Last Up Date 2002/12/30
第2章 文章構成
第2条 文章組み立てキット
第1項 首胴尾

 この方法は論文を書く時を始め、様々な文章を書く方法として、もっともポピュラーな方法です。様々な基本型を述べまし たが、一般的に使われている方法もこれでしょう。言い換えれば、この方法を知れば、この文章構成の「型」は攻略したも同然です。言ってみれば構成型の「国 際規格」ですね。いえ、これは本当ですよ。アメリカに行っても、どこへ行っても、この三段型は通用します。多くの学術論文も、この形で書かれているのでは ないでしょうか。それに文章を書く上でもっとも多く利用されている方法は、この方法です。後述する「起承転結」よりもっ!
 なぜかというと、これは何の飾り気もない構造だからです。逆に言えば、どんな方法にも耐えうる構造だと言えます。また、「国際規格」でもあります。よっ て、多く使用されるのは自明の理でしょう。

 日本は論文・意見文など論理的に文章を展開する技術が遅れています。現在、それに関する様々な書籍が発行されています が、多くは──少なくとも、私が知る限りでは──参考にならないものが多いです。参考にならない、と断言してしまうと、書かれている諸先生方に実に失礼な ので、少し弁明を。参考にはなります、人によっては。また、「レポート・論文の書き方」と言われるものは参考になります。実を言えば、これを書くために ──正確には若干違うのですけど──図書館や書店を回りました。その中で、かなり迷ってしまいました。何に一番迷ったかと言えば、ハードカバーの書籍を選 ぶときに迷ったのです。
 それはなぜか。書店へ行って「作文・手紙の書き方」のジャンルの棚にある書籍を軽く読んだのですが、そのほとんどが公用文・ビジネス文・手紙などの書き 方だったのです。「文章そのもの」について書かれた書籍がありませんでした。それで悩んだ結果、大類先生の書籍を買ったのですが。
 これは後で知ったことなのですが、大類氏は文章に関する著名な方だったんですね。それも句読点に関する。それに関する書籍や論文も多く出されています し。選んだ人がそんな人だったなんて知りませんでした(笑)。
 次に向かったのが新書のコーナーです。今まで「岩波」「ちくま」「PHP」「中央公論社」といった出版社しかなかったのですが、昨今の親書ブームで最近 は「集英社」「角川」など多くの出版社が進出しています。今、新書が熱い!(苦笑)
 冗談はさておき、新書の方は小説・文章の書き方について論じているのが多くあります。見た限り、最低でも出版社一社につき一冊はあるのではないでしょう か。「岩波」などは長い歴史があるだけに、いくつかの本が出ています(実は岩波書店びいきだったりします、私)。
 ただ、どれもこれも自分の経験に基づいた、自分流のものばかりです。内容を理解すれば、いい本なんですけど。たとえば、参考資料に挙げる大江氏の『新し い文学のために』は小説を書く上で、実に重要なことを書かれているのですが、本人は純文学系の方で、かなり硬い書き方をしています。そういった自分流は、 特に作家が小説論を語る場合に多いですね。仕方ないことですけれど。こういう多くの作家ものはある程度分かってからの方が読む価値があると思います。
 とりあえず、大学教授などが書いている「レポート・小論文・論文」に関する新書はある程度、分かりやすく書かれているのではないでしょうか。面白いの は、理系の教授がレポートの書き方について書いている本もあります。これは理系がアメリカ式の論文形式をいち早く取り入れたためなのですが。
 最後に図書館に行ったのですが、撃沈です。ほとんどは論文じみたものばかり。分かりづらい、必要な情報がない、実用的ではない。確かに、文章について論 文を書くならば、それでもいいけど。
 おまけとして。いくつか文章・小説の書き方について表示しているサイトを回ってみたことがあります。サイトの内容はだいたい二分されます。一つは上記に 挙げた自分流を書いているサイト。もう一つは要点は挙げていますが、言いたいことがまとまっていないサイト。この『ベストセラーなんてダイッ嫌い!!』を 書いた一因もそこにあります。読者にとって必要な情報が、いかに明確で簡潔に書かれているか。しかも、分かりやすく。ですから、こういった細かい章立てで 書いているのです。
 随分、話が長くなってしまいました。それでは、首(序論)・胴(本論)・尾(結論)について詳しく見ていきましょう。

首(序論)……書き出しや前置き、前提条件など文章の始まり。つまり、導入部。
胴(本論)……本文。芯となる部分。
尾(結論)……書き出し・本文に対しての結論。この「尾」か「首」で主題を明記。

 このようになります。いまさら、取り立てて言うことでもないのですが、この三つがしっかりしていれば、読み手には内容 が伝わります。ここで気をつけなければならないのは、序論から結論まで統一された内容であることです。そう、「首尾一貫」であることが大切なのです。ま た、言うまでもありませんが、胴が一番長くなります。頭でっかちや尾が大きい文章は、読み手にとってはあまりいいものとは言えません。
 ほかに言うべきことは、これだけでは文章に面白みはないということです。いえ、やり方でどうにでもなるのですが、一番簡潔な方法ですが、それだけに工夫 も必要なのです。それは実際に書いてみれば分かることでしょう。
 この首胴尾の簡単な文章を作るとすれば、次のような形になります。

 つまり、我々はいずれかは人と別れる運命にあるわけだ。
 出会いがあり、同じように別れがある。それが親兄弟、親友、恋人、夫婦であろうとも。であるから、人は誰かと「共生」することはできない。 だが、同時に「社会」に依存しなければ生きてはいけない。(序論)
 例えば、細胞はミトコンドリアと共生している(かなり主従関係の強い)。だが、人間は先述したとおり、人とはいつか別れる。つまり、細胞と ミトコンドリアのような共生関係はできないということだ。しかし、人類は「社会」という間接点をもつことで、人と共生している。人は根本的に一人では生き ていけない生き物であるから。この場合はさきの例ではなく、ヤドカリとイソギンチャクの関係に近いものがある。この両者は一種の共生関係にあるのだが、少 し勝手が違う。基本的に両者は単独でも生存可能だ。しかし、互いが共生関係を結ぶことで、ヤドカリは敵から身を守り、イソギンチャクは移動することができ る。人間もまた、これと同様なのではないだろうか。
 社会の中には、人に依存──互いに強い共生関係を結んでいると言っても良い──している人間がいる。例を挙げるならば、古典的な父親だろう か。彼は仕事に関しては一人前であるが、家庭生活に関しては妻に依存し、すべてを委ねている。だが、ここで妻がいなくなったとしたら、彼は仕事は続けられ るだろう。しかし、家庭生活は円滑に進めることはできない。
 一方、それを悲観し、共生関係を嫌い、「社会」から隔絶する人間もいる。例を挙げるならば、ホームレスだろうか。ただし、この場合でもやは りホームレス同士の連携が行われ、共生までいかなくとも、一種の「社会」を形成する。つまり、一人では生きていけないのだ。(本論)
 人間は一つの「個体」として生きながら、「集団」の中でしか生きられない動物なのである。これを私は「集団性個体動物」と名付けた。人は 「社会」という集団にいることで、「アイデンティティ」という個をたもつことができるのである。それは21世紀を迎える今でも通用する。むしろ、今だから こそ通じることであろう。その代表格が「インターネット」の出現である。一見、現実社会と隔絶されているように見え、その実、インターネットに新たなる 「社会」を形成し、そこで共生関係を築いている。インターネットとて、すなわち形を変えた「社会」に過ぎないのだ。いや、ある意味では失われた地域性社会 が別の意味で復活したと言える。(結論)

 これは私がちょっとしたことがあって書いたレポートです。先の文体でも説明したとおり、論文・レポートなどでは「であ る」調で書いています。今思えば、もう少し軽い文体で書いてもよかった気がします。
 序論は「人間は社会なしでは生きていけない」という提起をしています。また、「人間は共生できない」とも。つまり、この二つがレポートの柱となるわけで す。さて、本論ですが、これは二分できます。前半の「細胞とミトコンドリア」「ヤドカリとイソギンチャク」の共生について。後半は「古典的父親」「ホーム レス」に見える社会による共生について。そして、結論として「人間は集団性個体動物」であると言っています。そこから、インターネットとは「地域性社会」 の変形であると、インターネットとの関連性を述べているわけです。
 実は、次に説明する「起承転結」は本論が「承」と「転」に分かれただけなんです。この文章では、本論の前半(「細胞とミトコンドリア」「ヤドカリとイソ ギンチャク」の共生)が「承」で、後半(「古典的父親」「ホームレス」に見える社会による共生)が「転」となります。
 ですから、この「序論・本論・結論」という仕組みさえ理解できれば、残りは応用に過ぎません。つまり、三段型はどんなものにも共通するモノです。ですか ら、しっかりと抑えておくべきキーポイントではないでしょうか。

*このページに書かれていることは、壬桜華の私見であり、必ずし も絶対とは言えません。
最終的には、ご自身で判断してください。


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