1980(昭和55)年8月に第1号を発信した個人葉書通信誌を転載したものです。  約20年で57号、年平均にすれば3回弱の発行。自分が生きてきた中のほんの断片を記録したにすぎませんが、印象に残った旅、花、出来事などを文章化したものです。  タイトル「Minor Swing」は「ルシアンの青春」という仏映画のテーマ曲(ジャズバイオリンのジャンゴ・ラインハルト作曲)を借りたもの、日本語直訳は「ハ短調」のようです。

はがき通信 MINOR SWING

発信番号・西暦年月日 タイトル 

No.1 800803 (創刊号)  

No.2 800822 松本・珈琲屋

No.3 800915 城端むぎや祭 

No.4 801002 キンモクセイ

No.5 801018 五輪真弓・恋人よ

No.6 801031 能登 羽咋&七尾

No.7 801116 紅(黄)葉        

No.8 810102 CALENDAR    

No.9 810118 旅・知多半島      

No.10 810211 (MINOR SWING)

No.11 810426 負けること     

No.12 810429 本           

No.13 810505 ポ−トピア '81    

No.14 810525 (書くこと)    

No.15 810614 面ノ木ビジタ−?    

No.16 810725-29  旅・和歌山   

No.17 820405 転居のお知らせ     

No.18 820510 竣工記念行事のご案内  

No.19 940925 彼岸花(リコルス)

No.20 941009 桜:三波川冬桜 

No.21 941014 路上ライブ

No.22 941016 アジア大会・国民体育大会

No.23 941016 我家の壁際族?フィカス プミラ

No.24 941030 群馬県草津町・YH

No.25 941031 群馬県嬬恋村・黄〜紅葉

No.26 941112 日本最高所の野天風呂:本沢温泉

No.27 941117 都市計画課25周年記念パ−ティ−

No.28 941224 ニホンズイセン

No.29 941231-950102 旅−諏訪湖

No.30 950117- 0129 兵庫県南部地震

No.31 950209 Minor Swing

No.32 950312 クリスマスロ−ズ

No.33 950314- 0318 兵庫県三木市

No.34 941016 宗教

No.35 950629- 0701 大失敗      

No.36 960114 年賀状

No.37 960219 迎春花・黄梅(オウバイ)・ジャスミン  

No.38 960  

No.39 960

No.40 970105 年賀状

No.40
971001 再会、再開、再見

No.41 971010  芸術の秋  

No.42 980426  花  

No.43 981230 思案

No.44 990410 転勤

No.45 991227 99年年末にて  

No.46 000206-13  メジロが来た!  

No.47 000227 新素材繊維

No.48 000301  私の不満

No.49 000304 酒蔵見学ツアー

No.50 000326 緑・花文化の知識認定試験

No.51 000401 葦毛湿原/カタクリツアー  

No.52 000405 献血・血液ビジネス?  

No.53 000409 葦毛湿原/カタクリツアー2

No.54 000501 蝸牛(カタツムリ)

No.55 000503 帰化植物マツバウンラン  

No.56 000816 あき地ノ貴婦人?  

No.57 010103 ビワの白い花も美しい

No.58 02

 

No.23 941016 我家の壁際族?フィカス プミラ 


 今の家に住み始めたのは昭和57(l982)年4月。 灰色のモルタル壁には色々なつる植物が繁茂している。 少々やっかいな状態になっている。モルタル璧とコンクリート基礎土台とのわずかな隙間に入り込み、壁裏に光を求めて突き進むやつ。 初夏から開いていることの多いジャロジー窓(何枚かのガラス板がブラインドのように開閉する)を越えて家の内側に人ってくるやつ。 明かり取り用の高窓や屋根を覆いつくそうとするやつ。 それで、晩秋から冬の時期になると、アルミハシゴを恐々と使いながら、一応地上3.5mくらいのところで切り、それ以上のをひつぱりはがしたり色々疲れる作業をしなければならなくなる。 僕がいなくなるよるなことがあれぱ、根元から切った方が良い。 (あえて言わなくともそうなるようにも思う。)

 最初に植えたのはフィカス・プミラ、名古屋園芸(名古屋の日比谷花壇?)で2、3百円で買ったテーブル飾り用の―鉢を地べたにおろしただけ。 壁面を緑化するには最高にいい植物だと思う。 全く虫も病気も見たことがない。 勝手に常緑の葉(l〜2cm)と茎を壁に密着させて這上がっていく。 密着しているから、ほとんど厚みを生じない。 落葉もしない。 葉と葉の間隔も小さく、余白をうめるように茎を分岐させながらながら育つので、やる気さえあれぽ壁画をキャンバスとして絵模様が描ける。 年中、家の中にあるパキラ(観葉植物)の鉢の中でも生きている。日照条件が少々わるくてもへこたれないらしい。 欠点を探すとしたら、葉に変化が乏しく派手な花に欠けることか。

 我家の植物の戸籍簿・記録簿を作ろうと思いつつ果たせてないので記憶だけが頼りだが、昭和58年か59年に植えたと思う。 数年前より屋根にたどりつき、突然、葉の姿形が5倍くらい(5〜l0cm)にモデルチェンジし、(地上から4mあたりから上は)逆に枝垂れ状の繁みになつている。 そして一昨年からはイチジクの実のようなもの(花ノウ)がつき始め、今年は数十個。 割ってみると、おしべみたいなのがぎっしり。 図鑑を開くと、この木はおなじような形の花ノウをつけるが雌雄異株である。 雌株であれば食ベれるらしいが、残念ながら我家の住人は雄である。 途中から(=成熟すると)、姿形が変わる植物をあなたは知ってますか?

2002年06月16日 19時31分55秒


No.57 010103 ビワの白い花も美しい  


 
寒風の中、自宅中庭でビワの花が咲いています。もう昨年という表現をしなければなりませんが、11月のなかば頃からゆっくりと白い花を開き始め、今だいたい全部の花が開化しました。この先いつ頃まで咲いているのか興味をもって見守っています。更に、実が成るのかどうか? 冬に咲くのは知ってましたが、真近で五弁の白い花を眺めることはありませんでした。また今回、図鑑を見て、ビワがバラ科の植物であることを初めて知りました。季節感のある果物として毎年店頭に出ると、一度は買ってしまい食べてはいましたが。(蛇足ですが、昔、長崎県を旅行した時='76.1、茂木ビワ発祥の地の記念碑に三浦なんとかさんの名前が刻まれていました)

 「桃栗三年柿八年」というけれど、ビワはだいたい何年位で開化結実するようになるのでしょうか?三浦流の放任園芸では、きっと無意味な時間を、相当、間に挟んでしまうのでしょう! 特別な感情を持って書いているのは、私の記憶が間違ってなければ、この枇杷は、今年二十歳になる長男が幼児の頃にタネを蒔いたもので、一度だけ大型のプランターに(2本)植え替えたものの以後ほとんど手をかけず放置(土は一度も変えていない)、15年位かかって(樹高約1.8m)初めて花が咲いたからであります。他所で枇杷の花を見かける冬の時期になると、常緑の葉を見る度に何時になったら花が咲くのか、ここ数年思ってました。たいして愛情をかけずに結果を求めるのは虫がよすぎるのしょうか?


 年賀状をいただいた方には少し?遅くなりましたが、本年も宜しくお願い申し上げます。 3,4年おきくらいでしょうか、なかなか年末までに賀状を書く気分になれないことがあります。昨年はそういう年でした。                   

2001年1月3日 

2001年11月23日 23時05分21秒


No.56 000819 あき地の貴婦人?


 最近読んだ雑誌BE-PAL9月号に「今月の遊び〜夏の夜の一期一会なお花見のすすめ〜あき地の貴婦人〜カラスウリ」という記事に興味を持ったところ、今日(8月19日)の夕方、家から100mくらい位置、国道1号線阿野町茶屋浦交差点角地の金網フェンスで、同じ仲間の「キカラスウリ」(開化時期7〜8月)の花を発見し、今再び(21時)花見に行ってきました。花の姿は雑誌掲載の「カラスウリ」(開化時期8〜9月)に負けるけれど、言われてみるとなかなか素敵です。日暮れから開化し始め、翌朝にはしぼむらしい?ため、あまりこの花を知る人は少ないらしい。蛾はよく知っているようである。気のせいか、かすかにいい香りがしました。 

 名古屋の栄付近の中心地、久屋大通り公園、県庁・市役所の周辺緑地などでカラスウリの花があるところをご存知の方、お知らせください。できたら、旧女子大小路〜池田公園あたりの飲み屋街だと職場から行きやすくて都合がいいのですが! 私の記憶では、2年前、県庁内の本庁舎と議会棟との間、議会棟南西角のモチノキかなにかの植木に絡んでいたウリを見ました。それがカラスウリなのか、キカラスウリなのか、モミジカラスウリその他なのか、当時はそんな種類(分類)があるのを知りませんでした。単にカラスウリがあるなと思っただけでした。

 この夏は、夏らしいというべきか、暑い日が多いですね。自宅中庭にある鉢・プランターの草花・植木を例年になく枯らしてしまいました。また、庭植えのキーウィーは夏バテして、秋でもないのに、いっぱい落葉中です(これは初めての経験です)。他所の庭、公園を比較のため注視してますが、枯れた葉を付けた樹木が例年になく多いと思います。
 愚痴になりますが、99年末から色々予想外の出来事(大部分は仕事上のこと)が絶間無く起き、消耗しています。15〜17の3日間、久し振りに休暇を取りました。この夏、何処にも家族旅行が出来ずに終わりますが、何とか2001年始の休暇時には温泉で過ごしたいと、早くも考えております。(私の暑中見舞い!、以上)

2001年11月23日 23時02分59秒


No.55 000503帰化植物マツバウンラン

 
 4月24日、友人からネジバナに似た感じの姿で、水色の花をつけた野草の正体を問われた。よく解らぬまま、その話は結局翌日質問者より、マツバウンラン(リナリア.カナディエンシス)という正解の資料FAXが届いた。手持ちの図鑑を見ても載ってない。インターネットでヤフーの検索をかけたら、62件のHPリストが出た。こういうとき、インターネットは便利だと感じます。複数のHP(ホームページ)を読むと、北米原産ゴマノハグサ科の帰化植物で1941年日本への侵入が確認されたことがわかった。写真で見る限り、私には見たことのない植物であった。

 翌26日、駅までの通勤路を雑草に注意しながら歩いていたら、偶然にも20株位の開花群落が一箇所だけあった。やはり私の生活圏では馴染みのない花だったが、しかし、初めてでもないような気がした。(記憶が正しければ、1年前この近くの別の所で、1〜2株に会ったような気がする)たしかに、葉っぱは松葉風であったが、ウンラン=海蘭の名の意味はよく分からない。

 28日午前、三重県庁出張の際、近鉄に乗っていたら桑名駅を過ぎてすぐ、並行するJR関西線の線路敷きで青い帯状の群落を発見!。仕事を終え、たまにはJR(近鉄の方が安いし便利)と思い西岐阜(岐阜県庁の最寄駅)までの切符を買い、津駅プラットホームに入ると、そこには砕石の中に、痩せたマツバウンランが散在!。津・四日市・桑名、名古屋近くまで、何度となく線路沿いに長い青い帯(群生地)を見た。累計すれば、10?台のレベル。線路敷地の端、路肩部分に多いが、駅構内の砕石部分でも育つくらいだから、相当繁殖力のある植物のようである。

 5月3日GW公園イベントのため、国営木曽三川公園三派川地区(愛知県一宮市)に出張。たいして仕事はないので河川敷の雑草観察をする。ここにもあるわ、あるわの状況!。私は20年位前、この河川敷でキキョウソウ(北米原産キキョウ科)という帰化植物に初めて出会いました。これはまだ開花時期でないのか、見つけられませんでした。しかし、1958年小学4年頃、学校敷地の芝生法面で見つけたニワゼキショウ(北米原産アヤメ科)の開花株には出会いました。
 ネジバナ(ラン科)、花はないけど葉っぱ沢山確認できます。何時の時代以降、日本に侵入いたものを「帰化植物」と呼ぶのかよく知りませんが、和歌の中にも出てくるネジバナ(モジズリ)は該当しないのでしょう。が、西洋的なイメージの芝生地で見ることが多く、何となく私には帰化植物ぽく感じます。

 さて、1941年に侵入確認されたというマツバウンラン、貴方の近くにありますか? なぜ、ウンラン(海蘭)というのかご存知の方がいましたらお教えください。

追伸
 4月30日、4月3度目の葦毛湿原、今回は愛知・静岡県境の尾根を多米峠まで歩きました。ハルリンドウ、チゴユリ、ヒメハギ、ムべなどが咲いてました。カザク
ルマ、ミカワバイケイソウはまだの状況です。
 自宅の方は5月6日現在、
樹:ハナミズキ、ヤマブキ、コデマリ、ツツジ、ブルーベリー、バラ、カイドウ、キソケイ
蔓もの:クレマチス、カロライナジャスミン、スウィートピー、ピグノーニア
グランドカバー:エビネ、カタバミ、ツルニチニチソウ、クリスマスローズ、ムラサキハナナ
鉢もの:ラナンキュラス、ビオラ、ポリガラ(ヒメハギ科)、シラーカンパニュ
ラ、カマシア、イキシア、ロベリア、スミレ、カタバミ、シラユキゲシ、ドロニカム(キク科)など
 GWも後半、これが終わると会計検査院の検査が愛知、三重と2週続きでありま
すが、当方、最近、多少花を見る余裕ができました。)

2001年11月23日 22時57分36秒


No.54 000501 蝸牛(カタツムリ)    


 公道から玄関まで約26mある。随分大きな敷地と想像されるかもしれないが、敷地(316?、正方形なら18m角になるが、実際は11×29m)の奥の方に作ったからである。建物壁面と敷地境界ブロック塀との挟まれたアプローチの幅員は平均190?、しかし、60?と40?幅の植樹帯を私が作ってしまったので、実際に歩ける幅員は90?以下。玄関横の狭い雨ざらしの空間に子供の自転車が2台あるが、転回がままならないので、毎日苦労をかけている。 しかも、最近、雨が降った今朝などは大変である。この狭い通路幅の内側だけで、一人前のカタツムリがおよそ30匹(単位表現が間違っているかな?)以上。避けたつもりでも、一匹も踏み潰さず、外ヘ出るのは困難。バシッという音を聴くたびに、こちらは地雷を踏んだ気分なるが、本物と違い被害者は踏まれたほうである。

 野焼きが白い目で見られる時代になり、週末、私が時折集めては燃していたのを最近手を抜き、壁面緑化やら植木の葉っぱの落葉が道に堆積し、彼らには格好の餌場となっているため大繁殖。もともと、カタツムリには住みやすい家のようではあったが。朝はまだ注意しながら歩くが、夜はあきらめるしかない。そして、やっぱり踏む。GW期間中には、やっぱり、人目を避けて落ち葉を燃そうと思う。剪定枝もだいぶ貯まってきたし。
 陸貝であるカタツムリが、もし美味しかったら趣味と実益を兼ねたシイタケ栽培みたいなもので、雨の日が楽しいのだが、実に残念である。

 ところで、今年はトカゲ、カナヘビも多いような気がします。そのせいか、見かけるヨトウムシの被害がまだありません。(夜行性のヨトウムシと温度が上昇しないと動けないトカゲの組合せ、因果関係ないのかも?)我家のキキョウは毎年といっていいほど一度丸坊主にされます。キキヨウ30cm程になってきましたので、これからは注意(夜、懐中電灯で点検)が必要です。

2001年11月23日 22時52分10秒


No.53 000409 葦毛湿原/カタクリツアー2  


 線路沿いの自宅から名鉄前後駅に向う道には季節感がある。掘り割りとなる鉄道敷地斜面には色々な花(雑草)が群落をつくり、咲く。今は、タンポポとかムラサキハナナ、特に好いなと思うのはホトケノザ。雑草とはいえ、ピンクの絨毯状の群落は美しい。

 さて、先週末に続き豊橋「葦毛湿原」に早朝6:50より向う。豊橋駅ビル「フランス亭」で朝食(380円)を取り、8:20発赤岩口行きバス乗車、20分で岩崎につく。(390円)缶コーヒー一つ買って歩きはじめる。ウエストバック一つの軽装である。ホトケノザ、ヒメオドリコソウ、カラスノエンドウの花=ピンクが出迎えてくれる。アケビ、スミレ、ヤマザクラ、ヒサカキなど。約20分で湿原に着く。主花はハルリンドウ、他にショウジョウバカマ、周辺では休みなくウグイスがさえずる。湿原を早々に、カタクリ大群落?目指して山の斜面を直に登る。リョウブの新芽が逆光でサンシュユの花のように見える。中腹より、コバノミツバツツジ?が目に付くようになる。9:53カタクリ小群落(開花なし)、10:20尾根道に出る、ここは前回寝ぼけた?蛇に出会った場所に近い。前回の逆コースで尾根を縦走。カタクリ大群落地はどうも逆方向だったようだ、10:50風越峠に着く。キスミレ2花、もうヒロハノアマナは葉のみで開花株はなし。ここから、前回カタクリ一株開花確認地に行く、5株くらいの開花小群落が散在するものの納得がいかない。再び尾根(風越峠)コースに戻り、6分程上りきった稜線の高圧鉄塔下で、百株くらい開花の中群落に出会う。ここなら、写真を撮っても絵になる!
(11:12〜30)。これにて一応満足し、帰路につく。花はまだだがチゴユリ、ナルコユリ?、カンアオイ?。一息峠手前の山腹に見ごたえあるツツジ群落あり!
一息峠11:49、バイケイソウ群落地11:55、野沢原生林12:00、(ミカわコバイケソウは40〜50cm程度)、フモトスミレ群落が良い。12:04湿原入り口、12:24岩崎バス停着。
すれ違ったり、追い越した人は100人以上、9割方中高年でした。
12:34発豊橋着12:54(バスは毎時04.34分発、豊橋駅は20,50分発です)、
再び、駅「フランス亭」でランチ+生ビール(1150円)
 「葦毛湿原」については、吉田さんという方の素晴らしい観察記録のHP(毎週更新される)http://www.tcp-ip.or.jp/~yoshida/ があります。一見の価値あり!

追伸
自宅の方も、落葉樹による日陰が少なく、4月からGWあたりまでは花は多いほうです。今日現在咲いているのは、
樹:サクラ?、ユスラウメ、ユキヤナギ、モモ?、プラム?、ボケ、グミ?、レンギョウ、アオキ、アケビ (蕾:カイドウ、ブルーベリー、クレマチス、シモクレン、カリン、ヒイラギモクセイ)
球根:ハナニラ、ムスカリ、アネモネ、スイセン?、ヒアシンス(蕾:ラナンキュラス、チューリップ) 
宿根:ツルニチニチソウ?、、シュンラン、クリスマスローズ、(蕾:シラユキゲシ) 
一年草/雑草:ビオラ、ロベリア、ポピー、、スミレ?、ムラサキハナナ、ホトケノザ、ムラサキケマン、タンポポ  

2001年11月23日 22時48分21秒


No.52 000405 献血・血液ビジネス?  


 半田市出張の帰路、金山駅改札口で、O型5名、A型 名、、、とか書いた看板を持って献血を呼びかける(声は、なし)男がいた。 先日(2日日曜夕方)、家族で中日ドーム開幕第三戦(中×ヤ)観戦のため出かけた際も、同じ場所で見かけた。 この2日ほど睡眠時間が短く体調はあまりよくないのかもしれないが、何か緊急性があると考え人助け?の意志表示をしたところ、駅近くの金山献血ルームへ行けという。

 メガネスーパービル7階にあるそこは、まだ新しく清潔で、オープンな雰囲気であった。 しかし、緊迫感は全く無く、皆リラックスしており、客とういか、献血者は9割方若い女性で、結構、順番待ちの場所も込んでいた。常設の献血施設に行かれた人は知っていると思いますが、お菓子や飲み物を勝手に頂けるようになっています。雑誌も沢山ある。30分程待った(この間に、事前血液検査、健康診断等)後、5時30分から6時10分にかけて成分献血400mlをした。体調がいいのか、気分は全然悪くはならなかった。

 私が継続的に献血するようになったのは、人事異動で衛生部(健康の森推進局)に行った平成7年度からである。毎年,正月明けに官庁街献血とういのがあり、衛生部が呼びかけていることもあり職場から沢山参加するのにつられて、バス(移動献血車)に乗りこんで受けたのが始まり。 それ以前はずっと昔、土木部職員の身内の緊急輸血用に一度しただけで、自分の意志で血を抜く程健康に自信もなく抵抗感もあった。 してみたら、多少自分の健康管理に役にたつかなと思うようになった。

 11年度も官庁街献血に行く意志はあったが何か関係で行けずじまいだったので良かったと思うが、帰る時、男の職員がもみ手で「またご贔屓に!」てなことを言う。善意を利用した日本赤十字社の血液ビジネスに協力しているのかな?という疑念が湧く

2001年11月23日 22時40分18秒


No.51 000401 葦毛湿原/カタクリツアー   


 役人生活が染みついたせいか4月1日は辞令交付のイメージで、休日というのは何か変な気がする。人事異動があれば年度末はたいてい休日出勤をしてきた。今年はそうしたこともなく、仕事は結構忙しいが落ち着いた気分である。              
 この時期、愛知県の山ではカタクリが咲く。とはいえ、カタクリを見に行けたのは、もう10年以上?も昔!、10人弱のグループで豊橋の「葦毛湿原」(カタクリは背後の山に自生)に行ったのが最後。

 「葦毛湿原」は20年くらい前の一時期、私のお気に入りの場所で、その当時「いもうNEWS」という観察記録通信紙をたしか17号まで出したことがある。(自宅の何処かにあるのだが見つからない)

 まだカタクリを見たことがないという知人を誘って、久し振りに「葦毛湿原」に出かけた。周辺が開けてきたせいで、バスが毎時2本きちんとある。(昔は、毎時1本無かったと思う)  湿原の主花はショウジョウバカマ、でも脇役!、数は少ないがハルリンドウが主役かな? なんていったって、宝石のごとく花が太陽を受け輝いている。 この花は美しさ故に盗掘に遭い易いらしい。

 カタクリ目指して背後の山へ急ぐ。記憶している3〜4箇所の群落地を尋ねるが、残念ながら今年は開花が遅いようである。開花確認は一株。 途中、非常な希少種だとおもうが、キスミレ(すみれの黄花、低地には普通はない?)とヒロハノアマナ(例えるなら、チューリップの原種の日本版?)の開花株には記憶通り出会えた。シュンランも所々で、ただしこれは蕾状態。 カンアオイ(ウスバサイシン?)を探したが、これは存在自体を確認できなかった。この花は面白い、花が土中、すれすれにある。アケビを始め関心が無ければ、存在しないに等しいいくつかの花を省略しましたが、この山は相変わらず楽しい。 出来れば、来週末も行こうと思っている。

2001年11月23日 22時35分08秒


No.50 000326 緑・花文化の知識認定試験 


 4月から中学生になる次女と二人で、今日26日(日)、名古屋の第一会場である愛知県産業貿易館(本館)で受験しました。
ここでは700名の方が受験されたわけですが、二十歳未満の方は皆無に近く、平均年齢は50歳以上ではないかと私には見えました。女性のほうが多く、6:4(男性)くらいでは? 正確なデータは、何れ主催者から発表があるのではと思いますが。

 試験問題は全部で80問で、各問、五つの回答の中から正解を一つ選ぶ形式で、これを60分でやるものです。 40ページにわたる「試験問題集」(文章だけの出題は39問で、残りの41問は、カラー写真44枚、カラー図版2枚、白黒図版5枚が使用されております)と、試験終了後には44ページにわたる「正解及び解説書」が配布され、持ちかえることができます。 

 私は70問くらい出来たと思いましたが、すぐチェックしてみると15問は不正解でした。 娘の方は50から60問くらい出来たと言ってました。問題は難しからず、易しからずといったところでしょうか? 60分という時間も少なからず、多からずという風に感じました。
 全体の採点結果の状況を見て、5月下旬頃に合格者を6クラス(特級〜5級)に分けた認定証が郵送されるとのことでした。
以上、参考までにお知らせします。来年受けてみてはと思います!

 私は、大卒と公務員になったこと以外に、運転免許証始め資格らしいものは何も持っておりません。 今回は仕事上関係のある公園緑地管理財団主催で、第一回ということ・まあ得意とする趣味の分野であったので受ける気になりました。
また、名古屋会場に関しては同窓生のK君が担当してたので、随分協力してしまいました。会場が足りないというので第三会場を確保し、また、3会場の試験監督員13名確保のため奔走(公団・県・県協会へ)しました。仕事内容の好き嫌い、自分の趣味で動きがかわるのは少し問題ありか? 

2001年11月23日 22時32分13秒


No.49 000304 酒蔵見学ツアー   

 
 
休日はほとんど家にいますが、天気は雨、体調は風邪にもかかわらず、今日は珍しく外出。 月に昼食で1、2回行く店が募集した酒蔵見学ツアーに参加してきました。参加者7人、店の主人以外は初対面です。場所は岐阜県恵那郡岩村町、岩村醸造、「女城主」という銘柄がメインです。

 参加した動機はいくつかありました。 昼食(日替わり定食700円)に行く店(天樹)の主人は、どうも食材に凝る人で、その店を紹介してくれた人(安い居酒屋派)の言によれば、夜は高いとのこと、きっと酒にも相当こだわりもっているなと想像した。 次に場所(東美濃、恵那郡)である。事務所で工事(事業主体:東美濃ふれあい拠点施設組合〜2市7町4村で構成)を担当している現場が中津川市にあり、中央線で恵那を通過する度に、一度、明智鉄道という三セクに乗って、「大正村」のある明智町方面に行きたい思っていた。 

 岩村町のホームページhttp://www.nhk-chubu-brains.co.jp/gifu/iwamura/を検索すると、岩村醸造などのリンクもあり、人口5600人の町だけれど非常によく出来ている。 画面で送ってほしい資料などを入力しただけで、資料一式を郵送してくれた。 重要伝統的建造物群選定の町並み(全国で48番目)、日本三大山城(岩村城址)、日本一の農村景観といった、私の興味をそそる観光キャッチコピーが並ぶ。

 降りしきる雨の中、12:00に酒蔵到着。 人の良さそうな主人が案内をしてくれる。しかし、作業場の手前で立ち入り不可。このあたりから、見学できるものと考えていた引率者の思惑と違い、徐々に気まずい状況が静かに始まる。それでも、銘柄別の試飲テーブルに集まり、主人と引率者(最近、酒の鑑定士の試験を受けたとのこと)、年配の酒通を中心に専門的な会話が始まる。 途中から、酒蔵の奥さんは、非常に渋い表情に変わったのがよくわかった。「この客達は、試飲したら何故さっさと買って帰らないのか?」という顔に私には受け取れた。(真面目そうな主人は、入り婿?)

 試飲に飽き、酒通でない私などは自分で決めた酒を早く買いたいと思っていたが、一方で「買ってはいけない!」という無言の圧力も感じていた。 見学できないのは多少残念と思う程度で、新酒を買うことが参加目的の一つであったので、正直困っていた!。 会話も40分程で途切れ、帰る段になり、一人の参加者が2本買うのを見て、私も2本買う、しかし、事務所の女性への返礼用と酒好きな課長用にと選んでいたものまで買う勇気がでなかった。 (結局、酒を買ったのは7人中3人だけ。) この酒蔵は岩村城址のそばにあり、立ち寄りできるかな?という期待もあったが、気分直しに大正村に寄って帰ろうということになった。(13:05出発)

 大正村(明智町)へは約15分で着く。 酒蔵でのはずだった弁当をマイクロバス車中で食べた後、大正カフェという資料館(京都のカフェー天久を移築したもの)などで一時を過ごす。 (15:00出発→名古屋栄着16:40、解散)

 岩村町、明智町ともに わずかなポイントで、短い時間居ただけですが、なかなか歴史的には見るべき所の多い町ではないかと感じ、酒蔵見学ツアーに参加して良かったと思っております。 今度は、自分のペースで選択し、歩きますが。

 後日といっても週明けの3月6日(月)夜、東京本社職員2名を交えた小宴会、普段はビール派の私も、自分が買ってきたせいか、だいぶ飲みました。吟醸生酒、それなりに美味しく1.8リットルちゃんと空になりました。 食通、酒通でないことの幸せを感じます。 
 ただし、めっきり旅をしなくなった私ですが国内旅行に関しては、今の日本人の中ではまあ「通=自分流の旅が出来る」の部類に入ると勝手に思っています。

 次回は、3月26日実施の「第一回緑・花文化の知識認定試験」について書きたいと思っています。 

2001年11月23日 22時23分27秒


No.48 000301  私の不満

 
 飲んで帰るか 残業のため、だいたい帰宅時間は遅い。今日は7時半に退社、帰宅は8時半、早い方である。(ただし、週末はほとんど家に居ます。)
子供のことは99%くらい母親にまかせてきた。3人子供から、悩み事など一度も相談を受けたことはない。(ただし、間接的に母親=妻から相談を受けたことは多少ある。)

 息子が私立大学を受験、合格し、近々30万円納付しなければならないことについて、志望校(自宅から最も近い距離にある国立大学)に受かれば捨て金になり、もったいないと、内心ずっと思っていたので、「30万円を小遣いとしてやるから志望校にかけてみてはどうか?」と本人に今日は言おうと考えながら帰宅した。
 頃合をみて問いかけたら、「今日、お母さんが銀行に振り込んだ」と、明るい回答。時、既に遅し!今日は、高校の卒業式、それなりに充実した(不満の少ない?)3年間だったようである。 

 私は、高校・大学ともに卒業式には出席しなかった。 高校は大学受験の前々日くらいで、当時の札幌は、ものすごく遠い所(自宅から24時間以上?)だったので、無理であった。しかし、出たいとか残念という気持ちは全くなかったように思う。君が代、国家斉唱があったかどうか?なにか、混乱があったと聞いたような気がする。(翌年の母校の卒業式は、確実に、混乱した旨の新聞報道があった。)  もう昔の事で、自分の記憶に全く自信はないが、銀ヘル(中核派?)により大学の入学式は中止だったように思う。(記憶の正誤にかかわらず、私の高校から大学卒業までは、今時の若い人からみれば、相当イレギュラーな時代、学生生活だった。)

 電車の中の化粧、携帯電話、茶髪、一人で座席を2人分占有する奴、背中にザック?等々、色々文句を言いたいが、言えない!!!
 久し振りに爆音を聴いた。最近、暴走族って少なくなった、と思いませんか???

2001年11月23日 22時19分47秒


No.47 000227 新素材繊維

 
 
子供の頃からの肉体的な悩みってありませんか?
私は秋から春にかけての時期、毎日ではないにしても、運動などしなくとも腋の下から異常に汗が出ることがあります。出るというより、滴り落ちるという感覚です。そんな時には、ワイシャツだけでなく上着まで湿ってしまい、気持ちは悪いし、風の吹く通勤時は綿の下着は冷たく寒く感じるのは当然。

 この二冬、そういう嫌な感じが大変少なくなりました。体に良いとされる自然繊維木綿から、新素材といわれる化学繊維のアンダーシャツに完全に切り替えたためです。

?デサント製造whole Earth クールマックス(ポリエステル100%)というデュポン社開発繊維を使用したもの。冬暖かく、夏涼しい?)

?ミズノ製造Bregブレスサーモ(発熱繊維?)15%+ポリエステル85%〜国産
ほんとうに発熱し、寒い時は非常に好都合ですが、運動して体全体から発汗した時は、熱いし汗の吸収力が悪いのか、皮膚にべとつき感が残ります。

?大倉スポーツ販売NORTH CAPE クロロファイバー(ポリ塩化ビニール)70%+モダール30%〜英国(スコットランド)製

の3種類を愛用しています。値段は3000円以上しますが、多量の汗をかいても冷たくなく快適に思えます。 同じような悩みを持つ人がいるのか分かりませんが参考まで。私は登山用品店の名古屋駅前アルペンか、栄のIBS石井で買っています。

 創刊以来購読している週刊誌(週間金曜日)では、携帯電話と電磁波による健康問題を時折取上げていますが、一旦使い始めると快適さ・便利さの魔力には負けます。

 昨日も雪がちらつくなど、まだ寒さが厳しいなと感じてますが、庭のニホンズイセンや梅は盛りを過ぎ、オウバイ(梅でなく、耐寒性のあるジャスミンの仲間、花色は黄)とクリスマスローズ(宿根草、バラ科ではなくキンポウゲ科の仲間、花色は紫紅と白)が元気です。

 幾人か人から、胸の痛みはストレス性との診断をいただきましたが、約30日で皆無となりました。総合健康診断(痛みの発生する直前1月12日)の結果も問題なしというでした。 ご心配をおかけしました。

2001年11月21日 01時22分07秒


No.46 000206-13  メジロが来た! 

   
 新聞の投書欄をみていると、暖冬のせいか例年に較べて自宅に野鳥が来ないというのがよくありました。私の家でも、97,98年の記録では12月上旬には来てました。 それが、この冬は2月3日庭にミカンを置いたら、ようやく現れました。週末居間からメジロを観察するのが習慣になってたので、やはり嬉しいものです。

 敷地境界沿いに、結構、木を植えており、成長するにつれ枝がかなりはみ出していき、昨秋、隣地(現場は貸し駐車場)管理者?から切ってほしい旨申し入れを受けたが、ほっておいたら、我家のグロック塀の内にある木まで大胆にカットしてくれました。 お陰で、いつもメジロが隠れるというのか遊び場になっていた、金木犀の繁みなどがなくなってしまいました。

 更に、年が明けてから、中部電力(子会社?)が、我家敷地上空の電線保全を名目に、これまた、センダンを始めとする我家の樹木に非常に大胆な剪定を加えてくれました。長髪人間が虎刈りされたようでもありますが、それぞれコスト(お金)をかけ伐採し、枝葉は完璧に撤去されており、お礼を言わねばならないのかもしれません。(最近は条例で野焼きが禁止され、剪定しても敷地内に置き場があまりなくて)  どうせ木はまた数年すれば、相手の意に反して元の木阿弥となります!そんなこともあって、メジロは今年は来ないと思ってましたので、一安心です。
 1月15日以来、毎日、原因不明(心電図や肺のX線を解析してもはっきりしない)    
の胸痛に悩んでおります。タバコの吸いすぎか、ストレス性のものでしょうか?
2月4日に、職員10名の人事考課票(勤務評定)を悩みながら作成し、本社に送付した頃から、痛みがだいぶ軽くなり、今日はほとんど無くなりました。

……………………追記(000213)……………….

 3連休中毎日、居間から庭(ミカンを置いてある)を眺めていると、メジロのほか、ヒヨドリとムクドリも頻繁に現れます。でも、ムクドリはミカンには一度も近づかず、庭に落果したキーウィとセンダンの実がお気に入りです。 

 毎週末、ウィスキー一本を空にするライフスタイルを3週程、休止しています。理由はまだ胸痛が皆無ではないためです。
代わりにビールを飲んでいますが、水?、お茶?のように飲めます。
 愛知万博の行方もさることながら、私の人生は大丈夫でしょうか???

2001年11月21日 01時10分22秒


No.45 991227 99年年末にて


1999年も残り数日、私には、まあ、変化の大きい1年でした。

 1月末、自宅のダイヤル式電話をWコードレスプッシュホーンへ、全く触ったこともなく、いきなりパソコン+ISDN回線を導入し、以来機械と対面する時間が格段に増えてしまいました。それまで、2000円前後の電話代が10倍に、週末の庭仕事が(庭にでることもなく)園芸関係メーリングリスト(green-life)のEメールを読むだけで終わってしまったりと。

 4月には、愛知県庁(公園緑地課)から住宅都市整備公団(10月1日より都市基盤整備公団)中部公園事務所に転勤(出向)し、勤務始業時間が9時から9時15分に、勤務場所が静かな官庁街(名古屋城郭内)から、名古屋の繁華街(栄)に続く、以前は女子大小路といったネオン街の入り口に。 勤務ビル地下には居酒屋やジャズを聴かせる店があったり、県庁時代に紹介され唯一行く気になれたスナック・バーが数十メートルのところにあったり。

 こんな環境の中、靖国神社の隣(東京本社)からは、時折、サボるな、もっと働けとばかり音無し(恐怖?の)Eメールが入ります。公団は全職員にPCが配備、OA化が進んでおり、転勤を意識して準備した訳ではありませんが、それなりにPCに馴染んでいて良かったと思いますが、公私ともにコンピュータ社会に組み込まれたとも言えます。

 この年末年始、Y2K対応で官公庁で出勤される人もあるようですが、当方は国営木曽三川公園イベント開催のため、毎年31日夕方(岐阜県海津町)から元日午前(愛知県一宮市)にかけては勤務とのことで、家族で旅先で迎える例年のスタイルは無理となりました。

 (蛇足ですが、2000年、長女は大学4年、長男は大学受験、次女は中学進学。)

 新世紀を迎えるにあたり、月並みではありますが、これまでのご厚情に感謝するともに、引き続きよろしくお願いします。       

(自分流のこだわりから、宛名だけは機械化しなかったのも、ついに断念しました)

2001年11月21日 00時36分42秒


No.44 990410 転勤


 4月の人事異動により、住み慣れた愛知県庁を休職して、住宅・都市整備公団中部公園事務所に転出しました。  28年間(都市計画課10年、都市公園事務所6年、観光課・国体準備室・健康の森推進局・公園緑地課各3年)多くの方に支えていただいたおかげで、今回、非常に責任の重い立場(所長)に就くこととなりました。
 
 振り返れば、仕事の処理に悩むタイプなので、時々、行き詰まり、上司を怒らせたり、退職願いを出す(一晩で撤回)というトラブルを起こしたこともありました。 助けるより助けられることの多い28年でした。 ありがとうございました。

さて、新しい仕事は、地方自治体より公園整備に関する設計・工事施工の委託を受け、実施後 引渡しまでの事務を行うことと、国営木曽三川公園の特定施設について管理を行うことのようであります。 自治体からの受託事務は、営業対象エリヤが愛知・三重・岐阜県から静岡・長野県の一部、北陸の石川・富山県まであるため、4月中は市町村と県への新任挨拶と現場確認に追われています。 

 職場(公団)は、名古屋中心地の栄、中日ビルの東・中区役所の南東にある昭和ビル2階。地下には居酒屋もあります。 近く来られる折りには、現場の経験・知識が乏しい私が、自治体や職員に迷惑をかけず、ちゃんと仕事をこなしているかどうか確認がてら、是非お立寄りください。

住宅・都市整備公団 中部公園事務所 
E-mail:111117@hud.go.jp 
携帯:
〒460-8484 名古屋市中区栄   ・・
TEL:
 FAX:・・・・・・・・
  http://www.hud.go.jp/ 

 春なので、自宅の庭では、かなりの種類の花が咲いています。その中で、ほとんど手をかけなくても毎年咲くムラサキハナナ(アブラナ科ショカツサイ)、すみれ4種、ハナニラが特に私の園芸趣味には合います。

 2月14日、まったく触ったこともない無知、完全白紙状態でパソコンを買いました。インタ−ネット接続や色々な操作上のトラブル発生の際、経験者やメ−カ−のサポ−トセンタ−のアドバイスを受けたことはありますが、電話回線のコンセント設置工事から機器組立設置工事まで独力でやりました。

現在、ゲ−ム、インタ−ネット、電子メ−ル送受信に使っております。3月29日、ネット上から園芸ファンのメ−リングリスト(同好会)を偶然発見し、即入会してしまい、毎日大量(数十件レベル)の電子メ−ル処理作業(読み→捨てる)をやっております。                         

2001年11月21日 00時10分39秒


No.43 981230 思案


 近頃、仕事上パソコンの知識がないと依頼された仕事を自分処理できない、他人に依頼するとしても的確に説明できないなど困ることが時々ある。

 ワープロには早くから関心を持ち、まだ最低価格が150万円くらいだった昭和56年頃、シャープから個人的に借りた無償レンタル機で公文書を作成したことがあり、県庁職員としては最初に使った人間と自負しているが、そんなことは今や何の自慢にもならない。

 OA化に関して、国や他の自治体に較べて愛知県庁は保守的な方と想像しているが、仕事は今やパソコン処理が主流にになりつつある。 電子メール、インターネット、イントラネットとか、ナにか得体の知れない世界が、世界中に拡がっているらしいが、当方は、一方通行の日本語専用ワープロの世界に、何時まで、とどまるべきか思案中である。

 得るものより失うもののほうが大きいのではないか?

一度はまったら、ぬけられないのではないか? 自殺願望者が簡単に薬を手に入れる方法(情報)を知り,実行できるというのは、たしかに便利で公平な世界のようである。

 時代に遅れまいとするのがいいか、時代遅れはもっといいのか、旅先(三重県)でも考えることにします。

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.42 980426  花


 我家では、今、ハゴロモジャスミンとビグノー二ア=カレー粉のような匂いから力レー・パインの名も、が満開です。それも、鉢植えー鉢を地植えにしたものが、相当な広範囲に繁殖(というより、はびこる)。

 植栽敷地があまりないので、スペースが少なくて済む、つる植物をかなり無計画に植えてきた。 少し前には、ツルニチニチソワ、アケビ、ムべ、力ロリナジヤスミンが咲き、スイカズラ、テイカカズラ、スタージャスミン、キーウィー、クレマチス、ツルバラが、出番待ちの状態。

 こう書くと、いかにも花園みたいだが、.それほどキレイではない。生存競争の場面を想像されたい。日当たりの良かった頃、花つきが良かったものも、日陰になれば衰える、栄枯盛衰状態である。

 花に興味のない人には、無意味な文字の羅列となりますが、その他の花の開花情報は次のとおり。

樹-コデマリ、ヤマブキ、ハナミズキ、二シキギ、ブルーベリー、ピラカンサス、バラ

球根・宿根-スズラン、シラン、シラユキゲシ、イキシア、ルピナス、オキザリス、ブイモルフオセ力、シャクヤク、タンポポ、スミレ、ヒメヒオウギ

一年草-パンジー、ベチユニア、ストロベリーキャンドル、
ロベリア、ネモフイフ・

 半年振りの便りとなりましたが、この間、未発送だったNo.41, 依頼されて書いた業界紙(日刊建通新聞)等の駄文をあわせて送付します。 週末は、アル中状態ともいえますが伝えたいのは、

" Still alive,and well "
                     

2001年11月21日 00時10分39秒


No.41 971010  芸術の秋


 愛知県芸術文化センターにある愛知県美術館に行った。4、5年くらい前に改築されでから、初めてである。 ビル街の公園の縁を占拠して建てた馬鹿デカイ箱(建設費は500億円くらいだったか?)の8-10階という、経緯・立地環境条件が好きでない。! 僕の好きなイメージの美術館立地は、360度どの方向にも、一定の緑かオープンスペースが確保されているもの。つまり、公園の中とか、森の中とか、海や湖沼に面するとか。 あるいは、周囲の環境条件をごまかす技術が徹底的になされておれば、納得するかも。

 見に行ったのは「82二科展」。 日展とかニ科展というのは新聞社が主催するメジャーな展示会なので、中高生から20代前半くらいまでの間には、日展の方が多かったが、何回か行った。 休日は会場が混みすぎるのと、.自分が鑑賞するには作品が多すぎるという印象をもった。そして、僕の記憶では、旧の美術館は展示スペースの関係とかで、毎年開催、あるいは、東京の全作品が巡回展示されていなかった。行った理由は、岡山県出身丁氏(職場の上司)が酒席で、ぼろっと、自分の父親の作品が名古屋に来ていることをもらしたー言が大きい。 僕のように、両親(物故、父は大学の元事務職員、母は若い頃、小学校教員だった。)、親戚、自分の兄(公立中学校教員-校長と名古屋市土木局職員-ヒラ)、結婚によって生じた各兄弟の親戚関係にしても、公務員が主流であり、親戚関係を見渡しても、芸術家とよべる人の存在は、一人も存在しないし、過去にも存在しない人間からすると、芸術家を、父に持つことは驚くべきことである。

 午前中の会場は適当な混み具合だったが、作品を鑑賞するには数(絵画269、彫刻33、デザイン136、写真188)は多い。 適当に駆け抜けて、人気のない屋上庭園で休む。

 次に、やはり知合いの建築家S氏から案内のあったS氏企画の「時のうつるい展」の会場、中区役所ビル8階にむかう。ビル間の距離は歩いて数分である。こちらは、会場貸し専門の市民ギャラリィーのせいか」立地環境なぜ全然気にならない。作品の数も7。参加型の作品なので、そのーつ、「無用の用」だったか?の板張り空間で、僕は、寝転がり横目で、まだ芸術家への可能性が皆無とはいえない9才の娘が、置いてある色鉛筆で、感想ノートにキツネかなにかの絵を描き終えるのを待った。

                

2001年11月21日 00時10分39秒


No.40 971001 再会、再開、再見


 たいへん過ごしやすい季節になりました。
今朝、我家を出るとき、きんもくせいの香りがしたので、家の裏にある樹の側までいって花を確認してしまいました。まだ、白っぽい状態でしたが、たしかに花が。

 半月前の話となりますが、9月17日に 彼岸花が咲きはじめました。 「10年ビジネス日誌(高橋書店)」というのを買って、96年から、主に週末の土・日に自宅の花の開花状況などをできるだけ記録するようにしてますが、見事に前年96年も9月17日でした。人の話では聞いていましたが、彼岸花の体内(?)カレンダーの正確さに感心しました。 金木犀のほうは、96年10月5日:土曜日との記録がありましたが、気がつかなかっただけで、同じように咲きはじめていたのかもしれません。 年によって、開花の時期が変動しやすいものもあると思いますが、こいつらは、日照・気温それとも何が決め手になっているのだろうか。 随分、変動が少ないのではないかと思う。たまたま、2年のデータだけとなるのか?

 開花記録をつけていると聞くと、凡帳面と思われるかもしれないが、去年の7月23日から9月20日までの欄でいうと、8月17日と9月17日のたった2日に、わずかな花の名が記されているだけで、あとは空欄である。
 
 さて、この個人通信も、随分、間があいてしまいました。 たしか、9 0()31 7 No.3 9以来ということになります。あるいは、97年の1月に、年賀状をいただいた方への返信
をNo.4 0としたかもしれません。(No.1は800803) 私の友人(大学の後輩)M君は、毎月の5日発行( lおにおんすらいす」)で、先月、205号で18年目に突入。しかも、B5版6べーン。 この工ネルギ-、この結果の違いは何だろうか?

 北は北海道、南は九州長崎・熊本の、遠方の友にお知らせします。 昨年春の人事異動で、土木部公園緑地課にかわりました。
かつて育った渓流(傍流)が、不在の間に本流(:新設課)になっていて居心地はいいのですが、どう泳いでいいのか?

考え中の日々を続けられる環境..,...

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.40 980105 年賀状



年賀状ありがとうございました。

私は1948(S23).6.19に生まれた ときいています。
今日は1997(H9).1.5と思います。少々酒が入っていますが、
ざっと生ざてきた日数を計算しますと、49×365.25−30×5−13≒17,700日
試算してみて思いました。 切りのいい20,000日を越えたいなと。あと2,300÷365=7年。


 この1年、いや2年かも、自分がどんどん変わっているようで不安になります。
(だんだん醒めてきました。)
 物事を考えるのが、体を動かすのが、どうしてこんなに面倒に感じるようになってきたのか?
体重は年々増え、ウエストは刻々と大きくなってくるし。

 やはり酒の飲みすぎのような気がします。
 今年は少し減らそう。

 年末年始一番印象に残った言葉〜官は民より強い。官は政に弱い。政は民に弱い。

一つ年長のいとこから数時間前に聞いた言葉


470-11**********************
(愛知県土木部公園禄地課)

1/5 2 am やっと年賀状文が書けました。今日中に印刷〜宛名書きができるかな?

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.39

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.38

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.37 960219 迎春花・黄梅(オウバイ)・ジャスミン

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.36 960114 年賀状


 例年200枚購入し、だいたい150枚くらい年賀状を書いています。
子供が少し大きく(高2、中2、小2)なってきたので、昨11月末、職場でいつもより20枚多い220枚を購入しました。 ところが、私が知っている限り、返信を含めて年賀状を一度も書いたことがないのに、同居人がなぜか100枚買っていました。

 特別に忙しかったということではありませんが、書けないまま年末となり、平成7年にいただいたものと200枚を持って、例年のように正月は旅先で迎えました。
(12/31〜1/2 長野県松本市)

 明日は年賀状の抽選日という時になり、在庫一掃セールの形で、この駄文を書き送るのは大変失礼との思いもありますが、少し(?)変わり者の「三浦」のすることとお許しください。

 同居人の方はやっぱり一通も使いませんでした。 買った理由をたずねてありませんので、今も「謎」となっております。

(追記)愛用のワープロも年末と同様に「フロッピー読み出し障害」のメッセージを繰り返すのみで、全く起動してくれません。 

調子の悪いスタートであります。(1/14 2 am)

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.35 950629-0701 大失敗


 6月15〜9月末までに間に、6日の夏休みがとれる。 全部消化しようと毎年思うが、実質的ににはそうならないことが多い。
割切りの悪さというか、物事(仕事)処理に中途半端を許容する性格が災いして、仕事人間でもないのに後半になると、つい仕事優先のポーズをとってしまう。 それで、損したという気持ちだけは残る。
 
 今年は6月中に2日休むこととし、2日目に30日を予定していたが、前日29日に繰り上げた方がいいなと判断し、当日朝、職場に電話をいれた。何をしようという計画があるわけじゃないので、週末と同じようにのんびりと、酒と園芸作業でー日過ごす。 余裕の延長として、夜風呂で髪をきることにした。

 最後に床屋に行ったのは、もう20年くらい前だったように思う。 就職したての頃は、幼児の頃からの馴染みの床屋に行っていた。 が、駅前の再開発事業のため、そこがどこかへ行ってしまってからは困った。 しばらくは、県庁と建設省(出張の際)の中の床屋を利用していた。 しかし、昼休みはダメで勤務時間中の利用となる県庁のは抵抗感を覚え た。 それで、髪がのび過ぎと自覚すると自分でいい加減に切るようになったと思う。

 そんな頃、建設省の床屋で自分でカットしたことをなじられたのを契磯として床屋が本当に嫌いになった。(久しぶりに金を払いにきた客に対して文句をいう業界に復讐しようと。当時は長髪の流行もあり、床屋利用は減少化してたのでは?)
 それでも、しばらく年末年始とか、人事異動の前後には行っていたように思う。 その後、服装・みなりを問われない?職場(都市公園事務所、作業服に着替えるため、6年間ほとんどノーネクタイ・ジーパン通勤だった)に転勤したためか、完全に行かなくなった。

 いつものように、後頭部は髪を握った手の感覚だけで切り進む。 今日は地元スーパーの改築前閉店安売りセールで買った新しいヘアーカッターを使う
仕上がり具合の確認を求めたら、同居人は「ゲッー」というし、長女はただ笑い転げるばかり。 時々みっともない状態になっても、これほどの大失数はないという状態(局部的に刈りすぎ)であった。 

 過去一度(昭和62年頃?)、もみあげの上の部分を切り(すかし)すぎたことがある。 その時は、悩んだあげく黒のマジックインキでごまかしたが、周囲はそこまでは気が付かない。 手鏡を片手に、鏡の前で必死に解決策を考えるが、今回はどうにもならない。 同居人は、床屋へ行けという。 たしかに、独力で後正しようとしても、更に泥沼状態になりそうだ。

 翌朝、すぐ床屋へ行く勇気もわかず、みっともなくて出勤もできない。再度、休暇の電話を職湯に入れた後は、酒飲んでいわゆるふて寝。 翌土曜日も同様である。  明日は出勤という日曜日の昼になって、腹をくくり、子供が利用する近所の床屋に行き、淡々と調整をしてもらう。(同居人を通じて、 事情をある程度話してあった。)  さえない4連休である。 今後は床屋へ行くようになるのか?、まだよくわからない心境にある。


我家の花だより(6月30日)

雨の冬い時季ですが、結構よく咲いているなと自画自賛しております。
園芸趣味のない人からは、さっぱりわからないと言われておりますが、だいたい下記の状況です。

庭木  アジサイ   キョウチクトウ    サンゴシトウ   マンリョウ

鉢花
(一年) インパチェンス     ポーチュラカ(花すべりひゆ)  ロベリア   レッドクローバー     ニコチアナ(花たはこ) ホクシア ダイアンサス(ナデシコ)   アイビーゼラニウム

(越年) ゼラニウム       ニーレンベルギア       ペチュニア
    バーべナ・テネラ    バーべナ・ダンネブロック   ランタナ

(宿娘) アガバンサス(紫君子蘭)                キキョウ

(球根) アリストロメリア    スカシユリ          ユリ

(観葉) ブライダルべール    スパティフィラム       コリウス  

(洋髄) ファレノブシス(胡蝶蘭)

(野草) ネジバナ
  

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.34 950619 宗教


 3月以来、ご無沙汰をしました。 「おまえ、オウム真理教の信者かなにかで、動揺でもしているのか? くらいの心配をしてくれる人が、一人くらい現われてもいいんじゃない。 
今日現在全くないので、自分から説明すると、トラブル的なことはありません。 転勤なし、仕事も忙しくなし、家庭的不和・ 事故なし、ただただ、オウム洪水報道を週末の朝から酒で盛り上げ、小さな個人的平和状況を楽しんでおりました。 おかげで、この通信紙を始めたときから、絶対書くぞと決めていたテーマ、「センダンの花」もとっくに終り、外は雨、アジサイもだいぶ前から咲いている。

 我家では知ってか知らずか全く話題にならない47歳の誕生日、平和ボケにもついに飽きこれではいかんと思い、久しぶりにキーをたたいている次第。

 明治生まれの父は、祭事祭礼・冠婚葬祭・宗教にあまり関心を持たなかった。 従って、町内がお祭りだろうが、家族の誕生日だろうが、それがどうしたという程ではないにしろ、記憶に残るようなことがほとんどない。
 家に神棚はあったけれども、ただのー度もその存在が意識されたことはない。 その無関心がどのように形成されたのか謎ではある。が、反面教師としていた父と同じようような部分を半分くらい引き継いだかなと思っている
 私が想像するに、物心がつく前に両親を亡くしたことから、文化の不継承・不慣れよる照れくささではないか。 母が亡くなってからの晩年は、それなりに仏壇を拝むことや墓参りをしていた。

 しかし、僕は父母の死後、皆無ではないが、ほとんどそうした事がない。 母の命日が4月、父が5月、墓は通勤駅までの経路から見える位置にあり、寄り道しても数分で済むところ、仏壇は十数メートル隣の白分の生家にありながら、父母を敬う気持ちは持っているつもりではあるが、今年は一度も行ってない。 深い意味は全くない、人からみれば冷淡、普通じゃないと思われるでしょうが。

 これから先はともかく、いままで宗教的なもので救済を得たいという心境になったことはない。 動機となるような悩み、病気、不幸に遭遇してないからだと思う。そうした時に間違いを犯さないよう、信仰心が必要だということもあろうが。好きな作象である五木寛之が 「蓮如」、永 六輔が 大往生』を書いているので、必要があれば浄土真宗(実家の寺は、真宗大谷派?)でいいやぐらいの感覚である。

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.33 950314-18 兵庫県三木市

 

 兵庫県への応援業務のため、10日程行く話(職場で一人を人選しなければならない)があった。仕事に追われるこどもなくマイぺースで過ごしてきたので、となると、現地に行って、被災地の状況だとか公園がどのくらい災害時に役にたっているのかを自分の目で確かめてみたいとか思い、立候補した。(立候補する前に複数選抜されてしまったが。)
作業と宿泊の場所である「グリンピア三木」がいつか家族旅行で行きたいと思っていた所であること(下見ができる)も大きな魅力であった。)
 

 順番がおかしいのでしょうが、被災地に対して直接的な行動に(受身ではあるが)参加できること自分はかなり冷たい人間であると思つているが、それでも震災発午後の相道や神戸との多少の関わりがあったせいか、久しぶりに(約20年?)緊急献血に応じたりしたが、なお不充足感が残っていたのも動機の一部としてあった。

 各部局からなる混成隊(11人)で年令が一番上だったので、リーダーという役割を与えられた。 日数は4泊5日に短縮され、14日朝県庁よりマイクロバスで出発し、3時過ぎに着くが作業は免除された。被災地からは離れている作業場(三木市)は1000台の駐車場とグラウンド内に、仮設された救援物資保管のテント群。
 

 ここの物資を兵庫県(10人程度)と各県の応援隊とで管理。 作業は、兵庫県内の市町職員(10人程度)とボランテアが加わり、救援物資の荷下ろし、仕分け、各避難所への物資積込み・発送作業。翌15日朝からは6時起床、7時朝食、8時〜17時作業(初日は愛知県が先着の宮城・埼玉に加わり応援28人体制。その後、長野、石川、福岡が加わり17日からは応援74人体制となる。 作業量に比して作業人員は多く、まあ、きつくはなかった。)、18時夕食、23時就寝。

 16日の終了ミーティング後、兵庫県の職員から声をかけられた。
大学の後輩(花卉造園学教室)のΥ君だった。 10カ月前大阪で飲む機会に出会い、98年?開催イベントの担当事務局にいることを知つていたので、震災後、彼の安否とイベントの動向が多少気になっていた。偶然に感謝、彼は翌日地元の酒を差し入れてくれた。

 18日夜、被災地に立ち寄る余裕もなく鉄路(神戸電鉄→JR→新幹線)で、独り遅れて帰名。 震災とは全<関係ない部分で個人的に気の減人ることが色々あった。
自分は組織行動や臨機応変な処理判断は不得手なこと、まして人を上手く動かす役なんて全く不向きだと思う。

木の芽時は近いのかな?

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.32 950312 クリスマスローズ

 

 4、5年くらい前にタネをまいたクリスマスローズが、今年になって庭で3株、プランタで5株が咲き始めた。 親株と同じ色の花は4株、白が4株。手をかけたのは、鉢でのタネ蒔き〜発芽1年目までくらいで、後は放任。金のかからない「面白園芸」の楽しさを味わう。

 もちろん通信販売で買った親も健在で、現在十数本の花茎を伸ばしている。 昨年の記憶では、―株で30本以上の花茎が採れる。 ただ、残念なのは花瓶にさしても水揚げが悪く翌日にはしおれてまう。 何か良い方法が必ずあると思うので、それを見つけたい。

 花季は相当長い、ほつておけぱ梅雨前までもったように思う。 色は、私の力ではうまく表現できない。が、終りは緑色となる。 当初の花の花は、西洋アジサイやポインセチアと同じく、花のように見えるが「がく片」であり、命は長く、落花することはない。 ならば、ドライフラワーにして観賞できないか?とも思う。 

 「クリスマス」といっても、12月に咲くことはない。その頃咲く本物のクリスマスローズというのも親戚(同族)で実在するが、日本の園芸ビジネス上では、これは正碓には(「レイテンローズ」とか「へレボルス・オリエンタリス」と呼ぶらしい)が主流のようだ。

 出張の帰路、個人的に東京にとどまり、翌3月4日雪の舞う神代植物公園に行った際、雪を被ったこれの群植(開花中)を見たが、名札にはクリスマスローズと書かれてあった。「ローズ」といつても、薔薇(ばら)ではない。常緑の宿根草(キンポウゲ科)である。

 ―度植えれば手間いらず、年中緑、病気や虫にも強そう、日陰にも強い(半日陰が好み)。グランドカバープランツ(地被植物)として扱いやすい材料である。

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.31 950209 Minor Swing

 

 中1の息子が最近音楽の授業が嫌で2回学校を休んだ。 本人の言によればその教師が嫌いとのこと。 もっとも、かっての僕と同じように普段から父親を避け気味である彼から直接聞いたわけではない。 僕も音楽が苦手だったので、事前も事後にも、何も言っていない。
 

 通勤の道で、小学校の時の先生だった人(当時新任の女教師、数年で結婚退職したように思う)と時々すれ連うが(僕は徒歩、先生は自転車)、何故か最初の時に挨拶できなかったので、それを繰り返している。 音楽に関するほんのささいなことが、記憶としてはほとんど風化しているのに、深層に残っているのか。 中学の時はよかった。 男の音楽教師であったか、苦手な人間をクローズアップさせることなく、しばしばレコード鑑賞の時間をつくってくれたおかげで、多少なりとも音楽を聴くことは、好きにしてくれた。

 努力すればそれなりに効果があらわれるならば、単純でわかりやすいのだけれど、音楽とかスポーツとか美術といった分野は、なかなかわかりにくいと思う。酒(アルコール)を、体がまったく受け付けない人がいるように。

 今日、県庁内の書店で、読んで聴くCDマガジン全12巻シリーズの新刊「JAZZ第9巻 ジャンゴ ラインハルト」(同朋舎出版、\2,000)を買いました。この中に、

"Minor Swing" (1937年録音、3分13秒)があります。最近ジャズは人気がないのでしようか、出版社が小さいのでしようか?。 比較的大きな書店、星野書店近鉄ビル店でも置いてませんでしたが。何年かぷりに聴くその曲は僕の感性に合うのか、繰り返し、繰り返し聴いても、なかなか飽きません。

 小さな文字の自己満足的な通信文で、それほど記憶に残つてないとは思いますが、続報を少々お伝えします。 召9「彼岸花」の葉がいつ出るかは、花のあと、つまり「秋季出葉型」でした。 召0「三波川冬桜」については正月過ぎまで咲き、2本あるうちの1本は現在もなお、花が樹にへばりついております。 召8「水仙」は、今が盛りかなと思う程よく咲いております。他には、先週より、梅が咲きはじめ、何をしているのかわかりませんが、黒っぽい大きめの鳥がよくとまります。

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.30 950117-129 兵庫県南部地震

 

 

 午後10時、目覚めると居間には自分以外だれもいないが、TV(地震のニュース)は鳴っている。 コタツに足を入れ、ゴロ寝をしてたようだ。 頭はポーとしてたが、なぜか缶コーヒーが飲みたいという目的意識だけがはっきりとあり、自宅から数十mしかない自販機に向かう。外は寒い風が吹いている、冬は嫌だ。
9時からのNHKスペシャル「生命」を途中まで見ていたことから、寝てたのは時間にすれば40分程度になるが、熟睡したように思う。

         
 冬に(寒く)なると、家にいる時は動かないコタツと一心同体になってしまう。  金曜日帰宅後から、日曜の今朝4時30分にコタツで目覚めるまで、ほとんど動いていない。(土曜日は一歩も自宅を出ず) TVはリモコン操作で、食事は運ばれてくるを待てぱ、本・雑誌と酒・タバコ数箱は手の届く所に一度おけばよい。 風呂もトイレも数歩の距雌にある。 新聞などの用は子供に頼めぱよい。

 こんな週末を繰り返していると、平日でも半分くらいはコタツで起きることになる。 我家では、僕の活動が年々鈍つてきたせいで、板張の床は昨夏以来の籐カーペット敷きのままで(従来は秋に普通のカーペットに替えていた)、コタツ敷きなどはなく硬いので、被災地の体育館に移されても適応できるなんて思いながら出勤する。

 健康には良くないとは思うが、なぜか不規則(イレギュラー)なライフスタイルが身につきやすい。 震災報道の影響か、潜在的なちょっとだけの路上生活願望か、自然破壊を悔いながら自然とともに生きたいと思う遺伝子の為せる業か。

 「地震、雷、火事、親父」とはよく言ったものである。 広辞苑によれば、「日常、人々の恐れるものをその順に列挙していう語」とある。 自然は、地震〜親父(人間)まで造ったが、親父は、親父〜地震まで作れるようになったが親ではない。 ウイスキーのせいで頭が混乱してきた。今夜は25メートルくらい先の布団で寝よう!                    
(「阪神大震災」の被災規模が明らかになるにつれて、書きづらくなつた。

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.29 941231-950102 旅ー諏訪湖

 

 20数年来、31日から元旦にかけては、たいてい旅先で迎えている。知らない土地の人の中に居たほうが心が安らぐ。 家族を持つようになってからは3日に、実・義父母宅に顔をだすくらいで正月は終わる。 (両親が他界してからは、義父母宅のみ)独りの時は、YH(ユースホステル)など安宿を確保しておけば気ままな旅ができたが、今はある程度の水準を要求する家族に合わせ、国民休暇村とかグリーンピアの類い(法外な料金を取らない宿)を確保する必要がある。 年末年始は10ヶ月前の予約とか数か月前の抽選をクリアーしなけれぼならないが、うまくいったことはまだない。 結局、また10月頃ばたばたと電話をかけ、公共セカンドクラスの宿を取ることが多い。

 適当な所が見つからなかった今回は、困つた時はYHと腹を決め12月13日に長野県下諏訪町の「スワコ遊遍館」を確保した。 そこはYHといつても一応、雑誌「旅」「るるぶ」で紹介記事がてるレベルの宿である。 そして、家族旅行では初めて高速バス路線(中央道、座席指定)を使うこととした。 理由は時間×料金が最小だから。

 31日10時30分名鉄BS発のバス(乗車率80%程度)は、名神一宮をすぎるとTVでビデオ映画を流し始めるが見たいとは思おなかつたのでイヤホーンはつけない。  しかし、音のない画面はまもなく、ポルノ映画かと思わせるセックスシーンを始める。これがまた結構長いので子供連れの親としては気になつた。よく見ると吉永小百合と松方弘樹であり、題名(天使の誘惑?)は忘れたかシドニーシェルダン原作の映画にタイトル・内容が酷似していることが話題となった「天国の大罪」であった。 

(どちらも私はTVで観た)

 2日朝、タクシーでユーモラスな姿で知る人ぞ知る「万治の石仏」に立ち寄った後、岡谷市の「やまびこ国際スケー卜センター」に行き半日過ごす。
山腹にあったスケー卜場から1時間程かけて岡谷市役所まで歩き、l5時06分発の名古屋行に乗る。座席は、ほぼ満席となる。 映画は山田邦子が出ている学園ものなのて、多少古いが子供には問題ない。しかし、びつくりしたのは2本目の映画I「ナナカマドの挽歌」である。インター近くなると多少渋滞するのと辺りが暗くなったので、観ることとした。

 メジャー系の映画ではないそれは、なんとなく教育映画的(人権思想啓発的)なものを予感させる雰囲気(色調、音)で始まつた。主人公は幼子を抱えて山(林業)の飯場の賄いとして住み込むこととなった女性。フラッシュ・バックの中身がすごい。炭住長屋、酒浸りの父(長門裕之)、生活に疲れた母の自殺、家を出ていって戻ってきた兄も母の後追い自殺、火傷。成人になって、一見幸せそうな結婚、姑のいじめと働かない夫、家出。そして、飯場のセクハラの繰り返し。あまりにも真っ暗けのス卜ーリーに、さすがの私も途中でイヤホーンを投げた。 いったい、この映画はどうやって決着させるのか知りたい気もあつたので、時折画面を眺めていた。が、名古屋駅に近くなったところで消えてしまった。 正月をまったく感じさせない名鉄バスのセンスはすごい。

(後日、北海道の名鉄高速パスがスリップ事故に巻き込まれ何人か死亡したことが報道され、どうも高速バスの使用は今後賛成が得られなさそうである。)

●旅の記録
 31日夜〜ドイツ人4人、我家3人含む宿泊者10人程で、諏訪大社下社秋宮へ2日詣(旧甲州街道、徒歩片道45分、境内は大変な混雑でした。)
 

 1日 YH(タクシー→)諏訪大社上社・諏訪市博物館(タクシー→)ボーリング場(徒歩→)上諏訪駅(JR→)下諏訪駅(タクシー→)ハーモ美術館(富士山の眺望が美しい湖畔の、疲れないで結構時間つぷせる小美術館、ルソー、ボーシャン、カミーユなど) (徒歩1時間→)YH・高木満泉(大変熱い)

 宿:遊遍カ(ユーペンハウス) 外国人の設計とのこと、設備が少しシンプル TVなくて子供には不評。別棟の山小屋風ログハウスは存分に酒・タバコが飲め私には快適空間だつた。 食事も良く、合理的な思想の持ち主と思われる着いオーナー氏も好感が持てる人物である。

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.28 941224 ニホンズイセン

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.27 941117 都市計画課25周年記念パーティー



<現役(公務員)の間は、色々とさしさわりが出そうなので、掲載を自粛します>

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.26 941112ー14 日本最高所の露天風呂:本沢温泉

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.25

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.24 941030 群馬県草津町・YH

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.23 9410 我家の壁際族?フィカス プミラ

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.22 941016 アジア大会・国民体育大会


 アジア大会が終わったらしい。 新聞の番組欄を見ると、TBS系列(CBC)とNHK衛星第1に載っている。 前日病院に見舞いに行ったばっかりの親戚の仮通夜に行っていたこともあるが、結局今日は全くニュースもスポーツ番組も見ることもなかった。

 開会式の日は、入場行進の前だった思うが、地元の専門学校生の集団演技をみた。 しかし、日本人の体型あるいは顔に合わない衣装に思え、興味は数分で消えた。  その後も、プロ野球の中日の戦いや北海道東方沖地震のことは相当 新聞やTV報道に接し非常に記憶に残っているが、アジア大会は新聞にそれなりのスペースが割かれていても、僕には遠い所の出来事だった。
TV放送権を得た2社にとって損得勘定はどーだったのかな。
人も組織も、事によっては損得を忘れて、あるいは別にして、しなければならない時があるとは思うが。

 今年3月下旬、義父母と家族を連れて広島県を旅行(2泊)したが、大会のことを印象づけるものに(当然広島駅前などに残暦盤などはあったと思うが)気付かなった。同じように7月下旬ー長野県に行ったが、冬期五輪(1998年)があるらしいという盛じはした。   まだ時間があって新幹線や高速道路の建設やら長野駅の改造など、単に見える所で派手にトンカチをやっているせいかも。 (広島も新交通システムやら空港を関連整備としていたことが思い出される。)

 さて、愛知県では間もなく国体の秋季大会が開かれる。その準備のため、86(S61)年から3年間、教育委員会の中にあった国体準備室で教育委員会ただー人の土木技術者(自分はそうは思わないが)として、トンカチ特需のない国体など開催する意味がないと思いこみ、過ごした。

 関係者だったということであろう開会式の招待切符が送られてきたが、式典会場(瑞穂公園)には苦労の思い出もなく、何日も国体関連の業務で休日をつぶしているかつての同僚、今の同僚(県のー般職員も沢山裏方として総合練習会、模擬国体、本番と休日動員がある)からみれば、糾弾ものと自覚しているが、開会式の29日から3日間圏外(県外)に去ることとした。

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.21 941014 路上ライブ



 珍しく11時近くまで残業した14日(金)夜、タクシーで名古屋駅まで来たところ、ロス・ラティーノスというラテン系の4人組が、エル・コンドル・バサ(コンドルは飛んで行く)を路上で演奏していた。
久しぶりに聴くフォルクローレなので足を止めることとした。 観客は、缶ビール片手の路上生活者、駅に集まる南米系人(?) ジーパン姿の若者、我々のようなくたびれた中高年サラーリマン風など約30人程度。

 ここは名古屋、若い娘は足早に通りすぎ駅に吸い込まれていき、立ち止まる者は静かにおとなしく聴く。 時折、カンパする人が奏者に近づく。
 2曲目はコーヒールンバ。少しくらい帰る電車が遅くなってもいいやと思う。 おばさん風が札のカンパをする。 1000円にしようか、それとも、3000円のCDを買ってやろうか頭の中で計算する。
 結局、初めて聴くラストの3曲目の曲名(エル・サリリ)を問いつつCDを買って帰る。

 コンサートなんてものに行ったのは、全然思い出せないくらい昔のこと。
レコードもナガオカの倒産以降は針がないし、CDも聴くことはめったにない。 でも、少し前(昭和62年春頃〜平成5年春)までは、シャンソン・カンツォーネ・ラテンなどのライブを毎日やっていた所(栄:シャンソンバー「モン・デュー」)と開店当初はオランダ民謡・ポルカ・クラシック、その後フォルクローレの名駅:ミュージック・ビアホール「ライオン」には多少出人りしてた。

 モン・デューは2代つづいたママ兼ピアニストから良客として扱われていたように思え、居心地のよい店だったが昨年突然消えた。  たぶん、ゴルフ場も経営してたグループのオーナーがバブルでつまづいたのだろう。
日替わりで2〜3ステージを勤めていた歌い手たちは、今は何処に?
ライオンは、オランダやドイツ風の健全さが名古屋のビアホール客には合わなかったのだろう。 店は今もあるけど、開店後2年くらいでライフは消えた。

その後、居心地の良さそうな所は見つかっていない。


                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.20 941009 桜:三波川冬桜

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.19 940925 彼岸花(リコルス)


 先週中頃より我家のあちこちで彼岸花が一気に咲きました。 この花は、短い間に地面から一斉に花茎を伸ばし開花し(葉は開花後となる※)、非常に季節の変化(夏〜秋)を感じさせるので、捨てがたい味があると私は思います。

 それで、葉のない毒々しい花(事実、球根[鱗茎]は有毒のアルカロイドを含む)を自宅の各所に植える人は少ないけれど、畑だった土地の先住人なので、ほかの草木を植える時に邪魔になると、別のところへ移しているうちに、だんだん増えてしまいました。 ただでさえ、おばけ屋敷風になりつつある我家にはよく合うのでしょう。

※本によると、花茎の伸長には地温が25℃近くまで低下することが必要とのこと。また、春の終わりには無くなる葉が、開花直後となるもの(秋季出葉型)と早春となるもの(春季出葉型)との2タイプがあるとのこと。

 多分、我家のは秋季出葉型と思うけれど、葉には関心がなかったので自信はない。花の後を見守ろう。

 球根[鱗茎]は分球して群落状になっており(つまり沢山ある)、植えてみようという変人がおれば、ご一報ください。

 このMINOR SWING、800803より820510まで(観光課にいた)18回発信したのち休眠(12年間)しておりましたが、少し精神的な余裕がある職場に転勤した昨年の4月頃より再開を考えていました。

 この9月、仕事では、どうしようもないように思える閉塞状況の中、それぞれ同居人のおられるふたりの女性から訪問と私信をいただきました。 私信を書く中、再開の動機づけが完了した次第です。

 12年前の送付リストと今の僕の人間関係から送付します。

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.18 820510 竣工記念行事のご案内


おくればせながら、下記によりささやかな酒宴をひらきますのでご出席ください!

                   記

と き: 1982.5.16(日)午後4時〜

ところ: 自称 ライオンハウス(裏面略図)

かいひ: 500円

     なお、当日は ↓ も予定しております。

ほうこく:「名古屋市芸術総合センターその後」・・・安藤 洋(コンペ当選者)

スライド:「渡辺豊和の7つの住宅」     ・・・酒井宣良(NOV建築工房)

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.17 8104  転居のお知らせ


拝啓 陽春の候 皆様にはお変わりなくお過しのことと存じます。

さて このたびマスコミに話題を提供した街 豊明市に私ども4人家族の住む”ライオン小屋”(住人はウサギのようにおとなしいつもりですが)をつくりました。
お近くへお越しの節は 元気に暮しているか ご確認のため 是非お立ち寄り下さいますよう

先ずは お知らせ申しあげます。
                                          敬 具

 昭和57年4月                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.16 810725-29 旅ー和歌山

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.15 810614 面の木ビジター?

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.14 810525 

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.13 810505 ポートピア’81

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.12 810429 本

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.11 810426 負けること


 
朝9時〜夕6時半まで愛知県実業団バドミントン(春季リーグ戦)のため県体育館に行っていた。
 私の所属する県庁チームは、11部(各部6チーム構成)中、第3リ−グに属しており、第2部の名古屋市役所Aとともに企業チームを相手に健闘している方だと思っている。

 高校以来もう15年以上バドミントンというスポーツをつづけているが、対外試合ではほとんど勝つことがなく、チーム編成上の員数あわせ的な存在なのだが、今回で21シーズン目の出場となった。(春・秋年2シーズン制)

 主力3選手を欠き、チームとしては3戦3敗。 私自身はダブルスゲーム2試合とシングルスゲーム1試合にでて、全敗。 特にシングルでは、0(0−15 0−15)2のパーフェクト負けで、ただの1ポイントも取れなかった。

 負けることは面白くないけれど、もともと不器用な人間が結果(勝敗)をあまり意識してたら、こんなテクニック(技能)の優劣が明白になる競技を何年もつづけられない、馬鹿馬鹿しくて。
 だから、対戦相手とシャトル(羽根)を打ち合い、負けを予感したときは、相手がバドミントンというスポーツを忘れてしまった時にまだ自分がまだ続けておれば自分が勝ったことになると考えることにしている。(高校時代、対戦した記憶のある人で、この実業団にでてくる人は1人しかいない。)

 夕食と入浴をすませウトウトしたあと、新聞をみて名古屋市長選の投票日だったことを思い出した。 オリムピック反対ののT候補に入れてみようと前夜には考えていたのだが、、

 放送局が勝った現職の談話を繰り返す。

スウィッチを切る。

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.10 810211 

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.9 810118 旅ー知多半島

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.8 810102 CALENDAR

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.7 801116 紅(黄)葉

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.6 801031 能登 羽咋&七尾

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.5 801018 五輪真弓「恋人よ」


 最近、五輪真弓の「恋人よ」という局をよくきく。
ニューミュージックの歌手が、レコード大賞をはじめとする「賞」を取りたいと積極的に意思表示したことの珍しさに話題性があり、マスコミが飛びついたこともあるが、、、、

 本人が自信作というだけのことは十分あり、僕もいい曲だと思う。 近々、僕にとって、彼女のLPが3枚目になることは確実! いいなと思わせる歌はいくらでもあるが、身銭を切ってLPを買うとなると、分相応に厳選せざるを得ない。 今までのところ、濃くない・女性に限定すると、該当する歌い手は<加藤登紀子><浅川マキ><中島みゆき>とこの人になる。 いずれも、個性的な生き方をしているように見える。


 ついでながら、娘の名前を「真弓」に決めた50%くらいは、この人のイメージと発音の類似性に依っています。(残り50%は、マユミという植物(樹木)の存在ですが、) 男の名前は、かなり時間をかけ、ユニークなのを考えだしたが、女となると、ちょっと手抜きしたきらいもありますが、、、。

 11月25日で2歳になります。 はたして、五輪真弓のように「一芸に秀でる」ことができるか? (今のところ、親に似て音楽的才能はなさそうですが、、)

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.4 801002 キンモクセイ


 
一日中、県の本庁舎は、金木犀の濃い香りに包まれていた. 正面玄関脇に一本あるだけなのに、すごい力だと思う。 花や樹形に、一目をひくようなものを与えられなかったせいだろうか?

 昼間よりも暗闇の中で、どこからともなく流れてくるこの香りにであうのが、たまらなく好き。 しばらくの間、色々なことを忘れてしまう!

 クチナシ、ライラック、ジンチョウゲなどもいいが、芳香のある庭木としては一番気に入っている。 自分が設計・監督した工事で、「大高緑地」という公園の正面入口に沿って、金木犀  本植えたことがある。 今頃、目立たぬ葉蔭から香りのシャワーを流しつづけていると信じたい!                     

2001年11月21日 00時10分39秒


No.3 800915 城端むぎや祭


 城端線という国鉄のローカル線を知っていますか?
富山県高岡から砺波平野を縦走し、「五箇山」への入口にあたる城端(じょうはな)まで 29.9 km。

砺波(となみ)のチューリップ、井波の彫刻、城端のミズバショウ、沿線の散居村など風物にひかれるものが多く、僕の最も好きな旅先。 昭和47年(1972)、名金バスルートで五箇山に入った折、勧められ、城端の「麦屋まつり」見学に足をのばしたのが最初。 以来、毎年一回は行っている。 この祭りだけでも、49(1974)、52、54、そして今年55(1980)と5回も!

 祭は毎年9月の15日と16日。 五木寛之が小説の題材にした同じ富山県のまつり「風の盆」(八尾町9月1〜3日)より僕は好きだ。 5回目となると、最初のときのような感激はないけれど、足を運ばせる何かがある。 週刊誌によると、田辺聖子とカモカのおっちゃんは、コモカ連をつくって、毎年、阿波踊りにくりだしているとのこと。

 自分の祭を持たぬ僕にとって、観光的参加だとしても、共有できるものを一つ持っていることは楽しいと思う。



城端町

 砺波平野の南端にある、16世紀末に福光から善徳寺(ぜんとくじ)が移建されるとともに、その門前町として発達した。 江戸時代には前田家の庇護の下の蚕糸取引や漆器生産が行なわれ、現在は絹織物、電気機械器具などを産している。9月に催される麦屋祭りは、八尾の風の盆と並ぶ大民謡祭りで、町中が踊りにつつまれる、細尾峠を越えて五箇山へ入る入口の町でもある。

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.2 800822 松本 珈琲屋

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒


No.1 800803 創刊号


 

 夏らしくない天気が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、’いもうNEWS’ですが、No.16を最後に休眠状態になっております。 4月の人事異動により、6年間慣れ親しんだ都市公園事務所に別れを告げ、本庁の観光課という何となく華やかなところにかわり、毎日慣れぬルールと仕事に消耗してしまい、とても「いもう」に行く気がおきず、子供の遊び相手になって気を紛らしている次第です。

 この現状にジタバタせず、体勢をととのえていくため、しばらく負担の少ないハガキ通信で再出発したいと思います。

                      

2001年11月21日 00時10分39秒


No.0

 

                       

2001年11月21日 00時10分39秒







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