ソイレントグリーン
1994−11−13−B
いつだったか映画評論家の淀川長治氏が、『いい映画は、それがどんなテーマであっても、そのどこかに人間の美しさやすばらしさが描かれているものだ。』という意味のことを書いていた。私は彼のファンではないが、このことばには深く共感したものだ。逆に、人間の醜さ、汚なさのみが強調された映画は『いい映画』ではありえないと思う。二十数年前に『ソイレントグリーン』という映画を見て、それを痛感した。
その舞台は、近未来。公害のために空気も水も汚れて農業は壊滅状態である。ところが人口は爆発的に増えて、地球のあらゆる都市がスラム化し、病気や犯罪が絶えない。一般の人々は野菜も肉も手に入らず、工業的に作られた栄養剤で命をつないでいる。食糧難のため老人の安楽死が制度化されている。
そんなある日、ある食品会社が『ソイレントグリーン』という画期的な栄養食品を発売した。ところがふとした機会から、主人公はその原料が安楽死させられた人間の死体であることを突き止める。そして彼は『なんということだ、これではいづれ食料にするために人間を飼うようになるぞ』と叫ぶ。
これはどうやら映画制作者自身の警告でもあったらしい。しかしエネルギー効率という点から考えれば、そんなことは一〇〇%有り得ないのだ。何たる科学的無知! が、それはまだ許せる。それよりも反公害という時流に便乗してセンセーショナリズムによる観客動員を狙い、そのためには人間をひたすら醜く描いて恥じないその根性が許せないのだ。この種の映画を悪い映画と言うのである。


   

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