Last Up Date 2003/01/03
第2章 文章構成
第3条 句読点の使い方
第1項 句点と読点

 やはり「句読点」と言ったら、「句点(。)」と「読点(、)」ですね。いえ、そのままなのですが。
 改めて。先述した句読点・符号の中で、もっとも使用頻度の高いものと言ったら、やはり「句読点」です。なにせ、一文の最後には必ず句点がつきますから (苦笑)。句読点というものは、歴史があるようでありません。海外ではどうなのか分かりませんが、日本では正式に使われ始めるのは、江戸後期か明治からだ と思います。古文書を見たことがある方なら分かりますが、句読点はありません。おそらく楷書が普通化した辺りから使用されたのではないでしょうか。
 必要はないと思いますが、一応、両者の定義を書くと、

「句点」……文章の終わりにつける。
「読点」……文中の区切れ、間につける。

となります。これを理解されていない方はいないでしょう。問題は読点をどう付けるか、だと思います。
 例えば、この文章はどこに句読点を付けるべきでしょうか。

「ふたえにしてくびにかけるじゅず」

 まず間違いないのは、一番最後に句点(。)がくることです。これを間違える人はいないはずです。
 では、読点(、)はどこにくるでしょうか。考えられるのは二カ所です。

「ふたえにして、くびにかけるじゅず(二重にして、首にかける数珠)」
「ふたえにし、てくびにかけるじゅず(二重にし、手首にかける数珠)」

 読点の付ける場所によって、内容が変わってしまいます。しかし、どこで打つべきかか、断定できるわけでもありません。 読点は基本的に自由につけられるものですから。と言っても、どこにでも、というわけでもありませんが。
 ある程度の目安として、次の場合に打った方がいいものを紹介します。

(1) 文章の区切り
(2) 間を表すとき
(3) 長い修飾語をもつ主語、長い述語をもつ主語のあとに
(4) 並列の語句のあとに
(5) 接続の語句のあとに
(6) 感動詞のあとに
(7) 語や意味を取り違えやすい場合

 このような場合に、読点を打つのが普通でしょう。そのうえで、あとは自分の感性や経験によって打つことになります。逆 に、小説や論文などを読むとき、読点の打ち方を見ると、その文章のレベルも分かると言えるでしょう。
 かなりアバウトな説明で申し訳ないのですが、読点の付け方は感覚です。もちろん、基本をおさえた上で、の話ですけど。どうもワープロ・パソコンで文章を 売っている人ってのは、やたら読点を打ちたがります。まさに、涙涙の物語というわけですね(苦笑)。
 様々な作家の作品を読んでいると、実に多彩な読点のつけ方をしています。意味もなく読点を打っている人もいますが、後述する三点リーダー・棒ダッシュの 使い方でもある「ためらい」「思考」を読点で表現することも可能ですし、文章にリズムをつけることもできます。
 補足的に。本当は原則として横書きは「,」を打たなければいけないらしいです。本当の原則は。ただ、「、」の方が分かりやすいので、あまり気にしなくて もいいのですが。私自身もカンマでは打っていません。
 さて、少し課題を出してしましょう。

・どこまでも続く長い長い道あの地平線の彼方まで続いている青い草原白い雲彼等とともに歩いていくどうして歩いているのかいつ終わるのか何故 この道を歩いているのかまるで分からないけど僕は歩くしかないこの道を

 句読点をつけないで文章を書いてみました。どう句読点をつけるかなど、まったくの自由です。詩の好きな人なら少し分か るかも知れませんが、必ずしも読点をつける必要はありません。見やすくするための読点だってつけなくたっていいんです。詩の中には普通の文章では句読点を つけるところにつけなかったり、つけないところにつけたりと、結構自由ですから。それと同じです。
 さあ、どこに句読点をつけますか?
 最初に断っておきますが、これは答えのない課題です。どれも正しいと言えると同時に、どれも間違っているとも言えるのです。一つ言えることは、文章は相 手に何かを伝えるための方法です。相手が読みやすい打ち方をすべきである、と言っておきます。そもそも、文章の書き方そのものにも答えはないのかも知れま せん。ただ、今やっていることは、他人が読みやすく、意思を伝えやすい文章を書く、ということに専念しています。ですから、自分流の文章はそれ以降に考え てください。
 問題を出しっぱなしで次へ行くのは無責任すぎですから、少しばかり具体例を出してみます。

(1) どこまでも続く、長い長い道
(2) どこまでも、続く長い長い道
(3) どこまでも続く、長い、長い、道

 一つ一つ感触が違うことはお分かりだと思います。(1)は二つの文章から成り立っています。「どこまでも続く」と「長 い長い道」です。この文章の主眼がまず、地平線の先まで続く道を見たのか、どこまでも続くという句を思い立ったのでしょう。その後、それは長い長い道であ ると言っています。(2)は、(1)が句読点で区切った前後をピックアップしているのに対し、「どこまでも」だけを区切ることでその句を強調しています。 (3)は長い、長い、と語調的にも長い道だと強調しているのが分かります。(3)で言いたいのは「長い」ということが分かるはずです。
 このように、それぞれの打ち方には作者の感情が込められています。単に「ここで打つべし」では、著作者が何を考えているのか、まったく分かりません。そ の文章で何を言いたいかこそが、句読点の打つべき場所かも知れませんね。

*このページに書かれていることは、壬桜華の私見であり、必ずし も絶対とは言えません。
最終的には、ご自身で判断してください。


次のページへ

トップページへ

Copyright(C)2002, Kankodorido All Rights Reserved.