Last Up Date 2003/01/04
第3章 修辞学
第1条 どんな表現方法があるの?
第1項 明喩と暗喩

 修辞学(レトリック)について細かく説明するわけですが、この「明喩(直喩法)」と「暗喩(隠喩法)」さえ押さえてし まえば、修辞学の半分はマスターしたも同然です。なぜなら、修辞の中で頻繁に使用されるのは、この二つだからです。それほど、よく出てくる表現だと言えま す。
 それでは、「明喩」と「暗喩」がどのようなものなのか、例もまじえて説明していきましょう。
 まず、「明喩」ですが、どのようなものかと言えば、「まるで〜」「〜のように」とつけば、それはもう立派な明喩になります。いえ、冗談ではなく、それが 明喩なのです。明喩とは「直喩」とも呼ばれ、直接的な比喩方法を指します。結構安直だな、と思いますけど、それが明喩なのだから仕方ありません。
 いろいろ言うより、まず実際に見てもらいましょう。次のような文章が「明喩」を用いた文章になります。

・僕の体は、まるで背中に翼が生えたように軽かった。
・彼女の肌は白磁のように白く、透き通っていた。
・まるで道化だ。自分でも馬鹿馬鹿しいと思う。なぜ、そんなことに気がつかなかったのか。

 明喩というものはあまり難しいものではありません。普段でも何気なく使っているかも知れません。いや、使っているはず です。修辞学と聞いて、堅苦しいものを想像した方は申しわけありません。明喩とは、それだけ身近な比喩表現なんです。
 次に、「暗喩(メタファー)」についてですが、これも内容そのものは難しくありません。しかし、説明するのが難しいです。あえて説明すると、あることを 別の言葉でたとえる方法、でしょうか。ある言葉を使って別の言葉、意味を思い浮かべさせる方法、と言うべきか。分かりづらいですよね。例文を見た方が分か りやすいかも知れません。

・君は僕の太陽だ。
・人生は旅である。人間は永遠に旅を続けている。
・彼は百獣の王だ。彼に立ちはだかる者は皆、地に伏せる。彼にかなう者など誰一人いないだろう。

 これを分解してみましょう。最初の文章を言葉どおりとらえると、君=太陽になります。そんな馬鹿なことが現実にはあり ません(笑)。本当に「君」が太陽だったら、「僕」はこの世から消滅してしまいます。多くの人が「それはたとえでしょ」と思うはずです。その通りです。 「たとえ」ることこそが暗喩です。
 「君は僕の太陽だ」という文章を正確に訳し直すとしたら、

 君は僕にとって太陽のような存在だ。輝かしく、僕に恵みを与え、暖かい陽の光で僕を包んでくれる。生命に太陽が必要なように、僕には君が必 要なんだ。

と言った感じでしょうか。「太陽」という一言が全てを集約しているわけです。
 同じように、次の文章を分解してみましょう。人生=旅ですね。しかし、人生は旅をすることではありません。これの意訳は難しいのですが、あえて訳すなら ば、松尾芭蕉の『奥の細道』の序文でしょうか。

 月日は百代[はくたい]の過客にして、行きかう年も又旅人也。船の上を生涯に浮かべ、馬の口をとらえて老をむかえるものは日々旅にして旅を 栖[すみか]とす。

 あるいは、鴨長明の『方丈記』の冒頭でしょうか。

 ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水のあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例[ためし]な し。世中にある人と栖と、またかくのごとし。

 といった感じですね。人は漂泊を続ける旅人である。絶えず違う場所にさすらい、流れ続ける。だから、人生は旅である、 と言えばいいのでしょうか。流石に人生経験が豊富とは言えないので、その辺の奥深い感覚を表現することができませんけれど(苦笑)。これで理解していただ ければ幸いなのですが、難しいところです。
 このようなものが「暗喩」です。これが文章が奥深くなるのですが、その意味は読み手に依存してしまうので、使いどころを悩むところです。たとえば、「君 は僕の太陽だ」も「君は僕の月だ」とも表現できます。月のように気まぐれだけど、いつも僕の傍にいてくれる、なんて表現もできたりします。同じ存在でも異 なる暗喩表現ができますし、同じ表現でも多少の解釈の差があります。そういう部分を理解すれば、暗喩は効果的な表現と言えます。

 このように、明喩も暗喩も方法の違いはありますが、伝えるべきことを何かにたとえることを目的としています。何をどう 例えるのか、それが明喩と暗喩の使いどころでしょう。

*このページに書かれていることは、壬桜華の私見であり、必ずし も絶対とは言えません。
最終的には、ご自身で判断してください。


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