紗耶香様

紗耶香:
進学校に通う高校生
成績が良く、友人の面倒見もいい
放課後は雑誌モデルもつとめる
ゼティマ社の跡取りとして期待されている

真希:
お嬢様学校に通う中学生
ひとりでは何もできない甘えん坊
彼女に期待する者は誰もいない

メイド:
当家につかえる謎のメイド
ライフル射撃と合気道の達人らしい
その正体は、保田でないかとの噂もあるが、その設定ではいまひとつ萌えない

つんく:
若くして巨大持株会社ゼティマを築いた立志伝中の人物
そんな彼も娘の前ではただの甘いパパである

裕子:
ミナミのバー「カラスの女房」の美人ママ
つんくの愛人である
紗耶香、真希とは意外に仲がよい
つんくとの再婚をためらっているのは、前妻に遠慮があるかららしい

和田:
切れ者の執事
つんくの片腕であり、ゼティマ社のナンバーツーをつとめる



「お帰りなさいませ、沙耶香様……あら?泣いていらっしゃるのですか?。」
「な、何でもねぇよ!」
「し、しかし…。どうかなされたのですか?」
「何でも無いって言ってんだろ!お前はいちいちウルサイんだよ!
 余計な事は言うんじゃねぇよ!!」
二階に駆け上がる沙耶香。

「(沙耶香様、最近いつも泣いてばかり…。どうしたのかしら。)」


沙耶香の部屋のドアをノックするメイド。
「沙耶香様、温かいココアを入れましたのでお部屋の外に置いておきますね。」
「・・・・・・。」
「では、お休みなさいませ。……あ、それと、あの、
 わたくしはいつでも沙耶香様の味方ですからね。」
「・・・・・・。」
「あ、も、申し訳ございません。私ったら、沙耶香様にまた余計な事を……。」
「…が…と…。」
「はい?」
「……ありがとう。」

「(さ、沙耶香様。私、私は…。)」

「紗耶香様、短い髪もお似合いですね。お母様そっくりですよ。」
「・・・ウルセエよ!!お袋の顔なんて覚えてねえよ!!」
「・・・お母様のことを悪く言ってはいけません」
「だって、あたしは写真でしか見たことが無いんだよ?」
「私ははっきりと覚えておりますよ。
 お母様の腕の中でぐっすりお休みになる紗耶香様・・・。」
「・・・・ねえ」
「何でございますか?」メイドの胸に顔を埋める紗耶香。
「ちょっとだけこうさせて・・・」

「(紗耶香様・・・)」

「真希様! おはようございます! 朝ですよ」
「……眠いよう」
「また真希様ったら、下着を脱ぎっぱなし」
「かたづけて……」
「紗耶香お姉さまは、今朝も早く起きてきちんと学校に行きましたよ」
「お姉ちゃんは関係ないもん……、今日は学校お休み」
「いけません! さあ、起きてください!」
「やぁ、眠い……」
「もう真希様ったら……(かわいいんだから?)」


平日の昼下がり、暇をもてあましている真希と、忙しそうに働くメイド
真希「ねえ……、その下ってどうなってるの?」
メイド「下……ですか?」
真希「メイドさんの服っておもしろいね、調べてみよう」
メイド「やめてください、真希様!」
真希「(ぴらっ)ふーん、こうなってるんだぁ」
メイド「あっ!ダメです、真希様!」
真希「かわいいパンツはいてるんだね、においかいでみよっと」
メイド「やあっ、ダメぇ……、真希様そこは……」
真希「くんくん、いいにおい……」
メイド「真希様ぁ……」
                      

学校から帰ってくる紗耶香。
「お帰りなさいませ、紗耶香様」
「ただいま……」
「お夕食すぐにできますからね」
そういって、料理の支度をするメイド。
「うん……」
紗耶香はつかれたように、椅子にもたれかかる。
「生徒会はどうでしたか?」
「ん、色々あってまた明日も会議しないと……」
「あら?テニス部の方はどうなさるんですか?」
「ちゃんと出ないとね、部長なんだし……。真希は?」
「お部屋でゲームをなさっているようです」
「そうか、呼んでくる……」
ゆっくりと立ち上がる紗耶香。
その瞬間、体がふらつき、倒れそうになる。
「紗耶香様!」
悲鳴をあげ、紗耶香を抱き留めるメイド。
「……ごめん、ちょっと疲れただけ」
紗耶香は体を起こし歩きだそうとする。その足はおぼつかない。
「……紗耶香様」
メイドは、紗耶香を引き寄せ抱きとめる。
「……いいんですよ、紗耶香様、つらいときはつらいといえば。
 紗耶香様のおそばにはいつも私がいます。
 ひとりですべて抱え込む必要はありません」
その言葉にポロポロと涙を流す紗耶香。メイドの胸に顔をうずめる。
「紗耶香様……」
やさしく紗耶香の頭をなでるメイド。
「……もう大丈夫、あなた見てたら元気になったから」
「本当ですか?」
にっこりほほえむメイド。
紗耶香も泣きはらした赤い目で笑顔を返した。


日曜日の昼下がり。
紗耶香は、真希がメイドに膝枕されながらテレビを眺めているのをみつけた。
メイドは、鼻歌など歌いつつ、サヤエンドウの筋取りをしている。
「もー、真希ったらなにやってるの? 見れば忙しいのわかるでしょ」
「……別に忙しくないもん。ね」
「いいんですよ、紗耶香様、いまは時間がありますから」
「そう……、それならいいけど……」
不満そうに漏らす紗耶香。
メイドが紗耶香を見てにっこり笑った。
その目は「あとで紗耶香様にも膝枕してさしあげます」と語っていた。
一瞬、頬が赤く染まる紗耶香。
「……どうしたの、お姉ちゃん?」
「なんでもないよ!」

「何かご用でしょうか、ご主人様。」
「ああ、お前に一つ聞きたい事がある。」
「はい。」
「最近、紗耶香が歌手のオーディションを受けたらしいが本当か?」
「……。」
「そうか。勝手な事を。なぜ私に伝えなかった?」
「そ、その、最近はご主人様がお仕事の都合で留守にされる事が多く…。」
「……。」
「それで、わたくしも、いつお話したら良いものかと…、で、ですが…。」
「私は認めんぞ。」
「!!」
「歌手になるなど馬鹿げている。お前から辞めるように言っておけ。
 それに二度と勝手なマネはするな!またこのような事があれば許さんからな!!
 いいか、わかったな!!」
「ですが、紗耶香様は幼い頃から歌手になるのが夢で…。」
「わかったな。」
「……はい。」

「オーディション会場の雰囲気に飲まれないように、リラックスするんですよ。」
「うん。当たって砕けろで頑張ってみるよ。」
「ええ。合格するといいですね。応援してます。」
「ありがと。ま、どうせ無理だと思うけどさ。って、あれ?泣いてんの?」
「い、いえ、何でもありません。」
「ふーん、変なの。じゃ、行ってきまーす。」
「いってらっしゃいませ……。」

「(紗耶香様、さようなら……。)」
紗耶香が家を出た後、メイドは自分の部屋のテーブルにそっと辞表を置いた。

「ただいまー。……あれ?
 おいっ、ただいまって言ってんだろ。
 返事ぐらいしろよな。聞いてんのか?」
いつもと違う様子に戸惑う紗耶香。
家に上がった紗耶香は、メイドの部屋のドアを少し怒りながら叩いた。
「おい、今帰ったぞ。
 お腹すいてるから、何か作ってくれよ。
 おい、聞いてるのか!入るぞ!」
部屋には誰も居ない。
「ったく、どこいったんだよ、もう。……あれ?…じ…ひょ!!」
辞表を読み終え、事態を察した紗耶香は部屋を飛び出した。
そして、家を出ようとした時、
「おい、どこに行く気だ。」
「あ!お、親父!」
「こんな時間から出掛けるつもりか?勉強の方はどうした?」
「う、うるさい!お前の所為で、お前の…親父のバカッッ!!」
「お、おい、親に向かって馬鹿とは何だ!おい、こら待ちなさい。」
家を飛び出した紗耶香は、いつのまにか走り出していた。

「ハァ、ハァ、あぁもうダメだ、もう走れない。」
紗耶香はかなり遠くまで来ていた。
闇雲に走っていた紗耶香は走り疲れた体を休めようと、近くの公園に立ち寄った。
「ハァ、ハァ、あそこのベンチで休もう……ん?あ!!」
公園の隅の方にあるベンチには、一人の女性が座っていた。
少し離れていたがすぐに分かった。
そこにいたのはどんなときも紗耶香の側にいてくれたあの人だったから…。
「ねえぇー、なにしてるのぉーー?」
紗耶香は思わずその場から叫んだ。
目には光るものが浮かんでいた。
「ん?あ!!!……あ、その、べ、別にぃー。なんにもしてないけどー。」
女は、公園の入り口の方に立っている紗耶香に気付き、叫び返した。
「ね、ねぇー、お腹すいたんだけどさー、今夜のメニューはー?」
紗耶香はかける言葉が見つからず、いつもの台詞で叫んだ。
「な、何で私が、ア、アンタなんかに夕飯作ってやんなきゃいけないのよ。
 もう私はアンタのメイドじゃないんだから……。」
「アンタってなによ!
 紗耶香様でしょ。
 あなたはわたしのメイドなんだから!」
女の目からは、いつのまにか涙がこぼれ出ていた。
「イヤよ!ア、アンタみたいな、ワガママで、自分勝手で、礼儀知らずで…、
 そ、それに…、そんな子、様付けでなんて呼べるわけ無いじゃない!」
「私だってあなたみたいな、おせっかいで、いちいちうるさくて、ウザったくて、
 そ、それに…、でも、でも…、わたしはあなたのことが好きだからー。」
「わ、私、私……。私だってあなたのこと…。」
二人はお互いのもとへ駆け寄り、抱きしめ合った。
公園の中央で抱き合う二人。
二人の目からは止めど無く涙が溢れる。
「もう、どこにも行っちゃヤダよぉ…。ずっと側にいて。」
「ごめんなさい、私、私…。」
「いいの、もう何も言わないで。」
「紗耶香様…。」

いつまでも抱き合う紗耶香とメイドを、月明かりのスポットライトが
優しく照らしていた…。

「大丈夫だって。親父には私からガツンと言ってやるからさ。」
「は、はぁ…。」
家に帰りついた二人。家の玄関の外で話している。
「よ、よし、いくぞ。」
紗耶香は玄関のドアを開けて、中に入った。
「おい、親父!…って、あ!」
「遅かったな。」
父親は玄関で待っていた。
手にはメイドの辞表を持っている。
「わ、私は絶対に辞めさせないからね。
 こいつを辞めさせるんなら私も出ていくから!」
「紗耶香様…。」
すると、父親は持っていた辞表を手で破り裂いた。
「お、親父!!」
「ご主人様!!」
突然の行動に驚く二人。
「紗耶香、先程テレビ東京の方から電話があってな。
 今度の日曜に最終審査があるそうだ。」
「……って、親父、それじゃぁ…。」
「それから、お前。私をいつまで空腹でいさせる気だ。
 急いで飯の用意をしてくれないか?」
「え?……は、はい!!かしこまりました!!」

和田の運転するメルセデスS600で帰宅した紗耶香。
屋敷の中が騒がしいことに気づく。
「どうしたの? これ……」
紗耶香は、テーブルの下をのぞきこんでいたメイドに聞く。
「それが、真希様のクマさんがいなくなってしまって……」
見ると、真希が泣きながら家中をひっくり返していた。
「クマちゃんがいないんだよう、朝まではいたのに」
「また? この前みたいに、ベッドの上にあるんじゃないの?」
「そこは何回も探したんだよう」
真希の鳴き声はいっそう大きくなった。
「しかたないなあ……」
紗耶香も、真希のぬいぐるみクマさん捜索に加わった。
真希があちこちをちらかし、メイドがそれを片づけながら、捜索は続いた。
しかしとうとうクマさんは見つからなかった。
「クマちゃん……」
真希はもう涙もかれはてたようだった。
「みつかんないなあ。今日はあきらめよ」
「ね、真希様、また明日さがしましょう」
「クマちゃんがいないと眠れないもん……」
首をふるふるとさせる真希。
「わがまま言わないの!」
「……」
真希はうつむいていた。

「……真希様、こうしましょう。
 私がクマちゃんのかわりに一緒に寝て差し上げますから、また明日一緒に探しましょう」
「うん……、わかった……」
真希はおとなしくうなずくと自分の寝室に戻っていった。
「クマちゃん……」
 真希はつかれたようにベッドへ倒れ込む。
「ん?」
違和感を感じた真希は布団を跳ね上げた。
そこには……、何時間も探し続けたクマのぬいぐるみがあった。
「クマちゃん……!」
真希はぬいぐるみを抱きしめた。
そのとき、ドアがノックされた。
「真希様? 入ります」
「あ、ちょっと待って!」
真希は、慌ててクマさんを、ベッドの下に押し込んだ。
「真希様?」
ドアが開くと、そこにはネグリジェ姿のメイドがいた。
「さ、真希様、休みましょう」
一緒にベッドの中に入る真希とメイド。
「おやすみなさい、真希様」
メイドは真希をぎゅっと抱きしめた。
しばらくクマさんは隠しておいたままにしようかな。
真希はそう思った。

「……ぅん」
昼寝をしていた真希は、甘い香りに誘われ目を覚ました。香りの元を
たどっていくと……、そこは厨房であった。
「……なにやってるの?」
そこにはエプロン姿の紗耶香とメイドの姿があった。
「チョコつくってるの」
紗耶香が、きれいに並んだチョコをみせる。
「……おいしそう」
「ダメ!」
「そうおっしゃると思って、ちゃんと真希様にも用意してますよ」
メイドが、真希にチョコを差し出す。
うれしそうにチョコを食べる真希。
「おいちぃ……」
「幼児語!」
「……おねえちゃん、これ誰にあげるの?」
「生徒会とか、部活の子とか。
 もー、バレンタインなんて誰が考えたの、面倒くさい」
「おとうさんのは……?」
「あ、忘れてた。まあいいや」
紗耶香と、メイドは協力して、チョコを包装していった。
「あたしもチョコつくりたいな……」
「そうおっしゃると思って、真希様用に材料を残してありますよ」
メイドは、冷蔵庫から板チョコをとりだした。
「がんばってね」
紗耶香は、厨房から出ていった。
「ではつくりましょうか。どなたにさしあげるんですか、真希様?」
「えへへ、秘密」
「あら、教えてくださいな。お父様ですか?」
「秘密だもん」

ふたりは、チョコをつくっていった。
「真希様、お湯の中に直接チョコレートを入れてはいけません」
「真希様、そっちはお塩です」
「真希様、ほっぺにチョコがついています」
 ……このような感じであった。
「できた!」
数時間後、真希は冷蔵庫からチョコを取り出した。
巨大なハート型のチョコである。
形は不格好だが、それなりの出来映えだ。
「えへへ、ちょっと味見」
真希はチョコのはじを折ると口の中に放り込んだ。
そのとたん、真希の口はゆがみ、目尻に涙がたまっていく。
「どうしたんですか、真希様!?」
メイドもチョコを食べる。そして眉をひそめた。
「真希様……、これは……失敗かもしれませんね……」
「どうしよう……、こんなんじゃ渡せないよう」
真希の声は涙混じりになっていた。
「真希様、どうか泣かないでください。
 こんなこともあろうかと、こっちに私の作ったチョコが……」
「それじゃ意味ないの……」
真希は泣きじゃくっていた。
「大丈夫です、真希様のお気持ちはきっと伝わります」
「受け取ってもらえるかな……」
「真希様のチョコレートを断るわけありません!」
「ほんとう?」
「本当ですとも」
「じゃあ……」
真希はチョコを差し出した。メイドに。
「え?」
「……受け取ってもらえる?」
「……真希様、私に?」
「いつもお世話になってるから……」
「真希様!」
メイドは、感極まり、真希を抱きしめた。
(オチとして、このチョコは結局父つんくの元へ渡った)


「紗耶香様、何かご用ですか?」
「ああ、来たのか。入ってくれないか。」
紗耶香の部屋に入るメイド。
「どうかなされたのですか?
 明日は最終審査ですよ、今夜は早くお休みになられた方が。」
「……眠れないんだ。なんだか、自信なくてさ。」
「紗耶香様…。大丈夫ですよ紗耶香様なら、きっと。」
「……。」
「(紗耶香様がこんなに不安げな表情をされるなんて…。)」
「……。」
「……。」
しばし黙ってしまう二人。
すると紗耶香が口を開いた。
「あのさ…、私のお袋って、どんな人だった?」
「え?紗耶香様のお母様ですか?」
「うん。ほら私、小さかったから覚えて無くてさ。
 写真でしか見たことないから…。」
「(…紗耶香様。)紗耶香様のお母様はとてもお優しい方でした。
 いつも周りの者を気遣っておられ、
 わたくしが仕事で落ち込んでしまった時にもいつも励まして下さいました。」
メイドの話を一心に聞いている紗耶香。
「そして何よりも紗耶香様を大変愛されておられました。
 お体を病まれた後も、
 ご自分の心配よりも紗耶香様の事をいつも気に掛けておられて。」
「私のことを?」
「ええ。紗耶香様もお母様といると安心されているようでした。
 私ははっきりと覚えておりますよ。
 お母様の腕の中でぐっすりお休みになる紗耶香様…。」
「…ねえ」
「何でございますか?」メイドの胸に顔を埋める紗耶香。
「ちょっとだけこうさせて…。」
「(紗耶香様…。)」
しばらく経つと、紗耶香はそのまま眠ってしまった。
「あら?紗耶香様?ちょっと、このまま眠られたら…。」
「……ママぁ……。」
「紗耶香様……。」

「はい、もしもし……、あら紗耶香様いまどちらですか?」
「やっと、事務所出たところ」
紗耶香の身は、家へと戻る車の中にあった。
その日、雑誌モデルの撮影があり、完璧主義の紗耶香が色々とこだわったため、
いつもより帰る時間が遅くなってしまったのである。
「事務所からですと、急いでも15分はかかりますね。
 困りましたわ、いまパスタをゆでている最中なんです」
「――カルボナーラ?」
「紗耶香様のお好きなカルボナーラです。
 ゆでたてが一番おいしいのに……、もうすぐできてしまいます」
紗耶香は電話を切った。
「あーあ、ゆでたて食べたかったな……、まあしょうがないか」
そうつぶやいて、軽く目を閉じる。
その瞬間、運転手和田の義務感と闘争本能に火がついた。
一気にアクセルを踏み込む。
応じて6000ccの化け物が静かに咆吼をあげた。

和田は元WRC(世界ラリー選手権)のドライバーである。
湾岸で暴走していた彼をつんくが拾い上げ、世界チャンピオンにまで仕立てたのである。
和田はそれに恩義を感じ、今でも執事兼運転手として、
つんくとその娘に仕えていた。
夕方の街を、排気量6000cc、車重2トンのメルセデスが疾走した。
その莫大なエネルギー量に、トラックやパトカーすら畏怖を隠せず道を譲る。

「――お嬢様、お屋敷に到着しました」
「ん……」
うたたねしていた紗耶香は目を覚ました。
さすがに高級車だけあって、道中車内は静かだった。
パパに買わせて正解だったな……。
紗耶香は車から降り、屋敷内に入っていった。
和田はそれを見送って、相棒のボンネットを軽く叩いた。
「まあ紗耶香様、お帰りなさいませ。
 ちょうどパスタが出来たところですよ」
メイドの手には、きれいに料理の盛られた皿がのっていた。
「わ、おいしそう」
「お食事の前に手を洗ってくださいね」
「うん」
好物を前におとなしくうなずく。
洗面所で手を洗おうとした紗耶香はちらりと時計をみた。
――車中でメイドに電話してから、5分とたっていなかった。
あれおかしいな、うちまでは15分くらいかかるはずだったのに……。
まあいいか。

真希は、買い物かごを下げたメイドと、玄関ですれ違った。
「どこ行くの?」
「今日は配達がないから、お買い物に行くんですよ、真希様」
「ふーん……、あたしが行ってあげようか」
「まあ本当ですか? 助かります」
「まかせて」
そこに紗耶香がやってきた。
「どうしたの?」
「お買い物いくの」
「真希が? ……心配だな、あたしも行く」
「それでは……、白菜と、
 お豆腐を鈴木屋さん買ってきていただけますか?」
「うん、わかった」
真希と紗耶香は買い物へと出発した。
「えへへ、今日は湯豆腐かな」
「そうかもね」

地元の商店街は夕方の買い物客でにぎわっていた。
二人はいわゆるお嬢様であり、
こういった庶民的な商店を利用しないかといえば、そんなことはない。
「お姉ちゃん、ここの焼き鳥屋さんおいしいんだよ。
 買ってこうよ」
特に真希は、その食いっぷりの良さと、
金払いの良さで高名をはせていた。
「買い食いはだめ、お夕飯前でしょ」
「だってー、おなかすいたんだもん。ご飯までもたないよう」
「しょうがないなぁ」
紗耶香は、焼き鳥を2本注文した。
「むー、お姉ちゃんだって食べたいんじゃん」
「あたしだって、おなかすいたもん」

そんなこんなで、鈴木豆腐店についたころには、
日はとっぷりと暮れていた。
「遅くなっちゃったなあ。
 真希が買い食いばっかりしてくるからいけないのよ」
「お姉ちゃんだって、ずーっとご本読んでたじゃん」
二人はいつも通りのやりとりをしながら店に入る。
「すいませーん、お豆腐ください」
「ああ、ごめんなさいね、今日は売り切れ――」
「えー!」
「……仕方ない、帰ろう」
二人は肩を落とし、屋敷へと戻っていった。
「お帰りなさい、紗耶香様、真希様」
メイドは厨房で紗耶香と真希を迎えた。
「ごめんね、お豆腐売り切れだった……」
「まあ、そうですか」
真希は、テーブルにのった袋を見つけた。
――なんだろう? 袋の中をちらりとのぞく。
そこには……、豆腐が入っていた。
いつも買っている鈴木屋の豆腐だ。
いつのまに!? 
真希はぱっとメイドを見る。
メイドは鼻歌など歌いながら、料理を続けていた。

    
とあるレコーディングスタジオの待合室にいる紗耶香。
周りには若い女の子が10人ほどイスに座っている。
皆、緊張した面持ちで誰かを待っている。
すると、一人の男が部屋に入ってきた。
ASAYANのスタッフだ。
「みなさん、お疲れ様でしたー。」
「(いよいよね…。)」
「それでは、オーディションの審査結果を発表します。」
「(ママ、私に力を貸して…。)」
「えー、それでは発表します。今回の合格者は……。」
「(どうかお願い…。)」
「…保田圭さんです。おめでとう。」
がっくりと肩を落とす紗耶香。
すると、
「そして、もう一人は……。」
「(え?)」一瞬、期待する紗耶香。
「…矢口真理さん、おめでとう。」
「(はぁ、やっぱりダメか…。)」
紗耶香はもうダメだと諦めかけた。
その時、スタッフの口から出た言葉は

「以上です。」

「マジっすか?」


裕子が帰ったあとのその部屋はどこか空気が重かった。
「どうかなさいました、旦那様?」
テーブルに置かれたコーヒーカップを片づけながらメイドは尋ねた。
「なんでもないよ」
つんくは、窓から庭を見つめていた。その表情は伺い知れない。
「あら、裕子さんの忘れ物が……。旦那様、届けてまいりますね」
「そうか。頼む……」

裕子は自分の店「カラスの女房」にいた。
自分の店といっても……、
資金はつんくが出したものである。
それを思いだしてしまった彼女は、商品の赤ワインを取り出すと、グラスに注いだ。
そして一気に煽る。
甘いワインだ。
これではとても酔えそうにない。店でも一番強い酒なのに……。

と、店のドアが開いた。
「ごめんなさい、今日はお休……」
言いかけた裕子の口が止まる。
「こんにちは、裕子さん」
「わあ、お店の中ってこうなってるんだね」
入ってきたのは、メイドと、彼女に手を引かれた真希だった。
「忘れ物を届けにまいりました、裕子さん」
「そ、そうなのとりあえず座って」
メイドと真希は、並んでカウンターに腰掛けた。
「……真希ちゃん、なにか食べる?」
裕子は、どことなく落ち着かなくなり、真希にそう尋ねた。
「うん、おなかすいた」
「待ってね、なにか出すから……」
カウンターの中で走り回る裕子。
「私にも、ワイン頂けますか?」
メイドの言葉に応じ、裕子はもうひとつグラスを取り、ワインを注いだ。
この店では彼女がサービスする側だ。

「あら、ずいぶん強いワインですね」
口をつけたメイドは驚いてそう言う。
「あたしものみたい……」
「まあいけません。真希様には少し早すぎます」
「いいじゃない。水で薄めてあげるから」
真希の分のグラスも出す裕子。
「わーい」
「少しだけですよ、真希様」
真希は薄めたワインに口をつけた。
そのとたん、口がへの字にまがる。
「うー、アルコール臭い。裕ちゃん、これのんでておいしいの?」
「飲みたくなるときもあるのよ……」
裕子は、メイドと真希に料理をだした。
きんぴらごぼうとおにぎりがふたつ。
「今日はこんなものしかないけど……」
「わーい、いただきます」
「いただきます。
 あら……このきんぴら美味しいですね、あとでレシピ教えてくださいな」
「本当、お母さんのよりおいしいかも」
そのとたん、裕子の手が止まった。
「真希様、お母様のことをおぼえてらっしゃるんですか?」
「うん、ちょっとだけね。
お母さん、日曜日にはいつもきんぴらごぼう作ってたんだよ」
「まあそうなんですか」
裕子は目をそらし、自分のグラスを一気に煽った。

結局、真希はグラスをすべてあけ、赤い顔のままカウンターにつっぷした。
メイドは自分のカーディガンを真希の肩にかける。
そして何か思いだしたかのように手をポンと叩いた。
「そうそう、忘れ物を届けにきたんでした」
メイドが裕子に差し出したもの、それはケースに入ったプラチナの指輪だった。
「それは……」
メイドはほんのりと紅に染まった笑顔を裕子に向けた。
「それは……忘れたんじゃない。受け取らなかったのよ」
裕子は指輪をカウンターに置いた。
「まあ、どうしてです?」
「受け取れるはずがないでしょ!?」
裕子の感情が爆発した。
「私は、この子の母親が死ぬ前から、あの人とつきあってたのよ! 
 私みたいな女にそんな資格は……」
目尻にいままで耐えてきた熱い光が灯る。
甘いワインに、ビターな涙が落ちた。
「どうか……、泣かないでください」
メイドはハンカチを差し出した。
「泣かないでください、奥様」
奥様……?
裕子は顔をはっとあげた。
「少なくとも、私はそう呼ぶのに、やぶさかではありませんわ」
「……」
「それは、真希様も紗耶香様も同じだと思います。もちろん旦那様も」
裕子は呆然とメイドを見つめる。
「そうですよね」
再び裕子は泣き始めた。
その涙の味は、先ほどまでのものとは違っていた。

入り口のドアが開く。
迎えの和田がそこに立っていた。
「あ、ご苦労様です。真希様を先に……」
和田は真希を抱え上げ、車のほうに戻っていった。
「それでは、私も失礼します」
「待って。これを……」
裕子はメイドに指輪を差し出した。
「あの人に……渡して。
 あともう少しだけ……もう少しだけ勇気が出れば受け取れると思う」
「わかりましたわ」
メイドは笑顔で指輪を受け取ると、店の外に出た。
誰もいなくなった店内、裕子は残ったワインを棚に戻す。
その目ははれぼったかったが、もう涙を落とすことはなかった。


紗耶香は迷っていた。
こっちのベージュとボーダーシャツを組み合わせるか、
いや赤のほうがいいかもしれない、これに帽子を……やめておこう。
鏡を前に、服をとっかえひっかえする。
ある朝、いや、いつもの朝の風景だ。
紗耶香の通う私立些愛高校は、自由な校風で知られている。
服装も自由だ。制服でもいいし、私服でもいい。
モデルとして活躍し、ある古着屋(父のクライアント)のバイヤーでもある紗耶香は、
私服派の生徒たちからファッションリーダーとみなされていた。
これじゃだめだ。
どうしよう、女の子っぽくスカートにするか、
それともいっそ制服を着ていくか、いやクリーニングはすんでない。
……今日も朝御飯を食べる暇はなさそうだ。
「紗耶香様?」
コンコン、とノックの音。
「朝食はどうなさいますか?」
ドアが開いてメイドが顔を出した。
彼女は、紗耶香の姿を見るなり、の前で手をあわせた。
「あら、紗耶香様、今日もかわいいですね」
その言葉を聞いて紗耶香の顔がぱっと輝く。
「紗耶香様、制服のクリーニングは済んでますが、どういたしましょう?」
「……あとでクローゼットにいれておいて。
 それよりご飯! 今日は和食ね、お魚とご飯と卵とおみそ汁と……」
「まあ、今日は、真希様より召し上がるんですね」
紗耶香はスキップでもするような足取りで、食堂に向かっていった。


観念して目を開けると、そこにはメイドの顔があった。
「真希様、おはようございます」
「おは……」
再びまぶたが落ちそうになる。
「さあ着替えましょう!」
メイドが布団をはぎ取る。ある朝、いや、いつもの朝の風景だ。
しかたなく、真希はのそのそとベッドからはいでた。
「顔を洗いましょう、真希様」
メイドが洗面器を差し出す。心地よいぬるめのお湯で、真希は顔を洗った。
「タオル……」
言うが早いが、メイドがすぐにタオルを渡す。
「制服……」
制服のブラウスが差し出される。
気がつくと、パジャマは半分以上メイドにはぎ取られていた。
渡されたブラウスのボタンをとめていく。
その間に、メイドが真希の髪をとかす。
スカートのホックを止めたころには、すべての用意が終わっていた。
「さあ、朝食にいたしましょうか」
「うん……」
部屋を出るふたり。
今日もメイドのおかげで手早く朝の用意がすんだ。
起きてから5分と時間はたっていない。
でもなにか忘れてるような……。大切なことだったはずだ。
なんだろうこの焦燥感は?
「どうかなさいました、真希様?」
「――おトイレ! おしっこもれちゃうよう」
真希は真っ赤な顔でトイレに駆け込んでいった。


真希はめずらしく早く目を覚ました。
いつものように二度寝することもなく、ベッドから抜け出す。
屋敷の中は静かだった。
こんな時間に起きているのは、世界でも自分らいのものだろう。
世界中が自分のものになったような感覚に包まれる。
しかし――、
つまみ食いでもしようと厨房に入った真希は、そこで朝食をつくるメイドの姿を発見した。
「あら、おはようございます、真希様」
「……もう起きてたの?」
「はい。真希様の朝食もありますよ。お食事になさいますか?」
真希はトーストをかじりながら考えていた。
彼女はいつ眠っているのだろう? 
真希が朝に起きてから夜寝るまで、いつも仕事をしている。
彼女が寝ているのを見たことがなかった。
やがて、紗耶香も起きだし、食堂に入ってきた。
「私たちがいないあいだに寝てるんでしょ」
姉は妹の疑問にそう答えた。
ちょうど今日は休日である。
真希はメイドがいつ眠るのか影からこっそり監視することにした。

午前中、鼻歌などうたいながら、庭で洗濯物を干すメイド。
眠る様子はない。

午後、家中の掃除をするメイド。
眠る気配はない。

夕方、真希は屋敷を出た。
どこかに行くわけではなかった。裏口から屋敷内に戻り、庭の木に登る。
でかけたふりをして、メイドを観察するのである。
彼女は厨房にて、夕食の支度をしていた。
楽しそうにシチューの味見をしている。
「……おなか減ったな」
と腹を押さえる。その瞬間、手が滑った。
ズーン!
鈍い音とともに痛みが全身を襲う。木から落ちたのである。
「……!」
真希は飛びだそうになる悲鳴をなんとか押し殺した。
「まあ、なにかしら」
厨房の窓が開く。
真希はなんとか茂みの影に身を隠した。
自分の家で何をやっているのだろう?

夜、メイドは縫い物をしていた。
木から落ちたときに破れた真希のワンピースのほつれを縫っていた。
真希はそれを柱の影からずっと覗いていた。
もうそろそろ真夜中だ、さすがの彼女でも眠る時間……
真希はそんなことを考えながら、眠りに落ちていった。
その様子を確認したメイドは、立ち上がると真希の元に歩み寄っていった。
床にうずくまりよく眠っている。
彼女を軽く抱きかかえ、寝室へと運んでいく。
そしてベッドの上に横たえた。
「お休みなさい、真希様」
しあわせそうに寝息をたてる真希のほっぺたにかるくさわる。
メイドは時計を見て、真希の部屋の電気を消した。
――そろそろ休む時間だ。

「和田さん、ちょっととめて」
その日、テニス部の練習は休みだった。
生徒会もなかった。
演劇部も中止。
モデルの写真撮影は来週に伸びた。
紗耶香が放課後すぐ帰宅するのは本当に久しぶりのことだった。
その道中で、見知った顔を見つけ、車をとめるよう執事の和田に頼んだのである。
紗耶香はメルセデスからおりる。
彼女のほうも紗耶香に気がついたようだ。
「――紗耶香?」
「あれ、おかしいな、このあたりにまりっぺがいたと思ったのに」
「いるじゃないの、目の前に!」
背の低い女の子が視線の下から叫ぶ。
矢口真里である。紗耶香とは、
小さい頃からの友人だった。
真里の年齢がひとつ上なこともあり、
最近ではつきあいも少なくなったが、仲がいいことに変わりはない。
「ああ、ごめんごめん、小さいから気がつかなかったよ」
「そんなわけないでしょ!」
……このようなつきあいを続けていた。
「紗耶香、私のほうが年上なんだから、
 矢口さんとか真里さんとか呼びなさい」
「まりっぺ」
紗耶香は真里の頭をぽんぽんと叩く。
「もう、やめてよ!」
真里はいやそうにその手をふりほどく。
「うーん、小さいの気にしてるなら、厚底サンダルでもはいたら?」
「はいてるわよ!」
真里は自分の足を指す。
彼女はいつも通りの派手なギャルファッションだった。
当然足下も高さ30センチはあろうかという厚底サンダルできめていた。
「そっか、はいてたんだ」
紗耶香はやっと笑いやんだ。
「――ね、うちでお茶でも飲んでいかない?」
と、真里を誘う。
「いいけど……」
ふたりはメルセデスに乗り込んだ。

「あら、真里さん、おひさしぶりです」
屋敷内に入ってきたふたりを、メイドが出迎えた。
「お茶とお菓子お願いね」
「はい、紗耶香様」
ふたりは紗耶香の部屋へ移動した。
真里が紗耶香の部屋に入るのは久しぶりのことだった。
「これ見て」
紗耶香は本棚から雑誌を取り出す。
「あたしが載ってるんだよ」
と、真里にファッション誌を渡す。
「ふーん……」
真里はページをめくっていく。
「まりっぺも、雑誌に載ってたよね、エッグの最終号。
 “ついにここまできた、小学生ギャル”だっけ?」
「――うるさい!」
「あはは、トイレに行って来るからちょっと待ってて」
紗耶香は部屋を出た。
ひとり残された真里。雑誌をちらりと見て、テーブルの上に置く。
「雑誌見せなくても持ってるしさ……」

コンコンとノックの音。
「お茶が入りましたよ」
お盆を持ったメイドが部屋に入ってきた。
「あ、どうも」
メイドは、紅茶のカップとクッキーを置く。
「いつも思うんですよ」
「え?」
「真里さんがいてくれて良かったって。
 紗耶香様のお姉さんのような存在ですから」
「お姉さん?」
「紗耶香様は、当家の長女です。
 後継として学ばねばならないことがありますし、
 お父様がいないときは当主としてふるまわなければなりません。
 紗耶香様が甘えられるのは、真里さんだけですよ」
「……そっか」
メイドは真里にむけてにっこり微笑んだ。
「お待たせ」
紗耶香が帰ってくる。
真里はそんな紗耶香の頭をぽんぽんと叩いた。
「え? なに?」
メイドと真里は顔をあわせてくすくすと笑った。
「――なんなの?」
ひとり紗耶香は不思議そうにふたりを見ていた。

「こんにちは〜」
「あら、真里様、圭様、いらっしゃいませ。こちらです」
 メイドは裏門より矢口真里と保田圭を招き入れた。
「うわ……、すごいね」
真里は会場を見て、あきれたような声をあげる。
春――。
さくらの季節である。
当家の無意味に広い庭では、恒例のお花見が開かれていた。
招待客は、近所の住人、つんくの取引先も含め、百人近くまで膨れ上がっていた。
「紗耶香、来たよ」
「あっ、圭ちゃん、まりっぺ」
グリルでステーキを焼いていた紗耶香が顔をあげる。
「バーベキューしてるの? お花見じゃなくて、キャンプみたいだね」
「うーん、うちの花見はいつもこうなるの。宴会だからなんでもいいみたい」
紗耶香は軽くこめかみを押さえた。
「おお、真里ちゃん圭ちゃん、こっちきいや、一緒に飲も」
父つんくが真里と圭に手招きする。いつもは巨大企業群のトップとして威厳を保つ彼だが、
今日は酒が入っていることもあり、関西弁の地が出ていた。
「お父さん、未成年にお酒飲ませないで!」
「ええやん、無礼講、無礼講、さ、飲も」
メイドが厨房より料理を運ぶ。
紗耶香が現場で料理をつくる。
裕子が招待客に料理をふるまう。
それでもこの大人数の客をもてなすのは、なかなかに難しかった。
真希はというと、準備中の段階で酒を飲まされ、つんくの横で3時間も眠りこけていた。

「じゃあそろそろカラオケ大会をはじめまーす、一番うまかった人には
 僕がおひねりをだしまーす」
つんくが宣言する。
おー、と会場が一気に盛り上がった。
「じゃあ最初は僕が歌いまーす、おい裕子一緒に歌うで」
「何言ってんの、忙しくてそれどころじゃないわ」
それでもつんくはムリヤリ裕子をステージに引っ張り上げた。
和田がカラオケ機を操作し、演歌のイントロが流れる。
「――ねえねえ、紗耶香、私たちが参加してもいいの?」
真里が紗耶香に耳打ちする。
「いいよ。そのために呼んだんだから」
つんくと裕子の歌が終わった。
見事な歌いっぷりに会場から拍手が巻き起こった。
「はい、みなさん、ありがとうございました。次、紗耶香!」
「はいはい。まりっぺ、一緒に歌お」
紗耶香は真里と手をつなぎステージにあがった。
歌はもちろん流行りのダンスナンバーである。
二人のカラオケは観客も巻き込み、盛り上がりに盛り上がった。
紗耶香も真里も、ルックスだけでなく、歌唱力を伴っている。
実のところ、紗耶香のまわりには、歌のうまい人間が多い。
父つんくと裕子は演歌の名手だし、真希も中学校で小さなポップスバンドを組んでいる。
しかし、しょせんはアマチュアレベルである。
本当にうまいのは、カラオケ仲間の圭だった。
彼女は専門学校でトリマーになるための勉強をしている。
だが、本当は歌手になるのが夢だ。
いくつかオーディションを受け、デビュー寸前までいったこともある。
今回、優勝するのは彼女ではないか、紗耶香はそう考えていた。

紗耶香と真里の歌が終わる。
「はい、ありがとうございました〜、優勝候補の紗耶香さんと真里ちゃんでした〜」
 つんくが司会者としてステージにあがる。
「えーと次は……」
会場よりいくつかの手があがった。招待客の中にものど自慢がいるらしい。
と、そこにいくつもの料理を抱えたメイドがやってきた。
中央のテーブルに、皿を並べていく。
「――きみ歌いなさい」
つんくはメイドを指さした。
「え、私ですか!?」
「そう。パリ時代はシャンソンでならしたらしいじゃないの。
 お客さんに披露しなさーい」
つんくはだいぶ酔っているようであった。
「……それでは、歌わさせていただきます」
メイドがステージにあがった。
「えーと、シャンソンの曲はないんですが……」
和田は困ったように言った。
「かまいませんわ、アカペラでまいりましょう」
足でリズムをとるメイド。
歌が始まった。
その瞬間――、すべての視線がステージに集まった。
料理に夢中だったもの。ベロベロになった酔っぱらい。彼らもメイドの姿を見ていた。

少女のような純真さと娼婦のような妖艶さを感じさせる歌声。
広い庭を彼女の歌が支配した。
「……んにゃ?」
眠りこけていた真希も目を覚ます。
歌が終わった。
会場は水を打ったように静まりかえっていた。
「あ、あ、ありがとうございました」
絶句していたつんくは、なんとか声をしぼりだした。
紗耶香が手を叩きはじめた。それに続くよう万雷の拍手が会場を埋めた。
メイドはぺこりと頭を下げた。
「次は――、圭様いかが?」
と、にっこり笑いながら、圭にマイクを差し出す。
圭は慌てて首を振った。確かに歌には自信がある。
だが……彼女のあとに歌うのだけはごめんだった。
「アンコール!」
会場のどこからか声があがった。
「アンコール! アンコール!」
それに会場全体続く。
「それでは――もう一曲歌わさせていただきますね」
それから二時間、メイドの歌は続いた。
お花見はいつのまにかコンサート会場へと変わっていた。


定食屋「木谷」に女子高生の姿があった。
ひとりはギャル系ファッションに身を包んだ背の小さな女の子。
もうひとりは、ブレザーの制服を着たショートカットのお嬢様。
 ――真里と紗耶香である。
ふたりは仲良く席に並び、日替わり定食を食べていた。
今日のメニューはアジのフライとショウガ焼きであった。
元来、定食屋を利用する女子高生など少ないだろう。
しかし、紗耶香は、ファーストフードの味に飽きてしまい、
こういった店も利用するようになった。
特にここ「木谷」は、最近のヒットである。
女の子でも気軽に入れるほどこぎれいだし、メニューもすべて安くてうまい。
紗耶香は、三日に一度は友人を誘っていた。
と、店の一角から声があがった。
英語である。
店主と外国人が話をしていた。
だが、言葉は通じていないようだ。
外国人男性が一生懸命なにかを話そうとする。
「イエス、イエス……はぁ」
店主は困ったように帽子を握りしめていた。
「紗耶香……、助けてあげなよ」
真里が耳打ちしてくる。
紗耶香には多少の海外経験があった。
英語とフランス語なら日常会話程度に話すことができる。
留学生のダニエルや、日系人のアヤカがいたなら任せるところだが、
いま英語がわかるのは自分しかいないようだ。

”Excuse me?”
席を立ち話しかけてみる。するとたどたどしい英語が帰ってきた。
どうやらネイティブスピーカーではないらしい。
紗耶香は男性の言葉を聞き取り、店主に内容を話した。
「えーとですね、彼はビジネスマンだそうです。
 この料理――豚のショウガ焼きがとてもおいしいと言っています」
「あ、そうですか、ありがとうございます、サンキューサンキュー」
ふたりは笑顔で握手を交わしあった。
再びその外国人は話を始めた。
わたしはこの料理に感動しました……そこまで話して言葉につまる。
なにか言いたいことがあるようだが、英語では説明がしにくいらしい。
すると、英語でなく別の言語で話をはじめた。
おそらく彼の母国語なのだろう。
こうなるともう紗耶香にもお手上げだった。
英語でもないしフランス語でもない。ヨーロッパ系の言語ではなさそうである。
いったい何語なのだろう。
紗耶香はその外国人の男性を観察した。アジア人だろうか? 
だが彫りの深さからすると西洋人にも思える。
髭をたくわえているのを見るとアラブ人かもしれない。
”……Please wait a minutes.”
ちょっと待て、と男性を押しとどめる。
紗耶香は携帯電話を取り出した。
こうなっては彼女に頼るしかない。
「――はい。あら紗耶香さま」
電話口にメイドが出た。
「えーとね、お願いがあるんだけど……」
メイドは海外生活が長い。
英国の専門教育機関でメイドとしての訓練を受けた経験があるという。
この男性の言葉も理解できる可能性があった。
「はい、わかりました。変わってください」
紗耶香は携帯電話を男性に渡した。
ふたりは会話を始めた。
「オー」
と、男性が大きな声をあげる。そしてべらべらとしゃべり始めた。
どうやら通じたらしい。
自分の想いが伝えられて満足したのだろう、男性は笑顔で紗耶香に形態電話を返した。
「もしもし……、紗耶香様ですか? 
 彼はマレーシアのビジネスマンだそうです」
それを店主に伝える。
「このお店の味に感動したので、マレーシア本国にレストランを出店したいそうです。
 ついては店長さんに現地まで来て欲しいと」
「え!?」
それを聞いた店主は絶句した。

それ以降の話は紗耶香の屋敷で進められることになった。
外国人男性が話をし、メイドが通訳する。
紗耶香は話を聞き、自らもレストランに出資することにきめた。
大きなビジネスに広がっていきそうだった。
商談が終わり、外国人男性と「木谷」の店主は引き上げていった。
「ねえ」
紗耶香は、お茶のカップを片づけるメイドに話しかける。
「なんでしょう、紗耶香様?」
「あの人って何語で話してたの? マレー語?」
「タミル語ですわ」
「……タミル語?」
紗耶香には聞いたこともない言語だった。
「ええ、マレーシアやシンガポールの一部で話されている言葉です。
 紗耶香様がわからないのも無理はありません」
「へーそうなんだ」
紗耶香は感心したようにうなずいた。
でも……、なんで彼女はそんな言語を流ちょうに話せるんだろう?
それが一番の疑問であった。

「おなかすいた〜」
真希が厨房に顔を出す。
「なにかたべるものない?」
「あら、真希様。――おやつにおはぎを召し上がったじゃありませんか」
揚げ物の準備をしていたメイドが振り返る。
「うん、でもなにか食べたいの」
「そろそろ、真希様のお好きな鳥の唐揚げができますわ。それまでお待
ちください」
「いつできるの」
「一時間もすれば、ご飯が炊きあがります。それくらいの時間になりますよ」
「……それまで待てないの。なにかたべる」
真希は指をくわえた。
「いけません、真希様、お夕飯が食べられなくなってしまいますよ」
と、気のせいだろうか、メイドの視線が真希の二の腕のあたりをさまよったような気がした。
最近の真希は、食べ過ぎが原因か、体重が増加してきていた。特に腰
まわりや腕まわりに、その影響が顕著に現れている。
でも……、胸も大きくなってきたんだからそれはそれでいいじゃないか、真希はそう思うのだった。
「真希様には、空腹の状態でお夕飯をいただいてほしいんです。
 だってそのほうがおいしくいただいてもらえるでしょう?」
メイドがにっこりと笑う。

「……」
真希はそれでも我慢ができなかった。黙って業務用の巨大な冷蔵庫を開ける。
「あれ……、さっきまでここにチーズケーキなかった?」
「ケーキは真希様にみつからないよう、隠しておきました」
メイドはこともなげに答えた。
「……シュークリームも?」
「もちろんですわ、真希様」
「うー」
厨房を飛び出し部屋に戻る真希。
……確か部屋に昨日のチョコレートの残りがあったはずだ。
部屋の小型冷蔵庫を開ける。
だが、中にはなにもなかった。
「おかしいなあ」
なにかを食べたい一心で、部屋中をかきまわし、チョコレートを探す。
しかしどこにもない。
こんなことをしているうちにいっそうおなかがすいてきた。
「……なにやってるの?」
と、姉の紗耶香が顔を出す。
「お姉ちゃん、冷蔵庫のチョコレート知らない?」
「ああ、あれ。彼女と一緒に食べちゃったよ」
「えー!?」
「だって食べてくれって言うから。おいしかったけどね」
「うー」
またしても真希の前にはメイドが立ちふさがった。

「こうなったら……」
屋敷の外まで買いに行くしかなかった。
カーディガンを羽織り、屋敷から出る。
真希は走った。
コンビニでおでんでも……、いやいつもの商店街にしようか。
十分後、目的地に到着する。
あちこちから漂うお総菜のにおいが真希の食欲を刺激した。
今日はなにを買おう?
結局、真希はいつもの焼鳥の前にたっていた。
「すいませーん」
と、顔なじみの店主に声をかける。
「あ、お嬢さん、お待ちになってますよ」
「え?」
店の奥から男が出した顔。……和田である。
「……どうしてここにいるの?」
「ここに来るように言われました。さ、お嬢様帰りましょう」
和田は真希の肩を抱き押していく。
「ちょっと待って! まだ、焼き鳥買ってないよう。レバーとつくね!」
真希は脇に止めてあったメルセデスへと押し込まれた。

「お帰りなさいませ、真希様」
ふくれっ面の真希を、メイドが迎えた。
「まあ汗をかいてますね」
「商店街まで走ったんだもん」
「それではおなかがすいたでしょう?」
メイドはタオルで真希の額を拭った。
そういえば……、先ほどまでは小腹がすいたという状態だったが、い
まはぺこぺこになっていた。
「お食事にいたしましょう」
食堂のほうからおいしそうな臭いが漂ってくる。
「それともケーキになさいますか?」
メイドは微笑む。
「うー、ご飯食べるよう」
真希は泣きながら食堂へと走っていった。

次回「福引き」へ続く