます。プロテスタントよりもカソリック、カソリックよりもユダヤ教の国や地域の方が自殺率は低いという傾向が観察されたというのです。そうした違いは、人々が社会(伝統的な共同体)にどの程度束縛されているかに起因するのではないかとデュルケムは仮説を立てました。すなわち、ユダヤ教色の強い国や地域では、戒律などが厳しく、個人がいわば社会に埋没して生活している分だけ自殺は少なく、プロテスタントの影響を強く受けている国や地域では、人々が比較的自由な分だけ自殺が多いというのです。

●また、デュルケムは「家庭」に注目し、既婚者と未婚者とどちらに自殺者が多いか、子どもがいる家庭といない家庭とではどうかなども検討しています。その結果、家族の構成員が多い方が自殺率が低いという傾向が統計的に確認されるとします。さらに、戦争や内乱といった「社会的危機」の影響も検討し、戦争のときには自殺率が大幅に低下し、戦争が終結すると今度は急増すること、内戦の場合には自殺率に明確な変化が見られないことなどを指摘しました。

●デュルケムの議論が画期的な点は、それまで個人に注目してなされていた自殺を社会現象として扱おうとしたこと、それも単に統計を使って平均を出すだけではなく、社会という「もの」を研究の対象として真正面から捉えたことなどが一般に指摘されているようです(そうした態度は、「社会学主義」とかいわれているようですが)。個人の自殺については、おそらく心理学や精神医学の対象となるのでしょうが、デュルケムはそうした個人の心の問題にはタッチせず、あくまでも社会現象として自殺をみようとしたのです。

●デュルケムの議論を私の理解した範囲で乱暴にまとめてしまえば、「ある地域なり国なりの自殺率が予め決まっていて、誰が自殺するかはいわば偶然」となります。むろん、偶然というのはいい過ぎですが、個々の自殺の積み重ねで自殺率が決まるのではなく、その地域なり国なりで先に自殺率が決まっていて、それを満たすように自殺が起きるという見方です。これは世間の常識からいえば、かなり刺激的な、すなわち、受け入れ難い見方といえるでしょう。

●実は、国際マクロ経済学において経常収支の黒字や赤字の問題を考えるときは、これとよく似た議論になります。すなわち、経常収支の赤字や黒字の大きさは、既にその国の貯蓄・投資バランス(換言すれば、資金需給の状態)によって決まっており、どこの企業が何をどれだけ輸出するか、どこから何がどれだけ輸入されるかというのは、その枠内で決まるのだと。我々は、つい個別の企業の製品にどれだけ「国際競争力」があるかという積み重ねによって輸出の額なりが決まるように考えがちですが、経済学的にみれば、それは逆立ちしたものの見方といえます。先に黒字や赤字の額が決まっているのです。したがって、仮に「市場開放策」なるものを実施したとしても、それが貯蓄・投資バランスに影響を与えなければ、経常収支は1円たりとも変化しないのです。

●デュルケムの『自殺論』の論理は、今から考えると、この議論と非常によく似ています。「個別の積み重ねが全体になると考えると、間違ってしまうことがある」というのは、いわゆる「合成の誤謬」として知られているわけですが、自殺率についてのデュルケムの議論を見ていると、経済現象だけではなく、他の社会現象にもそれはいえるのだなと感心させられます。もっとも、学部の学生時代に『自殺論』を読んだ当時は、そんなことには全く気がつかなっかたわけですが・・・。

●社会学の教科書によると、デュルケム以降、「デュルケムは自殺の個人的要因を軽視している」といった批判が相次いだといいます。しかし、何かピントが外れているように思います。個々人が自殺に至る理由は、失恋、貧困、病苦、将来への不安その他いろいろあるでしょう。そうした要因を論ずることに意味がないとはいえませんが、もし、その積み重ねで自殺率の高低を説明しようとするならば、それはデュルケム以前の議論と何ら変わりません。結局、デュルケムが多分一番いいたかったこと、すなわち、「自殺率が先に決まっているんだ」という点は、彼以降の社会学者には理解してもらえなかったのかなと思います。

●ちなみに、自殺率の国際比較をしてみると、(1)欧州地域の自殺率は高いのですが、北欧と南欧とを比べると、南欧は自殺率が低いという傾向が見られます。これについては、「南欧で自殺率が低いのは、温暖な地中海性気候の影響だ。北欧は年中どんよりと曇っており冬が長い。そうした陰鬱な気候が自殺を増やしている」「南欧は保守的なカソリックの国々だ。北欧はプロテスタントなので自殺が多い」「南欧は近代化・産業化が北欧よりも立ち後れ、伝統的な共同体がまだ残っている。それが影響して自殺率が低いのだ」などといった、それなりにもっともらしい仮説が唱えられているようです(日本の自殺率は、実はスウェーデンよりも高かったりするので、「陰鬱な気候」だけで自殺率の高低を論じられないのは確かでしょうが)。

●なお、興味深いのは、(2)中欧のハンガリー、オーストリア、チェコスロヴァキアなどでは自殺率が高く、(3)英国は目立って自殺率が低い(しかも、自殺率は年々低下している)という事実です。中欧諸国の場合、歴史的に列強の支配を受け続けてきたことや第二次大戦後はソヴィエト連邦の衛星国として傀儡政権の下で社会主義陣営に組み込まれてきたことなどが影響しているともいわれています。英国がなぜ目立って低いのかは、よく分かっていないようです。

●(4)北米(米国およびカナダ)は、自殺率で見る限り、先進国としては低い方であり、世界中でも南欧を除く欧州諸国と発展途上国との中間に属する地域といえます。ただし、北米の自殺率は上昇傾向にあるので、このままの状態が続くと、早晩北欧諸国並みの高い自殺率の国となる可能性も指摘されているようですね。

●自殺率の高低がどのような要因によって決定されているのかについては、既に触れたように諸説あります。「これで100%例外なく説明できる」といった決定打は、あくまでも私の知る範囲では、今のところ見つかっていません。ただ、少なくとも、各国の自殺率を比較してみていえることは、「自殺率が低い=幸福」「自殺率が高い=不幸」などと考えることは、無理だろうなということです。

●地理的にいえば、灼熱の砂漠地帯にある国々では自殺率は極端に低いわけですが、ではそこに住んでいる人々は世界一の幸せ者かといえば誰もが疑問に思うでしょう。まして、戦争中は自殺率が低下するのです。まさか、「戦争中は平和な時代よりも幸せだ」とはいえないでしょう。さらに、自殺率がもともと低い上に傾向的に低下し続けている英国を指して、「英国の国民は年々幸せになっている」と結論したら、誰がまともに相手にするだろうかと思います。

●自殺に至る理由はいろいろあるにせよ、「不幸せな人がたくさんいるから、自殺率が高い」といった推論をすることは、デュルケム以前的な議論であると同時に、今見たように、説得力という点でいささか無理があるといえます。



【参 考】

http://www.iph.go.jp/boushi/kiroku/no1.html#honbun7

「中高年の自殺急増とその背景」

  清水新二 国立精神保健研究所成人精神保健部長
  石原明子 同 流動研究員

には、以下の記述がありました(強調は引用者)。

 「男性中高年の場合、一般的にマスコミなどでも不況等の影響、関係というふうに語られますが、全年齢も中高年も、特に男性では、完全失業率と非常に相関が高い。相関係数も高い相関が概して見られました。今回バブル崩壊は91年、それ以後、完全失業率は上昇しますが、男性の自殺率は91年から96年までは少し上がる。そして、98年には急上昇します。女性では、バブルが崩壊しても自殺率は下がり続け、98年には急上昇の状況が見られ、これは全年齢も40〜59歳も同じ傾向です」