Last Up Date 2003/01/10
第5章 小説
第2条 小説の必要科目
第2項 収集・分析

 何を収集・分析するのか、と言う人もいるでしょう。また、そんなことが必要なのか、と言う人もいるでしょう。そういう 人達は帰ってください(笑)。いえいえ、冗談です。ですが、これがない小説は酢のないお寿司と同じです。
 収集・分析というのは、資料・情報を集め、それを自分流に分析することです。小説に資料が必要なのか、自分の想像で書くのではないのか、と思っている方 は間違いです。小説を書くのに資料は欠かせません。資料が十分ではない小説はあまり面白くありません。
 村上龍という作家がいます。彼は『限りなく透明に近いブルー』で昭和51年上半期芥川賞を受賞しました。彼を知らない小説ファンはいないでしょう。彼の 作品は、よく未来を予言したようであると言われます。近年の作品で言うならば、『希望の国エクソダス』と「学級崩壊」や『共生虫』と「佐賀バスジャック事 件」でしょうか。
 しかし、彼はけっして予言者ではありません。では、なぜ社会現象を予知したような作品なのでしょう。はっきりした理由は私も知りません。ですが、限りな く事実として、彼が資料を重要視する人間だから、だと思います。ひきこもりは作品が出る少し前から問題視されていましたし、社会的に隔離された人間は、そ の考え方がかなり偏狭です。そういった人間は人恋しさにネットに入ったりします。そして、おかしな方向に向かいますし、そのネットで拒絶されると向かうべ き方向をなくします。多くの場合、そういう人間は誰かに認められようとします。けれど、正攻法では認めさせらないので、アンチヒーロー・ダークヒーローと いうべきでしょうか。注目を集める犯罪を犯すことで、有名になろうとします。そういった社会状況や心理学を知れば、自ずからそのような話は出てくるはずで す。
 余談として。昔、NHKが「村上龍と対談する」という企画を一日かけてやったことがあります。そのとき、こども、親、政財界の三つの立場がいたのです が、その中で何度となく、大人たちから「村上さんのような方は違うのでしょうが」という言葉を聞きました。確かに村上龍氏はすごいです。けれど、彼だって 昔はそこにいる〈こども〉たちとなんら変わらなかったはずです。彼は自分の思ったことを実行したから今のようになったのであって、昔からそうだったわけで はないのですから。上記の言葉は、大人たちの諦めを正当化する言葉でしかなかった気がします。

 さて、話を戻しましょう。
 なぜ、資料が必要なのか。
 それは現実感を持たせるためです。作品に現実感を持たせることで、よりリアルな世界観を生み出すためです。
 それでは、現実感を持たせるとは何でしょうか。
 小説は結論として、フィクション──虚構・作り話です。つまりは夢物語です。しかし、夢物語をそのまま書いても夢物語です。そこに、現実感を吹き込んで やることで、小説は面白みを持ちます。
 なぜ、現実感があると面白いのでしょうか。
 それは人間というものは、意識せずとも共通点を求めたがっているからです。だから、考えてください。身近にいる友達は同じ趣味や似たようなものが好きな はずです。それと同じように、小説でも現実と同じような、あるいは似たようなものがあれば、読者はそこに引き込まれていきます。ですから、現実感は必要な わけです。小説の中に、もう一つの〈現実〉を見るわけですから。

 では、実際にどう資料を集めたらいいのでしょうか。
 資料の収集の仕方には、おおよそ五つ存在します。細分化したり、特殊例などを含めれば、ほかにもあると思いますが、よく使われる方法は以下のものだけで しょう。

(1)自分の知識
(2)文献
(3)アンケート
(4)インタビュー
(5)観察

 (1)の自分の知識とは、今まで得てきた自分の知識を使うことです。この方法は手軽ではありますが、なにぶん自分の記 憶ですから、曖昧ですし、しっかりした典拠もありません。ですから、資料としては一級品とは言えません。それでもいい場合もありますが。私も「ベストセ ラーなんてダイッ嫌い!!」では自分の記憶に頼っている部分はあります。ただ、曖昧な部分については書籍などで補う方法を使っています。

 (2)の文献は、もっとも利用される方法ですね。その名の通り、多くは書籍のことです。この場合は、ほとんど出版社か ら出版されている書籍ですのから、信用度は高いので問題はないでしょう。
 ほかにも新聞やテレビ、辞書・事典、古文書などあります。ここに、インターネットが含まれますが、私自身はインターネットの情報はお薦めしません。なぜ なら、インターネットはもととなる典拠が曖昧ですし、その情報が正しいかどうかの判断が難しいからです。なにより、虚偽の情報が往々にしてあるからです。
 この「ベストセラーなんてダイッ嫌い!!」も「VIRTUALCITY?DETROIT」や「オンライン小説ライブラリー[Novel Station]」などを参考資料に挙げています。ですが、資料と言うより、ここは参考になりますといった感じですから、はっきり言って使っていません。 DETROITは若干使っていますが。
 ここで、インターネットで資料の善し悪しを見極める手段として。一つには参考にした資料をきちんと書いていること。典拠があれば、その資料を見て、その サイトが正しいかどうか分かるわけです。
 一つは、サイトの制作者で見極める。例えば、「VIRTUALCITY?DETROIT」の制作者である川上稔は、電撃文庫(メディアワークス社)で 『都市シリーズ』を書いている本職の作家です。その人が世界観や人物設定について語っているわけですから、信憑性は他よりも高いわけです。
 一つは、サイトの内容を見て、今までの自分の知識を持って、それが正しいか判断する方法です。ただ、この方法は判断する本人にそれだけの判断力(知識) がなければいけませんので、お勧めしません。慣れてくれば、意外とサイトを見ただけで、そのページが良質かどうか分かるものですけどもね。
 蛇足として。もし、インターネットの情報を使いたい場合は、最低三カ所以上(それもまったく異なるサイト)を検索してください。その情報を照らし合わせ て正しければ、おおよそ正しいと言えます。

 さて、(3)のアンケートですが、この方法はいたって単純です。だれかれかまわず、アンケート用紙に解答してもらえば いいのですから(苦笑)。ちょっと冗談です。つまりは、ある一定の書式(方式、フォーマット)で質問が書かれているアンケート用紙に、何人も質問の答えを 書いてもらい、それを集計する方法です。
 この方法の問題点は、始めから対象を決めているならいいのですが、作為的に自分の求める答えを解答してくれそうな人にアンケートを採ってはいけません。 それは情報の正確性に欠けてしまいます。
 具体例を出しましょう。「二十代OLのブランド意識」あるいは「女子高生の性意識」をアンケートするとしましょう。その時、無作為に百人なら百人、OL または女子高生にアンケートするなら問題はありません。しかし、女子高生でも渋谷・新宿・池袋にいるガングロ・厚底靴の女子高生ばかりに尋ねれば、自ずと 傾向は偏ります。そのいい例がメディアです。世俗的なメディアはそういう女子高生ばかりにアンケートを採り、「今の女子高生はおかしい」と結論づけます。 それはそうです。例外ばかりを取りそろえているのですから。ネットで言うなら、『2ch』に来る人間ばかりにアンケートを採るのと同じです(笑)(もし、 言っている意味が分からない貴方はそのまま純粋でいて下さい。いえ、本当に)。

 (4)のインタビューもアンケートに同様の種類と言ってもいいです。この場合は、よくテレビがやっている街頭インタ ビューのように、何人にもインタビューする方式と、誰か一人にインタビューを取る形式の二通りがあります。
 前者の方式はアンケートと変わりありません。後者の方式はその道の権威や知識人などにインタビューする場合ですね。全体の傾向と言うより、その情報を詳 しく知りたい時に利用できます。ただ、一言。もし、やる場合は事前に連絡を取り、インタビューをする趣旨を伝えなければいけません。アポなしは礼儀知らず のすることですから。
 さて、この問題点もアンケートと同様です。一言付け加えるなら、例え無作為でも、自分の欲している答えに誘導してはいけません。そんな情報は無意味です から。これはアンケートにも言えることですね。

 最後の(5)の観察ですが、これは言わなくても分かることですね。小学校の頃やった朝顔観察と同じです(笑)。要する に、ある一つものを断続的に、観察・研究することです。例えば、天体の動きがどうなっているのかを知りたければ、一年間、天体観測をすればいいのです。蟻 の巣の中の行動を知りたければ、蟻のコロニーを観察すればいいのです。
 科学の世界では、よく「理論は実践しなければならない」と言います。それは理論が完璧であっても、実際に実験をすると思いも寄らない結果になることがあ るからです。ですから、科学はいつも理論はすぐに出来るのですが、実践になると何年何十年とかかるわけです。
 例としては、アインシュタインの「相対性理論」とニュートンの「万有引力」があります。どちらも重力について論じているのですが、どちらが正しいのか、 未だもって解明されていません。なにせ、アインシュタインは物質は空間を歪曲させるため、そのひずみが重力だ、と言い、ニュートンは物質にはものを引き寄 せる力がある、と言っているのです。実に確認しようのない理論なんですよね。
 さて、これらの方法を使って集めた資料は分析しなければいけません。どういうことかと言うと、すでに言ってしまったのですが、集めた資料の中には虚偽・ 誤りがあるかも知れないからです。すでに言ったことを守っていただければ、ほとんど必要ないんですけどね。
 あえて言うことがあるとすれば、学問・学説に関して。往々にして、学問──特に、歴史や科学は、今までの見解が間違いであったと言うことがよくありま す。三内丸山遺跡の発見により、縄文時代でも定住し、稲作(正確には栽培)を開始していたことが明らかになりました。原子が最小の物質構成単位であったの が、今では素粒子、クォーク・レプトンなど、さらに小さい物質が発見されています。
 今、天文学で論争されているものを言えば、「定常宇宙説」と「膨張宇宙説」ですね。一応、学界では「膨張宇宙説」が通説ですが、いまだ「定常宇宙説」は 消えません。どんな学説かと言えば、「膨張宇宙説」は知っての通り、ビックバンから宇宙は始まり、その爆発エネルギーで宇宙は膨張を続けている、というも のです。これには、さらにいつか宇宙が収縮するか膨張し続けるかで、また論争がありますが。
 一方の「定常宇宙説」は宇宙は一定の大きさで、過去も未来も永遠に一定の大きさを保っている、という説です。確か、アインシュタインもこの説を唱えてま したかね。どっちが正しいか知りませんけれど(苦笑)。
 もう一つ挙げておくと、月の成り立ちも論争されていますね。一つは原初の地球(マグマの塊)に隕石がぶつかって、その時弾かれた一部の塊が月になった説 (ファースト・インパクト説)。一つは微惑星が集結し始めて地球が生まれる時、残った微惑星や岩石が別に集まった説。もう一つは、どこからか飛んできて、 地球の近くまで来た時、地球の重力に捕まって今の状態になった説。
 もし、そういった学説を利用する時は、いつか覆されることを忘れずに。特に、それを基本世界観に組み入れると、学説が否定され時、一気に現実感をなくす ので。

 資料の重要性を理解してもらえたでしょうか?
 たいていの人間は、狭い知識しか持ち合わせていません。その道の大家・専門家だって、それしか知らないわけですから。ですから、資料を使う必要性は十分 にあるわけです。また、小説はどんな人が見ているか分かりません。もし、貴方が自分の知識だけで書いた小説を、そこに出てくる知識を深く知っている人が読 んだらどうでしょう? 間違いなく、貴方は馬鹿にされます。むしろ、怒られます。そういったことをなくすためにも、資料は重要です。

*このページに書かれていることは、壬桜華の私見であり、必ずし も絶対とは言えません。
最終的には、ご自身で判断してください。


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