Last Up Date 2002/12/30
第2章 文章構成
第3条 段落の意味

 まず、段落とは何か。本質ではなく、その性質を見てみます。どういうものが段落であるかと言えば、本章第1条で先述し た通りです。

【段落】(名)@文章の中の、改行(かいぎょう)によってくぎられた、ひとまとまりの部分。文段。Aものごとのくぎり。(『三省堂国語事典』 第三版特装版 三省堂 一九九二年第二十刷)

 つまり、改行で区切られた文章が段落なのです。また、段落の一番最初に(全角)一文字スペースを空けるのは、ここが段 落の始めですよ、という共通の意味です。(東西の)段落の過去を調べれば分かりますが、必ずしも昔はこういう形が段落の形ではありませんでした。あまり関 係のないことですが。
 大きく分けて、段落には二種類存在すると学校で教わってきたはずです。「意味段落」と「形式段落」です。しかし、よくよく考えると変だと思いませんか?  何でしょう、「意味」「形式」って。解説すると「形式段落」は先述した段落の意味──改行で区切られた文章──であり、「意味段落」は簡単にいえば、そ の段落を集めて起承転結に分けたもの、ですね。
 そうは言っても、段落っていまいち曖昧模糊ですよね。どういうとき、段落を変えればいいのでしょうか。それについて『国語学研究事典』では二人の論を書 いています。それをもとに考えていきます。
 まず、市川孝氏は

(1) 転換
(2) 添加
(3) 順接
(4) 逆接
(5) 対比
(6) 同列
(7) 補足
(8) 連鎖

と述べ、永野賢氏は

(1) 展開
(2) 反対
(3) 累加
(4) 同格
(5) 補足
(6) 対比
(7) 転換

としています。これだけでは、何のことやらサッパリ。ですから、お偉いさんの文章形式って嫌いなんですよね(苦笑)。こ れを見て、すべてを理解できる人はむしろ、この「ベストセラーなんてダイッ嫌い!!」を見なくていいです(笑)。
 もう少し分かりやすく噛み砕くと、市川氏の「順接」と永野氏の「展開」は同じものです。つまり、文章の始まり──問題の提起です。また、「逆接」「反 対」も同様で、「順接・展開」に対する意見・論理です。「添加」「累加」はそれらの文章に付け加えるような意見・論です。「同列」「同格」は同じような意 味の内容、あるいは同じ意味のことの繰り返し、「対比」は「同列・同格」と違い、その文章を比較する内容。「転換」は文章構成でいえば、「起承転結」の 「転」のように、話題を変える段落。「連鎖」は段落を進めるごとに論が発展していく内容。「補足」は上記の段落を補足する段落のことです。
 早足で行きましたが、図も交えて一つ一つ検証していきましょう。
順接・展開  まず、「順接(市川)」と「展開(永野)」は、文章の始まりに位置することが多く、主題(テーマ)を主張したり、主題を解説・拡張する段落のことです。 ですから、杜甫の「春望」を例にすると、「国破れて山河あり」がこれに当たります。この時点で人の造ったモノはなくなるが、自然は変わらない。なんと人の 世の哀れなことか。そういう主題が提起されています。
 次に、「逆接(市川)」と「反対(永野)」は、「順接・展開」に対する段落です。主題があって、それと対立するモノを出すことによって二つを際立たせる 役割を持っています。高村光太郎の「道程」を例にすると、「僕の前に道はない」という「順接・展開」段落に対して、「僕の後ろに道は出来る」というのが 「順接・反対」に当たります。
逆接・反対  「添加(市川)」と「累加(永野)」は、主題に付け加える段落です。ほとんど「補足」と同じ意味だと思うのですが、若干違います。夏目漱石の『吾輩は猫 である』の冒頭「吾輩は猫である。名前はまだ無い」に対する「どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事 だけは記憶している」が、これに当たります。猫である「吾輩」がどこで生まれたか、という付加説明をしている段落になります。
添加・累加  「同列(市川)」と「同格(永野)」は、段落に対して同じような段落を繰り返すことで、読者に比較させる段落です。「春望」の「国破れて山河あり」のあ とに「城春にして草木深し」という段落があります。これは同じようなモノを並べて強調する方法です。
同列・同格  同様に、「対比(市川・永野)」は「同格」と似ていますが、同じようなモノでも対立するものを並べている段落です。清少納言の『枕草子』一段はまさにそ れです。「春はあけぼの。ようよう〜」「夏はよる。月のころは〜」「秋は夕暮。夕日のさして〜」「冬はつとめて。雪の降りたる〜」と一見「同格」にも見え ながら、それぞれが対比した存在です。
対比  「転換(永野)」はそれまでの話題・主題から転換する段落。もちろん、まったく違う主題に移るのではなく、そう見せかけて関連する段落です。「春望」で 言えば、「国破れて山河あり/城春にして草木深し/時に感じて花にも涙を濺[そそ]ぎ/別れを恨んで鳥にも心を驚かす」のあとの「烽火 三月に連なり/家 書 万金に抵[あた]る」がそれです。それまで人の世の儚さを愁いていますが、ここから自分のことになっています。
転換  「連鎖(市川)」「補足(市川・永野)」については言葉だけで。「連鎖」は同じモノをリフレインすることで強調したり、あるいは次々違う主題に転換して 一つの主題を導き出す〈弁証法〉のような段落の使い方です。「補足」はその名の通り、前の段落を細くする段落です。「添加・累加」に似ていますが、私自身 よく分かっていません。
 さて、第三条で私は「段落は純物質」と書きました。段落はどんな意味を持つにしろ、一段落に一つの意味が原則です。一段落に二つも三つも意味を入れた ら、よく分からない文章になってしまうからです。例えば、同じ段落内で「段落の形式」と「段落の本質」について書かれても読み手は混合してしまい、意味を 把握するのが難しくなります。これは悪文になる一つの要因です。ですから、「段落は純物質」であるべきで、「混合物」になってはいけないのです。

 では、実際に段落をどうつけるべきなのでしょうか。基本は、一つの段落は一つの意味で構成されていて、一つの段落で二 つも三つも意見を入れてはいけません。それは先述した通りです。つまり、一段落内は「首尾一貫」した内容ということです。
 一例を見てみることにしましょう。

 少し考えてください。ネット上で年齢・性別を偽ることは間違いなのでしょうか。(1)
 いえ、もちろん、犯罪に関わることは問題外です。ただ、遊びとして女性が男性のフリをしたり、こどもが大人のマネをすることは糾弾されるべ きことなのでしょうか。なんとなく、思っただけですが。だって、これは私の戯れ言ですし(苦笑)。(2)
 実際、性別を偽ることはよくあること(でもないですけど)です。ネット上の自分をキャラに見立てて、男性が女性の、女性が男性のフリをする ことはあります。でも、それっていけないこと? 私自身はそれはかまわないと思っています。ネットは仮想──ヴァーチャルなモノで、半分空想なんですか ら、そういった〈遊び〉は許されるのではないでしょうか。むしろ、そっちの方が違う自分が出せて面白いようにも感じられます。私たちの中には、女性の中に も男性的な部分が、男性にも女性的な部分があり、こどもも大人である瞬間があって、大人もこどもな時があります。無意識にある部分をネットで意識的に出し てはいけないのでしょうか。(3)
 確かに、世の中には男性が女性のフリをして、お金を騙しとる事件や年齢を偽ってネット上で交際する例もあります。一方で、ネットで知り合っ た男女が結婚することもあり、事実の姿をさらすことも必要かも知れません。犯罪は問題外としても、そういうことはネットだからできる遊びですし、もし、現 実の自分を知ってもらいたかったら、そのときにカミングアウトすればいいことです。(4)
 面白いと思いませんか。たとえば、女性が男性のフリをしていたとき、女性は家庭を守る存在であるべきかという議論になり、「これだから男 は」と言われた瞬間。現実では女なんですよ。でも、相手は男だと思っているのです。しかも、発言自身は男であり、男の気持ちに立っています。彼女は男の気 持ちをそこで理解した、とも言えるのです。だって、彼女は周囲から男だと思われる発言をしたのですから。そのときの気持ちが「男」なのです。(5)
 別の例を出しましょう。文章というモノは、その人をよく表す場合があります。そこから女性か男性か、年配か若者か判断することもできます。 掲示板やチャットのやりとりの中で、その人が女性か男性か判断するのも、なかなか面白いゲームではないでしょうか。(6)
 そこには無言のルールがありますし、あるべきです。そもそも、ルールなきゲームは存在しません。どんなモノにも暗黙のルールは必ず存在しま す。そういう遊びって大人のゲームだと思いませんか? 私はそう思います。どこまでが許される範囲で、どこまで相手を看破し、それを楽しめるか。そういっ た駆け引きは面白いと思うんですけど〜。(7)
 やはり、アレなのでしょうか。既存のルールで限定されたゲームしかやってこなかった人々では、そういうゲームの遊び方を知らないのでしょう か。だとしたら、とても悲しいです。確かにコンピュータゲームは面白いです。でも、それは既製品の面白さで、人間同士でやるリアルタイムな〈遊び〉ではあ りません(たとえ、ネットゲームでも同様です)。(8)
 もし、ネットがそういう人々ばかりだったら、きっと仮想世界はつまらないモノにしかならないのでしょうね。(9)

 これは私の拙作であるエッセイ「仮想と現実」です。戯れ言の場所にある全文ですが、段落は九つに分けられています。ど ういう分け方をしているか、見てみましょう……自分のですけど(苦笑)。
 第1段落は問題提起です。まさに、それ以外は何も書かれていません。さきほど説明した「順接・展開」ですね。
 第2段落は第1段落を広げています。これは「添加・累加」でしょう、たぶん。
 第3段落は問題提起に対する持論を展開しています。これは「順接・展開」です。
 第4段落は持論に対して対立する意見を出しています。ただ、この中で問題解決をしていて純粋に一つの意味とは言えませんが。ちなみに、これは「逆接・反 対」です。
 第5段落はそれまでの主題とは少し話を変えています。もし、実際にやってみた場合はどうなのかな、と読者に提起しています。これは「転換」に当たりま す。
 第6段落は第5段落の内容と似ています。第五段落とは同じような内容で読者に語りかけていますね。これは「同列・同格」です。
 第7段落は第6段落を受けて内容が発展しています。「順接・展開」にも見えますし、「添加・累加」ともとれます。
 第8段落はそれらに対して、現状が必ずしもそうではないことを述べています。実は、これが「連鎖」。ただ、この段落のみではなく、第5からの流れから 「連鎖」と言えます。
 そして、第9段落。読者に対して結論は直接言ってませんが、述べていますし、問題提起として残しています。これは「順接・展開」です。
 段落の扱いは制限が規定されていない分、意味を持って扱うのは難しいのです。ただ、一つ言えることは、一段落に一つの意味・考え・出来事・人物に限定す ること。とにかく、この基本を守ることが重要です。変則的なことをするのは、そのあとでも遅くはありません。

 少しだけ。小説家への参考として、段落に関することを述べたいと思います。

(1) 児童文学
(2) 大衆文学
(3) 純文学
(4) 学術論文

 これが何の順番だか分かるでしょうか。答えは一段落における文字の多さです。つまり、段落の長さです。児童文学(童 話)はすぐに段落が変わるのに対し、学術論文(専門書)はやたら一段落が長いです。どれくらい長いのかは、作品によって変わるので、ここでは言いません が、小説・論文を書く時の一つの目安としてみてはいかがでしょうか。
 そして、最後に。いろいろ書いていましたが、文章を書いたり読んだりする中で、段落の使い方は自然と身に付いていくものだと思います。自分の書いた文章 を読み返してみれば分かるのですが、やはり一段落一つの意味ではない段落は読んでいても、違和感を感じてしまいます。この条項では、その目を養うために段 落の使い方を書きました。ですから、最終的に段落をどう使うかは自分次第ということです。

*このページに書かれていることは、壬桜華の私見であり、必ずし も絶対とは言えません。
最終的には、ご自身で判断してください。


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