
林芙美子著。400字詰原稿換算182枚,印刷A4用紙41枚。「青空文庫」より。 明治36年12月31日下関生まれ(出生日、生誕地ともに異説あり)。本名フミコ。行商人宮田麻太郎を父に林キクの私生児として届けられた。1910年(明治43)母は離婚し翌年沢井喜三郎と結婚、一家は九州を行商して歩き、芙美子は転校を重ねた。15年(大正4)広島県尾道に落ち着き、22年尾道市立高等女学校卒業。卒業後、愛人岡野軍一を頼って上京、職を転々としていわゆる放浪記時代が始まった。24年友谷静栄と詩誌『二人』創刊。俳優田辺若男や詩人野村吉哉と同棲し、アナキスト詩人岡本潤、壺井繁治らを知る。26年画家修業中の手塚緑敏と結婚、芙美子のアナーキーな生活はここにようやく安定を得た。28年(昭和3)『女人芸術』に『放浪記』連載、好評を博し、30年『放浪記』出版、たちまちベストセラーとなり『続放浪記』を出版、出世作となった。同年処女詩集『蒼馬を見たり』を出す。この年中国を旅行。31年『風琴と魚の町』『清貧の書』を発表、作家としての地位を確立した。この年欧州に旅行。『泣虫小僧』(1934)、『牡蠣』(1935)など、自伝的な作風を突き抜け本格的な客観小説に成功した。『稲妻』(1936)のあと、従軍記『戦線』(1938)、『北岸舞台』(1939)などを発表、報道班員となって南仏印(フランス領インドシナ)に滞在、この間短編を書き継いだ。 戦後は一連の反戦的な作品を残す一方、『うず潮』(1947)、『晩菊』(1948。女流文学者賞受賞)、『茶色の眼』(1949)などを発表、『浮雲』(1949〜50)の連載を始めた。1950年(昭和25)屋久島旅行に出たが、流行作家としての酷使に身体衰弱し、『めし』(1951)など連載中、昭和26年6月28日心臓麻痺のため急逝した。 「折々の随想」読者サービス本。 |
