疑問点/その10



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◎疑問点/その10

「モルモン教会を去った人々は背教者であり、滅びの子となる」?

●厳密にいえば、これは教義への疑問というより、モルモン教会(末日聖徒イエス・キリスト教会)の体質への疑問とでもいうべきかも知れません。

●モルモン教会では、背教すれば滅びの子となると強調されています。教会の指導者(預言者とされている大管長など)の指示に疑問を抱いたりするのは、「背教のはじまり」として厳しく叱責されます。仮に、どんなに訳の分からない指示が下されたとしても、一切の疑問を抱かず、それに黙々と従うことが正しい信仰のあり方とされるわけです。

●ただ、モルモン教会の教義からいえば、モルモン教会が神の子羊の教会、神が導く唯一真の生きている教会であることを十分承知の上で、なおかつ自らの意志でそれに背くのが「赦されざる背教」とされるはずです。

●となれば、さまざまな理由で「モルモン教会の教えは神の教えなんかじゃない!こんなのはインチキだ」として教会を去った人々は、モルモン教会が真実でないと本心から考えているんですから、背教者ではあり得ません。したがって、「滅びの子」になることも当然ありません。地獄で「永遠の火の刑罰を受ける」ことなど、モルモン教会の教義に照らしてあり得ないはずなのです。

●にもかかわらず、モルモン教会を去った人々に対して「お前たちは滅びの子だ。俺は昇栄できるんだぞ」と勝ち誇ったように宣告する、活発モルモンを自称する方々が跡を絶ちません。「教義と聖約」なり、「聖句ガイド」なりを本当にきちんと読んでおられるのか、はなはだ疑問に思います。

●まぁ、結局は自分の強さを誇り、他人を見下したいんでしょうね。ただ、モルモン教会以外の実社会では、「俺は戒めを守っているから昇栄できる」と威張ってみたところで、「何だそれ?お前、どこかおかしいんじゃないの?」といわれるのがオチですから、モルモン教会の教義を知っている元モルモンの人々を追い回して、「お前らは滅びるんだ。地獄に落ちるぞ。ひっひっひっ」などと執拗に繰り返すのではないでしょうか?活発モルモンと称される方々のそうしたストーカーまがいの行動を見ると、何か病的なもの、歪んだエリート意識のようなものを私は感じてしまいます。

●しかし、実際には、そういう人たちが、モルモン教会の中では、戒めを守っている霊的に高い模範的な教会員と見なされ、「教義と聖約」によれば、贖いの日には真っ先に復活して神の御許へ行けるとされるのです。モルモン教会の神殿で結婚し、生涯戒めを守り抜いた者だけが神の御許へ行けると説くのがモルモン教会の教義ですから。

●もっとも、「バプテスマを受けて神殿結婚をしているなら、人殺しさえしなければ、どんな不道徳な行いをしても、死後、サタンに引き渡されて贖いの日まで打たれるだけで、とりあえず昇栄はできる」とも「教義と聖約」(132:26)にありますから、戒めを生涯守り抜くことは昇栄のための必須条件ではないともいえますが(にしても、戒めを破ったとき、悔い改めたら赦されるはずなんですよね。なぜ、さらにサタンに引き渡されて贖いの日まで打たれる必要があるのでしょうか?教義に整合性があるとは思えませんね)。

●いずれにせよ、教会を去った人々を追い回しては、「地獄に落ちるぞ。滅びるぞ」としつこく脅すような、変質者と大差ない連中が神の御心にもしもかなうとすれば、はっきりいって、その神様はロクなものではないと思いますけどね。というか、そのような存在を本当に「神」と呼んでよいのかも、私には疑問です。




●モルモン教会(末日聖徒イエス・キリスト教会)における「滅びの子」の定義については、例えば、「教義と聖約」(183:31-38)を参照のこと。

「わたし(イエス)の力を知り、それにあずかる者とされながら、自らを悪魔の力に打ち負かされるに任せ、また真理を否定し、わたし(イエス)の力に反抗するに自らを任せたすべての者」は、「すなわち、滅びの子であり、生まれてこなかった方が彼らのためによかったとわたし(イエス)が言うものである」

「彼らは激しい怒りの器であり、悪魔やその使いとともに永遠に神の激しい怒りを受けるように定められるからである」

この世でも来るべき世でも赦されることがないとわたし(イエス)がいったのは、彼らについてである」

「それは、彼らが聖なる御霊を受けた後にそれを否定したため、また御父の独り子を否定したため、また独り子を自ら十字架につけて公に辱めたためである」

「これらの者は、悪魔やその使いとともに火と硫黄の池に入るものであり、」「また第二の死(霊の死)が何らかの力を持つ唯一の者であり、」「まことに、主の激しい怒りによる苦しみを受けた後も、主の定められたときに贖われない唯一の者である」